レゾン・デートル|CASE.04 青き血の賓

全種族に輸血可能な血液と、世界を変えた天才の一撃。神秘を明かす者の功罪とは?

雁桐右京。その名は心臓外科医──嘴馬遼士郎にとって浅からぬ縁を持つ物理学者の名である。
そんな右京が突然嘴馬の元を訪れた。右京が日本へ戻ってきた理由には五年前に発生した連続殺人事件が関係しているという。しかし問題を調べようとした矢先、ある人物が不可解な死を遂げる。『この紐とルーシュチャ方程式を用いて求められる最大の素数を求めよ。ヒント…5年前に発生した八人連続殺人事件』。真実を知るため嘴馬らは捜査を開始するが……?

さらに同時に発生した脳外科手術の術中死。誰にでも輸血可能な血液製剤──〈メディウム〉がその死因に挙げられ、四宮椿は独自の調査を開始する。
背後で蠢く希少血を巡る陰謀。市民団体〈きぼうの庭〉と繋がる歪んだ神秘への祈り。
椿は父・沖田蒼司と共に因果の渦へ──。

物語は十二年前の惨劇、その真実へ指をかける。(CASE FILE.02 収録予定)


CASE.03 - 超弦の遺恨 https://privatter.me/page/69847b7c23ec6

※同人誌版の原稿をそのまま移植しているため、改行が少なく横書きでは読みづらいと思います。縦読みリーダー表示をお勧めします。

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 7
 ——数日後 小料理屋『花やぎ』


「本当にごめん」
「いや、いやもういいって。大丈夫だから。蒼司」
 俺――嘴馬遼士郎に平謝りしているのは幼馴染であり、同じく東医で働く総合診療医——沖田蒼司である。先日の一件もあり蒼司はずっとそれを気にしているようでシワシワの顔になりながら俺に平謝りしていた。
 同席している浮城佐奈芽は腹を抱えて笑いながらその様子を見ている。元から彼女はかなりの笑い上戸だったが、流石に今日は酒に飲まれている感が否めない。それを察した桔梗が徳利と猪口を中身が水のものにすり替えた。
「あーおもしろ、沖田くんでも遼ちゃんに頭があがんない事あるんだあ」
「普段からあんまり上がってないよ……
 蒼司は医大生時代のことを思い出しているのか、そんなことを口にした。
「えー? そーなの? 私の中だと沖田くんのほうが上だと思ってたよ」
「俺と蒼司の間に上下関係があるように見えてんのか?」
 そもそも同期で幼馴染という間柄だ。そんなくだらないものを気にしたことはない。
 俺はふにゃふにゃに酔っ払っている佐奈芽を気にしつつ、出してもらっただし巻き玉子を一切れ口へ運んだ。
「けれどスッキリしないわね。結局後からやってきたミスカトニック大学の面々が全てを秘匿し、真実は闇の中……でしょう?」
「案外そうでもないと思うぞ」
 俺は箸を置いて話を続けた。
「少なくとも親父はめちゃくちゃ深く絡んでるはずだ。椿が追ってた『きぼうの庭』のこともそうだしな……喋れるようになったら根掘り葉掘り問い詰めて、螺旋捜査部咲良に全部チクってやる」
「貴方、かなり根に持つタイプよね」
 カウンターに置かれたのは頼んだ覚えのない刺身の盛り合わせだった。
「奢ってあげるわ。いい鯛が手に入ったの。みんなで食べて頂戴」
「やったー! 桔梗さん太っ腹!」
 桔梗は白魚のような手で口元を多い表情を綻ばせる。その優美な佇まいにはまさしく淑女と呼ぶべき色があるが、何となく彼女の笑みには常に裏の意味があるような気がしてならない。
 杞憂だと思う。指先にできたささくれが地味に痛む程度の違和感だ。
 時々……、彼女の全てが計算し尽くされた果てに導かれ、『沖田桔梗』という人物の最適解を演じているように思えてたまらない日がある。

