kr0mm333
2025-12-28 15:44:58
16477文字
Public サンプル
 

柴チヒ①

柴×チヒ(41×20)
原作後の未来設定。
柴さんの前からいなくなるチヒロ君の話。
2月のWEBオンリーで出そうと思ってるものです。
そのうち増えていきます。

章が変わるので話を分けました。
こちらは序章から3話までで、続きはこちらになります⤵︎
柴チヒ② (https://privatter.me/page/698141b78b01c)
柴チヒ③ https://privatter.me/page/698c8ed1cd5cb

最終話まであります⤵︎
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=27272245


   二


 音を立てないよう玄関の扉を開け、抑えた声で小さく「ただいまー」と告げた。
 返答がないと分かってはいるが、習慣なのだから仕方がない。
 以前の六平家のような引き戸ではないので、ガラガラと大きな音が鳴るわけではないが、それでもドアが閉まる際の小さな衝撃は響くもの。その音で千鉱を起こしてしまう可能性もある。というか、勢い余って起こしてしまったことも何度かあった。だから、柴としては細心の注意を払うところだ。
 土間に立って正面右手の階段を一瞥するも、千鉱が降りてくるような気配はない。時間が時間なので、千鉱も就寝しているに違いない。
「(先に風呂行くかァ……)」
 玄関を上がってすぐ左手は柴の部屋だが、今部屋に戻ってしまうとそのまま眠ってしまいそうな気がする。
 今日の依頼はヤクザの組長の護衛だったが、反社会的組織に所属する者はだいたい喫煙者だ。自然の匂いしかない家に戻ってくると服や髪に移った臭いがより強く感じられるので、先に入浴を済ませようと浴室に向かった。
 湯船には浸からず、シャワーだけで入浴を済ませて次は台所に移動する。
 タオルドライで簡単に水気を飛ばしただけの髪は生乾きで、スウェットの肩口に触れる毛先がじわりと布の色を変えていた。
 床に水滴が落ちているかもしれないが部屋に戻るときに拭き取るか、最悪、忘れたとしても朝までには乾燥するだろう。
 そして、台所に足を踏み入れる。冷蔵庫の方に視線を向けると、黒いスウェットの後ろ姿が見えた。
「え、チヒロ君?」
 柴の声に振り返ると、千鉱は「おかえりなさい」と言って小さく笑った。まさかこんな夜中に起きているとは思っておらず、柴は足早に近づくと「寝てたんちゃうの?」と問いかける。
 すると、恥ずかしいのかわざわざ背を向けてから小さな声で「夢見が悪かったんです」と言った。
「怖い夢見たんや?」
 イタズラっぽく問い返すと、千鉱は少しムキになったように「夢見が悪かっただけです」と繰り返した。
 夢の内容を聞いてみたかったが、柴の食事を用意するためにわざわざ台所まで降りてきてくれた千鉱の機嫌を損ねたくはない。だから、喉の辺りまで出かけていた言葉はお茶と一緒に飲み込んだ。
 その間にも、千鉱は冷蔵庫から出した夕飯をレンジで温めている。先に温め終わっていた、湯気の立つ味噌汁の香りにつられて席に着くと、次はメインの豚の生姜焼きを温め始めた。
「柴さんこそ、仕事はどうでした?」
「めっちゃ疲れた。護衛とはいえほぼ横で突っ立っとるだけやし、別に雑談してもオモロないし」
 実を言うと、今日の仕事は内容自体は簡単なものの、説明するにはかなりややこしいものであった。
 柴が最初引き受けたのは、とあるヤクザの組長の護衛。会合があり、妖術師の護衛を探していたので柴が手を挙げた。
 そして、どこからかその話を聞きつけてきた薊から、その会合に集まるヤクザを一網打尽にしたいので手伝えと連絡を受けた。それが、ちょうど二十四時間前。
 護衛の仕事自体は雇い主がお縄についたので早々に終わったわけだが、柴にも情報提供という名の事情聴取があったのでこの時間まで拘束されていたわけである。
「アレやったら、薊の小言聞いてるほうがまだ暇つぶしになったで」
 だがこれを一から説明するのは手間な上、一応守秘義務というものもあるので、千鉱には「護衛の仕事で長引いた」と言うだけで済ませていた。千鉱の方も、そういった事情をよくわかっているため、それ以上踏み込んでくるようなことはない。
「暇なのはいいことですよ。怪我もなく済んでよかったです」
「チヒロ君は俺の強さ知ってるやろ? そうそう負けたりせんよ」
 ニヤリと笑ってみせると、千鉱は「そうですね」と頷いた。
 柴は斉廷戦争、そして妖刀を巡る戦いでも生き残った。自分が強者とは思わないが、死なないための引き際は心得ているつもりだ。
「今日の仕事よりはマシってだけで、ケガでもして薊に小言いわれるんはゴメンやから」
「父さんも言ってましたけど、薊さんの小言ってそんなに長いんですか?」
 千鉱相手だと薊は加減するので、柴や生前の父親の言葉がいまいちピンときていないらしい。
「あれはまあ……ウン」
 チヒロ君もそのうちわかるよ、とだけ言うと、柴は温め終わったばかりの豚の生姜焼きを一口で食べて舌を火傷したのだった。

