ヨジ🔞
2025-12-16 16:51:00
241168文字
Public logh
 

【ロイミタ】憂国

暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた 齋藤史

12月16日に寄せて。

もしも銀河の歴史がロイミタ中心に回っていたら……という、隻眼ロイエンタール×ミッターマイヤーの原作if。帝国歴480年の双璧の出会いから、ロイエンタール叛逆後の新帝国歴3年2月まで。
カプはロイミタ中心ですが、ロイエンタールが男女問わない漁色家設定なので、ロイエンタール攻めのカップリング(ロイヨブなど)が雑多に出てきます。また、ミタエヴァ、ロイエル等、原作カプはそのままです。
登場人物の死、元ネタ(三島由紀夫『憂国』)程度の性描写・グロ描写あり。何でも許せる方向け。

第一章(帝国歴480年~484年)双璧の出会いからミッターマイヤー結婚まで
第二章(帝国歴486年~490年)外伝1巻から本伝5巻まで
第三章(新帝国歴1年~2年6月)本伝6巻から本伝8巻まで
第四章(新帝国歴2年8月~10月)新領土編
第五章(新帝国歴2年10月~12月)帝位請求戦争編
第六章(新帝国歴3年1月~2月)憂国編

番外編「義眼球譚」(ロイヨブR-18):【ロイヨブ】緒【憂国 番外編🔞】 https://privatter.me/page/683a94f14b0e4

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第三章(新帝国歴1年~2年6月)


 人、国家、銀河の栄枯盛衰は宿命的といえど、ローエングラム朝銀河帝国の栄光にこれほどはやく不吉なかげがおちるとは、誰が予想しえただろう。
 ラインハルトが銀河帝国の至尊の冠をいただいてから、一ヶ月もたたないうちに起こった皇帝暗殺未遂事件は、人びとの胸を昏くさせた。元帥あるいは上級大将に昇進した提督たちは、必然的に、今年五月のバーミリオン星域会戦を想起した。かのヤン・ウェンリーがもちいた策もまた、彼らの紐帯たるラインハルト・フォン・ローエングラム一個人を狙ったものであった。ヤン・ウェンリーは「最高の専制君主政治」の最大の弱点を理解していたのだ。ラインハルトが暗殺の危機を切りぬけたのは、これで二度目となるが、次回も天使が守護してくれるとはかぎらない。以前であれば、彼の赤毛の友がそばについていたのであるが……。現在、全銀河の統一は、この齢二三の華麗なる若者ひとりにかかっている。
 ここに来て、皇帝が後嗣よつぎをもうけることの切迫感が、帝国中枢部で急激に高まった。まず結婚を、というのが、軍務尚書オーベルシュタインをはじめとする諸将の関心の的であったが、まったく別の事情をかかえながらこの事態を傍観している男がいた。
 帝国元帥の称号と統帥本部総長の役職を与えられたオスカー・フォン・ロイエンタールは、このとき三一歳。隻眼の漁色家としても有名な彼はいまだ独身であり、子どもの話題ともなれば、態度にも無関心の防壁をあらわにする男である。
 このごろ、皇妃および皇子にまつわる議論がささやかれるにつけ、彼の心中はおだやかではなかった。もともとこの手の話を厭うロイエンタールであるが、最近ではそれと関連する重石が、耐えがたく彼にのしかかっていた。
 ある日の夜、ミッターマイヤー宅でもてなされたあと、ロイエンタールは帰途についた。彼の脳内には、先ほど夫妻と交わした会話が、いやにこびりついていた。
「陛下の御子の件はともかく、卿自身はどうなのだ、ミッターマイヤー」
 親友の表情がひそかに凍りついたのを、ロイエンタールは先に覚悟ができていたがゆえの冷静さで観察していた。たとえ親友であろうと、礼を欠いた質問である。しかし、ミッターマイヤーが蒼白になった最大の理由は、繊細な家庭の事情をいきなり侵害されたからではない。
 ロイエンタールは「奥方のういういしさが名残惜しい気持ちもわからんではないが……」などと心にもない社交辞令を口から垂れながしつつ、夕食の皿を片づけている親友の妻の気配をうかがっていた。エヴァンゼリン・ミッターマイヤーは客人の不躾な詮索に手をとめると、一歩下がって、なりゆきを見守っている。
 衝撃を受けとめ、落ちつきを回復したミッターマイヤーは、一度目を閉じて、開けた。そして、ロイエンタールをまっすぐ見据えて言った。口調はよどみなく、瞳は澄んでおり、きわめて普段通りだった。
「子どもはほしいさ。ただ、なかなか恵まれなくてな。おれたちとしても、残念なことだ」
 それ以降はあたり障りのない会話をして、ロイエンタールは友人の家を辞した。あっけないほど、何もなかった。
 彼はミッターマイヤーの結婚式を思い出していた。六年前、あるやりとりの後、結婚式場でふたたび相対したミッターマイヤーの姿。あの頃よりも自分たちは狡猾になった。権力が一挙手一投足を監視してくるので、対抗して、本心を隠すのがうまくなった。それは互いにさえ当てはまることであり、ロイエンタールはごくたまに——彼の親友が彼に対して思うよりも頻度はすくなかったが——ミッターマイヤーの考えがわからなくなる。あのあたたかい手が右目をおおうときには、互いの存在をかぎりなく密に感じるというのに。
 もしあの夫婦に子どもが生まれたら、ミッターマイヤーは父親になる。信じがたいことではあるが、ありうることなのだ。現に今ロイエンタールは、自分では思い描くことすらできなかった幸福な結婚なるものを、目の当たりにしている。自分にはできないことが、あの男にはできる。だから、もしかすると、良き父親と良き母親、そのあいだに生まれた幸福な子どもという、この世の奇跡さえ見ることになるのかもしれない。はたしてそのとき、一つかぎりのこの目は、灼かれずに残るのだろうか……
 ひそかに狂気が進行するロイエンタールを家の門の前で出迎えたのは、クリーム色の髪の、知らない女だった。
「おれを待っていたのか?」
「そうよ」
 女は高飛車な調子で答えた。
 ロイエンタールはその女に、そこはかとない不調和を感じた。彼女がまとう華やかなドレスが、男を誘惑するための格好であることは、一目瞭然である。だが見たところ、かなり若い。大胆に露出した華奢な首から肩、デコルテにかけて、肌はみずみずしく、処女の青さをしていた。
 けれども彼は、ささやかな違和感を無視した。ちょうど愛人の枠が空いていて困っていたところに、美人のほうからやってくるとは運がいい。そう考えることにしたのである。
「名前は?」
「エルフリーデ」
「いい響きだ。気に入った」
 その髪の色も、と口説く代わりに、ロイエンタールはエルフリーデの髪の毛をすくい上げ、キスを落とした。
 美しい男女二人の破局は、ベッドに辿りつく前におとずれた。玄関の扉を通りぬけた刹那、ロイエンタールは軍人の身のこなしで、エルフリーデの右手首を掴みあげた。高々とかかげられた白く美しい手には、一振のナイフが握られていた。ホールの照明をあびた刃先が、するどく光る。