「嘴馬くん」
 桔梗が俺を呼んだ。
「そんなに見詰められたら穴が空いてしまうわ」
……悪い」
「佐奈芽さんは眠ってしまったし、丁度いいかしら。貴方、私に聞きたいことがあるのでしょう?」
「失礼だとはわかってる。でも時々俺は……あんたが『沖田桔梗』という人物の最適な動作をしているように見えて」
 酒精に当てられたか、隠し通すつもりだったそれが溢れた。
 自分でもそれの正体が、醜い嫉妬に似ている何かだと飲み込んだつもりだったが、彼女の微笑みの裏には常に何かが隠されているというのは——、長年の付き合いで嫌というほど理解している。
「間違ってはいないわ」
 桔梗は意外にも肯定を示した。
「私は万物の使い所を心得ている自覚がある。それが言葉でも、表情でも、或いは私が持つ知識でも。全ての武器には使い所があるもの」
「それが『今』だと?」
「ええ」
 彼女は盤面を俯瞰する力を持っている。その能力は常人のそれを遥かに上回り、精緻な蜘蛛の巣が互いに糸を巡り合わせるように、複雑な計略で全てを見通している。
 沖田桔梗の才能は事件を解く事ではなく、己の望む状況を生み出す事。即ち事件を組み立てることにある。
 そういった意味で言えば、彼女は一度もその力を使う方向性を間違えてはいない。だがそれが倫理や法律のもとで赦され、彼女の存在を社会的敵対者であると認識するかどうかは、彼女の振る舞い如何によって簡単に揺らぐ。
 俺は薄ら寒いものを覚えながら深紅の瞳を覗き込む。
 彼女は一度奥へ戻り、ブランケットを持って戻ってきた。それはそっとぐうすか呑気に眠っている佐奈芽の肩にかけられ、流れるような動作で桔梗は俺の左横の椅子を引いて座る。
「貴方、私にこう聞きたいのではなくて? 『この状況は貴方を利するものなのか』って」
……腑に落ちねえ部分もあるにはあるが、今の状況は確かに螺旋捜査部や陰陽庁にとって、すげえ都合がいいだろ。だってミスカトニック大学が介入してきてるんだから、五年前の事件で明らかになっていない事をまとめて明かし……そしてそれに関わった連中を全員しょっぴくには。それにきぼうの庭のこともそうだ」
「そうね。事件の起点より全てに深く関わった貴方のお父様。そしてそれに巻き込まれ、馬子の背骨に触れた佐奈芽さん。さらに言えば、芹沢馨事件に付随して発生した『事象』を解いた雁桐くん。そして偶然希少血ビジネスについて知り、口を封じられた患者……この事件の全てを理解するには、絡まった細い糸を丁寧に解きほぐす必要があるわ」
 桔梗は口元にシニカルな微笑みを浮かべている。そして彼女は手品師のように良く動く指先を振り、一つの駒を俺へ見せた。それはチェスの駒だった。黒、クイーン。それをカウンターテーブルへ音もなく置き、桔梗はそれの背をゆっくり撫でる。
「私はチェックメイトの為に、全てを整えてから必要な駒を動かす主義なの。何もかもを後手に回すような事はしないわ。全ての準備を十全に整え、全ての展開を把握し、起こり得る全ての事象に対応できるよう策を練る」
「何が言いたい?」
「つまり、雁桐くんも椿も、私の掌の上ということよ」

 それは彼女がこの事件を誘導して、或いは組み立てているという自白だった。何故と思うより先に、彼女ならば、と納得している自分がいる事に気づく。
「右京に『ルーシュチャ方程式を解け』なんて挑発をしたのはあんたなのか?」
「いいえ。誤解があるようだから先に言うわ。私はこの事件に関わる全てを、全貌を把握し……盤面を俯瞰してはいたけれど、特段何もしていないのよ」
「何もしていない、っていうのはどういうことだ」
「言葉通りの意味よ」
「まさか、自発的に行動を起こさせて、それを誘導してるのか?」
 俺はその可能性を口にした。仮にそうだとしたらとんでもない話だ。
 桔梗は深紅の瞳で一度遠くを見るように顔を動かし、静かに、
「買いかぶり過ぎよ」
 柔い口調で謙遜した。
「でも、貴方の推測は正しい。その結果、彼に手を汚させずに済んだわ。本来なら梅原理久も、濱田礼人も……あの老人も。彼が殺害するはずだったのよ。それが葛城マリアンヌ・アイリッシュから彼へ与えられた指令だったから」
「その、度々出てくる葛城……マリアンヌってのは何者だ?」
「ミスカトニック大学『博物館ライブラリー』のボス。私にとっては浅からぬ縁がある人でもある。そして私は彼女から、雁桐くんを弁護してほしいと依頼を受けた。つまり殺人犯になった彼を無罪にしてくれという意味よ。……面倒だと思わない? だったら最初から殺人を起こさせなければいいでしょう」
「だから梅原理久に目をつけたのか」
「言っているでしょう。あれはあくまで彼の意志によって引き起こされた犯罪よ」
…………そういうことに……しておく」
 言いたいことや聞きたいことは山のようにあったがそれらは飲み込み、
「一個だけ聞いてもいいか?」
「一個と言わず、幾つでもどうぞ」
 急須で湯呑に玉露を注ぎながら桔梗は応じた。
「聞きたいことは早く聞くべきね……特に貴方みたいに、己の言葉を弁える事を知りすぎているなら猶更だわ」
……蒼司は、あんたがこんな犯罪コンサルみたいな事をやってること……知ってんのか」
 桔梗は軽く目を細め、急須を完璧な微笑の唇へ触れさせ……玉露を一口飲んだ。
 そして僅かに吐き出された吐息のあと、

