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2026-04-15 23:59:52
26414文字
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轟飯
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1.輪郭にのこる熱
こちらのシリーズ、やっとお話が始まりました。
https://privatter.me/page/66e865074286c
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「お待たせいたしました。宜しければ、こちらもご覧いただけますでしょうか」
一呼吸を置いて、店員が室内へ足を踏み入れる。その手には、先ほどまでとは一線を画す、独創的な光を放つリングが、掲げられていた。
「こちらのデザインですと、表面はシンプルですが、内側に特別な細工が施されております」
新しく持ち込まれた指輪を手に取ると、店員は二人に見えやすいよう、胸の高さで慎重に角度を変えて見せた。
「へぇ
……
表はシルバーなのに、内側だけ珍しい色合いなんだな」
「内側に細工するのも、珍しいな」
飯田は眼鏡の位置を正しながら、しげしげとその意匠を見つめる。
内面にある複雑な模様に、轟も前のめりに見つめた。
「お二人のように前線に立つご職業柄、常に身につけるのが難しい場面も多々あるかと存じます。ですがこちらは、外した後も、内側の模様がしばらく〝痕〟として肌に残ります。まるで、指輪を纏い続けているかのように見える仕様でございます」
その言葉に、二人は弾かれたように顔を上げた。
目に見える装飾よりも深く、けれど誰にも触れられない場所で肌を噛み続ける〝痕〟。
自分たちだけが知る、秘めやかな独占の形。それが、轟の喉の奥に燻る飢えを、静かに、そして完璧に潤した。
「内側の模様は、新たにお二人だけのデザインを起こすことも可能です。
常用しない前提であれば、宝石を付けることも可能でございます
……
詳しくは、専属のデザイナーとご相談いただけますが、いかがでしょうか?」
それまで穏やかだった店員が、プロとしての自信を滲ませた微笑を口元に浮かべる。
飯田が問いかけるように轟を振り返ると、轟は、迷いなく頷いた。
「是非、お願いします!!」
その後、室内に招き入れられたデザイナーと膝を突き合わせ、数多の提案に耳を傾けるうちに、二人のイメージに輪郭が与えられていく。胸の奥で燻っていたものが、静かに居場所を得ていく。
予想に反して、贅沢な時間はあっという間に過ぎていく。
店員から見送られる際、正面の扉ではなく、個室のある通路から他の店舗と繋がる扉へと誘導された。行き届いた気遣いに、ふたりは感謝した。
外へ出ると、冬の鋭い闇は煌びやかな光に当てられ、穏やかな色合いへと変わっている。
凍えるような寒さも、隣を歩く男の確かな存在を感じるだけで、すべてが静かな充足へと変わっていく。
「
……
指輪、早くしたいな」
左手の薬指を無意識に見つめながら、轟がぽつりと呟く。
完成までの時間は、今の轟にとって途方もなく長く感じられた。
「食事の予約を入れているから、少し急ごうか」
かつての級友・砂藤が、料理の監修を務めたレストランが近くにあるという。
案内されて訪れたその店は、気取らない温かさと洗練が同居した、今の二人が肩の力を抜くには誂え向きの場所だった。
「お誕生日おめでとう」
薄いグラスを軽く鳴らし、飯田が祝辞を告げる。
その言葉に、轟ははっとした。
今日は、プロポーズの時に交わした約束の日──自分の誕生日だった。