 殺されかけたにもかかわらず余裕な彼は、細い手首に握力をこめてひねった。エルフリーデが痛みに声をあげて得物を取り落とすと、ロイエンタールは冷酷な笑みを唇のはしにひらめかせた。
「おれを誘惑して、暗殺しようというわけか。それにしては、あきれるほど拙劣だな」
「離しなさい……!」
 突如、エルフリーデはヒステリックに腕を振りまわし、滅茶苦茶に暴れまわった。女を舐めてかかって、ろくな拘束をしていなかったために、ロイエンタールも手を焼いた。
 はげしい揉みあいの最中、ふたりのうちのどちらかが、そばの花瓶に体当たりしたらしい。重い陶器が、中に入っていた花もろとも落下し、足元で割れた。派手な音とともに、大量の水がぶちまけられる。太腿まではねた水に女がおどろいた隙をつき、ロイエンタールはすばやく制圧を完了した。
 床に落ちた花束は無惨なありさまだった。この黄色いバラは、先日、ロイエンタールの別れた元愛人から送られてきたものである。「気ままな恋」「薄れゆく愛」という花言葉は、手切れのメッセージだった。
 あたりの惨状を見わたしていたロイエンタールはふと、黄色いバラの花言葉には「嫉妬」もあることを思い出した。それはいまの彼にとって、すこぶる不快な語句だった。しかし、ロイエンタールを苛む二重螺旋状の憎悪こそ、彼の記憶中枢を刺激して、花言葉を喚起せしめたものの正体だった。隻眼の男は、怨恨と暴力の渦中へと、自ら突きすすまんとしている。
 刺客をつれてゆくロイエンタールの靴が、水に浮かぶ花弁を踏みにじった。

 ロイエンタールはエルフリーデを自室まで連行すると、乱暴な手つきでベッドの上に押し倒した。ひと息ついた男は一見して、この状況をどことなく楽しんでいるようである。女のほうは、男の射るような視線を跳ねかえそうと全身を硬直させ、表面上は毅然と男を睨みかえしていた。
「さて、いろいろと質問するとしようか。おれにどんな恨みがあって来た? あいにく、心当たりが多すぎてわからん。依頼主でもいるのか?」
「だれの差し金でもないわ。一族の敵討ちよ!」
 ロイエンタールは少々意外そうにまたたいた。彼はときおり、会ったこともない人間から行き過ぎた懸想をされ、迷惑をこうむることがあるので、今回もそうだと思っていたのだ。
 頬の輪郭にいとけなさの残る、この若い娘の気概に、ロイエンタールは感心した。その義憤を内心で嘲りながらではあったが。
「ほう……どこぞの大貴族の娘か。何者だ、いちおう、聞いてやる」
 その質問に、女はほそい顎を誇らしげに突きだして名乗った。薔薇の花弁のような可憐な唇は、毒々しい言葉でもって、ロイエンタールがかつて荷担した謀略を糾弾した。
「いくら下級貴族でも、フォン・コールラウシュの名に聞きおぼえはあるでしょう。お前たち『金髪の孺子』がありもしない陰謀をなすりつけて亡きものにした、クラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵の姪が、私の母よ! 思い出したかしら、ローエングラム王朝などというものは、お前たちの卑劣な裏切りによって築かれたのだということを」
 エルフリーデがまくしたてた直後、突如ロイエンタールの口から哄笑が炸裂した。彼女は耳をふさぐこともできずに、鼓膜が痛くなるほどの大笑いを至近で目のあたりにした。
 衝動がおさまると、ロイエンタールはエルフリーデをおののかせた笑いの理由を説明することもなく、つづけて詰問した。
「『金髪の孺子』とその周囲の人間を憎んでいるのはわかった。では、なぜおれをねらった?」
 エルフリーデは動揺した。彼女が見上げている男は、その昔社交界に聞こえ、彼女もあわい憧れをいだいた、神秘的な「金銀妖瞳ヘテロクロミアの青年」ではない。現在の彼は、黒革の眼帯を身につけた、隻眼の美丈夫だった。
 今いる場所が、この男のベッドの上であることを思い出したエルフリーデは、自分のとっている体勢ポーズにいたたまれなさをおぼえた。手首を頭上で束ねられた彼女は、青い一つ目から逃れるように、猫のように優美な体をひねった。
「お前がいちばん近づきやすかったからよ」
 ロイエンタールはもっともだという顔をしてうなずいた。
「なるほどな。それで? あんな小さなナイフでおれを脅して、真の仇を聞きだすつもりだったのか? リヒテンラーデ一族を処刑した、その主導者を。ふふ、これは傑作だな……
 先ほどの大笑が戻ってくる気配を感じたエルフリーデは身がまえた。しかし今度の笑いはさざなみのごとく押しよせて、ロイエンタールの体を冷たくひたすと、彼方へと引いていった。
 その余韻のまま、彼は真実を告げた。
「教えてやろう。お前の仇は、このおれだ。おれが、リヒテンラーデ公爵を拘禁して自殺をすすめ、一族の一○歳以上の男子を全員処刑したのだ」
 エルフリーデの肌が青ざめた。眼球がこぼれ落ちそうなほど見開いたまぶたと、それを縁取るカールしたまつげが、ふるえている。
 さまざまな感情がひしめいた結果、彼女の顔の下半分は大きく歪んだ。悲痛な叫びがロイエンタールの耳を繰りかえし突き刺した。
……お前が。お前が!」
「仇は教えてやったが、命はくれてやらんぞ。そこまでしてやる義理はない」
 甲高い声に、わずらわしさもあらわに眉間にしわを寄せたロイエンタールが、ふと疑問をつぶやいた。
「しかし、リヒテンラーデの一族の者が、どうやって流刑先からここまできた?」
 その疑問の答えは、じつは、ある巨大な陰謀の一端につながっていた。エルフリーデを流刑地からロイエンタールの館まで送りとどけた実行犯の背後には、銀河を支配しようと目論む地下協商の存在がある。彼らはさしあたって、ローエングラム王朝の深部に亀裂を入れるため、旧王朝の貴族エルフリーデをロイエンタールと出会わせた。
 ロイエンタールに寵姫として召されたのだと吹きこまれているエルフリーデは、隻眼の男の洩らした言葉に混乱し、つぎの瞬間には烈火のごとき怒りをたぎらせた。だが、お前の遣いの者が自分を選んで連れてきたのではなかったか、と口にすることは、彼女のプライドがゆるさない。
 二重に傷つけられた女は甲高い声で、軽佻浮薄で残忍な男を非難した。
「この、人でなし!」
 女の金切り声に、ロイエンタールは露骨なため息をついた。彼は自分が罵倒されている理由を、半分しか知らない。リヒテンラーデ一族の生き残りの娘が、彼の邸宅の門までやってくるまでには、銀河でもっとも奸智に長けた陰謀家たちが関与していた。彼らが自分に濡れ衣を着せているなどとは、さすがにロイエンタールも考えがおよばなかった。
 かくして、小さいけれども非常に重要な疑問は、女にたいする倦厭によって、ロイエンタールの脳内からあっという間に押し流されてしまった。
