ヨジ🔞
2025-12-16 16:51:00
241168文字
Public logh
 

【ロイミタ】憂国

暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた 齋藤史

12月16日に寄せて。

もしも銀河の歴史がロイミタ中心に回っていたら……という、隻眼ロイエンタール×ミッターマイヤーの原作if。帝国歴480年の双璧の出会いから、ロイエンタール叛逆後の新帝国歴3年2月まで。
カプはロイミタ中心ですが、ロイエンタールが男女問わない漁色家設定なので、ロイエンタール攻めのカップリング(ロイヨブなど)が雑多に出てきます。また、ミタエヴァ、ロイエル等、原作カプはそのままです。
登場人物の死、元ネタ(三島由紀夫『憂国』)程度の性描写・グロ描写あり。何でも許せる方向け。

第一章(帝国歴480年~484年)双璧の出会いからミッターマイヤー結婚まで
第二章(帝国歴486年~490年)外伝1巻から本伝5巻まで
第三章(新帝国歴1年~2年6月)本伝6巻から本伝8巻まで
第四章(新帝国歴2年8月~10月)新領土編
第五章(新帝国歴2年10月~12月)帝位請求戦争編
第六章(新帝国歴3年1月~2月)憂国編

番外編「義眼球譚」(ロイヨブR-18):【ロイヨブ】緒【憂国 番外編🔞】 https://privatter.me/page/683a94f14b0e4

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第二章(帝国歴486年~490年)


「ミッターマイヤー」
 名を呼ばれた男は顔をむけ、この家の主である眼帯の男を見やった。するどい視線が衝突し、無音の火花が散った。
 はじまりはいつも、どこか剣呑さをはらんでいる。ふざけねばならないので——少なくとも、そう演じなければならないので——ふたりは気だるげな不機嫌をよそおう。真実の歓喜を押し殺して、たわむれる。
 しずかに雨が降っていた。夜降りだした雨は、石畳の地面をぬらして、街灯の光を煙らせている。大気が冷えてきて、やや肌寒くなってきた。こういう日は古傷が疼くと、男は言っていた。
 招かれる予感は的中した。さほど読みすすめられなかった本を閉じ、ミッターマイヤーは立ちあがった。ソファに沈みこんでいる男のそばまで歩いてゆくと、彼は目をとじた。
「眼帯をとってくれ」
 うつろで、投げやりな声だった。眉間にうすくしわが寄っている。
 ミッターマイヤーは男の腿をまたいで座り、眼帯にかぶさっている長い前髪をはらいのけて、後頭部の結び目をほどいた。とってやった眼帯は、わきに置く。
 男は光をおそれるように、そろそろと瞼を上げた。眼球の欠損した右眼窩は、いくら目を凝らしてもうつろな、暗黒の穴である。その一方で、男の青い左目はたゆたった。無防備に感情をさらけだして、表面にさざなみが立つ。男の静かな情熱を知るのは、その想いが向けられる当のひと、ミッターマイヤーただひとりであった。
 偽装された自然さで、男の手がミッターマイヤーの腰に添えられた。抱きよせたいという、懸命に抑制された欲望が、掌を介してミッターマイヤーにも伝わってくる。以前男はいたずらに、尻の割れ目まで中指を這わせ、この蜂蜜色の髪の友に逃げられた。ふたりの接触には、限度があった。
 ふと、はらってやったはずの前髪が、男の右眼窩に落ちてきた。それをふたたび耳にかけてやるミッターマイヤーの指先は、内側に怒りをみなぎらせながらも、やさしかった。怒りとは、ふたりの関係が手遅れであることへのやりきれなさである。男はそのミッターマイヤーの怒りさえも享受した。つまり男は、自分の想い人が、自分を想って心を乱していることを知って、よろこんでいるのだ。
 こまやかな愛は、ふたりの手つきになまなましくあらわれる。矜恃も義理も超えて、満たされぬ心と体を埋めようとしてやまない。思いがけない無遠慮さと、拒まれやしないかという臆病さとがせめぎあい、くりかえし押しよせる波のように、不必要にふれては離れる。相手の顔にふれることが、すでに世間一般の関係の境界を通りすぎていることなど忘れてしまって、彼らだけの境界を手探りするさまは、いささか滑稽だった。しかし、他者を排した空間では、このような異常事態も、平然と存在できてしまう。
 ——こうして手を伸ばすことは、かえって渇きを増幅させる地獄の道をゆくことにも等しかった。自分たちが歩んでいる道のりが苦しく、また危険でもあることを、彼らは知っている。それでもふたりきりになると、彼らは罪をかさねてしまう。業火がいっそう身を焦がす。
「痛むか」
 短くたずねたミッターマイヤーは、ほとんどささやくようだった。
 本当は、言葉など必要ないのだ。だが、舌をうごかさなければ建前が生まれない。だからふたりは、心底面倒だと思いながら、口をひらく。
「ああ」
 男は吐息した。
「そばにいてくれ」
 それは友の問いかけよりも、さらに低い声だった。
 返事は不要だった。ミッターマイヤーはだまって隣に移動すると、隻眼の男を寝かせて、自分の膝にその頭をのせ、目元を手でおおってやった。
 硬くかわいた掌のしたで、ロイエンタールは瞼をとじた。もしも昔、「そばにいてほしい」というたった一言を伝えることができていたら、彼は自分のものだっただろうにと悔やみながら。

 それは、旧帝国歴から新帝国歴に切りかわる直前の、旧帝国暦四九○年最後の夜だった。二人が出会ってから一○年、オスカー・フォン・ロイエンタールは三一歳、ウォルフガング・ミッターマイヤーは三○歳だった。
 変わらぬ友誼がそこにはある。だが、いつしか強靭な愛執のいばらが蔓延り、ふたりをおおいつくしてしまった。彼らは共犯して、互いのすがたしか目に映らない、恋愛の視野狭窄の巣をつくりあげた。



 ミッターマイヤーの結婚から二年間、彼らは親友としての関係を維持していた。
 ミッターマイヤーにしてみれば、あの日の出来事は、失恋以外の何物でもなかった。たしかにロイエンタールは、自分と寝ようと思えば、それができるのだろう。だが、情けをかけられ、内心うとまれながら、ただ肉体の快楽を与えられるなど、どうして耐えられようか。関係をもったとて、これまで彼と交際した無数の人間のごとく捨てられるのも、または日頃の友誼につけこんで彼にしがみつくのも、断じてごめんだった。
 閨に招かぬことが、ロイエンタールの気遣いなのだ。それを考えれば、ミッターマイヤーは己の未練を封じることができた。ロイエンタールはすでに、唯一無二の友情を自分に捧げてくれている。それに、ロイエンタールは誰も愛さない。結婚もしないし子供も作らないと、本人の口から聞いている。その選択が、はたしてロイエンタールの幸福にとって正しいのか、ミッターマイヤーにはわからない——いや、きっと、正しくない。ミッターマイヤーはじつのところ、ロイエンタールには普通の家庭と幸福を築く能力があると思っている。本人は否定するだろうが、きっと彼は、よき伴侶をむかえて家庭をもつべきなのだ。にもかかわらずミッターマイヤーが結婚を勧めなくなったのは、自分をおいてほかの誰かと添いとげるロイエンタールを、見たくないからであった。
 ともあれ彼は、友がえらんだ生き方を肯定するつもりだった。やましく汚れた心ではあるが、それでもミッターマイヤーは、隻眼の友の幸福を願っている。結婚によって生き方は分かたれてしまったが、仕事ではロイエンタールを第一に気にかけ、命運をともにする覚悟だった。
 一方ロイエンタールは、ミッターマイヤーが失恋したその日に恋に落ち、同時に失恋した。
 ミッターマイヤーは鈍感で傲慢な自分に見切りをつけ、遠い親戚の少女と予定調和的に結婚してしまった。ロイエンタールは己の愚鈍さを恨んだが、恒久的な友誼がたもたれたことに、安堵もした。あのとき彼は、ウォルフガング・ミッターマイヤーという、この世の価値を証明するたったひとつの存在を、自分の手で破壊するところだったのだ。
 親友が自分に懸想していると知り、手を伸ばした瞬間、ロイエンタールはめまいを感じた。そばにいてほしいと願うことは、すなわち、自分の夜に巻きこむことであり、それは必ずや、ミッターマイヤーが得るはずだった世間並みの幸福をそこなう。そのとき彼は、両親にかけられた「生まれてくるべきではなかった」という呪いを真の意味で実現するだろう。
 ミッターマイヤーはすんでのところで、陽のあたる世界をえらぶことができたのだ。これが友と自分の双方にとって正しかったのだと、ロイエンタールは理性で納得しているつもりである。
 ともかく、すべては終わった話であった。



 ところが帝国暦四八六年春、彼らの関係は動きはじめた。その契機となった出来事は、ふたりの関係だけでなく、今後の彼らの人生と銀河の歴史とを、決定的に方向づけるものでもあった。クロプシュトック事件と、それに伴う討伐遠征である。
 クロプシュトック侯は、三○年前の皇帝擁立争いに敗れ、権力の中枢から除け者にされた名門貴族である。落ちぶれた侯爵は積年の恨みを晴らすべく、現在最大の勢力を誇るブラウンシュヴァイク公主催の親睦パーティーで、皇帝フリードリヒ四世の暗殺をはかった。会場に残された爆発物は多数の死傷者を出したが、その中に標的は含まれなかった。皇帝がパーティーへの出席を急遽とりやめたために、暗殺は失敗し、クロプシュトック侯爵は大逆罪の未遂犯として討伐の対象となった。
 以上が、クロプシュトック侯討伐軍編成のいきさつである。総大将は一時現役復帰を願いでたブラウンシュヴァイク公オットーで、ロイエンタールとミッターマイヤーは他の幾名かの高級士官とともに、この遠征における戦術顧問を拝命した。要は、復讐に燃える貴族の子弟らのまとめ役を任されたのである。その任務はふたりにとって、図体ばかり成人のなりをした、精神的幼児の子守りも同然であった。
 討伐軍の烏合の衆っぷりには、ふたりとも鼻持ちならなかった。その統率のなさをしめす証拠に、このたかだかいち侯爵の小乱鎮定には、なんとひと月以上もの時間が空費されている。青年貴族たちの傲慢で反抗的な態度、戦闘に際しての臆病さ、指揮の優柔不断さ拙劣さに、どれほど辟易させられたことか。ふたりとも親友がいなければ、おそらく半月足らずで、愚痴をためこんだ頭脳が爆発していたことだろう。
 しかし、ロイエンタールとミッターマイヤーにとって真に重大な事件は、貴族たちの共通の敵を葬りさったのちに生じた。
 制圧したクロプシュトック侯の領地で、青年貴族たちは軍規と理性と忍耐を忘れ、けだもののごとき掠奪と暴行におよんだ。彼らの下卑たゲームに巻きこまれ、辱めをうけた老婦人は、自身の所有物である青玉サファイアの指輪を守ろうとして食道につまらせた上、咽喉のどを軍用ナイフで切り裂かれて、結局宝石を奪われた。このような光景を目の当たりにして、看過できるミッターマイヤーではなかった。いくら帝国の権門の出だろうが、同じ人間にたいする掠奪、暴行、虐殺が、許されていいはずがないではないか。
 粗末な営倉に放りこまれたミッターマイヤーと面会したロイエンタールは、友人の部下射殺から逮捕までのいきさつを知った。それだけでなく、ミッターマイヤーがブラウンシュヴァイク公オットーに召喚され、この総司令官の詰問をことごとく論破したことなども、本人の口から聞いた。
 ロイエンタールはため息をついた。かつて「かたぶつの平民」と揶揄されたミッターマイヤーに、半ばあきれたのもある——友の挺身を冷笑するつもりはなく、むしろロイエンタールは、こうしたミッターマイヤーの公明正大さを何より尊いものと思っている——が、やはりいちばんは、貴族のばか息子どもの無法につくづく頭が痛くなったがゆえのため息であった。一族の者をいち平民に殺され、面子をつぶされたブラウンシュヴァイク公は、必ずや報復に出るだろう。帝室の藩屏たる貴族を殺した「極悪人」は、糾問の場で悪びれるどころか、かえって帝国最大の門閥貴族を論戦で完封したのだ。やつらが公式な軍法会議ではなく、非合法の手段にうったえることは確実である。すなわち、謀殺だ。
 なぜ、この宇宙におけるたったひとつの善きものが、周囲を跋扈する魑魅魍魎によって、命の灯火を吹き消されそうになっているのか、ロイエンタールは理解に苦しむ。造物主なるものは、つくづく役立たずだ。あるいは、皮肉な存在だ。唯一の価値ある成果物を、自分の生みだした悪によって滅ぼすならば。そのようなふざけた喜劇の役を演ずるつもりは、彼にはない。造物主なんぞ、敵だ。
 ロイエンタールは恋心を自覚して以来、その想いをミッターマイヤーに伝えたことは一度もない。ふたりの関係にとって、それは無益どころか、邪魔だったからである。ロイエンタールに恋が芽生えたときには、手遅れだったのだ。よしんばミッターマイヤーがいまだ自分に好意を持っているとしても、不倫などする性格ではないし、させるべきではないだろう。
 この蜂蜜色の髪の親友が己を曲げることなく、思うまま行動し、その価値を周囲からただしく認められることを、ロイエンタールは望んでいる。彼が思うミッターマイヤーの器量は、たんなる軍人としての白兵戦術や指揮能力にとどまらない。世の道理を重んじるまっすぐな意志と、それを貫こうとする勇気は、自分にはないものであり、また、この銀河帝国にも欠けている。
 今回の事件は、帝国を牛耳る門閥貴族の腐敗を象徴する出来事だ。ミッターマイヤーが生きていくには、この社会はあまりによどんでいた。何かしらの手を打たなければ、親友はこの溝のなかで窒息してしまう。
 じつは、ロイエンタールの頭にはすでに、ある妙案が浮かんでいた。それは彼にとってのみ、たいへん都合がいい思いつきである。ミッターマイヤーを監禁し、ロイエンタールから隔てている、社会という邪魔な檻。その檻のないところへ行ってしまえばいいのだ。社会的な制度、権威や契約や法を踏みにじって、何が悪いというのか。向こうが先にロイエンタールを裏切ったのだ。
 悪魔の役だとしてもかまわない。ミッターマイヤーがそこなわれる事態を、ロイエンタールはどうしても容認できない。愛する存在の喪失が耐えがたいのだ。友の命ではなく、その尊厳や矜持の一部分であったとしても、ゆるせない。他人の手で歪んだり欠けたりしてしまうくらいなら、いっそ自分がすべて引きうけて、その過程も破片もとどめておきたい。
 その許可と権利を、ロイエンタールは欲していた。
「ミッターマイヤー」
 ロイエンタールは正面を向いたまま、隣の男との距離をつめて、座りなおした。上腕がふれあい、ミッターマイヤーの肩がわずかに跳ねる。
 膝におかれていたミッターマイヤーの左手に、ロイエンタールの右手がかさねられた。
「銀河帝国など見かぎって、亡命するか。二人で」

