ヨジ🔞
2025-12-16 16:51:00
241168文字
Public logh
 

【ロイミタ】憂国

暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた 齋藤史

12月16日に寄せて。

もしも銀河の歴史がロイミタ中心に回っていたら……という、隻眼ロイエンタール×ミッターマイヤーの原作if。帝国歴480年の双璧の出会いから、ロイエンタール叛逆後の新帝国歴3年2月まで。
カプはロイミタ中心ですが、ロイエンタールが男女問わない漁色家設定なので、ロイエンタール攻めのカップリング(ロイヨブなど)が雑多に出てきます。また、ミタエヴァ、ロイエル等、原作カプはそのままです。
登場人物の死、元ネタ(三島由紀夫『憂国』)程度の性描写・グロ描写あり。何でも許せる方向け。

第一章(帝国歴480年~484年)双璧の出会いからミッターマイヤー結婚まで
第二章(帝国歴486年~490年)外伝1巻から本伝5巻まで
第三章(新帝国歴1年~2年6月)本伝6巻から本伝8巻まで
第四章(新帝国歴2年8月~10月)新領土編
第五章(新帝国歴2年10月~12月)帝位請求戦争編
第六章(新帝国歴3年1月~2月)憂国編

番外編「義眼球譚」(ロイヨブR-18):【ロイヨブ】緒【憂国 番外編🔞】 https://privatter.me/page/683a94f14b0e4

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第四章(新帝国歴2年8月~10月)


 六月二○日から現在、オスカー・フォン・ロイエンタールは新領土ノイエ・ラント総督として多忙をきわめており、しばしば最も遅い時間まで、書類の決裁を行っていた。彼の処理スピードが、そのまま新領土における改革の速さに反映される。専制政治の利点を知らしめるために、また自分が総督の地位にふさわしい人間であることを証明するために、ロイエンタールはその行政能力を惜しみなく発揮した。
 この日もまた、ロイエンタールは誰よりも長く仕事に励んでいた。部下たちはすでに帰しており、執務室は夜の静寂に満たされている。彼は存外、この時間が嫌いではない。たまに、棚にしまっているウイスキーを一杯だけ飲むこともある。そうしてハイネセンの夜景を見下ろしていると、一瞬だが、満足のようなものさえ覚えた。街並みの一角はかつて火災で焦土と化しており、何週間か前までは、まるで底なしの闇が大口を開けているかのごとく見えていた。ところがここ最近になって、復興は急速にすすみ、人家の灯が点々と煌めきだした。眼下に広がる人の営みと、自分の権力とが地続きであることを、ふと思い出す。ロイエンタールは、遠く数千光年の彼方にいる親友をのぞいて、誰ともこの酒と時間を共有しようとは思えなかった。
 執務室を出たロイエンタールが、非常灯のみが照らす仄暗い廊下を歩いていると、突きあたりに一人の男がたたずんでいた。その正体をみとめたとき、ロイエンタールはいますぐ引き返したい衝動に駆られた。しかし、彼が総督府内にわりあてられた自室に戻るには、どうしてもあの男とすれ違わなければならない。そしておそらく、やつは自分を待っていたに違いないのだ。
 ロイエンタールの足取りがにぶくなったのとは対照的に、男は悠々たる歩みで近づいてきた。
「ロイエンタール元帥。これほど遅くまで執務室にいらっしゃるとは存じ上げませんでした」
 声をかけてきたのは、本日付で新領土総督府高等参事官として赴任してきた、ヨブ・トリューニヒトであった。瀟洒なスーツと溌剌とした声は、昼の挨拶のときと同じである。ただひとつ異なるのは、宝飾品を入れるような小箱を両手に持っていることだった。
 イゼルローン要塞の四重複合装甲よりも面の皮の厚いこの男を視界に入れるだけで、ロイエンタールは反射的に、吐き気にも似た嫌悪と殺意をおぼえる。その口からほとばしる美辞麗句こそ甘美だが、聞く者が聞けば、それは腐りおちる寸前の果実に似ていた。耳に流れこむ気持ちのよい言葉は、何ひとつ責任がともなわず浅薄であり、だから安売りできるのだ。ヨブ・トリューニヒトという商人は、自分もろとも他者や国家をおとしめることを得意とする、保身に長けた卑劣漢であった。
 そんな輩が人目を避けて接触してきたことで、ロイエンタールの警戒心は最高水準にまで高まっていた。彼は心に鋼鉄のシャッターを下ろして、表面上はまったく機械的に対応する一方、いざというときにはトリューニヒトを捕縛するかまえを取った。
「私に用があるなら聞こう」
「このような時間でもなければ、お話しかねることでして。不躾ながら、閣下は眼帯をしていらっしゃいますが、その美貌を半分隠してしまうのはもったいないのでは?」
 親しい人間でも口にするのがはばかられるような、ごく個人的な事情に、トリューニヒトはたった二歩目で踏みこんできた。トリューニヒトは公務に無関係な雑談からはいり、その腐臭はロイエンタールの精神的防備のわずかなすき間から、空気に混じって侵入してきた。
 ロイエンタールは自分の忍耐がはやくも限界に達しているのを感じた。それとも、やつは知っているのだろうか。この眼帯の下を見たいと望むことが、何を意味しているか。
「事務的な用件でないのなら、私は失礼させていただく」
 不愉快さと不気味さの相乗効果が、ロイエンタールに即時撤退を選択させた。ここで感情をあらわにするのは弱みをさらすことであると判断したのである。
 だがトリューニヒトの次の行動は、人並みはずれて強靭な理性の持ち主であるロイエンタールの冷静さを、一瞬にして吹きとばす威力をもっていた。
「つれない人だ。ささやかではありますが、ロイエンタール元帥に個人的な贈り物をご用意したのですが」
 トリューニヒトが優雅な動作で、手にしていた小箱を開けた。ロイエンタールはつい、無意識に、その中身を視界に入れてしまった。
 ケースの中央に鎮座していたのは、ひとつの眼球だった。青い義眼が、うつろにロイエンタールを凝視していた。
 隻眼の男は戦慄した。
「きさま!」
 ロイエンタールがわれを忘れて叫んだ。腕が伸び、ヨブ・トリューニヒトの胸ぐらを掴みあげる、その衝撃で、トリューニヒトの手がすべった。小箱が落ち、樹脂製の義眼が床を転がる。だが、その不敵な笑みはくずれない。周囲に人の気配はなく、ロイエンタールの獣のような息遣いだけが、静寂に満たされた廊下にやたらと響いた。自由惑星同盟の元国家元首は、隻眼の男のもっとも繊細な神経にいきなり弓をあて、軋んだ音を奏でることに見事成功したのである。
 かつてのオスカー・フォン・ロイエンタールは碧眼の少年だった。士官学校に入学し、父親の干渉からのがれる以前のことである。母親によって黒い右目をえぐられた彼は、父親から青い義眼の着用を強制されていた。それで両親の気は済んだかと思いきや、そうではなかった。結局、母親は狂死し、父親は幼い息子に呪詛を浴びせつづけたのだ。そして今、青い義眼を目にした瞬間、現在のロイエンタールを作り上げる土壌となった忌まわしい過去、彼が命を賭して否定してきたすべてが噴出した。
 世にもまれな金銀妖瞳ヘテロクロミアとしてロイエンタールが過ごした期間は、士官学校入学からアムリッツァ星域会戦までである。ラインハルト・フォン・ローエングラムが旧銀河帝国の門閥貴族を打倒して独裁体制を敷き、その下の「帝国軍の双璧」たるロイエンタールの名が旧自由惑星同盟にもとどろいたとき、彼は「隻眼提督」として知られていた。よって、旧同盟人であるトリューニヒトがロイエンタールの瞳の色を誤解しているということも、ありえない話ではない。だがトリューニヒトのそれは、誤解ではなく、意図的なものだった。彼はひそかに、エルフリーデ・フォン・コールラウシュからロイエンタールの目にまつわる事情を聞きだし、虹彩の色を再現させ、この奇策をしかけた。また、ロイエンタールのほうでも、情報源を推測するには至らずとも、これが周到に計算された行動であることを直感していた。
 胸ぐらを掴みあげられたまま、トリューニヒトはいかにも残念そうな声で言った。
「おや、お気にめしませんでしたか。オーベルシュタイン元帥には受けとっていただけたのですが」
……オーベルシュタインだと?」
 意外な名前がロイエンタールを冷静にした。あの冷徹なる両義眼の男の性質からして、「受けとっていただけた」という台詞は嘘にちがいない。だが……
 トリューニヒトを絞めあげる腕から徐々に力がぬけてゆき、やがてロイエンタールは手を離した。壮年の紳士は襟もとをととのえると、床に落ちた箱と義眼をひろいあげ、元どおりしまった。
 ロイエンタールはダークブラウンの前髪をかきあげて、先ほどの動揺を振りはらい、顎をしゃくった。
「それをおれによこして、いったいどういうつもりだ」
「どういうつもりも何も、閣下はわかっておいでのはずでしょう。それを身に着けたあなたの完璧なかおを見たい。それだけが私の望みです」
 トリューニヒトが小箱を差しだした。
「閣下の今晩のご予定は?」
 逡巡したロイエンタールだったが、結局、彼は青い義眼を受けとった。