 仇討ちにきたと聞いたとき、彼がエルフリーデに抱いたわずかな感心は、急速に失われつつあった。代わりに湧いてきたのは侮蔑である。この浅はかな貴族の娘の心を、どうすれば引き裂いてやれるか。どうすれば泣いて許しを乞わせることができるか。その筋書きが、ロイエンタールの思考を占拠しはじめた。
「政争に敗れた側がどうなるか、貴族なら知らぬはずがあるまいに、いざ自分の番となるとこれか。お前たち大貴族どもはな、親から受け継いだ権力と地位で肥えふとり、堕落するばかりの能なしだったから負けたのだ。当然の末路ではないか。それに、お前は人でなしと言ったが、五○○年の長きにわたって民衆を重税で苦しめてきた貴族どものほうが、よほど人でなしだとは思わんのか」
「そんなくだらない話などしていないわ! どんな理屈で自分を正当化しようがね、お前はどうしようもない生まれついての裏切り者よ! 敵にも味方にも不幸をもたらす、最低の男に決まっているわ!」
「ふむ、それはあたっている」
 女の罵倒は、自分の主張をぶつけるだけの稚拙なものだったが、きわめて正確だとロイエンタールは感じた。不快さはほとんどなく、妙に愉快な気分になった。たしかに自分は不幸をもたらす人間にちがいない。たとえそれが、命にかえても守りたい、大切な相手であっても。
 ロイエンタールは不気味に凪いだ声で、淡々と語った。
「おれの母親は生まれてすぐ、色の異なるおれの右目をえぐり出し、やがて発狂して死んだ。毒を飲んだそうだ。お前の言うとおり、おれは自分と関わった人間をことごとく悲劇におとしいれてきた。さっき、殺しておくのだったな」
 おれを殺すにもあの腕ではお粗末すぎるがな、とロイエンタールは嘲笑した。
 そして彼は片手で眼帯をむしり取ると、えぐられた右眼窩をエルフリーデの眼前にさらけ出した。その虚無は、果物ナイフによって刻まれた否定そのものであり、彼の生まれでた場所であった。
「これが、お前のやろうとしていたことだ。おい、目をそらすなよ! お前の『やった』ことではないか」
 ロイエンタールは眼帯を投げすてた手で、グロテスクな傷痕にひるんだ女の顔をつかんだ。そのまま目を合わせたが、数秒後、この臆病者が、と吐きすてて、エルフリーデを解放した。
 「同じ貴族の女でも、おれの母親のほうがはるかに勇気があった」とわざとらしく嘆く男に、エルフリーデが反応した。男の気まぐれと腕力に恐怖を感じていたものの、貴族という身分が、彼女をふるいたたせたのだった。
「金銀妖瞳なんて、気味の悪い、できそこないじゃないの。やはりお前のような欠陥は、社会から取り除かれるべきだわ。お前の母親は正しいことをしたけど、仕事がすこし不十分だったみたいね。お前は周りの人間を不幸せにしてきた自覚があるなら、嘆いてないで一秒でも長く、自分がこの世に生を享けてしまったことを反省しなさいよ。両目とも青い瞳で生まれてきたらよかったのに」
「すこしは言うじゃないか」
 彼の台詞そのものにはなんら激しいところはなかったが、静的な怒りがすぐ背後にひかえていた。
 ロイエンタールの金銀妖瞳は、彼の両親をのぞいて、周囲の人間から褒めそやされることはあっても、そしられることはなかった。エルフリーデの誹謗もまた、愛憎半ばする彼女の、天邪鬼から出たものである。だがそれは結果として、ロイエンタールの内心にかくされた真実を的確に刺しつらぬいた。純粋な怨恨よりも、ときに恋愛の盲目のほうが、その悪罵をよりするどく成長させることがあるのだ。そのとげの刺さったロイエンタールの頭と目は、氷のごとく冷えきって、彼の心には悪魔がしのびこんだ。その悪魔は夜ごとロイエンタールをたずねてきては、彼をけだものへと変貌させ、深い穴へ引きずりこむのである。
 もはや一切を受けつけない声音で、ロイエンタールが言い放った。
「もういい。さあ、股をひらけ。今宵はそのつもりで、おれの家まで来たのだろう?」
 男は女の服を剥ぎとった。



「ロイエンタール、今晩、お前の家に行ってもいいか?」
 ひさしぶりに飲もうとミッターマイヤーから声がかかってきたのは、一週間もすぎたころである。二人のあいだに生じた微妙な反発を洗いながすのは、たいてい、一歳年下の男のほうだった。
 ロイエンタールはこのようなとき、自分に愛想をつかすことなく、先に折れてくれる友を、無上のものに思う。友人の長所、最初の一歩を踏みだす即断即決の勇気は、戦場でもそれ以外でも、数え切れないほど彼を救ってきた。
 友の誘いをすぐさま快諾したロイエンタールだったが、ひとつだけ予定の変更が必要だった。
「あいにく、うちは使えなくてな」
「なんだ、恋人でもいるのか」
「そうだ」
 友の肯定に、ミッターマイヤーはわずかに眉をひそめた。これまでも何度か同様のことはあったが、先日のやりとりとロイエンタールのようすからして、どうも胸騒ぎがする。
 気になったものの、親友の身で詮索はできかねたので、その件については追及しなかった。
「では、おれの家にしようか」
「せっかくの招待だが、別の場所をとろう。海鷲ゼー・アドラーの個室を予約しておくから、そこで待っていてくれ」
 こうして、すこし遅れると言っていたロイエンタールは、しかしながらほとんど待ち合わせの時刻どおりに姿をあらわした。
「受けとってほしい」
 差し出されたのは、黄色のバラと水仙の花束だった。
 これを準備していたのかと納得しながらも、詫びというにはいささか豪勢な花束に、ミッターマイヤーはやや首をかしげた。顔をうずめることができるほど大量の花で、強くたちのぼる生花の芳香に、むせそうになる。
 贈られた花束を抱えてミッターマイヤーが見上げると、ロイエンタールの表情に、ようやく安堵の笑みが浮かんだ。
 話題ははじめ、謹慎を解かれたマリーンドルフ父娘のことや、そもそも彼らが謹慎する原因となったキュンメル事件におよんだ。
「ワーレンは太陽系に到着したころだろうか」
「卿ならともかく、普通の軍隊であればもう一週間はかかるだろう。だが、あいつも此度の討伐には身が入っているからな、あと一ワープくらいまでは踏破したかもしれん」
 ロイエンタールが言うと、酒の入ったミッターマイヤーが陽気にほほえんだ。
「それにしても、これほど早くワーレンに名誉回復の機会がやってくるとは、不幸中の幸いだった」
 はめを外した友の発言に、ロイエンタールも笑顔になり、「まったく、陛下の采配は見事なものだ」と相槌を打つ。ふたりが距離をおいていたのはほんの二週間足らずだが、加速する歴史の潮流に棹さす彼らの周りには、全銀河で発生するあらゆる出来事が怒涛のごとく押し寄せ、話の種には事欠かなかった。せきとめられていた分、アルコールで滑らかになった口から飛びだす言葉は過激になってゆき、不謹慎かつ悪趣味な冗談・皮肉・毒舌があふれかえる。
 まるで若いころに戻ったかのように、彼らはしたたかに酔っていた。グラスを空にしてはならないというルールがいつのまにやら発生し、だらしない姿勢で代わる代わるワインをつぐ。