 ミッターマイヤーは友の端整な横顔を凝視した。その無言の訴えにこたえ、ロイエンタールが顔をむけた。
 真摯な金銀妖瞳ヘテロクロミアを見て、ミッターマイヤーは理解した。この男は、本気で言っているのだ。ミッターマイヤーの妻をおいて亡命しようという意志を、ロイエンタールは「二人で」というたった一語に込めている。
 そのような提案をする理由は、ひとつしかない。
……卿は」
 完璧に飼いならし、二年間制御していたはずの心臓が、にわかに暴れだした。失恋という傷口から新鮮な血が噴きだし、あっという間にミッターマイヤーは溺れた。沸騰する己の血にひたるようだった。
 この友人は、駆け落ちしようと言っているのだ。ロイエンタールは、自身の故郷や経歴といった一切を、ミッターマイヤーのために捨てる用意がある。それだけでなく、ミッターマイヤーにもすべてを捨てさせ、寄る辺のなくなった彼を奪う覚悟もある。その悪を引きうけることも厭わないと、ロイエンタールは言ったのだ。詰められた距離とかるく握られた手、付け足された「二人で」という条件は、剣呑そのものだった。
 ロイエンタールの誘惑に、全身の細胞が泡だつような震えが、ミッターマイヤーの背筋を駆けあがった。だが、自分たちが立っているそこは、底が見えない、暗い穴のふちなのだ。
……卿は、こちらに正義の天秤が傾いているにもかかわらず、非道な貴族どもに勝利をゆずってやることを、よしとはしないだろう」
 ロイエンタールは無言だったが、その瞳には納得の色が浮かんでいた。ミッターマイヤーが左手をわずかに引くと、かさねられていた右手が離れる。人肌のぬくもりは春先の雪のように溶けさって、あとかたもなくなった。
 雄弁すぎる沈黙に耐えかねて、ミッターマイヤーは言葉を継いだ。
「自由惑星同盟の水が合うとも思えない。卿も、おれも」
「軍服も似合わんだろうな」
 ロイエンタールの軽口に、ミッターマイヤーはぎこちなくほほえんだ。友人がこちらの望みを優先してくれたことに安堵したミッターマイヤーだが、亡命案を却下した以上、別の方策を考えねばならなかった。亡命とは別の、帝国軍人としての将来が閉ざされぬ道を。
 そのとき、ミッターマイヤーの脳の奥底から、ある代案が浮上した。
「おれには、ブラウンシュヴァイク公とわたりあえる後ろ盾が必要だ。そこで、ひとり頼りたい男がいるのだが、貴族どもが『金髪の孺子』と呼んでいる、あの男はどうだろうか」
「ラインハルト・フォン・ミューゼルか」
 ロイエンタールが答える。即座に名前が出てくるあたり、彼もかの金髪の若者に関心を持ちつづけていたのだろうと、ミッターマイヤーは推察した。
 ミッターマイヤーがはじめてその男を見かけたのは、一年前、軍務省でロイエンタールと書類整理をしていたときである。友人がめずらしく他人に関心を向け、その実力を認めていたので、脳内の人物リストに書きのこしておいたのだ。強いて顔を覚えようとするまでもなく、ラインハルトの美貌は一度目にしたら忘れられるものではなかったが。
 ミッターマイヤーがわざわざラインハルトを記憶にとどめておいたのは、一刻もはやくロイエンタールを昇進させなければならなかったためである。ロイエンタールの右目は義眼であり、いつ使えなくなってもおかしくない状態だった。その失明の瞬間までに、白兵戦ではなく艦隊指揮をつとめる将官になれるかどうかに、ロイエンタールの軍人生命がかかっていた。それで、もしロイエンタールの言うように、ラインハルトが権力とそれに見合った才能を有する真の実力者であるならば、つながりを持つのも悪くないと、ミッターマイヤーは考えたのである。
 とはいえ、彼らにとって人脈とは、万策尽きた際に使うかどうかという切り札だった。ミッターマイヤーもロイエンタールも、自分たちの実力を確信しており、それを現実に証明することを楽しんでいた。また彼らは、縁故でもって不当に高い身分を得る貴族どもを軽蔑していたので、それと同じ手段をとるのはなるべく避けたかった。とくにロイエンタールは、他人の威光をかさにきることを断じて受けつけない男である。ラインハルトの権力を利用するプランを打ちあけたところで、不愉快な顔をされるのは目に見えていたため、ミッターマイヤーがこの案を友人に相談したことはない。幸いなことに、彼らは実力でもって、目標を達成した。ラインハルトを知った当時、二人の階級は大佐だった。現在は少将である。ロイエンタールの問題は、すでに解決済みだった。
 しかし今、ミッターマイヤーは自分自身のために、ラインハルト・フォン・ミューゼル——近く、ローエングラム伯の称号を授かるらしい——の助力を必要としていた。友人のためにあたためていた、いざというときの手段だったが、まさかこのような形でふたたび俎上に載るとは。
「一面識もない相手だが、味方になってくれるだろうか。忠誠をうけとってくださればよいのだが」
 ロイエンタールは、考えこむミッターマイヤーの横顔を見つめた。色の異なる瞳が、ほんのわずかに、妖しくゆらめく。
 しばらくして、ロイエンタールは友人の懸念に自らの見解を述べた。
「卿を助けることは、ミューゼル閣下にとって、悪い話ではないはずだ。平民出身の将校を門閥貴族から救ったとなれば、平民階級の一般兵士から支持が集まる。『金髪の孺子』などとやっかまれ、ブラウンシュヴァイク一族のような門閥貴族とはもとより敵対しているのだから、交渉の余地は十分あるだろう」
 この回答に勇気づけられたミッターマイヤーは、あらためてロイエンタールに向きなおった。ラインハルト・フォン・ミューゼルに助力を求めるにも、彼はまず、親友を頼らねばならなかった。
「ロイエンタール、おれに代わってミューゼル閣下にお会いして、お力添えしてくださるよう、頼んできてくれないだろうか」
 言いながらミッターマイヤーは、一点の曇りもない友誼のありがたみを感じた。ロイエンタールはきっと、ミッターマイヤーのため、持てるすべての策と労力を費やしてくれるだろう。これまでミッターマイヤーが、ロイエンタールのためにそうしてきたように。
 ロイエンタールは力強くうなずくと、ミッターマイヤーにとって意外なことを口にした。
「では、ミューゼル閣下におれたち二人分の忠誠を届けてくるとしよう」
「二人分だと? ロイエンタール、卿までミューゼル閣下にお仕えするつもりなのか」
 目を丸くするミッターマイヤーに、ロイエンタールはすまし顔で応じた。
「何を驚く。当然ではないか。まさかミッターマイヤー、卿はひとりで抜けがけして、ミューゼル派に与するつもりだったのか?」
 考えてみれば、伝言をまかされた以上、ロイエンタールもミッターマイヤー諸共ラインハルトに忠誠を誓うのが自然ななりゆきである。にもかかわらず、ミッターマイヤーが無意識にロイエンタールを除外していたのは、この男が誰かに膝をつくさまを想像できなかったからだ。自分の上に人をいただき、身命をささげるなどということは、この男の気性に反することだった。
 親友の変節が、ひとえに自分の命を救うためであることを、ミッターマイヤーは悟った。彼の胸の内で、感謝の念と申し訳なさが入りまじる。しかし、そこに一滴、黒いインクが垂れていた。広がってゆく黒い染みが、ミッターマイヤーの心にさざなみを立てる。
 露骨で過剰な表現をすれば、それは幻滅だった。ロイエンタールと支えてあってきた彼は、この男の非凡さを周囲に認めさせることを、代えがたい喜びの一つとしてきた。ロイエンタールのあやうい生きざまを助け、また力を得て、戦いに戦いをかさね、勝利することが、ミッターマイヤーの楽しみだった。そのため、ロイエンタールがここで膝をつくことが、あたかも挫折のようにうつったのである。
 身勝手な感情であることは、ミッターマイヤーにもわかっている。それに、この鞍替えでもっとも苦しむ人間がいるとすれば、それは自分ではなく、ロイエンタールだろう。ミッターマイヤーは自分の無茶に、親友を付きあわせている側なのだ。ロイエンタールははじめにため息こそついたが、文句ひとつ洩らすことなく、可能なかぎりミッターマイヤーの希望に寄りそってくれている。亡命を断られたにもかかわらず、生き方さえも曲げてくれたのだ。それが現時点での、ロイエンタール自身の力不足を、残酷なまでに意味するとしても。
 ミッターマイヤーは親友の内面を忖度したが、ロイエンタールは己の力不足を憾むそぶりを微塵も見せなかったので、本当のところはわからない。友人を慮りたい気持ちはあったが、この場合、ミッターマイヤーから声をかければ、かえって礼を失することになろう。だから何も言わず、友人に己の命運をたくした。
 それをしかと預かったロイエンタールは立ちあがり、ミッターマイヤーを振りかえった。金銀妖瞳の男は「いいか、かならず助けてやる」と力強く断言し、漁色家らしい冗談を飛ばすと、囚われの友人と別れた。

 ロイエンタールはミッターマイヤーの依頼を忠実にはたし、宣言どおり親友を獄死の危機から救いだした。
 五月九日、ついに釈放されたミッターマイヤーは、まぶしい晴天をあおいで、おおきく息を吸いこんだ。一週間ほど前に電気鞭に打たれた傷が痛んだが、ひさしぶりに堪能する新鮮な空気に、ミッターマイヤーは満足した。
「今日のところはおれの家に泊まって、休んでいくといい。奥方に無用の心配をかけたくないだろう」
「たすかる」
 ロイエンタールが手配していた地上車ランド・カーに乗りこむと、ようやくミッターマイヤーの緊張が解けた。行儀は悪いが、親友しかいないのをいいことに、姿勢をくずして楽をする。自分の帰りを待っているであろう妻に、事件のことはふせたまま、数日したら帰れそうだと連絡をいれた。
 それが済むと、ロイエンタールは今回の救出劇で知己となった金髪の若者、ラインハルト・フォン・ミューゼルについて話しはじめた。
「ミューゼル閣下は、おれたちが思っていたよりもはるかに、気宇の壮大な御方だったぞ」
「どんな話を聞いたのだ」
「かの御方の敵は、ブラウンシュヴァイク公爵家いち勢力のみにあらず、ということさ。すべての門閥貴族ども、そして、閣下が現在のご立場を賜ったその相手……
 つづく沈黙のうちに、ミッターマイヤーは事の重大さを呑みこんだ。ラインハルトに与することが、人生における重大な岐路であることは、覚悟の上だった。しかし、まさか自分たちが生まれ育ってきた帝国そのものを相手どるとは、ミッターマイヤーも予想だにしていなかった。
 驚愕するミッターマイヤーの表情を見つめながら、ロイエンタールはラインハルトに面会した嵐の夜を思いおこしていた。
 ——卿は、現在のゴールデンバウム王朝について、どう思う?
 その質問が意味するところを一瞬で悟ったロイエンタールではあるが、ラインハルトに尋ねられるまで、彼の目が現王朝に向けられたことはなかった。
 ロイエンタールは何度も、貴族たちの無法を目撃し、軽蔑してきた。自力で得たわけでもない下級貴族という己の身分を、鼻で笑ってきた。親友がその出自ゆえにこうむる理不尽にたいし、憤ってきた。平民階級出身の親友を得て、それでロイエンタールは、身分制度に束縛されていないつもりになっていたのだ。ラインハルトに助力を請う、その瞬間も。
 自分は、この銀河帝国から逃げることばかりで、それをこの手で破壊しようなどとは、考えもしなかった。
 ラインハルトの核心をついた質問に返答する前、ロイエンタールがひと呼吸おいたのは、危険なにおいを嗅ぎとったからだけではない。彼はそのとき、己の近視眼的な視野と、高々と伸びきっていた鼻と、矮小な志とを思い知ったのだ。つづけて、これまで誰の支配も受けいれなかった自分が、ラインハルトの制止に自然と口をつぐんだことに、ロイエンタールはひそかに愕然とした。
 以来、彼の心は千々に乱れている。ミッターマイヤーはなぜ、ラインハルト・フォン・ミューゼルを指名したのだろうか。かの金髪の若者の、獅子のごとき王気を感じとっていたからか。
 そうした疑問の真実が自分にあることを、ロイエンタールは知らない。ロイエンタールがラインハルトに関心を向けたのを見て、ミッターマイヤーはその名を記憶にとどめたのである。それは、右目失明を宿命づけられた親友ロイエンタールの将来のためだった。しかし、これらの事情は二人のあいだでわざわざ共有する事柄ではなかったし、そもそもこのような不幸なすれ違いが生じていること自体、彼らには知りえぬことだった。いくら親友といえども、別々の人間である以上、心を読むことなどできない。見栄のために巧妙に隠されていれば、なおさら看取することは難しかった。
 ロイエンタールが脳内に過去を投影していると、視界にうつる現在の親友が顔をあげた。
「ロイエンタール」
 ミッターマイヤーは監禁生活と獄中での拷問により、やつれていた。蜂蜜色のゆたかな髪の毛はやや艶をうしなって、少しやせている。けれどもロイエンタールを見据えるグレーの瞳は、車内でもつややかに光っていた。
「とほうもない話だが、のぞむところだ」
 かしこまった感謝の代わりが、その意気込みであった。
 ミッターマイヤーは思うのだ。旧弊な現王朝など、才能あふれるロイエンタールにとっては枷である。ラインハルトが打ちたてた新王朝であればこそ、この友人はどこまでも高く飛翔することがかなうだろう、と。
 ……そうしているうち、ミッターマイヤーは眠っていた。たえず張りつめていた緊張がゆるんで、肉体的な負傷や疲労がここぞとばかりに襲いかかってきたのだ。ロイエンタール邸に到着して揺りおこされてからも、ミッターマイヤーは客室のベッドに横になるまで、何かと家主の手を借りねばならなかった。
 まるでおさない子どものように世話をされたミッターマイヤーは、半分夢の世界に足を踏みいれた状態で、親友に礼を言った。その言葉は、介抱にたいする感謝というだけでなく、自分の命を救うためにロイエンタールがした苦労と選択にたいする謝罪でもあった。
「すまん、手をわずらわせたな」
「気にするな、他人の服を脱がせるのは慣れている。着せるほうはさほどだが」
 思わず返事につまったミッターマイヤーに、ロイエンタールが苦笑する。
「そう困った顔をせんでくれ」
 ロイエンタールは眉を下げ、一瞬ためらったのち、枕にしずむ友人の頭に手を伸ばした。手のひら全体で、まるい頭の形をたしかめるように撫でる。それはロイエンタールの中に自然にわきおこり、彼が生まれてはじめて試みた、慈愛の表現だった。おさまりの悪い蜂蜜色の髪をかきわけた指先が、頭皮にふれた。そのままそっと前髪をもちあげ、額をかすめてゆく手を、ミッターマイヤーはだまって受けいれた。怪我をしている上、鉛のごとき鈍重な眠気がのしかかって、体が動かなかったのだ。
 亡命を申し出たロイエンタールの手を、ミッターマイヤーはとらなかった。積年の想い人に求められていることを知ったが、どうしようもなかった。手をひいたとき、この恋は本当に終わったのだと、ミッターマイヤーは思っていた。
 だが違う。それは終わりではなく、はじまりだった。二人の満たされぬ関係のはじまりであり、また、彼らには知るよしもないが、栄光と破滅のはじまりでもあったのだ。
 いつの間にやら芽ばえていたロイエンタールの想いにふれたとき、ミッターマイヤーは混乱して、自分の感情さえさだかでなかった。けれども、今ならわかる。
 亡命の提案も、新たな未来も、自分をいたわるロイエンタールの手も。
 うれしかった。それだけだった。



 それから一年後のアスターテ会戦ののち、ふたりはラインハルトが開設した元帥府に登用された。嵐の夜直後の第四次ティアマト会戦で交わされた約束が、無事はたされたのである。
 王朝転覆をもくろむラインハルトは、ほかにも幾人もの有能な人材に目をつけていた。全員に共通しているのは、門閥貴族が敷く現ゴールデンバウム体制にたいし、大なり小なり反感をもつことである。必然的に、平民あるいは下級貴族出身の青年が、ラインハルトにスカウトされた。ロイエンタール、ミッターマイヤー、そしてイゼルローン要塞失陥の後に参謀としてくわわったパウル・フォン・オーベルシュタインの三者が、ラインハルトのもとに自分を売りこみにいった例外だった。
 ローエングラム元帥府の少壮気鋭の提督たちにとって、最初の晴れ舞台となったのが、自由惑星同盟フリー・プラネッツを僭称する叛徒どもの大規模侵攻迎撃作戦である。叛乱軍を帝国領内に引きこみ、補給の限界点で一斉攻勢をかけるという策が成功し、ラインハルト元帥府の名声は人びとに広く知られることとなった。
「だが、あのオーベルシュタインとかいう男、焦土作戦とは血も涙もないやつだ。此度の戦いでもっとも負担を強いられたのは、帝国軍でも同盟軍でもない。イゼルローン回廊出口付近の民衆ではないか」
 ミッターマイヤーのオーベルシュタイン嫌いは、このときすでに始まっていた。パウル・フォン・オーベルシュタインは、半白の頭髪をもつ、痩身の両義眼の男である。何を考えているか読めない無機質な表情と口調からして、一目見たときから好意を感じうる要素が皆無だったが、今回の作戦で冷酷無比な印象が確固としてさだまった。
 辛辣なミッターマイヤーの批評を、人のよいキルヒアイスが中和する。
「ですが、ローエングラム侯は民衆をないがしろにするような御方ではございません、ミッターマイヤー提督。現にあの方は、被占領地の奪還後、供与するための物資を準備しておいででした。ローエングラム侯は、オーベルシュタイン中将の献策を工夫して活用する手腕とご配慮をお持ちでいらっしゃいます」
 キルヒアイスはラインハルトの半身として、元帥府内の分断を未然に回避する役割をになっていた。適度な競争心は元帥府内に活力をもたらすが、それが本格的な派閥形成や内部分裂にまで発展するのは好ましくない。そのため彼は、自分を危険視してくる男のフォローに回ったのである。この時点におけるキルヒアイスは、自身におとずれる未来を知らず、ラインハルトとの仲は永久にゆるぎようがないと信じていたのだった。
 飢えた民衆という鉄球を叛乱軍の足につなぐ戦法は、キルヒアイスにとっても受けいれがたいものであったため、正直なところ、ミッターマイヤーの反発には同意したい気持ちがある。キルヒアイスとミッターマイヤーがともに平民であることも、この共感作用に一役買っていただろう。だが、金髪の主君は何を言わずとも、キルヒアイスの内心をわかってくれた。あくまでラインハルトが主で、オーベルシュタインが従である。あの方なら、きっと大丈夫だ……
 以上のやりとりを聞いていたロイエンタールが口をひらく。
「これで、ローエングラム候は辺境の住民の救世主となった。想定される門閥貴族連合の武力叛乱に際して、この事実は吾らに有利にはたらくだろう。なにせ民衆は、貴族どもの手足なのだからな。やつらにその自覚があるかはわからんが」
 この金銀妖瞳の男にもやはり、ラインハルトについて思うところがあった。今回の帝国軍の焦土作戦で、叛乱軍による略奪や民衆の暴動などが、まったくなかったわけではない。けれどもどういうわけか、そうなるよう仕向けた自分たちが評価されている現状がある。
 支配するとはこういうことなのだと、興味ぶかく感じつつも警戒するロイエンタールであった。黒幕は被支配者同士を争わせ、自分に矛先がむけられるのを避ける。これがどうして、元帥府という組織にも応用されないと言えよう。
 だがさしあたって、そのような発言は控えるべきだ。特にこの、赤髪の腹心の前では。



