ヨジ🔞
2025-12-16 16:51:00
241168文字
Public logh
 

【ロイミタ】憂国

暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた 齋藤史

12月16日に寄せて。

もしも銀河の歴史がロイミタ中心に回っていたら……という、隻眼ロイエンタール×ミッターマイヤーの原作if。帝国歴480年の双璧の出会いから、ロイエンタール叛逆後の新帝国歴3年2月まで。
カプはロイミタ中心ですが、ロイエンタールが男女問わない漁色家設定なので、ロイエンタール攻めのカップリング(ロイヨブなど)が雑多に出てきます。また、ミタエヴァ、ロイエル等、原作カプはそのままです。
登場人物の死、元ネタ(三島由紀夫『憂国』)程度の性描写・グロ描写あり。何でも許せる方向け。

第一章(帝国歴480年~484年)双璧の出会いからミッターマイヤー結婚まで
第二章(帝国歴486年~490年)外伝1巻から本伝5巻まで
第三章(新帝国歴1年~2年6月)本伝6巻から本伝8巻まで
第四章(新帝国歴2年8月~10月)新領土編
第五章(新帝国歴2年10月~12月)帝位請求戦争編
第六章(新帝国歴3年1月~2月)憂国編

番外編「義眼球譚」(ロイヨブR-18):【ロイヨブ】緒【憂国 番外編🔞】 https://privatter.me/page/683a94f14b0e4

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第一章(帝国歴480年~484年)


 オスカー・フォン・ロイエンタールとウォルフガング・ミッターマイヤーは、たがいに深く想いあっていたにもかかわらず、二人の短い生涯において、ついぞ情を交わすには至らなかった。彼らは同一の惑星系に属する星のごとく、異なる公転円をえがきながらも、定められた軌道をこえようと試みた。だが、二人の関係には、引力と同じだけの斥力が働いた。一方が近づいたかと思えば、一方は衝突をおそれるように離れた。追いつ追われつ、立場をいれかえ、やがてほぼ同時に、時を刻むのを止めた。
 ふたりは星くずに還った。いつか彼らは、もっとも近い恒星の炉で煮られ、爆発して塵となるだろう。そこから、新しい星と新しい生命、新しい宇宙の歴史が生まれるだろう。
 ねがわくは、その新しい世界で、ふたたび彼らが出会わんことを。



 ウォルフガング・ミッターマイヤーが、のちの隻眼提督ことオスカー・フォン・ロイエンタールと出会ったのは、帝国暦四八○年のイゼルローン要塞だった。ただし、当時の彼は隻眼ではなく、金銀妖瞳ヘテロクロミアのロイエンタールと呼ばれていた。
 オスカー・フォン・ロイエンタール。黒に近いダークブラウンの髪と、左目が青、右目が黒の金銀妖瞳が特徴的な、堂々たる美丈夫である。年齢はミッターマイヤーのひとつ上で、二二歳だった。
 彼は男女問わず誰とでもベッドを共にする漁色家として、その名を馳せていた。ロイエンタールが、イゼルローン要塞という最前線に飛ばされてきたのは、決闘騒ぎをおこして大尉から中尉に降格したのが原因だった。
 その事件は、ある婚約争いに端を発した。ひとりの令嬢が結婚相手を決めあぐねて、三年間も両親をやきもきさせた。挙句のはてに、彼女は三人の求婚者のうちの誰でもなく、目の前にふらりと現れた、貴公子的な美貌を持つ男を見初めてしまった。その男こそ、金銀妖瞳のロイエンタールであった。
 彼は自分自身に、けっして二股をかけないという制約を課している。だがこれは、彼の誠実さを意味するものではない。不義理をはたらかないというのは彼だけの暗黙の誓いであり、相手の事情にはおかまいなしであった。そのため、婚約中の相手と関係を持ち、トラブルになることもしばしばである。既婚者とは付き合わない主義だが、そうとは知らず関係を持ってしまったことも、一度や二度ではない。
 そしてロイエンタールは、一対一の付きあいはすれど、自分を永久に独占させるつもりはさらさらなかった。彼は他の人間に乗りかえる際、前の相手を切ることで、己の誓いをまもる。それは、この貴族令嬢も例外ではなかった。ロイエンタールは、その令嬢が現在求婚されている立場であることを知っていた。だが、花が自ら手折ってほしいと身を捧げるのであれば、それを手折って何が悪い?
 花にとっては散る覚悟でも、ロイエンタールにとってはほんの手遊びにすぎなかったのだ。手折った花の世話をし続ける義理など感ぜぬ彼は、しばらく上官の令嬢とたわむれたかと思うと、あっけなくうち捨てた。顧みもしなかった。
 こうした経緯を知って決闘をとりつけてきたのは、三人の求婚者たちだった。その全員を同日にかえり討ちにしたのもさることながら、そのうちの一人は士官学校時代にロイエンタールと懇ろだったというのだから、すさまじい。
 ロイエンタールは久々に相対した元恋人の名を忘れていた。だが、怒りに燃えるその表情には見覚えがあった。彼はそこに、涙のあとを幻視した。関係を切ったその日、男があらわにした憎しみの残像だけは、彼の脳裏に焼きついていたのである。記憶の名残を探りあてたロイエンタールが、ほんのわずかに微笑したことに、観衆のだれも気がつかなかった。
 それから彼はいっさいの容赦なく、サーベルの峰打ちで、相手のあばら骨を粉砕した。ロイエンタールの一つ目の勝利である。
 これを見物した野次馬の中には、悪意あるささやきを交わす者もいた——その元恋人の男には情が残っていて、ロイエンタールはその心理的間隙につけこんだのだ、と。しかし、こうした疑念はすぐさま晴れることとなる。彼は次の決闘でも、サーベルで勝利した。その戦いぶりから、ロイエンタールの剣の技倆が卓越したものであることは、疑いようがなかった。ちなみに、残るひとりに対しては、ブラスターの早撃ちで勝利している。
 決闘騒ぎによって降格処分が下され、イゼルローン要塞に赴任してからも、ロイエンタールの漁色家ぶりが鳴りをひそめることはなかった。いや、むしろ、派手になったと言えよう。その放蕩にはあたかも、交尾して産卵を終えれば死ぬ魚のごとき、鬼気迫るものがあった。だが彼は、自分の行為に、虫けらのそれよりも生産性がないことをわかっていた。娯楽でさえなく、ただ純粋に無意味であり、苦痛そのものであったかもしれない。それでも彼は、泥濘のごとき性に没頭したのである。
 生命を燃やして汗や精液のしたたりを濫費した翌朝、ロイエンタールは死地に赴いた。戦場において、彼は取り憑かれたように炭素クリスタル製の戦斧トマホークをふるい、数多の敵兵の熱い血を浴びた。彼はおなじ部隊の誰よりも濃密に、馥郁たる深紅の香気をまとって帰還した。まったく、人の命はなべてみな、この男の前では徒花にもひとしい。そう錯覚させるほどの、天下無双ぶりであった。
 彼がそのような精神の暗黒時代のさなかにあるとはつゆ知らず、ミッターマイヤーはロイエンタールと出会った。士官用酒場「ヒンターフェザーン」で起こった、ある殺人事件がきっかけだった。このときのロイエンタールの荒みようを考慮すると、彼が人並みの親しい関係性を築けたことは、奇跡といっていいだろう。
 ミッターマイヤーが漁色家としてのロイエンタールにまつわる噂を聞いたのは、彼と友人になってからである。元来、ミッターマイヤーはゴシップなどにあまり興味を示さないほうで、その性格から「かたぶつの平民」などと揶揄されることもしばしばだった。
 ロイエンタールと知りあってまだ日が浅いころ、ミッターマイヤーは何気なく、自身のこのあだ名を洩らした。ロイエンタールもまた、ミッターマイヤーに関する噂を知らなかったのだ。とはいえ互いに、どこかで相手の名や噂を耳にしたことくらいはあっただろう。だがふたりとも、そうしたやっかみ混じりの陰口を好かず、記憶容量をさく必要を感じなかったので、うとかったのだ。
 そのとき彼らはバーのカウンター席に並んで座り、たむろする酔っぱらいの笑い声を背後に聞いていた。給仕を呼ぶ怒鳴り声。ビール瓶が割れる音。酔っ払いがうたう下手な流行歌。囃したてる仲間の手拍子。喧騒は、かえって無秩序な白い静寂となり、ふたりを包んでいた。
 ロイエンタールが爪弾いたグラスが、すずやかに鳴った。ややの沈黙のなかで、その音はミッターマイヤーにまっすぐ聴こえた。
 ロイエンタールは「かたぶつの平民」のほうへ体をかたむけ、口をひらいた。
「身分と縁故にまもられていない平民は、規則と論理のほかに頼めるものがない。そのような状況を生みだしているのは、やつら貴族ではないか。『かたぶつの平民』など、滑稽きわまる言い種だ。不快だが、どうせあげ足取りしか能のない連中さ。卿はやつらを踏みつけて、栄達の道を舗装していけばいいだけのことだ」
 それまでミッターマイヤーは、友人などさして必要としていなかったし、他者と対等な関係を築くことを半ばあきらめていた。身分如何の問題ではない。彼の頭でくりひろげられる精神活動に共鳴する人間が、誰ひとりとして存在しなかったのだ。
 ミッターマイヤーは彼自身の道を、正々堂々と、孤独にゆかんとしていた。だが、この忌々しいあだ名を、ロイエンタールは憎らしい貴族もろとも一刀両断したのである。
 くだらぬあだ名をつけてくる輩は、たいてい貴族のどら息子どもであった。されど、ミッターマイヤーの輝かしい実績の前で、陰口ごとき何になろう。それに、平民に対するその他さまざまな差別や嫌がらせに比べれば、かわいいものだ。だから平気なのだと、ミッターマイヤーは自分に言い聞かせてきた。
 しかし、かすり傷にさえならぬ石つぶてでも、あたれば痛い。ミッターマイヤーがあまりに超然としているので、これまで誰も、本人でさえ、そのことに思い至らなかった。
 理解者を得て、ミッターマイヤーは自分が着こんでいた鎧の重さに気がついた。彼ははじめて職場でそれを脱ぎ捨て、生身になった——何ということだろう、己の足取りは、こんなにも軽く、きびきびと俊敏だったのか。きびしく不当な社会から身をまもることに必死で、まったく自分らしく振るまえていなかった。己の能力は、防御のためにあるのではない。攻撃のためにある!
 ロイエンタールとの出会いこそ、ミッターマイヤーが才能を開花させていくきっかけだった。齢二一の彼はまだ何者でもなく、自分自身にさえ、その真のすがたを見出されていなかった。若くかしこく勇敢なミッターマイヤーにとって、未来とは、いかようにでもつかめそうな可能性の暁闇だ。ロイエンタールはそこにさした光だ。彼はようやく、己の行くべき道、その先の光景を、見はるかすことが叶ったのである。
 かくして、ミッターマイヤーがひとつ年長の友人に憧れるのも、必然だった。