「陛下はこのキュンメル事件で、トリューニヒトという下種な商人から、恩を売りつけられてしまったようだ」
「密告などというけがらわしいものを、恩とは呼ぶまい」
「では自由惑星同盟はどうかな、ミッターマイヤー。陛下の生命を救ったのはフロイライン・マリーンドルフ、そして彼女の要請をうけたお前とおれだと、誰もが考えている。それは間違いではないが、直接的にヤン・ウェンリーを止めたのは、自由惑星同盟最高評議会議長の無条件停戦命令だ」
 バーミリオン星域会戦の結果について、ラインハルトはヤン・ウェンリーに勝利をゆずられたと感じている一方、ヤンはラインハルトの戦略構想の前に自分の陣営が敗北したのだと受け入れていた。帝国軍の提督たちは、間一髪のところで彼らの主君を救ったヒルダの英断を称えており、またハイネセンに降伏勧告をおこなった「帝国軍の双璧」の功績を認めている。このように、ローエングラム陣営の勝利は、帝国軍の偉大な人物たちのはたらきとみなされているが、同じ事象を自由惑星同盟の敗北という観点から見たとき、その原因は前議長ヨブ・トリューニヒトに帰せられた。
 こうした人びとの認識の錯綜を鳥瞰して、ロイエンタールは意見を述べたのだが、ミッターマイヤーは友人の見解に不穏なものを感じた。
「ヤン・ウェンリーは民主主義に則って行動したのであって、トリューニヒト個人に忠誠を誓っているわけではない。だからトリューニヒトは自分の貴重な商品を売って、軽蔑や警戒心ばかりを買うはめになっているのではないか。自らの立場を卑しめて何が面白いのやら、理解に苦しむが……
「ヨブ・トリューニヒトという男は、他人からの尊敬や愛情など必要とせんのさ。やつはわが身の安寧のために宿主の養分を吸いつくす寄生木やどりぎだ。それにしても、宿主が死んでは元も子もないがな」
 トリューニヒトの得体のしれなさに、ふたりは沈黙した。行動原理や目的がいっこうに掴めず、嫌悪以上の不気味さをおぼえたのである。
「ところで、あのメルカッツが生きているという噂があるらしい」
「まあ、ありえん話ではないな」
 たわいない噂で不吉な気分を打ち消そうという友人の意図を察し、同調したロイエンタールだったが、その噂がバイエルラインからもたらされたものと聞くなり、態度は急変した。
「あの青二才が、おれの留守をついたな。どうせくだらん流言蜚語を持ちこむついでに、お前の家で、奥方手製の料理なんぞをふるまわれたのだろう」
 確信めいたロイエンタールの指摘がみごと的中していたので、ミッターマイヤーは言いよどんだ。すると隻眼の男の機嫌はますます降下し、しまいには完全に口をつぐんでしまった。明朗闊達な親友のありのままの振るまいを重んじ、また人一倍プライドの高いロイエンタールが、ここまで露骨に拗ねるとは。
 独占欲めいたものを向けられ、思わず頬をゆるませたミッターマイヤーは、何と声をかけようか、心躍る思案にくれた。同時に隣の友人の様子をうかがうと、ロイエンタールはテーブルに置かれた花束に目をやった。
「黄色のバラの花言葉を知っているか、ミッターマイヤー」
「ん? いや、知らないな」
「気ままな恋、薄れゆく愛、それから、嫉妬だ」
 間接的だが直截的でもある言葉に、ミッターマイヤーが目をみはる。単なる花言葉の話題でないことは、いくら恋愛経験にとぼしい彼にもわかる。ロイエンタールはそのまま続けた。
「今月のはじめに別れたやつが、この花を贈ってきた」
……まさかとは思うが、それをそのままおれに横流ししたのではあるまいな」
「いや、違う。あれは床に落としたので処分した。第一、切り花はそう長くはもたない。仮にも花屋の息子とは思えぬ不見識だな、ミッターマイヤーよ」
……それで、花がいったいどうした」
 そのからかい方はもう飽きた、と声ではなく沈黙で表明し、ミッターマイヤーが尋ねると、ロイエンタールはワインを含んだ。
「おれたちが最後に会ったあと、バラを見て、お前のことを思い出した。だから今日、プレゼントに選んだ」
 最後に会ったときのことは、今宵の酒とともに流して忘れたのではなかったか。暗黙裡にそう了解していたミッターマイヤーの体表を、緊張が駆けめぐる。
 それは不毛な質問だった。ミッターマイヤーが妻を愛していて、子どもを望んでいることは、動かしようのない事実である。それをロイエンタールにことさら伝えたことはなかったが、では、どうすればよかったというのか。嘘をつくという選択肢は、公明正大な彼のなかに存在しない。その場しのぎのいつわりが、友人のためになるとも思わないし、ロイエンタールも同じように考えるだろう。ウォルフガング・ミッターマイヤーはとうに結婚しているのだ。変えられないものを憾んでも、どうしようもない。
 それともロイエンタールは、曖昧なほうの関係を、変えようとしているのだろうか。黄色のバラの花言葉は「気ままな恋」「薄れゆく愛」「嫉妬」だというが、彼ははたして「どの」意味で、この花束を持ってきたというのか。
 ミッターマイヤーは花束に視線を固定したまま、友人を見ることができなくなってしまった。一方のロイエンタールは、花束から友人の横顔に目をうつした。
「バラと一緒に、黄水仙も取り合わせてあるだろう。黄水仙の花言葉も教えてやろうか」
 友人のグレーの瞳がおそるおそる自分のほうを見上げたのを確認して、ロイエンタールが告げた。
「もう一度愛してほしい、私のもとに帰って、だ」
 それを聞いたミッターマイヤーが何か言葉を発する前に、隻眼の男は一切をぶちまけてしまった。
「お前の家から帰ったあの日、女に殺されかけてな。故リヒテンラーデ公爵の姪の子が、仇討ちにきたのだ。公を捕縛し、一族を処刑した指揮官が誰かまでは知らなかったようだが、運のいいことに、あの女はあたりを引きあてた。だからおれは自分が仇だと教えてやった上で、力ずくでものにした。彼女が今、おれの家にいる」
 ここまで一息にまくしたてたロイエンタールは、肩の力を抜いた。
「こんなおれにも、お前のように、伴侶や家庭を持つことができると思うか」
……その女はよくない。やめておけ」
 ミッターマイヤーはこわばった表情筋と舌を動かして、どうにか忠告を口にした。それはかつて、ミッターマイヤーが結婚を決めたとき、片想いしていた男からもらうことのできなかった、制止の言葉である。
 だが質問者はミッターマイヤーの回答に対し、まだ物足りなさをおぼえた。
「おれに女がいるのは嫌か」
「むやみに自分自身を貶めるような真似をするな。それに、旧敵の娘をかくまってるなどと知れたら、面倒なことになるぞ」
 ミッターマイヤーの言うとおり、ロイエンタールは教える必要のないことをエルフリーデに教え、いたずらに傷つけた。また、彼女と関係を持ったことで、ロイエンタールは自分自身をも危険にさらしている。たしかにそうなのだが、それは今にはじまったことではない。自分はこの蜂蜜色の髪の友人と出会うより昔から、無益な性と他人の怨嗟の渦中に身をおいてきた。そういう人間なのだ。
