「うわ、死にそうな顔してる」
耳慣れた声に、顔を上げる。部屋の入り口からこちらを窺う空色の双眸と視線がかち合い、
白波は緩慢に目を瞬いた。集中力が切れた途端に疲れを自覚して、目頭を押さえる。白波は深いため息を吐くと、「どうかしたか」と自分でも自覚ができるほどに疲弊した声を発した。
部屋を覗き込んで声をかけて来た、部下であり同居人である相手──
夜半は、白波とは対照的に覇気のある声で、「休憩しなよって言いに来た」と応じた。遠慮がちに入り口からこちらを窺っていた彼女が、白波の私室に足を踏み入れる。ずんずん近づいて来た彼女は、遠慮なく白波の顔を覗き込んだ。
「白波くん、『ちょっと仕事する』って言ってからもう三時間だよ? 部屋に籠ってから一度も出てきてないでしょ。ちょっとは休んだ方が良いよ」
案じる言葉に、「そうだな」と軽いため息を零す。夜半は「もう三時間」と表現したが、白波の感覚では「たったの三時間」だ。それほどまでに、年度末の時期は仕事が立て込む。
隊長である白波は、隊員たちの人事評価や、配置替えに伴う雑務などを処理する立場だ。
来る新年度まではもう時間がなく、それゆえ休日である今日も、持ち帰った仕事に忙殺されている。
コイツに気遣われるって相当だな、とこちらへ向けられた心配そうな眼差しを見返して、白波は立ち上がった。軋む体を軽く伸ばして、パキパキと不穏な音を立てる肩を回す。目元に圧し掛かる疲労感と、遠くから迫る頭痛の気配。──彼女の言う通り、そろそろ休憩した方が良い頃合いだろう。
白波が「三時間経ったって、いま何時だ」と問いかければ、夜半は「おやつの時間だよ。辞める子からもらったお茶があるから、一緒にどう?」と花が咲くように笑った。心配も、安堵も、明け透けなほどに顔に出る。わかりやすく明快な表情の変化にかすかな笑いを零して、白波は「あぁ。そうする」と頷いた。
部屋を出て、夜半に紅茶を淹れる準備を任せる。白波が茶器と適当なお茶請けを用意していれば、夜半がお湯を注いだポットから、花畑のような甘く優しい香りが漂った。イチゴや桜、あるいは桃やリンゴだろうか。華やかな香りに目を瞬いていれば、夜半は「あ、これフレーバーティーだったんだ」とティーバッグの入っていた箱を手に取った。
「洒落てるな」
何の気なしに相槌を打ち、席に着く。白波が二つのカップを満たしていれば、説明書きに目を向けたままの彼女が、「これくれたの、同期の可愛い女の子でね、」と口火を切った。
「所属は第三部隊なんだけど、社交的で同期のみんなと仲がいいんだ。訓練期間によくしてもらったし、異動じゃなくて退職だからって同期だけの送別会をしたの」
アスターカルタは、各部隊が独立して任務に当たる。そのため、たとえ訓練期間中の同期であっても、配属後は交流が絶えるものだ。白波にも同期入隊の隊員は存在するが、彼らの異動や退職についてはほとんど把握していない。今は、誰がどの部隊でどのような職務についているのやら。
「仲が良いんだな」
まぁコイツなら配属後にも連絡を取り合うか、と意外には感じないまま、薄い相槌を打ってカップを手に取る。夜半は「うん」と短く頷いて、目を伏せた。
「怪我して、片目が見えなくなっちゃったんだ、その子。
……それで、辞めることにしたって」
華やかな香りには似つかわしくない、重たい沈黙。白波は手にしたカップを中途半端に持ち上げたまま、返答に迷って彼女を見た。
この春で、入隊から丸三年。──実力が付き、後輩も入って、一人前の戦力として危険な任務も任され始める時期だ。だからだろう。入隊から数年目のタイミングで大きな怪我を負う隊員は、少なくない。足を失ったり、視力を奪われたり、退職を余儀なくされるほど重篤な負傷をする者もいる。退職を決めた夜半の同期も、その内の一人だったのだろう。
かぐわしく香る水面を見つめて、「そいつは期待されていたんだな」と呟く。
「
……そうかもね」
夜半が頷いて、顔を上げる。白波が見ても、彼女の顔に暗さはなかった。彼女の持つ、夏空にも似て眩しい双眸はあまりに明るく、その心中にある感情を隠してしまう。
白波は、慣れない華やかな香りに戸惑いながら紅茶を嚥下し、息を吐いた。突き抜けるようなあおい双眸を見つめて、「不安になったか?」と問いかける。彼女が不意を衝かれたように目を瞬いて、「怪我するかも、って?」と問い返す。彼女は、白波の答えを待たずに「心配してないよ」と言葉を重ねた。
「だって、私に指示をするのは白波くんだもん。怪我するような、無茶な采配なんてしないでしょ」
確固たる断言に、一拍、返答に迷う。白波は沈黙を取り繕うように、皿に盛り付けたクッキーへ手を伸ばした。
「なら、指示は確実に聞け。勝手に動かれたらフォローしきれない」
「信用ないな~、私ももう四年目だよ?」
もっと難しい任務もこなせるよ、と彼女が膨れて二杯目の紅茶をカップに注ぐ。白波は「どうだかな」とその主張を一蹴し、ほのかに甘いクッキーを齧った。
【あとがきのようなもの】
この度は企画へご参加くださりありがとうございました。
『シビアな話題でもシリアスになり過ぎずに話せる、職業人としての強さがある大人な二人が見たい!』という己のパッションで書きました。日常を切り取ったような雰囲気もの、というリクエストからは少し逸れているかもしれないのですが、楽しんでいただけたら幸いです。
余談ですが、作中に出てくる「華やかな香りのフレーバーティー」は、ルピシアさんの『サクラ&ベリー』をモデルにしています。パッケージが可愛いです。
参考:
https://www.lupicia.com/shop/g/g22260305/
重ねてになりますが、この度はリクエストをくださりありがとうございました!
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