「あの工場、近いうち事故が起こるだろうな」
「なぜそう思う」
 鉱物採掘場のほどちかくの軍需工場から、基地で使うウラン燃料を補給する帰り、ロイエンタールが予言めいたことを口にした。
「検査担当の技師が、大規模な人事異動があったと愚痴を言っていただろう」
「ああ。近頃の急な部隊再編と関係があるのかな」
 数ヶ月前、帝国軍はこの軍需工場周囲一帯を完全に占領した。長らくここは、陸上支援をともなう空からの攻撃に悩まされてきたが、今や前線は遠ざかった。反乱軍が攻めてくる危険はほぼ消滅した。陸からの攻撃がなくなり、対空迎撃システムによる防衛で充分となった。
 これによって、警備部隊が縮小されたまではいい。だが、その部隊のほとんどは、経験の浅い貴族の子弟と入れかえられた。目ざとい貴族どもが、子弟の経歴に箔をつけるのにうってつけだと気付いたらしい。長らくこの工場を守り続け、勝手を熟知していた兵士たちは、危険地帯に飛ばされた。
 あらたに敷設された軍用列車に揺られながら、ロイエンタールはにがい顔をした。
「組織全体に秩序の混乱が生じている。実務に能力以外の基準を持ちこむなど、愚かなことだ。見知らぬ若輩者が王様気取りで現場を闊歩している。大声で他人を叱り飛ばして萎縮させれば、それで視察が務まると勘違いしている無能どもだ」
「そういえば卿は、以前もこの工場に補給に来たことがあると言っていたな。むこうの内情を把握しているのか」
「ある程度はな。それにしても、下位の責任者が上に確認もせず、作業変更をするとは。それとも、組織編成が変更されて、経験の浅い追従者に地位が転がりこんでいるのか……後者であれば、いっそう救いようがない。いずれにせよ、事故は起こる。確実にな」
 ウラン加工の工程で発生する事故の悲惨さは、想像にかたくない。だが、このときのふたりはまだ、しがない一兵士にすぎなかった。事故を予測することはできても、それを未然に防ぐ力を持たなかったのである。
 ふたりは同時に窓へ目をむけて、螺旋をえがきながら地の底へ降りてゆく採掘場を眺めやった。ここからは死角になって見えないが、後方には無骨な直方体の工場がある。爆撃の跡が寒々しい荒野を、列車はおだやかにすすむ。
 無言のうちにやりきれなさを呑みこんで、ミッターマイヤーがつぶやいた。
「そうなれば、おれたちが駆り出される可能性も少なくないな」
「ああ。その備えをしておけば、手柄と人望の一挙両得も、難しいことではない」
 数ヶ月後、ロイエンタールの予測どおり、ウラン加工中に臨界事故が発生した。迅速な対処を行ったミッターマイヤーと、事故の報告書にくわえ緊急事態処理の教本マニュアルを上げたロイエンタールは、緊急対策本部で高く評価された。以降、彼らの連携プレーは帝国軍の作戦成功率に大きく貢献し、上もふたりを組ませるようになっていく。
 ともに武勲をわかちあったふたりだが、ミッターマイヤーはもどかしかった。ロイエンタールの先見性は、いまのところ、彼らが功をたてることにのみ行使されている。けれどもその能力は、誰かの言いなりの立場ではなく、さらに上でこそ、真価を発揮するものではないか。
 ロイエンタールは視野が広い。それは、過去、現在、未来を見通すという、時間的広さがあるだけではない。事前に複数の策を用意しておくという、行動選択の幅広さも彼は備えていた。それらの選択肢を状況に応じて冷静に比較し、実行に移すのが彼のやり方である。優柔不断の陥穽にはまることがないのは、ロイエンタールが確固たる自信と矜持をもち、決断しているからだ。
 ミッターマイヤーには隣の男がまぶしく見えた。ときおりロイエンタールは何やら思案にくれていることがあり、ミッターマイヤーはそんなときの彼が何を考えているか知りたがった。ロイエンタールの思考を取りこめば彼のような人間になれるのではないかという、後からしてみればやや浅慮というほかない、それとない期待があったのだ。実はこのころすでに、ロイエンタールにたいする羨望まじりの淡い思慕の念は、ミッターマイヤーの無意識に、取り返しようもないほど深く根をおろしていた。
 けれども当のロイエンタールは、ミッターマイヤーを己の精神の迷宮から締めだした。彼は他人にあっけらかんと心を開くような男ではなかったし、また、ミッターマイヤーとは友人として長く付きあっていきたいと思っていた。だからこその距離であったが、その遠慮がミッターマイヤーは気に食わない。ロイエンタールが愛人のもとで過ごす夜、ミッターマイヤーは酒場にくりだすと、ほかの兵士たちに混じって酒を飲み、気分をまぎらわせた。そうでないと、翌日友人と顔を合わせた際に、自分の屈折した感情を悟られかねなかった。



