もち粉
2025-12-21 00:57:41
22379文字
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起死回生ヒロイン―クラノム家家宝由緒書き―


カブミス クラノム姉弟
※ホルム姉の名前を「フロル」と捏造しています


ガヤガヤと騒がしい酒場は、熱気と脂の焦げた匂いに満ちあふれており、ほぼ満席だった。どうにか長机の一角に空きを見つけて滑り込む。

「そんじゃ、久々の再会に」
「乾杯!」

エールのジョッキをカブルーがホルムの体格に合わせて差し出してくる。それに木製のカップを差し出し、こつんと合わせて乾杯した。
ホルムが夕飯はもう済ませたと聞いたカブルーが、軽めのつまみをいくつか注文する。

「城勤めはどう? 忙しいみたいだね」
「毎日あっという間だよ。でも夜にこうして友達と飲みに出るくらいの時間はあるさ」
「そうみたいだね」

相変わらずの色男ぶりで、ホルムにまでウィンクを飛ばしてみせるカブルーに思わず半眼になって小さくつぶやく。
姉を食事に誘う暇もあるようじゃないかと言ってやりたいが、会って早々に嫌みを飛ばすのもどうかと思い直す。
ホルムだって、久々にカブルーと会えたことは嬉しいのだ。口元に笑みを浮かべかけた――だというのに。

「それでミスルンさんが……」「この間ミスルンさんと……」「あ、このおつまみ美味しいね、これならミスルンさんも食べてくれるかな」

カブルーの口から出るのは、まるで呪文のように一人のエルフの名前ばかり。
さりげなく他の話題を振っても、いつの間にかまた同じ話に戻ってしまう。かつて、人との距離感の測り方が抜群だった男は、いったいどこに行ってしまったのだろう?

まさか会う人会う人にこんな調子なんじゃないだろうな? カブルーの城勤めが本当に上手くいっているのか、だんだん疑わしくなってきた。
馴染みの僕相手だからこそ気が緩んでいるんだと、そう思いたいところだよ。

ミスルンというのは、かつて「島」の迷宮が崩壊しかけたとき、制圧に来た「カナリア隊」の隊長だったエルフだ。
結局、迷宮から出てきた悪魔は別パーティーのライオスが消滅させ、彼はこの「島」改めメリニ王国の王となった。
だがその混乱の中、カブルーはミスルンと行動を共にしていたのだという。

カブルーは、迷宮の秘密がエルフを始めとする長命種に独占されていることに憤り、短命種による迷宮の攻略を悲願としていた。
だからミスルンは、彼にとって最も手強く、最も籠絡すべき標的であったはずだ。

――しかし、終わってみれば。
ホルムたちのリーダーは、すっかりそのエルフに骨抜きにされて帰ってきた。

「もうさぁ、告白したら? その隊長さんに」

ホルムがうんざりとピクルスをピックで刺しながら言うと、カブルーはきょとんと目を丸くした。

​「告白?」
カブルーは自分の耳を疑うように聞き返した。

​「……好きなんでしょ?」

​あまりに無垢な瞳のカブルーを、ピックで指しながら問い詰める。嫌な予感に、口元と眉が変なふうに笑ってしまう。

​「ええっ? やだなぁ、ホルム。なんでそうなるのさ?」

カブルーは困ったように笑って、頭を掻いた。



「あっ、ミスルンさん!」

……は?
絶句したホルムが次の言葉を考えているうちに、カブルーが明るい声を出し、椅子を蹴るような勢いで立ち上がった。

酔客の間をすり抜けていそいそと、入口に現れた銀髪のエルフを迎えに行く。「ミスルンさん、どうしてここに? 夕飯ですか? 自発的に食べようとしてくれて嬉しいですよ!」カブルーのはしゃいだ声がここまで聞こえてくる。彼の声はよく通るので、酒場のざわめきの中でも聞き取れた。

「ホルム、ミスルンさんも一緒でも構わない?」

――席に連れてきてから聞くことじゃないよね?