 そして、この日を境に柴は千鉱とすれ違うことが多くなった。
 すれ違うというのは語弊のある言い方かもしれないが、二人きりで過ごしたのはこの夜が最後だった気がする。

「柴さん、おはようございます。俺はこれから出るので戸締りだけお願いしますね。戻るのが何時ごろになるかわからないので、食事は冷凍庫の作り置きを食べてください」
「わかった。気ぃつけてな」

「チヒロ君、ただいま〜」
「柴さん、お邪魔してます!」
「お、ハクリ君やん! いらっしゃい。ゆっくりしていきや〜」
「アザッス!」

「おはようさ……え、ただでさえ狭いのにさらに三人もおんの?」
「柴さん、おはようございます」
「よう。邪魔してるぜ」
「お邪魔してます」
「アンタも加わったから人口密度がヤバいことになってるな……チヒロ、部屋の密度を減らすついでに掃除でもしてくる」
「杢さん、すみません」

 まず、外出する日が増えた。
 帰ってこない日もあり、丸三日顔を合わせないなんてこともザラ。
 ーーチヒロ君、えらい活動的になったな……
 戦いが終わって以降、どこか無気力な日々を送る千鉱をずっと見てきた。フリーの妖術師として仕事の依頼も受けていたし、シャルにねだられて遊びに行くことだってある。
 だがその一方で、心ここに在らずという様子でぼんやりしたり、家事の合間に遠くを見ていることも増えた。
 何かを考えているわけではない。意識が途切れているようで呼びかけてやっと反応するような、そんな状態。
 専門の医者に見せたわけではないが、柴の見立てでは過度のストレスによる反動だと思っている。
 だから急に活動的になったのは、心が日常に適応し始めたからなのかもしれない。
 父親が殺されてからずっと、毘灼や真打との戦いを全力で駆け抜けてきた。だからこそ、戦いが終わった今は彼の人生を生きて欲しい。
 今すぐにというのは難しいかもしれないが、千鉱がやりたいことを見つけたのなら、柴はそれを応援してやりたいーー保護者としての義務ではなく、本心からそう思っていた。

