朔文小説まとめ

朔文の短めの小説(最大でも2000字)をまとめました。





【倒れる君を見て慌てて教室を抜け出した】



ある日の午後。
5時間目の授業は日本史だった。皐月さつき先生の明るい声が教室内にひびき渡る。でも決してやかましさを感じない。それが彼女の魅力だった。
その声に耳を傾ける生徒が大半な中、一人だけ窓の外を眺めている男子生徒――空木うつぎ朔叶さくとがいた。
彼の視線の遥か先には、グラウンドで体育の授業を受ける女子生徒たちの姿があった。その中では背が高く、長い黒髪をポニーテールにした弓庭ゆば文花ふみか、ただ一人をスナイパーが獲物に狙いを定めるかのように一瞬たりとも視線を外さない。
不揃いに切り揃えられた長い黒髪の隙間とメガネ越しに覗く渦を描いた青緑色の左目は、壇上で話す教師でも、手元の教科書やノートでもなく、愛しの幼馴染である文花だけを熱心に見つめていた。

「?」

少ししてふとした違和感が朔叶の瞳に映る。熱く眩しい太陽の光が照りつける下で、文花は準備運動をしている。だが、どこか足元が覚束ず、フラフラしているように見えた。胸の中で嫌な予感がわき起こる。まさか……と腰を浮かせかけた瞬間、大きくふらついた文花はばたりとグラウンドの地面に倒れ込んでしまった。
と同時に朔叶がガタリ! と椅子から立ち上がる。

「う、空木くん? どうしたの?」

皐月先生の戸惑いの声や教室内の全方位から集まる視線には構わず、朔叶は教室から駆け出した。

「ちょっと! 空木くん授業中よ! 早く戻りなさい!」

必死に引き止める声を背に受けながら、朔叶は文花の元へ一目散に駆け出した。


その後保健室に運ばれた文花は、ベッドの上でぐったりと横たわっていた。倒れた原因は熱中症だった。
その傍らにはここまで走って息を切らした朔叶が、呼吸を整えながら目を固く閉じる文花の様子を見守っていた。
保健室の養護教諭は、朔叶がここにいる理由については問わず、黙って文花に応急処置を施した。文花が保健室に来るとき必ずそばには朔叶がいる。たとえ授業中であっても。いつものことなのだ。

「ふみちゃん……

白い毛布の隙間から覗いた文花の右手を、朔叶はそっと握った。すると眠る文花の表情がほんの少し和らいだ気がした。


キンコーンカンコーン


しばらくして、5時間目の終わりを告げるチャイムが校内に響いた。その音に朔叶は表情を変えることなく、ただ眠る文花を見つめ続けている。養護教諭は「何かあったら呼んでね」と、数十分前には席を外していたため、白く長いカーテンに囲まれた空間に2人きりだ。

「ん……ぅ」

するとチャイムの音が意識を揺らしたのか、文花が小さく声を漏らし、ゆっくりまぶたを持ち上げた。朔叶がすかさず文花の視界に入ろうと身を乗り出す。

「ふみちゃん……!」
……さく? ここは……
「ふみちゃん、頭は痛くない? 吐き気は? 体も重くない? 」
「さ、さく」
「それに怪我とか……どこか他に痛むところは無い? 」

戸惑う文花に構わず、朔叶は矢継ぎ早に質問を投げかけた。朔叶は知りたかったのだ。文花が倒れた原因となった理由を全て余すことなく。文花を守ると常日頃から言っているのに、この有様だ。だから次は失敗しないために有力な情報を少しでも集めておきたかった。

「こーら空木くん。ストップよ」

そこへ穏やかで芯のある声が割り込む。振り向くとそこには呆れ顔の皐月が腰に手を当てて立っていた。

「弓庭さんは体調が悪いの。そんな子にあれこれ質問責めするのは可哀想よ。心配な気持ちは分かるけど落ち着きなさい」

朔叶は口を開こうとしたが、皐月の有無を言わせない雰囲気に黙り込むしかなかった。


そのあと皐月は文花と会話していた。中身は身体の調子を労る言葉や、具合が悪ければそのまま早退しても構わないといったもの。それを半歩後ろで朔叶は静かに見つめ聞いていた。
話が終わると皐月は背を向けた。その拍子に朔叶と目が合う。

「空木くん、これからは何も言わず教室の外へ出ないように。慌ててたのは分かるけど、突然出ていかれると私が困るのよ。せめて何か一言ちょうだい」
……すみませんでした。以後気をつけます」
「分かったならいいわ」

皐月はニコッと微笑んで、保健室を出て行った。


それから少しの間、静寂が訪れた。最初に静寂を破ったのは朔叶だった。

「ふみちゃん、ごめんね。昼休みは一緒にいたのにふみちゃんの不調に気づけなかった。……本当にごめんね」
「さくは悪くないよ」
「違う。僕が悪いんだよ。僕がしっかり見ていなかったのと、熱中症対策を怠ったから……ふみちゃんにつらくて苦しい思いさせちゃった」

朔叶は心の底から申し訳なさそうに俯いた。文花はどう言えばいいか分からず、彼の手に自身の手をそっと重ねる。小刻みに震えているのが伝わってきて胸がぎゅっと痛む。
そして朔叶は小さく息をつくと、文花の目を真っ直ぐ見た。

「僕も一緒に早退するよ」
「え、でもさく授業は……
「別にいい。それよりもふみちゃんを一人で帰らせるわけにはいかないよ。それに、僕がいればふみちゃんも安心でしょ?」

静かに囁き重ねられた文花の手を両手で握り返す。祈るかのような形で。

……うん。じゃあお願いしてもいい?」
「もちろん」

戸惑っていた文花はほんのりと笑みを浮かべる。茜色の瞳に安心が滲んでいるのを見て、朔叶はようやく肩の力を抜くことができた。