「もちろんだよ」

他にどう答えろというのだ。



カブルーがまるで自分の恋人を紹介するみたいな浮かれたテンションで、紹介してくる。

「ミスルンさん、こっちがホルム。俺の元パーティーメンバーで、古代精霊術の研究者です。ホルム、こちらが──」
「"カナリアの隊長さん"ですね。お噂はかねがね。ホルム・クラノムです」

ミスルンはホルムの紹介を聞いた時、わずかに首を傾げたが、静かに目礼すると席に着いた。
カブルーは慣れた手つきで椅子を引いてやると、水を注ぎ、食器を並べ替えてメニューをミスルンの前に広げる。

「なにがいいですか? この店、魚料理が有名なんですよ。お酒は飲むなら弱いのにしましょうね」
「なんでもいい、選んでくれ」
「だぁめ、一個は自分で選んでみて」

(はいはいはいはい。出ましたよ)
見よ、この過剰なまでの尽くしっぷり。普段は女の子たちに世話焼かれ放題のカブルーが、本命には尽くすタイプだとは意外だった。
なんだあの蜂蜜でも練り込んでそうな甘ったるい声は。

見ているだけで胃がやられそうだ。
目の前の二人は、どう見ても「婚約発表直前」みたいな空気を出しているのに、当の本人たちは平然と談笑しているのがまた腹立たしい。

なんなの? 今日は僕の胃腸が試される日?
ホルムは思わず、もう一度胃のあたりを軽く押さえた。

「大使館の内装は整いました?」
「まぁ、だいたいな。宿舎は出来たから、先週に移った」
「こないだみたいに鍵、失くさないように気をつけてくださいよ」

ああ、最近工事してるあの大きな建物、エルフの国の大使館だったのか。

「ほら、料理来ましたよ。ああ、ちょっと待って、小骨多いからほぐしますね」
「うん」

カブルーがソテーされた魚の身を切り分けると、ほんのり湯気が立ちのぼり、バターの香りがふわりと漂った。

お母さんかよ。
僕の視線に気づいたカブルーが、小声で言い訳のように言ってくる。

「ミスルンさんは、小骨がのどに刺さっても、それを取りたい欲とかがないからさ」

彼の身体の事情については軽く聞いているが、そこまでしてやる必要があるのかね?

二人に漂う、他者が割って入れないような親密な空気にホルムは思わず目眩を覚えた。
やってられないと、お茶のおかわりを注文する。こんな時こそ酒を飲むのだろうが、ホルムは宗教上の理由で酒と肉は口にしない。

その時、酒場の入口から場違いにかしこまった大きな声がした。その声は、嫌な予感を伴ってホルムの耳に届いた。
「失礼します! こちらにカブルー殿はいらっしゃいますか!?」


◇◇◇

――いやもう、今夜はどうなってるの?

カブルーがほぐし終わった魚を、味に頓着する様子もなく黙って咀嚼しているミスルンを眺めながらホルムは不幸な一日を嘆いた。
先ほどカブルーが城からの緊急呼び出しを受けて、名残惜しげにミスルンへ挨拶をしながら帰ってしまった。(ちなみにホルムへの挨拶は「すまないホルム、またな!」とあっさりしたものだった)

自分も一緒に席を立てば良かったのだが、お茶のおかわりが来てしまった。腹もいっぱいなので、目の前の特異なエルフを観察しながらひたすら茶をすすっている。

エルフの年齢はよくわからないが、七十六歳の僕よりだいぶ上っぽいんだよな。
けれどカブルーに「よく噛んで食べてくださいね、お水も飲んで」と言われた通りに頬を膨らませもぐもぐと口を動かしている様子は、小さい子どものようでもあった。

ふいにミスルンが顔をあげて、はっきりと目が合った。その、相手の感情を吸い込むような黒々とした目にどきりとする。

「ホルム・クラノムといったな?」
「え、ええ」
「古代精霊術を研究しているということだが――西方に拘束されたことはないか?」

一瞬、血の気が引いた。
――!」

ホルムはカップを口に運んでいた手を止め、テーブルに置いた。カブルーにも話していない昔のことを、なぜこのエルフが。

「驚いたな。隊長さんともなると、一時勾留しただけの相手まで、一々覚えてるんですか?」
「古い報告書を見ただけだ」
ミスルンは平然と答えた。その声には、まるで感情の揺らぎがない。