 そんな彼らがさらに距離を詰めるきっかけとなったのは、ある兵器工場の破壊作戦である。
 とにかく過酷だった、それに尽きる。そこは昼が三○時間も続いた後、五〇時間の夜が巡ってくるハビタブル惑星で、目的の工場は広大なジャングルの中に隠されていた。
 このジャングルが厄介だった。暑く、蒸していて、長い夜は大気を冷やすわけでもなく、人間に対して暗視ゴーグルの着用を強いるばかり。そのうえ、毒をもつ生物がひしめいている。足を踏みいれただけで命の危険があるその場所を、背嚢を背負い、何日もかけて踏破しなければならなかった。乗り物を使わなかったのは、植物が密生しすぎていて役にたたないからである。唯一、モーターボートで川をすすむ手もあったが、敵に見つかってしまうので行きは無理だった。
 スコールで足止めをくらって何日も動けず、ふたりは狭いシェルターで、身を寄せあって過ごした。やることがないので、もつれた髪を互いにほぐしてやったり、ミッターマイヤーがとりとめのない昔話をロイエンタールに聞かせてやって、暇をつぶした。また、反乱軍の軍用犬をやりすごすために、虫よけの草の汁のみならず、泥までカモフラージュに使う場面もあった。ミッターマイヤーがロイエンタールの鼻の穴に泥をつっこむと、金銀妖瞳ヘテロクロミアの男は報復として、蜂蜜色の髪が生えている頭皮に、丹念に泥をすりこんでやった。その夜、陣地で味方と合流し、ひさびさのシャワーを浴びたあとも、ミッターマイヤーの頭からは乾いた砂粒が落ちてきて、彼を悩ませた。
 劣悪な環境下でともにした苦労や悪ふざけの数々もふたりを親密にしたが、大きな出来事は別に起こった。ロイエンタールが作戦中負傷し、あやうく敵地に取り残されかけたのだ。
「ロイエンタール! 立てるか!?」
「脚を撃たれた。走るどころか、歩くこともままならん。置いていけ」
「ばかなことを言うな!」
 ミッターマイヤーの怒声に鋼の意思を感じとったロイエンタールは、説得をあきらめ、友人に支えられながら辛くも工廠を離脱した。
 小型ホバークラフトで川を下っている最中、ミッターマイヤーの腰に腕を回してしがみついていたロイエンタールは、何やらつぶやいた。だがその声はエンジン音にかき消され、前で舵を取る友人の耳に入ることはなかった。
 ロイエンタールがあらためて反駁したのは、脚の治療中、命の恩人である親友が見舞いにきたときである。
「おれのような人間のためにあんな危険を冒すなど、呆れたやつだ。ばかとは卿のためにある言葉だ」
「礼のひとつも言えないのか、卿は」
「感謝しているさ。だがこれ一度きりだ。貸しを作るのは性に合わん。……おれなど、卿の命と引きかえにしてよいものではない」
「そんなわけがあるか」
 即座に否定したミッターマイヤーだが、ロイエンタールに響いた様子はない。友の強固な認識は、無傷の鉄のカーテンとして、二人のあいだに横たわっていた。
 他人をなぐさめたことも、気休めを言ったことも数あれど、ミッターマイヤーがこれほどまでに純粋な、いっさいの誇張を抜きにした否定をしたことはない。ロイエンタールは彼が知りあったどんな軍人よりも役に立つ、替えのきかない男だ。ミッターマイヤーにとっては能力など関係なく、それこそ自分の命と引きかえにしてでも、助けたい友人である。けれども、心の底から出たミッターマイヤーの台詞は、ロイエンタールにまったく届かなかった。どれほど本気やまごころが込められていようが、届かないものは届かないのである。
 ロイエンタールは己と闘っているのだ。畢竟、他人を必要としていない。そんな男に月並みの言葉をかけたところで、それが何になるというのか。
「おれは……
 ミッターマイヤーは一瞬ためらったが、一つため息をつくと、そばにあった見舞人用の折りたたみ椅子に腰かけた。病院の清潔な床をにらみつけながら口にした言葉は、発話者の意図をうらぎって、やや上擦った。
「これまでの作戦で、おれたちが抜きんでた手柄をあげてきたのは、卿の深謀遠慮と巧緻さによる。おれなど、卿の足もとにも及ばんよ」
 だから自分を卑下するようなことを言うなと、励ましをよそおった自嘲と本音の吐露に、ロイエンタールは色の異なる双眸をわずかにみはった。
「卿の判断の迅速さと的確さとに、おれはつねに驚嘆してきたが、卿はそんなことを考えていたのか」
「おれは卿のようにはできない」
「おれだって、卿のようにはできないさ」
 ロイエンタールの苦笑に、ミッターマイヤーが顔をあげる。
「判断の速さと正確さを、高いレベルで両立させることは難しい。一方を取れば、もう一方をそこなう。誰もが妥協して、不本意ながらも均衡点を模索している……ミッターマイヤー、卿以外は」
 だから卿のスピードは神業なのだ、とロイエンタールは言った。それを聞いたミッターマイヤーの瞳が、深みを帯びた。快活なグレーがいっそう輝いて、あふれんばかりになる。
 唇をひきむすんだ友人がまっすぐまなざしてくるのが、ロイエンタールには何だかいたたまれなかった。なので彼は、冗談によってこの話題を切りあげた。
「誰が卿を守護して追い風を吹いているのか、知りたいものだな。男だろうが女だろうが、かまわず口説きおとして、おれに寝返らせてやるものを」
 「疾風ウォルフウォルフ・デア・シュトルム」の異名の、これがはじまりだったかもしれない。こうして、ミッターマイヤーはロイエンタールの薫陶を受けつつも、角を矯めて牛を殺すがごとき愚を回避した。ミッターマイヤーは、尊敬する親友が認めた判断力によって、勇気を奮いたたせることを学んだ。その勇気こそ、彼が正道を歩む原動力であった。
 これ以来、ミッターマイヤーの行動は、しだいに決断と表裏一体を成すようになり、さらにスピードに磨きがかかっていくこととなる。



