ヨジ🔞
2025-12-16 16:51:00
241168文字
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【ロイミタ】憂国

暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた 齋藤史

12月16日に寄せて。

もしも銀河の歴史がロイミタ中心に回っていたら……という、隻眼ロイエンタール×ミッターマイヤーの原作if。帝国歴480年の双璧の出会いから、ロイエンタール叛逆後の新帝国歴3年2月まで。
カプはロイミタ中心ですが、ロイエンタールが男女問わない漁色家設定なので、ロイエンタール攻めのカップリング(ロイヨブなど)が雑多に出てきます。また、ミタエヴァ、ロイエル等、原作カプはそのままです。
登場人物の死、元ネタ(三島由紀夫『憂国』)程度の性描写・グロ描写あり。何でも許せる方向け。

第一章(帝国歴480年~484年)双璧の出会いからミッターマイヤー結婚まで
第二章(帝国歴486年~490年)外伝1巻から本伝5巻まで
第三章(新帝国歴1年~2年6月)本伝6巻から本伝8巻まで
第四章(新帝国歴2年8月~10月)新領土編
第五章(新帝国歴2年10月~12月)帝位請求戦争編
第六章(新帝国歴3年1月~2月)憂国編

番外編「義眼球譚」(ロイヨブR-18):【ロイヨブ】緒【憂国 番外編🔞】 https://privatter.me/page/683a94f14b0e4

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第六章(新帝国歴3年1月~2月)


 ——ハイネセンで、逢おう。



 この日のハイネセンポリスは、ようやく去ったかと思われた冬将軍の再来に見舞われて、雪だった。厚い灰色の雲の下は一面銀世界であった。外へ出るとき体に巻きつけたケープには、はやくも雪の結晶がちりばめられ、ミッターマイヤーは寒暖差でくしゃみをした。彼の蜂蜜色の髪の毛は、鉛色の景色のなかで、ひときわ明るく照り映えた。
 新帝国歴○○三年の最初の一ヶ月間、銀河帝国の幹部たちはまったく心休まる余裕もなかった。ロイエンタール叛逆事件が収束し、ミッターマイヤーが退役した直後、新帝国歴○○三年一月一日、皇帝ラインハルトはヒルデガルド・フォン・マリーンドルフを皇妃にむかえることを発表した。一月二九日の結婚式に招かれたミッターマイヤーは、元同僚たちに久闊を叙しつつ、彼らが戦後処理と式の準備の双方に追われていたようすを想像して、やや申し訳ない気持ちになった。もっとも、ミッターマイヤーの元同僚たちは、「帝国軍の双璧」が軍中枢から抜けた痛手は、これから真にあらわれるだろうとの見解を有していたのだが……。ひとまず、ミッターマイヤーが皇帝ラインハルトの招待に応じたことに、皆すなおな喜びと安堵を感じていた。
 このハイネセン参りは、軍務尚書の手配によるものである。オーベルシュタインからハイネセン行きの許可が降りたのは、式の直後であった。くれぐれも私人として内密に、という条件付きだったのは、ミッターマイヤー元帥引退の動揺の大きさを物語るものであろう。また、先の戦いの最中、「帝国の双璧叛逆」の噂により混乱が発生したことも、理由のひとつだった。
 軍務尚書に呼び出された後、帰宅したミッターマイヤーは、妻に別れを告げた。
……しばらく、帰れないよ」
 夫の思いつめた表情を見あげたエヴァンゼリンは、ついにたずねた。戦場におもむく彼にいくら訊きたくても、毎度じっと我慢していた質問を。
「どのくらいかかるの?」
 ミッターマイヤーが一瞬、唇を黙秘のかたちにとざしたのを、彼女は見逃さなかった。
「わからないんだ。だが、皇帝陛下とのお約束でね、引退してもこれは果たさなくてはならない」
 その夜、妻との濃密な愛の時間をすごしたあと、ミッターマイヤーは湯上りのエヴァンゼリンの手をとって、窓辺へと誘った。
「ごらん、エヴァ。雪が降っている」
 夫婦はならんで、外の景色を眺めおろした。ついさきほど降りはじめたはずだが、家の前の路は、すでに薄く雪化粧をしている。ここ数日の曇天はこのためだったのかと思われるほど、舞いちる雪のいきおいははげしく、街灯がかすんで見えた。
 妻がちいさくくしゃみをしたので、ミッターマイヤーはカーテンを閉め、ブランケットで妻をつつみ、背後から抱きしめた。結婚当初とすこしも変わりのない華奢な体は、ミッターマイヤーの腕にしっくりおさまった。洗いたてのクリーム色の髪から、せっけんの香りがする。
「寒かったね。暖房をいれようか。からだは大丈夫かい?」
「はい」
 まだ眠気は遠いところにいた。ミッターマイヤーはこんな夜、エヴァンゼリンにあたたかいハーブティーを淹れてやる。彼女が体を清めているあいだに湯をわかしておくのが、すっかり習慣になっているのだ。両手でマグカップをもち、「おいしいです」とほほえむ妻は可憐で、ミッターマイヤーの口元を甘くほころばせる。ふたりでこうしてソファにすわっていると、一定に時を刻む秒針もさやかに、永遠の平和な日常を約するように響く。
「あなたが結婚する前、よくお土産話をしてくれたのを思いだしましたわ。私にはよくわからない、戦場のことまで」
「君の気をひこうと必死だったんだ。あまり家にいないし、忘れられやしないかと……
 そういうミッターマイヤーは、いまでも筆まめな男だった。執務室にも戦地にも妻の写真をたずさえ、長い出征の空き時間には近況をしたためたものである。家庭のあたたかさを胸に呼びおこす時間が、過酷な仕事にいどむ彼を支えてくれた。士官学校を出てまもない時分こそ、好きな少女の前で背伸びをするきらいがあったが、彼女との会話が積みかさなるにつれ、ミッターマイヤーの話術もゆっくりと鍛えられていったのである。
 照れくさそうに耳朶をつまむ夫に、エヴァンゼリンは懐かしそうに語る。
「昔はしょっちゅう寒い星に行ってらしたでしょう。さっき、雪がたくさん降っているのを見て、そういえばこんな風景をいつかあなたからおうかがいしたなあと思って」
「カプチェランカかな。あそこは中々厳しい場所で、面白い話を見つけるのに苦労した。それなのに、頻繁に戦いがあった」
「寒いから帰りたい、私のつくる料理が食べたいって、そればかりでしたわ」
 それが若き日のミッターマイヤーにとってそれとない、しかし精一杯のアプローチであったことを、ふたりとも承知していた。ミッターマイヤーは自分の青さにやや赤面したが、エヴァンゼリンにとっては甘酸っぱい大切な思い出である。彼の愚痴めいたアピールが、彼女をどれほど安心させたことか。
 今から振りかえれば初心な青年でも、当時のエヴァンゼリンにとって、ミッターマイヤーは憧れの年上の男性だった。同じ家に暮らしていたが、彼は長く家を空けるので、満足に会えず、外で何をしているのだろうとやきもきしたものだ。ミッターマイヤーからとどく手紙や土産話が、恋が成就する希望をあたえてくれた。
 それだけではない。ミッターマイヤーは軍人だった。ひとたび戦場に出れば、彼は敵と同じ盤上に参加額としての己の命を載せ、己の勇気と智略とで数多の敵を屠り、そこに生の実感をおぼえる人間だった。このような歴戦の武人としてのミッターマイヤーの一面を、エヴァンゼリンは知らないが、軍人という職業について無知ではなかった。明日か、明後日か、いつやってくるのか知れぬ死が、永遠に来なければいいと、彼女はいつも思っていた。同時に、軍人の妻たる者は、夫の死を覚悟していなければならないとも、わかっていた。その覚悟をミッターマイヤーがエヴァンゼリンに説いたことはない。けれども彼は、戦地におもむく自分を見送ってくれる彼女は、きっと諒解してくれていると、胸のうちで信じていた。結婚してからはとくに、夫からむけられるこうした無言の信頼を、エヴァンゼリンは感じていた。
「それで私、いつも願かけしてるんです。あたたかくておいしいお料理をつくって待っていれば、きっとあなたが、無事に私のところに戻ってきてくれるって」
 サイドテーブルにカップをおいて、エヴァンゼリンは隣の夫にもたれかかった。ミッターマイヤーからは妻のつむじが見えるばかりで、その表情は見えない。
「ウォルフ、帰ってきたら、毎日あなたのお好きなブイヨン・フォンデュをつくってさしあげます」
 妻のかぼそい声をきいたミッターマイヤーもまた、自分が彼女に語った土産話を思い出した。惑星カプチェランカで見た、夜にそびえたつ光の柱と、雪洞で死を覚悟したとき脳裏にうかべた、彼女の顔。エヴァンゼリンの勇気ある一歩で、伴侶としてのふたりの未来が訪れたこと。そのあと友と仲違いしたことまで、すべてが一挙によみがえってきた。
 仕事の仔細について、妻には話さなかった。しかし、退役以来の自分の態度や、今回の行先がハイネセンであることから、彼女はおおかたのことを察しているのだと、ミッターマイヤーは直感した。
……引きとめないのかい」
 口に出してから、ミッターマイヤーは自己嫌悪におちいった。危険な戦地にゆくとき同様、愛する妻がどれほど頼んだところで、旅立ちは変えられない。にもかかわらず、試すような質問をした自分は、狡い男である。卑怯にもこんな自分をゆるしてほしいと思うから、あさましさを露呈してしまうのだ。
 エヴァンゼリンは憤りを感じていたかもしれないが、ミッターマイヤーにそれを見せることはなかった。彼女はすみれ色の瞳に悲しげな光をうかべて、夫のグレーの瞳を見つめた。ふたりとも、目の奥に涙をかくしていた。
「私は一度、あなたを引きとめました。そのとき、あなたは私の望みを叶えてくれました。……その日から、妻としてあなたを送り出すことが、私のつとめになったわ」
 すまないの一言をいうことができず、ミッターマイヤーは妻を抱きしめた。感謝と謝罪をこめた、親愛の抱擁だった。たよりなげで、ちいさな体だと思っていたが、その芯には彼にもうかがい知ることのできない、凛とした部分があった。
「じつは、エヴァ、おれは君を守りぬく自信がもてなくて、プロポーズする勇気が出なかったんだ。こんなおれを選んでくれてありがとう」
 大切な女性を守ることが、彼にとって最初の、戦う意義だったのだ。しかしながら、地位と名声が高まるにつれ、背負うものは昔とは比べ物にならないほど大きくなった。ミッターマイヤーはそれらを下ろすことを決意したが、これまで支えてきたものを台無しにしたいわけではない。
「結婚してからずっと、おれは君を守るつもりで戦ってきた。今度の仕事も、そのつもりだ。おれはいつでも、君のことを想っている。約束する」
 この八年間、ミッターマイヤーは模範的な夫として、離れた場所にいても妻を想いつづけてきた。これからもそうするだろうという確信が、ミッターマイヤーにはある。けれども、彼女は充分な理由があって、自分とロイエンタールを憎悪することになるだろう。
 たとえ自分と妻とが冥界の門に阻まれようと、妻が自分をどう思おうと、彼女を見守りつづけることを、ミッターマイヤーは誓った。



