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2026-04-15 23:59:52
26414文字
Public 轟飯
 

1.輪郭にのこる熱

こちらのシリーズ、やっとお話が始まりました。
https://privatter.me/page/66e865074286c



群訝の張り詰めた空気から解放され、ようやく自宅へと舞い戻る。片付けられた我が家は、いつも安心する。
忙しなく荷物を解き、キャリーケースを所定の位置に戻すと、風呂の合図が届く。
着替えを洗濯機に入れ、湯船に浸かると、ずっしりとした疲れが溶け出ていくのを感じた。湯船の中で顔を洗い、長い溜め息を吐いた。
今回のチームアップミッションの記憶が早回しされるように、脳裏を過ぎる。
学生時代に姿をくらませた彼女は、一人で重荷を抱え続けていた。
簡単に分け与えられない思いを抱えて人は、生きている。
彼女の手を引くのは自分ではないかも知れないが、友として傍で支えたいと、強く決心した。

『お疲れ様!明日はゆっくりでいいからな。おやすみ』

風呂から上がると、帰還の報告をした兄からの返信が届いていた。いつまで経っても、幼子のように甘やかされていると感じる。
冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを、グラスへと注ぎ、口を付けた。

『いつも通り出社するよ。兄さんも寝坊しないように!』

すこしだけ戯れるような返信をして、口角を上げる。
それから事務所への土産を忘れないように玄関に置いてあるのを確認すると、スマートフォンの着信音が静寂を破った。

「お疲れ様」

画面をタップすると、映像通話に切り替わる。自室の座卓で資料を広げたままの轟が画面外に映し出される。
それほど久方ぶりという訳ではないのに、轟の顔を見るとひどく心が凪いでいく。

「どうしたんだい?急に」
「飯田の顔が見たかったんだ」

いつも、こんなことをさらりと言う。
その一言に、容易く心が浮き立ってしまう自分を思うと、少しだけ憎らしい。

……仕事中かい?」
「毎日片付けることが多くって……お前に癒されたかった」

平生を装うつもりが、鮮やかな追撃を受けて飯田は自分の顔を覆った。
轟は二人きりになると、いつもこうだ。自分はただ、それを甘受するしかなくなる。

「群訝はどうだった?」
……うん、色々あったよ」

それは電話では話し切れないと言うように、飯田はまたグラスに口を付けた。
トガヒミコの最期の地で感じた、あの胸を締め付けるような冷たさと、仲間たちの温もり。
その余韻を反芻しながら、飯田はモニター越しの恋人の顔を眺める。

「眼鏡、変えたんだな」

見つめ合っていると轟が、手にしたペンを自分の頬に置いて目を細めた。
八百万から貰った新しいフレーム。それを飯田は、少し照れくさそうに指先で軽く押し上げた。

「あぁ、これはね……

子供たちとの交流、怖がらせてしまった少女がこの眼鏡一つで心を開いてくれたこと。『個性カウンセリング』についての今後──
言葉を紡ぐうちに、張り詰めていたものが、少しずつほどけていくのが分かった。

「なら、ホークス……あの人なら色んな人脈もあるし、助けになってくれるんじゃないか」
「確かに。彼の知見があればかなり助かるな」

飯田の話を聞きながら、轟は提案する。

「親父とよく会っているし、オレも連絡先知っているから伝えておくよ」
「あぁ、俺の連絡先を伝えておいて貰えると助かる」

多忙を極める仕事の合間であっても、自分の話に真摯に耳を傾ける彼の存在。それが今の飯田には、何よりの救いだった。

……そういや、オレも仮免補講の時に知り合った奴らから声掛けられてんだよな」
「へぇ、君も小学校へ講義にでも行くのかい?」
「何か、祭りをする手伝い……とか?あんまり詳しく聞いてねぇんだ」
「君ね、仕事の内容はちゃんと確認してくれよ。この前のこと、忘れた訳ではないだろう?」