 ふたりが「わが友マイン・フロイント」と言うとき、それが指すのはただ互いひとりのみとなるまで、さしたる時間はかからなかった。
 はじめは友人として節度のある距離をたもっていたロイエンタールも、気がゆるんでいった。その証左に、ミッターマイヤーとふたりきりで夜遅くまで語らう際、彼は眼帯姿を見せるようになった。
「この下を見た人間は、たいていが怯むのだ。見せてくれと言ってくるやつほどな」
 ロイエンタールがはじめてその姿を披露したのは、帝都オーディンの自邸にミッターマイヤーを招いた折である。
 唇の片端をもちあげて皮肉るロイエンタールを、出しぬいてやろうと思った。ミッターマイヤーは立ちあがると、向かいあった彼の後頭部の結び目に手を伸ばし、眼帯を取りさった。直視した右の眼窩は、異様な空洞だった。
 戦場においても、また私生活においても、ミッターマイヤーは勇敢な男である。彼を疎む貴族どもでさえ、怯懦と後ろ指をさすことは不可能だった。その人並みはずれた勇気で、ミッターマイヤーはロイエンタールに挑んだのだ。
 おれはそんな輩とは違うだろうと言わんばかりの真顔で、しかつめらしく対峙する友人に、ロイエンタールは種明かしをした。
……おれが眼帯を外して見せるのは、その夜の相手にたいしてだ。悪趣味だろう」
 それはロイエンタールにまつわる有名な噂だったのだが、あいにくミッターマイヤーは取りこぼしていた。ミッターマイヤーは友人の自嘲に終止符をうつために、また、友人の秘密を覗きたいという好奇心から、知らずに手を伸ばしたのである。
 ロイエンタールは内心、友人の行動に驚きつつも、それを拒絶しなかった。ミッターマイヤーに裏がないことは、これまでの付き合いで承知していたからだ。さらに彼は、自分の皮肉を止めたいのだろうという、ミッターマイヤーの殊勝な動機も、ほぼ完全に洞察していたのだから、意地の悪い男である。
 途端にあわてて眼帯をつきかえすミッターマイヤーに、ロイエンタールは珍しく、鐘を揺らしたような朗らかな笑い声をたてた。黒い革紐を頭の後ろでむすびながら、からかいのにじむ声音で説明する。
「普段の右目は義眼なのだ。着けたままだと神経を傷めるので、たまに外している。眼帯もあまり人には見せないが」
「それをはやく言ってくれ」
 顔をしかめて黒ビールをあおるミッターマイヤーを、ロイエンタールは隻眼を細めて見つめた。彼はテーブルに肘をつき、前のめりになった。
「この右目が焼ききれる前に、白兵戦などする必要のない地位まで上りつめたい。協力してほしい、ミッターマイヤー」
「協力するのはむろん、やぶさかではないが……
 突然の申し出を、ミッターマイヤーはふたつ返事でひきうけた。いまさら言われるまでもないことで、わざわざ口にする必要があろうかと、彼には思われる。いままでもこれからも、友人にとって一番の味方でありつづけたいと、ミッターマイヤーは思っていた。彼が一番という順位にこだわったのは、士官学校の成績でも、地位でもなく、唯一これだけだった。
 先ほど、ミッターマイヤーがロイエンタールの眼帯を取った最大の理由は、ここにある。彼は、ロイエンタールの眼帯の下をゆるされた他の人間にたいして、嫉妬していた。だがミッターマイヤー自身は、その感情を認めなかった——プライドがゆるさなかった。自分ばかり必死で、ロイエンタールの特別になりたがっているようではないか。いや、事実そうなのだが——
 このときはふたりとも、ミッターマイヤーの感情の正体に、気がついていなかった。ミッターマイヤーの想いは恋慕とは知られぬまま、彼の気配りや興味関心や対抗意識のなかに、巧妙に織りこまれていた。そして真実、人生最後の瞬間まで、ミッターマイヤーはロイエンタールのことを想ったのである。
 ミッターマイヤーがわずかに引っかかったのは、ロイエンタールの言葉の前半部である。焼ききれるとはどういうことか、彼はひかえめに尋ねた。
「目の調子がよくないのか?」
「傷つけられて滅茶苦茶になった神経に、無理やり接続しているのだ。いずれ見えなくなる。五年先か、十年先か、それはわからない。もっと早いかもしれん。酷使しているからな」
 ロイエンタールのいびつな笑顔と語った内容に、ミッターマイヤーの胸は痛んだ。だが彼の心痛が、共感による想像上の痛みであるのに対し、ロイエンタールのそれは現実のものなのだ。
「痛みがあるのだろう」
 抑制した声で、ミッターマイヤーが言った。淡白な言葉に、ロイエンタールはひそかに息を呑んだ。彼は右目が失明するという未来を、はじめて他人にうちあけたのだが、他人に右目の疼痛を看破されたのもまた、はじめてであった。
……ああ。今日のような雨の日は、とくにな……
 ロイエンタールはうべなった。
 遅い時間に降る雨は鼓膜を心地よく震わせたが、自然は陰でおだやかに牙を剥いている。こういう天気のときは、神経が鋭敏になって、気分がささくれる。冷たく湿った空気が身体をとりまくと、ロイエンタールの痛みはきわだった。
 もっと過酷な環境ですごしたことはいくらでもある。しかし、生きるか死ぬかの瀬戸際で、古傷が自己の存在を声高に主張することはない。戦場では無視できるものも、日常においては慣れ親しんだ疼きとして、ロイエンタールに寄りそった。右眼から生ずるまぼろしの痛みは、彼の逃れえぬ運命の女ファム・ファタールとも言うべき存在であった。
 何はともあれ、ひとまず今晩のロイエンタールの目的は達成された。すなわち、ミッターマイヤーに手のうちを明かして連帯を明確なものにするという、ある種の手続きを、つつがなく完了させたのである。
 応接間を出るときと、客室の前で別れるとき、隻眼の男は迷っていた。ミッターマイヤーの甘ったるい蜂蜜色をした髪、派手ではないが人好きのする端整な顔立ち、引きしまって溌剌とした体躯、きらめくグレーの瞳などを、ひとつひとつ見出しては、頭の中でためつすがめつした。
 だが結局、このときのロイエンタールは何もせず、友人としてふるまうに終始した。それから数年後、彼はしばしばこの夜を思いかえしては、狂おしい後悔にかられることになる。
 ロイエンタールの右目とその過去について、ミッターマイヤーが詳しい事情を知るのは、もう少し先のことである。しかしこのとき、ミッターマイヤーはロイエンタールの心の一部分に触れた。その一度の接触で、彼は友人が秘めている問題の深さと大きさが並々ならぬことを感知した。また、それがロイエンタールの漁色と関係していることも、何となく察するにいたった。



