序
夕立が近い。
雑渡昆奈門は、空の具合と、自分の火傷後の軋みからそれを感じ取っている。
山奥の小屋である。すっかり荒れ果てて常は人の気配もないそこに、数人の忍者が集まっていた。
タソガレドキ忍軍である。
急ごしらえのあじととなった小屋の西側の窓を背に、組頭の雑渡が座り、その前に配下
——諸泉尊奈門、山本陣内、高坂陣内左衛門、それに押都長烈が囲炉裏を囲んでいた。上層部が集まっていると言っていい。
雑渡はいつも通り足をそろえて上品に横座りし、片手を頬にあてている。全身包帯だらけの姿とその姿勢のギャップは部下の悩むところではあるが、全員慣れっこでもあった。
その雑渡の右の耳に顔を近づけて、高坂がそっと状況を耳打ちする。
「よし」と、組頭は短く答えた。
「では、この後も手筈通りに
……、ん?」
言いかけた雑渡が、変な顔をした。その耳が何かをとらえていた。ほとんど同時に気づいた高坂が雑渡の正面、小屋の入口の方を振り返る。
同じく想定外分子の存在を聞き取った諸泉が、小さく「げっ」と声を出し、山本と押都は顔を見合わせた。
わあわあ騒ぐ子どもたちの声、何か大きなものが転がる音。もはや耳を澄ますまでもなく、それは明らかに近づいてきた。
「あー、手筈通りは無理そうだね。散」
苦笑いして雑渡が手を振ると、諸泉以外が姿を消した。天井裏に上がったのである。
次の瞬間、ど派手な音を立てて扉を破り、少年から青年あわせて5人がなだれ込んできた。
その後ろを、一体どこから落ちたのか大きな岩がごろごろと転がって通り過ぎていく。それはしばらく遠ざかると、遠雷のような音を立てた。谷底に落ちたようだ。
小屋前の山道の上の方から、あの岩に追われるように逃げ降りてきて、脇道のここに逃げ込んだというところか。5人の一番下じきになっている青年、善法寺伊作が、顔だけあげて雑渡と諸泉を確認すると、「あ、どうも
……」と申し訳なさそうにひきつった笑みを浮かべた。次いで伊作の両脇に抱えられた猪名寺乱太郎と鶴町伏木蔵がようよう顔を上げ、
「あー!? タコヤキドキ忍者のちょっと粉もんさんともろすべりずんださん!!」
と叫ぶ。雑渡の横で尊奈門がずっこけた。
少年たちは、忍術学園保健委員の5人組であった。
薬草をつみに来たらしく、三反田数馬が大きな背負いかごをまとめて3つ抱えているが、うちふたつは肩ひもが切れ、ひとつはかごに穴が開いている。
見ただけでわかる、あまりに芸術的な彼らのいつもの不運に眉根を寄せながら、
「雑渡昆奈門ね」
一応自分の名前だけは訂正しておいた。どうにか伊作の上から降りようとしてバランスを崩している三反田数馬と川西左近に手を貸してやる。
「君たちはどうも面白いタイミングで現れるな」
「すみません、ありがとうございます」
礼を言った数馬の後ろから、伊作がいかにも申し訳なさそうに
「申し訳ないです
……お仕事中ですよね」
と言った。さすがに上級生は状況を察している。
「ほら、みんな行こう。岩はやり過ごせたし、ここにいたらお邪魔になってしまう。みなさんのことは口外しませんので
……」
雑渡に
――あるいは屋根裏の面々にも
――向けて言った言葉の続きは閃光と轟音に遮られた。すぐ近くに雷が落ちたのである。落雷に驚いて固まった5人の前で、追い打ちをかけるように冗談みたいな強烈な雨がどざっと降り始めた。
「
……外、出ない方がよさそうだね」
諦めた表情で雑渡が言うと、伊作が涙声で「そんなあ」とつぶやいた。
第一部 山小屋にて
さて、入り口の扉をどうにか嵌めなおすと、何故ここに来たのかの経緯を、伊作は次のように説明した。
「実は昨日の荒天で、干していた薬草がほとんどすべて吹き飛んでしまって、在庫が危機的状況なので、全員で薬草つみに来たんです。それで珍しく順調に、かごにたくさん摘めたんですけど、探していた珍しい薬草をみつけて集まったたとたんがけが崩れて全員で崖下まで滑り落ちまして、そこにイノシシがいて追いかけられて逃げ回り、木に登ってやりすごして事なきを得たんですが、直後に枝が折れて落下した乱太郎を抑えようとして結局全員落ちて、落ちたところの目の前にどこの者かわからない忍者がいて、とりあえず逃げていたら大きな岩が坂の上から落ちてきてそのままこっちに向かって転がってきまして、必死で逃げていると道のわきにこの小屋があったので、『あそこに飛び込め!』と