 碧眼のロイエンタールは自分自身に呆れはてていた。射精直後の虚脱感、抑鬱には慣れたつもりであったが、今日のそれは尋常ではなかった。このまま倒れふしてしまいたいところだが、そうもいかない。なぜなら自分の下には、あのヨブ・トリューニヒトがいる。やつを抱き枕にするなど、断じてごめんだ。
 一度大きく息をついたロイエンタールは、億劫そうに、その実可能なかぎりのすみやかさで、身をおこした。不浄のものと交わってしまったと思った。
 トリューニヒトは容色にめぐまれていた——その服の下も。文官にしては均整のとれた体つきで、たるんだところがなく、プロポーションの美しさには努力の跡がうかがえた。
 かといってロイエンタールからは、この男への好意など微塵も出てこない。ロイエンタールはトリューニヒトに対し、並々ならぬ殺意を抱いているにもかかわらず、自分のペニスを勃起させることができたし、このおぞましい行為をやりとげることができた。それにしても、自分の中でうねりかがやいていた生命力は、いったいどこへいってしまったのだろう。体表を流れおちる汗さえ、重い。
 義眼をはずし、シャワーを浴びても、ロイエンタールの気分は晴れなかった。たんに不快感があるだけではない。彼は自分自身にたいする嫌悪さえ、もよおしていた。たとえ脱皮しようとも、この肉体に染みついた汚穢を拭いさることはできないだろう。
 事が済んだあと一人になりたかったロイエンタールであったが、今回は別に目的がある。交代でバスルームから戻ってきたトリューニヒトに、眼帯のロイエンタールは剣呑な眼光を投げかけた。
「さあ、今度は卿が話す番だ。高等参事官は、軍務尚書といかような関わりがあるのか」
「私はかねてより、皇帝ラインハルト陛下の御もとで微力を尽くしたいと考えておりましたが、なかなかそれが叶いませんでした。そこで、オーベルシュタイン元帥に助力を乞うたところ、新領土総督府が発足するにあたって、きっと私の経験が役立つだろうという助言をいただいたのです。おかげさまで時宜を得て、新領土総督府高等参事官という官職を拝命した次第でございます」
 やはり軍務尚書は自分を排除するために動いていたか、とロイエンタールは了解した。
 オーベルシュタインとて、トリューニヒトの危険性を甘く見てはいないだろう。もとより、リスクを過大評価するきらいのある男だ。自由惑星同盟は消滅し、ヤン・ウェンリーは死んだが、この男は無傷でいる。帝国に引き入れれば、皇帝をとり殺さないともかぎらない。だが、この男がおれと相討ちになれば、オーベルシュタインとしてはふたつの危険物を、いっぺんに処理できるというわけだ。
 新領土の文官に、元自由惑星同盟国家元首ヨブ・トリューニヒトをつかう。かつて、ヤン・ウェンリーを麾下にくわえるなら彼を同盟領総督に、と皇帝にまで条件を出した、あの男の考えそうなことである。皇帝の矜恃は、トリューニヒトがまさか自分が滅ぼしたにひとしい新領土に赴任するとは、考えもしなかっただろう。では、オーベルシュタインはどうか。何か、取引でもしているのだろうか。
 ロイエンタールは皮肉っぽく唇の端を歪めた。あのオーベルシュタインがトリューニヒトを駒にしているとなれば、やつは自らしかけた陥穽に半ばおちこんでいると言える。このおれと軍務尚書と、どちらも寄生木やどりぎを背負うもの同士だ。それにしても、部下同士で押しつけあいとは……
「で、卿は軍務尚書の恩義に報いるべく、自らの職務に精励していると?」
 バスローブを羽織り、にこやかな笑みを浮かべて一人掛けソファに座る男は、ゆるやかに首をふった。
「いえ。もともと私は、あなたの下に参じるつもりでいたのです。ロイエンタール元帥」
 それは予定調和的な質疑応答だった。でなければ、トリューニヒトがロイエンタールに接触し、オーベルシュタインの情報を流してきたことに、筋が通らない。
 その後につづいたトリューニヒトの阿諛追従は、ロイエンタールの予測するところだったので、彼は無表情でそれらを聞き流した。だが、その中に聞き捨てならないものが混じっていたため、ロイエンタールは美辞麗句の濁流からあやうくそれを拾いあげた。
「ハイネセンの大火?」
「閣下の配慮していた緊急事態処理の教本マニュアルが、火事による混乱を最小限に食いとめたとお聞きしております。閣下は、大軍を率いる艦隊指揮官としての力量もさることながら、軍事にとどまらぬ才幹をお持ちでいらっしゃる。ロイエンタール元帥の下なればこそ、私も官界で活躍できると愚考いたしました」
 ハイネセンの大火が発生した三月上旬、ロイエンタールは宿舎で皇帝の裁定を待つ身であった。騒動にみずから対処したわけではないため、その記憶はおぼろげである。にもかかわらず、このハイネセンの大火の際、旧同盟内の好戦主義団体が検挙されたことを、ロイエンタールは思いだした。それは、地球教と旧同盟という二つのキーワードが、彼の記憶中枢を刺激し、連想によって結びつけたからであった。
 キュンメル男爵による皇帝暗殺計画を密告したことで、トリューニヒトは地球教と手を切ったと見なされている。だが裏をかえせば、この男は以前、あの地球教に与していた過去を持っているのだ。火事発生時に通報され、検挙された国家主義団体も、地球教とのかかわりが判明していたはずである。彼らがいまだトリューニヒトと協力関係にあり、ハイネセンで火災をおこしたというのは、どうか。いささか飛躍した発想にも思えるが、ロイエンタールはその思いつきがどうも気にかかった。
 ほのめかし方からして、トリューニヒトは自分に恩を売っているのかもしれない。もしそうだとすれば、軽んじられたものである。自分が新領土総督に任じられたのは、姑息なトリックではなく、つみあげてきた武勲とそれに裏打ちされた実力とによる。とはいえ、オーベルシュタインから教本マニュアルの件を聞いていたとして、謹慎中の自分に功をあげさせるために火災をおこすなどというのは、確実性の低いプランか。騒ぎをおこし、どさくさに紛れて皇帝暗殺をはかったというほうが、よほど説得力がある。皇帝暗殺によって、この自分が台頭する機会を作ろうとしていた……とでも言いたいのだろうか。陰謀家どものきたならしい手で銀河帝国皇帝にまつりあげられ、それで欣喜するおれだとでも?
 トリューニヒトが地球教といまだに繋がりを持ち、テロリズムによって利を図ろうとたくらんでいることが明白ならば、ロイエンタールは即刻彼を拘禁し、フェザーンにいる憲兵総監ケスラーのもとへつきだしただろう。だがトリューニヒトも、自分の暗躍を断定するに充分な材料を与えなかった。ロイエンタールはトリューニヒトという男にたいして、危機感知センサーをはたらかせていたものの、それだけでは保身の天才の確証をつかむことはできなかった。
 そもそも、あらゆる出来事を事後的に結びつけて、計画的な因果が張りめぐらされていたと考えるのは、それこそ詭弁の類だ。謀略の証拠をつかむには、オーベルシュタインと地球教のそれぞれについて、トリューニヒトからさらに情報を引きだす必要がある。両者ともが、巧妙に隠していた悪魔の尻尾をロイエンタールの前にちらつかせているのだ。これは千載一遇の好機であろう。
 むろん、トリューニヒトと付きあうことにはリスクがある。だが、まったく危険を冒さずして、人の上に立つことなどできようか。否! たとえこの道が、魑魅魍魎の跋扈する地下神殿につながっているとしても、前進するにしくはなし。その先がどこに通じているかは、そこを通過できた英雄にのみ、明らかになるだろう。
 以来、ヨブ・トリューニヒトとの交際がはじまった——オスカー・フォン・ロイエンタールの、生涯最後の愛人である。