 そして、自分と千鉱以外の誰かがいる生活に慣れたころ。
 季節はすっかり春になり、物干し竿の向こうで桜の花が色づいている。夕方なのでもう花は閉じているが、落ちる花びらが外灯に照らされて白く光っているように見えた。
 今日は誰がいるのだろうと考えながら帰宅すると、上がり框に立つ千鉱と目があった。
「おかえりなさい」
「ただいまあ。今日は誰来とるん?」
 伯理だった場合、柴が帰宅すると必ずといっていいほど玄関にきて「おかえりなさい!」と挨拶をしてくれるので、巻墨の誰かだろう。忍というだけあって彼らの挙動には音も気配もなく、気づいたら背後で三人が整列していたなんてこともよくあった。
 靴を揃えて立ち上がると、千鉱が柴の顔をじっと見上げている。
 何が言いたいのだろうかと口を開きかけると、それを遮るように「柴さん、あの」と言われた。
「うん? どしたん?」
「あ、ーーいえ、夕飯の支度しますね」
 それだけ言い残して台所に向かう千鉱に「あ、うん……」とだけ返す。どこか噛み合わない会話に困惑しながらも、柴は一旦自室に向かった。
 千鉱の態度が気になるが、夕飯の支度をすると言ってくれているのだから、食事の最中にでも話してくれるはずだ。
 台所に入るとすでに準備は終わっていて、ダイニングテーブルの上には湯気の立つ料理が並んでいる。だが今日は二人分だった。
「二人分?」
 思わず声に出すと、千鉱は「俺と柴さんだけです」と答える。柴には巻墨の気配が感じ取れず、彼らが今この家にいるのかはわからない。だが、二人だけで食べる夕飯は久しぶりだ。
 最近は三人〜五人分の食事が食卓に並んでいるのが当たり前だったせいか、二人分だとなんとなく食卓が広く見える。
 テーブルに並んでいるのは肉じゃが、鯖味噌煮、わかめの味噌汁ととりごぼう飯、そして白菜の浅漬けだった。浅漬けは昨晩、炭と伯理と三人で仕込んでいたもののはずだ。物静かな千鉱と炭、そして騒がしい……もとい、元気な伯理と正反対の三人だったが、声を聞くにとても楽しそうにしていた。
 台所に来た時点で食べる準備が整っている。上げ膳に据え膳で、柴のできることといえば片付け以外になさそうだ。
「作り置きで申し訳ないんですけど」
 恐縮する千鉱に「気にせんでよ」と大きな声で返す。
「チヒロ君が作ってることに変わりはないやん?」
「巻墨の皆さんの料理もありますけどね」
「それは確かに……うん、この肉じゃがは郎君のかな。チヒロ君のよりちょっと甘い」
 甘いものが苦手な千鉱は、味付けをする際も砂糖を控えめにしている。
 シャルがいたときはいつもより甘めになるよう砂糖の量を増やしていたが、増やしすぎると今度は千鉱が食べられない。そのため、双方が納得する味付けに辿り着くまでに、ずいぶん四苦八苦していたのを思い出した。
 まだ二年も経っていないのにもう遠い過去のようで、思わず「これが……加齢?」と手を止めてしまう。すると、きれいな所作で鯖味噌煮の身をほぐしていた千鉱と目があった。
 玄関で何か言いかけていたということを思い出して「そういえば」とくぐもった声で呟く。
「玄関で何か言いかけてたけど、トラブルでもあった?」
 口の中のものを飲み込んで千鉱に問いかける。彼はぴたっと動きを止めると、柴とテーブルの上を何度か交互に見てから箸を置いた。
「トラブルではないんですが……柴さんに話さなければならないことがあります」
「どしたん? そんな改まって」
 千鉱は緊張しているのか、こちらを見ているはずなのに視線が合っていない気がする。
「もしかして、またなんかやらかしたとか? 俺の車ダメにしてもうたみたいな」
 毘灼との戦いの最中、刺客の襲撃を回避するために柴の車を真っ二つに斬った過去もある。そのことを指していると気づいたのか、千鉱は苦笑いを返した。
「まあ車ぐらい、壊してもまた買ったらええねん。毎日のように廃車になるのは困るけど」
 柴さん破産してまうわ、と続ければ「もうしませんよ」と微笑んだ。笑ったおかげで緊張が解れたようで、柴はほっと胸を撫で下ろす。
 千鉱も柴がわざとそんな話題を振ってきたことに気づいていたのか、「ありがとうございます」と呟くと、真っ直ぐにこちらを見た。
 今度こそ、互いの視線がぶつかり合う。
「柴さん。俺、この家を出ようと思います」
 え、と音が出たような気がした。だが、実際に出たのは空気が詰まったような呼吸音だけ。
「少し前から考えていたんです。戦いが終わってもうすぐ二年、柴さんや薊さんに助けてもらって、父さんと暮らしていたこの場所でまた暮らすことができました」
 柴は口を開けたまま固まっているが、千鉱は止まらない。
「長い休養をもらったおかげで身体的にはもちろん、精神もかなり落ち着いてきたと思います。
 だからでしょうか、最近は普通に生きてみるのもいいんじゃないかと思い始めたんです」
 「普通」とは何を以ってそういうのか。
 柴にとっての普通は戦うことで、書類仕事なんかは面倒に分類される。哲学のようなことを思ってしまったがただの現実逃避でしかなかった。
 腹の読み合いができないわけではないのに、今この瞬間に限っては千鉱の考えも、話の意図も何ひとつ掴めない。
 いつかは来るだろうと身構えていたはずなのに、いざそのときが来てしまったら衝撃で頭が動かない。頭の中で「コノイエヲデヨウトオモイマス……?」がぐるぐると回っているので動いているわけだが、それ以外は何も考えられなくなっていた。