 右目の事情を明かされるまでは、ミッターマイヤーはロイエンタールの漁色をたびたびたしなめてきた。
 金銀妖瞳ヘテロクロミアの青年は、職場の人間だろうとかまわず取って喰らうことで悪名高かった。歴代皇帝の性的頽廃を正当化した副作用で、ルドルフ大帝が禁じたはずの同性愛は、暗黙のうちにみとめられている。けれども、ああまで軍の風紀を乱す男は、そうめったにいるものではない。
 じつはミッターマイヤーも、間接的に小さくない迷惑をこうむっていた。ロイエンタールと友人となってから、幾度深い仲を疑われたことか。愛人は山ほど作っても友人など影も形もなかったロイエンタールと、「かたぶつの平民」ことミッターマイヤーが、公私ともに付きあいがあるとなれば、いやでも人目を引く。ミッターマイヤーが結婚し、「愛妻家」の称号を獲得するまで、追及はしつこくつきまとった。
 ほかでは類を見ぬ親しさにくわえて、ふたりが噂にたいして明言を避けたことが、疑惑を深めたのかもしれない。だが、彼らが曖昧に回答をはぐらかしたことには、いくつか理由があった。関係があることを示すのは容易でも、その逆は難しいという証明の困難さや、言ったもの勝ちとばかりにでたらめを吹聴し、弁明する労力を強いてくる輩への反抗がそれである。また、寝たかどうかのみに他人の関心を集中させておくことで、さらに立ち入った下世話な話に発展するのを予防する効果もあった。人の噂は、放っておくしかない。いじくりまわせば逆効果になることを、ふたりとも心得ていたのだ。
 こうした噂のほかにも、ミッターマイヤーの周りでロイエンタール絡みのトラブルは頻発した。ロイエンタールに好意を抱く人間が彼に近づいてきたり、愛人や元愛人から敵視されたりと、火種には事欠かなかった。
 むろん、たんなる友人にすぎないミッターマイヤーには、毫も非がない。そもそも彼は、ロイエンタールの交際事情に口をはさむ理由も権利も有していないのだ。もしもミッターマイヤーが、やれ彼彼女をもっと大切にしろだの、やれ連絡はこまめにしろだの言いはじめ、それにロイエンタールが従うようであれば、それこそミッターマイヤーの超越した権威をみとめることにほかならないではないか!
 ミッターマイヤーは自分に突っかかってくる相手を、完膚なきまでに言い負かすなり、返り討ちにするなりしたあと、ロイエンタールに事後報告をし、淫蕩な生活をやめたらどうだと苦情を言った。
「お前の交際相手の相談窓口務めを辞することができればな。ひっきりなしに相手を変えているが、誰かひとりに決めたらどうだ」
「おれのは伴侶選びなどではなく、道楽だからな」
 鼻で笑うロイエンタールに、ミッターマイヤーが食いさがる。酔いが入っているせいか、彼の負けず嫌いな気質が、そのまま言葉と化した。
「道楽にせよ、相手によっては長く添いとげたいという心境になることも、ありえない話ではないだろう。いままで、すこしでも結婚したいと思った相手はいないのか」
「夜しか逢わぬのに、結婚も何もあるか。だがそうだな、つながれる牢獄の住み心地は、誰だって気になる。お前も結婚前に体の相性をたしかめておきたいと思うか、ミッターマイヤー」
 このようにロイエンタールが煽るので、ふたりがこの話題になると、たいてい喧嘩になる。漁色家のロイエンタールは、わざとくだらない言い争いに話をもってゆき、自身の事情をうやむやにするのだった。
 とはいえ、度重なる忠告をまったく聞き入れるようすのないロイエンタールも、自分の交際事情で友人が被害をこうむっている状況については、後ろめたさを感じているらしい。一見しただけでは、ロイエンタールには何の呵責もないように見える。友人にたいする謝罪はなく、それどころか、その小言(ミッターマイヤーからすれば小言と称されるのは心外だろう)にはかならず食ってかかり、ときに殴りあいにまで発展させる。しかし、ミッターマイヤーの苦情を聞いた日の勘定は、かならずロイエンタールもちであった。友人の天邪鬼な言動をわかっているミッターマイヤーは、普段より腹を空かせて、ロイエンタールにクレームをつけにゆく。そうして、彼の金銀妖瞳の前でことさらに飲んだり食べたりするのだった。
 ところが、ロイエンタールの右目に隠された事情を知って以来、ミッターマイヤーの文句には、威勢のおとろえが見られた。友人の事情を知らぬがゆえに、無神経なことを口にするのではないかと危惧したのだ。これまでの持論の応酬からして、彼がミッターマイヤーの発言で傷つけられるとは考えにくかったが、それでも知ってしまえば気にしてしまうものだろう。
 ミッターマイヤーは、他人に弱みを見せぬ隻眼の男に、その心の扉をわずかに開かせただけでは飽きたらなかった。さらに奥深いところへ招かれたいという好奇心——と、ミッターマイヤーは思っている——は日増しに強まった。
 だがはたして、ロイエンタールがさらなる友誼をしめしてくれたとして、自分に何ができるだろう。それがミッターマイヤーの懸念点だった。彼は幸福であり、共有するにふさわしい秘密をもっていなかった。