 キルヒアイス主導で作戦立案をすすめる最中、ミッターマイヤーは私的に友人ロイエンタールの邸宅をたずねた。
「よく来たな、『疾風ウォルフウォルフ・デア・シュトルム』」
……どこでそれを聞いた」
「どこでも。評判になってるぜ」
 眼帯姿のロイエンタールが愉快げに、かつどこかまぶしそうに目をほそめた一方で、ミッターマイヤーはいかにも不本意そうに、かるく顔をしかめた。
 「疾風ウォルフ」のあだ名は、先の戦いでミッターマイヤーが見せた、迅速な艦隊運用に由来する。アムリッツァ星域での追撃戦で、彼の艦隊の先頭が、逃走する敵艦隊の最後尾を追いぬいたのだ。この逸話は帝国軍兵士たちのあいだでまたたく間に広がり、提督たちの耳にもとどいていた。
 当のミッターマイヤーは、「かたぶつの平民」に代わる新たなあだ名に、なかなか馴染めずにいた。アムリッツァ会戦での勝利は大々的に報じられているらしく、街中でさえ「疾風ウォルフ」とささやかれることが少なくない。彼はそのたびに、見世物にされる居心地の悪さをおぼえたのである。
 先日のフリードリヒ四世の崩御にともなって、リヒテンラーデ=ローエングラム枢軸体制がととのった。門閥貴族との覇権争いがひかえている今、平民階級からの支持は重要である。このような背景事情から、ミッターマイヤーこと「疾風ウォルフ」は、わかりやすく人心に訴えかける、かがやかしい英雄の偶像としてまつりあげられた。要は、ローエングラム元帥府の政治宣伝に巻きこまれたのである。
 むろんミッターマイヤーは、焦土作戦と同様、これが自分たちにとって必要な策略であることは理解している。だが彼は、戦いにおいて知略を尽くすことに、軍人としての本分と価値を見出している男だ。今回のプロパガンダによって、地位と名誉の代償たる苦みを味わっているのも、正直なところであった。
 この友人にまで、たいそうなあだ名が伝わっているのかと閉口するミッターマイヤーに、ロイエンタールは何でもない口調で言った。
「いいじゃないか、疾風ウォルフ。おれにも呼ばせろよ」
 その自然な響きは、ミッターマイヤーの肋骨のすきまから滑りこみ、あっさりと心臓にとどいた。彼ははじめて虚心に、その異名を自分のものとして受けとった。
 ロイエンタールこそが、今日の「疾風ウォルフ」を作りあげたのだ。この男はかつて、ミッターマイヤーの「かたぶつの平民」という鎧を解いて、身軽にしてやったことがある。友の才能を見出したロイエンタールは、誰よりもはやく、本人さえ気づかぬうちから、「疾風ウォルフ」のあだ名を知っていた。
 たったひとことで、ミッターマイヤーの内面には、一貫した秩序がもたらされた。そんな整理をしたとも思っていないロイエンタールは、ミッターマイヤーの数歩先をすすんでゆく。あとをついてゆくと、かすかなメロディがミッターマイヤーの鼓膜をふるわせた。それは、近ごろ「われらが疾風ウォルフ」の替え歌がつくられた、ある歌謡の一節だ。その鼻歌を、あの男がうたっている。聞こえるか聞こえないかくらいの、小さな声で。
「ロイエンタール!」
 思わずミッターマイヤーが声を発すると、とうとうロイエンタールが吹きだした。背中をまるめ、くっくっと笑う肩にあわせて、ダークブラウンの毛先がゆれている。
 振りむいたロイエンタールは、頬のあたりに笑いの名残をとどめていた。
「だめか?」
 そんなふうに訊ねられると、ミッターマイヤーは困ってしまう。わざわざ目くじらを立てるほどのことでもないと思われたし、ロイエンタールは寛恕をのぞんでいた。
 ミッターマイヤーは、この友人の鼻歌をはじめて聴いたのだ。耳を澄ませてそれと気づいたとき、おどろいた彼の体は熱をもった。からかうなと叱るつもりだったミッターマイヤーが「そんなことはないが……」と態度をやわらげてしまったのは、ほとんど条件反射でもあり、もっと聴いてみたいというひかえめな本音でもあった。けれども物わかりのよいロイエンタールはこのあたりで冗談を切りあげてしまい、客人に酒とつまみを持ってくるよう使用人に命じた。
 ふたりは協議のため、キルヒアイスを交えた三人で頻繁に会っていた。そのため、会話の機会には十分めぐまれていたのだが、キルヒアイス本人がいる場で、彼について話すことは当然はばかられる。そのため今日の話題の中心は、背の高い赤髪の青年となった。
「ジークフリード・キルヒアイスが、あのオーベルシュタインに目をつけられているらしい」
「だろうな」
 アムリッツァ会戦後の総旗艦ブリュンヒルトの艦橋で、ラインハルトが提督たちの力戦奮闘をねぎらった際、かの金髪の青年は赤毛の幼なじみにたいして、握手の代わりに気安く肩をたたいた。これには居並ぶ提督たちも、年少の主君がもっている、年相応の若さを感じたものである。ラインハルトの背後にたたずむオーベルシュタインは表情こそ変えていなかったが、何も思っていないはずがない。あの男は、比類なき美貌の金髪の青年に、孤高な無謬の独裁者たれと望んでいるのだ。
「キルヒアイスが組織のナンバーツーであることは事実だが、そう神経過敏になる必要もあるまい。能力や人柄からいっても不足ないし、長年ローエングラム候のおそばで主君をささえてきたのだろう。急に、ほかの人間と同じように扱えるものだろうか」
「ジークフリード・キルヒアイスは、いわばローエングラム候の分身だ。そのように、おれは見なしている」
 ロイエンタールが言うと、ミッターマイヤーは我が意を得たりとばかりに、莞爾した。
 はじめてラインハルトのもとに参上したとき、金髪の若者が最初にした質問を、ロイエンタールは鮮明におぼえている。
 ——それほどまでして僚友を助けたい理由は何だ?
 ミッターマイヤーを助けるのに、理由など必要なかった。強いていえば友その存在が理由であることを、一面識もなかった相手にどう伝えたものか、ロイエンタールはやや苦心した。ラインハルトに利のあるような、もっともらしい見返りも浮かばず、彼は本音を吐露せざるをえなかった。
 ——彼は気持のいい男です。ああいう男がひとりいなくなると、その分、世の中から生気が失せてしまいます。
 その嵐の夜、ラインハルトの協力を得て以来、ロイエンタールは主君とその従者に報いようと努力している。ラインハルトとキルヒアイスの関係もまた、自分たちとは多少異なれど、ロイエンタールの返答が響くようなものであるだろうと信じ、そこに重きをおいていた。それに、ラインハルトはミッターマイヤーが選んだ恩人なのだから。
 こうして友人との談笑は普段と同じように流れていった。だが夕食後のおだやかな時間に、ロイエンタールは不意打ちのごとく告白した。
 「先日、右目の検査を受けたのだが、どうやらいよいよ失明するらしい」
 兆候はあった。義眼と視神経の接続不良で付けなおしが頻発し、脳に負荷がかかっていたのか、ひどい頭痛がすることも少なくなかった。そうした変化から予期していたとおり、ロイエンタールは医師から失明宣告がくだされたのである。
 ミッターマイヤーは動揺しながらも、自分の思いをつたえるための言葉を探したが、どれも使えないことがわかるばかりであった。
「それはきっと、苦労がふえるな。力になれることがあれば言ってくれ」
 これが、精一杯だった。彼は本心から親友を助けたかったけれども、現実に役に立てることはほとんどないだろうと、わかっていた。
 ソファにならんで腰かけていた二人は、同じ追憶を各々の脳内でたどりながら、無言で度数の高い酒をなめていた。
 やがて口をひらいたのはロイエンタールだった。
「卿に協力をたのんだ五年前、おれたちは少佐に昇進したばかりだった。それが今や大将だ。卿は、あのときの約束をはたしてくれた。この右目に関して、卿には返しきれぬほどの恩がある。それを言いたかったのだ。今後は隻眼提督として、軍務につくさ」
 残りの酒をあおった眼帯の男に、ミッターマイヤーが言った。
「また、何でもないふりをしているだろう、ロイエンタール」
 それはロイエンタールにとって、右目の疼きを看破されたときと同じ、ひそかな驚愕の再来だった。
 隻眼の男は、この蜂蜜色の髪の男をベッドに誘うか迷い、やめたことを思い出した。あのとき、ロイエンタールが一歩踏みいれていれば、「今夜はそばにいてほしい」と伝えていれば、ミッターマイヤーはそれに応えただろう。
 目をそむけつづけてきた後悔の念が、突如としてロイエンタールに牙をむいた。彼はこれまで、反省はすれども、後悔とは無縁の男であった。彼は現在の自分をより高みへと移動させることによって、望ましくない過去を抹殺しようとしてきたからである。自分の人生を哀れみなどしまいと、覇気を燃えたたせて、生きてきた。
 そんなロイエンタールも、この男ばかりは、もはやどうしようもない。ロイエンタールの隣を占め、つねに彼の視界にうつる、蜂蜜色の髪のウォルフガング・ミッターマイヤーは、けっして手に入らない存在なのだ。この男の人生に、これ以上干渉することは叶わない。踏みこえれば、待つのは破滅である。
 ロイエンタールの情緒は荒れくるった。彼は問いたかった。何でもないふりをする以外に、おれに何ができるのだ、と。
「何でもないさ。もともとないものではないか。現にこうして、必要のないときは義眼をはずして生活している。白兵戦ならともかく、それ以外の場面において、両目の見える人間に能力で劣るつもりはない」
「たしかにそうだとも。卿の器量や才覚がそこなわれるなど、一ミクロンも思っていない。おれが言いたいのは、見えていたときもあったのと、永久に見えなくなるのとでは、まったく事情が異なるということだ。ほかの人間と比較してではなく、卿のなかで」
「だがこのあなを埋め、視力を回復するなど不可能だ。どうにもならない。それとも、この喪失と痛みをお前は取り除けるというのか、ミッターマイヤー」
 挑発的に言うなり、ロイエンタールはミッターマイヤーの手首をつかんだ。
 その瞬間、ロイエンタールのなかに、一条の光が当てられた。不思議な気分のまま、彼は普段であれば考えつかないようなことを、友人に切りだしていた。
「力になれることがあれば言ってくれと、卿はたしかに口にしたな」
 念押ししたロイエンタールは、ひとつ息を吸った。
「おれの右目を、おおってくれないか」
 頼むという形式をとっていながら、それは強制だった。ロイエンタールは発作的につかんだミッターマイヤーの左手を引き寄せ、自分の顔の右側面にあてがった。ダークブラウンの前髪がからまった親指が、眼帯一枚をはさんで、眼窩の空洞にかさなる。
 しばらくそうした後、ミッターマイヤーは悲しげな、不機嫌そうな、ロイエンタールには解しえない表情で、たずねた。
「楽になったか」
……ああ」
 忌々しい眼球欠損をせいぜい有効活用してやろうという、なかば自棄やけの行動だった。しかし、ミッターマイヤーの手で、本当に痛みがひいたので、ロイエンタールは驚いていた。他人の肌にふれることをこれほど快いと感じたのは、はじめてだった。
 隻眼の男は飢えを知った。もっとも近しいパートナーの証としての、象徴的価値としてのみならず、愛欲ゆえに、友の肉体が欲しくなった。
 ロイエンタールにさしのべられているのは、癒しの手だった。この手をとれば、五年前の選択をやり直せるのではないか。かつて自分が壊してしまった、ありえたかもしれない二人の未来を修復し、取りもどすことができるのではないか。
 そのような一抹の期待をこめて、ロイエンタールはミッターマイヤーの左手を自身の右手でつつみ、ゆっくりと指をからませた。
 ミッターマイヤーがグレーの瞳を見開いた次の瞬間、彼らのあいだは、人ひとり分の空間で隔たった。ミッターマイヤーが退いたのだった。
 ロイエンタールは、ウォルフガング・ミッターマイヤーという人間からもっとも遠い位置にあるはずの感情が、相対した男の顔に浮かんでいるのを目の当たりにした。
 怯懦である。
 ロイエンタールのなかで、欲が反射的に首をもたげかけたが、深く根をおろした親愛が、それを上回った。ミッターマイヤーの反応は、男の青い隻眼に、拒絶のなかの拒絶としてうつった。
 アルコールの魔力は瞬時に醒めた。身のほどしらずにも調子づいた恥ずかしさより、自分が友にこのような表情をさせたのだという無慈悲な現実が、ロイエンタールの心臓を突いた。
「ミッターマイヤー……
 男のかたちのよい唇から、血を吐くような声が洩れた。

 一方、ロイエンタールの手から逃げ出したミッターマイヤーは、羞恥にさいなまれていた。
 彼は妻帯者でありながら、ロイエンタールの誘惑に舞いあがってしまったのである。次に彼は、そのような浮ついた感情をいだいた己の弱さをおそれた。さらに悪いことに、彼はその恐怖を顔に出してしまった。三重の失態に、内心舌打ちする。
 ロイエンタールにかかれば、いとも簡単に自分がゆらいでしまうという事実を、ミッターマイヤーは認めざるをえなかった。人々から賞賛される彼の剛直さも、ロイエンタール相手では、無意識のうちにたわんでしまうのだ。
 理由は自明だった。ロイエンタールが、現在のミッターマイヤーを作りあげたからである。まだ何者でもなかった蜂蜜色の髪の若者を、ロイエンタールは混沌のなかから引きあげた。そんな彼には、反対に、ミッターマイヤーを暗い未完成の海に突きおとすことなど、造作もないのだ。そうして溺れそうになったあと、ロイエンタールにふたたび引きあげられて、ミッターマイヤーは新たな自分自身を発見する。賞賛される自分自身や、醜い自分自身を。
 ミッターマイヤーの、ロイエンタールにたいする憧憬の正体が、これであった。自我をばらばらに解かれたあと、無造作にたばねられるような、戦慄をともなう感覚とともに、ミッターマイヤーは自分らしからぬ自分を発見する。 ロイエンタールには、その力がある。それは刷りこみのようにミッターマイヤーを定義し、束縛する。このひとつ年長の友と語らうたび、ミッターマイヤーのなかに慕情がつのる。
 それは絶望的なまでの恋の自覚であった。結婚してなお逃れられないのだと、ミッターマイヤーが自失したとき、せつない呼び声が彼の鼓膜をふるわせた。見れば、ロイエンタールの唇から、一すじの鮮血が流れているではないか。
 幻視だった。だがミッターマイヤーは、深紅の血とともに己の名前が絞りだされるのを見て、体の奥底まで満ちたりる感覚をおぼえてしまった。想い人からこれほど真剣に呼ばわれて、歓喜を抑えられるわけがなかった。
「ロイエンタール」
 ミッターマイヤーの声帯の振動に共鳴するように、青い瞳がゆれた。それは皮肉屋の男にとって、あまりにも素直すぎる動揺だった。対して、その名を呼んだ男の心は、諦めとともに鎮まっていた。
 ミッターマイヤーは自分の意志で、ロイエンタールの精神のとばりをつついたのだ。苛立たせるに決まっていた。それでも彼は、この隻眼の男が下ろしている、余裕という幕の内側に立つことを望んだ。友が右の視力を永遠に喪失しようとしているとき、そのそばにいたかった。
「また力になれるときがあれば、言ってくれ」
 ロイエンタールは青い隻眼をみはった。いいんだな、と訊きかえす小さな声に、ミッターマイヤーが目でうなずく。友人の厚意に、ロイエンタールは困惑の表情でつややかなまつ毛を伏せ、テーブルへ向きなおり、自分の酒をついだ。
 行為や時間をついやすことで、肉体のまじわりに代わるものを築くことが可能だと、ミッターマイヤーはたかをくくっていた。おだやかな接触こそが真に純粋であると、勘違いしていたのだ。しかし実際には、傷への愛撫ほどゆがんでいて、不純で、みだらなものはない。
 聡明なミッターマイヤーにはめずらしく、彼は経験によって、あやまちを学ぶことになる。



 翌七九七年、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム候を中心として、門閥貴族三七四〇名からなるリップシュタット反帝連合軍が結成される。これが、帝国を二分する内乱始動の合図であった。
 ラインハルト側はこの武力抗争にそなえて、捕虜交換によって自由惑星同盟に工作員を送りこんでいた。あらかじめ外患を絶ち、帝国内での覇権確立に全力をそそぐ準備をととのえておいたのだ。そして覇権争いがはじまったと見るや、彼らはブラウンシュヴァイク公の隙をついて軍務省と統帥本部を襲撃・占拠した。かねてからの計画通り、軍の全権を掌握することに成功したのである。かくしてラインハルト軍は万全のかまえで、リップシュタット反帝連合軍こと「賊軍」と戦火をまじえた。

