レゾン・デートル|CASE.04 青き血の賓

全種族に輸血可能な血液と、世界を変えた天才の一撃。神秘を明かす者の功罪とは?

雁桐右京。その名は心臓外科医──嘴馬遼士郎にとって浅からぬ縁を持つ物理学者の名である。
そんな右京が突然嘴馬の元を訪れた。右京が日本へ戻ってきた理由には五年前に発生した連続殺人事件が関係しているという。しかし問題を調べようとした矢先、ある人物が不可解な死を遂げる。『この紐とルーシュチャ方程式を用いて求められる最大の素数を求めよ。ヒント…5年前に発生した八人連続殺人事件』。真実を知るため嘴馬らは捜査を開始するが……?

さらに同時に発生した脳外科手術の術中死。誰にでも輸血可能な血液製剤──〈メディウム〉がその死因に挙げられ、四宮椿は独自の調査を開始する。
背後で蠢く希少血を巡る陰謀。市民団体〈きぼうの庭〉と繋がる歪んだ神秘への祈り。
椿は父・沖田蒼司と共に因果の渦へ──。

物語は十二年前の惨劇、その真実へ指をかける。(CASE FILE.02 収録予定)


CASE.03 - 超弦の遺恨 https://privatter.me/page/69847b7c23ec6

※同人誌版の原稿をそのまま移植しているため、改行が少なく横書きでは読みづらいと思います。縦読みリーダー表示をお勧めします。

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 ——深夜
 東都医科大学附属病院(ER)


 耳鳴りが聞こえるほどの静謐を打ち破ったのは、一本の電話だった。東医、その救急部。医学特区という、医療の神の祝福を受けるこの場にあっても、死の手は平等に命に指をかける。
 救急部長——清水直哉しみずなおやは素早く電話を取って、受話器に耳を当てがった。
「はい、東医救急部です」
 四十代男性、受け入れ可能ですか、との救急隊の声に応じる。背後で看護師たちが慌ただしく動き始め、すぐに受け入れ体制が整えられる。
「自宅で突然左半身の脱力を認め、自力で通報しました。既往歴はありません」
 清水は一瞬脳外科という単語を脳裏で浮かべ、すぐに掻き消す。だがしがらみについてどうこう考えている場合でもない。
 救急隊の声に清水は背後へ「t-PA準備して」簡潔に指示を飛ばす。血栓溶解療法と呼ばれるもので、脳梗塞に劇的な効果をもたらす治療法だった。
「あと三分ほどで到着します」
「了解です」
 徐々に近づいてくるサイレンの音に、清水は両頬を軽く叩いた。
 もう三時を回っている——三十代も後半だ、肉体的な衰えや、疲れも感じないわけではない。だがそんなことを言っている場合ではないのだ。救急隊がストレッチャーに寝かせた患者をERへ連れてくる。
「大丈夫ですか? ここがどこかわかりますか」
 ストレッチャーに寝かされた痩躯の男は、不安そうに清水を見上げた。確かに顔半分は無表情に彩られ、指先も動かない。
「東都医大、病院れす」
 清水のお名前言えますか、という柔らかな声に、男は続けて「若槻泰わかつきゆたかです」とはっきり名乗った。
「おれ、大学の事務員で。ここの」
「あら。そうでしたか」清水はにこやかに言った。「大丈夫ですからね。今から検査します。MRI撮って——、」
 一応脳外科の先生にも連絡を、と言いかけて、清水の視線が総合診療科・救急部共用のホワイトボードに視線が留まる。
 そこにあったのは、ひとりの医師の名前だった。
 沖田蒼司。
 清水は内心考える。正直、脳外科の連中に頼るのは——癪だ。反りが合わない。だが沖田は優秀な総合診療医だし、この症例にも容易く対応する地力がある。そして、何よりも。清水は気取られぬように頷く。
「総合診療科の先生にも診てもらいましょう」