毎年、互いの誕生日に会える日はこうして食卓を囲み、会えない日は想いを形に変えて贈り合ってきた。積み重ねてきた歳月。その重みを、自分はどこかで見落としていたことに気付く。
「
……
オレばかり、幸せな気がする
……
」
久し振りに喉を通ったアルコールに浮かされ、轟は熱っぽい溜息を漏らす。
「何を言っているんだ。君が幸せなら、俺だって幸せだよ」
飯田の瞳は、出会った頃から変わらず、どこまでも真っ直ぐだ。その揺るぎない視線を受けて、轟の胸の奥に澱んでいた不安が、静かにほどけていく。
「
……
さっきは、心配を掛けて悪かった」
「いいんだよ。何かあれば、駆け付けるって言っただろう」
当たり前だ、と言わんばかりの表情。先程の自分の無様さを何ら気にした様子がない。
こうして何度となく、飯田には心を奪われて来た。
言葉にできない不安さえ、丸ごと受け止めてもらえる。その得難い事実を、轟は喉の奥で静かに噛み締めた。
「指輪が出来たら、緑谷にも報告しよう」
感情が迫り上がると、反射的に親友の顔が浮かぶ。個性の灯火を失ってもなお、誰よりも強く前を見据えるあいつには、自分たちの新しい門出を誰より早く伝えたかった。
「そうだね。兄さんにも、君との顔合わせの約束を取り付けてあるよ」
「おぉ、オレも天晴さんと、ゆっくり話したかったんだ」
「家族にどう切り出すかも、併せて相談させてもらおう」
兄に対する飯田の信頼は、いつだって揺らぐことがない。轟は、これから『新しい家族』として迎える義兄との時間を思い描いた。
運ばれてくる料理を口にするたび、かつての寮生活で親しんだ砂藤の味の片鱗が、懐かしい記憶を呼び覚ます。
大勢で囲んだ騒がしい食卓。その賑やかさを懐かしく思いながらも、今、目の前の男と分かち合う静寂が、何よりも尊い。
あの頃とは違う時間を、料理の温かさと共に、轟は深く飲み下した。
「クラスのみんなにも、いつか、ちゃんと言えたらいいな」
「そうだね。状況を整えたら、順を追って報告していこう」
二人は微睡むような心地良さに包まれて店を後にすると、自然と、飯田の自宅へと足先を向けた。
飯田の住む最寄りは、駅から離れるにつれて住宅地へと変わっていく。
この時間帯になると、各家庭の食事や風呂の匂い、生活の音が、ほんのりと肌に触れてくる。楽しげな家の会話が、外に零れるほど静かだった。
周りに人がいないのを確認すると、轟はそっと飯田の手を取る。
「こら、外だぞ」
飯田はそう咎めるが、握り締めた手は振り解かれない。
「少しだけ。誕生日なんだ、許してくれ」
「
……
もう、仕方がないな」
わざと子供のように伝えてみると、恋人は快諾してくれた。そう言われるだろうと轟は予測していたが、実際聞くと嬉しくなった。
家に着くまで誰にも会わないことを願い、どちらともなく指に力が入る。二人は言葉も交わさぬまま、自分たちの足音が重なる反響だけを聞いて歩いた。
「もぉ!いつまで手を繋いでいるんだい」
扉の前でも轟は手を離してはくれず、カードキータイプの扉を片手で開ける事になった。室内に入ると、飯田は耐えきれず笑い出す。
轟は目を細めて、その様子を見つめる。
閉め切られた空間に、飯田の家の匂いが濃く満ちていた。
笑い声さえ吸い込まれるような、重厚な室内。その静けさに、外で押し殺していたものがゆっくりと形を持ちはじめる
「誕生日祝い、
……
ありがとな」
まだ靴も脱がないまま、飯田の腰を強く抱き寄せる。
急に詰められた距離に、さっきまで破顔していた飯田の表情が強ばる。
「
……
うん」
恋人の吐息が唇にかかり、飯田の視線が揺れる。だがその視線も、轟の逃げ場を許さない眼差しに射止められた。