 ロイエンタールの新領土ノイエ・ラント統治において、ヨブ・トリューニヒト高等参事官があげた成果は、評価してよいものであった。トリューニヒトはなんといっても旧自由惑星同盟の元国家元首であり、政官界の事情には通暁している。トリューニヒトは国の独立を売るだけでは飽きたらず、かつての部下や同僚までも、帝国からやってきた隻眼の支配者にすすんでささげた。
 天下りした元政治家や、彼らと癒着していた軍需産業経営者といった「生贄」が怒り狂ったのはもちろんのこと、それらの不公正によって不利益をこうむってきた旧同盟市民でさえ、ヨブ・トリューニヒトの裏切りに反感をいだいた。人々はこの男の卑劣さに憤るので手一杯であったため、令状に署名するのみで捜査を敢行した総督にたいして、その拙速さを非難する声はほぼ出なかった。多くの市民にとって、現在の生活に反映される結果こそが重要なのであり、ロイエンタールはその期待に応えた。皇帝ラインハルトは単なる嫌がらせでヨブ・トリューニヒトを新領土総督府高等参事官に任命したのだが、結果は本音よりも、むしろその建前どおりになったのである。
 全市民の礫を一身にあつめるトリューニヒトに、ロイエンタールが感謝しているかといえば、そうではなかった。このような官職に就くことを承諾した以上、その責務をまっとうすることは当然である。石を投げられることも同様だ。容易に予想できるこの事態も、勅命を呑んだ以上はトリューニヒトの仕事の一部であり、殊勝な献身でも何でもない。嫌なら辞めればよく、それが皇帝の本当のねらいであったのだが、この男は図々しく新領土総督府に居直りつづけた。ロイエンタールはその男の撫でつけられた暗いブロンドのひとすじから、よく手入れされた革靴の先まで軽蔑しきっていた。だが彼は、そんな下劣そのものの男と、たびたびベッドを共にしたのである。
 トリューニヒトを抱くとき、隻眼の男の精神は一○年以上時を遡行して、もっとも深い暗黒を汲む。それはときに暴力として、彼が組み敷いている男に叩きつけられたのだが、あたかもそれは泥濘を剣で刺しつらぬくがごとく、ほとんど手応えがなかった。ロイエンタールがいくら凶暴にふるまおうと、どれほど鷹揚にすました男を乱しても、どことなく「譲られている」感覚をぬぐえないのだ。彼はトリューニヒトが被っている仮面を強引に剥がすのだが、いくら剥いても玉ねぎのようにきりがなく、一枚また一枚と面の皮をつかむたび、ロイエンタールの肉体と精神は汚染された。
 ロイエンタールはセックスに際して主導権イニシアチブを握り、彼の男根ファルスの前に相手を屈服させることで、生を切り拓いてきた男である。譲歩されるなど、彼の矜恃は絶対に耐えられない。その苛立ちが、彼の行為をさらに峻烈なものにする。暴力とむなしさが螺旋をえがき、ロイエンタールは深淵をくだってゆく。
 これでは、ミッターマイヤーと出会う以前の自分そのままではないかと、ロイエンタールは自嘲した。彼がこの世で唯一価値を信じ、手に入れたいという叶わぬ想いを抱きつづけている、蜂蜜色の髪をした「疾風ウォルフウォルフ・デア・シュトルム」。ロイエンタールが新領土に赴任して以来、二ヶ月以上顔を見ていない。それは広大無辺な宇宙を翔けめぐってきた彼にとって、さほど長い期間ではなかった。だが、昼は平和の無為によって、夜は怪物の闇によって、吾が身が腐敗していくかのごとき日々のさなか、ロイエンタールが気まずく別れた親友を恋しく思うのも、無理からぬことであった。
 新領土で堆積した内なる憔悴が、彼にはめずらしい行動をとらせたのかもしれない。その日、ロイエンタールはトリューニヒトから誘いをうけたのだが、はじめてそれをことわった。
「用事がある。別日にしてくれ」
「ご用事というのは、ご友人のお誕生日祝いですかな」
 推測をよそおってはいるが、発言者はそうだと確信している。事実、トリューニヒトはロイエンタールの図星をさしていた。
 隻眼の、トリューニヒトの前では碧眼の、オスカー・フォン・ロイエンタール。その彼と誕生日祝いとは、造物主の失笑を買うにちがいない組みあわせである。彼は自分の誕生をめでたいものだと思ったことはただの一度もないし、これからもないだろう。
 そんなものを祝福しようとしたのは、彼の親友くらいのものだった。
「そうだロイエンタール、卿は何歳になった? まだおれと同い年か?」
 ミッターマイヤーはある期間、ロイエンタールの誕生日をさぐるため、一ヶ月に一度友人の年齢を確認していた。彼がまだ独身だった頃の話である。
 ロイエンタールの短い返答を聞き、グレーの瞳が丸くなった。
「案外はやく引き離されたな。ふた月も並んでいないのではないか?」
 正直なところ、ロイエンタールはこの子供じみた推理ゲームにかなりうんざりしていたのだが、ミッターマイヤーは愉快げであった。いまにして思えば、あれも好意のめじるしだったのだろう。あの洞察力にすぐれたグレーの瞳が、好奇心によって完全に曇り、ロイエンタールの煩わしげな表情を見落としていたのだ。その盲目さが意味するところのものを、当時のロイエンタールは議題の忌まわしさにとらわれていて、気がつかなかった。
 しかし、ミッターマイヤーの言動にどこか真剣なものを感じていたロイエンタールは、友を邪険にできなかった。それに、ミッターマイヤーが自分のもとにやってきたり、ついでだからと食事に連れだったりするのは、喜ばしいことである。出生に関する話題は厭わしかったけれども、ロイエンタールの意地悪さによってとがるミッターマイヤーの下唇は、青い瞳に好ましくうつった。もっともこれは、ロイエンタールが現在抱いている劣情のレンズを通しているせいで、思い出という残像が歪んでいるのかもしれなかったが。
 過去を暴かれたくなければ、誕生日などさっさと教えてしまえばよかったのだ。にもかかわらずそうしなかったのは、いっときの倦厭をまさる楽しみができてしまったからである。自分に好意をよせ、誕生日などという下手な口実でくりかえし訪ねてくる男が愛おしかった。こうして、ミッターマイヤーの真心だけが、ロイエンタールの扉を開いたのだった。
 ロイエンタールより短気なミッターマイヤーだったが、年をまたいだ粘り強いやりとりの末に、ついに勝利をおさめた——一○月二六日。めでたくミッターマイヤーは秘密を突きとめたのだが、それをはりきって祝うよりさきに、惑星カプチェランカの死闘とロイエンタールの過去の告白があった。そのためミッターマイヤーは、親友に食事と良い酒をおごるだけで、それ以上のことは控えた。これは、ロイエンタールがミッターマイヤーのためにするさりげない誕生日祝いと、同じものだった。
 ロイエンタールは己の過去とはまた別に、誕生日にたいするニヒリスティックな見解を有している。すなわち、誕生日とは死へむかう道程の一里塚メルクマールであり、誕生日祝いなどという代物は、己が前回よりどれほど老いさらばえたかを確認する儀式にすぎない、というのだ。だが、世間並みの感覚も彼は了解しており、友人の誕生日はそういうものとして扱うべきだと心得ていた。
 そして今日、八月三○日。ロイエンタールは理性よりもさらに深いところで、親友がこの世に生を享けたことを慶んでいた。幸いなるかな、わが友マイン・フロイントウォルフガング・ミッターマイヤー、疾風ウォルフウォルフ・デア・シュトルムよ! 卿が無事にこの日をむかえたことをうれしく思う。さあ、三二歳として卿が送るこれからの一年を祝して、執務室のウイスキーを飲み干そうではないか。この一本はおれ一人で空けてしまったが、次の一本は、卿とともに飲めることを願って——
 ——という、私的な予定が、今夜のロイエンタールにはあったのだ。ヨブ・トリューニヒトなど、天秤のもう一方の受け皿に乗せることさえおこがましいほどの、大切な用事が。
 親友の誕生日祝いをするつもりだろうというトリューニヒトの指摘に、ロイエンタールは言葉と態度の双方で拒絶をあらわした。
「いかにも。だが、これ以上立ち入るのは止めていただこうか」
「それはミッターマイヤー元帥に対し、友情を超えた情念を抱いておいでだからでしょう」
 このような下世話な疑いをかけられることも、ある程度予測していたため、ロイエンタールがうろたえることはなかった。隻眼の男の多淫な私生活が下卑た連想をまねくのだろう、彼と彼の親友との仲を怪しむゴシップは、十年以上前から存在しつづけている。自分はただ、堂々としていればいい。トリューニヒトの指摘は、明白な証拠にもとづくものではなく、こちらを動揺させるための難癖にきまっているからだ。どうせ、つつかれたところで何も出ない、潔白な関係である。ロイエンタールの恋とは、彼の弱みでさえないのだ。
 本心に嘘をついてむやみに否定することの危険を考慮し、ロイエンタールは最初にかためた守りを崩すことなく応じた。自分のことはかまわないが、妻帯者であるミッターマイヤーに悪評がたつのは困る。
「卿には関係のないことだ」
「ありますとも。嫉妬ですよ。おわかりになりませんか? 私は、あなたからそれほどまでに想いを寄せられるミッターマイヤー元帥を、心底うらやんでいるのです」
 やけに確信にみちたトリューニヒトは、肩をすくめた。媚びた台詞の中に混じる毒竜の息吹が、ロイエンタールの嗅覚を刺激する。よくもまあ、嫉妬などという直截な感情の名を、なめらかに吐けたものだ。
「手酷く抱いてやっているではないか」
 かつてミッターマイヤー相手にも語ったことだが、ロイエンタールはこの男を人間としてではなく、他者からの尊敬も愛情も必要としない寄生虫と見なしている。だとすれば、虫けらの矜恃などという、ありもしないものをへし折ろうとしたところで、それはまったくの徒労だ。これまでの付きあいで十分そのことを学んでいた彼だが、つい嘘にたいする嘲弄が出た。案の定、あきらかな蔑みにも、トリューニヒトはいささかも動じるところがない。
 蝿はらいを振りまわして空気を殴りつけている自分の姿を幻視したロイエンタールは、すこぶる気分を害し、「寄生蝿」を隻眼で睨めつけた。
「卿の冗談をおれは好かぬし、ゆすろうとしても無駄だぞ。値踏みをしているだけのくせに、睦言めいた駄弁を弄するな」
「悲しいことをおっしゃいますな。仮に値踏みをしているとしても、私がもっとも高く買っているのはロイエンタール元帥、あなたでございます」
 軍務尚書オーベルシュタイン元帥や、皇帝ラインハルト陛下よりも、とは明言しないトリューニヒトであった。しかし、高等参事官の言わんとするところを、隻眼の上司は正確に把握する。その恭順に、ロイエンタールは一分子ほどの感慨も抱かなかったが。
 ロイエンタールを銀河帝国皇帝あるいは叛逆者として推したのは、これで三人となった。ほかには、リヒテンラーデ一族の生き残り、エルフリーデ・フォン・コールラウシュがいる。占い師めいたことを言い、自分を失脚させようと証言を偽造した、旧貴族の小娘。
 ああ、この二人のエゴイズムにまみれた浅薄な言葉などより、ミッターマイヤー、卿の憂患そのものの表情と沈黙のほうがはるかに深く、おれの記憶に刻まれている。おれとともに皇帝の一翼をになう「疾風ウォルフ」の評価だからこそ、万金の価値があるのだ。
 たいしてトリューニヒトなど、比べるまでもない。この男を微塵も信用していないロイエンタールは、そのさりげない派閥表明をだまって受けながした。だがトリューニヒトはここでさらなる一手を打った。それは、彼がこの美貌の野心家と懇意になる際にも使った手である。
「強大な実力を有するあなたを軍務尚書が脅威とみなし、フェザーンで防衛手段をとっておいでです」
……
 この場で話せと言ったところでぬらくらかわされるだけなのだろうと、ロイエンタールは頭のなかでのみ嘆息した。情報を引き出すには、夜、時間を設けるほかないというわけだ。
 それにしても、とロイエンタールは思う。ヨブ・トリューニヒトを愛人にして以来、不断に考えていたことだが、やつはおれと同衾して、いったい何が面白いのか。
 終業後二時間したら寝室で、というアポイントメントをとりつけて、トリューニヒトは執務室を辞した。

 その夜、ロイエンタールが入手した情報は、軍務尚書と彼のあいだに存在する亀裂を拡大するものであった。
「航路データのバックアップだと……?」
 軍務尚書オーベルシュタイン元帥は部下に命じて、帝都フェザーンの航路局に保管してある航路データのバックアップ作業を開始したのだという。保管先は軍務省の緊急用コンピュータであるが、容量が足りないことがすでに判明しているため、既存のデータを消去することも検討しているそうだ。
「軍務尚書閣下はこう批評していらっしゃる。曰く、ロイエンタール元帥は猛禽であり、籠のなかに安住して平和の歌をさえずりつつ一生をすごせる男ではない、と」
 フェザーン航路局襲撃の可能性は、このとき初めて、梟雄ロイエンタールの脳内に浮上した。それ以前に考えつかなかったのは、この謀略があまりに非現実的だからである。ロイエンタール軍は、「新領土治安軍」という正式名称のとおり、新領土の治安維持に務めている。帝都フェザーンに、ロイエンタール個人が動かせる軍隊は存在しない。また彼は、そうしたテロリズムの悪臭漂う小細工には関心をそそられなかった。好悪もあるが、これはどちらかというとプラクティカルな問題である。よしんば叛旗をひるがえすにしても、そのような奸計をめぐらす人間に、何人なんぴとが従おうか。
 よって、航路データのバックアップ作業が、ロイエンタールを仮想敵として始められたものとは考えにくい。彼の中立的な理性は、そう告げている。ロイエンタールはオーベルシュタインに対して、敵愾心といってよい感情を抱いていたが、半白の毛髪に覆われた頭脳の犀利なることは認めていた。この場合、両者の思考は収斂し、テロリズムの無益さに関して意見の一致をみるはずである。
 ただ、ロイエンタールにも後ろ暗いものがあった。彼は総督就任以来、オーベルシュタインを仮想敵として、この地の生産力や地理的条件等をもとに、対帝国本土政戦両略構想を研究していたのである。
 もしフェザーンの航路データを消滅せしめれば、新領土における戦闘にかぎり、ロイエンタールは大きな地の利を得ることができよう。だが、古代の思想家がのこした警句によれば、戦いにおいて重要となる三条件は天地人、すなわち、天の時・地の利・人の和であり、地の利は人の和にしかずという。はたして自分は、皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムに対抗できるだろうか。その比類なき天才によって、全帝国の人心を掌握し、魅了してやまない、あの黄金の獅子を。
 及ばぬだろうとの客観的評価、というより、厳然たる事実が、ロイエンタールを鎖につないでいる。それは貴族制度という檻とは異なる趣で、彼の気分を縛りつけていた。無念な挫折と言いきるには、単純ならざるものがある。
 快とも不快ともつかない胸中ながら、ロイエンタールは親友が示してくれた彼への敬畏、それも、思っていたよりはるかにこまやかな敬愛を、たびたび記憶の函から丁重な手つきで取りだしては、つくづくと賞翫した。銀河帝国皇帝オスカー・フォン・ロイエンタール! それはおそらく、ミッターマイヤーが墓まで持っていくはずだった夢想だろう。その欠片は自分には似つかわしくないけれども、内部で未知の光を幾度も反射してかがやく宝石のようであった。だが、それをもてあそぶことがゆるされるのは、オーベルシュタインの言いようを借りるなら、自分が平和の歌をさえずっている間だけであることを、ロイエンタールは理解していた。
 オーベルシュタインは、このおれが籠のなかに安住することはできないという。たしかにそのとおりなのだが、扉が閉まっている以上、ほかに選択肢もあるまい。じつはこの籠の扉は開いているのだろうか? それとも……
 事後の倦怠によどんでいたロイエンタールの左目が、脳神経の発火によってきらめく。その光彩を横目で見やり、トリューニヒトが吟ずるような調子で言った。
「慎みぶかい軍務尚書があのような喩えをなさるとは、私としてもいささか驚きを禁じえませんでした。たしかにあなたは、大空を悠然と旋回する鷲のようなおかただ。その志は天までとどくほど高くあるべきです」
 トリューニヒトは持参した赤ワインを注ぎ、寝台にねそべっているロイエンタールにもすすめてきた。が、彼は首をふってそれを断った。
 外見上の話に限定すれば、ヨブ・トリューニヒトがワイングラスの華奢な脚をつまむまでの一連のしぐさには、風格と品がある。その事実は、貴族趣味と揶揄される生活をおくっているロイエンタールにも否めなかった。旧同盟の民衆の多くが、この眉目秀麗の政治家のイメージに惑わされたのだ。
 サイドボードの照明が、元国家元首の非公式な横顔を照らしだしていた。オレンジ色の光をうけている男の首のつけねを見て、ロイエンタールは鼻白んだ。そこには、彼が情事の最中につけた、赤みをおびた手形が残されていた。