 時はながれて、帝国暦四八四年。ミッターマイヤーとロイエンタールは、惑星カプチェランカにて、絶体絶命の危機におちいっていた。
「おい、まだ生きているか?」
「何とかな」
 ミッターマイヤーが戦斧トマホークでたたき切った敵は、吸いよせられるように地面に倒れた。この高重力環境では、まるで磁石が引かれあうような速度で、物体が落下するのだ。
 惑星カプチェランカは高重力・極寒の死の星である。そんな辺鄙な場所に、宇宙を二分する両陣営が科学技術の粋を集めて基地を建設し、殺しあっている原因は、地下に眠る鉱物資源にある。悪意ある見方をすれば、たかが石ころごときのために、大量の人間がここで命をおとし、永久に氷漬けとなったのだ。
 ふいに手元に目をやったミッターマイヤーが、舌打ちした。
「まずい、いまので柄が折れた」
「そうか。じつおれも、ブラスターのエネルギーが切れたところだ」
……ここまでか。投降するか?」
「いや、ゆるしてくれんだろう。卿は何人殺した?」
 ミッターマイヤーが肩をすくめると、ロイエンタールは「だろうな」とうなずいた。
 幸い、近くにいた敵は狩りつくしている。雪洞を掘って身を隠していれば、救援が来るまで持ちこたえられるかもしれない。絶望的な状況だったが、ふたりは手で雪を掻いた。うち捨てられた死体や武器などの痕跡は、この猛吹雪が埋めてくれるだろう。敵に発見される危険はほとんどなかった。
 それから三時間が経過し、ミッターマイヤーは死神が己の首に手をかける感触をはっきりと感じていた。装甲服の着用限界である二時間を、とうに過ぎている。もはや、長くはもつまい。
 彼はオーディンの実家にいる、クリーム色の髪とすみれ色の瞳の少女に、思いをはせた。自分が戦死したと聞いたら、彼女は悲しんでくれるだろうか。
 ミッターマイヤーのまぶたの裏に、在りし日の少女の姿が、浮かんでは消える。二度と会えぬのであれば、せめて心では彼女のことを考えていよう。彼は霊魂なるものの存在を信じなかったが、もし自分のようなほぼ無名に等しい一兵士でも、英雄として天上ヴァルハラにまねかれることがあれば、そこから彼女を見守ろう。そう思った。
 目をひらけば、そこは厳しい現実である。自分の心は六○○○光年彼方のオーディンにあれど、肉体はここカプチェランカにあった。口をきく体力も惜しく、隣のロイエンタールも、もう長いこと言葉を発していない。だが、自分が生きているのだから、おそらく生きている。自分が力尽きるとき、この男も力尽きるだろう。どちらかだけが生きのびる想像は、できなかった。
 この男とともに死ねるのであれば、それでいい。それがいい、と、ミッターマイヤーは思った。
 その想いが通じたかのごとく、ロイエンタールが彼の左手をつかんだ。
……ロイエンタール」
「おい、今の、地響きじゃないか?」
 つぎの瞬間、どこにそんな体力が残っていたのか、二人は雪洞を飛びだした。やってきたのが敵か味方かわからなかったが、そんなことは関係ない。これ以上座していても、待ちうけているのは死だけなのだから。
 いちかばちかの賭けに、彼らは勝利した。数百メートル先に見えていたのは、着陸した帝国軍の船だった。
 ふたりはイゼルローンで互いの生還を祝し、羽目をはずして飲みまくった。死神の手のつめたい感触は、アルコールで体をあたためなければ、到底忘れられそうになかったのだ。
 宴もたけなわをすぎ、彼らはとろんとした目で酒をなめていた。惰性でグラスを口にはこび、ブランデーを啜ったロイエンタールが言った。
「いいか、よく聞け、ミッターマイヤー。結婚というのはな、男の不幸のはじまりなのだ。男だけではない、女だってそうさ。それがわかったら、お前は結婚なんざするなよ」
……おれとて、結婚を考えたことくらいあるが……
 それは彼が士官学校時代から抱きつづけている考えだった。散々悩んでおり、いまだに決心がつかないでいる。何がミッターマイヤーの決断をこうも遅らせているか、彼は生死の境で、とうとうその正体をつかみかけていた。
 だからミッターマイヤーは何でもないふりをして、ロイエンタールがどう出てくるか身構えた。彼は服の下で冷や汗をかいた。アルコールのせいではない動悸がする。
 何気ない会話の中のいちやりとりだが、これによって、ミッターマイヤーはある宣告をくだされるのである。ロイエンタールの返事しだいで自分の将来が決まってしまうという確信があった。
 ミッターマイヤーの緊張などつゆ知らず、ロイエンタールは友人の横顔をにらみつけて尋ねた。
「お前が言っているのは、例の親戚のお嬢さんか」
 だまりこくってミッターマイヤーがうなずくと、ロイエンタールは顔をしかめたまま、もう一口ブランデーを飲んだ。そして、ミッターマイヤーが覚悟していたのとは異なる話を語りはじめた。
「最近はすくなくなったが、お前は以前から、おれに伴侶探しをすすめてきただろう。だがな、おれの忠告のほうがよほど聞く価値があるんだぜ。いい教訓があるから、話してやる……
 それは、ロイエンタールの過去にまつわる話であった。彼の両親は、結婚によって不幸になった。
 ロイエンタールの父親はしがない下級貴族の出で、しかも四○近かったが、若く、美しく、家柄のよい貴族の令嬢を娶った。マールバッハ伯爵家の三女、レオノラである。伯爵家は金銭的に困窮していたところを、事業に成功し金を持っていたロイエンタールの父親に救われ、代わりに娘を差しだしたのだ。帝国貴族にとって女とは、そのような用途のために存在した。
 一目惚れした女性と、めでたく結婚することができた。そこまではよかったが、ロイエンタールの父はレオノラにたいし、こまやかな愛情をそそぐことができなかった。身分、年齢、その他さまざまな違いが、夫婦のあいだに見えない壁をつくった。レオノラもレオノラで、実家で身につけた浪費のほかに、己を楽しませるすべを知らなかった。おそらく彼女が欲していたものは別にあるのだが、それが何なのか、彼女にも、ほかの誰にもわからなかった。レオノラは夫に金品をねだっては、手に入れるとすぐに興味を失い、満たされぬ心の空隙を愛人で埋めるようになった。
 そんな折に生まれたのが、息子のオスカーである。彼は世にもめずらしい、ある特徴をもって生まれてきた——左目が青、右目が黒の、金銀妖瞳ヘテロクロミアだ。
 その遺伝子の気まぐれは、最悪の結果をもたらした。黒い瞳は迷信深いレオノラにとって、彼女の不義を糾弾するものとして映ったのだ。
 青い瞳の自分と、青い瞳の夫から、黒い瞳を持つ子供が生まれるはずがない。この黒は、愛人の瞳の色だ。そう、彼女は考えた。
 己に下された天罰を拒絶するように、レオノラは息子の黒い瞳に、果物ナイフを突き刺したのである。
 彼女はか弱く優美な貴族の女性であった。武器をとったことなど、あろうはずもない。だがこのとき、母親は噴きだす血にも怯むことなく、息子の右眼球をえぐり出した。赤ん坊のすさまじい悲鳴を聞きつけてかけつけた侍女は、卒倒したという。美しい白い手を真っ赤に染めた、鬼気迫る表情のレオノラの青い瞳に睨まれたせいだった。
 赤ん坊はそのあと手当をうけ、一命をとりとめた。脳が無傷で済んだのは奇跡に近かったと、のちに主治医から聞いた。だがそれは、青い義眼を着用させられていた幼いオスカー少年にとって、たいした慰めにはならなかった。
 彼は両親を恨んだ。世間体がよくないからと、ひっそりと施設に収容され、そこで狂死した母親も。夫婦ふたりの人生を台無しにしたとして、自分を目の敵にした父親も。ロイエンタールの父親はときおり、使用人の制止をふりきって二階から降りてくると、酒臭い息を吐きながら繰りかえし息子をなじった。「お前は生まれてくるべきではなかった」と。
 たしかに、彼らにとってはそうだろう。だが、元はと言えば、彼ら自身でまいた種ではないか。息子である自分は、何の選択肢も与えられぬうちに、一生続くであろう右目の痛みを背負いこまされた。この不自然な空洞は、自分ではなく、両親の所業ではないか。
 父親の言葉をみとめてたまるかという反抗を、ロイエンタールは己のなかでひそかに研いできた。その、「生まれてくるべきではなかった」などとは誰にも言わせまいという決意が、彼の矜持となり野心となり強さとなり、剣となって、今日まで彼を生きながらえさせたのだ。
「おれは結婚などしない。子供も作らない。どうせ不幸になるだけさ」
 その言葉を聞いたミッターマイヤーに、ある直感がはたらいた。さきほど彼が語った過去、それによって歪められた精神こそ、ロイエンタールが閨であらわにする姿なのだろうと。彼は自分の中で育ててきた凶暴さを、夜のあいだだけ解き放って、普段は鎖に繋いで飼い慣らしているのだ。
……おれには、お前が両親と同じ轍を踏むような人間には見えない」
 ミッターマイヤーはそう言った。彼は友人の幸福を願っていたし、ロイエンタールが本来もっている能力や強靭さを信頼していたのである。
 もしもという仮定は多くの場合、無意味な空想を生むだけだが、ミッターマイヤーは考えずにはいられなかった。もしもロイエンタールの右目が無事だったら、いや、もしも彼の両目が青かったら、彼が結婚と嫌悪とを強固に結びつけることもなかっただろう。自分で創りあげた家族に、不幸ではなく幸福をもたらしたはずだ。こうした架空の世界のロイエンタールの姿を思いえがくことができたのは、この銀河でミッターマイヤーただひとりであった。
 そんな夢想をしたことのない隻眼の男は、首を振った。
「どうだかな。ミッターマイヤー、お前といると、おれは本来の自分ではなくなってしまう。だからそんな無責任なことが言えるのだ」
 では片時も離れず、おれとともにいればいいではないかと、ミッターマイヤーは言いかけた。緊張と酒で口が乾いていなければ、まにあっていたかもしれない。
 けれども彼が口を開くよりはやく、ロイエンタールがつぶやいた。
「おれにはできない。だが、お前は違うのだろうな。幸福な結婚などというものは、夢物語のなかではなく、お前の手のなかにあるのかもしれない……
 ……いつしか寝落ちてしまった二人は、翌朝の食堂で、互いのむくんだ顔を発見した。食欲などあるはずもなく、ミッターマイヤーはフォークの先で白ソーセージを転がしていた。
 同じく、チシャをつつくだけで口にはこぶ気配のないロイエンタールが、不機嫌な声で言った。
「昨夜は酒の勢いでつまらんことを言った。忘れてくれ」
「何のことだ、まるで憶えていない」
 ミッターマイヤーの演技はけっして上手いとは言えなかったが、ロイエンタールはうなずいた。
……ふん、そうか、それならいい」