観念したように唇を結び、目を閉じる。啄むように、間を与えず何度も唇を重ねられていく。
飯田の呼吸が整う前に、すでに轟の指はコートのボタンを弛めていた。
「んっ
……
ちゃんとお風呂に入ってから、だ
……
」
制止の言葉とは裏腹に、呼吸は乱れ、指先に力が入らない。
「シャワーでいいだろ。一緒に入ろう」
轟はブーツのチャックを外すと、乱暴に脱ぎ捨て、ジャケットを玄関へ放る。
まだ靴を脱ぎ終えていない飯田の腕を取り、そのまま浴室へと引いた。
そこに帰り道に見せていた愛らしい遠慮は、欠片も残っていない。
引かれた腕に逆らえず、飯田の胸が、恐怖とも歓喜ともつかぬ高鳴りで大きく跳ねた。
*
*
鳥の囀りが、遠くで反響している。
その音だけが、まだ意識の底に沈んでいるはずの自分を、少しずつ引き上げていく。
ぼんやりと浮上する意識の奥で、寝返りによる布団の衣擦れが、静けさをわずかに揺らしていた。
遮光の薄いカーテン越しに差し込む陽が、瞼の裏を温く撫でる。重たい瞬きを何度か繰り返し、ようやく現実へ引き戻された。
サイドテーブルにある眼鏡に手を伸ばす。布団から出ると、ひんやりとした室温に触れる。
フレームを歪ませないよう丁寧に装着すると、滲んでいた視界が少しずつ像を結び、それに伴って意識も静かに整っていく。
飯田は緩慢にベッドを抜け、いつもの習慣通り洗面所へ向かった。
「ぅ、わ
……
」
鏡に映った自分の姿に、息が詰まる。
乱れたパジャマ。その隙間から覗く白い肌には、昨夜の痕跡が無数に残されていた。
「
……
こんな所にも
……
」
指先で辿るうちに、堰を切ったように記憶が逆流してきた。
耳元に当たる熱を帯びた吐息、身体を掴む指の強さ、混濁した意識の中で何度も呼びかけた名前。
触れた箇所から火をつけられたように、じわじわと全身に熱が広がっていく。
これが数箇所なら、まだ笑って済ませられる。だが、今回は明らかにその域を超えていた。
(指輪や、誕生日も
……
考慮すべきではあるが
……
)
目を閉じ、思考を巡らせる。
情状酌量の余地を探ろうとするが、再び目を開けた先にある現実は変わらない。
昨夜、自分を求めてきた轟の切実な指先。それに応えた、自分自身の衝動。
皮膚の奥に残った感覚が、じわりと蘇り、思わず頭を振る。爽やかな朝の空気が、昨夜の痕を余計に際立たせていた。
今が冬で良かったと、心から思う。
身なりを整え、歯を磨いていると、寝室の方からよたよたとした足音が近づいて来る。少し遅れて、トイレの扉が開いた。
轟が起きて来たのだろう。飯田は口を濯ぐと、昨夜の奔放さを諫めるべきだと、自らに言い聞かせるように叱る覚悟を固めて、その姿を待った。
「
……
おはよ」
声に芯がない、寝ぼけ眼の轟が顔を出す。
「どうしたんだいっ?!」
轟の姿を見ると、飯田はギョッとして声を上げた。
寝癖が立った頭を掻きながら、轟はきょとんとした様子で首を倒す。
寝相が悪い轟は、着る毛布をガウンのように羽織っていたが、中は下着のみ。半裸同然の肌には、思わず目を奪われるほどの凄惨な痕跡が残っていた。
「これは
………
俺が、したのかい?」
おずおずと、轟の肩を指さす。そこには、大きな歯型が見えた。
同じ場所を執拗に噛み付いた、痛々しい痕。
「
……
あぁ、うん。昨日、お前噛んでたな」
轟はもたもたとした話し方のまま、自分で見ようにも、目の届く範囲では無かったので、洗面所の鏡に自分を映して確認する。
「い、痛くはないかい?少し痣になってる」
「いや、別に」
轟はそれ以上は触れずに、歯ブラシを口に含んだ。
淡々とした仕草の中に、痛みへの無関心と、どこか受け入れているような静けさがある。