 オスカー・フォン・ロイエンタールは叛逆者としての死を遂げたため、公式な葬儀は執りおこなわれなかった。叛逆から二ヶ月以上が経過した現在、彼の遺体は惑星ハイネセンの国立遺体収容所に一時安置されている。あらたに発生した新領土ノイエ・ラントの騒乱の落着を待って、遺体はオーディンへと送還され、ロイエンタール家の墓地に埋葬されることになっていた。
「軍務尚書閣下からワーレン閣下あてに、事前に連絡をいただいております。そのオーベルシュタイン元帥ですが、じつはつい三日前、皇帝の全権代理人としてハイネセンに派遣されることが決まりまして」
 案内の兵士はいまにもはずみそうな足取りで、かのウォルフガング・ミッターマイヤーと話をする栄誉に頬を上気させながら、説明してくれた。ハイネセンに駐留中のワーレンは、今月発生した動乱の対処にいそがしく、ミッターマイヤーに面会する時間がとれないらしい。すでに退役して一般市民となった元同僚あてに、ワーレンは律儀な謝罪を言付けていた。
 新帝国歴○○三年に入ってから、新領土の中心で巨大消費地でもあるハイネセンでは、生活物資が不足気味だったのだという。事態の不自然さに気がついたワーレンは、軍需物資を民間に放出しつつ、並行して調査をおこなった。結果、物資流通システムにたいするサイバー攻撃が物資不足の原因と判明したのだが、二月に入ると併せて惑星ハイネセン各地で暴動が発生し、混乱は燃えさかる火のごとく新領土全域に拡大した。一月の結婚式直後の皇帝不予とあいまって、はなはだ不穏であったが、これに連動してさらにイゼルローン軍まで蠢動しはじめた。おそらく、「イゼルローンはロイエンタール叛逆事件という、反帝国武力蜂起の好機に際して、皇帝ラインハルトに迎合し、拱手して事をおこさず。イゼルローン共和政府はイゼルローンのみの安泰と存続を目的としている。民主主義の総本山たる資格なし」との噂に呼応したと見られている。
 このようなきなくさい情勢下にある新領土をミッターマイヤーが訪ねたことが知れれば、先年のロイエンタール叛逆事件と直後のミッターマイヤー元帥引退騒動に、再点火の危険があった。しかし、軍需物資倉庫の爆破といった目立った暴動は、軍務尚書オーベルシュタインがハイネセン参りの許可を出し、ミッターマイヤーがフェザーンを発ってから起こったのだった。
 ハイネセンの宇宙港から地上車ランド・カーでむかった遺体収容所には、事前にワーレンから話が通っていた。本来、部外者であるミッターマイヤーがひとりで入れる場所ではないのだが、特別に融通をきかせてもらった。手放したはずの権力を濫用している自覚はあるものの、こればかりは譲れなかった。
「受付に確認がとれました。小官は外でお待ちしております」
 ミッターマイヤーは首をふり、帰りの車を丁重にことわった。
「いや、ここまでで充分だ。ご厚意に感謝すると、ワーレンに伝えてくれ」
 人を待たせていると思うと落ちつかない上、行きたい場所もある。何よりこのあと、自分を取りつくろう自信がなかった。案内役の兵士もそれを察してか、表情を引きしめて敬礼すると、ミッターマイヤーを残して去っていった。
 そして今、特殊ガラスの棺を前に、ミッターマイヤーはうつむいていた。
 どれほどこうして立っているのか、わからない。脚の感覚が消滅し、周囲の暗闇に圧迫され、灰色の地面がまわる。服の下が重い汗に濡れ、額から足元に一滴したたった。寒冷な空気が、急速に体温をうばってゆく。
 ついに、一歩進みでた。顔を上げれば、カプセルの中が見える距離である。
 いま対面しなければ、永遠にその機会を失ってしまうことを、彼はわかっていた。最期に名を呼ばれたからには、逢いにゆかねばならないとも。
 ミッターマイヤーは全身から勇気をかきあつめ、ひとつ深呼吸をすると、その棺に向きなおった。
 保存カプセルの中には、ひとりの人間が横たわっていた。ミッターマイヤーがいささか拍子抜けしたのは、その顔が顔布スダリウムで覆われていたからである。
 視線をすべらせると、グレーの瞳が違和感をとらえた。遺体の着ている軍服は新品のようで、それが彼に払われた敬意であることは一目瞭然だったのだが、右腕の先と右脇腹の布が、不自然に凹んでいたのだ。ミッターマイヤーの犀利な思考は、その見えない空洞こそが、眼下の男の生命をうばった致命傷であることを、瞬時にはじき出した。
 一度油断して防備のゆるんだ心臓を氷の刃先でえぐられ、ミッターマイヤーはとっさに目をそむけた。
 無理だ。顔を見れば、きっと、胸がつぶれて死んでしまう。
 出会ったときから彼を慕っていた。この男が死んで、自分だけが生きながらえるイメージが持てないほど、深く愛していた。
 その死を頭で理解していても、心のどこかでは、ただ会えないだけで、彼がまだ生きているような気がしている。この広大な宇宙の何処かにいて、あるときふいに、自分の前に姿を見せてくれるような期待をしている。「ミッターマイヤー」「疾風ウォルフウォルフ・デア・シュトルム」と呼ぶあの美しい声が聞こえてこないか、耳が無意識のうちに、彼を探している。
 叛逆を伝えきくばかりで、実際に戦ったり死に立ち会ったりはしていないために、それらの錯覚は深刻であった。顔を見てしまったら、かろうじて日常を維持している幻想がくずれて、自分は友の死に引きずりこまれてしまうだろう。
 結局、顔布をめくる勇気はなく、ミッターマイヤーは逃げるように遺体収容所をあとにした。



 ハイネセンポリスをせわしなく行きかう人々のなかで、ミッターマイヤーは独り、自分だけが取り残されているように思った。雪は自分の上にだけ、ひときわ多く降りしきる。凍てついた心臓が痛み、息がうまく吸えない。
 それでもミッターマイヤーは目をほそめ、向かい風に逆らって歩いた。その足取りに、日頃の俊敏さはない。地面の雪が足音ともに、彼の活力まで吸収してしまったかのようだ。ぞっとするほど蒼白なおもてが、雪と風とに撫でられて、いっそう白く透きとおった。
「いらっしゃいま、せ……
 重いベルの音に振りむいた花屋の女主人は、あまりの驚愕にたっぷり五秒ほど口を開けていた。ハイネセンの一角にかまえた、個人経営のこぢんまりとした花屋に、突如として、引退したと噂の銀河帝国軍元帥が降臨したのだから、無理もない反応である。
 こうして平服を着ていればそこらの一般市民と大差なく見えるが、それでもやはり、ウォルフガング・ミッターマイヤーの顔と名前は有名すぎた。しかも彼は二年前、当時は存在した旧自由惑星同盟政府にたいして、自分の名前で降伏勧告をおこなったのだ。勧告に応じなければ首都に無差別攻撃をくわえると脅し、「余興」と称して、旧同盟軍統合作戦本部ビルを極低周波ミサイルで地上から吹きとばした張本人が、当時帝国軍上級大将だったこの男なのである。
 ミッターマイヤーはしばらくあたりを見回して、この黄水仙がほしいのだが、と指さした。花屋の主人の硬直が解けると、そこには鼻と耳の先端を赤くした、蜂蜜色の髪の青年が立っているばかりだった。こうして彼はこの日、人生ではじめて花屋の扉を押して、みずから花を買いもとめたのである。
 ——もう一度愛してほしい、私のもとに帰って、か。
 店を出て、歩みにあわせてひそやかに揺れる花を見つめていると、友から教えられた花言葉がよみがえる。豪華な花束を抱えて帰ったあの夜、ミッターマイヤーは黄水仙の花言葉の由来をしらべた。ある少女を連れ去って妻にしてしまった冥界の王と、その少女を取り戻そうとした母親の思いを表しているらしい。古代神話の恋愛物語に自分を重ねあわせるなど、どうかしているとはわかっていたが、止められなかった。
 そして今度は、自分がこの花を贈る番になってしまった。いや、本当のところは、花を贈ることさえ自分にはできない。
 花をくれたロイエンタールはもう、この世のどこにもいないのだ。

