ねぶくろ
2026-04-01 08:00:00
13884文字
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 凡庸であるとは、非凡な才能だ。
 目の前の男を眺めて、そんな言葉が脳裏をよぎる。日暮ひぐれは鼻先までずり落ちて来た黒縁メガネを押し上げて、「資料請求ですね」と男の言葉を復唱した。彼は頷いて、「担当者への取り次ぎをお願いします」と礼儀正しく言葉を添える。
 警視庁刑事部捜査第一課の阿倍あんばい陽太郎ようたろう。──警視庁公安部公安総務課で公安警察の後方支援をしている日暮とは、接点のない相手だ。日暮は、内線電話の受話器を取りながら、さり気なく阿倍刑事を窺った。
 第一印象は「平凡」。良く言えば朴訥ぼくとつ、悪く言えばぼんやりとした無表情は、どこにでもいる疲れたサラリーマンのそれで、外見に際立った特徴はない。スーツ姿で歩いていれば、どんな街でも風景に埋没してしまいそうな無個性さ。到底、捜査一課で強行犯を相手にしているとは思えない、安穏とした雰囲気。相対する者に警戒を抱かせない、隙だらけの佇まい。可もなく不可もない、目を逸らせば記憶から零れていきそうな特徴のない顔立ち。
 尾行にはもってこいの逸材だろう。そう品評しながら、暗記している内線番号をプッシュする。呼び出し音は二回。気だるげに『江本えもとです』と応じた声に向け、日暮は「捜査一課の阿倍刑事から、資料請求の依頼です」と端的に用件を告げた。
「現在捜査中の案件について、外事一課の追っている宗教団体の関与が疑われるそうですが、いかがいたしましょう」
 問えば、受話器の向こうで江本が『捜査一課の阿倍刑事……』と日暮の伝えた名前を繰り返した。この男は頭の回転が遅いんだよな、と内心でため息を吐きながら返答を待っていれば、彼は何かを面白がるような声音で、『うちの浅沼あさぬまをそちらにやります。阿倍刑事には少し待つように伝えてください』と、いつになく明快に判断を下した。口ぶりからして、阿倍刑事と面識があるのだろう。受話器のこちら側で一つ頷いて、「畏まりました。そのように伝えます」と通話を終える。
 日暮は、手持ち無沙汰といった風情で待っていた阿倍に向けて、「担当の者が参りますので、少々お待ち下さい」と手近な椅子を示した。一つ会釈をして、彼が素直に腰を下ろす。阿倍は感情の読めない無表情で日暮を一瞥したのち、そのまま興味を失ったように虚空へ視線を放った。日暮も、彼から目を離して作業に戻る。
 公安総務課の主だった業務は、資料の管理と捜査の後方支援だ。警視庁には総務部の他に、刑事総務課や交通総務課といった、各部の庶務を担当する総務課が置かれている。他部署の場合は事情が異なるのだろうが、公安総務課の職員が現場に出ることはほとんどなく、日暮の職務も庶務がほとんどを占めている。──公安部は捜査員の裁量権が大きく、案件ごとに担当者が作成した「企画書」をもとにした捜査が行われる。他の部署に比べて経費計算などの負担が大きいこともあり、総務課職員が現場に出る余裕がないのだ。日暮は刑事たちが提出した企画書とレシート類を見比べながら、作業にいそしんだ。
 まばらな雨粒が窓を叩くような、落ち着いたタイピングの音だけが部屋を満たす。思考は数字の整合性だけを追いかけ始め、すぐそばに来訪者がいる事実はすぐに頭の外側へと押しやられた。阿倍の気配が遠くに霞む。ごく自然に作業へ没頭しかけた意識を何とか留めて、日暮は手を止めた。警戒が緩んでいる事実を認識して、驚きに息をのむ。顔を上げて見れば、阿倍は先ほどと寸分変わらぬ姿勢でぼんやりと虚空を眺めていた。──恐ろしいほどに自然な佇まいで、その場に溶け込んでいる。それを認めて、日暮は「厄介な男だな」と眉根を寄せた。
 奇抜な言動をとり、相手の意識に自身の存在を刻みつけるのは簡単だ。暴力を用いれば、恐怖や警戒を呼び起こして相手の優位に立つことも容易だろう。しかし、その逆はどうだろうか。相手を油断させ、その意識に存在を残すことなく、日常として埋没することは。
 阿倍刑事は刑事でありながら、恐ろしさはおろか、威圧感さえも感じさせない。ごく自然にその場に馴染んで、何の違和も抱かせずに溶け込んでしまう。
 凡庸。そうとしか形容の出来ない特異性。──彼の持つ『安穏』に、公安警察の端くれでありながら抗うことができない。警戒を払うことも、意識を尖らせることも困難で、日暮は諦めるように目を瞬いた。
 捜査一課の阿倍陽太郎。明日には忘れていそうなその横顔を盗み見て、小さく息を吐く。
 「警戒が出来ない」とは、厄介な特長だ。
 敵でなくてよかった。負け惜しみのように、苦々しい敗北感を飲み下す。作業に戻ろうとPCに向きなおったところで、ようやく江本の寄越した担当者が部屋へとやってきた。



【あとがきのようなもの】
 この度は企画へご参加くださりありがとうございました。
 捜査一課の阿倍さんが公安部の方と接点を持つとしたら浅沼さんつながりだと思うのですが、それは何というか安直なので、今回は変化球で。組織図を見ていて印象に残った『公安総務課』を登場させてみました。
 阿倍さんの『APP11』は平凡であまり印象に残らない外見だと思う+公安は尾行などをするので平凡な容姿の人が多いらしいという情報+出だしで殴りたい、というパッションで書きました。
 凡庸という特異性を持つがゆえに脅威となり得る阿倍陽太郎(オタクの夢詰め合わせセット)です。書いていてとても楽しかったです。
 改めて、リクエストをくださりありがとうございました。楽しんでいただければ幸いです。