……」
「うーん、想像してた五倍くらいのことが起こってるね」
さすがに引いた雑渡の言いにくそうな反応に、伊作はアハハと乾いた笑いを漏らした。伊作の不運に一日付き合ったことのある尊奈門が雑渡の横でちょっとおびえている。
「背負ってたかごもそれぞれどこかしら壊れて
……」
「中身は走っているうちにほとんど
……」
順番に言って、乱太郎が苦笑いを浮かべ、数馬が悲しそうにかごを見る。
「仕方ないよ数馬、かごを拾ってくれてありがとうね」
伊作が穏やかな笑顔を向けた。おそらく、肩紐が両方根元からぶち切れているのが、伊作の背負っていたかごなのだろう。修補することになるであろう用具委員会委員長、食満留三郎の苦労が偲ばれる。
「それにしても」と、伊作は雑渡の方に向き直った。
「すみません、まさかタソガレドキのみなさんがいらっしゃるとは。お仕事中
――なんですよね?」
またすさまじい雷が鳴った。窓を背にして座る雑渡のシルエットが、一瞬別のもののように浮かび上がる。
「うん、まあ、そんなとこ」
「プロ忍者の任務中だなんて
……スリル
……!」
控えめに、しかしワクワクが隠し切れない様子でつぶやいた伏木蔵を見て左近が引いている。伊作は一応「こら」と伏木蔵に声をかけてから、雑渡に話しかけた。
「動ける天候になったら、すぐにお暇します。通ってほしくないルートがあれば従いますので
……」
「いや、まあ、ゆっくりしなよ」
「そういうわけにも」
「逆だ。ことが終わるまで動かないでもらった方がありがたい。いろんな意味でね」
『色んな意味』に独特のニュアンスを付けて言った雑渡の言葉に、子どもたちはひきつった笑みを浮かべた。
「まあ、我々もここ数日の不安定な天気でちょっと難儀していてね。ある程度のことが終わるまでは私もここから動けない」
「なるほど」
「ついては報告が来るまで
――」
雑渡は体をひねってすぐ後ろから燭台を出すと、灯心に火をつけた。
「時間つぶしだ、百物語でもしない?」
ぽっ、と火が付くと同時に、雑渡の顔面が橙色に浮かび上がる。包帯の影が顔に濃く黒い線を作る。急激な雷雨で暗くなっていた室内が、ゆらゆらする明かりで不安定に照らし出された。
「組頭
……?」
意図を計りかねたらしい尊奈門が、怪訝そうに雑渡の顔を覗き込む。
「百物語?」
乱太郎がきょとんとして訊き返した。その横から、伏木蔵が水を得た魚のように解説をはじめる。
「たくさんの灯心を用意して、ひとりひとつずつ怪談を話し合いながら灯心を消していくんだよ。百の怪談を語り終えると
……怪異が起こるんだって~」
ごていねいに手の甲を見せてぶらつかせた両手を前に出し乱太郎の横に顔を近づける。乱太郎は泣き笑いみたいな顔で防御するように両手を出すと「伏木蔵!」と抗議の声をあげた。保健委員たちは苦笑いしている。
「それで、その百物語をするんですか? ここにいるメンバーで
……」
尋ねた伊作に、雑渡は軽い調子で答えた。
「まあ、時間がかかるから百個は無理だし、火を消す仕掛けもわざわざやらなくていいけど。侍衆の間では度胸をつけるために鍛錬としてあえてやることもあるとかないとか。どう? ひとまず、雨が上がるまでということで」
「なぜ
……むぐ」
明らかに『なぜそんなことを』と言いかけた尊奈門の口を、雑渡の大きな手が軽くふさぐ。「なんかある?怖い話」
何か意図があるらしいと察した伊作は「そうですねえ
……」と言って少し黙った。保健委員の面々はそれぞれ首をかしげている。すぐには出ない、あるいは出ていても話がまとまらないのだろうと察した雑渡は尊奈門の口から手を放すと、
「尊奈門、なんかないの」
と急に訊いた。
「えっ、私ですか!?」
「なんかあるでしょ、ひとつやふたつ」
「いや、うーん
……そうですね、ありますけど
……組頭がご療養中のことですよ」
「
……ふうん。どの話?」
「たくさんあるみたいな言い方やめてくださいよ!」
テンポよくつっこみを入れた尊奈門は、ちょっと小さな声で、
「こわいじゃないですか
……」
と付け加えた。
それでも居住まいをただすと、
「まあ、私にはわからなかったことの方が多い話ではあるのですが
……」
と前置きして、話しだした。
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