「ホルム・クラノム。古代精霊術の試験運用中に拘束。……黒魔術に抵触した疑い」

ホルムは口の端を引きつらせ、苦笑した。

「はは……まさか、そんな古傷をほじくられるとは。四十年以上も前の話ですよ」
「そうか。報告には、拘束された研究者が仲間をかばって大立ち回りをしたとあった」

……そうでしたっけ」
ホルムはグラスを持ち上げ、わざと軽く笑った。
「今思えば若かったですね。まだ成人前で、研究室の使いっ走りみたいなものだったのに。
大人しく調査に応じてたほうが、無駄に勾留されたりしなくてすんだでしょうね……まあ、どちらにせよ研究内容は没収だったでしょうけど」

ミスルンは無言で頷き、その黒い義眼を、目の前のグラスの表面に映した。

「エルフには、あまりいい思い出がないんですよ」
ホルムは、皮肉げに片方の口角を少し上げたまま、苦味を含んだ声で言った。

「でも……一人だけ、やたらと印象に残った、ちょっとだけマシだった奴がいましたね。釈放の時の担当だった若いエルフ。こっちは勾留明けでふらふらだっていうのに、『君たちの研究は興味深い。資料は返却してやれないけど、疑いも晴れたしこのまま続けるといいと思うよ』なんて呑気に言うもんだから、余計に腹が立った」

ミスルンの指先が、カラン、という音ともに、一瞬グラスの縁で止まった。酒場の喧騒の中、なぜかその音が大きく聞こえた。
……そうか」

「移送の馬車の中で、なんかちょっと言い合いみたいになっちゃったんだけど……最後は『口喧嘩したのなんか初めてだ』ってクスクス笑ってた」

ホルムはおぼろげな面影に目を細めた。

「まだカナリア隊にいるのかな、あいつ。銀髪銀目の、えらく綺麗なやつだったけど」

ミスルンは、わずかに目元に笑みを浮かべたようだった。
「どうだろう、今の隊員にはいなかったな」
言いながらグラスを上から吊り上げるように持ち上げ、カラリと回す。氷が涼しげな音を立てた。

その声に、どこか懐かしい響きを感じたホルムは、目の前に座るエルフの顔を改めて眺めた。そういえばこの隊長さんも銀髪だ。
元々の顔立ちは確かに良かったのであろうことが見て取れる。だが、彼は右目を失っており、そこには黒曜石のような義眼が嵌っていた。美しさよりも、失われたものの痕跡に目が奪われた。
ことに両耳の先が、鋭い爪で切り落とされたかのように欠けている。それは、直視してはいけないような痛々しさと、じっと観察してしまいたくなるような抗いがたい魅力を放っていた。

……刺さる人には刺さるだろうなぁ、このタイプ。カブルーがそうだとは思わなかったが、恋とは得てして予想外なものだ。
あるいは、二人だけの何かがあったのかもしれない。
しかし「好きなんでしょ?」と聞いた時のカブルーのあの態度! まさか無自覚とは思わなかった。

ならば、こっちの隊長さんからつついてみよう。ホルムは茶を一気に飲み干して、カップを置いた。
……さっさとくっついてもらわないと、こっちの胃がもたない。

「カブルーと付き合っているんですか?」
「? 付き合いはある」
「あ、いえ、交際しているんですか?って意味で」
「交際……?」

……こっちもか!!

「ええっと、恋人同士ですかって聞きたかったんですが……違いそうですね」
「違うな」

「恋人になりたい、という希望があったりは……?」
ホルムが縋るように問いかける。対してミスルンの返答はにべもなかった。

「私にはそういった欲はない」

うーん、これは難しいぞ。
ならばやっぱりカブルーを動かすほうが楽そうだ。あれだけデレッデレなんだから、自覚さえさせてやればすぐだろう。

カブルーが一人に決めれば、街の女の子たちから彼の近況を聞き出そうと、怖い顔で迫られることもなくなる。ついでにウチの姉の恋愛モード全開な気持ち悪い姿も見なくて済むようになるというものだ。


……そうだ。

ホルムは自分のアイデアに、思わずほくそ笑む。

「隊長さん、今お付き合いしている相手がいらっしゃらないなら、お願いがあるんですよ」
「なんだ?」
「僕の姉と、デートしてやってくれませんか?」

一瞬、酒場の空気が静まり返った気がした。
そしてミスルンは、眉ひとつ動かさずに言った。

……デート、とは?」

ホルムは天を仰いだ。
――胃薬がほしい。