 戦没者慰霊塔までは、そう遠くなかった。白い大理石の建築物は、晴天の日にきよらかな光を放つよう設計されていたのだが、今日の塔は陰鬱なにび色をおびており、その天辺が曇天に溶けこんでいる。新領土ノイエ・ラントの叛乱終結から二ヶ月あまりが経っているが、人の足はとだえる気配がなく、献花台には多くの花束が供えられていた。モノクロームな空間で、そこだけが異様なほど華やかな色彩にあふれている。
 献花台の前に進みでたミッターマイヤーの瞳は、ひときわ目立つ黄色いバラの花束に、自然と吸いよせられていた。みずみずしいそれは寒風に凍りつかんばかりだったが、しなびてはおらず、絢爛たる美と生命力をうちにみなぎらせている。
 バラの隣に買ってきた黄水仙を手向けたミッターマイヤーは、ふたたびひとりになれる場所をもとめて、近くの自然公園まで足をのばした。人気がなくなってもなお、白く染まった景色のなかを歩きつづけ、奥まった場所にベンチを見つけた。
 雪をはらって座ると、口から漏れでた吐息が白く凝結し、たちまち宙にほどけた。霏霏として天から舞い降る銀の花の連なりは、カーテンのごとく外界を背後に隠し、黒い木立は亡霊のように周囲を取りかこんで、都市の喧噪を遠くへと切り離す。明るいくせに色も音も失せてしまった世界へ、独り埋没していく。
 ミッターマイヤーは懐から携帯用ボトルを取りだして、中身を一口飲んだ。芳醇な液体が喉を焼きながら、胃の腑に落ちる。
「はぁ……
 思わずため息をついた。まるで、命に火を灯されたようだった。ロイエンタールが自分宛てに遺してくれたウイスキーは上等なもので、もともとは新領土総督府の執務室に置かれていたのだという。彼の遺言にのっとり、ミッターマイヤーがそれを受けとった時点で、琥珀色の液体はボトルに半分ほどしかなかった。なくなった半量は、今ミッターマイヤーがそうしているように、きっと生前の友が自分を想って飲んだのだと、彼は確信している。
 そして、彼は待っていた。
「お捜ししましたよ、ミッターマイヤー元帥閣下」
 黒い傘をさして彼の前にやってきたのは、新領土総督府高等参事官ヨブ・トリューニヒトであった。



「お隣失礼しても?」
 完璧な紳士的動作で傘をたたむと、トリューニヒトもベンチに腰を下ろした。ボトルをしまったミッターマイヤーが、好意のかけらもない厳格な口調で、訂正する。
「あいにくだが、おれは元帥ではない。退役したからな」
「現在の銀河帝国軍においては暫定措置として旧王朝の法が引き継がれ、『剥奪されないかぎり』、元帥の称号は終生現役とされております。よって閣下がなされたのは事実上の引退であって、制度上はいまだ軍に籍を置かれているとお伺いしました。ですがお望みとあらば、ヘル・ミッターマイヤーとお呼びいたしましょうか」
 すまして答えるトリューニヒトを、ミッターマイヤーは横目で睨みつけた。神経の糸をいたずらに引っ張られ、はやくも会話を切りあげたい衝動に駆られるが、こらえる。
 昨年の新領土ノイエ・ラント総督オスカー・フォン・ロイエンタールの叛乱で、彼に従った部下たちが叛逆罪に問われることはなかった。総督府高等参事官ヨブ・トリューニヒトもまた、無罪とされたひとりである。彼はロイエンタール叛逆に積極的にはたらきかけていた嫌疑をもたれていたが、トリューニヒトはあくまで、叛逆前は皇帝ラインハルトのためにその部下たる新領土総督に助力したまでのこと、叛逆発覚後はロイエンタールに脅されて協力させられていたと主張した。ハイネセンの大火における旧同盟の国家主義団体および地球教とのつながりや、軍務尚書と新領土総督の対立激化に関与した件、グエン・キム・ホア事件にはじまる一連の騒乱の首謀者であるという投書等について、生前ロイエンタールがつかんだ手がかりが残されていたものの、どれも決定的な証拠には至らなかった。
 推定無罪では身の安全に不足だと考えていたトリューニヒトは念には念を入れ、自身の潔白および忠誠と、高等参事官としての職務遂行能力を示すため、先手を打っていた。旧自由惑星同盟時代の伝手をたよって、元フェザーン自治領主ランデスヘルアドリアン・ルビンスキーから接触があったと、出兵直前のタイミングでロイエンタールに報告していたのである。かの「フェザーンの黒狐」こそ、フェザーン航路局爆破テロの首魁であるというトリューニヒトの手土産は、帝国の高官たちを驚愕させた。現在の新領土の混乱にも、ルビンスキーの関与があると考えられ、目下調査中である。トリューニヒトはさらに、ルビンスキー本人は脳腫瘍をわずらっており、もってあと一年の寿命だという情報も献上した。こうした政府への貢献を無にするわけにもいかず、トリューニヒトは帝国幹部からの疑惑と悪印象に満ちた人物であるにもかかわらず、ロイエンタール叛逆事件を無傷で切りぬけたのである。
「ヘル・ミッターマイヤーは、なぜご隠居なさったのですか?」
 警戒するミッターマイヤーにたいし、かえって無礼なほどの慇懃な態度をくずさず、トリューニヒトがたずねた。
「おれは気の長いほうではないのだ。用件があるなら世間話からではなくて、結論からにしてもらいたい」
「世間話とおっしゃいますが、おそらく、本題にご関係のあるお話かと。これは大事なところなのです」
 ミッターマイヤーは返事をしなかった。傘をしまったため、トリューニヒトの暗いブロンドにはミッターマイヤーと同様、ちらほらと雪の結晶が付着しはじめている。
「私はロイエンタール閣下とは『懇意の仲』でしたから、正直なところ、先の叛逆事件には胸をいためております。この点につきましては、ヘル・ミッターマイヤーにも、共感していただけるものと存じます」
……懇意の仲とは、どういうことだ」
 凝然と目をいからすミッターマイヤーを、トリューニヒトはしずかに見つめ返した。
「私的に、お付き合いしておりました。もっとも、私はロイエンタール閣下をお慕い申し上げておりましたが、閣下のおこころざしは、私ほどは深くなかったように思われました。まるで、心ここに在らずといったごようすで……
 この役者は、ロイエンタールがミッターマイヤーを好いていたことも、その逆にミッターマイヤーがロイエンタールを好いていたことも知っている。トリューニヒトがロイエンタールとの関係にあえて言及したのは、ついぞ報われなかったであろう恋を無惨に暴露してしまうことで、死者にたいする情をつよめるためであったが、ではトリューニヒトに、ミッターマイヤーの想いを踏みにじる加害欲求がなかったかというと、腹黒の紳士は悪意に満ちて、蜂蜜色の髪の青年を観察したのだった。
 あたかも悲恋を思いやるように、トリューニヒトは眉をさげる。グレーの瞳に憎悪を読みとった彼は、内容の重大さと対比させた、ささやくような低い声で訴えかけた。
「ヘル・ミッターマイヤー。もしあなたが私とおなじく、ロイエンタール閣下が叛逆者の汚名にまみれたまま亡くなられたことを嘆いていらっしゃるのであれば、お耳に入れたい話がございます」
 忌々しいことに、その台詞はミッターマイヤーの精神に同調して、波紋を生じさせた。彼の屈辱的な反応が、エゴイズムの怪物ヨブ・トリューニヒトの自己陶酔を呼びさます。
 能弁によって全宇宙を操縦しようとたくらむ男が、物々しく口をひらいた。それは、剣からしたたる血文字で書き記されてきた銀河の歴史を、舌の一撃で反転させる、壮大な種明かしのはじまりであった。
「私は知っているのです。ロイエンタール閣下が蹶起された、真の目的を」