 その二日後、「グエン・キム・ホア広場事件」が発生し、それまで順調だったロイエンタールの新領土ノイエ・ラント統治は、はじめて障害に直面した。以来、新領土の各所で小規模な暴動や破壊活動が頻発し、ロイエンタールはその対処におわれた。そのさなかのことである。
「総督閣下」
 軍事査閲監ベルゲングリューン大将が、一通の手紙を差しだした。それは総督府あての投書で、九月一日以降に発生している事件の首謀者はヨブ・トリューニヒトであるという内容だった。
 ひと通り目を通した新領土総督に、ベルゲングリューンが声をかけた。
「いかがいたしましょう、閣下。高等参事官をお呼び出しになって、査問されては?」
「興味深い投書だが、証拠がない以上、誹謗の域を出ない。こちらからあの男をつついたところで、無意味だろう」
 遠まわしに放置の意志をしめしたロイエンタールには、彼らしからぬところがあった。普段とことなる上司の様子が、不吉な予感を強める。ヨブ・トリューニヒトが赴任した日、ベルゲングリューンは凋落した元国家元首などにかまう必要を感じていなかったが、いまや事情は変化した。
「総督閣下、たとえ証拠が出ないとしても、査問にかけたという事実が重要なのではありますまいか」
「その事実が重要になるのは、はたして、どのような場合だろうな」
 ロイエンタールとて、この忠実で有能な部下を困らせたいわけではないのだが、ベルゲングリューンが憂慮している事態を看破しているがゆえに、意地の悪い問いかけをしてしまう。元はといえば、ベルゲングリューンの危惧も、彼自身が水をやって育てたものであるから、非はまったくロイエンタールにあるのだった。
 明確な回答を避け、ベルゲングリューンはなおも食い下がった。
「では、あの男にふたたび監視をおつけください。ローエングラム王朝の重臣たる閣下には、皇帝陛下より任されし新領土の治安を維持する責務がおありです。現在その治安が脅かされており、トリューニヒトが元凶である疑いがわずかでもある以上、総督閣下は何かしらの対処をなさらねばならないと存じます」
……卿が正しい」
 おれが間違っているのだとは、ロイエンタールは口にしなかった。
 ヨブ・トリューニヒトの監視は、高等参事官赴任当日に一度、ロイエンタール自身が命じていた。翌日撤回された命令は、今度はベルゲングリューンがロイエンタールに助言するかたちで、ふたたび実行されることになった。
 デスクのうえで手を組み、物思いに沈んでいるロイエンタールを、かたわらに立つベルゲングリューンが横目でうかがっている。
 軍事査閲監は逡巡していた。これを尋ねれば、彼の上官たる新領土総督の機嫌をそこねることはあきらかだった。また、この質問は職務を逸脱しており、たとえいかなる理由があろうと非礼に値するとも思った。
 だが、ぬきさししならぬ事態が進行しつつあることを直感した彼は、懲戒処分をも覚悟のうえで切りだした。
「総督閣下、ご無礼を承知で申しあげます。高等参事官の監視をお外しになったのは、閣下が私的にあの男と慇懃を通じたことと、何かご関係がおありなのですか」
 ロイエンタールの左頬がわずかに動いた。彼の胸中で吹きあれた激憤をあらわすのは、その一瞬の痙攣だけだった。
 どうやらそうらしいとの確信を得て、ベルゲングリューンは尊敬する上司のゆく末に、暗澹たる霧が立ちこめるのを見た。それは、彼自身の未来が安穏ならざることも意味していた。
 ロイエンタールがヨブ・トリューニヒトを蛇蝎のごとく嫌い、さげすんでいることを、ベルゲングリューンは知っている。また、自他に峻厳な隻眼総督が、私情を政務に持ちこむなどとは、およそ考えられぬことだった。まして、稀代の漁色家たる彼が、色じかけの類に引っかかるはずもない。だからこそ彼は不安なのだった。
 ベルゲングリューンは深呼吸をすると、沈黙をつらぬく隻眼総督にかさねて言った。
「近ごろ発生している騒動と関連して、閣下とヨブ・トリューニヒトとの関係を勘ぐる流言が飛びかっております。
 トリューニヒト告発の投書を「誹謗」として真剣にとりあわなかったロイエンタールにとって、査閲監のこの報告は耳が痛いものだった。
 ベルゲングリューンがこの噂を知らせるにあたって、あえてロイエンタールの私事に言及したのは、それが私事の皮を被った政治的問題であると看破していたからである。ベルゲングリューンの無作法は、彼の勇気と実直さから出た諫言であるため、ロイエンタールの怒りの矛先がむけられることはなかった。
 ロイエンタールは、優秀な部下を持ちえたことに満足していた。しかしながら、おそらく自分はその彼をして幻滅させることになるだろうという、ほぼ確信にちかい思いも抱いていた。

「という投書があったのだ、高等参事官。卿はどんなたくらみを腹に抱えているのかな」
「それは心外ですな。私はただ、総督閣下、あなたのお力になりたいだけですよ」
 ロイエンタールの寝室で、トリューニヒトは追従をまじえて否定した。これがたとえばラングのような、自我の肥大した人物が相手であれば、トリューニヒトは別のことを言っただろう。しかし、この懐疑的な隻眼総督には、賞賛ではなく冷笑的な言葉が、むしろ有効であるかもしれなかった。
「こうして私は、帝都フェザーンや軍務尚書閣下に関する情報を、閣下にお伝えしているではありませんか。それに、ここ新領土ノイエ・ラントでの私はかかしのようなもので、何ら力を持っておりません。ロイエンタール元帥の耕す畑が害獣に食いあらされないよう、庇うだけの存在です」
 トリューニヒトの痛烈な諷刺は効果があり、ロイエンタールはいささか面食らった。
「かかしとはよく喩えたものだ。卿のいう害獣とは、ここ新領土の民衆のことではないか。ちがうか?」
「おや、私はてっきり、閣下に賛同していただけるものと期待していたのですがね。自分の畑の手入れもせず、ただ先人が植えた作物を食らいつくし、ほかの誰かが耕してくれるのを待つだけの民衆を、あなたも蔑んでいらっしゃるでしょう」
 トリューニヒトの見解は正鵠を得たものであった。正直なところ、ロイエンタールは旧同盟の民衆、現在彼が統治している人民を軽蔑しきっている。彼らは、ロイエンタールがうとんじた旧銀河帝国の門閥貴族とただ生まれた場所が違うだけであって、その精神的頽廃は同一のものであるからだ。
 ただ、こうした共和主義者の堕落を利用し、促進させたトリューニヒトには、彼らをとやかく言う資格などあろうはずがない。支持者にたいして感謝こそすれ、侮辱するとは、なんたる忘恩か。
 軽蔑による共感など望まなかったので、ロイエンタールは返事をしなかった。衆愚政治を体現する男の心理に異様なものをおぼえ、危うきに近寄らぬことを選んだ。
 一方トリューニヒトの側でもほかに伝えるべきことがあったため、話題は転じた。
「新領土で起こっていることは閣下の政治的手腕にゆだねるとしまして、フェザーンにロイエンタール元帥叛意の噂が再来しております。ご注意なさるのがよろしいでしょうな」
「それは具体的にどんなものだ」
 ここでロイエンタールは、帝都フェザーンで表立ってささやかれている流言蜚語を耳にした。皇帝と新領土総督とのあいだにあるという軋轢や、新領土総督がめぐらしているという権謀術数は、誰かが悪意をもって面白おかしく捏造したとしか考えられない。そしてロイエンタールの脳裏には、ある二つの顔が、実際よりも歪められた肖像画となって浮かぶのだった。
「おれと皇帝の間に不和が生じて、もっとも得をするのは誰だと思う? 帝国の人民か? そうではない。危険分子を排除しようともくろむ軍務尚書か、おれを逆うらみする内国安全保障局局長か、そのどちらかだろう。後者なんぞはとくに、汚物同然のゴシップを日陰で垂れるのが上手そうじゃないか」
 ロイエンタールは強烈に中傷しつつ、残りふたつの勢力伸張も考慮していた。一つは、皇帝と新領土総督の戦乱に乗じようとする、イゼルローン共和政府なる集団。もう一つは、彼の隻眼が今まさに睨みつけている男である。
 戦略家としてのロイエンタールは、これら四者が独立して存在しているなどという甘い推測をしていない。イゼルローンの共和主義者どもはともかく、ほかは結託していると考えるべきであろう。とくに内国安全保障局局長ハイドリッヒ・ラングは、直属の内務省ではなく、軍務尚書オーベルシュタインの派閥に属しており、内務尚書や憲兵総監と対立している。トリューニヒトもまた、ラング同様オーベルシュタインとのつながりを持っており、二重スパイの可能性を考慮すべきであった。そのうえ、これはまだ不明なところが大きすぎるが、トリューニヒトはいまだに旧自由惑星同盟の国家主義団体ないし地球教残党の後援をうけている疑惑がある。
「軍務尚書オーベルシュタイン元帥と内務省次官ラングですが、皇帝陛下のご病臥に乗じ、帝権を侵しているとの情報がございます」
「陛下のご病気がそれほど篤いとは聞いておらんな」
 ロイエンタールはトリューニヒトから仕入れた情報をうのみにはしておらず、彼自身の伝手つても確保しており、かならず裏をとっていた。今のところ虚報をつかまされたことはないが、警戒はおこたっていなかった。
 トリューニヒトは自身のもたらした情報について、誇張された噂だろうと訂正した。そして、参考程度にと前置きし、じつはラングの手製であるこの噂の詳細を伝えた。その内容は、オーベルシュタインやラングを悪しざまに言うことはなはだしく、ことラング本人については、彼の本心からの野望や反感が織りまぜられているだけあって、迫真の出来であった。
「ふん。おれの粛清を皇帝に進言するなど、どぶをさらって陰口をかきあつめ、他人のやましいところをほじくり出すだけの鼠にできようはずもないが……
 などと思うロイエンタールだが、彼が皇帝を新領土に招請して暗殺する、という部分はひっかかる。そういえば、先ほどトリューニヒトからもたらされた流言のなかにも、妙に印象に残るものがあった。それは、ロイエンタールが皇帝暗殺ののち、行方不明のエルウィン・ヨーゼフ二世を仰いで、ゴールデンバウム王朝体制に復古し、幼帝の摂政として大権をほしいままにするだろうというものである。
 エルウィン・ヨーゼフ二世行方不明が判明したのは、「神々の黄昏ラグナロック」作戦で旧自由惑星同盟を降伏せしめ、バーラトの和約を締結したときである。もとをただせば、幼帝を受け入れ、銀河帝国正統政府なるものを承認したのは、この旧同盟の国家元首ヨブ・トリューニヒトであった。この男が本気で自分をかつぎあげるつもりであれば、一○にもとどかぬ幼帝を、切り札として匿っているのではないか?
 しかるべき機会に、やつから政治的正当性を差しだされたとき、おれはどうするだろうか。己の野心を成就させるために利用するのか。現皇帝のもと、この手で滅亡させた、ゴールデンバウム王朝を。現在、ヨブ・トリューニヒトが、旧自由惑星同盟を利用しているように。
 ——ロイエンタールのこの推測は外れていた。トリューニヒト、およびルビンスキー、ド・ヴィリエからなる三協商は、この年三月にエルウィン・ヨーゼフ二世を見失ってしまっていた。幼帝誘拐の実行犯レオポルド・シューマッハからその旨をきいたのは、ハイネセンに潜伏中のアドリアン・ルビンスキーである。
 計画の途中まで、エルウィン・ヨーゼフ二世は彼らの手駒の一つであり、ロイエンタールの想像したような策が実行される可能性は高かった。だがあの気の毒な、八歳だか九歳だかの癇癪持ちの子供は、もはやロイエンタールを叛逆へと誘いこむ餌のうちの一つに堕し、旧王朝の象徴以上のものは期待されていなかった。失われたところで、たいした痛手ではなかった。
 トリューニヒトらが思いえがいている策謀は、ロイエンタールの想像をはるかに超えて悪辣なものであり、ただ叛逆のみで完結するものではない。壮大で邪悪な絵画の全貌は、銀河の暗部でうごめく陰謀家たちのカンヴァスにのみ、いまのところ存在している。