「お前は正論しか言わないのだな。ほかに何かないのか」
 ロイエンタールはミッターマイヤーのほうへ身を乗りだした。友人が後ずさると、それ以上に距離を詰め、ソファの一方の端へと追いこんでいく。
「おれには、お前の選択をしばる権利など、ない」
 ミッターマイヤーが、声を絞りだした。
 自分にも伴侶や家庭を持つことができるか、というロイエンタールの質問にたいする彼の答えは、「できるJa」だった。万事につけてきわめて優秀なこの隻眼の男に、何かを不可能だと断定できるほどの人物ではない、というのが、ミッターマイヤーの自己評価である。それに、もしロイエンタールの幸福を築く能力を否定すれば、自分が感じているこの想いはどうなる。この男とのいままでの交流を、ありえたかもしれなかった自分たちふたりの未来ごと否定するなど、ミッターマイヤーにできようはずもない。
 だが、ロイエンタールが自分以外の人間の手を取ることをほのめかしたとき、ミッターマイヤーは苦しんだ。それがこの男のねらいなのだとわかっていても、見えている罠にはまってしまう。この場合、怒りや悔しさ以上に、自分自身への嫌悪がまさった。なぜならその懊悩は、彼が既婚者として、ロイエンタールに与えてきたものであり、自縄自縛というほかないからである。しかもミッターマイヤーはロイエンタールと異なり、友人の人生のもう一側面に干渉する権利と責任を、みずから放棄したのだ。
 ミッターマイヤーは道義と感情と行動の三つを一体となすことを、かなりの程度で自然になしとげる男だったが、今の彼は論理と感情とが完全に二分されていた。理性にしたがえば感情に嘘をつくことになり、感情にしたがえば理性を裏切ることになる。
 二律背反におちいったミッターマイヤーに、ロイエンタールが詰め寄った。美しい唇が、友人の白い貝殻のような耳に、甘い言葉を吹きこんだ。隻眼の男は、この友人に、自分の持つ何をささげても、いっさい惜しくなどなかった。
「いいや、権利ならある。そんなもの、いくらでもおれがくれてやるとも」
 ソファの端に追いやられ、ミッターマイヤーが体勢を崩した。その二の腕を、ロイエンタールがつかむ。ミッターマイヤーの眼前に、隻眼の男の美貌が迫ってくる。掌に汗がにじむ。
 ミッターマイヤーが頭をふると、おさまりの悪い蜂蜜色の髪がみだれた。
「ないんだ、ロイエンタール。お前が差し出してくれたとて、それを受けとる資格など、おれにはない」
「いいから言ってみろよ。それとも、あの女を大切にしろだの、結婚しろだの、おれに説教するつもりか?」
 そう言って顔を近づけようとしたロイエンタールを、何かがさまたげた。「それ」が唇にぶつかった刹那、ひときわ強い芳香が、彼の鼻腔をくすぐる。
 黄色のバラと、黄色の水仙だった。ミッターマイヤーが、テーブルに置かれた花束から一輪ずつ抜きとって、差しだしてきたのだ。頬を紅潮させ、目をそむけたまま、ほとんど押しつけるように。
……
 隻眼の男はあっけにとられつつも、うやうやしい手つきで二輪の花を受けとった。彼はどういうわけか、この上なく満足してしまった。先ほどまで彼のなかで暴れていた、親友から言質を引きだしてやりたい気分も、小さくしぼんでいる。
……おれは近ごろ、自分はたいそう心の広い人物なのではないかと疑っている」
 これはもらっていくぞ、と言いのこして、ロイエンタールは立ち去った。
 ひとまず胸をなでおろしたミッターマイヤーだが、友人が帰る家と、そこで待つ女を思い、彼の心には嫉妬がわだかまった。

 夜おそく帰宅した館の主人が二輪の花を生けるのを、エルフリーデはけげんそうに眺めていた。
「それ、何」
 隻眼の男は答えなかった。
 その花を見つめる青い隻眼も、それをあつかう手つきも、女体を愛でるような官能的なもので、目撃した者の赤面を禁じえぬような有り様だった。そもそも、たった二輪、黄色のバラと黄水仙という組みあわせが、意味深である。恋をする者の妬みぶかい嗅覚が、秘められた恋を嗅ぎとるのに、花二輪は十分すぎた。
 ロイエンタールがこうまで無防備だったのは、逆説的だが、エルフリーデが彼を殺しにきたことが理由である。小さなナイフと処女のかよわい肢体、青ざめた血の色、すべてが彼にとって侮蔑の対象であり、脅威ではなかった。また、暗殺が未遂に終わったあと、彼がはたらいた狼藉もある。それゆえ、この女と自分は、互いに無関心にちかい敵対感情を向けていると、ロイエンタールは思いこんでいた。自分が彼女の目にどう映っているかなど、彼は考えたくもなかった。
 その夜、ロイエンタールは酔っていた。口をゆるめるため、何杯も飲み干したアルコールに。また、友が差しだしてきた花の香に。浮かれた男は、これらの花が引き抜かれたあとの花束のゆくえを思った。ミッターマイヤーはあのおおぶりの花束を抱えて、海鷲ゼー・アドラーを出ていったのだろう。さぞ悪目立ちしたに違いない。今ごろ、自分が友を想うように、花束を見て友も自分を想ってくれているだろうか。
「ねえ、その花、どうしたのよ」
 女の声に、ロイエンタールははなはだ気分を害され、振りむいた。そうだ、家に帰れば、女がいる。クリーム色の髪の女が。
 ロイエンタールは今回もエルフリーデの質問を無視し、逆に訊ねかえした。
「なぜこんな時間まで起きている」
「帰ってきたお前に起こされたくなかったから」
 どこまでも神経を逆撫でする女だなと、ロイエンタールは腕組みをして、エルフリーデを見下ろした。彼は襲撃された日から毎晩、彼女をベッドに組み伏せて犯した。それが、子どもが欲しいと言ったミッターマイヤーとその妻への当てこすりだと、ロイエンタールには自覚があった。
 自分たちが隔てられているなど、ロイエンタールは信じたくなかった。ミッターマイヤーにできることが、自分にできないとでもいうのか。いや、彼に「できない」ことを、自分はやってやろうではないか……
 ここ一週間の余裕のなさと邪悪さを、エルフリーデによって晒されたかのようで、隻眼の男は不快に感じた。彼は、自分の受けた衝撃を何倍にも増幅させてミッターマイヤーに突きつけ、思い知らせたかったのだ。気も狂わんばかりの己の独占欲と、友が己に抱いているはずの想いを。
 今夜もどうせ自分の体を求めるのだろうと決めてかかっているエルフリーデに、ロイエンタールは不意ににたずねた。
「自力で獲得したわけでもない、親から受け継いだ身分を振りかざすだけの分際で、どうしてそう偉そうな顔をしていられるのだ」
 ロイエンタール自身気がついていないことだが、このとき彼は、エルフリーデがうらやましかったのである。親から与えられたものを無批判に享受できる、その性質たちの悪い能天気さがいったいどこから来るのか、彼は知りたかった。