 トリューニヒトのもったいぶった言い回しに反発がわきおこったミッターマイヤーは、刺々しい針でくるんだ言葉を投げつけた。
「真の目的だと。地球教団がウルヴァシー事件を引き起こし、ロイエンタールの顔に不祥事の泥をなすりつけていなければ、彼はいまでも生きて新領土ノイエ・ラント総督の地位にあったはずだ」
「地球教の過激派には、たしかに問題があります。けれども大多数の一般の信徒は、心のよすがを求めているだけの、ごく善良な人々です。一部の過激派にのみ目を奪われ、その宗教に対し固定観念をいだくべきではないと存じます」
「現在の銀河帝国において、地球教をかばいだてすることが自己の印象にどのように作用するか、ほんのわずかでも頭を働かせてみたらどうだ」
「受け入れられがたいことは承知しておりますとも。ですからこうしてあなたのもとにお伺いしたのです。ヘル・ミッターマイヤー、あなたは、盲目的に何か『ひとつの物事』を崇拝する人々とは、一線を画しておられる。公平に現実を見わたす開かれた目と、私のような者の話も聞きとどけてくださる開かれた耳をお持ちです。私がお話するのは、あなたを信頼すればこそでございます」
 暗示される本音と追従との混合物が、トリューニヒトの口から滔々と吐きだされる。自分をおだてようという魂胆が見えすいた、下品で浅薄な言葉だと、ミッターマイヤーは感じた。自分だけでなく、皇帝や帝国軍の幹部たちから、どれほど嫌われ見下されようとも、この男は舌の回転を止めない。そのどぶねずみのごときしぶとさに、ミッターマイヤーはひたすら辟易している。
 聞き手の倦怠などかまうそぶりのないトリューニヒトは、ミッターマイヤーの言葉のとげを舌で丸めこむと、長い演説にうつった。
「弾圧は宗教を尖鋭化させます。現在の地球教に必要なのは、改革なのです。……それはまた後でお話するとして、ロイエンタール閣下のお考えについては、前提から順にご説明しなければなりません。これは、私が旧自由惑星同盟のいち政治家だった頃からのお話なのです」
 ヨブ・トリューニヒトは旧自由惑星同盟に生を享け、国立中央自治大学を首席で卒業したあと、代議員から国防委員長へと順調に出世をはたし、若くして最高評議会議長に就任した、非の打ちどころのない経歴を有する政治家だった。政治思想的には強硬主戦派に属し、「自由と民主主義を守護するための聖戦」と称して、銀河帝国との戦いを煽動してきた過去を持つ。
 そのわけを、トリューニヒト自身はこう語る。
「戦争というものは、えてして、防御から発するものです。侵略者の側は、戦わずに領土や物品を手に入れるに越したことはないですからね。旧自由惑星同盟は、銀河帝国にたいして国力で劣っており、つねに侵攻の脅威にさらされていました。私は祖国のために、戦いを呼びかけていたのです」
「後方の安全地帯から、口先だけで人々に命を捨てろと命令するのは簡単なことだ」
「戦争はわれわれが生まれるはるか以前から続いていたのです。いずれにせよ死ぬ人間であれば、何もせずにむざむざ死ぬよりも、祖国を守って死ぬほうがましでしょう」
 このような、自分では実践しないことを他人に強いることこそ、ヨブ・トリューニヒトが卑劣漢であることの証明なのだが、彼は話題を転換させた。
「それに、私は政治家として、この戦争を終わらせようと努力していたのですよ。ヘル・ミッターマイヤーも、五年前のイゼルローン要塞攻略戦を覚えておいででしょう」
 トリューニヒトが指すイゼルローン要塞攻略戦とは、ラインハルトが銀河帝国を簒奪する以前の旧王朝時代に、当時少将だったヤン・ウェンリーが得意の奇術トリックをもちいて、史上初の要塞奪取、それも無血開城を成しとげたときのことである。銀河帝国を震撼させたこの出来事は、ヤンの策のなかみもふくめて、人々の記憶に鮮烈に焼きついている。もちろんミッターマイヤーも、この逸話をよく知る人間のひとりだ。だがそれが、トリューニヒトとどんな関係があるというのか。
「これはかの故ヤン・ウェンリーも考えていた計画プランのようですがね、イゼルローン要塞を手に入れれば、旧来の帝国は、叛乱勢力にたいする侵攻ルートをうしなったと考えたことでしょう。そうすれば同盟としては、当面の脅威がとりのぞかれたこととなり、和平条約をむすべる可能性もあったのですよ」
 だが既知のごとく、現実はそうはならなかった。帝国領への大規模侵攻案が、軍部から最高評議会に提出され、可決されたのである。この戦いは、最終的な決戦場となったアムリッツァ星域からその名が取られた。
 アムリッツァ会戦こそ、ミッターマイヤーをふくむローエングラム元帥府の面々の、華々しい登場をかざった最初の戦いであった。完膚なきまでの勝利の裏には、完膚なきまでの敗北がある。同盟軍は動員した三○○○万超の兵のうち、七割を失うという惨状であった。
「この出兵に、私は反対しました。無謀であることがわかりきっていたからです。第一、この出兵案が可決された過程からして、愚かきわまりないものでした。当時の最高評議会は、自分たちの政権を維持するためだけに、戦争を敢行したのです」
 トリューニヒトはこのときの最高評議会の愚行を、皇帝の戴冠周年記念を飾るためだけに無益な戦争を企画した、旧ゴールデンバウム王朝になぞらえた。これは、「ゴールデンバウム王朝全史」の編纂と並行して学芸省が公開していた、旧王朝時代の資料から得られた知識である。握手のために共通の敵をつくるという策は、感情を排した損得勘定の場のみならず、心理学上も有効なのだ。とはいえ、ミッターマイヤーはそのような小手先の仲間意識に惑わされなかったが。
「大義などない帝国領侵攻は可決されました。多くの兵が不本意ながら敵地におもむき、むざむざ殺され、その数倍の遺族の涙が流れたのです」
 当の大量虐殺の実行犯の前で、堂々とそれを指摘してみせるところに、トリューニヒトの舌のバランス感覚があっただろう。皇帝ラインハルトをはじめとする、ローエングラム王朝の幹部は、忌憚なき事実とするどい意見を歓迎する。トリューニヒトは新領土総督府におけるロイエンタールとの付きあいで、このような帝国上層部の雰囲気をおおよそ把握していた。彼はあえて、この元銀河帝国軍元帥に都合の悪い現実をつげたのだった。
 自身が人殺しである事実から目をそむけたことはないミッターマイヤーではあるが、その自覚はけっしてこころよいものではない。彼が戦うのは、祖国にいる少女や家族のため、ひいては人類の平和と統一のためであった。戦いに際してミッターマイヤーが高揚をおぼえるのは、才能の翼をのばす快感によるのであって、残虐な人殺しの快楽なるものと彼は無縁な人間である。アムリッツァ会戦でたおした敵が、我欲にとりつかれた権力者と無能な作戦本部にいやいや操られていたと聞いて、気分がいいはずもない。また彼には、焦土作戦によって帝国の人民を苦しめた後ろめたさもある。
 覇業をささえる屍の感触をミッターマイヤーの足の裏に喚起させて、トリューニヒトは話をつづけた。
「アムリッツァでの識見をみとめられ、私は最高評議会議長として、自由惑星同盟の命運をまかされました。ですが、私は困りました。アムリッツァでの敗北は、自由惑星同盟にとって致命傷でした。軍はおろか、社会機構を維持することも難しい状況だったのです。もしあなたが私の立場だとしたら、どうなさいましたか、ヘル・ミッターマイヤー」
……だから国を売ったというのか」
「私が、皇帝カイザーに、勝利をゆずってさしあげたのです」
 それはこの男のなかに存在する、ラインハルトにたいする嫉妬心ルサンチマンの発露だったが、トリューニヒトは言葉の匕首あいくちを即座におさめた。
「全銀河に統一と平和をもたらすにふさわしい方だと思えばこそ、私はラインハルト陛下にご協力したてまつったのです」
 こうしてミッターマイヤーの眼前に広げられたのは、陰謀の蜘蛛の巣フェザーン製の操り糸とトリューニヒトの舌を使って、銀河の虚実入りまじる出来事をつぎはぎした、禍々しくも壮大な織物タペストリーであった。
 ラインハルトとの協定のはじまりは、アムリッツァ星域会戦直後、自分が自由惑星同盟最高評議会議長に就任してからだと、トリューニヒトは語る。ミッターマイヤーたちが帝国領内で貴族連合軍との内戦に明けくれているころ、自由惑星同盟は——というより、ヤン・ウェンリーは——救国軍事会議のクーデターにかかりきりで、銀河帝国史上最大の間隙を利用することができなかった。こうもラインハルトに都合よく同盟内クーデターが発生したのは、偶然などではなく、ラインハルトがそうなるよう仕向けたからである。貴族連合軍と事をかまえる前に、自由惑星同盟との捕虜交換をもちかけ、その中にスパイをまぎれこませたことは、当時のラインハルト元帥府のメンバーであればよく知るところである。
「ですがね、いくら『常勝の天才』のほまれ高い御方が編みだしたすばらしい戦略も、私が捕虜交換に応じなければ台無しです。帝国のあなたがたはご存知なかったでしょうが、ヤン・ウェンリーは捕虜交換の時点で、ラインハルト陛下のねらいに気づいていたのですよ。陛下のご依頼で、ヤン・ウェンリーの妨害を防ぎとめ、捕虜交換に応じることを決定したのは私です」
 ヤンがラインハルトの計画を完全に看破していたとして、しかしながら政府の決定には逆らえない制度を民主制と呼ぶのであり、こうして制度は自殺するのだった。ヤン・ウェンリーという偉大な敵に率直な敬意をはらっているミッターマイヤーは、自分でひらめいたこの皮肉に、目をほそめた。トリューニヒトの話の真偽はあやしいが、主君と匹敵する機略を持っていたであろうヤン・ウェンリーのことである。最高の頭脳の知的活動が収斂して、同一の結論にたどりつくことは、往々にしてあることだ。もしそうだとすれば、いまは天上ヴァルハラにいるであろうヤンも、さぞかし無念だったであろう。
 さらにこの詭弁家によると、救国軍事会議のクーデターおよびリップシュタット戦役の後、帝国歴四八八年に起こった第八次イゼルローン要塞攻防戦に際しても、ラインハルトからの協力要請があったという。これは、帝国軍が貴族連合軍の旧本拠地ガイエスブルク要塞に一ダースの跳躍ワープエンジンを取りつけて、突如イゼルローン回廊内に出現させ、同盟軍と要塞砲を撃ちあったことから、俗に「要塞対要塞」と呼ばれる戦いである。
「ヘル・ミッターマイヤーのことです、この戦い、不自然なものをお感じになりませんでしたか」
……
「ヤン・ウェンリーがイゼルローン要塞に不在だった——国防の観点から、およそ考えられぬ事態でしょう。ですが、自由惑星同盟にとってこの非常にばかげた事態は、現実に起こりました。帝国軍のイゼルローン侵攻に呼応するように、私がヤン・ウェンリーを最前線から召喚したからです。残念ながらこちらは上手く行きませんでしたがね。けれどもこの失敗から、『神々の黄昏ラグラロック』作戦における奇襲、すなわちフェザーン自治領を『道路』とするアイデアが生まれたのです」
 流暢に説明したトリューニヒトが、息継ぎした。
「エルウィン・ヨーゼフ二世の亡命を受けいれたのも、あなたがたの降伏勧告に即座に応じたのも、すべて、皇帝陛下の覇業の成就のためにほかなりません。私はあえて悪者となってまで、祖国を瀕死の状態から救おうとしたのです」
 エルウィン・ヨーゼフ二世の亡命について、ラインハルトと自分との間に、フェザーンを介した密約を結んだと、トリューニヒトは述べた。これは、非常に都合よく解釈されてはいるものの、たしかに真実のいち側面を言い当てている。かつてラインハルトはニコラス・ボルテック弁務官と取引し、じゃまな幼帝を故意に誘拐させた。一方トリューニヒトの側でも、帝国軍の侵攻を招くと知っていて、そのために幼帝の亡命を受けいれた。
 ただし、トリューニヒトが結託していたのは、自治領主の使い走りにすぎないボルテックなどではなく、自治領主アドリアン・ルビンスキーその人である。またラインハルト自身は、自分がヨブ・トリューニヒトと手を組んだなどという認識をもっていない。だが、この件に関してフェザーンの工作を承諾し、部下や人民を騙したラインハルトに弁明の余地はなく、トリューニヒトの口に戸を立てられるはずもなかった。