「ええ。知っているわ」

 と、肯定した。
 何となくそんな気はしていた。この二人は一蓮托生なのだ。運命の糸で固く結ばれている。
 その糸が、沖田桔梗という絡新婦の計略によって結ばれたものであろうと、二人は固く結び合い、解けなどしない。
「私は別に毒を以て毒を制したいわけではないの」
 桔梗は静かに言った。そんなことは分かっている。彼女はただ愛しているだけだ。万人を凌駕する圧倒的な才覚と叡智を持ちながら、敢えてそれを生かさない道へ進める人だ。
 よく知っている。

蒼司さん最愛の人の心を守りたい。椿の人生を椿だけのものにしたい。
 敦司息子の選びとる道が幸福に満ちたものにしたい。……それ以外に望むものは無いわ。だからこれは私の個人的な、行き過ぎた庇護よ。でもそれぐらいしないと私たちの望みは叶わないと、私たちは嫌になるほど知らされたわ」
……だから必要だと判断した時、その蜘蛛糸を垂らして、事件を解体するのか」
「ええ。雁桐くんを犯罪者にせず済んだし、佐奈芽さんも無事。そして嘴馬くん。貴方の望みも、もうすぐ叶うわ」
「俺の、望み……?」
「ニュースをご覧になって?」
 そう言って桔梗はスマホを差し出した。俺は震える指先でアプリを開く。トップには全国ニュースが、その一つ下に衝撃的なニュースがあった。


『速報 栄生会総合病院 大規模な医療過誤隠蔽の疑いで厚生労働省、福岡県警、螺旋捜査部の合同で強制捜査開始』


……、何を」
「これで貴方は自由よ。嘴馬くん」
 桔梗は穏やかであった。完璧な淑女の微笑みを顔に貼り付け、椅子から立ち上がって、衝撃で固まっている俺を見下ろしている。

「捜査の手は一時的に貴方へ伸びるでしょうけれど、それもすぐに終わるわ。どのみち栄生会総合病院はもう御終い」
「一体何をした!? あんた……本当に、一体何者なんだ!?」
「あら。おかしなことをお聞きになるのね」

 一呼吸おいて桔梗は口元を淡い紫の小袖で覆った。

「私は沖田桔梗。
 貴方がよく知る、沖田蒼司の妻で……この『花やぎ』の女将で、貴方の友人よ」

 彼女は桔梗。凛とした花の名を持つ。だが実際はどうだ?
 彼女は鳥兜だ。その全てに毒を持ち、薬にも、毒にも変じる。その時々にあわせて。己が持つものの使いどころを完璧に心得ている。
 どう逆立ちしたって——、敵うわけがない。

……酒くれ」
「ふふ。ごめんなさいね? でも知っていたでしょう。貴方が必死に目を背けていただけで」
「そうだな。あんたは何も変わってない。ただ俺の目が節穴だっただけだよ」
「そう自暴自棄にならないで。万事うまくいくわ。安心為さって?」
「あんたがそういうなら、そうなんだろうな……、桔梗さん」
「でも――
 桔梗はそう言って少し何かを案じるように両手の指先を突き合わせ、
「本当に重大な局面お話しは、ここからよ」
 それだけ言って、相変わらず余裕に満ちた笑みを湛える。
 ……何だ? ウソだろ。俺は強烈な眠気に抗えず、そのまま机と頬を接着させた。