 つぎの休暇で、ミッターマイヤーは戦場での土産話をエヴァンゼリンに披露した——むろん、血なまぐさい部分は取り除いて、だ——カプチェランカの照空灯が、ダイヤモンドを砕いてふりまいた光の柱のように見えたこと。彼女の手料理で舌が肥えてしまったので、戦場で食べるレーションが味気なくてしかたがなかったこと。必死に味方の救援を待っているあいだ、彼女の顔が浮かんだこと。
 ミッターマイヤーの話を笑いながら聞いていたエヴァンゼリンが、ふと静かになった。
「あの、ウォルフさま……
「どうしたんだい、エヴァ」
 伏し目がちの少女は、スカートの下で膝をすりあわせ、ずいぶん長いことためらってから、唇をひらいた。
「わたし、あなたが遠くにいらしても、安心できるものがほしいの」
「さっきの話で怖がらせてしまったかな。大丈夫さ、君が心配することはないよ」
「ちがうんです……
 すると彼女は大胆に、ミッターマイヤーの手をとった。ちいさく可憐な手は、彼の手をつつみこむには足りなかった。やわらかい感触とほのかな甘い香りに、ミッターマイヤーは急速に手汗がにじむのを感じた。
「エヴァ……
 ひとりの女とひとりの男は、赤面したまま、無言だった。やがて、エヴァンゼリンが手を離すと、ミッターマイヤーは彼女に見えないようにズボンの後ろで手汗をふき、「ちょっと出てくる」と言いのこし、家を飛びだした。
 彼は宝飾店に直行してから、家に財布を置いてきたことを思いだした。それに、彼女の指輪のサイズも知らないのだ。だが、あわてて外出したにもかかわらず、すぐに帰宅するのは、あまりにも格好がつかない。
 だからどこかで時間をつぶそうと思った。あくまで体裁のためだと、ミッターマイヤーは自分に言い訳をした。
「せっかくの休暇だというのに、もうおれの顔が見たくなったか。卿がそこまで寂しがり屋だとは知らなかったな」
「行くところがなかったんだ」
 ロイエンタールにタクシー代をつけてもらったミッターマイヤーは、勝手知ったる様子でソファに腰をおろした。自邸でくつろいでいたらしいロイエンタールは眼帯姿だった。腕をくみ、突発的な友人の訪問にけげんな顔をしている。
「で、用件はなんだ」
「酒でも飲みたい気分なんだ」
「あいにくだが、たいしたものは出せないぞ」
 と言いつつ、ロイエンタールは使用人に命じて酒とつまみを持ってこさせた。
 さすがに彼らも、午後のはやい時刻から前後不覚になるほど飲むことはなかった。暇つぶしにポーカーをやり、ミッターマイヤーがつづけて五回も負けたところで、ロイエンタールは友人のようすがおかしすぎることに気がついた。
「今日はやけに顔に出るじゃないか。卿らしくもない」
……結婚しようと、思っている」
 唐突なミッターマイヤーの告白に、ロイエンタールは面食らった。一瞬、つねになく感情をかき乱された男はかえって冷静になり、「おめでとう」と、月並みすぎるあまり不自然な祝いを述べた。
……反対しないのか」
「なぜだ。反対する理由がどこにある」
「卿は結婚を疎んじていたはずだ。不幸のはじまりだと」
 それは二人のあいだで忘れたはずの、禁忌に抵触する寸前の発言だった。
 回りくどい言いまわしの真意が読めず、苛立ちをおぼえたロイエンタールは、攻撃的な気分になった。ミッターマイヤーはどういうわけか、あの話を蒸しかえしたいらしい。だが、それに付きあう義理がどこにある?
「さあ、そんなことを言ったおぼえはない。おれ個人は結婚など一ミクロンも興味がないが、私的な主義主張を他人に押しつけるような狭量な人間だと卿に誤解されているとは、はなはだ残念だ。反対なんぞせぬから安心しろ。贈り物は何が欲しい? ほら、何でも好きなものを言うがいい」
 友人に対して、多少棘のある言いようだとは自覚していたが、特別悪いことを言ったとも思っていなかった。ロイエンタールにとってこの程度の皮肉は日常茶飯のものであり、この友人にさえ、さらに過激な毒舌を浴びせたことがある。ましてこれは、触れてほしくない彼の深奥を守るためだ。結婚するなという忠告はロイエンタールの本心から出たものだが、それが必ずしも親友に適合するとはかぎらないことを、彼の理性は承知していた。ミッターマイヤーが結婚すると決めたなら、それは実行される。強硬に反対しても、険悪になるだけだ。
 しかし、ロイエンタールがつぎに友人の顔を見たとき、彼はすべてを悟った。彼の唯一無二の友人が、自分のせいでひどく傷ついたことと、その理由を。
 隻眼の男は信じられないという表情で、たゆたう親友の瞳を見つめた。
……まさか、卿は……
 おれのことが好きなのか、という続きは、声にならなかった。いつから、なぜ、といった疑問の数々が、脳裏をかすめていく。
 ロイエンタールにとってミッターマイヤーは、傷つけたくない人間であると同時に、傷つかない人間でもあった。光のささぬ、暗い夜の国にすむ自分とはちがう。もしも造物主なるものが存在するとして、そいつが何か価値のあるものを創ったのだとしたら、それは蜂蜜色の髪をしたこの男だろうと思っていた。
 だが、ミッターマイヤーも傷つくのだ。それも、ロイエンタールの手によって。ミッターマイヤーは痛みをともないながらも、友人を拒絶することなく、受けいれてゆるしてきたのであり、傷ついていないわけではなかった。
 この宇宙における善きものを、これ以上傷つけたくない。自分がこの世の価値を信じられるものとして、大切にしたい。
 と同時に、この男を自分の手でそこないたいという抑えがたい欲求を、ロイエンタールは感じた。この精神がさまよっている地の底まで、この友人を連れこみたい。彼が自分の意志で門をたたいたのだ。ここまで来たいというのなら、招いて何が悪い。
「ミッターマイヤー、抱いてやろうか」
 次の瞬間、ロイエンタールの左頬が灼熱した。顔面を殴られたと気づいたのは、数瞬間後だった。
「卿は、どれほどおれをばかにすれば、気が済むのだ……!」
……たしかに今のは、言い方が悪かったな」
「言い方の問題などではない! 憐憫で抱かれて、おれが喜ぶとでも思ったか!」
 ロイエンタールは口に砂をつめこまれたような錯覚をおぼえ、押しだまった。そんな彼の様子が、ミッターマイヤーの瞋恚の炎をさらに燃えあがらせる。
「そうか。そうなのだな。おれはこんなやつに惚れてしまったのか!」
「ミッターマイヤー、おれは」
「卿の顔など、もう見たくもない!」
 すさまじい沈黙が落ちてきた。ロイエンタールは全身の血液が足にむかって押しよせる音を耳で聞き、自分の顔が青ざめるのを己の目で見たように思った。
 この肉体の反応に、ロイエンタール自身も驚いたが、ミッターマイヤーもまた目を丸くした。この男は自分を失うことを、こんなにも恐れている。そう判明するやいなや、ミッターマイヤーは自分の怒りが急速にしぼんでいくのを感じた。
……ロイエンタール」
 ミッターマイヤーが一歩踏みだしたとき、彼の端末の着信音が鳴った。エヴァンゼリンからの音声通話だった。
……すまん、出てくる」
 彼は部屋を出た廊下で、応答ボタンを押した。
「もしもし、ウォルフさま? エヴァです」
「うん。何かあったのかい?」
「ウォルフさま、あわてて出ていかれたでしょう。いま、どちらにいらっしゃいます?」
 ミッターマイヤーはこれがTV電話ヴィジホンでないことに心底安堵し、可能なかぎり普段どおりを努めて答えた。
「友人の家にいるよ」
「ロイエンタールさまね」
 彼はうなずいてから、彼女に自分の姿が見えないことを思いだし、「ああ」と短く相槌をうった。
「いつお帰りになるの?」
……すぐ帰るさ」
 そうなの、とエヴァンゼリンは笑った。
「今夜はウォルフさまのお好きなブイヨン・フォンデュにするつもりです。待っています」
 こうして通話は切れた。ミッターマイヤーは部屋にもどり、いくらか顔色の回復したロイエンタールに帰る旨をつたえた。
……顔、冷やしておけよ」
 それが、いまのミッターマイヤーに言える精一杯だった。先ほどの喧嘩は水に流そうという、彼なりの譲歩だった。
 ミッターマイヤーはここを去り、結婚するだろう。ロイエンタールは呆然と立ったまま、出ていく友人の背中を見つめた。