「顔色が悪いぞ、ミッターマイヤー」
 食事をつつくばかりで、いっこうに口へ運ぼうとしない友を、ロイエンタールがからかった。彼が義眼を身につけなくなって久しく、周囲からも眼帯姿が違和感なく受けとめられている。最初のうちは、無言のざわめきが彼を取りまいたものだ。オーベルシュタインと共通点があるのが嫌だったから義眼の使用をやめたのだ、という冗談も出回ったが、ロイエンタールの外見上の変化について、おおむねの印象は好意的であった。ロイエンタールは典雅に洗練されつつも、武人的な凛々しさに満ちた美男である。そんな彼の眼帯姿は、兵士たちが秘める少年の心をくすぐってやまなかったのだ。
 ミッターマイヤーの食欲不振の原因は、先日ふたりが指揮したレンテンベルク要塞攻略にある。この要塞攻略における第六通路突破作戦は、殺戮を生業なりわいとする軍人でも目を覆いたくなるほど、酸鼻きわまるものだった。苛烈な白兵戦のさなか、装甲擲弾兵総監オフレッサー上級大将が言い放った「きさまらの屍体を鍋に放りこんで、フリカッセを大量につくってやるぞ」という台詞が、ミッターマイヤーの耳でいまだにリフレインしている。
 そして今日のメニューというのが、鶏肉のクリーム煮、すなわち、フリカッセだったのだ。通路の天井まで飛び散った湯気のたつ臓物、柘榴のごとく真っ二つに割られた兵士たちの顔が、どうしてもミッターマイヤーの脳裏によぎってしまう。
 胃酸の逆流を懸命にこらえる友人をながめながら、ロイエンタールは自身の気性の変化を実感していた。たしかに第六通路の戦闘には、自分も気が滅入った。だが、ミッターマイヤーと出会う以前の己もまた、オフレッサーとは程度がことなれど、飢えるように戦いと血とを求めていたように思う。こうした気質の差が現在、目の前の食事を平然と摂取できるかどうかという違いとなってあらわれているのだが、これでもロイエンタールは丸くなったほうなのだ。彼がオフレッサーの戦いぶりに眉をひそめたのは、残忍さそのものに対してというより、過去の自分自身にあきれてのことだった。
 隣に座ってフリカッセを食べはじめた隻眼の男に、ミッターマイヤーが低い声で言った。
「おれはまだ、卿をゆるしてはいないからな」
「済んだことだ。おれたちは何事もなく、オフレッサーを捕らえた。おかげで、貴族連合の結束を弱めることができた……こいつは参謀長の案だがな。苦労の甲斐もあったというものだ」
「オフレッサーを処刑すべきだと言ったおれに、一度は賛同していたくせに。……今回上手くいったからといって、卿の蛮勇はほめられたものではないぞ」
 ミッターマイヤーの言う「蛮勇」は、オフレッサーを生け捕りにするため、ロイエンタールが囮として進みでたことを指している。ラインハルトおよびオーベルシュタインから要求されたオフレッサー生け捕りという難題は、正攻法では解決不可能だった。そこで彼らは、第六通路の床をひそかに腐蝕させることで、容貌魁偉なる装甲擲弾兵総監を、文字通り陥穽にはめることにしたのだ。
「しかし、こんな罠が通用するかな」
「奴は薬物で脳機能が麻痺している野獣だ。餌さえ用意すれば飛びつくさ」
「では、おれが囮役だ」
 装甲服を持ってこさせるため、ミッターマイヤーが呼びよせた副官に、ロイエンタールが「おれの分も頼む」と横入りした。
「大将ひとりでは、上級大将のオフレッサーとつりあいがとれないではないか。おれも出る」
「ばかを言え、卿は片目が見えないんだぞ。あのオフレッサーと戦闘になったらどうする。おれだけで行く」
 ミッターマイヤーは一着だけだと念押しして、大将ふたりの口論に翻弄されるあわれな副官を追いかえした。するとロイエンタールは「二度手間だ」とぼやきながら自身の副官を呼びつけ、装甲服を持ってくるよう命じた。
「おれの片目が見えないことを奴が知っているとすれば、それこそ好都合だ。脇目もふらず食いついてくるだろう。この状況にかぎればおれは弱く、かつ価値の高い敵だからな」
「それだけ卿にとって危険ということではないか!」
 声を荒らげたミッターマイヤーは、何年も前にロイエンタールが脚を撃たれ、危うく命を落としかけたときのことを想起していた。彼はこの友人が、いざとなったら自分を庇って死ぬつもりなのではないかとおそれた。ロイエンタールが言った、「おれなど、卿の命と引きかえにしてよいものではない」という言葉を、一言一句たがわず突き返してやりたかった。
 そんなミッターマイヤーの心情を知ってか知らずか、ロイエンタールはこの危険な任務を、断固として人任せにしようとしなかった。
「万が一戦闘になったとしても、場所が場所だ。狭い通路で死角をつかれる危険はほとんどあるまい」
「まるで子供の駄々だ。屁理屈をこねるな」
 そのとき、彼らの副官から装甲服がとどいた。着替えにむかう前に、ロイエンタールが言う。
「片目だと、距離感をつかむのが難しい。卿にサポートしてもらいたいのだが、頼めるか」
 足手まといとはさすがに言えないミッターマイヤーは、わざとらしくため息をついて、仕方なくふたりで囮役をつとめたのだった。さいわい陥し穴が理想通りに機能して、戦斧トマホークをふるう場面はなかったが、それはたんなる偶然にすぎない。
「このような事態を避けるために、おれは卿の出世に協力したのだ。それを無為にするなど……
 口では毒を吐くが、ミッターマイヤーは純粋に、友の身を案じているのである。ロイエンタールがそうであるように、ミッターマイヤーもまた、愛する友の命が失われるなど、耐えがたいのだ。軍人たる者、ある程度の覚悟をしているとはいえ、このようなときには自重を望みたかった。
 友人の小言が恨み節めいてくるにつれ、ロイエンタールは気まずくなった。余計なことを連想させるフリカッセは早急に食べおえて、今日のところは、友の前から退散したほうが良さげである。
「そういえば聞いた話によると、卿は士官学校時代、シュターデンに戦術を習っていたそうじゃないか。どんなへぼい授業だったのか、すこし興味があるな」
 この話題について、反省するようすもないロイエンタールにかわされたかたちとなったミッターマイヤーであった。だが、このようなとき、ロイエンタールは自分に負けずおとらず頑固である。そのためミッターマイヤーはあきらめとともに、友の強引な話題転換に応じてやることにした。
「シュターデンは、人間の教官が存在する意義をまったく感じさせない奴だった。ただ理論を学びたいのであれば、教科書を読めばいい。教科書以上の価値を奴に見出すことはできなかった」
「なるほど。まあ、士官学校にまともな教師はいなかったがな。その点、叛徒どものほうが良き師だった」
「それは生存者バイアスというやつだろう」
「違いない。だが現実はそうなっているし、おれはそれがさほど悪いこととは思わん。しかしそうだな、卿の話は明快で、部下にもよく慕われている。シュターデンなんぞより、はるかに優れた教師になれるだろうな」
「やめてくれ。教室で教科書片手に戦術論を説くなど、考えただけで眠くなりそうだ。えらそうに人前で喋るだけというのは柄ではないし、後進に用兵術をしめすなら、身をもってするほうがいい」
 第一、「理屈だおれのシュターデン」と比較されたところで、喜んでいいのかわからないなと、ミッターマイヤーが笑う。彼はようやく、昼食を食べる気分になった。ただし、フリカッセは冷めきっており、隣のロイエンタールの皿は空になっていたが。



 八月末になると、門閥貴族連合の状況は絶望的となっていた。リップシュタット盟約の副盟主リッテンハイム候は、キフォイザー星域会戦でキルヒアイスに敗れ、最期は部下の捨て身の反抗により、木っ端微塵に肉体を吹き飛ばされた。傍若無人な貴族に虐げられてきた平民の逆襲はすさまじく、兵士も領地の民衆も徒党を組んで、苦難と忍耐と服従の過去を取りもどさんとばかりに暴走している。連戦連敗によって、貴族の権威という黄金のめっきが剥がれおち、実力不足と不徳があらわになった末路が、これであった。のこす敵は盟主ブラウンシュヴァイク公くらいのものであるが、かの大貴族もほぼ死に体である。
 しかし、ブラウンシュヴァイク公から人心を離反させるにあたって、憂慮すべき副作用が生じていた。ローエングラム候ラインハルトと、彼の赤毛の忠臣キルヒアイスの関係に、なにやら亀裂が入ったというのだ。ロイエンタールとミッターマイヤーのふたりは、それをまだ噂として聞くばかりであったが、隻眼の男には思いあたる節がある。
「卿はヴェスターラントの核攻撃の映像を見たか。あれほど鮮明に惨劇が撮影されるなど、不自然だとは思わんか」
 ロイエンタールの発言に、ミッターマイヤーがカードから顔をあげた。眉間にしわが刻まれているのは、手札交換に悩んでいたことだけが理由ではないだろう。
……何が言いたい」
「あの映像が帝国全土に流されたことで、ブラウンシュヴァイク公オットーの名は、自身の領民に核攻撃をくわえた、史上最悪の虐殺者として銘記された。これによって、もっとも利益を得たのは誰だ?」
 口にこそ出さなかったが、答えは明白である。ミッターマイヤーは慎重に、言葉をえらんだ。
「卿らしからぬ安直な推理だ。憶測でそのような発言をしては、いつかその毒で卿自身がやられてしまうぞ」
「自分がおろかな陰謀論者であればよいと、おれは心底願っているさ」
 そう言いつつもロイエンタールの胸のうちでは、昨年の叛乱軍の大規模侵攻で芽ばえた懸念が、疑惑として成長しつつあった。あのときの焦土作戦と、今回のヴェスターラントの虐殺は、やり口がまったく同じなのである。直接手を下しはしないが間接的に民衆を苦しめ、被害が出たあとに救世主づらをして支持を得る、という手法。ロイエンタールもミッターマイヤーもヴェスターラントの件について何も知らされていないが、ではパウル・フォン・オーベルシュタインや、ジークフリード・キルヒアイスはどうだろうか? いかにも両義眼の参謀長が用いそうな策であり、いかにも赤髪の青年が容認しえぬ策である。ラインハルトとキルヒアイスが不仲になるなど、はじめて聞いたときは自分の耳を疑ったものだが、ラインハルトが長年の友ではなく、計算高い参謀長の側についたのなら、すべての出来事を整合性の糸で結びつけることができるのではないだろうか。
 効用最大化の名目で犠牲を正当化できるなら、行きつく先は結局、あのルドルフと同じ「危険分子」の排除である。弱い立場の民衆を食い物にする人間は、そのうちその適用範囲を拡大しはじめるのが常というものだ。忠義報恩の道を忘れた疑りぶかい独裁者は、かならず有能な部下の粛清に乗りだす。ミッターマイヤーの命を救うために避難した場所が、もしもさらなる危険地帯となっては、喜劇にもならない。ひとまず、オーベルシュタインがこれ以上のさばらないよう、動向を見張る必要があるだろう……
 そんなロイエンタールの心の声を読んだかのごとく、ミッターマイヤーは義眼の参謀長の名を出した。ついでに不要なカードも場にすてて、引き直している。
「われらが参謀長が有能なのはたしかだが、おれたちとはそりが合わないな。ローエングラム侯はあのオーベルシュタインのような人物も用いなければならないのだから、いろいろと苦労があるだろう。もし、キルヒアイスとの仲に何か問題が生じているのであれば、おれたちがいっそう励み、あの方を支える必要がある」
 暗黙裡に同意をもとめられたロイエンタールは微笑んだ。ジークフリード・キルヒアイスの代わりには誰もなりようがないが、彼らの関係修復には可能なかぎり尽力せねばならないだろう。穏当な結論だった。
「卿はそのあたり、上手くやっているじゃないか。シャンタウ星域での卿の立ち回りには、おれもおどろいたぞ」
「ああ……あれは、テストのようなものだ。今思えば、生意気なふるまいだったな」
 ふたりが話しているのは、およそ一か月前の出来事である。戦略的にたいして重要ではないが占領は困難なシャンタウ星域を、ロイエンタールはあえて放棄し、ラインハルトに奪取を依頼したのだ。ロイエンタールはラインハルトの連戦連勝記録にはじめて泥を塗ったかたちとなったのだが、それは続くラインハルトの勝利によって、上官の器量を内外に知らしめるためであった。このオスカー・フォン・ロイエンタールであればこそ、主君の引きたて役が務まるという自負と打算が、彼にはあった。
「ローエングラム候は、卿の意図もよく汲んでくださっただろう?」
 目の前の戦いだけでなく、組織や今後の戦局を見わたす視野をもつ親友に、ミッターマイヤーは得意顔である。しかし、ロイエンタールの表情から険しさは取りのぞかれず、青い隻眼は遠くなった。
……まるで道化だ」
 独語してから、ロイエンタールの胸に後悔のかげがさした。他人の風下に立つことに馴れぬとはいえ、こんな言い方をしては、ミッターマイヤーが気に病むだろう。ロイエンタールがラインハルトに膝をつくことになったのは、親友の助命に付きあったからで、本来の彼の希望ではなかったからだ。ロイエンタールがきまりの悪さを感じつつ顔をあげると、友人の灰色の瞳が逃げていった。
 それを見た隻眼の男は、クイーンのフォーカードという貴重な役を擲った。
「この勝負は下りる。目が疲れたから、休憩したい」
 チップを向こう側へ押しやって立ちあがった彼は、大股でミッターマイヤーの隣に座るなり、小柄な友人にもたれかかった。……わかっていたことだが、銀河帝国の華麗な軍服は、そのきらびやかな装飾がじゃまでしかない。もしこれが素肌だったらどれほど良いだろう、と想像しつつ、ロイエンタールは目をとじる。
 ミッターマイヤーは衝撃に身をこわばらせたものの、長身の友をささえながら片手をまわして、眼帯の紐をほどいてやった。ダークブラウンの髪の毛が耳や頬をかすめて、くすぐったい。体の熱で炙られたコロンから、香りの微粒子が宙にただよう。
 距離の近さに、ミッターマイヤーはへんな気分になってきた。そのわけは単純である。なぜなら、いま彼に心をゆるし、体重をあずけてくるロイエンタールを、ミッターマイヤーはどうしようもなく好いていたからだ。
 あたかも、自分の肩のうえで頭の角度や置き場を試行錯誤する友人を見かねたように、ミッターマイヤーはこんな提案をした。
……横になるか?」
 それと同時にミッターマイヤーが離れていってしまったので、ロイエンタールはいくらか落胆した。が、友はたんにソファの端に移動しただけだと気づいた瞬間、彼の心理は一変した。服の上からでもわかる引き締まった太ももは、すきまなく閉じあわされていた。ちょうど、人間の頭がうまいこと乗りそうな具合に。
 熱っぽいめまいとともにロイエンタールが身を乗りだしたそのとき、けたたましい警報が鳴りひびいた。ガイエスブルク要塞から、貴族連合軍が出撃してきた合図である。
 ロイエンタールにとって最悪のタイミングだった。敵に対し、盛大に舌打ちしたのも無理はない。とはいえ、これは偶然の不幸である。貴族どもに妨害の意図も透視能力もあるわけがないと、理性では把握している。が、逃したものがあまりに大きすぎた。
「次はかならず、そうさせてもらおう」
 腹に憤懣をかかえたまま、テーブルに置かれた眼帯を結びなおして、ロイエンタールは持ち場へとむかった。彼はこれまでにない熱意、もとい八つ当たりで、貴族連合軍をこっぴどく撃砕してやるつもりである。
 それから一拍おいて、ミッターマイヤーも部屋を出た。安堵と欲求不満が入りまじり、いまだに体中がざわめいている。「次」は、はたして平静をたもっていられるだろうか。あのとき、自分はおかしかった。もう一度あれをやらねばならないのかと思うと、気が遠くなる。格好はつかないが、酒の勢いにまかせなければ到底不可能だ。
 そこまで思考をめぐらせたミッターマイヤーは、先ほどまで自分たちがコーヒーしか飲んでおらず、完全に素面だったことを思いだした。私事にうつつを抜かしている場合かと、いっそう高温になった自分の頬をたたく。いまは、門閥貴族打倒という帝国の命運を決する戦いに集中すべきだろう。
 すべては、勝利のあとで考えればいい。