沈黙の壁に言葉を挟む隙を失い、飯田の腕は宙に浮いたまま止まった。
結局、指先は行き場を失い、轟の肌蹴た肩口を整えるだけに留まる。
昨夜の獣のような激しさと、目の前の寝ぼけた恋人の温度差に、まだ追い付けなかった。
「
……
轟くん、これ」
轟が顔を洗い終えたのを見計らい、飯田は観念したように寝巻きを開いた──白い肌に残る、無数の痕。
「へぇ、結構ちゃんと残ってるな」
あまりに軽い調子の声だった。
賞賛にも似た響きに、飯田は返す言葉を失い、ただ口をパクパクと開閉させた。
「オレも、もっと欲しいな
……
指輪が来るまで、寂しい」
軽い願いのようでいて、逃げ場を塞ぐような響きがある。奥に眠る欠乏が、隠し切れていない。
「っ
……
指輪が出来ても、すぐ付けっぱなしではいられないんだぞ?」
「寝る時とか、休みの日に付けておく。普段は、痕だけで我慢するから」
そんな可愛らしくも切実な願いに、飯田はもう咎める気持ちは霧散してしまう。
昨日から彼の様子を見ていると、店員からの提案はあまりに的確で、プロの仕事に素直に感心した。
「お前も、もっと付けてくれよ」
「何を馬鹿な事を
……
!!」
反射的に返した声は、途中で力を失った。
気付くと、背中が壁に触れている。いつの間にか、洗面所の壁へと追い詰められていた。逃げ場を測る余裕すらないまま、視界が覆われる。
毛布が轟の肩から滑り落ちて、鍛え抜かれた筋肉が見える。
昨日見た光景を思い出して、カッと耳が熱くなる。露わになった体温が、空気を押し返すように迫って来た。
「
……
ずっと、消えないやつがいい」
ギラつく眼の圧と低い声。
これから捕食される動物の気持ちを理解してしまう。ぞくぞくと腹の奥が震え、肌が粟立つ。
息を飲むと、飯田は結局は折れてしまう自分を自覚するしかなかった。
拒む理由はいくらでも並べられたはずなのに、目の前の男の瞳に宿る剥き出しの飢えを前にしては、どんな正論も無意味だった。
そっと恋人の首の付け根の凹凸に顔を寄せ、唇を落とす。躊躇しながら皮膚を口内に含み、ゆっくりと圧をかける。
存外強い力が要り、飯田の肩に一瞬、緊張が走る。
「ッ
……
」
喉元から小さく漏れ出た苦痛に、飯田は反射的に口を離した。
轟は、吸われた場所を無意識に摩ると、すぐに振り返って、鏡で確認をする。
「
……
上手いな。もっと欲しい」
「もう、流石に駄目だっ!」
食い下がる気配を感じ取りながらも、今度はきっぱりと遮る。
顔を赤く染めた飯田の限界を感じて、轟は少し残念に思いつつ観念する。
「
……
わかった、サンキュ」
轟は飯田の額に軽く唇を落とすと、落ちた毛布を羽織り直した。それから満足気にキッチンへと向かい、慣れた手付きでコーヒーメーカーの準備を始める。
洗面所に残された飯田は、改めて鏡の中にいる自分に付けられた無数の痕を確認する。
こんなに付けられているとは、夢にも思っていなかった。
このひとつひとつが、轟が見せた執着の形だと理解した瞬間、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
普段の規律を重んじてきた自分が、轟の手によって塗り替えられている。
「コーヒー、出来るぞ」
こちらまで漂うコーヒーの香りとリビングから届いた声は、いつもの日常を取り戻していた。
もう離れる時間が近い。
そう認識した瞬間、この皮膚の色を飯田自身も、愛しく感じてしまう。
貪り尽くされるような轟の愛着が、痣から感じられて安心してしまう、自分の独占欲の強さを自覚する。
飯田は鏡の中の自分をひと睨みすると、静かに溜め息を吐いた。
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