 右目を呪われ、「生まれてくるべきではなかった」と両親から拒絶されたロイエンタールにとって、生はみずから証明せねば与えられぬものだった。彼は母親から右目をえぐり出され、父親から青い義眼を強制され、生まれてきたありのままの自分を否定することを教えられてきた。二重否定されたロイエンタールの生は強く鍛錬されたが、その代償として、何か取り返しのつかないものを削ぎおとしてしまったように思われるときがある。たとえば今のように、他者を——もっとも大切なただ一人の友でさえ——痛めつけ、傷つけようとするとき、畢竟、誕生の瞬間に与えられた命題は正しかったのではないかと、ロイエンタールは思うのだった。
 親から無条件に与えられたという一点で、ロイエンタールの右目とエルフリーデの身分に伴う特権は同様のものである。けれども両者には、呪いと誇りという、決定的な違いが存在する。その差の正体について、エルフリーデは手がかりのようなものを、このとき隻眼の男にもたらした。もっとも、彼女はロイエンタールの疑問など知らなかったし、一方的に質問を投げつけてくる男に苛だっていたのだが、かえってその純朴さが、ことなる固定観念に照射された別世界を呈することとなった。
「このあいだも、似たようなことを言っていたわね。意味がわからないわ」
「意味がわからないとはどういうことだ」
「そのままよ。何かをして誰にでも手に入るものなんかに、価値などないわ。血統というのは生まれたときに決まっていて、あとからどんなに望んでも手に入らないものだから、選ばれし者の証なのでしょう?」
 エルフリーデはすこしの嫌味もなく、それゆえどこまでも残酷に、美しく整ったちいさな顔をかしげた。
「だから高貴な者は、結婚も世襲も慎重にしなければならないのよ。そうしなければ天罰がくだるということを、私はお前たちに教えられたわ」
 すなわち、ローエングラム王朝樹立という秩序紊乱の原因は、貴族の腐敗にではなく、帝国騎士出身の卑しい女がグリューネワルト伯爵夫人の称号を賜り、皇帝の寵姫となったことにあると、エルフリーデは指摘したのだった。天罰などロイエンタールには噴飯物でしかないが、そのくせこの女の見解は、奇妙に真実を言い当てている。ラインハルトが二三の若さで全銀河を統べる至尊の地位にまでのぼりつめた、その空前の立身出世物語のはじまりは、ラインハルトの姉アンネローゼが後宮に納められた事件であった。
 しかし結婚と世襲にかんして、アンネローゼはむしろ旧王朝の秩序をほとんど乱さなかったと言えよう。劣悪遺伝子排除法や同性愛の禁止と同じく、ほとんど効力をうしなって久しいが、ゴールデンバウム王朝では貴賤結婚が禁じられていた。旧王朝の貴族にとっての結婚は、限られた共同体のなかでその特権を維持・強化するための制度であったからだ。グリューネワルト伯爵夫人はエルフリーデのような考えの人間から、自分自身と弟たちの安全を守るため、宮廷の慣習法にしたがってあくまで寵姫のひとりという立場をつらぬき、公式な場にはほとんど姿を見せなかったほどである。フリードリヒ四世が出産による母体の危険を案じ、さらには帝位継承争いに熱心な貴族たちの妨害もあり、アンネローゼはついぞ皇帝の子を産まず、最後までほぼ完璧な部外者としてたちふるまったのだ。
 もしアンネローゼが公式に皇后となり、フリードリヒ四世とのあいだに子をもうけていたら、という邪悪な想像が、このときロイエンタールの脳裏によぎった。大切な姉と、姉をうばった皇帝とのあいだの子を、あの金髪の主君ならどうしただろうか。
 ああ、この社会のどこであろうと、結婚や後嗣よつぎから逃れることはできないのだ。結婚! 絶対的正義の顔をして物事を善悪に二分する、融通のきかない冷酷な地上の裁判官! ロイエンタールにとってこれほど憎いものが、ほかにあるだろうか。
 結婚など欺瞞だ。黄金の鳥かごを装って二人の人間をその中に閉じこめるのは、夫婦の誓いなど所詮その場かぎりの気まぐれにすぎないと知っているからではないのか。そんなくだらぬ物に、自分はミッターマイヤーから隔てられている! 結婚なる檻も、子供なる桎梏も必要のない自分たちの方が、よほど……。だが、つまらない社会の檻に阻まれてはじめて、叶わぬ恋に身を焦がしはじめた自分は、どんなに望んでも手に入らぬがゆえに、友に価値を感じているのだろうか……
 選ばれし者の証とやらには微塵も賛同できなかったが、手にとどかないものであるからこそ魅力をおぼえるという論には、心当たりがあった。それはロイエンタールにとって、にがい認識であった。
「血のどんな違いが、選ばれた者と選ばれなかった者とをわける理由になるのだ。まさか、色が違うなどと言うのではあるまいな。何かを得るには対価がいるものだ。寝て富を得る貴族は、その富を生みだした平民にどんな対価を支払った? 血で物があがなえるか」
「話の通じない男。だから、その対価よ。どうしてそんなものにこだわりつづけるのかしら? なぜ貴族が、卑しい平民なんかのために、何かしてやらなければならないのよ」
 ロイエンタールは会話に疲れはじめていた。話が通じないと言いたいのはこちらだ、と反論しようとしたが、どうせ言っても通じないだろうと気づき、やめた。こんな会話は、それぞれ異なる自分の国の言語で相手をなじるだけの、不毛な争いにすぎない。
 それでも彼は、平民の友をもつ者として、ひとこと言い返さずにはいられなかった。
「同じ人間だぞ」
 エルフリーデは心底不思議そうな顔をした。
「何を言っているの、全然違うわよ。生まれたときから違うじゃない。私は平民ではないし、平民も貴族ではないわ。お前は、なぜ自分は空を舞う鳥ではないのだろうと、本気で考えたことがあるの? それと同じじゃない。理由などなく、ただ、違うのよ」
 彼女の眉と唇には不機嫌があらわれていたが、長いまつげをまたたかせ、クリーム色の髪を白い指先でもてあそぶ仕草はあどけなかった。話せば話すほど、ロイエンタールはエルフリーデに辟易していったが、その姿はかえって天使のごとく変化した。女の内面から光りかがやく無垢は、彼の敵であった。
「ゴールデンバウム王朝では、そうだったらしいな」
 ロイエンタールは毒をこめた皮肉で応じた。これ以上この女といるのは耐えがたいと感じた彼は、続けざまにエルフリーデに言葉を投げつけた。
「寝ているところを起こされたくないと言っていたな。もうその心配はないから安心しろ。お前など、滅亡という現実に背をむけて、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが作りあげた夢幻を見つづけていればいい。何処へなりとも失せてしまえ」
 翌朝、屋敷からエルフリーデの姿は消えていた。そして、昨夜手ずから花瓶に挿した花がわざわざ踏みつぶされているのを見て、彼女は自分のことを好いていたのかもしれないと、ロイエンタールはようやく思い至ったのだった。