 ——嘘をつくな、ミッターマイヤー。卿は嘘をついている。キルヒアイスが、私を置いて先に死ぬわけはないんだ。——



 憂愁を象徴するかのごとき残照が帝都オーディンに差し、すべての建築物はノスタルジックな長い影を落とした。元帥府の閑静な廊下にも、延々とつらなる窓枠のシルエットが描きだされた。世界から人間が消えうせてしまったような、どこか甘美な不安がたちこめ、知らない場所に迷いこんだかのごとき錯覚をもたらす。
 通信室を出たロイエンタールが角を曲がると、長い廊下の突きあたりに、ひとりの男が立っていた。おさまりの悪い蜂蜜色の髪の毛を、落日の光に蕩かしている。手持ち無沙汰なのだろう、窓の外をながめる表情が、常にはない色気を醸しだしていた。
 思いがけぬ人影に、ロイエンタールは隻眼をみはった。出来すぎた光景は、どんな名画よりも彼の心臓をわしづかみ、血潮を全身にめぐらせる。生気を思いださせてくれる。
 遠くからしばらく横顔を見つめていると、ミッターマイヤーがこちらに気づいた。俊敏な脚で、ロイエンタールのところに駆けよってくる。
「押しつけてすまなかった。ローエングラム候のごようすは?」
 ——リップシュタット戦役の終幕で、修復不可能な悲劇が彼らを襲った。ジークフリード・キルヒアイスが、彼の友ラインハルトを守って、命を落としたのである。
 それは、門閥貴族連合にたいする勝利の喜びを完全に打ち消して、なおあまりある打撃であった。半身をもがれたラインハルトは、キルヒアイスの遺体のそばから片時も離れようとせず、そのままガイエスブルク要塞で三日三晩が経過した。ラインハルトを主君と仰ぐ提督たちは窮地に追いこまれたものの、オーベルシュタインの提案で、起死回生の一手を打った。帝国宰相リヒテンラーデ公にたいする、クーデターの決行である。
 法を超え、軍事力によって政権を奪取するという策を聞き、最初に反感を示したのはミッターマイヤーだった。だが結局は彼も、友人の「まるきり冤罪ではないというわけか」という言葉や、切迫した状況に背中を押され、オーベルシュタインの指示にしたがった。国璽の確保、帝都オーディン制圧、いずれもあっけないものであった。かくして、ラインハルト一派は内憂の完全な排除に成功したのである。
 提督たちにとってはクーデターよりも、ジークフリード・キルヒアイスを失ったラインハルトへの連絡のほうが、はるかに気が重く、難易度の高い仕事だった。その不運な役割を、彼らは賭けで決めることにした。カードの女神に嫌われた——あるいは、ゆがんだ寵愛をうけた——のは、ダークブラウンの髪の、隻眼の青年である。偶然の決めたこととはいえ、ロイエンタールは会議で提督たちを主導していたので、妥当な人選であっただろう。
 以上のような経緯で、ミッターマイヤーはほかの提督たちと一緒に、ロイエンタールが通信室からもどってくるのを待っていた。だが彼は、いてもたってもいられず、廊下まで来てしまったのだという。心配と謝意の重みで、濃い蜂蜜色の眉尻が下がっている。
 ロイエンタールは無性に、この友人の体温が恋しくなった。だが、不義密通という罪や、元帥府という場所以上のなにかが彼をいましめ、通常の会話から逸脱することを許さなかった。
 ひとまずミッターマイヤーを安心させてやろうと、ロイエンタールは彼らの主君の回復を告げた。
「参謀長が上手くやったようだ。じきオーディンにご帰還されるそうだから、卿にはガイエスブルクまで迎えをたのむ」
 二つ返事で引きうけたミッターマイヤーは、そのまま数秒ロイエンタールの顔を見つめていたかと思うと、首をかしげた。
「ロイエンタール、何かあったのか?」
 とっさにこたえることができなかった。
 何かあったかといえば、あった。通信の最後に、ラインハルトがこう言ったのだ。「私を倒すだけの自信と覚悟があるなら、いつでも挑んできてかまわないぞ」と。そのとき、ロイエンタールが主君にたいし、おぼろげに抱いていた疑惑が、確信へと変わった。
 ラインハルト・フォン・ローエングラムには、部下を守りぬく力がないのだ。
 親友を失い、食事も睡眠もろくにとれぬほど心神をやつれさせて、そして出した結論が、自暴自棄だというのか。ジークフリード・キルヒアイスはたしかに特別だったろう。だが、その特別を失ってしまったら、自分も部下もどうなろうとかまわないというのか。最悪のあやまちを反省し、二度と失うまいと人を守っていくのではなく、自分も部下も平等に戦いのなかに置くのか。あのオーベルシュタインのように。
 ロイエンタールがどれほど、ラインハルトの「冗談」を、現実に実行してやろうと思ったことか! 彼はミッターマイヤーを守るため、ラインハルトに膝をついたのである。その能力がないと知れた今、ロイエンタールは本当に蹶起してもよいのだ。
 実のところこの瞬間は、ロイエンタールにとって、このうえない好機であった。主要な提督たちおよび麾下の艦隊の多くがオーディンに集結しており、ガイエスブルク要塞の状況は、通信に出た彼しか知らない。こちらには国璽もある。ラインハルトを背後から刺すこと自体は、不可能ではない。
 だが、問題はそのあとである。仮に自分がラインハルトに代わったところで、それはさらなる昏迷と争乱をまねき、状況を悪化させるだけであるのは目に見えていた。ロイエンタールには、ここにいる提督たちをたばねるほどのカリスマはない。出立前にオーベルシュタインが語ったナンバー2不要論——いままで同格であった者の下風におめおめと立てるはずがない——が、絶大なる効果を発揮していた。
 自分が歯がゆくてならなかった。満足な力があったなら、自分たちは命を脅かされる危険も、他人に膝をつく必要もなかった。けれども力のないものは、望むと望まざるとにかかわらず、より力のある者に従うしかない。地位権力といった制度上の力や軍事力、それらの根幹たる実力、すなわち才力が、人間の自由の程度を決める。ロイエンタールはラインハルトに幻滅し、不満をもっていたが、元をただせばそれは自身の非才にたいする憾みであった。
 自分ひとりで不足なら、ミッターマイヤーを誘って、ふたりで宇宙を手に入れようかと考えないでもなかったが、この男は主君の騙しうちをよしとしないだろう。それにミッターマイヤーはこんなにも、主君であるローエングラム候を案じている。ロイエンタールのような、立ちなおってもらわなくては困るという自分の都合だけではない。ミッターマイヤーの心ばえは、自分自身の半分を失った年少の戦友へと、寄りそうものでもあった。
 こうしたミッターマイヤーの朗らかさ、まっすぐさを、ロイエンタールは好ましく思う。ミッターマイヤーのつよさを、彼は信頼している。だからロイエンタールは、友の美点が発揮される場をととのえ、守りたいと思う。
 そのはずだが、今はそれほどおおらかな気分になれない。お前の主君は、お前が気にかけるほどお前を気にかけてはくれまいと、言ってやりたくなる。本当にお前を気にかけているのはこのおれなのだと、だからほかの誰にもその美点を振りまかないでほしいなどと、思う。
 みっともない執着だった。こうしてロイエンタールは己の狭量さを知り、すくなからぬ衝撃を受けた。それは決定的な敗北感として、彼を打ちのめした。
「べつに何もなかったが、どうかしたのか」
 何かあったか、という質問にたいして、何でもないと答えたのは、ロイエンタールのせめてもの意地であっただろう。ミッターマイヤーはけげんな表情を崩さなかったものの、それ以上は追及しなかった。
「それならいいのだが、ところで、卿はガイエスブルクには行かないのか?」
「ああ……リヒテンラーデ公とその一族だが、刑の執行をまかされた。おれは残って、その指揮を執らねばならん」
 帝国宰相クラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵は毒による自殺。女子供は辺境に流刑。一○歳以上の男子は、すべて死刑。これが、ラインハルトの裁断である。
 たしかに、無慈悲なる族誅は、古来より政権交代につきものだ。しかし、将来に禍根を残さぬことが目的であるならば、年齢にかかわらず赤子までも皆殺しにしなければ意味がない。
「九歳以下の男子は、流刑でかまわないのか」
 一○歳の子供も粛清の対象とは、あまりに酷ではないか。ミッターマイヤーのつぶやきの裏にある無言の顰蹙を、ロイエンタールは感じとった。
「ローエングラム侯は、一○歳で志を立て、幼年学校に入学された。だからその年齢までは半人前であるとして、助命するとおっしゃったのだ」
 これがラインハルトの要求する水準なのだと思うと、ロイエンタールは背筋がつめたくなり、己の足場がぐらつくのを感じる。一○歳のとき、彼はまだ、自身の生まれた家に囚われていた。碧眼の息子であることを強要され、父親からなじられ、貴族という身分制度にたいする反感も不明瞭なものでしかなかった。やはり、ちがうのだ。ラインハルト・フォン・ローエングラムと、このオスカー・フォン・ロイエンタールとは。
 ロイエンタールは、胸のうちではラインハルトに対抗心をくすぶらせながら、口ではその主君を擁護していた。思考と発話が分離し、その行きつくところが彼自身にも見えずにいる。だが、こうするほかない。主君にたいする不信は、ミッターマイヤーの果断速攻のさまたげとなる。親友がこの手に入らないのならば、せめて、彼を構成するものを、何もそこないたくない。
 そのような過保護を、ミッターマイヤーは嫌うだろう。だから、何も言うまい。喪失を目の前で見せられて恐怖した自分が、勝手にやることだ。疑心暗鬼も流血も何もかも、自分だけがかぶっていればよい。
……卿にはまた、気分の悪い仕事をさせてしまうな」
「なに、おれが最初に、ローエングラム侯の迎えを卿に押しつけたのだ。その結果、のこりの仕事がおれに回ってきたというだけさ」
 地平にとどきそうな斜陽は色を濃くし、血の色の光を窓側のロイエンタールに浴びせかけている。長身の友の影に入っているミッターマイヤーは、自分よりやや高いところにある表情を読みとろうとした。だが、逆光にくらんでしまって、ぬぐいきれない違和感の正体は、ようとして知れない。
 しまいにロイエンタールは、言葉でもって、ミッターマイヤーをこの場から追いだしてしまうのだった。
「さあ、『疾風ウォルフウォルフ・デア・シュトルム』よ、いそいで行ってくれ。おれたちの中で、卿がもっとも速いのだからな」



 帝国歴四八八年、ラインハルト・フォン・ローエングラムは、ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム候、リヒテンラーデ公といった門閥貴族の一掃に成功した。この華麗なる黄金のたてがみをもつ銀河帝国軍元帥は、爵位を最高位の公爵へとすすめて帝国宰相となり、いまや国政を一手にになう立場である。彼が輔弼する皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世は六歳、だれの目にもあきらかなラインハルト独裁体制であった。
 翌帝国歴四八九年の前半部、この銀河系の秩序は、とうとうほころび始める。ここ一世紀は、銀河帝国と自由惑星同盟の二極システムの均衡を、フェザーン自治領が維持していた。しかし、銀河帝国はラインハルト独裁体制の確立により、身分制度、行政、経済にわたるラディカルな改革が実現され、生まれ変わりつつある。一方、アムリッツァにて大敗を喫した自由惑星同盟の衰退はいちじるしい。旧来の国力比は、銀河帝国四八、自由惑星同盟四○、フェザーン自治領一二といったところだったが、現在の比率は四八:三三:一九程度ともくされている。
 古びた地図を巻きあげる時期が来ていることを、この銀河でいったい幾人ほどが察知していただろう。周囲に先んじてすでに地図をしまっていたのは、新たな地図にみずから筆を加えんとする者たちである。だが、そうした極少数の例外をのぞく大多数の人々は、イゼルローン回廊を攻めつ守りつという、変わりばえのしない戦いが、いままでもこれからも永遠につづくと信じていた。「やれやれ、またか」という無数のあきれ顔は、歴史の女神という絶世の美女の腹をよじらせる、亡国の予兆であった。
 帝国歴四八九年七月六日、皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世の誘拐にはじまる歴史のうねりは、それを堰きとめていた堤防をついに呑みこんだ。

 七月七日未明の緊急招集が解散したあと、ロイエンタールはミッターマイヤーに呼びとめられた。
「卿の家で朝食をとりたいのだが、どうだろうか」
 召集がかかったときには濃い群青色だった空が、夏の朝陽によって急速に漂白されつつあった。一時帰宅するとはいえ、ベッドに入って眠るには中途半端な時刻である。
 この空白の時間を有効活用しない手はない。現在上級大将であるロイエンタールとミッターマイヤーは、なかなか多忙である。それに、先ほど艦隊の出動態勢をととのえておくよう指示をうけたということは、いつ戦地に赴くことになってもおかしくないのだ。
 ミッターマイヤーの誘いに振りむいたロイエンタールは、持ちあがった頬に喜色をにじませつつも、いたずらっぽくとぼけた。
「おや、卿の家には料理の名人がいたと記憶しているのだが、今日は休業中かな」
「こんな時間に起こしてしまったから、いっそのこと、ゆっくり眠ってもらおうと思ったのだ。で、どうなんだ」
 このとき、ふたりの関係は曖昧そのものであった。過去、ミッターマイヤーはロイエンタールに恋慕していたが、ミッターマイヤーが結婚を決断した日を境に、不幸な失恋は葬り去られたかと見えた。
 だがそれから二年後、彼らの心にのしかかっていた重い墓石は打ち砕かれる。それを成しとげた鉄槌は、ブラウンシュヴァイク公爵家によるミッターマイヤー謀殺という危機であった。帝国筆頭の門閥貴族と対立し、ミッターマイヤーが命を奪われかけたとき、それを耐えがたく感じたロイエンタールは手を伸ばした。親友をここから連れさってしまいたいという想いをロイエンタールが口にしたとき、ふたりは自分たちのあいだで、反転した恋がはじまっていることを了解したのである。
 以来、ロイエンタールはミッターマイヤーに、やや迂遠な言葉や行動で——ひょっとするとそれらは、「愛している」といった台詞などよりもよほど、純然たる愛の証明だったかもしれない——自分の想いをつたえてきた。ミッターマイヤーはそれに応えなかったが、同時に拒みもしなかった。ロイエンタールとしては、親友が自分をどこまで許容するのか、気になるところである。好かれているには違いない。だが、それが具体的にどのような種類の好意なのか、彼は計りかねていた。
 妻が寝ているあいだに、己を好いている男の家に行きたいとは、なんと煽情的であろう。このような見方は、恋する者に特有の、都合のいい曲解だろうか? ミッターマイヤーの申し出は、清々しい朝に似つかわしい、ただの食事の誘いなのか、それとも……
 ロイエンタールはあれこれ考えをめぐらし、ヒントを探ろうとするが、ミッターマイヤーの受け答えはそつがなかった。先ほどのロイエンタールのからかいも、もののみごとにかわされた。自身の結婚式にロイエンタールを友として招待したときから、ミッターマイヤーの夫としての振るまいは完璧そのものである。それが友の、妻への愛のなす業だと思うと、ロイエンタールは粉をかけたくなってしまう。
「むろん、歓迎しよう。卿の奥方に、やすらかな眠りを贈るためとあらば」
 官舎へむかう車中、ロイエンタールは「眠いから、着いたらおこしてくれ」と一方的に宣言するなり、自分より小柄な友人にかるくもたれて目を閉じた。もはや、この程度のスキンシップには慣れてしまったミッターマイヤーである。
 隻眼の男が、他人の前ではおくびにも出さぬ目の疲れを、ミッターマイヤーだけが知っており、癒すことができた。漁色家たるロイエンタールの夜の相手は、恐れと遠慮から、誰もその傷に触れようとしなかったし、ロイエンタールが触れさせなかった。唯一その手をもとめられたのは、親友のミッターマイヤーである。この男は時おり、自身の膝を枕にしてやって、眼球が欠損したロイエンタールの右眼窩を愛撫した。そうして彼は、つねに周囲を威嚇しているようなところのある隻眼の男が、自分にだけ身をゆだねる喜びを堪能するのだ。そんなことを数回も繰りかえせば、互いのなわばり意識が溶解してしまうのは必定であった。
 並んで座るときの密な接触は、地上車から降りるその一瞬だけ中断されたものの、家に入るなり再開された。客人をソファに座らせると、ロイエンタールは自身の左脚がミッターマイヤーの右脚と接触する距離で、隣に腰かける。しかし二人きりとなったことで、朝食を待つほんのわずかな時間、話題は嵐の方角へと舵をきった。
「宮殿の警備担当は、モルト中将だったな」
 ロイエンタールがつぶやく。先ほどの召集では、ケスラー大将が皇帝捜索にあたっていると説明されただけで、モルト中将について触れられることはなかった。あの誠実な初老の男は、この不始末の責任を免れえぬ立場にある。銀河帝国皇帝の保護をおこたった彼は、その罪により、この世を去る準備をしているか、あるいはすでに去っているだろう。
 不都合な現実を無視していたことをとがめられたように感じて、ミッターマイヤーは返事ができなかった。この発言は、およそ一ヶ月前に執りおこなわれた葬儀とその後の会話を、ミッターマイヤーに想起させた。
 ひと月前の今年五月、カール・グスタフ・ケンプが死んだ。第八次イゼルローン要塞攻略戦の総司令官に任命されたものの、自由惑星同盟の「不敗の魔術師」こと、ヤン・ウェンリーに敗れたのである。ミッターマイヤーとロイエンタールは増援にむかったものの、遅かった。二人は敗走する味方に代わって、僚友の死にささやかな弔いをつけくわえたのだが、ケンプの帝国軍葬ののちにロイエンタールが語ったことがある。
「部下とは、あのかたにとって便利な使い捨ての道具にすぎないのかもしれない」
 酒の席ではあったが、ミッターマイヤーは親友からはっきりと忠告されたのだった。従順にしていればケンプのように道具として使いつぶされ、役に立つべく才幹を発揮すればキルヒアイスのように目をつけられて粛清の対象となる。この矛盾パラドクスのもとでは、どう振るまっても安泰ということはありえない。用心しろよ、と。
 ロイエンタールはヴェスターラントの虐殺についても、何やら思うところがあるらしかった。そのときは友人の懸念をかるく払拭したミッターマイヤーだったが、その直後にキルヒアイスが亡くなったことで、彼は無力感と不安を味わっている。それから一年で、キルヒアイス、ケンプ、モルトという、将官クラスの同僚の死が相ついだ。このような状況ではミッターマイヤーも、ロイエンタールが洩らした不満と不信に、平常心ではいられなかった。
「モルトほどの男でも、してやられるということがあるのか」
「不意をつかれたな。誘拐などという大層な芸当ができるなら、昨年までに実行すべきだった。いまさら旧王朝の権門の残滓をかきあつめて、いったい何ができると思う?」
「何もできんだろう。公がおっしゃったように、たとえ犯人どもが自由惑星同盟に逃げこんだとて、その自由惑星同盟ごと、吾らの手で滅ぼしてやるだけのことさ」
 ミッターマイヤーが言うと、ロイエンタールは青い隻眼をするどく光らせた。
「そこだ、ミッターマイヤー。此度の誘拐事件だが、ローエングラム公は頭上の目障りな障害物を叛徒どもに引きとってもらったと、そのような見方をすることもできるのではないか」
 振りかえってみると、オーベルシュタインが自由惑星同盟との結託の可能性を口にしたことも、また「いま性急に結論を出すのはさけたい」と前置きしつつ、ラインハルトが出兵をほのめかしたことも、ロイエンタールには怪しく思われるのである。ゴールデンバウム王家とその家出息子たる自由惑星同盟のあいだに盟約がむすばれたとすれば、それはラインハルトの野心にかっこうの口実をあたえるだろう。自由惑星同盟を滅亡させ、全銀河を統べる至尊の地位につくという、ラインハルトの個人的な夢は、幼帝誘拐犯に制裁をくわえるという大義によって叶えられるのだ。
「誘拐犯はともかく、自由惑星同盟の側には、敵国の内戦の敗残兵と手を組む理由などない。まともな戦略眼があれば、いやそうでなくとも、三○○年にわたる反ゴールデンバウムの志を忘れていなければ、自由惑星同盟は誘拐犯の汚らしい手などとるまい」
「では卿は、オーベルシュタインの見解は杞憂だと考えているのか」
「いや……
 ミッターマイヤーの問いかけに、ロイエンタールは口ごもった。彼自身、幼帝を殺害した主君をいただくのは、気持ちのいいものではない。結局はロイエンタールも、エルウィン・ヨーゼフ二世が共和主義者どもを糾合してくれるほうが、都合がいいと考えているのだ。もし皇帝を突きかえされでもすれば、ラインハルトも、その下にいる自分も、銀河系の覇者の地位からかなりの後退を余儀なくされる。
「オーベルシュタインの義眼がいったいどの程度の未来まで透視しているか、おれにはわからぬ。ここはやはり、出方を静観するほかないだろうな」
 もし事態がこちらの都合のいいように動くとしたら、それはロイエンタールの将来の選択肢が広がることをも意味する。
 隣に座る、蜂蜜色の髪の友さえいればいい。これが、ロイエンタールの正直な思いである。だがそのような特別な感情こそ、彼がラインハルトに抱く不満と源を同じくしているのだ。自分にとって大切な人間が、他の人間からも大切にされるとは限らない、ただそれだけのことだ。ロイエンタールにもその程度の分別はあるし、彼はその法則を、私生活上でも嫌というほど実感している。ロイエンタールにとって親友は失うべからざる人間であるが、親友の愛する妻は、そうではない。
 だからロイエンタールには、キルヒアイスさえいればよかったラインハルトのやり方が、よくわかる。わかればこそ、彼は友人に警鐘を鳴らすのだ。ラインハルトが誘拐を手引きしたのではないか、とまでは言葉にしなかったが、明敏なミッターマイヤーは、ロイエンタールの言わんとするところを悟っただろう。
 いまのラインハルトにとって最も重要なのは、宇宙を手に入れるという約束だ。ケンプにつづいてモルトが、その覇道の犠牲になったのではないかという疑惑は、たしかなものではない。だが、ラインハルトやオーベルシュタインの言うとおり、自由惑星同盟が破滅に足を踏みだしたとなれば、何らかの作為を感じざるをえなくなる。そうなれば、いよいよ宇宙は複雑怪奇をきわめながら、ラインハルトを中心にまわりはじめるのだ。おびただしい数の味方の死体を、臼のごとくすり潰しながら。
 根本的にルールを変えたいのなら、今とはまったく異なる道を歩む必要があるだろう。奪われたくないものがあるのなら、逃げまわるばかりではだめなのだと、ロイエンタールは彼の若き主君に教えられた。
「私を倒すだけの自信と覚悟があるなら、いつでも挑んできてかまわないぞ」
 ロイエンタールは、自らに与えられた挑戦権の行使について、真剣に考えはじめていた。