 ラングの策動の背景には、ワーレン、ルッツ両大将の歓送迎会をねらった爆弾テロ事件がある。今年四月に発生したこの事件は、工部尚書シルヴァーベルヒ死亡、オーベルシュタイン元帥とルッツ上級大将負傷、他に死傷者四一名という、甚大な被害をもたらした。
 内国安全保障局がこの爆弾犯を逮捕し、内務次官への栄達をはたしえたのは、じつはルビンスキーの告発による。このとき両者のあいだに、ロイエンタールを失脚させるための協定がひそかにむすばれた。ラングはルビンスキーから授けられた陰謀の種子に噂をそそぎこみ、みごと新領土ノイエ・ラント行幸という、企図したとおりの花を咲かせたのである。本来であれば、人間心理を利用する陰謀は不確実性が高く、策それ自体としての洗練度はたいしたものではない。にもかかわらずそれが成功してしまったのは、やはりロイエンタールが元来抱いていた、戦いへの意欲によるところが大きいだろう。
 隻眼の男の矜恃や反骨精神は、ラングやその背後にいる黒幕たちのよく知るところであった。ラインハルトが己の主君にふさわしいか、たえず問うているロイエンタールは、ラングごときに左右される軟弱な皇帝に従える人間ではない。そこで彼らは、「ラングから『ロイエンタールが皇帝暗殺を計画している』と吹きこまれたラインハルトは、用心して帝都フェザーンから離れずにいる」というエピソードを捏造した。この噂をロイエンタールが聞けば、皇帝の真意をためすため、あえて新領土行幸の招請状を出すだろうと、見当をつけていたのだ。
 この噂は、陰湿なかけひきで旧社会秩序維持局を支えたラングならではの罠だった。まず、一見してラングを佞臣としておとしめる内容であるため、発信者がラング本人とは疑われにくい。そして、ロイエンタールがその流言を耳に入れ、対策をとることを前提としているのが、非常に巧妙だった。尋常の発想の持ち主であれば、本人に気づかれないように悪評をばらまき、ひそかに周囲から孤立するよう仕向けるだろうが、ラングのこの策はさらに一段階上のところでしかけられている。ロイエンタールは噂を否定するつもりで、あえて皇帝に新領土行幸の招請状を出したが、それこそ噂の真のねらいだったのだ。話の真偽はさほど重要ではなく、噂によって促される行動に意味があるという点で、ラングの手法はヤン・ウェンリーがイゼルローン要塞奪還の際に使った策と、奇しくも通ずるところがある。だが、その当時イゼルローンに駐在し、手痛い教訓を学んだのはルッツであって、ロイエンタールではなかった。
 一方、皇帝ラインハルトも、自分が臣下の裏切りにおびえているなどという噂を耳にしてから、不機嫌そうな様子を隠しもしなかった。そのような時期に、ロイエンタールの招請状が届く。
 ラインハルトが大本営で新領土行幸の旨を告げたとき、その場にいた幹部全員の無言の意見を代表したのは、軍務尚書オーベルシュタインだった。彼は皇帝のまとう帯電した空気にもひるむことなく、ロイエンタール不穏の噂にふれ、事態が収集するまでフェザーンで待機してはどうかと口をひらいた。
「ばかなことを!」
 新領土行幸の決断の大部分が個人の矜持に由来するとはいえ、ラインハルトはみずから惑星ハイネセンに出向くことで、皇帝と部下との忠義を内外に示さんと意図したのだ。元はといえば、ラインハルトが至尊の地位を得ようと発起した理由は、たとえば姉を皇帝に差しだせなどといった、他人の不愉快な命令を拒絶するためである。まして、流言蜚語などによって己が行動を妨げられるなど、我慢できようはずもない。
 オーベルシュタインは行幸延期についで、一個艦隊による護衛という次善の策を奏上したが、ラインハルトはそれも却下した。その後、ミュラーが首席随員に命じられ、またルッツが巧みに名のりをあげて随行が決定すると、皇帝は退出し、解散となった。
「軍務尚書のあの言いようでは、皇帝の御不興を招くこと必定ではないか」
 このような不満がミッターマイヤーにはあったが、皇帝に再考をうながす手立てもなく沈黙していた身であるので、心のなかで悪態をつくにとどめる。近ごろ軍務尚書の徹底した秘密主義に疑惑の目を光らせ、対立を深めているロイエンタールであれば、こう断定したかもしれない。オーベルシュタインは、自分が皇帝暗殺をたくらんでいると決めつけているのだ、と。
 だが行幸に関して、大本営に招集された諸将一同、皇帝の安全に自信が持てずにいるのだ。多くの者はロイエンタール不穏の噂の真偽ではなく、噂によって皇帝と新領土総督の関係をおびやかす輩の存在を警戒したのであるが、ミッターマイヤーはそれ以上の深刻な憂慮にとらわれている。彼はロイエンタール本人の口から、皇帝との戦いを望んでいると聞いているのだ。ロイエンタール不穏が、噂以上の事態に発展せずにいることは、かえって彼の潔白の証左ではないかと踏んでいるのだが、その推測は誰にも明かせない。また、皇帝暗殺という卑劣な策が、ロイエンタールの覇業に悪影響を与えることや、かえって彼の生きざまを否定することも、ミッターマイヤーは理解している。だが、これらも口に出すわけにいかない。痛い腹を探られるのは困るのだ。
 ミッターマイヤーはミュラーを自身の執務室に招き、討議をかさねて、行幸の手筈を万全にととのえた。一個艦隊とまではいかずとも、一○○隻以下の護衛艦艇をつける程度であれば、ミッターマイヤーから具申すれば聞きいれられるだろうということで、ふたりの意見はまとまった。これなら、潜伏しつつ動かねばならない陰謀家を制圧するなら充分であろうし、噂の渦中にある新領土総督の顔を傷つけることもないだろうとの判断だった。
 ひととおり話に区切りがついたところで、ミュラーがためらいがちに尋ねた。
「ミッターマイヤー元帥、新領土総督にまつわる、もう一つの噂をご存知ですか。高等参事官ヨブ・トリューニヒトに関連するお話なのですが」
 宇宙艦隊司令長官は沈黙でうべない、グレーの瞳を翳らせた。「ロイエンタールのやつも、趣味が悪くなった」と茶化すにしても、トリューニヒトは趣味が悪いどころではない怪人物であり、冗談にまぎらわせるには不安材料が多すぎる。エルフリーデとの関係が原因で、ロイエンタールが皇帝の審問を受けたのは、つい数ヶ月前のことではないか。なぜ彼は、嫌っているはずのあの男と同衾しているのか……
 ミュラーより二つ年長のミッターマイヤーは愛妻家として有名であり、彼とロイエンタールの関係はあくまで「親友」であった。ふたりきりの空間では親友という定義が曖昧模糊として、ふれあいがしばしば懇ろになったが、それはロイエンタールの右目の不調という建前のもとで行われた。最後に会ったときの例外でも、キスさえしなかったのだ。ふたりは人前では単なる友人を演じたし、事実、服の下に手がさしこまれたこともない。
 それでも近くで見ていれば、二人のあいだに存在する友情以上のものに、薄々察しがついてしまう。あえて詮索しようとする者もさほどいなかったが、人間観察にすぐれたオーベルシュタインやヒルダ、また二人と比較的親しくしているミュラーなどは、看取していた。
 ミュラーは尊敬する上官ふたりの関係のなりゆきを、それとなく遠巻きにながめるだけである。度重なるロイエンタールの漁色について、ひそかにミッターマイヤーの様子をうかがいこそしたが、それを人に洩らすことはなく、彼のごくささやかな好奇心を満たすにとどめた。ちなみに、ミュラーはかの隻眼の男がいわゆる「両刀」でよかった、と冗談を言ったことがある。曰く、「ロイエンタール提督が女性にしか目を向けぬ御方でしたら、帝国中の美女を独占されてしまいます」とか。だが帝国の美女のうち半分にしかロイエンタールの手がまわらぬ今でも、ミュラーには浮いた噂のひとつもなく、彼が自分自身について語ることはほとんどなかった。
 傍観者に徹していたミュラーが、今回はじめてロイエンタールの「漁色」に口をはさんだのは、それが不穏の噂と無関係ではないと思われたからである。ヨブ・トリューニヒトといえば、旧自由惑星同盟の元国家元首であり、滅亡の元凶でもある。ラインハルトに侵攻の大義名分をあたえ、バーミリオン会戦でヤン・ウェンリーのはたらきを無為にした彼の働きぶりは、銀河帝国から第一級の勲功をさずけてよいほどであった。バーラトの和約締結後、市民の失望と怒りをおそれて帝国に逃がれたまではともかく、どういうわけか今度は皇帝から高等参事官の職を賜り、新領土と名を改めた祖国で務めをはたしている。それなりの能力があるにしても、トリューニヒトは信用のおけぬ卑劣漢だ。そんな人物が隻眼総督に接近していると聞けば、警戒してかかるのは当然である。
 口をとざした僚友が、感情を抑制し、整理しているのを察して、ミュラーもそれにならっていた。表情筋をかたくしたミッターマイヤーは、腕を組んだままデスクの上のコーヒーを見つめ、しばらくしてミュラーに語った。
「陛下の人事がどのような意図でもってなされたか、おそれながら承知しているつもりだ。新領土での改革は、ときに武断的なものとなる。そのとき、民衆の不満のはけ口があれば、為政者としては都合がいい」
おとりとしてこれ以上の人材は、どこを探しても見つからないでしょう。民衆の不平の標的となる上に、それについてこちらは微塵も痛痒を感じませんからね。九月一日の民衆の暴動までは、うまくこれが機能していたようですが……
「新領土ではトリューニヒトの人事が評判となり、宸意の正しさが証明された。それはよいが、辞令をうけたあの男の意図となると、どうもわからぬ。現在こうして新領土で騒動が発生しているということは、やはり何かはかりごとがあったのではないか」
 ミッターマイヤーの推量が、私的な妬み嫉みによってこじつけられたものとも思えず、ミュラーはうなずいた。
 危惧をおぼえつつ、ミッターマイヤーがつづけた。
「これは以前、幕僚のビューローにも相談したのだが、トリューニヒトが軍務尚書オーベルシュタインと組んで、ロイエンタールをおとしいれる謀略をめぐらせているということはないだろうか。今回の件について、軍務尚書は何か意見を言っていたか?」
 ミッターマイヤーはオーベルシュタインの話題がでたとなると、反感をあらわにせずにはいられなかったが、あの冷徹な義眼の男がローエングラム王朝のために身命をささげていること自体は疑っていない。ただ、ミッターマイヤーが思うあるべき国の姿と、軍務尚書の理想が、噛みあわないだけである。
 オーベルシュタインがトリューニヒトと組んでいるとして、それはあの男の価値観からすれば、現王朝の利になることなのだろう。その結果彼ら二人がどうなろうとミッターマイヤーの知ったことではないが、そのために親友が犠牲になるというのであれば、話は別である。オーベルシュタインは、トリューニヒトを使いすての駒として用い、ロイエンタールの排除を目論んでいるのではないか。自分の親友がトリューニヒトなんぞと道連れになって、追放の憂き目にあうなど、心底ぞっとする。
 それくらいならばいっそのこと、トリューニヒトを現在発生している新領土の動乱の黒幕にしたてあげ、始末してしまえばいいだろうに、とさえ考えるミッターマイヤーであった。彼は本来、こうした陰険な手段を好む人間ではなかったが、このとき念頭にあったのは、リップシュタット戦役の最後の一幕を飾ったリヒテンラーデ公粛清である。オーベルシュタインが提案した手段が、まるきりやつに跳ねかえるだけのことではないか。手駒をひとつ失った程度で、あのオーベルシュタインが殊勝に反省するとは思えないが、多少なりとも自分の所業に首を絞められればいいのだ——
 しかし、皇帝の裁決ぬきにロイエンタールがトリューニヒトを処分するわけにはいかない。また新領土の事態が収束しなければ、トリューニヒトに罪をなすりつけたところで、総督の責任が問われることに変わりはない。わかっていても、悪者を排除するという安直な解決を、妄想せずにはいられなかった。ミッターマイヤーは全知全能の神などではなく、銀河帝国の宇宙艦隊司令長官にすぎなかったので、新領土の動向についてそのすべてを把握することなどできようはずがなかった。彼はトリューニヒト告発の投書の件さえ知らなかったのである。だがこのときのミッターマイヤーは、ひとえに親友への心配から、その周囲に張りめぐらされている罠を無意識に感知していた。ただし、その陰謀の触手が、彼自身にも伸ばされているとは知らずに。
 オーベルシュタインとトリューニヒトが組んでいるという説は、あくまで仮のものであり、現時点で想定可能な最悪のシナリオにすぎなかった。かつてオーベルシュタインが飼い犬のため鶏肉を買いもとめる姿を目撃したミュラーも、皇帝行幸の背景については、とくに何の手がかりもつかんでいない。
「軍務尚書閣下が行幸について何かおっしゃったとは、私は存じあげません。随行員の名簿も確認しましたが、お名前はありませんでした」
……そうか」
 ひとまず、オーベルシュタインとロイエンタールが顔を突きあわせて御前で口論になる、という事態は回避された。それでもミッターマイヤーの表情から陰鬱なかげが払拭されないのは、やはりヨブ・トリューニヒトが新領土総督の新たな愛人となったことが関係しているのだろうか。ミュラーは勝手ながら、僚友の心痛を慮った。
 篤実なミュラーはどのような相手、どのような場面でも、一定した変わらぬ態度を保つ術に長けており、それがこの砂色の髪の男が信用される所以だった。ミュラーは話題を転じ、ミッターマイヤーの意識を逸らせた。
「残留といえば、フロイライン・マリーンドルフは体調不良により、此度の新領土行幸には随行なさらないそうですね」
「ここ数日姿が見えぬし、陛下がおっしゃるならそうなのだろう。このような剣呑な事態に際してこそ、智にすぐれ、陛下の御信頼も厚いフロイラインの助力をあおぎたいのだが……
「一刻もはやい回復を祈るばかりです」
 このとき、じつはある出来事が起こっていた。八月末、彼らの主君とその補佐をつとめる伯爵令嬢は、ひそかに一夜をともに過ごした。何があったのかは彼らだけが知るところだが、その翌朝、奇しくもミッターマイヤーの誕生日に、ラインハルトはヒルダに求婚した。それから二週間弱が経過した今でも、頭脳の活動領域をもっぱら実務にふりわけた美男美女は、明確な未来図ヴィジョンを持てずにいる。
 その能力から為人ひととなりまで、万人から高く評価されるミッターマイヤーとミュラーの両名だったが、ラインハルトは彼らにさえ、この手の人生相談を持ちかけることはなかった。彼らはあくまで皇帝の忠臣であり、その境界をまたいで馴れ馴れしく付きあう相手ではないという分別と、他人に柔弱な一面をさらすことへの羞恥心があったからである。あるいは、よき相談者という空席を、死者のためにとっておきたいという心理作用も、いくらか働いていたかもしれない。皇帝と側近ヒルダのあいだにあった出来事は、当事者ふたりが秘密にしたのはもちろん、マリーンドルフ伯も慎重な人物で、親衛隊長キスリングも口が堅いため、誰にも洩れることはなかった。
 ミッターマイヤーはミュラーと握手をして別れたあと、自分の艦隊と宇宙艦隊の主力を、フェザーン回廊の「影の城シャーテンブルク」要塞建設予定宙域に移動させることを決めた。新領土で皇帝の身に危険が及んだ際、すぐさま動けるようにとの配慮である。
 新領土行幸に関連する種々の出来事について、少なくない人々が、それぞれのにがい後悔を味わうこととなる。だが彼らは、その時点で考えられる最善の選択をしたのだ。どのピースも、事後的にしか判明しえぬ、ささやかな力しかもっていない。だが一つ一つのピースが悪意をもって組みあげられたとき、それらは相互作用を生じ、天をめぐらすほどの力となって、銀河帝国を席巻するのである。



