雨野縁
2026-01-08 20:04:23
14963文字
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なんでもない日

2026年1月出版の書籍『もしも明日で世界が終わるとしたら』の再録。頃合いを見て更新したいと思います。

書籍版のみに掲載の話にちなんだタイトルだったので、web版ではタイトルを変更させていただいております。


皐月 揺れる髪にピアス


 環はゾラの髪に櫛を通した。光を浴びると飴細工のようにも見えるくすんだ金髪、サイドの髪だけ胸下まで伸ばされ毛先がピンク色に染まっている。長く伸ばされたサイドの髪を三つ編みにして、羊のような巻角の下を通して、後ろで束ねてリボンバレッタで留める。環がゾラに施すとっておきのお出かけヘアの完成だ。暑くなり始める初夏や残暑が残る晩夏によくしてあげる髪型である。
「ありがとう、アダシノ。」
 リボンが後ろで揺れるのが愛らしく、また髪がスッキリして涼しげだ。もっと暑くなる真夏にも同じ髪型にするが、髪を留めるのに使用するのはリボンバレッタではなくオーバル型のメタルプレートのものなどが多い。普段はリボンでサイドの髪を結んでおり、料理をするときなどは後ろ髪と纏めてハーフアップなどにもしているが、こうした少し凝った髪型をするのはゾラには少し難しいらしい。三人で出掛けたり少しおしゃれしたい気分の日には環にお願いして髪を整えてもらっているのだ。
「ええなぁ、お揃いのピアス。」
 髪を結って露わになったゾラの左耳を見て寿々華がそう言った。ゾラの右耳にはお守りの赤色の石のピアス、左耳にはシルバーの小花のピアスと紫色の石のピアス……よく見ると環の右耳のピアスとゾラの左耳のピアスは同じものなのだ。
「前から思っていたんやけど……なんで二人はお揃いのピアスをしてるん?」
 寿々華もまたゾラと同じように環に髪を結ってもらい、耳が露わになっていた。内側だけラベンダー色に染めた黒髪は髪を結うだけでぐっと印象が華やかになる。また緩くパーマをかけたショートヘアで、見た目よりも髪が長くヘアアレンジの幅が広いため環は喜んで寿々華の髪を結ってくれるのだ。そのため寿々華はピアスを開けてはいないが、髪を結ったときはイヤリングをすることが多い。今日は涼しげなガラス玉がついたイヤリングをしている。環とゾラの間には特別な絆のようなものがある、お揃いのピアスをする程度には……正直に言えば、寿々華は一人だけ同じピアスをしていないことに寂しさを感じていた。しかし勝手に似たようなデザインのピアスをする勇気もなく、いつも羨ましげに見ていたのだが……その積み重ねが大きくなり、ついうっかりポロッと言葉が溢れてしまった。
「うーん……ゾラがしているそのピアスは別にお揃いではないんだ。」
 環が自分の右耳に触れる。そのピアスは確かにありきたりなものだ。しかしそれは環の亡き恋人の遺品であり、環にとってはどうしても手放せないお守りのようなものである。それの片方をゾラにつけてもらっているのは理由があった。
「これは俺の大切なものでね、でも俺は一個しかつけられないからゾラに預かってもらってるんだよ。」
「えっ、なんで……?」
 寿々華は疑問に思って声に出して聞いてみたがすぐに後悔した。環が困ったように眉を下げていたからである。環が長く伸ばされた左側のサイドの髪をかきあげる。夏場に髪を短めにしても左側のサイドの髪だけは長く伸ばされたまま、ピンで留めることはあっても耳にかけたりもしない。常に隠されていたその場所が環の手によって晒された。
「左耳がないんだよね、俺。」
 筋張った指から朽葉色の髪がはらりとこぼれつつも晒された場所、本来ならば左耳がある場所に左耳がなかった。正確には耳の穴はあるが耳殻と呼ばれる顔の側頭部に沿って張り出している耳の外側全体がない。事故などによる外傷性の欠損なのだろう、傷跡があった。
「あ……
「別に隠してたわけじゃなかったんだけど……ほら、見ててあまり気持ちのいいものじゃないでしょ? ごめんね。」
 環は髪を元に戻して困ったように笑った。環の柔らかなのにどこか影のある笑顔に寿々華の心が痛む。環やゾラは時々そういう顔をする、そして二人は抱える闇をけして寿々華には晒してくれないのだ。それがまた寿々華には寂しく思える。
「さ、遅くなっちゃうから出掛けようか。」
 環が誤魔化すようにそう言って、二人を急かした。今日は寿々華が行きたがっていた観光地に日帰りで行く予定だ。玄関の外はすっかり初夏の空気になっていて、太陽の光が眩しかった。

 帰宅して夕食を済ませた後、環は寿々華をソファに座らせて自分も隣に座った。ゾラは急遽バイトに行くことになったと言って出て行ったばかりである。
「すず、出かける前はごめんね。」
「いえ、うちもけったいなこと聞いてもうてすみません。」
 寿々華はつい環の顔の左側、髪で隠されている部分を見つめてしまった。よく考えてみれば髪の隙間から耳が見えてもおかしくはないのだ、いくら髪に覆われているとはいえ耳が全く見えないというのは不自然である。環の「隠していたわけではない」という言葉も嘘ではないのだろう、しかしできるだけ寿々華を怖がらせまいと隠してくれていたのだろうと寿々華は思った。
「あの後、ゾラに怒られちゃった。都合が悪いからって話を誤魔化すなって……お揃いのピアス、したかったんだよね?」
 環の言葉に寿々華は静かに頷く。ゾラは会話にこそ入ってこなかったがしっかりと二人を見ていたらしい。そして雷のように核心を突いてくるのだ、嵐のような人である。
「ごめんね、悪いんだけどそのお願いは聞いてあげられないんだ。ピアスはこれ以外しないって決めてるから。」
 環は寿々華の柔らかい手のひらに何かを置いた。半透明の紙袋でラッピングされた、アクセサリーらしきもの。紫色がぼんやりと透けている。
「代わりにネックレスとか、どうかな。色味はなるべくこれに似たようなの選んだのだけど。」
 今日のお出かけ先である観光地にガラスアクセサリーのお店があったのを寿々華は思い出した。ひとつひとつ色味が違くて、選ぶ楽しみを売りにしていたお店だ。寿々華は環に許可を取ってその場でラッピングを解く。環のピアスの石と同じくらいの大きさの粒、色味もよく似ていた。
「環はん、ありがとう。大事にする。」
 寿々華がお礼を言うと、環は明らかに安堵したような顔をしていた。もしかしたらこの人はいつか黙って姿を消してしまうのかもしれない……そんな予感を感じ取った寿々華は少し怖くなる。初夏の夜はじっとりと蒸し暑いはずなのに、背中が冷えたような気がした。