 銀河帝国正統政府。これが、皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世を擁立した、亡命政権の名称であった。首班はレムシャイド伯ヨッフェンという名の、ゴールデンバウム体制の復古を夢見る由緒正しき貴族で、かつてはフェザーンに駐在する帝国の高等弁務官を務めていた人物である。
 自由惑星同盟最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトは、八月二○日に、ゴールデンバウム王朝と自由惑星同盟のあいだにむすばれた協約を公表した。今日にいたるまで、何人もの政治家が血と汗のにじむ努力をして、それでも成しとげることのできなかった、史上初の協調策である。
 けれどもその偉業の最大の功労者は、幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世でもなく、銀河帝国正統政府首相レムシャイド伯でもなく、自由惑星同盟元首トリューニヒトでもなく、黄金の髪と蒼氷色アイス・ブルーの瞳をもつ用兵の天才、ラインハルト・フォン・ローエングラムであろう。ラインハルトという強大な敵がなければ、銀河帝国と自由惑星同盟の反目は続いていたに違いないのだから。
 そもそもこの協約を、「銀河帝国」と自由惑星同盟の連帯と言ってよいものか、疑わしくはないだろうか。いまや、実質的な銀河帝国の支配権はラインハルトのものである。ゴールデンバウム王朝なるものは、銀河帝国という肉体から離脱した、現世をさまよう亡霊にすぎないのではないか?
 亡命政権とそれを庇護する自由惑星同盟にたいし、帝国宰相ラインハルトの反応は迅速かつ苛烈であった。彼は反ローエングラムを掲げる敵政府にむけて、いっさいの交渉・説得を拒否した上で、武力による制裁をくわえることを宣言した。自由惑星同盟の人々は、暴君から幼い皇帝をまもるという騎士症候群ナイト・シンドロームの夢を見る時間もあたえられなかった。ラインハルトの宣戦布告をうけたとき、市民たちは、自分たちの政府が産みの親の骸骨の手をとって、化鯨がまちかまえる薄氷の上でタップダンスを踊っていたことに気がついたのである。
 だが、この銀河をコンサートホールとして、壮大な鎮魂曲レクイエムを奏でるべく奔走する者たちにとって、同盟領への帝国軍大規模侵攻は、必然の出来事であった。聴衆にとっては驚愕すべき緊急事態だったかもしれないが、指揮者たちのあいだでは、それは共通した前奏曲プレリュードにすぎなかった。
 ラインハルトはこの作戦を「神々の黄昏ラグナロック」と命名し、陰謀家たちもまた「怪狼フェンリルは鎖から放たれた」と合図した。それは奇しくも同一の神話の、同一のエピソードからとられていたが、両者の描く全体構想はことなる。そして、たとえば「怪狼フェンリルは鎖から放たれた」と発したルパート・ケッセルリンクのような者でさえ、親がたくらむ陰謀の全容を把握してはいなかった。
 このオーケストラの主役たちも、まだその役割を知らされていない。

「『わずか七歳の皇帝を虐待し』とは、ローエングラム公もとんだ言いがかりをつけられたな」
「群衆を動かすために重要なのは真偽ではなく、想像力を刺激することなのだろう。民主主義では市民ひとりひとりに主権があるというが、判断力にとぼしい人間にも無条件に権力を行使させるのは、赤子に銃を持たせるようなものだと、おれはつねづね思う」
「そうだな。このような嘘で煽動される一部の叛徒どもも情けないが、銀河帝国正統政府とやらもみじめなこと極まりないぞ。わざわざ『正統』などと自称しているのが、哀れでならん。やつらが人類社会における唯一絶対の支配者でないことの、何よりの証拠ではないか」
「みずから凋落を喧伝してくれるとはな。ご苦労なことだ」
 これは自由惑星同盟と亡命政権それぞれの首長の演説にたいする、ミッターマイヤーとロイエンタールの酷評である。同盟政府はどうやら、机上の空論にもひとしい旧体制派のロマンティシズムに毒されてしまったらしい。自由惑星同盟は今のところ、国家の体をなしてはいるが、その精神は八月二○日に死んだ。
 ローエングラム元帥府の青年提督たちは、自由惑星同盟の愚行をひとしきり嘲笑した。けれどもロイエンタールとミッターマイヤーのふたりは、ただ敵を侮るにとどまってよいものか、警戒も忘れなかった。ゴールデンバウム王朝打倒のスローガンを一八○度転回した変わり身のはやさには、あきれるだけでは済まない、巨大な不条理が作用しているように思えてならなかった。現在、同盟市民の混乱ははなはだしいと聞いているが、その市民からえらばれたはずの政府が、市民感情から乖離してうごいているのは一体どういうことなのか。
 その上、これほど重大な発表をしながら、同盟政府の対応が遅鈍すぎる点も気になった。ラインハルトたちは皇帝誘拐が発覚した直後から、今後の展開を複数予測し、各パターンにおける対処について討議していた。帝国側としては、いつ誘拐犯が動くかわからないため、可及的速やかに対応策を決定する必要があったのだ。しかし自由惑星同盟政府の側はそうではなく、好きなタイミングで先手を打つことができた。彼らは、自分たちの政治的アクションにたいする、ラインハルトのリアクションの、さらにそのリアクションまで準備してから、亡命政権承認を公表すべきだったはずである。相手のつぎの手さえ予測していないとは、交渉の程度があまりに低すぎる。これが本当に、自分たちが一五○年間戦ってきた敵の首脳なのかと、ふたりは疑問だった。だが、不可解な事態を解明するすべも時間もなく、「一億人・一○○万隻体制」の声が帝国軍を席巻し、事態は全宇宙の覇権をかけた戦いへと突きすすんでいった。

 銀河帝国正統政府発足とラインハルトの宣戦布告から一ヶ月後の九月一九日、ローエングラム元帥府で最高作戦会議が開かれ、フェザーン回廊からの同盟領侵攻が決定される。世にもまれな美貌の王者ラインハルトは、この作戦を「神々の黄昏ラグナロック」と命名した。
「いよいよだな」
「ああ」
 一一月八日に、「神々の黄昏」作戦の最終的な人事が決定された。ロイエンタールはイゼルローン方面軍の総司令官として、近日中に帝都オーディンを発つ。その出立日直前、彼は親友ミッターマイヤーに飲みの約束をとりつけたのだった。
 「神々の黄昏」作戦の最終目標は、自由惑星同盟を屈服させ、全銀河にラインハルト・フォン・ローエングラムの平和と秩序をもたらすことである。この未曾有の覇業を達成するためには、これまで誰も考えなかった試みが必要であり、その慣例やぶりを敵に気づかせぬ配慮も要求された。よって、フェザーン回廊を制圧する本隊の準備は秘密裏にすすめられる一方、イゼルローン方面軍のそれは大々的に報じられた。四日におこなわれた三万隻規模の大演習に、ロイエンタールが査閲総監として立ち合ったことまでも、帝国軍によるカムフラージュの一環なのである。「神々の黄昏」本番では、イゼルローン要塞攻略の援軍に見せかけて出撃したミッターマイヤー艦隊が、電撃的にフェザーン回廊を制圧し、同盟領への侵攻ルートを確保する予定であった。
「おれの道化師の立ち回りも、板についてきたと思わんか?」
 軽くぼやいてみせるロイエンタールに、ミッターマイヤーが真剣な面持ちで言った。
「ほかの者が総司令官では、箔がつかないだろう。卿にしかできぬことだ」
 友の返答に、ロイエンタールは満足をえた。ひとまずは、彼もラインハルトのために、全力をあげてヤン・ウェンリーと戦ってやるつもりである。ロイエンタールはラインハルトと同じ覇道の延長線上に並んでいるのであり、道中の障害物はいずれにせよ取り除く必要があった。
 現時点でより玉座に近いのはラインハルトであるが、ロイエンタールにその順番が回ってくることもありうるだろう。帝国軍主力が自国の領土を侵略しているとなれば、ヤンも要塞から動かざるをえまい。となれば、ラインハルトとヤン・ウェンリーの対決が、ついに実現するやもしれぬ。
 そのゆくえに、ロイエンタールは尋常ではない興味があった。「うまくいかせたいものだ」と華麗な微笑をひらめかせたラインハルトに、はたして全銀河を征服するだけの器量があるのか、ぜひ見とどけたいと思う。もし失敗したのなら、そのときは——
「ルッツとレンネンカンプはどうだ?」
 ミッターマイヤーが、イゼルローン方面軍の副司令官二人の名前をあげた。両大将のうち、とくにレンネンカンプのほうは、リップシュタット戦役後に元帥府にくわわったメンバーであるため、あまり人柄を知らないのだ。
 ロイエンタールは一瞬、何か言いたげな視線を友人に投げかけた。だがミッターマイヤーの発言に他意がなさそうだとわかると、自身の詮索をシニカルな笑みで取り消し、赤ワインに口をつけた。
……まあ、無能者がローエングラム公の元帥府に名を連ねることはゆるされんからな。そういうことだ」
「それならそうと、持って回った言い方ではなく、すなおに褒めたほうがいい。ビッテンフェルトの家訓を参考にしろよ」
「まさか、本気か?」
「まさか」
 ミッターマイヤーは、彼の蜂蜜色の髪よりも甘い表情をうかべて、こう続けた。
「卿はむやみに舌を使わないくらいで、ちょうどいい」
 本当に、ウォルフガング・ミッターマイヤーは、彼の親友のことを語るとき、このような顔をするのだった。それを目の当たりにすると、ロイエンタールは、狼の名を冠するこの男に、自分の持つものなら何でも、自分の手には到底届きようのないものでさえ、すべてささげてしまいたくなる。六年前までは自分ももうすこし、分別のつく人間だったように思うのだが、惚れた人間にたいする際限のない献身は、まったく端倪すべからざるものだった。ロイエンタールは自分でもあきれるほど健気に、いちずに、親友を愛していた。
「他人から称賛されるために他人を称賛するというのは、いささか下品だな」
 ロイエンタールの言葉に、ミッターマイヤーが力強くうなずいた。公明正大で知られる彼は、時おりではあるが、親友の冷笑癖に水をやりさえしたのだった。
 こうした二人きりの会話も、作戦が始動すればしばらくおあずけとなる。かたやイゼルローン、かたやフェザーン。これほどの遠距離は彼らにとって、未知のものである。どういうわけか、たった数ヶ月の別れも厭わしいロイエンタールだった。思考を無理やり押しすすめれば、物理的距離よりもさらに忌まわしい、今生の別れという可能性も視野にはいってくる。それは現時点ではさほど深刻な懸念ではないが、軍人として戦いにおもむく以上、死の危険はきわめて身近なものだった。
「ミッターマイヤー」
 ロイエンタールが呼ぶと、ミッターマイヤーはグラスをまわしていた手を止めて、向かいの隻眼と目を合わせた。
 いつからだろうか、戦いを前にして、ふたりで酒を飲む習慣ができたのは。ミッターマイヤーと出会う以前、ロイエンタールは酒を熱源として冷めきった心身をたぎらせ、人の肉と骨をうちくだき、たたきつぶし、その血しぶきを洗いながすためさらに酒を飲んだ。それはあたかも、むらがってくる暗闇のなかで、生存のために火を熾すような行為であった。
 だが友と飲むとき、そこにはすでに灯りがある。ロイエンタールは友とすごすとき、アルコールを燃料としてではなく、やすらぎをもたらす薬として楽しんだのだった。そうだ、孤独と相和すことをやめてからだ。どうしても死ぬ前に、この男に一目逢いたいと思うようになったのは……
「顔をよく見せてくれ」
 ロイエンタールは言い、愛する男の顔を賞翫しながらだまってグラスをかたむけた。つぎの言葉を待ちかまえていたミッターマイヤーは、しばらくして、親友が自分の顔をあてに酒を飲んでいることに気がつき、頬杖をついて目をそむけた。気づいてなお、それをやめさせないところに、関心をひきたいミッターマイヤーのわりきれない想いがある。が、ふたたびロイエンタールのようすをうかがったとき、その隻眼がややとがらせた自身の唇にそそがれているとわかると、さすがのミッターマイヤーも手をふって視線をさえぎった。
 とうに葡萄酒を飲みほしていたロイエンタールは、一連の友のしぐさを心ゆくまで慈しみ、清新な闘志をみなぎらせた。
「銀河帝国の軍人として、はじめてフェザーン回廊に足を踏みいれる名誉は卿のものだ、疾風ウォルフウォルフ・デア・シュトルム。おれはせいぜい派手にやって、卿の前途をらくにするとしよう」
 まだミッターマイヤーの体の中心で、心臓が弾んでいた。それを誤魔化すため、彼はワインで口のなかを湿らせる。
「ヤン・ウェンリーと戦うことのできる卿もうらやましいが、適材適所というやつだからな。とはいえ、おれは単なる軍人だ。フェザーン制圧後、ローエングラム公がご到着されるまでの司政に、不安がないわけではないが……
「せいぜい一週間程度だろう。下手にミクロな経済統制をおこなうと、かえって手がつけられなくなりかねん。欲深なフェザーン人に注意する必要はあるだろうが、卿は一般人がそれまでと同様の生活をおくれるよう、配慮しておけば十分ではないか」
 会話ののち、彼らは解散した。ロイエンタールの邸宅を辞したミッターマイヤーは、充実した時間のなごりである酔いを感じつつ、歓喜と物足りなさとにのしかかられて、地上車のシートに身をしずめた。感情の飽満は、どうも疲労に似ている。
 漁色家としての慣れか、あるいは横恋慕という開きなおりが可能にするのか、ロイエンタールはふいに己の情念をのぞかせて、ミッターマイヤーの緊張の糸をきままに引いたり緩めたりする。漏出するロイエンタールの恋情をうける自分は、まるで小川の流れに揉まれる、頼りない木の葉のようだ。奇妙なことに、ロイエンタールの右目の痛みをなぐさめているときは、このような不安定な気分にはならない。舐めるような青い視線よりも、膝枕のほうがよほど直截で危うい接触ではないかと思うのだが、もはや正常な感覚がわからない。
 ここのところ、自分たちは近づきすぎたのだろう。ロイエンタールを離したくないあまり、真に彼のためとなる忠告もしないで、関係が爛熟するにまかせてしまった。この出兵は、互いに頭を冷やすいい機会だ。以前なら気にならなかった数ヶ月が心もとなく感じられるが、こんな軟弱な感情もじきに薄れるだろう。再会したときには今までどおり、親友として振るまえるはずだ。
 しかしながら、ふたりが出会ってから現在にいたるまで、ミッターマイヤーがロイエンタールに恋慕していなかった期間というものは、じつは一瞬たりとも存在しないのである。そして、これからもないであろうことを、ミッターマイヤー自身、確信している。だから彼は、ロイエンタールとの関係について模範解答を出すにとどめ、本心には望みを語らせなかった。それを言ってしまったが最後、自分のなかで何かが目醒め、止められなくなることを、予感していた。