 皇帝一行はハイネセンでロイエンタールの歓迎を受けることなく、その道中の惑星ウルヴァシーで銃口にかこまれた。彼らが火の放たれた人工オアシスをからくも脱出したのが一○月八日、日付が変わってまもない深夜のことである。
 この事件が新領土ノイエ・ラント総督ロイエンタールの耳に入ったとき、彼はたしかに驚愕した。だが彼は同時に、生まれたときから眼前にあった虚無の穴にようやくたどりついたという、不思議な感慨もおぼえた。想定の内外にはたらく逆方向の力は奇妙に釣りあって、ロイエンタールの態度の平静をたもった。
 個人の心境はともあれ、ロイエンタールはウルヴァシーでの変事について、現地の情報を収集する必要がある。皇帝の安否をはじめとする状況によって、彼がとるべき対応も変わってこよう。
 いまのところ、これは新領土総督の不祥事として対処すべき事案であった。ロイエンタールは皇帝一行の捜索と保護を指示すると、グリルパルツァー大将を呼びだし、治安回復と調査のためウルヴァシーに派遣した。皇帝が無事であるにせよ、そうでないにせよ、皇帝襲撃の首謀者をあぶりださねばならない。今回の事件に関して、ロイエンタールは無実である。皇帝に弁明する際、事件が解決済みであれば、新領土総督の地位にともなう安全保障の職責を超えて、むやみに咎められることはないだろう。また、皇帝が暗殺されていた場合は、錦旗をかかげてすみやかに報復すればよい。その功績をもってすれば、皇帝亡き後の後継者争いで、一歩先んじることができよう。
 部下からの報告を待つあいだ、ロイエンタールが考えねばならないのは、予測される事態とそれに応じた行動パターンである。もっとも望ましくないのは、皇帝が逃げのび、事件解明にも失敗し、オーベルシュタインやラングがロイエンタール粛清を吹きこむ事態である。
 皇帝の安否確認と保護、首謀者の判明が急がれるが、そのいずれも順調とは言いがたい。皇帝一行がウルヴァシーを脱したというところまではすぐに知れたのだが、依然消息は不明であった。というのも、惑星ウルヴァシーが属するガンダルヴァ恒星系は新領土の辺境にあり、惑星ハイネセンと帝都フェザーンの中間あたりに位置する。皇帝ラインハルトを乗せた戦艦ブリュンヒルトは追手から逃れて以降、姿を隠しながらフェザーンに向かっていたため、ロイエンタール側の追跡は距離的不利も相まって困難だったのだ。それに加えて、ウルヴァシーに赴いたグリルパルツァーのひそかな寝返りが、情報不備の原因であった。彼は地球教団を基盤とした陰謀を利用して、ロイエンタール元帥叛逆事件という出世の好機に乗じようと画策していたのである。
 そして、ロイエンタールの想定していなかった最悪のパターンが、現実となった。
「ルッツが死んだ?」
 この報告が、ロイエンタールの去就を決した。
 コルネリアス・ルッツは、二年前の「神々の黄昏」作戦において、ロイエンタール率いるイゼルローン方面軍の副司令官を務めた男である。ルッツは年少の総司令官の命令をよく解し、しだいに目立ってきたレンネンカンプとの摩擦をさりげなく仲裁してくれた。ロイエンタールにとっては、信頼のおける副将だった。
「ロイエンタール提督は近ごろ恋人と別れられたとか」
 ルッツが声をかけてきたのは、オーディン進発前の秋であった。
 同じ作戦に従事するとなれば、おのずと話す機会も増えるというものだ。ロイエンタールとルッツの両名は、ラインハルトが元帥府を開設したときからのメンバーであるが、古参としての仲間意識と対抗心こそあったものの、さほど会話を交わす間柄でもなかった。おそらく、このイゼルローン侵攻に共同で参加することがなければ、希薄な関係が続いていただろう。
 ルッツは硬派な印象で、この手の話題を好まないと思っていたので、ロイエンタールは意外だった。
「耳ざといな。ちなみに、今夜もまだベッドは空いているぞ」
 調子をあわせた冗談なのだが、なかば興味もあった。そして、面白半分なのは向こうも同じだったらしい。
「では、そのまま空けておいてください」
 かくしてその夜、ロイエンタールは同僚の碧眼を、あざやかな藤色に染めたのだった。ルッツは緊張や興奮によって、虹彩の色が変わる体質の持ち主なのだ。白い肌が火照ると、青い瞳にも血の赤がまじる。物珍しかったので、よく見えるようにベッドサイドランプの照度をあげたところ、「けっこうなご趣味だ」と非難されたのをおぼえている。
 ルッツは声をかけてきたときも、事が済んだあとも豪胆だった。彼らは何度か寝たが、その回数が片手の指の数にもとどかぬうちに、つきあいは終了した。
「このくらいがやめどきでしょう。深入りは互いのためにならない」
 同衾した最後の夜、別れを告げてきたルッツに、ロイエンタールは「おれはかまわんが」と返したが、彼は首をふった。
 ロイエンタールは目を閉じて、瞼の裏で上映される現実の記憶と、想像上のルッツの最期の瞬間を観た。おそらく、卓越した射撃で、皇帝を襲撃者の銃火から救ったのだろう。りっぱな男だった。そのコルネリアス・ルッツが死んだのだ。
 これで決まったなと、ロイエンタールは破滅を受けいれた。彼は己の未来が崩落していく、滅亡の音をきいた。主君は守られ、かならず生きているという確信があった。ラインハルト・フォン・ローエングラムは世にまたとない存在であり、将兵たちにとって、ただ一人の皇帝なのだ。
 このまま事がはこべば、貴重な国家の忠臣を死なせた自分は、犯してもいない罪によって罰をこうむり、汚辱にまみれて生きることになるだろう。それどころか、皇帝のもとに参上して裁かれる前に、軍務尚書や内務次官にとらえられ、謀殺される可能性さえあった。それが嫌ならば——
「もはや、道はないか」
 自分の存在がラインハルトの眼中にないことを悟ったとき、いや、ラインハルト・フォン・ミューゼルと出会ったとき、それがこの人生の終着点だったのかもしれないと、ロイエンタールは回顧した。隻眼のこの自分を誰にも否定させまいと戦いつづけてきたが、どうやらここまでらしい。
 ロイエンタールはさすがに、自分と皇帝の力量差を見誤ってはいない。勝敗や優劣が相対的なものであるとはいえ、その相対的なものを決する条件を整えることにかけて、ラインハルト・フォン・ローエングラムは銀河最上の器量をもつ人間であり、その才能がラインハルトを皇帝たらしめていた。
 自分は敗北するだろう。それでかまわないと、ロイエンタールは納得している。人間にはそれぞれの才能があり、その実力に応じた地位なり権力なりが与えられているべきだという、過酷な実力至上主義を、ロイエンタールとラインハルトは自然と共有している。二人はその価値観を他者にも強いたが、まずは自分自身にあてはめた。過大評価も過小評価も、彼らは望まない。それゆえに、皇帝の座をかけて争い、その勝敗にしたがうことに否やはないのだ。たとえそれが勝利ではなく、敗北であろうとも。