 新銀河帝国の歩みの軌跡の中心に自己を置いて、トリューニヒトはたった一人の聴衆の前でその弁舌をふるった。こうして、ミッターマイヤーのなかで、まばらだった事実のピースがつながってゆき、邪悪な絵画の全体図が姿をあらわしはじめた。それらのピースのいくつかは、彼の親友が疑問として遺していったものである。エルウィン・ヨーゼフの誘拐事件のあと、ロイエンタールはミッターマイヤーに、彼らの主君がわざと誘拐を手引したのではないかとほのめかしたが、それはどうやら事実かもしれないのだ。
 亡き親友がそなえていた視野の広さや直感に、ミッターマイヤーは寂寥まじりの感銘を禁じえない。と同時に、陶然と過去をかたる舞台俳優めいた男に、底しれぬものを感じはじめている。流れるような言葉とともに吐きだされる息は、最初のうちこそ噴火口から立ちのぼる湯気のごとき勢いだったが、今はさほど白くならない。雪がまばらに降る屋外のベンチに腰かけたまま、長時間話しているせいで、肺が冷えたのだろう。これほど舌を動かしているにもかかわらず、トリューニヒトには疲労の色が見受けられなかった。端整な顔に、変わらぬ柔和な笑みを貼りつけている。
「陛下は卿を売国奴と見なしていたように思われるがな」
「私はよい隠れみのだったでしょう」
 このように返されてしまえば、ミッターマイヤーにはどうすることもできない。彼はトリューニヒトを九割九分九厘まで疑い、おそらく誰よりも深刻な、嫌悪と憎悪をいだいている。しかし、この男は詭弁家としての本領を発揮し、巧妙に事実を織り交ぜながら歴史を歪曲していたため、聞き手の理性に奇妙な得心をあたえたのだった。
 ミッターマイヤーの直感は、今すぐこの男のうるさい口をふさいでしまえと叫んでいる。だが、ロイエンタールの死についてすこしでも知りたい、という一途な想いを質にとられては、身動きができなかった。
 トリューニヒトの舌はミッターマイヤーの記憶から、親友がたびたび口にしていた不満や不信を引きだした。ロイエンタールは忠告してくれていたではないか。ラインハルトに仕えることの危険を。「神々の黄昏ラグラロック」作戦における、自由惑星同盟政府の挙動の不自然さを。
 ロイエンタールの眼は正しかった。親友への敬愛が、ミッターマイヤーの全身を満たし、震わせる。けれども、それほどの才をもちながら、ロイエンタールはラインハルトの部下に甘んじなければならなかった。三年前、ミッターマイヤーがこう説得したからである。「分不相応な地位だ。公を見殺しにして、武勲をかすめとるなど、盗賊そのものではないか」と。ロイエンタールだけをこのように責めるのは、いささか不公平であったかもしれなかった。その悔悟は、もはや、彼にはとどかない。
 丁寧に論をはこぶも、トリューニヒトはまだ服従の仮面をとらなかった。
「バーラトの和約締結後、皇帝陛下が私のご請願を一も二もなく承諾してくださった背景には、このような事情があるのです。新領土総督府高等参事官の辞令をたまわった折は、わが祖国に身命をささげる機会をいただけたものと、感激の至りでございました」
 民衆の憎悪をあつめるおとりとして、良いように利用されただけだろうとミッターマイヤーは思ったものの、指摘しなかった。
 このとき、新領土総督府に赴任してからトリューニヒトがロイエンタールと肉体関係をもった経緯については、触れられなかった。それはこの陰謀家にとって不利にはたらく事実であったが、同時に、当事者が明かさぬかぎり洩れることのない、私的で安全な秘密でもあった。そのため、トリューニヒトはロイエンタールとの関係について、いくらでも誇張や粉飾をくわえることができる。真相を知るもう一方の男は、冷たくなって特殊ガラスの棺のなかにおり、噛みつかない。
「ロイエンタール閣下は新領土の代理統治者として、すばらしい御方でした。あの方は、真にこの銀河帝国の未来を考えておいででした。ロイエンタール閣下によって私の蒙は啓かれたのですよ」
 かくしてトリューニヒトは、あくまでも叛逆者ロイエンタールから教えられたという形式で、「人間として完成に程遠い、未熟な金髪の坊や」にたいする不平不満を堂々とならびたてたのである。アムリッツァ会戦前に焦土作戦で帝国の臣民に負担を強いたのみならず、ヴェスターラントへの熱核攻撃を黙過し、二○○万人の無辜の民の虐殺に荷担したラインハルトは、はたして真に民衆の味方といえるのか。ラインハルトは全宇宙の武力統一にこだわり、自由惑星同盟との共謀を隠蔽するため、「要塞対要塞」でヤン不在を知らせず司令官を死なせ、幼帝を逃がして無実の警備責任者を処罰した。さらにはヤン征討と旧同盟併呑をもくろんで、旧同盟高等弁務官に不適な人事をおこない、失政を口実に切り捨てた。ラインハルトにとって部下とは、便利な使い捨ての道具でしかないのではないか。
 新領土総督府高等参事官は正真正銘、そのような使い捨ての部下であった。自分は旧同盟市民からの敵意をあつめるまとにされたのだとトリューニヒトは言い、それにはミッターマイヤーも全面的に同意見であった。
「ロイエンタール閣下は、私が生贄の山羊スケープゴートにされていることを教えてくださいました。これにより、私は軍務尚書オーベルシュタイン元帥閣下からのご依頼の意図をさとったのです」
「なぜそこで、オーベルシュタインの名前が出てくる」
「新領土総督府高等参事官職をたまわる以前から、私は軍務尚書閣下の協力要請に応じて、自由惑星同盟に関する情報提供をしておりました」
 ミッターマイヤーは昨年、新領土総督府に高等参事官として元同盟元首ヨブ・トリューニヒトが派遣されると聞いて、オーベルシュタインの謀略が絡んでいるのではないかと、ビューローに懸念を洩らしたことがある。新領土行幸が決定したときにも、ミュラーに同様の相談をもちかけた。ロイエンタールとオーベルシュタインの対立の激化に、ミッターマイヤーは思うところがあったのだ。ビューローとミュラーは深刻に表情をくもらせたものの、何も知らないようだったが、トリューニヒト本人がここで自供した。
「卿は軍務尚書の手先だったということか」
「軍務尚書閣下が、私の貧しい知恵もご活用したいとおっしゃったので、銀河帝国政府にたいする忠誠心から、それにお応えしたまでのことです」
 自分が提供した同盟内部の情報は、オーベルシュタインの権謀術数に悪用された。彼がそれに気がついたのは、先年の自由惑星同盟降伏時点だという。それまで、たとえばヤン・ウェンリーに敵意をいだく同盟の権力者集団についてなどについて、自分はオーベルシュタインからたびたび報告書をもとめられた。そして、彼の後継として同盟元首を務めたジョアン・レベロは、査問会にも出席していた同盟軍統合作戦本部長ロックウェル大将に、帝国軍人の使嗾をうけて暗殺された。
「私は祖国の平和的な統治のために、軍務尚書閣下にご協力しているつもりだったのです。このようなことに利用されるとは、私はいっさい存じあげませんでした」
 内心真っ赤な舌を出しながら、トリューニヒトは「心が痛みます」と、目を閉じ胸に手をあて、ポーズをつくった。壇上に立ち、何万何億の同盟市民の前でスポットライトを浴びていれば、その芝居がかった仕草もさまになるのだろうが、自然公園のベンチが舞台では、たんに鼻につくばかりである。
 トリューニヒトとオーベルシュタインのつながりが本当に存在するとして、この男がやっていることは同胞の密告だ。軍務尚書はたしかに、トリューニヒトに密告内容の使いみちを語らないだろう。だからといって子供でもあるまいに、「まさかこんなことになるとは思わなかった」という言い逃れが通用するものか。
 けわしい顔つきのミッターマイヤーであったが、かといって、オーベルシュタインのやり方を賞賛するつもりは断じてない。内国安全保障局長ラングの、工部尚書爆殺冤罪事件の真相などは、いかにも両義眼の軍務尚書らしい策動であると、彼も思う。この冤罪事件をあばいたのは憲兵総監ケスラーであるが、そもそもラングがフェザーン代理総督ニコラス・ボルテックに冤罪をかぶせ、謀殺したのは、軍務尚書の使嗾によるものだったのではないかとトリューニヒトは言うのだ。じゃまな代理総督を消して、フェザーン遷都を敢行するのが動機ではないか、だそうだ。ケスラーの調査によって、ラングが不当な逮捕を行ったことまでは、調べがついている。あのオーベルシュタインは、ラングを泳がせていたとミッターマイヤーに語った。軍務尚書が使嗾したまでは言わずとも、謀殺を看過したにちがいないと、ミッターマイヤーは確信していた。
 やはり、謀略によって国は立たぬ。現にこうして、トリューニヒトという寄生虫が、帝国中枢部までもぐりこんでしまっているではないか。自由惑星同盟国家元首の地位にある人間の協力がなければ、宇宙はこれほど迅速に、順調に、ラインハルト・フォン・ローエングラムのもとに統一されなかったのだろうか……
「軍務尚書閣下と皇帝陛下とは、民衆も、部下も、協力者も、単なる道具としかみなしていない。……そのように、ロイエンタール元帥は危機感をいだいておられたのです」
 トリューニヒトが説明するあいだに、ふたりは座ったまま、完全に冷えきっていた。
 ふいに身震いするような寒気が、ミッターマイヤーを襲う。雪のなかに孤立したこの空間の外には、旧同盟首都ハイネセンポリスと、惑星ハイネセンと、バーラト星系、帝国新領土、ローエングラム王朝銀河帝国が、広がっているはずである。けれども、自分のいる場所がその広大な銀河系のなかの一隅であるというごくあたりまえの認識が、いまはどこか希薄だった。ミッターマイヤーは、外界が不安の濃霧のなかに消えさってしまったような感覚をおぼえた。それは子供のころ、深夜の暗い道で後ろを振りかえる前に込みあげてきた、すさまじい根源的な恐怖にも似ていた。ミッターマイヤーは自分の背中をあずけられる人間を、なくしてしまったのだった。
 ついにトリューニヒトは、説明から説得の段階にうつる。
「大逆は、けっしてゆるされざる罪です。しかしながら、ロイエンタール閣下の叛逆にいささかの正当性もなかったとは、私にはどうにも思われないのです。ヘル・ミッターマイヤー、あなたもまた、現体制にしたがいつづけることに限界を感じたからこそ、ご隠居されたのではございませんか」
 これらの発言は大逆罪に抵触しているといって、ほぼ差し支えないものであっただろう。だが、ミッターマイヤーは黙りこくった。その反応に手応えを感じたトリューニヒトは、熱烈な語調でたたみかける。
「ロイエンタール閣下は総督職と元帥号を剥奪されたまま、ローエングラム王朝最初の叛逆者として、未来永劫、その名を記憶されるのですよ。なにしろ大逆の罪人、それまでの功労は歴史書から抹消されてしまうかもしれません。そのような酷いことが許されていいはずがないと、そうお思いになりませんか、ヘル・ミッターマイヤー」
 腿の上におかれたミッターマイヤーの拳が震えている。トリューニヒトの汚らわしい舌からつむがれるそれらの想いは、しかしながらミッターマイヤーの本心であった。彼は、当の本人よりもロイエンタールの才幹を信じ、期待をかけていた。つねに冷静沈着なあの男の的確な判断力に、ミッターマイヤーは幾度も命を救われてきたのだ。
 ミッターマイヤーは、自分などよりもよほど高く、親友を評価していた。ロイエンタールがラインハルトと自分のために、どれだけ多くのことを呑みこんで、本来の野心を抑制し、ローエングラム王朝のために仕えたか。その努力を隣で見つづけてきたミッターマイヤーにとって、ロイエンタールの献身がみとめられず水泡に帰すばかりか、叛逆者として蔑まれるかもしれない未来は、想像するだにおぞましいことだった。
「ですが、たった一つだけ、ロイエンタール閣下の汚名を返上する方法がございます。そして、それを実行できるのはあなただけなのです」
 天啓を気取った声に、思わずミッターマイヤーは顔を上げた。グレーの瞳が銀色にひかり、隣に座る男の姿を映す。
 このときトリューニヒトは、救世主めいた後光をおびていたかもしれない。いよいよ、起死回生の本題を切りだすときが到来したのである。ラインハルト・フォン・ローエングラムの英雄伝説を、ヨブ・トリューニヒトの創造した神話で上書きするのだ。この怪狼フェンリルを利用して。
「あなたが、憂国の士たる故ロイエンタール元帥を銀河帝国皇帝に戴いて、蹶起すればよいのですよ。ヘル・ミッターマイヤー」