飯田は、部屋着の襟元から覗く自らの首元を指差した。
脳裏に蘇るのは、包帯で隠された轟の肢体と二人の蜜事を晒されたあの画像だ。
一度は収まったはずの怒りが、再び棘を剥き出しにする。

……まだ痕、残ってるか?」

声のトーンが下がる。轟の瞳が、画面越しに飯田の首元を射抜く──
この眼は、狡い。
また獲物のように捕らえられてしまう。
 
「君、どれだけ残していたと思っているんだ……
「オレのも残ってる」

そう言って、轟はTシャツの襟ぐりをぐいと広げて見せた。
歯型の跡は痣となり、強く押し込められた場所だけが淡い紫を残している。
キスマークもほとんど色が判別できぬほどに褪せているが、そこには確かに、互いを刻み合ったという証が存在していた。

「結構……嬉しいもんだぞ。鏡見る度、お前の事思い出せるの」

こんな僅かな痕に、これほどまでに無垢な喜びを宿す男を、自分はどうして突き放せようか。呆れよりも先に、胸の奥を直接掴まれたような愛おしさが込み上げ、飯田は苦しげに息を吐いた。
その溜息は、自分を否定しようとしていた理性が、完全に降伏した証でもあった。

「本当なら痕が全部消える前にまた付けたいけど、しばらく忙しそうなんだよな」
「仕方ないさ、指輪は俺が受け取っておくから……あ、今年のバレンタインは指輪だけだよ。贅沢したんだから」

冗談かも分からぬ発言に、ドギマギと動揺する。こうやって自分ばかり振り回されてしまうのが、悔しい。
飯田は言い聞かせるように、画面の中の恋人へ指を差した。

「そうだ、緑谷の積立。実はもう目標達成したらしいぞ」
「なっ……まさか、早すぎる!」
「爆豪がまとめて入金したって、昨日会った時に言ってた」

親友である緑谷出久への支援──無個性である彼を、またヒーローにする為に、爆豪から提案を受けたのは、卒業後すぐだった。
オールマイトを全盛期へと高めた技術に、発目明の柔軟な発想を加えたデク専用スーツ。この計画を聞いた時は、驚きが止まられなかった。
更にクラス一丸となって集めるにしても、その費用は、あまりに巨額の金額であった。
大・爆・殺・神 ダイナマイト。彼の躍進は、まさに破竹の勢いであった。その裏に、どれほど静かな執念が眠っていたか。
巨額の数字が動く事実が、クラスメイト全員の想いを一気に現実へと押し進めた。
各人が広告を率先して受けているのも、実入りが大きいと言う部分もあった。

「製作にどれだけ掛かるかわかんねェけど……1年、くらいは掛かるだろうな」
「そうか、とうとう…………

思わず、感涙が瞳に届く。
雄英の門を共にくぐった親友と、再び肩を並べて夢を歩める。そう思うだけで、胸が熱くなった。

「近々報告がくると思うけど……お前に、一番に伝えたかったんだ」

画面の向こうにいるのが口惜しくなる。
抱き締めたい思いが、喉元にせり上ってきて、飯田は下唇を噛んだ。

「じゃあ、疲れてるだろうから……そろそろ切るよ」
「君も、早く寝るんだぞ」

通話を終え、静まり返った室内。心落ち着く空間が、急に空虚に感じてしまう。
……何かが物足りない。
飯田は無意識に、服の上から首元の痕をなぞった。目を背けていたはずの証がが、轟の言葉を媒介にして、再び鮮烈な熱を伴って脈打ち始める。

熱を冷ますために、ベランダへと出た。
ツンと冷たい空気が、熱した身体を一気に冷やしていく。窓から見える住宅街の向こうに、繁華街の眩い光が瞬いていた。
その夜景へと左手を掲げてみる。
そこにはまだ何もないはずなのに、見えない指輪が、まるで存在するかのように輝いて見えた。