「高等参事官が、総督閣下にお話があるとのことです」
 ベルゲングリューンの報せにたいし、ロイエンタールは秀麗な眉をはねあげた。だが彼は何かに気づき、わずかに気後れした様子で目を伏せ、短くたずねた。
……民事長官は」
 新領土総督府において、政治面での補佐を務めるのは、民事長官ユリウス・エルスハイマーである。じつはこの男は、ウルヴァシーで亡くなったルッツ上級大将の義弟にあたる人物であった。彼はおそらく、叛逆者となったロイエンタールを恨むだろう。もとよりにくまれることには慣れているつもりの彼だったが、忠臣たるルッツが非業の死をとげた責任は重い。ロイエンタールは敵対者から憎悪されることには平然と耐えたが、自分自身の慚愧の念には無感覚でいられなかった。
 上官の胸中に思いをはせつつ、ベルゲングリューンは答えた。
「高等参事官は閣下に直々にお目通りしたいとのことで、民事長官には話を通していないようです」
 現在のロイエンタール陣営は、敵味方がわからぬ混乱状態にある。そのため、トリューニヒトが直属の上司を介さないことには、いちおう理屈が通る。しかし、どうも良からぬことをたくらんでいるように思えてならないロイエンタールである。
「いかがいたしましょう、閣下。いまさら、ヨブ・トリューニヒトの助力を得る必要もないと思われますが」
 ベルゲングリューンは、できればロイエンタールとトリューニヒトを面会させたくなかった。これ以上、あの男の関与をゆるしてはならないという、直感的な危機感がはたらいていたのである。
 だが隻眼の総督は、トリューニヒトを呼ぶようベルゲングリューンに命じた。不安げな査閲監の表情を看取したロイエンタールは、自身の意図をわずかにほのめかした。
「おれもトリューニヒトを警戒している。だがやつにも使いみちがあった。ろくな使い途ではないがな。それに、あの男はまだ情報を隠しもっている可能性がある。こうなってしまったからには、搾れるだけ搾っておこう。皮は捨ててしまえばいいのだからな」
 こうして新領土総督の前に立ったヨブ・トリューニヒトは、気品ある模範的な挨拶のあと、まっさきに人払いを要求した。このとき、同席していたのは軍事査閲監ベルゲングリューンのみである。けれどもこの喋る衆愚政治は、ロイエンタールの腹心の部下をも排斥しようとしたのだった。
「すでに民事長官の頭上をずうずうしくも飛びこえておきながら、まだ不満か。卿の注文は限度を知らぬと見える」
 それ以上の非難はかろうじて抑えたロイエンタールだったが、すでにうわべの礼儀を取りつくろうことはやめていた。
 常人であれば、隻眼総督の高圧的な態度におびえて、口がきけなくなるところである。だがトリューニヒトはいっさい悪びれることなく、堂々とロイエンタールと対峙し、人あたりのやわらかさをたもっていた。
「正規の手続きによらず、どうしても閣下おひとりに申しあげねばならないのです。その点につきましてはおそれながら、エルスハイマー民事長官を措いてお目通りすることも、ベルゲングリューン軍事査閲監のご離席をお願いすることも、同様の論理であると存じます」
「いや違うな。私は軍事査閲監の忠誠はうけたが、民事長官のそれはまだだ。この面会を許可したのは、卿があらためて私個人に忠誠を誓い、役立ってくれると期待してのことだ。私の側につくというのなら、彼に聞かれて困ることもあるまい」
「私に役立てることがございましたら、何なりとお申しつけください。ですが閣下、覇業を成就されるおつもりなら、私のようなタイプの人材も必要であるとはお思いになりませんか。私には、私だけがお伝えできる情報というものがございます」
 ロイエンタールがトリューニヒトを伝手として利用してきたことにたいする、これは痛烈な指摘であった。また、トリューニヒトの論法は、かつてオーベルシュタインがラインハルトに自身を売りこんだ際に用いたものと、奇しくも同じものであった。
「耳をかたむけていただければ、閣下にも事の重大さをご理解いただけると思うのですが」
……査閲監、一○分間だけ席をはずしてもらえんだろうか。卿にはあとで相談する」
 ラインハルトがオーベルシュタインにたいしてそうしたように、ロイエンタールも己の好悪の感情をねじ伏せた。トリューニヒトごときを使いこなせずして誰が覇者かと、その矜持が刺激されたのである。
 「使って信じず」という最初の方針をつらぬくだけであるはずだった。もしここで、感情のままにトリューニヒトを監禁していれば、ロイエンタールは都合の悪い事実を知らずにすんだだろう。だがトリューニヒトの罠のすぐれて悪辣な点は、たとえどんな事態になろうとも、彼の計画が順調にはこぶことにあった。
 ベルゲングリューンが立ち去ると、トリューニヒトは本題に入った。そしてロイエンタールは、このときようやく、彼を中心に据えた悪夢のような計画を垣間見ることになったのである。
「閣下、私は、行方不明になっていたエルフリーデ・フォン・コールラウシュと、彼女が生んだ、あなたの血を継ぐ男児を保護しております」
 隻眼の男は、その衝撃的な告白に、外見上は無感動であった。
 彼は自分の子を生んだ女が行方不明になっていたことを、今、初めて耳にした。彼の親友は独自にそれを知り、ひそかに彼女を捜索していたのだが、一方のロイエンタールはその件について何も知ろうとせず、記憶の地層の奥深くに埋めてしまっていた。そして、ヨブ・トリューニヒトという怪物は、ロイエンタールの精神の闇から忌々しいものを引きずりだし、彼の眼前に綺麗に飾りたてて陳列した。こうした供物によって望まれているのは、流血と災厄の到来であった。
 ロイエンタールは、いやにかわき、重くなった口をひらいた。
「なぜその母子が、卿のところにいる」
「助けを求められたからです。私は自由惑星同盟の国家元首だった時期に、旧王朝とつながりがありましたから。それに彼女たちは、閣下と近しい人間でもありますし」
「なぜ官憲に通報しなかった。その件は、女は出産後もとの流刑地にうつし、子は養子に出すということで、処分が決定していたはずだ」
 今年のロイエンタール元帥不穏の内実を知っているトリューニヒトは、あやうく失笑しかけた。無慈悲に粛清した故リヒテンラーデ一族の女を一時自邸に置き、あまつさえ身籠らせた男が、言うにこと欠いて「なぜ通報しなかった」とは! ……その一刹那、これまで一分の隙も見せたことのなかった、トリューニヒトの恭順の仮面に、ほんのわずかに亀裂が入っていたかもしれない。けれどもロイエンタールは、そのひびに気づかなかった。
「過去についてあれこれあげつらうことに、いま何かしらの利があるとも思われませんが。彼女たちは軍務尚書オーベルシュタイン元帥の謀殺をおそれて、病院から逃亡し、閣下を頼ってきたのです。通報すれば命が危なかったのです、お許しください。すべては閣下のお志に貢献するためでございます」
 トリューニヒトの余計な世話を、ロイエンタールは鼻で笑った。
「至尊の座が掌中にある場合ならともかく、単なる叛逆者にすぎん現在のおれには、あの女もその子供も、無用のものと思うがな。言っておくが、人質にもならん」
「私情はともあれ、もし人質にとられたあげく、自分の子供を見捨てたなどと喧伝されては、閣下にとって不都合だったでしょうな。それに、彼女は軍務尚書や内務省次官について、情報を隠しもっているようですから、探っておくのがよろしいかと。ああ、そうそう、コールラウシュ嬢は表に出られないので、閣下と彼女との連絡は私が務めさせていただきますよ」
 手札をのぞかせ、自身の利用価値をアピールしたトリューニヒトは、今しがた思いついたような、何気ない口調で、ふとロイエンタールにたずねた。
「閣下、この蹶起に賛同するお仲間のあてはあるのでしょうか?」
……何が言いたい」
「では単刀直入に。ミッターマイヤー元帥は、いずれの陣営に与するのですか?」
 親友の名が出た瞬間、ロイエンタールの隻眼から殺気が放たれ、トリューニヒトはそれを薄ら笑いでうけながした。
 ミッターマイヤー、蜂蜜色の髪の「疾風ウォルフウォルフ・デア・シュトルム」! その名を、姿を、思い浮かべるだけで、ロイエンタールの胸に激痛が走る。ウルヴァシーでの不祥事が帝都フェザーンにも知れれば、この友はきっと、皇帝に新領土総督の潔白を直訴してくれるだろう。だが、そもそもこのような事態におちいったのはなぜか。軍務尚書や内務省次官の謀略のためではないのか。皇帝へのとりなしが実現したところで、謁見する前に謀殺されたり、無実の罪で晒し者となったりする可能性が、ありえないとは言いきれない……
 そこまで考えたロイエンタールは、ある恐るべき仮説にたどりついた。
……そういうことか。きさま、そういうことだな」
 青い隻眼の奥で、憎悪の炎が燃えあがった。握りしめたこぶしには力が過剰にこめられ、小刻みに震えている。対峙するトリューニヒトは、柔和すぎる冷酷な笑みをうかべていた。己の読めたところで、この隻眼の男に成すすべがないことが、わかりきっていたからである。
 トリューニヒトには、オーベルシュタインの二重スパイ疑惑がある。もしここで、「ミッターマイヤーをこちらの陣営に引きこむ」と言えば、どうなるか。最悪の場合、ウォルフガング・ミッターマイヤーの名は、軍務尚書の粛清リストの順番を繰りあげることになるだろう。自分より先に、フェザーンにいるミッターマイヤーが謀殺される。それは、ロイエンタールには、絶対に容認できないことだ。どんな小さなリスクでも、徹底的に排除せねばならない。
 そもそもロイエンタールは、トリューニヒトというリスクの大きすぎる道具を処分するつもりで、面会要請を承諾したのだが、それを今、封じられた。オーベルシュタインへの密告を阻止するため、トリューニヒトを監禁すれば、どうなるか。トリューニヒトからの連絡が途絶えた場合にオーベルシュタインが行動を起こす、という取り決めになっていた場合、ゲームオーバーだ。
 これは、トリューニヒトの無言の脅迫だった。この保身の天才は、たった一つの質問で、自分を害せばフェザーンにいる人質が危ないというメッセージをロイエンタールに伝え、自身の当面の安全を確保したのである。しかも、一切証拠は存在しない。トリューニヒトは「何も言っていない」のだ。脅しがはったりである可能性も十分考えられるが、ミッターマイヤーはロイエンタールにとって、あまりにも失いたくない存在であるがゆえに、そのいんちきを暴くリスクを犯せない。トリューニヒトとオーベルシュタインが、これほど最悪の共犯関係にあるかどうかは不明である。だが、その確率が極小であるとしても、それによって引き起こされるミッターマイヤー粛清という損失が無限大であるならば、損失の期待値もまた無限大となるのだ。
……彼は関係ない」
 この答えしか、ロイエンタールには許されていなかった。仕掛け人トリューニヒトは、新領土総督の察しの良すぎる知性に、黒い腹の底から拍手喝采を贈った。オスカー・フォン・ロイエンタールは案の定、沈黙の裏にかくされた賭けを読みとり、論理的打算に即してベットする賢明さの持ち主だった。まったくこの隻眼の男は、与えられた枠組みのなかでは、非常に充実した力量を発揮してくれる。トリューニヒトからすれば、つくづく御しやすい男であった。
 しかしながら、ロイエンタールはまだ、ミッターマイヤーの無事を諦めてはいない。そもそもミッターマイヤーがロイエンタールの叛逆に加勢しなければ、何も困った事態は発生しないのだ。義理堅く実直な性情からして、ミッターマイヤーは正しく、皇帝への忠誠をはたすことを選ぶだろう。
 ロイエンタールは皇帝ラインハルトとの戦いこそ望めど、親友ミッターマイヤーと殺し合いたくはない。皇帝みずからロイエンタール討伐軍を率いてくれれば、それで本懐がとげられる。勅命をうけたミッターマイヤーが出てきた場合は、たとえ騙してでも、彼の身柄を確保する。その後、軍務尚書の魔の手も届かぬところで、説得によりミッターマイヤーを味方につけるか、承諾しない場合は彼を拘束し、皇帝を戦場におびきだすか。やりようはある。
 自分は剣に生き、剣に斃れる生き方をえらんだ。それは、ミッターマイヤーとはもはや無縁の生だ。己を駆りたてる衝動に、彼を巻きこまぬことが、己にできるせめてもの配慮であろう。
 思案する隻眼総督に、彼の返答を真似るかたちで、トリューニヒトが言った。
「ミッターマイヤー元帥は関係ないのでしょうか」
 その復唱は不吉な予言のごとく、ロイエンタールの思考に影を落とす。トリューニヒトの意味するところが、はたして問いかけなのか確認なのか、ロイエンタールには判断しえなかった。そのいずれでもない第三の意味があるとすれば、反語表現だろうか。だとすれば、この破滅の道を歩む自分を、ミッターマイヤーは追いかけてきてしまうのだろうか。
 隻眼の男は歯ぎしりした。純然たる殺意をこめた視線が、悪徳高き能弁家の眉間をつらぬく。
 だが、そんなものではヨブ・トリューニヒトは斃れなかった。男は平然と、優雅に、不死のオーラをまとって、ロイエンタールの面前に立っていた。