「何、だと……?」
 トリューニヒトの提案は、ミッターマイヤーの脳天を直撃する雷そのものだった。全身が麻痺し、硬直したミッターマイヤーは、かすれた声で訊きかえすのがやっとだった。
「現在の銀河帝国は、負の連鎖におちいっているのです。屋根の下で憩う人民を追いだせば、彼らは報復として、柱を蹴りつけます。そのささいな傷に難癖をつけ、修復の手間や費用を惜しんで切りたおせば、柱は足りなくなります。すると屋根は小さくなり、またこぼれ落ちる人間が出るでしょう」
 現王朝は全銀河を支配すると謳ってはいるものの、その実態としては、内部の反発に見てみぬふりをしているだけで、はち切れる寸前である。旧ゴールデンバウム王朝時代の貴族は透明化され、新領土の民衆は服従を強いられ、フェザーンの商人は自由を奪われ、地球教徒は差別弾圧され、イゼルローン革命軍は宇宙の一角で抵抗をつづけている。ラインハルトとオーベルシュタインは、理想の性急な実現のために、これらの不倶戴天の怨敵をつくるばかりか、部下までも使い捨ててきた。
「宇宙の統一という、最大にして至高の大義を正すためには、もはや放伐しかございません」
 それがロイエンタールの遺志を継ぎ、名誉を回復する唯一の手段であると、トリューニヒトは主張する。
「現在発生している新領土ノイエ・ラントの騒擾で、軍務尚書閣下がどう対処なさるおつもりか、私はお伺いしております。軍務尚書閣下は直属の陸戦部隊をともなって、この機にハイネセンの『危険分子』を一掃するおつもりなのです」
 旧自由惑星同盟で要職にあった人々に、政治犯や思想犯の烙印を押して、一斉に検挙する。いずれきたるこのときのために、軍務尚書は旧王朝の暗部そのものたる社会秩序維持局を、内国安全保障局と名だけあらためて残したのだ。この弾圧に、「そうとは知らず」荷担してしまうことになるトリューニヒトは、何とかして食いとめたいのだとミッターマイヤーに救いをもとめた。もし自分を疑うなら、オーベルシュタインが新領土にやってくるまで待って、成り行きを観察してみればいいとまで、トリューニヒトは豪語した。
「そうなれば、あなただけでなくここ新領土の共和主義者たちも、反感を禁じえないでしょうな。我々の使命は、現王朝の卑劣なる謀略を公表し、だまされていたと人々に知らせることではありませんか、ヘル・ミッターマイヤー。怒れる人々の要請を、見過ごせないでしょう? それに、危険にさらされているのは、あなたのご友人や、あなたご自身でもあるのです」
 帝国軍元帥だったロイエンタールさえ、皇帝に討たれたのだ。帝国高官のなかにも「明日はわが身」という危惧をいだく者がいてもおかしくない。あるいは、ラインハルトとオーベルシュタインの裏の策動をすでに察知していながら、潜在意識の泉のなかに水没させている者もいるだろう。野にくだったミッターマイヤーとて、それで粛清対象から除外されたとは言い切れない——トリューニヒトは、ゴールデンバウム王朝銀河帝国成立以前のラグラン・グループの故事を引きあいに出しつつ、まさに現在進行形で叛乱を起こさんとしている状況を俯瞰して、ひそかに愉しんだ。
「ロイエンタール閣下は、あなたの謀殺を懸念して、あくまで『帝位請求戦争』の形をとられたのです」
 こうしてトリューニヒトは、ロイエンタールが戦争に勝っていた場合のプラン——すなわち、トリューニヒトが構想する立憲君主制銀河帝国を披露した。これは、専制君主制の迅速さと、民主共和制の自由な意思決定の、双方の利点の一挙両得であるという。
「専制君主制と民主共和制、帝国臣民と旧門閥貴族と旧同盟人と旧フェザーン人、世俗と宗教……こうした異質なもの同士が共存していくためには、それらすべてを結びつける連結点としての『国体』が必要です。すなわち、政治的・軍事的・宗教的権威をおびた銀河帝国皇帝という、神聖不可侵の至高者が」
 ここでの宗教的権威の背景となるのが、地球教である。とはいえ、この場合の地球教は、「聖地地球を宇宙の中心に据え、西洋AD地球統一政府GGを復活させて、過去の栄光を取りもどす」などという過激な原理主義から脱却しなければならない。トリューニヒトが思いえがく理想図は、立場も信条もことなる人々のただ一つの共通点として、人類発祥の星たる地球をアイデンティティとするものであった。「人類はみな、地球から生まれし兄弟である」というのが再出発のためのスローガンであり、皇帝は文明の母体たる地球の守護者として、愛国心パトリオティズムの源泉を所有する。
 トリューニヒトの口から湧きでる幻想の靄は、空中で凝固し、千年王国の蜃気楼ファタ・モルガーナを浮かびあがらせた。ミッターマイヤーは、トリューニヒトと対照的に重くなってゆく口をこじあけ、迷妄をいましめる。
……その理想のために、死者を皇帝にまつりあげるか」
「初代皇帝オスカー・フォン・ロイエンタール……はけっこうでしょうが、現実に至尊の冠をいただくのは生者でなければなりますまい。二代目の皇帝にふさわしい御方を、私はひとり、存じ上げております」
「一年前、ロイエンタールの失墜を目論んだ、あの女の子供か」
「旧王朝と新王朝の懸け橋にふさわしい御方でしょう」
「生後一年にも満たぬ赤ん坊だぞ」
「純粋無垢な幼童皇帝であればこそ、神聖不可侵な国体そのものの象徴として、忠誠の対象たりえるのですよ」
 端的かつ鋭利なミッターマイヤーの連撃を、トリューニヒトはあっさりと打ち返した。
 エルフリーデが子供を出産したのは五月二日であるから、その子は生後七ヶ月である。くだらない比較だが、ゴールデンバウム王朝最後の皇帝カザリン・ケートヘン一世は、生後八ヶ月で即位した。ある意味「勝ち」だな、とミッターマイヤーは考えたが、狂気じみた思想のトリューニヒトに、この皮肉が通用するとは思えなかった。
 ミッターマイヤーの追及はそこまでと見たトリューニヒトは、最後の一押しに出た。
「ヘル・ミッターマイヤー。最初に、私はこう申し上げました。ロイエンタール閣下が蹶起された真の目的を、私は知っているのです、と」
「なんだ。陰謀のせいでも、至尊の地位のためでも、統一と平和のためでもないというのか」
「ええ」
 トリューニヒトはうなずいた。こちらで上手く捏造した正当性だけで、ウォルフガング・ミッターマイヤーを自分の思いどおりに動かそうというのは、分の悪い勝負である。それを熟知していたトリューニヒトは、より確実なものを用意していた。彼はその策をロイエンタールに用い、今度はミッターマイヤーにも使おうとしていた。使いまわすのは、それが非常に強力で、有効だからにほかならない。
 「帝国軍の双璧」と呼ばれる彼らは、たくましく、賢く、猛々しい、この時代最高の宿将であり、自分の命をもかえりみぬ勇気を有している、付け入る隙のない男たちである。では、弱点がない場合、攻略を諦めるしかないのか——そんなことはない。弱点など、作ってしまえばいい。
 たとえ小さな手でも、惜しみなく打てば、それが誰であろうと背中を刺すことができるのだ。
「ロイエンタール元帥の蹶起の真の目的は、御後嗣よつぎを皇帝の座につけることだったのですよ。そして私は、そのご所在も存じ上げております」
 それは、ミッターマイヤーの感情を無慈悲に踏みにじる、人質であった。