 嵐のごときエルフリーデ・フォン・コールラウシュの襲来は、ロイエンタールとミッターマイヤーの関係に不協和をもたらすにとどまらず、ローエングラム朝銀河帝国に暗雲をひきこむ契機でもあった。彼女がロイエンタールのもとから退散してほどなく、帝国には二つの報告がもたらされた。
 一つは、地球教本部が潰滅したという、ワーレン上級大将からのものだった。地球教は、トリューニヒトの密告により匿名のマスクを剥ぎとられ、キュンメル事件の黒幕であることが明らかとなった。勅命をうけたワーレンは、皇帝暗殺と国家転覆をもくろむこの反乱分子を摘発し、制裁をくわえるため、艦隊をひきいて地球におもむいていたのである。
 帝国軍は教祖および幹部を生け捕りにするつもりだったが、彼らは熾烈な抵抗の末に自爆した。かくして、ヒマラヤ山脈を構成する高山の一峯カンチェンジュンガは、陰謀と狂信者の混合物を、その腹におさめてしまったのである。この遠征で、ワーレンは部下にまぎれこんでいた刺客に襲われ、左腕を切断するほどの重創を負った。ともあれ、地球教の本拠地は数兆トンの土砂に埋もれ、皇帝暗殺未遂事件はこれにて落着とみなされた。
 二つ目の報告はきわめて深刻であった。ヤン・ウェンリーの一党が帝国高等弁務官ヘルムート・レンネンカンプを拉致し、惑星ハイネセンから逃亡したというのである。ただし、レンネンカンプ麾下のラッツェル大佐の証言によると、高等弁務官はやや強引にヤンの逮捕へと踏みきったそうだ。それが真実であるとすれば、ヤン・ウェンリーの行動には緊急避難がみとめられそうであった。
 提督たちの会議は、自分たちの仲間であるレンネンカンプよりも、彼らの大敵ヤン・ウェンリーの情状を斟酌するほうへかたむいている。ラインハルトを中心とする帝国の首脳部には、敵味方問わず器量のより大きい者に敬意をはらい信用するという、個人崇拝の悪癖があり、それがレンネンカンプへの配慮不足や無理解の一因となっていた。そしてレンネンカンプにとって不幸なことに、彼の唯一の理解者は、王朝の礎を堅牢にするため、ヤンにたいする彼の敵愾心を利用したのだった。
「あのオーベルシュタインに、同情心などというものがあるとは驚いた。自分と同類の謀略家の事情は、ああまで親切に汲んでやれるのだな」
 「レンネンカンプ提督に対して、いささか酷な発言のようだ」という軍務尚書の台詞を振りかえって、ミッターマイヤーが渋面をつくった。むろんこの談話室には、ミッターマイヤーとロイエンタールの二人きりである。彼らのあいだではいまだに、ぎこちない遠慮と探りあいのゲームが続いていたが、嫌われ者の軍務尚書について語るときは、ふたりとも懸隔など存在しないかのように振るまえるのだった。
 ミッターマイヤーだけが発することのできる「あのオーベルシュタイン」の響きに、ロイエンタールは唇の片端をもちあげた。だが、友人の悪口を聞きおえた彼はふと沈思した。
「同類どころか、同一の可能性も考えられるのではないか。レンネンカンプがオーベルシュタインに唯々諾々としたがうとは思えないが、やつの手足と軍務尚書の指とが、謀略の糸でつながっていた……くらいのことは、十分にありえそうだ」
 ミッターマイヤーはあえて、仮説の吟味をうながすようにかえした。
「おれも軍務尚書の使嗾は疑ったさ。だが、さすがに言いがかりではないか?」
「まあ、天秤皿に偏見が載っていないとは言えんな。だがおれは、レンネンカンプに弁務官は務まらんと予見していたぞ。結局この人事は、ヤン・ウェンリーの逮捕という、皇帝の御心にそわぬ結果をもたらしかけた。不当な密告による逮捕というやり方が軍務尚書の手口に類することは、万人が同意するところだろう」
 己の直感と合致する友人の説明に、生真面目な面持ちで耳をかたむけたミッターマイヤーは、背もたれに体重をあずけると、蜂蜜色の前髪をかきあげた。
「それにしても、ラングへの卿の説教は痛快だった。だが、わざわざ敵をつくることはないんじゃないか」
 ふたりの頭のなかに、「屈辱」の概念をかたどったハイドリッヒ・ラングの姿がありありと浮かんだ。かの内国安全保障局局長は、上級大将以上の幹部が招集される会議に、何の許可もなく列席したあげく、皇帝の威光をもってミッターマイヤーの意見を封じ、建設的な議論の基盤を掘りくずそうとしたのだ。ローエングラム王朝の重臣たちが自然と身につけている、独立不羈の高潔な精神を、ラングは持ちあわせていなかった。ゴールデンバウム王朝の旧弊になじんできた人間であった彼が、あらたな不文律に戸惑うのも、無理からぬことではあったが。
 旧王朝の佞者たちは考えもしなかったことだが、そもそも検閲を危惧して反対意見を出せぬ会議は、健全ではないのだ。全会一致のみを是とする空気は、権力者集団の決断力・判断力を錆びつかせ、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの復活をまねく。それを理解していればこそ、ラインハルトは部下たちに自由な発言を許可し、しばしばオーベルシュタインやロイエンタールには、反対意見や常識論をもとめてきた。
 このようなローエングラム王朝体制で、ラングの陰険な口封じと追従が忌み嫌われたのは、当然であった。ロイエンタールがラングに言葉の鉄釘を打ちこむと、さらにほかの提督たちが、冷ややかな視線と嘲笑とで追撃した。最高会議の自浄作用は強力であった。
「おれは誰かが言うべきことを言っただけであって、強いて敵をつくろうとしたわけではない。非難されて当然の腰巾着が、一人前におれと対峙できるなら、してみればいいのだ」
 と、ロイエンタールはうそぶくが、彼はただ、親友を侮辱されてかっとなったのだ。ミッターマイヤーがゆく正道に汚物が落ちているならば、何としてでも排除せねばならぬ。それだけのことである。
「巾着の皮はともかく、その中身と持ち主には用心することだ」
 内国安全保障局長と軍務尚書の接近に思いを馳せ、ミッターマイヤーが忠告した。さらに彼はそれとなく、ロイエンタールが関係をもったというリヒテンラーデ一族の女にも言及したのだが、問題の当人は気づかぬふりをした。
 ロイエンタールはまだ、エルフリーデが自邸を出ていったことを、ミッターマイヤーに知らせていない。もうあの女はいないから安心しろと、一言つたえてやってもいいのだが、まだもう少し、友人の関心を引いていたかった。
 これは、恋情の圧力が臨界点に達したときどうなるか、という一種の実験である。もはや好意だけでは、ロイエンタールとミッターマイヤーの双方向の片想いは、動かしようがない。だからロイエンタールは、ミッターマイヤーを不安で押さえつけて、感情を動揺・増幅させようと試みているのだ。