 ふたりが再会したのは、一一月の会話から四ヶ月後である。ラインハルトの作戦どおり、帝国軍本隊はフェザーン回廊を通過し、二月には首都星ハイネセンがあるバーラト星系の至近にあるランテマリオ星系まで迫っていた。銀河帝国軍は「双頭の蛇」の陣形でもって、アレクサンドル・ビュコック率いる同盟軍宇宙艦隊五二○万の兵を撃砕するも、イゼルローンを放棄したヤン・ウェンリーの増援にはばまれ、惜しくも完勝には至らなかった。
 このランテマリオ星域会戦のあとラインハルトは後退し、ガンダルヴァ星系の第二惑星ウルヴァシーで作戦会議をひらいた。このとき、別働隊を指揮していたロイエンタールも、ヤンが放棄したイゼルローン要塞を副将ルッツにまかせて、ブリュンヒルトの艦上に姿をあらわした。
 これが数ヶ月ぶりのふたりの対面だった。ところがミッターマイヤーは、再会を祝しながらも、終始もの言いたげで、落ち着きがなかった。彼はすぐにでもロイエンタールと一対一になって話をしたかったのだが、ふたりともそれぞれ旗艦に搭乗して、麾下の艦隊を制御しなければならぬ身分である。結局、彼らがゆっくりとした二人きりの時間をとるまでには、再会からさらに一ヶ月を要した。
「いきなりどうした、ミッターマイヤー」
 そこは惑星ウルヴァシーに建設中の軍事拠点のなかでも、いち早く落成した高級士官用宿舎である。ミッターマイヤーは割りあてられた自室にロイエンタールを連れこむと、肩を押してソファに座らせた。隻眼の男は親友に手をひかれ、困惑まじりではあるが、よろこびで表情筋が緩みきっている。
 対するミッターマイヤーの顔は、張り裂けそうにゆがんでいた。ひさしく見ていなかったが、ロイエンタールにはこの表情におぼえがある。いつだったか、そのときロイエンタールは、うすもの一枚をへだてたような実感で、友人のめずらしい顔を観察した。さていま、そのヴェールをあげてみれば、ミッターマイヤーの表情のなんと色鮮やかなことか。おさまりの悪い毛髪は、黄金よりも濃厚な蜂蜜色で、眉やまつ毛の一本一本までも光を透かすのだ。額は蒼く翳り、眉の角度が不安を雄弁にうったえる。
「腹を刺されて、一時は命もあぶなかったというではないか」
 ミッターマイヤーの声が上擦った。彼が指摘したのは、イゼルローン要塞攻略時にロイエンタールを襲った危機についてである。攻勢の序盤の段階で、同盟軍が有する白兵戦の精鋭「薔薇の騎士ローゼンリッター」連隊が旗艦トリスタンに侵入してしまい、ロイエンタールは勇猛果敢で知られるワルター・フォン・シェーンコップと一騎打ちを演じたのだ。
 それを思い出したロイエンタールは、まずいものを口にしたときのごとく秀麗な眉をひそめると、明後日の方向をむいた。旗艦への侵入をゆるし、白兵戦で負傷したことは、稀にみる彼の失態だった。隻眼の彼が「薔薇の騎士ローゼンリッター」連隊元連隊長から己の首をまもりぬいたことは、ほとんど奇跡的なことであったが、まったく笑い話にもならない。ロイエンタールが命を落としていた場合、「神々の黄昏ラグナロック」作戦がどうなっていたかなど、考えるのも嫌である。
「その話はよしてくれ。作戦の前座をつとめるのも、強大な敵と戦って死ぬのも、おれはかまわん。が、あっけなく死んで後世の風刺の題材となるのはごめんだったからな。なんとか現世に踏みとどまったさ」
……ロイエンタール」
 ミッターマイヤーは大きく息をすると、ロイエンタールを座らせた椅子の肘掛けに両手をついて、深くうなだれた。ロイエンタールはおどろいて、肩をすくめたまま体の動きを止め、親友の頭頂部を見つめた。
「軍人として、筋が通らないことを言っているのは、わかっている。だが、お前がどこか遠い場所で、おれの知らないうちに死ぬのは、耐えられない。耐えられないんだ……
……ミッターマイヤー」
「置いていかないでくれ……
 そのとき、ロイエンタールは、結婚から六年の歳月を経てもなお、親友ミッターマイヤーが自分への想いを断ちきれていないことを確信したのだった。
 ロイエンタールはおぼえていないだろう。彼が戦場ではじめて、親友から救いの手をさしのべられたとき、「置いていけ」と拒絶したことを。また、惑星カプチェランカで命の危機に瀕したとき、隣にいた親友の手をつかんだことも、おぼえていないだろう。その無意識の動作がミッターマイヤーに恋慕を自覚させたことなど、ロイエンタールは知るはずもない。
 だが、ミッターマイヤーはおぼえている。それが、かつて恋する者と恋される者であった二者のあいだに横たわる、残酷な差であった。
 自分などいなくとも、ロイエンタールはひとりで先を歩んでしまうのだと、ミッターマイヤーは勘づいている。ともにいたいのなら、自分がついていくしかないのだ。死ぬほどみじめだろうと、ミッターマイヤーが軍服の裾をつかまなければ、ロイエンタールは立ち止まらない。まして彼は、自分の赴かんとするところへ、大切なミッターマイヤーを連れていかないだろう。
 たとえ生き方が分かたれたとしても、戦場での命運は自分だけのものであってほしいというのが、ミッターマイヤーの不器用な想いであった。
 そのことを悟ったロイエンタールのなかで、最初に湧きおこった感情は、奇しくも憐憫であった。それは、「抱いてやろうか」と言ったときの、傲慢な勘違いではない。手遅れになってから恋しはじめた自分に向けたものと、まったく同じ思いが、まるで羅針のごとく、ミッターマイヤーをも指ししめしたのである。情念は、理性とはことなる次元の、力そのものだった。自分たちはその支配に屈従するほかない、矮小な存在なのだ。
 隻眼の男はほんの一時、感傷にひたった。蜂蜜色の前髪がじゃまで、彼には友人の口もとしか見えない。多情な灰色の瞳がどんな色彩をしているのか、確認しようとロイエンタールが手を伸ばしたとき、ミッターマイヤーが一歩あとずさった。
……すまん」
 普段であれば危険にさえ真っ向から相対する、豪胆かつ明朗な男が、視線を下方にそらしたままつぶやいた。嫌な焦燥感がしてロイエンタールが性急に立ちあがったとき、ミッターマイヤーは言葉を継いだ。
「あまり、無理をするなよ」
「なあ、ミッターマイヤー、おれは」
「ロイエンタール。いま来られたら、おれはお前をゆるしてしまう。だがそうなれば、おれはおれ自身をゆるせない。だから、来ないでくれ」
 そんなことを言われて、引ける人間がいるか!
 男は隻眼をみはり、歯を食いしばった。拳も握りしめた。血がさわぐ。全身がこわばり、微細に振動する。
 だが、どういうわけか、足の裏が地面に貼りついていた。動けなかった。失われた機会を取りもどす、突如ふってきた僥倖であるはずなのに、ロイエンタールは、指の一本さえ伸ばせない。
「どうか、今日は、帰ってほしい。身勝手な頼みだが……
……ミッターマイヤー」
「たのむ……
 本当に、この男はばかだ。自分もばかだ。こんなことが、あっていいはずがない。
 魂の訴えに反して、体が動く。電子ロックに掌を押しあててドアを開ける直前、最後に、ロイエンタールが振りかえった。
「ミッターマイヤー」
……すまない」
「ミッターマイヤー!」
 全身全霊の叫びにたいする返事は、無言だった。ミッターマイヤーはだまって首をふり、そのままうつむいた。……そして、足音も荒く、ロイエンタールは部屋を出ていった。
 行き場のない狂熱を、渇きをもてあましたロイエンタールは、それを発散させる先を欲していた。だが、いくら発散させたところで、満たされることはけっしてないのだ。
 どうすればミッターマイヤーを手に入れることができるのか。それは、どうすればこの宇宙の公理を書きかえて、平行線を交わらせることができるだろう、という難問と同じであった。どこか、理性や規範の支配がおよばない場所へ、あの男を連れさってしまいたい。だが、かつてロイエンタールはそれを提案し、拒まれている。笑止なことに、自分たちがその逃避先を滅亡させんとしている。ならばやはり、戦いと勝利によって、ルールを作る側に回るしかないのだろうか。
 もし、そのすべてが叶わないのなら。もはやこんな世の中に、何も求めはすまい。剣に生き、自分たちをいましめるものを破壊しつくして、剣に斃れ、残ったあたたかい灰のなかで、眠りにつきたい。



 不信がはぐくんだ野望の果実が、自分を食べてほしいと言わんばかりに、ロイエンタールの手のなかに落ちてきた。
「ローエングラム公が、負ける……?」
 復唱は、純粋な驚きによるものだった。だがつぎの瞬間には、通信スクリーンを凝視するロイエンタールの青い隻眼に、はっきりと期待が躍動していた。
 主君の危機の報せは、エリューセラ星域にいるミッターマイヤーから、隣のリオヴェルデ星域にいるロイエンタールへ、超光速通信FTLでもたらされた。このとき、彼らの主君ラインハルトはバーミリオン星域にて、ヤン・ウェンリーと死闘を繰りひろげている。
 ラインハルトの両翼となって、かの金髪の覇王のはばたきを支える立場の彼らが、なぜろくに戦いもせず、主君から遠くはなれた宙域にいるのか。その理由は、およそ二ヶ月前までさかのぼる。今年三月はじめに、シュタインメッツ、レンネンカンプ、ワーレンの三名が、たったの一個艦隊しかもたぬヤン・ウェンリーの奇術にもてあそばれた。これをうけ、ラインハルトは心にくい宿敵を葬りさるべく、総大将たる自身をおとりとした、壮大な包囲作戦を定めた。その作戦にもとづいて、ロイエンタールやミッターマイヤーをはじめとする帝国軍の将帥たちは、各々ガンダルヴァ星域を発って分散し、ラインハルトからの反転攻撃命令を待っていたのである。
 ラインハルトは、彼がうちたててきた伝説的な常勝の偉業によって、権力の行使を正当化してきた。この点に関して、ロイエンタールはほかの提督たちより峻烈に主君をまなざしていただろうが、もっとも厳格だったのは、おそらくラインハルト当人であった。だからこそ彼は、ヤン・ウェンリーのねらいが、総大将を討って帝国軍を瓦解させることにあると察していながら、あえてその誘いにのった。そして、全銀河を統べる覇者にたいしてラインハルトが要求する器量に、どうやら彼自身はわずかに及ばないらしい。部下たちに勝利を確信させた、多数の層からなる縦深陣を看破され、ヤン・ウェンリーの術中にはまり、ラインハルト直属の艦隊は死に直面していた。
 帝国宰相首席秘書官ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフは、ラインハルトとヤンの正面決戦の一部始終を見ていたわけではない。が、彼女はいたずら盛りの子供のごとく、ただし胸には深刻な懸念をいだいて、ガンダルヴァ星域からひそかに抜けだし、バーミリオン星域で行われている一騎打ちを遠くから覗きみた。ヒルデガルドことヒルダは艦隊を指揮した経験などなく、軍事的知識には明るくない。また、彼女が見たのは戦いの最初の大攻勢で、帝国軍の一枚目の防御陣が突破される場面まででしかない。
 最終的な勝敗などわかるはずもなかったが、それでもヒルダが危険を誇張して伝え、救援をもとめたのは、最悪の結末を予防するためであった。ラインハルトが勝っていれば、それでよい。ヒルダは待機指示をやぶったとがにより何らかの処罰をうけるだろうが、同盟政府の降伏如何によらず、ラインハルトがヤンにたいして純軍事的に優越した事実はのこる。拮抗していた場合——これはいずれの場合もまぬかれないだろうが——主君の不興を買うにちがいないけれども、戦略的に獲得していたも同然の勝利を、そのとおり獲得するだけの話である。問題となるのは、ラインハルトがヤンに負けている場合のみだった。
 銀河帝国軍上級大将ウォルフガング・ミッターマイヤーのもとへ急行し、彼女たちの主君ラインハルト、ひいては帝国軍の危機を訴え、同盟首都星ハイネセンにたいし城下の盟を強いる協力を取りつけるまでは、ヒルダの望みどおりに事がはこんだ。しかし、彼女が数ある宿将のなかからミッターマイヤーを選んだ要素でもある彼の高潔さが、背信者として後ろ指をさされることを容れず、同行者としてロイエンタールを指名したとき、彼女の勘はたしかに遠雷をきいたのである。

 ラインハルトの危機を告げられたロイエンタールは、全身の皮膚にさざなみが広がっていく感覚をおぼえた。あたかも最前線に立って、剥きだしの生命を敵の銃火の前に晒したときのようだった。黒地に銀の装飾がほどこされた華麗な軍服の下、興奮が五感をひらかせ、熱い血が逆巻く。
 しかし、友人の背後に見目麗しい女秘書のすがたをみとめたとき、表情には出さなかったが、ロイエンタールは彼女を忌々しく感じた。発案者であるヒルダがこの場に同席しているのは不自然ではなかったが、よこしまな野心を後ろ手にかかえたロイエンタールは、他人から向けられる疑いに敏感だった。
「細部の検討をするため、そちらに出向かせてもらう」
 ひとまず、ロイエンタールはそう返答した。これからロイエンタールとミッターマイヤーは、バーラト星系に向かいつつ、その途上で艦隊を合流させる。話し合いは、そのときに持ちこされた。
 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフをまくのは並大抵のことではなかった。ロイエンタールがようやく友とふたりきりで話す機会をえたのは、彼らがバーラト星系への突入をはたし、あと数時間でハイネセンの統合作戦本部ビルを直下にとらえるという時期であった。
「ところでミッターマイヤー、卿からハイネセン急襲を通信で知らされたとき、バイエルライン中将がやたらとおれを警戒していたらしいのだが、事情を知っているか」
 こうたずねれば、友は自身の良心にしたがって正直に答えざるをえないと、ロイエンタールは知っていた。案の定、ミッターマイヤーは気まずそうに髪の毛をかき回しながら、打ちあけた。
「おそらく、おれが悪いのだ。卿に相談したとき、おれはこの作戦に絶対の自信があるわけではなかった。その懸念を察して、バイエルラインが妙な誤解をしたのだろう。すまない」
 核心を避けたせりふは不明瞭で、つたなかった。沈黙に耐えかねて、ミッターマイヤーはコーヒーカップを持ち、一口飲んだ。それを見とどけて、ロイエンタールはしずかに爆弾を投下した。
「謝る必要はない。誤解ではないからな」
 ミッターマイヤーは硬直した指先で、これまでの人生でもっとも慎重に、音を立てぬよう、ゆっくりとカップを置いた。知らない人間と相対するような不気味な緊張感が、場を支配する。だが、ロイエンタールの隻眼の青はこのとき、寂しい光を放っているように見えた。
「なあ、おれは今、非常に腹が立っているのだ。お前にではない。あの秘書官も、卿の部下も、全員、お前を第一にローエングラム公の忠臣としてみとめ、第二におれの友とみなしているのが、気に食わなくてしかたがない。オスカー・フォン・ロイエンタールがこの提案を蹴れば、ウォルフガング・ミッターマイヤーは当然、その友を討つと、誰もが考えている。お前がローエングラム公の部下であった年月は、お前がおれの友であった年月よりも短いというのに」
 声を荒らげこそしなかったが、水位を増して溢れだすロイエンタールの感情は声量へと変換された。悲憤はあたかも、大蛇がうねり、その尾を地に叩きつけるようだった。
 たったいま、超えてはならぬ一線を踏みつけたロイエンタールに、ミッターマイヤーはじわじわと恐怖を実感していた。足元から、すさまじい緊張が体をよじのぼり、彼の意志をのっとろうとする。
 最初ミッターマイヤーは、何でもない冗談として流そうとした。だが、ロイエンタールの声音から感じる本気や、何より自分自身の心理状態的にそれができないとわかると、ミッターマイヤーは公人としての説得にかかった。
「ただの公私の別だ。おれたち個人の友誼は、公務の重さと比較できるものではないだろう。部下の非礼は詫びる。だから、おれの謝罪を受けとって、いまの発言も撤回してくれないか」
 ロイエンタールの前では、大艦隊を率いる銀河帝国軍上級大将の、凛然とした威厳の鎧など、ないも同然であった。結局ミッターマイヤーは、唯一無二の戦友にたいする、やわいまごころがむき出しになるしかない。感情には感情が呼応してしまう。けれどもロイエンタールは止まることなく、かねてより彼が寝かせていた考えを、友情にかぶせて主張した。
「おれが私人としてのみ、こんな提案をしていると思うか、ミッターマイヤー。ローエングラム公は自らヤン・ウェンリーと一対一の勝負を望んだのではないか。おれたちが止めなかったとは言わせないぞ。公は勝利であれ敗北であれ、自分自身で引きよせた結末を受けいれる責任があるはずだ。誰よりも強大な人間であることを証し、よって銀河帝国と自由惑星同盟双方の頂点に立つのであれば、なおさらだ」
 たしかにロイエンタールの発言は、ラインハルトの思いを誰よりも忠実に汲んでいる。しかしながら隻眼の男は、私人としての意見ではないと断りをいれたものの、あきらかに理性よりも私的な感情を優越させ、舌がのたくるにまかせていた。
 ロイエンタールは、先ほど友人が部下をかばったことも、そのために「おれが悪いのだ」と自身を悪しざまに言ったことも、面白くなかった。ミッターマイヤーに手を伸ばせなかったあの日から、ロイエンタールはやるせない思いに占められ、ひたすら飢えていた。その攻撃的な飢餓を、何よりも大切な親友その人に向けられない代わりに、ロイエンタールは自分たちの周囲の万物に向けた。周りに何もなくなってしまえば、ふたりだけの世界が現れるからである。あるいは、そのような人の頭の中にだけ存在する理屈など、ロイエンタールはまったく考えていなかった。彼はただ、癇癪をおこしているだけかもしれなかった。
「どうだ、ミッターマイヤー、おれと組まないか。おれが正帝、卿が副帝。いやいや、その逆でも、いっこうかまわぬ。ふたりで宇宙を分割支配するのも悪くない」
 そのとき、光の剣で斬りつけられたかのごとく、銀河帝国皇帝オスカー・フォン・ロイエンタールという可能性が、ミッターマイヤーの中でにわかに現実味を帯びて感じられた。わが友にふさわしいのは、その地位だった。祝福の光のなかで、かがやかしい至尊の帝冠をいただく親友の姿を、ミッターマイヤーは自分の目で見てみたく思った。その栄光をわかちあうときにはきっと、純白のケーキをふたりでゆっくり切りわけるような心地がするだろう。
 降ってわいてきた欲望に、ミッターマイヤーは一瞬めまいがした。彼は蜂蜜色の頭をふって、自分が貪婪な権力の亡者と化すまえに、煩悩をはらいおとした。
「分不相応な地位だ。公を見殺しにして、武勲をかすめとるなど、盗賊そのものではないか。ほかの提督たちの誰も、納得せんだろう。卑怯者とそしられるのはごめんこうむる」
「敗者に全銀河の覇者たる資格なしと、誰よりローエングラム公自身が肝に銘じているのだぞ。おれたちは事をなりゆきにまかせるだけだ。自由惑星同盟は捨ておき、そのあとは、力ずくで周りを納得させる。おれと卿とが組めば、もっとも有力な後継者候補になること間違いなしだろう」
「詭弁だ。銃をむけたわけではないから、主君の危機に腕をこまぬいていたことは裏切りには該当しないなどと、卿は言い張るつもりなのか。そのような真似を、卿の矜持は許すのか? それにおれは、今日までの僚友たちと争うのは、いやだ……
「おれと殺し合うのと、ほかの人間と殺し合うのと、どちらがましだと思う?」
 隻眼の男が提示した問いは、純然たる脅迫であった。ミッターマイヤーは、友から言語の形をした兇器を突きつけられたことよりも、その刃の酷薄さに、戦慄した。
 緊張が極点に達したところで、ロイエンタールは自身の劣勢をみとめた。過熱ヒート・アップしたあげく、ミッターマイヤーの正論にかえす言葉もなくして脅しにかかるとは、みっともないことこの上なかった。
 ロイエンタールは、言ってはならないことを言ったのである。自身の発言を省みた彼は、ごく率直に、友人に見捨てられてもおかしくないと思った。物わかりの悪さが、もっともひどい形で出てしまった。もしミッターマイヤーがほかの人間を選ぶと明言した場合、己の心臓は彼と殺し合いになる前に停止してしまうだろう。そう、ロイエンタールは怯んだ。彼は少々驕って、究極の問いを提出したのだが、ミッターマイヤーの為人ひととなりを加味したとたんに、自信が減衰してきた。
「いや……支離滅裂なことを言った。故意に手を抜くのは、卑劣漢のすることだ。左道に逸れ、地位や権力や金を手に入れても、それは空虚なものだ。わかっている。だが……
 ここで、ミッターマイヤーこそ己の行動原理であると言えば、友を苦しませることになる。だからロイエンタールは口をつぐんだ。美しい唇は想いを秘めて、神聖に鎖された。
 彼は代わりに、別のことを述べた。
「ヤン・ウェンリーに勝つにしろ負けるにしろ、ローエングラム公が生きのびた場合は、卿の言うとおり、おれたちの評判は地に落ちるだろう。戦局の行く末は、たとえ武人でも、正確に見通すことが困難だ。どうなるかは、最後までわからん。その上、フロイライン・マリーンドルフは軍事に関してはまったくの素人だからな。公の危機をわざと大仰につたえ、確実なる勝利のためにうごいているという可能性も、なくはない。もしそうであれば、傍観者を気取っているうちに周りの者に先を越されるという、間の抜けたことになる」
 このロイエンタールの指摘は、ヒルダの智謀を的確に描写している。彼はもともと何気なく、その瞬間の思いつきを話しただけだった。だが声に出してみると、その疑惑は妙なリアリティをまといはじめた。あの才知に富んだ娘に、ロイエンタールは舌打ちをくれてやりたい衝動に駆られたが、親友の手前こらえる。これ以上、角が立つような真似をすべきではない。
 やにわにしおらしくなった友人を、ミッターマイヤーは不安の色彩がただよう瞳で静観していた。やがて、ロイエンタールが平生の沈着さを取り戻すと、その隻眼からは異様なかがやきが消えた。
 ミッターマイヤーは親友に声をかけた。
「卿は、卿がえらんだ主君を、もっと信用していいと思うぞ」
 彼としては大したことを言ったつもりはなかったのだが、それを聞いたロイエンタールは隻眼を大きく瞠った。よほど違和感があるらしい。眉をひそめ、腕を組むと、そっけなく言った。
「何のことだ? 卿が見出したのだろう、ローエングラム公は」
「忠誠を誓うと言いだしたのはたしかにおれだが、ローエングラム公の才を最初に見出したのは卿だろう?」
「はあ……?」
 ミッターマイヤーの返答に、ロイエンタールは呆気にとられ、気の抜けた声を出した。彼の顔にはでかでかと「わけがわからない」と書かれており、その意外なことときたら、先ほどの緊迫感もどこかへ吹きとばす威力があった。
 こうしてミッターマイヤーは、金の鱗粉をふりまくような華麗な若者ラインハルト・フォン・ミューゼルを、以前軍務省のホールで見かけたこと、その際ロイエンタールが「虎だろうよ」と評価したこと、その頃ロイエンタールの出世のために心をくだいて思案をめぐらせていたため、後ろ盾となる可能性を考えてラインハルトの名を記憶していたことなどを、洗いざらい吐かされたのである。
「あまり、こういうことを説明させんでほしいな……
 羞恥まじりのにがい顔をなかば隠すように、ミッターマイヤーは額に手をやった。それとは対照的に、ロイエンタールはいまだ呆然としながら、どうにもあらわしようのない感覚に、その美貌を火照ほてらせていた。彼ははじめて、ミッターマイヤーがラインハルトに忠誠を誓った理由が、ほかでもない自分自身にあることを知ったのである。
 不思議にかがよう青い瞳は、まだ、己にやどった星の正体を知らない。現時点におけるその光は、くもった鏡の底にちらつく、弱々しいものでしかなかった。だが、ロイエンタールがさらに磨きぬかれ、かかっていた雲が晴れるとき、彼はその星を手にするだろう。
「自分の目と選択を信じろよ。優れた馬はいくらいても、その才を見出して育てることのできる者はめったにいないという譬えもある。卿はそのような、慧眼の士なのだろう」
 またたくロイエンタールに、ミッターマイヤーが言った。