 目が覚めた佐奈芽はタクシーで帰宅し、代わりに嘴馬が酔い潰れて数時間後。
 グッド・イブニング、深夜に差し掛かろうという時刻に『花やぎ』の引き戸を開けたのは、すらりとした高身長の女性だった。
 彼女は、紺色に黄色のアクセントカラーが入っているウインドブレーカー、そしてニーハイブーツ——、否、蹄を覆う、ニーハイブーツに似た装飾だ——を身に着けている。初夏だというのに。
 目元には赤いフレームの眼鏡、顔にはそばかすが散っている。外見は二十歳かそこらという雰囲気だ。
「ここに雁桐右京って来てないの?」
「残念ながら今夜は来ていないわ。その友人なら、ここで酔い潰れているのだけれど」
 桔梗は嘴馬を指さした。静かな寝息を立てている彼に少女は視線を向ける。
「ふうん。じゃあ……『スペクター』ってここにいるの? マリアンヌが言ってたんだよね」
「残念ながら存じ上げないわ。お嬢さん……せっかくお越しになったんだもの。何か飲む? お酒は出せないけれど」
「じゃあ甘いやつがいいかな。あたし、甘党なんだよね」
「甘酒があるわ」
「アルコールは出せないんじゃなかったの?」
「これはノンアルコールよ」
 桔梗は温めた甘酒を少女に手渡す。
「お口に合えばいいのだけれど」
「ありがと。……ん、ほのかな甘みってやつ? 美味しいね」
「良かったわ」
 桔梗は作り上げた完璧な微笑を浮かべた。
「でもこんな時間に夜道を出歩くなんて、幾ら治安が良い日本でも危ないわ。お嬢さん……お名前は?」
「ジョーカー。ヴィンセント・ジョーカー」

 桔梗は僅かに、瞳の奥で納得を覗かせる。
……そう。素敵なお名前ね」
「ありがとう。『ジョーカー』っていう姓は気に入ってんだ。カッコいいでしょ?」
「ええ。それで、ジョーカーさん。来ていただいたのに申し訳ないのだけれど……実はもうすぐ閉店なのよ。雁桐くんの連絡先なら知っているのだけれど、必要かしら」
「あー……いや、それは別にいいかな」
 ジョーカーは窓の外へ視線を向けた。今夜は満月である——深い闇の中で、燦然と輝く月の光が届いていた。
 桔梗はジョーカーの視線を追いかける。そこに何かがいるのか、店内の明かりによって窓ガラスに己の姿が反射しており、外の様子を伺うのが難しい。
「どうかなさって?」
「外にいるみたい」
「まあ、見えるの?」
「夜目が効くんだ、あたし」
 その声の後、乱暴に引き戸が開けられた。桔梗は表情を変えないまま来訪者の顔を眺めている。
「雁桐くん。貴方、アメリカに戻るの?」
「ああ」
 右京は無感動に肯定した。「僕ができることはもうない」
「そう……貴方がそれでいいなら、私は何も言わないわ。でも……
「何だ?」
「ただジョーカーさんを回収しに来た、というわけではないのでしょう」
……本当に、嫌な女だ」
 右京は恨めし気に桔梗を見ていた。ジョーカーは二人のやり取りを眺めながら「何? 痴話げんか?」と呑気な声を上げている。
「いいんだ。……君は正しかった」
「何のことか、よく分からないわ」
「感謝する。彼に伝えてくれ。私物は全て処分してほしいと」
「良くてよ。その代わり、年に一度くらいは日本へ帰っていらっしゃい。奢ってあげるわ」
……それはまた……、君に毒を盛られないことを祈っているよ」

 革靴と蹄の音が外へ向かう。決して戻らぬ外側へ。

「待ってくださる?」

 嫋やかな声にぴたりと右京が足を止め、僅かに桔梗へ振り返った。
「何か言い残したことでもあったか?」
「聞きたいことがあるの。ねえ、貴方――
……やめておけ」
 右京は振り返ってカウンターに近づく。今までにないほど真剣な声色と表情に、桔梗は僅かに口角を持ち上げた。
「死ぬぞ」
「あら。優しいのね」
 桔梗はそう言って、口元を右手の指先で覆う。
「如何に君でも相手が悪い。わかるだろう。忌まわしき名探偵四宮椿さえその手で踊らせられる君ならば」
「ええ、そうね。あの子が帰る場所までなくしてしまうのは、親としてあんまりだもの。――それに」
 桔梗は一度目を伏せた。視線は入口の戸へ向けられている。
「あの子のために、きちんと答え合わせをしなくては……拗ねられてしまうでしょう?」




 ————Next Case


諸注意
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