 以降、ふたりの間で、この短い訪問の話題が出ることはなかった。ミッターマイヤーはロイエンタールとちがって、忘れてくれとも言わなかった。なかったことにするために、ささいな確認さえもせず、完全に抹消しようとしたのだ。タクシー代だけは即座に返ってきたが、それも、あの日を思い出させるようなものを残しておきたくないという心理のあらわれであっただろう。ミッターマイヤーは何事もなかったかのように、「親友」であるロイエンタールを結婚式に招待したし、贈り物のリクエストも送った。
「来てくれてうれしいよ」
 正装用の肩章やサッシュを身につけていることをのぞけば、黒地に銀の華麗な装飾があしらわれた軍服姿は、ロイエンタールの見慣れたミッターマイヤーだった。すくなくとも表面上は、それなりに長い付きあいのロイエンタールにさえ、あの日の告白も喧嘩も夢まぼろしだったのではないかと思わせる笑みを浮かべている。その完璧な表情は努力の賜物なのだろうと彼は推測したが、それをたしかめるすべはなかった。
 花嫁は純白のウェディングドレスを着て、夫の友人を見あげていた。長身のロイエンタールと、やや小柄なミッターマイヤーよりもさらに華奢な彼女とでは、三○cm以上の身長差がある。
 ロイエンタールははじめて、このエヴァンゼリンなる女をまじまじと観察したクリーム色の髪に、すみれ色の瞳。年齢はミッターマイヤーの五つ下、ちょうど二○だったはずだが、無垢な少女の面影をいまだにとどめている。たまに友人の家を訪ねた際、ちらと見かけていたが、とくと見てなお、外見上の印象は以前と変わらない。
 しかし、彼女はロイエンタールの瞳に目新しく映った。この女に先を越されたのではないか、という彼の考えは、彼女の清廉さによって強まり、確信となった。
 自分と彼女は互いに、そのとき望んでいたものを得たのだ。ミッターマイヤーが相談しにくるまで、ロイエンタールはミッターマイヤーと友人以外の関係を持ちたいとは思っていなかった。ミッターマイヤーがロイエンタールに恋慕していたのであり、その逆ではなかった。
 友が立ち去ったあとロイエンタールは考えてみたのだが、ミッターマイヤーが自分を好いていたのだとすれば、そのはじまりは出会ったそのとき以外、ありえなかった。
 そして、ロイエンタールの恋は、友が出ていってから始まった。
「おめでとうございます、ミッターマイヤー夫人フラウ・ミッターマイヤー
 彼は花嫁の手の甲に接吻すると、早々に式を辞した。