 首都ハイネセンに対する無差別攻撃開始までに、帝国軍があたえた猶予は三時間——だったのだが、この数字はほとんど意味をなさなかった。なぜなら、全面講和の要求は、帝国側の幹部三人の予測よりもはるかに迅速に受諾されたからである。自由惑星同盟政府の、あたかも待ちかまえていたような即応ぶりは、まるで「快諾」であった。
 ブリュンヒルトの艦上で、ラインハルトがヤン・ウェンリーとの待望の対面をはたしているころ、同盟首都ハイネセンでも、ある面会がなされていた。自由惑星同盟元首ヨブ・トリューニヒトと、ロイエンタール、ミッターマイヤーが、一堂に会したのだ。もっとも、この面会の真の重大さが明らかとなるのはのちのことである。このときはまだ、ロイエンタールもミッターマイヤーも、トリューニヒトを唾棄すべき小心な売国奴としか見なしていなかった。三人がそろうのはこの一度きりだったが、ロイエンタールとミッターマイヤーはそれぞれ、単純ならざる思いをかかえて、トリューニヒトとふたたび相まみえることとなる。
 無条件停戦命令が発されたとき、銀河に浮かぶ優美な白鳥ブリュンヒルトは、同盟軍によって撃ちおとされる寸前だった。この事実が発覚したのは、「人狼ベイオウルフ」に設置された共同司令部で、幹部三人が作戦の成功を祝したあとである。自身の旗艦にもどってからその旨を聞いたロイエンタールは、タイミングに安堵した。もし共同司令部でそれを知っていたら、あの賢しらな伯爵令嬢のまえで、落胆を隠しおおせなかっただろう。
 全面講和に同意した自由惑星同盟元首ヨブ・トリューニヒトは、帝国軍による護衛、もとい監視をうけることとなった。
「最高司令官の到着まで、しばしお待ちください」
 そう応対したのは、二人の帝国軍上級大将のうちどちらでもなく、首席秘書官ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフであった。本来であればロイエンタールかミッターマイヤーが帝国軍の責任者として、元首をあずかるべきだったところ、この二人があまりにも露骨に、亡国の権力者にたいする侮蔑をあらわにしたため、ヒルダが代わらざるをえなかったのだ。むろんヒルダとて、トリューニヒトに好印象など持てるはずもない。ただ、ヒルダは他の二名よりも肉体的には若輩だったが、精神的には老成しており、分別をわきまえていただけのことである。自由惑星同盟元首は、国を亡ぼした重責など微塵も感じていないような厚顔ぶりで、ひとり悠然と姿をあらわした。
 ロイエンタールはトリューニヒトに対し、ぶざまな降参への嫌悪だけでなく、私怨もいだいていた。昨日、この男がほんの少しでも勇気を発揮し、民主主義なり正義なりを信奉して、専制主義にたいする抵抗レジスタンスでも呼びかけていれば、銀河帝国皇帝の座はロイエンタールの掌中におさまっていた可能性が高かったのだ。かつて、ロイエンタールの主君ラインハルトは、彼の半身たる唯一の友、ジークフリード・キルヒアイスと、宇宙を手に入れようと約束した。何とロマンチックな誓いだろう。そのようなかたちの絆をむすぶことは、自分とミッターマイヤーにもゆるされてよかったはずだった。実現していたやもしれぬ、親友との宇宙の分割支配を夢想すると、ロイエンタールは嘆息せずにはいられない。
 ネクタイを締め、仕立てのいいスーツに身をつつんだトリューニヒトは、嫌味なほどエレガントな所作の男で、ロイエンタールとほとんど同身長である。年齢は彼より十ほど上だろうか、政治家としては少壮といえた。この若さでこの地位となると、手段を選ばず相当に努力したはずである。それが、最高到達点にのぼりつめた途端に愚策を弄し、ごく短期間で国家ごと失墜するとは、情けないかぎりだ。いい気味だ……そうとでも思わなければ、ロイエンタールは胸のあたりでわだかまる鬱憤を、消化できそうになかった。
 彼が不機嫌に前方を睨みつけたそのとき、ヒルダといくつか言葉を交わしたトリューニヒトが、顔を上げた。ロイエンタールの青い隻眼と、トリューニヒトの目が合った。
 ロイエンタールの剣呑な視線に、トリューニヒトはおどろくほど穏和な微笑でかえした。このろうたけた紳士の特技たる、完全無欠の左右対称な笑みは、これまで何億もの市民を虜にし、彼らを祖国の滅亡という暗黒の時代へと追いやった笑みだった。その魔性は、とらえどころのない気色悪さを隻眼の男に感ぜしめた。
 が、それも一瞬のことである。あたかも舞いおりた蝶がふらりと飛びたつように、トリューニヒトの注意はロイエンタールから離れていった。
 虚をかれたロイエンタールは、思わず横目をつかって、隣のミッターマイヤーのようすをうかがった。彼は共感をもとめ、快活なグレーの瞳と目が合うことを期待していたのだが、やや小柄な友人はとくに何も感知していないらしい。気のせいだと結論づけたロイエンタールは、深く考えないことにしたが、すれ違いざまに初対面の人間から花束を押しつけられたかのごとき不気味さは、容易に払拭できるものではなかった。



 帝国歴四九○年、あるいは宇宙暦七九九年の五月二五日、「バーラトの和約」が成立し、ラインハルトの「神々の黄昏ラグナロック」作戦は完遂された。これにより、一五○年にわたる銀河帝国と自由惑星同盟の戦争は、同盟が帝国の属領へと成り下がるというかたちで、結末を見たのである。同盟にとって屈辱的な署名と調印を恬淡とはたした直後、トリューニヒトは最高評議会議長辞任を宣言し、その翌日には帝国の庇蔭に寄った。あきれて物も言えぬほどの転身術であった。
 半年前、フェザーンでこだました歓呼の声が、ここハイネセンでも轟いている——皇帝ラインハルトばんざいジーク・カイザー・ラインハルト! 帝国軍兵士のみならず、打倒帝国を叫んでいた同盟市民までもが、おなじ口で「帝国ばんざいジーク・ライヒ!」と声を張りあげているのだから、おかしなものである。ロイエンタールが皮肉交じりにささやくと、肘で小突かれたミッターマイヤーは答えた。憤激と憎悪で迎えられるより、よほどよいではないか、と。
 皇帝ラインハルトの称号は、彼らが帝都オーディンに凱旋したのち、正式なものとなるだろう。彼の登極をはばんでいたゴールデンバウム王朝の継承者エルウィン・ヨーゼフは、歴史の闇にすがたをくらまし、ラインハルトはそれを些事として放置した。金髪の覇者にとって八歳の幼帝は、もはや誰からも見向きされぬであろう、使い古しのがらくたにすぎなかったのだ。
 ミッターマイヤーとロイエンタールのふたりは、バーラト星系を攻略し、主君の危急を救った功によって、「帝国軍の双璧」としての名望をさらに高めることとなった。だが、同盟首都ハイネセンに駐在し、政治・外交という大任をになう高等弁務官として抜擢されたのは、彼らのうちどちらでもなかった。
「レンネンカンプだと? あの戦闘屋に、まつりごとができるものか。何たる人事だ」
 悪態をついたロイエンタールだが、それを聞いたのは彼の親友ただひとりであった。高等弁務官は、将来的には総督への昇格が見込まれる要職である。これを拝命した同僚への嫉妬を疑われることを、ロイエンタールは許容しえなかったのだ。そしてレンネンカンプなんぞとは無関係に、自分の機略こそ高等弁務官、ひいては総督の職務に適しているという自負もあった。これらの考えを混同せず、それぞれに納得をしめすことのできる理知的な人間は、ミッターマイヤー以外にもいただろう。だが、ロイエンタールが自分を十分理解してくれると信頼し、また理解されたいと思う相手は、この世にミッターマイヤーだけであった。
 「神々の黄昏ラグナロック」作戦始動前には、レンネンカンプに一定の評価をあたえていたロイエンタールだが、イゼルローン攻略を経て、その考えは若干修正された。たしかに、武人としてはそれなりに有能である。だが、それだけの男だ。目前の戦闘のことしか考えられぬ、視野のせまい、融通のきかない人間だ。誰かに使われてこそ役にも立とうが、こと政治のような、先を見越した柔軟な判断力・調整力を求められる場面においては、よけいな摩擦が生じよう。短期的・微視的な最善手が、長期的・巨視的にもそうとはかぎらない。ラインハルトが高等弁務官に要求するのは後者、すなわちより高次かつ本質的な帝国の利益の確立であるはずだ。レンネンカンプには、どだい務まるものではない。
「それとも、おれの見立てがまちがっているのだろうか。卿はおれの眼識をみとめてくれていたが」
「いや、イゼルローン要塞攻略の報告書はおれも読んだし、こちらは直接見たわけではないが、ヤン・ウェンリーとの戦いもあっただろう。卿の言うとおりだと思う」
「おれが考える程度のことを、ローエングラム公が配慮しないとも思えんがな。わざと不適格な人間をあてたとすれば……
……やはり、あのオーベルシュタインか」
「うむ……
 その疑惑は、両者のうちに共通して存在していた。未知の主義・制度・文化を有する異国を完全に併呑する前に、レンネンカンプは実験体として供されたのではないか。そのような冷酷非情な所業をたくらむのは、総参謀長オーベルシュタインくらいのものだろう——真実はどうかというと、オーベルシュタインはたしかに、ロイエンタールを高等弁務官に就かせることに反対した。だが彼は、レンネンカンプも適役ではないと進言したのである。失敗すれば切り捨てると言った張本人は、彼らの主君ラインハルトであった。水晶彫刻のごとき美貌のラインハルトは、自身の華やかさとは対照的に、宝石の類には興味をしめさなかったが、人材という宝石には厳しい鑑識眼を有していた。彼は自分の宝石箱のなかに、粗悪な石がまぎれこむことを許さない。レンネンカンプが彼のコレクションに値するかどうかの、これはテストであった。
 ジークフリード・キルヒアイスが亡くなったリップシュタット戦役と、その後のクーデター報告の通信以来、ロイエンタールは直接ラインハルト当人に、監視の目をむけてきた。この不躾な審査をつづけていれば、彼は真実をとらえていただろう。しかし、ロイエンタールの心理に若干の変化がもたらされた結果、そのまなざしは無意識に逸らされた。こうして、さまよう視線は、光輝をはなつラインハルト本人ではなく、背後にたたずむ影たるオーベルシュタインに吸いよせられたのである。
 もとよりオーベルシュタインを受けつけないミッターマイヤーは、肩をすくめて意思表示をした——やれやれだ。
「だがロイエンタール、おかげで戴冠式に出席できるぞ。おれたちは、ローエングラム公がリンベルク・シュトラーゼから新無憂宮ノイエ・サンスーシにいたるまでを見とどけた、歴史の証人となるのだ」
 この初夏のハイネセンポリスのごとく、明朗に爽快に、ミッターマイヤーが言った。帰ろう、オーディンへ。
 けれどもロイエンタールは途方にくれていた。帰るという表現は、彼にはなじまなかった。
 すべてが片付いてしまった。何かひとつでもあやまちを犯せば、綺麗にととのえた調和が崩壊してしまうような完璧な均衡で、ローエングラム王朝という黄金楼閣が完成を待っている。ロイエンタールは何度かそれを妨げる機会にめぐまれたが、結局、何もしなかった。というより、何もできなかったのではないかと、彼は自身に問うている。なぜだろうか、ロイエンタールはいつも、自分の貴重なものから、自身が阻害されているような感覚がするのだ。
 平和の無為の到来によって、ロイエンタールはいよいよ、己の行き場をなくしてしまったように感じていた。この隻眼の男は、乱流のなかでなければ息ができない。呼吸器になだれこむ血のうしおから酸素を濾しとる方法しか、彼は知らなかった。
「ミッターマイヤー」
 息苦しくなったロイエンタールは、ミッターマイヤーの手をとった。
「休ませてほしい」
 蜂蜜色の髪の友人は口元をゆるませて、ロイエンタールの眼帯に手を伸ばした——こうして傷を舐められて、それで満足するしかないのだろうか。満足できるのだろうか。
 あたたかい手の熱を頬に感じながら、できるはずがないと、ロイエンタールは目をとじた。