 ヨブ・トリューニヒトの計画は、ラインハルトの影たる両義眼の男パウル・フォン・オーベルシュタインとほとんど共通していた。これは、二者のあいだに性格の相似があるとか、ふたりが相互に情報のやりとりをしていたために思考の通い路を共有することになったとか、そのような類のものではない。己の智略と野心に比して、身分や武力やカリスマといった、権力を直接的に掌握する手段に不足がある者は——おそらく、この銀河におけるすべての野心家のなかで、ラインハルト・フォン・ローエングラムだけが完全無欠の存在だった——畢竟、同じ境地にたどりつくというだけの話である。幼い君主という傀儡を媒介した政治に。オーベルシュタインとトリューニヒトで異なっていたのは、前者が君主を自ら教育し、理想の君主像を彫刻するという形をとっていたのに対し、後者は摂関政治をたくらんでいた点である。
 最初、トリューニヒトやその協力者たるルビンスキー、ド・ヴィリエは、ゴールデンバウム王朝から亡命した幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世を洗脳・調教してその後見人となり、ローエングラム王朝銀河帝国の混乱を待って、旧体制復古による秩序再建を計画していた。しかし、トリューニヒトは三頭政治における「ぬけがけ」をひそかに進めていた。それが、反乱分子として利用される予定しかなかった、オスカー・フォン・ロイエンタールとの接触であった。
 途中、エルウィン・ヨーゼフの逃亡により、トリューニヒトの「ぬけがけ」の策を三者で共有するというアクシデントが生じたものの、いよいよ彼のひとり勝ちが見えてきた。ロイエンタールの女と子供を保護しているルビンスキーは、寿命が近い。トリューニヒトがとりわけ何をせずとも、病魔があの「黒狐」を勝負から駆逐してくれる。地球教密告時に手を組み、生き埋めになるところを助けてやった面従腹背の無神論者ド・ヴィリエは、あらかじめ内通しておいた上で、ルビンスキーにけしかけた。万が一、ルビンスキーがド・ヴィリエの始末に失敗しても、地球教団の過激派代表として、「怪狼フェンリル」に討伐してもらえばいい。ド・ヴィリエが地球教団の過激派を煽動して数々の陰謀を実行してきたことは事実であるし、内国安全保障局長の小物なんぞよりもずっと大物だ、隻眼のロイエンタールのかたきは討ちたいだろう。とはいえ、これまでの暗躍が露見するリスクを考えると、ド・ヴィリエには願わくは、ルビンスキーと共倒れになってもらいたいところだ……
 ロイエンタールが自分の子供を皇帝にすることを望んでいた、というのは、むろんトリューニヒトの偽証である。そもそもトリューニヒトは、ロイエンタールとエルフリーデ母子を面会させず、向こうでもそれを望まなかった。叛逆後は彼らをふたたび失踪したことにし、官憲の手に渡さぬよう処理してある。彼らは貴重な人質なのだ。ロイエンタールには機能しなかったが、ミッターマイヤーには効果があるだろう。女子供を見殺しにできる彼ではあるまい。それに何と言っても、愛した男の忘れ形見なのだ。ほら見ろ、あの青ざめた顔を!
「なにを根拠に、そのような戯言をほざくのだ。ロイエンタールはあの女の妊娠を知ったとき、堕胎しろと命じたのだぞ」
「ですが、閣下がおっしゃったのです。この子のためにより高きをめざそうと」
「それもロイエンタールは嘘偽だと言った。あの女の役を、今度はおれが演ずるというわけか。パロディが作られるような脚本だったとは知らなかったな」
「御子息を一目見て、御心が変化されたようです。この子を、ミッターマイヤー元帥に託すように、と——世の父親とは、そういうものです」
 仮にも協力を依頼する相手に、そして望んだにもかかわらず父親になれなかった男にたいする言葉としては、毒が効きすぎていた。それでもミッターマイヤーが激昂ではなく沈黙をえらんだのは、ついに蜂蜜色の髪のこの男が首輪をはめられ、屈服したからではないか?
 銀河が自己一点に集まってくるかのごとき陶酔を、トリューニヒトは感じた。世界という揺籃のなかで、彼が手がけた、彼だけの王国が眠っている。それは血のつながった父親の屍を養分にして成長し、代わりにこの自分を、全宇宙の支配者に押しあげてくれるだろう。
 その会心の笑み、その能弁、その驕慢——稀代の煽動政治家ヨブ・トリューニヒトをこの絶頂まで連れてきたものが、彼と彼の未来図を、死という暴力で破壊した。
「ロイエンタール閣下は、皇帝ラインハルトに膝をついたことを、嘆いておられました。自分には見る目がなかった、とね」
 ミッターマイヤーがケープの下からレール・ガンを取り出す動作を、トリューニヒトの双眸は捉ええなかった。「疾風ウォルフウォルフ・デア・シュトルム」はその名に恥じぬ神速で銃をかまえ、トリューニヒトの心臓を撃ちぬいた。
 その銃こそ、ロイエンタールが友に遺した、もう一つの形見だった。ミッターマイヤーは、特別携帯許可とともに軍務尚書からその銃を受けとり、この瞬間まで隠し持っていたのである。
 致命傷を負った男は、何もわからなかった。なぜ、胸の中心部から、激痛が黙示録のラッパの大合唱のごとく、滅茶苦茶に鳴り響いているのか。なぜ、民間人のくせに、この男は銃を持っているのか。なぜ、絶対に安全なはずのこの自分が、わけのわからぬ危機の渦中にあるのか。これまで一度も傷つかず、己の不死性を信じていた男は、いざ自分が傷つけられたとき、何も理解することができなかった。
「きさまの話の、いずれが真でいずれが偽か、おれには判断することができぬ。だが……
 トリューニヒトは暴挙の理由をたずねるように、ミッターマイヤーの顔の上に視線を彷徨わせた。口は、花束のように鮮血を吐きだした。己を取りまく冬を思い出したように、トリューニヒトの全身が震え、痙攣し、絶望的な死の喘鳴を反復する。
「見る目がなかったというのは、嘘だ。おれは、それを正すために、きさまのいるハイネセンまでやってきたのだ。おれは……
 ミッターマイヤーは言葉に詰まった。こらえきれぬ咆哮の衝動が、咽喉のどまでせりあがる。目に、熱いものがこみあげる。
 トリューニヒトの上体がぐらつき、雪の敷きつめられた地面に倒れ伏した。彼は、人間から肉塊へと不可逆に変化する途上にあった。もはや視覚もなく、雪の冷たささえも感じることのできない男は、奇妙に思った。なぜ、このようなとき、このような場所で、赤ん坊の泣き声が聴こえるのだろう——
 その疑問を己のうちに抱えこんだまま、トリューニヒトの生命は音もなく崩壊し、無に還元された。うつ伏せになった男の身体の下から血が滲み出て、白い雪を緋色に染めてゆく。
 ミッターマイヤーの手がふるえだした。生粋の軍人として生を享けた彼は、生まれてはじめて、銃を取り落とした。役目を終えたレール・ガンが地面に転がって、雪と泥にまみれる。
「ロイエンタール……!」
 心臓を捻って絞りだしたような悲鳴と涙が、ミッターマイヤーのなかからあふれた。かまえていた銃を落としたときのまま、虚空にむかって伸ばしていた腕を、やっとの思いで縮め、吾が身を抱いた。座ったまま、体を折って、ミッターマイヤーは嗚咽した。熱い涙が、とめどなく流れ落ちた。