 退出から一○分後、ベルゲングリューンはトリューニヒトと入れかわる形で、総督府の執務室に戻ってきた。
「総督閣下、いかがなさいましたか」
 豪胆なロイエンタールの顔色が、このときやや蒼白に見えたので、ベルゲングリューンは内心衝撃をうけていた。離席中に何事か、おそらく悪い出来事があったのは明らかだった。
 不機嫌をあらわにしたロイエンタールは、査閲監の質問にはこたえず、別のことを確認した。
「ベルゲングリューン、トリューニヒトの監視はつづけているだろうな」
「はっ……
「あの男を即座に拘禁できるよう、あらためて周知徹底しておいてくれ。ただし命令が出るまで、早まった行動は取らぬように。それから、イゼルローンに使者を送る。帝国軍のイゼルローン回廊通過を防がねばならん」
 以降、次々とつづく指示に、ベルゲングリューンは神経症めいた微細さを感じとった。ロイエンタールは軍事面にかぎらない広範な視野と、巧緻な実行力をあわせもつ知将であるが、今回の一連の指揮には、やや行きすぎの印象があった。彼が硬直した完璧主義に陥ることはないにしても、ひとりの人間の処理能力と活動時間には限界がある。超人的な才覚を有するロイエンタールであろうと、万事を一手に引きうけようとすれば、思考回路が焼ききれてしまうだろう。
 ベルゲングリューンの見立てでは、叛旗をひるがえした時点におけるロイエンタールは、闘争心よりも自暴自棄の色調が強かった。しかし今、目の前で指示をくだす男は、自暴自棄とはやや異なる何かに追いたてられているように見える。隻眼のオスカー・フォン・ロイエンタールは、血に彩られた戦いとその結末を望んでいるのではなかったのか。人生の結論を出そうと生きいそぐ男に、いったい何が変化をもたらしたというのか。
 トリューニヒトが新領土総督に何を話したのか、ベルゲングリューンには想像もつかなかった。気がかりではあるが、上官に問いただすのもはばかられる。さしあたり、彼はロイエンタールのもとで、己の職務をまっとうすることに専念するほかなかった。
「よろしいのですか、旧同盟領全域の支配権を譲渡するなど」
「かまわん、民主共和主義者の残党どもにくれてやる。おれが欲するのは、そんなものではないからな……
 ロイエンタールは窓の外に顔をむけた。天頂を通過した黄色い太陽がハイネセンポリスを照らし、街は懶惰な午後のなかにある。
 だが、耳のいい人々はこのときすでに、冬嵐の到来を遠くに聞いていただろう。新領土の惑星ウルヴァシーで生じた竜巻は、発生源の驕慢と比例するかのごとく急速に成長し、全銀河を覆いつくさんとしていた。