「それで、僕に?」
 翌朝、黒いドクタースクラブを身に着けたその医師は、清水へむけて穏やかな視線を向けた。
 日本人には珍しい赤い髪の毛。少し青みがかった黒い瞳。印象的な目元には黒子があり、清水は内心「本当にクローンみてえな親子だな」と失礼な感想を抱く。だが、彼が纏っている柔らかな雰囲気と、驕りの一切ない言葉の数々は、どこをどう切り取っても四宮椿の父親だとは思えないのだった。
「t-PAを実施して、血栓自体は溶かせたんですが……
「既往歴は?」
「特にありません。健康診断の結果もいいもんで、健康に気を使ってたんだろうなってのがよくわかりますよ」清水は沖田にタブレットを手渡す。うん、と呟いて、
「右中大動脈のここでしょ?」
「ええ、ですがその後、TIA一過性脳虚血発作を繰り返していて、かなり悪化しています」
MMT徒手筋力テストは?」
 沖田は顎に手をやって問うた。とん、とん、と軽く頬の下の方を人差し指で叩いている。思案を巡らせるときの癖だった。
「t-PA投与後は4まで改善してましたが、今は1です。それで追加のMRIを撮ったところ、……基底核から皮質下に梗塞が拡大してるんですよ」
 清水はタブレットの画面を切り替える。MRIの他に、脳の血流を測るスペクトルの画像が示され、沖田は僅かに顔を顰めた。搬送時よりも顕著に血流の低下が認められる箇所がある。
「このまま内科的な治療を続けても症状は改善できない。脳外科に連絡して、緊急オペを」
「それなんですけど」
 清水は苦々しい顔になって、ずい、と沖田の方へ顔を寄せる。
「沖田さん、どうにか……どうにかオペできませんか」
「無茶苦茶なこと言わない」
「あでっ」ぽこん、とごくごく弱い力で頭を小突かれる。「だって脳外科の連中、あいつら」
「気持ちはわかるけれど、それは患者には何の関係もない事だからね」
 正論をぶつけられ、清水は思わず閉口した。あなたが脳外科を去る羽目になったのはあいつらのせいじゃないですか、と言いたくなったが、必死に口を噤む。
「脳外に行くのが嫌なら、僕が代わりに行くけど?」
「いえ。俺も行きます」清水はタブレット端末を受け取る。「そもそもオペすべき、ってのも、俺の判断ですし」
 清水が言い終わる前に、総合診療科医局の扉が乱暴に開け放たれた。少ない医局員の視線が扉の方へ集中し、
「おや。綾島あやしま先生」総合診療科部長の間延びした声が響く。「こんなところに来るなんて、珍しいねえ」
「四宮先生は?」
 甘いテノールが響く。声の割に、やたらと高圧的で異を唱える者を絶対に許さない、という空気を纏っていた。事実、そうだった。東医の中で最も権力をその手に集める男は、己に逆らう者を決して許さなかった。
「沖田先生」
 綾島は後ろで両手を組み、沖田へ問いかけた。
「あの子は普段から全く医局に来ません。いつも八階の研究室にいますよ」
「全体カンファレンスに出席するよう伝えろと言ったはずだが」綾島は神経質に眼鏡の奥の目を細める。「娘を甘やかしすぎなのでは? 公私混同もはなはだしい」
「伝えましたよ」
 沖田は困ったように眉を八の字にする。
「『ああ、承知した』とは言っていましたが、『行く』とは言われていません。あの子は『行く』と言わない限り来ません」
「あ、あの。綾島先生」
 清水は険悪な二人に割って入る。しくしくと胃が痛む感覚があったが、キレているときの沖田よりはましだと己を叱咤して、
「昨日救急搬送を受け入れた患者が、t-PA後に梗塞が増大しています。脳外科の方で緊急オペをお願いしたいんですが」
 綾島は差し出されたタブレットを手に取って「ふむ」一言だけ零し、
「早川にやらせる。あとで申し送りをしなさい」
 はっきりと、冷たい声でそれだけ言った。
「待ってください。早川先生はまだ四年目でしょう。執刀医には経験不足かと思いますが」
 沖田の声に綾島ははっきりと鼻で笑った。あからさまに沖田を見下し、小ばかにしているのがわかる声色に、清水は奥歯を噛み締める。
「それで?」
 沖田は何も言わなかった。特に何とも思っていないのか、あるいはいつものことだからと受け流しているのか、清水にはわからないままだったが。
「若手の執刀機会を奪えば、いつまでも後進が育たない。助手に経験ある者をつければよい話だろう。それとも何か? お前が執刀するのか? ――その腕で」
 綾島が乱暴に沖田の左腕を掴む。
 彼の腕には、誰の目にも見て明らかな手術痕が残されていた。
 左手の小指と薬指は少しばかり曲がった状態で引きつっていて、痩せた指に嵌め込まれた銀の輪が、衝撃で半分回る。
 甘さのある香水の匂いが、沖田の鼻腔を擽った。不快な、ざらりとした感覚が肌の奥に残る。綾島は耳に口を寄せ、
「余計なことはするな。お前は外来で愚痴でも聞いていろ。それがお前の存在価値だ」
 思い上がるなよ。実にわかりやすい怨嗟を残して、綾島は去っていく。
 外では、ヒヨドリが交互に鳴いていた。

諸注意
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一部猟奇的な表現や犯罪に関する表現がありますが、これを助長する意図は持ちません。

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