 ……遠くから聞こえていた乳児の泣き声が、しだいに近づいてきた。気丈に涙を止めて、ミッターマイヤーが顔をあげる。木立の陰で、黒いドレスに黒い外套をかさねた女が、乳児を抱いていた。
 最初ミッターマイヤーは、自分の妻があらわれたのではないかと錯覚した。華奢な立ち姿、クリーム色の髪は、エヴァンゼリンとよく似ている。が、やはりちがう。
……ロイエンタールの子か」
 ミッターマイヤーの目の前まで歩いてきたエルフリーデは、ベンチに座る男の顔と、地面に倒れる死体とを交互に見て、うなずいた。
 赤ん坊とともに姿をくらませたエルフリーデを私的に捜索していたミッターマイヤーのもとに、匿名のメッセージが届いたのは、彼が軍を離れてからである。誘拐され、赤ん坊を取り上げられ、サイオキシン麻薬で洗脳されそうになっていた自分たちを、「親切な人」が逃がしてくれた。ハイネセンで会いたい——そのような内容だった。
 エルフリーデは、自分の黄色のバラの隣に黄水仙が供えられているのを見て、悟った。隻眼のあの男が想っていたのは、蜂蜜色の髪のこの男だったのだ、と。
 女が抱いている赤ん坊の顔を、ミッターマイヤーは何気なくのぞいた。両目とも、父親の隻眼と同じ色をしていた。
 三月直前とは思えぬ寒さと雪のなかで、傍に死体が転がっていることも知らぬ乳児の、元気な泣き声だけがあたりに響いていた。初めて顔をあわせた両者は、到底友好的な気分にもなれず、きまずく対峙していた。
 やがて、ミッターマイヤーが口をひらいた。
「ワーレン上級大将のところに行って、トリューニヒトの話を、皇妃カイザーリンに伝えてほしい。おれにはもう関係のないことだが、この国の未来のためには、必要なことだろう」
 皇帝ラインハルトでもなく、軍務尚書オーベルシュタインでもなく、皇妃となったヒルデガルドにミッターマイヤーは国の行方を託し、立ち去る女の後ろ姿を眺めやった。
 それが見えなくなると、雪がはげしくなった。いよいよ日が傾いてきたのか、雲の色彩は急に黒黒として、息苦しく空に垂れこめた。遠くの木立が、薄闇に没しはじめる。ミッターマイヤーの蜂蜜色の髪はすでに重く雪に濡れ、そのまま凍りつきそうだった。
 こうしてここに腰掛けたまま、ロイエンタールがやってきて、この手をつかみ、冥界へと連れ去ってくれるのを待つか——形見のウイスキーのボトルをもてあそびつつ、銃を拾いあげるか否か、ミッターマイヤーは迷っていた。
 どのくらいそうしていただろうか。そのとき、自然公園のはるか向こうから地面を介して、爆発と思われる振動が続けざまに伝わってきた。
 ——おい、今の、地響きじゃないか?
 やさしく自分を撫でてゆく声に、ミッターマイヤーは思考を排した迅速さで立ち上がった。何年も前に、惑星カプチェランカの雪洞で聴いた声の記憶がかさなる。思わず周囲を見回すが、冷えた暗闇しかない。だが、たしかにいた。手をつかまれた。そう、ミッターマイヤーは信じた。
 冷えて硬くなった脚の筋肉を無理やりうごかして、彼は駆ける。自然公園を出て、戦没者慰霊塔の前を通りすぎ、市街地へ。中心部に近づくにつれ、爆発と火災は酷くなってゆく。あたりは昼間のように明るく、焦げくさい臭気と目にしみる煙がただよっている。逃げまどう人々の流れを押しかえすように、ミッターマイヤーはハイネセンポリスを疾走した。
 彼の知らぬところで、ひとつの破局があった。トリューニヒトが蹴落とさんとしていた地下協商の仲間たち、元フェザーン自治領主ランデスヘルアドリアン・ルビンスキーと地球教大主教ド・ヴィリエが、相撃ったのである。仲間割れを企図し、漁夫の利を得ようとしていたトリューニヒトの誤算が二つ——一つ目が、自分自身がウォルフガング・ミッターマイヤーの凶弾にたおれたこと。もう一つは、襲撃者ド・ヴィリエが、トリューニヒトの内通によりルビンスキーの不意を突けなかったにもかかわらず、「黒狐」狩りに成功したことである。
 ルビンスキーは、帝国軍のフェザーン侵攻時に潜伏したまま、ついぞ日陰から這いでることなく、暗殺された。けれども彼はただで死ぬ男ではなく、この世の生者に盛大なサプライズを遺していった。ハイネセンポリス全土を巻きこんだ、盛大な花火ショーである。脳腫瘍に冒されたルビンスキーは、病気というはずれくじを贈ってきたこの世のすべてに、意趣返しをしたかったのだ。
 ルビンスキーの脳の電気信号消滅を合図として、新領土の各公共施設の地下深くに設置した爆弾が炸裂した。そのうちもっとも爆薬の使用量が多かった二箇所が、ルビンスキーがハイネセンに設けていた地下アジトと、旧自由惑星同盟最高評議会ビルであったことは、この陰謀家たちの各々の野心と相互不信を示すものだろう。かくして、たしかにド・ヴィリエは地球教過激派を主導して、ヤン・ウェンリー、オスカー・フォン・ロイエンタールにつづき、アドリアン・ルビンスキーをも暗殺しえた。しかしながらその末路は、彼が見捨てた出身母胎同様、瓦礫のしたの生き埋めであった。
 ミッターマイヤーは崩落をくぐり抜け、火の海のなかに飛びこむように、そこにたどりついた。教本マニュアルに基づいて避難が完了し、誰もいなくなった遺体収容所の扉を、無理やりこじあける。目当ての棺を、すがりつくように引っ張り出す。降りかかる火の粉をはらい、ガラスケースの蓋を開け、顔を覆い隠すヴェールをめくる動作に、迷いや怯えはいっさいなかった。
「ロイエンタール」
 隻眼の男がそうしたように、ミッターマイヤーもまた、死を前にして最愛の男の名を呼んだ。
 ここにきて、ふたりはようやく、口づけることをゆるされた。それは、ふたりを残酷に隔ててしまった死を、今この瞬間からは、ともに所有することを意味していた。
 ミッターマイヤーがロイエンタールの冷たい唇に口づけた。同時に、爆発の怒涛がふたりを呑みこみ、彼らを抱擁する世界が崩壊した。



 ……混乱におちいったハイネセンポリスの一隅で、ひとりの女が乳児を抱いて歩いていた。
 彼女は迷っていた。言われたとおり伝言をもってゆき、この国の支配者を頼るか。それとも、あんな男どものかってな決定など無視してしまって、このままどこかへ旅立つか。
 前途は長く、不明瞭だった。だが今、彼女たちは自由であり、自分の未来を自分の手で選ぶことができた。エルフリーデは己の白い手に力がみなぎるのを感じたが、唯一心配なのは、自分たちを逃がしてくれた、親切なドミニク・サン・ピエールのことだった。
 火と叫び声とが、濁流のごとく彼女たちを押しながす。人々の不安に押しつぶされることを怖がってか、赤ん坊がひどく泣く。
 エルフリーデは子供を抱きしめて、泣きやむまであやしつづけた。