第6章へ
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新教皇選出の翌年、コシアは正式に釈放され、ローマを離れる許可を得た。奪われた権利を争う術も、かつての汚名をそそぐ名誉も、そのすべてを永久に放棄する条件と引き換えに、残された刑期は恩赦された。彼は、その条件を一切拒まなかった。失ったものを取り戻す執着よりも、背負い続けたすべてを終わらせる安寧を、彼は選んだのだ。
ローマを出る朝、振り返ることはしなかった。石畳の感触も、回廊の冷気も、重い帷の擦れる音も
——そのすべてが、今や胸の奥に納まっていた。振り返る必要は、もうどこにもなかった。
ナポリでの暮らしは、驚くほど静かだった。もはや何一つの職も、いかなる役割も与えられることはない。だが、神への祈りを禁じられることはなく、休息もまた、必要以上に奪われることはなかった。
晩年、彼は自らの名が世のどこで、どのように語られているかを、ほとんど気にとめることもしなくなった。語られない、ということは、消え去ったことと同義ではない。 誰にも知られずとも、事実があることを、彼は誰よりも深く知っていた。 それでもなお、その事実を許さず、すべてを闇に葬り去ろうとする世界の非情さを、彼は静かに、しかし確かに知っていた。
ある日の夜。石壁には、湿った潮の匂いが薄く染み付いている。コシアは、いつものように小さな卓の前に腰を下ろし、使い込まれた祈祷書を開いた。 文字は、驚くほどよく見えていた。老いのせいではない。灯りの不足もなかった。ある一行を前にして、どうしてもその先へ進むことができない。 そこに記されているのは、名ではない。称号でもない。それなのに、あわいに置かれるはずの言葉が、喉の奥でせき止められたまま動かない。自分を拾い上げた人の貌が浮かぶ。そして、その人の名を継いだ男の声が、遅れて重なり合う。 二人は同じではない。決して別物でもなかった。どちらも、自分という人間に何一つ『持たせない』ことを、至高の誠実とした者たちだった。
コシアは、しばらくそのまま動かなかった。 祈りをやめたわけではない。ただ、言葉が続かなかったのだ。 やがて、彼はゆっくりと祈祷書を閉じた。指先は頁の端を、儀礼の如く完璧に揃えている。微塵の乱れもない。 閉じられたはずのその書は、翌朝になっても、元の棚へ戻されることはなかった。
祈りは、終わっていなかったのだ。
ただ一つ、彼が最後まで忘れなかった名がある。 自分を泥の中から拾い上げ、信じ、そして失った
――あの人の名だけは、最期の瞬間まで、心の外へ置くことをしなかった。 それは、誰かに語り継ぐための記憶ではない。誰かに理解される必要も、誰かと分かち合う必要も、もはやどこにもなかった。「愛していた」という言葉すら、彼には余計だった。手放さなかった。それだけを、自分に許した。
――それだけで、よかった。
ナポリの夜は、どこまでも静かだった。
同じ夜、ローマでは、未だに灯りの落ちていない書斎があった。 机の上に置かれた紙は、束ねられることもないまま、白く夜の中に浮かび上がっている。一瞬だけ、吸い込まれるように目を閉じた。忘れることができなかった言葉が、胸の奥をよぎる。彼の筆が止まることはなかった。敬虔な祈りにはならなかった。
ただ、書き続けた。
一七五五年二月八日、彼はナポリで息を引き取った。埋葬されたのは、ジェズ・ヌオーヴォ教会である。それは誰かの勝利としてではない。かつて彼を糾弾した者たちの勝利としてでもない。ただ、二人の『ベネディクトゥス』の間に立ち、その基準を完遂し、役割を終えた一人の人間として。縛るものは、もう何もない。
すべては、十分だった。
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