 もちろんロイエンタールは、八方塞がりな関係の突破を期待している。しかし、それだけでは説明のつかない衝動——あたかも風船を破裂させるように、愛する男の中身をあばきたい、その内容物を啜りたいという、仄暗い欲動——が、彼にこのような悪さをさせる。ミッターマイヤーがつまらなそうに唇を閉ざすとき、あるいは不機嫌そうに精悍な眉をしかめるとき、ロイエンタールは不毛な愉悦をおぼえる。
 このごろロイエンタールは、友人を抱きつぶして泣かせたいとばかり考えてしまうのだ。欲をまぎらわせる手段がある夜よりも、むしろ昼間が深刻である。高くのぼった日の下で職務に精励し、部下からの敬慕をあつめるミッターマイヤーのすがたを見かけると、強烈な性欲がきざす。黒と銀の華麗な軍服と、体操選手のごとく密な筋肉とのせまい隙間に、手をさしこみたくなる。数々の勲功を有する宇宙艦隊司令長官としての偉大な偶像と、友人の肉体との間隙に、楔をうちこみたいのだ。陰にこもった妄想のはてに、ロイエンタールは己の肉欲を意志の力でねじ伏せることに、自虐的な快楽さえ感じつつある。超光速航行の実現により、人類が宇宙に進出して一○○○年超が経った現在、人間の思考を読む技術はいまだ発明されていない。したがって、情慾にまみれてミッターマイヤーを見つめるとき、ロイエンタールはきわめて安全に、恋の背徳感を謳歌したのである。
 親友の気遣いをよぶんに受けとったまま、ロイエンタールは仕事を口実にいとまをつげた。レンネンカンプの不祥事で忙しくなったのは事実であったから、嘘をついたわけではないが、エルフリーデについて探られるのを避けるのが最大の目的であった。このような態度も嫉妬の炎の燃料になるだろうか、などと想像するのは稚気のいたりである。そう、思わないでもないが……
 膨張しつづける不安をかかえこむミッターマイヤーと同じく、ロイエンタールもにごった恋情うずまく蛹であり、羽化を待つ身であった。



 結局、ロイエンタールは己の毒にむしばまれた。そしてここに、奇形の蝶のごときグロテスクな事態が誕生した。
 レンネンカンプ拉致の報からおよそ一週間後の八月八日、大本営をオーディンからフェザーンにうつすことがさだめられ、銀河帝国の文武高官はおのおの転居の用意に追われた。公表されてはいないが、この移動は遷都を見据えた恒久的なものであり、家族のある者はとりわけあわただしくなった。
 皇帝の露払いをつとめるミッターマイヤーは、だれよりも早く八月三○日に帝都を進発する。その直前に、ロイエンタールとミッターマイヤーはプライベートで話す機会を得、酒を酌みかわした。
 まださほどアルコールが入っていない段階で、ミッターマイヤーが単刀直入に切りだした。
「例の女は卿についてフェザーンにまでいくのか」
「卿が言うのがリヒテンラーデ一族の娘のことなら、あれとはだいぶ前に別れた」
 ミッターマイヤーの質問に、ロイエンタールは淡白な答えをかえした。
……だいぶ前とは、具体的にはどのくらいだ?」
「一ヶ月前だな」
 それを聞いたミッターマイヤーは、導火線に着火された爆弾にもひとしかった。彼はその一ヶ月を、親友と同棲しているという女の存在に神経をとがらせながら過ごしていたのである。気軽に家を訪ねることもできなくなり、またロイエンタールがしばらく右目の疼きをうったえなかったので、接触はほとんど職場にかぎられていた。そのせいでミッターマイヤーは、もはや自分は用済みとなったのではないかという、軟弱な悋気にさいなまれていたのだ。本来剛毅な性格の彼にとって、それは屈辱以外の何物でもなかった。
 おろかな絶望だという分別はつくのだが、そもそもが道ならぬ恋である。ミッターマイヤーの平生の勇気と速さを支えているのは、公正さという強靭な芯であったが、それはこの隻眼の男との関係にはまったく通用しなかった。なぜ女と別れたことを隠していたのか、自分と距離をとっていたのか、追及は際限がない。ロイエンタールが自分を優先し、安心させないのが、ミッターマイヤーは無性に腹立たしい。その怒りを自覚すると、これは普段甘やかされているがゆえの我侭わがままではないかと、今度は自己嫌悪に駆られる。
「気にしていたのか、ミッターマイヤー」
 ロイエンタールがわざと自分を苦悩させていることを察していながらも、ミッターマイヤーはこれみよがしな虎挟みに噛まれて、血をながしてしまう。ミッターマイヤーが野の獣のごとく真に自由であれば、猟師の罠になどかかりはしないだろう。しかしながら、人間である彼には、過去の選択が茨のごとくまとわりついている。だから彼は、ロイエンタールの思惑どおりになるのが悔しくてたまらないにもかかわらず、搦めとられてしまうのだ。陶酔のたゆたう隻眼をほそめ、蠱惑的に唇をゆがめるロイエンタールが、ミッターマイヤーは憎らしくてしかたがない。
 だが、笑っているのはロイエンタールではなく、彼の影だった。影は口をひらいた。
「それなら、卿には話そう。実はつい先日、別れたはずのあの女が、またおれの家に来た。なぜだと思う?」
……謎かけは好きじゃない」
「おれの子を妊娠したそうだ」
 一瞬、世界は無音になった。生命体のひと呼吸さえも駆逐され、宇宙が白く静止した。
 一瞬後、世界は色づき、元通り動きだした。ミッターマイヤーはふと気がついた。音が消えたのも、動くのをやめたのも、すべて自分の心臓であった、と。
 ロイエンタールは機械的に微笑んだまま、つづけた。
「堕胎しろと言ったら、逃げられた。この話は、これで全部だ」
 「言った」という表現は、ひかえめすぎただろう。頬を紅潮させ、跡継ぎを成したことを誇らしげに伝えてきた女に、隻眼の男は総毛立った。
 ——堕ろせ!
 ロイエンタールは、不幸をなかったことにしようとした。生まれてこないほうがその子自身のためであると、彼は盲目的に信じていた。
 クリーム色の髪のエルフリーデ・フォン・コールラウシュは、男の怒号に面食らい、呆然とした。一拍おくれて意味を理解した彼女は、眉や目や唇といったパーツを顔の中心に凝縮させて、胎にやどした子の父親を睨みつけ、ドレスをひるがえして去っていった。あれが、子をかばう母親の目なのだろうか。つりあがったまなじりに、ロイエンタールは涙の光を見たように思う。が、それは彼にとって些事だった。
 取りかえしのつかない冒瀆は、祝祭のすがたをしてやってくる。ミッターマイヤーにはできないことが、たしかにロイエンタールにはできてしまった。自分の子供を欲していない男が、たんに避妊に失敗したわけでないことは、明白だった。
 これ以上会話をつづければ、関係の崩壊がはじまるだろうという危機を、二人は皮膚で感じている。
「ロイエンタール」
 ミッターマイヤーはワイングラスをおいて立ち上がると、友を見下ろした。ロイエンタールはそれを見上げた。この蜂蜜色の髪の男は出ていき、今度こそ戻ってこないだろうと思った。妻との子供を望む彼への当てつけで、女を手籠めにし、孕ませたあげく、堕胎を言いわたして追いはらった。こんな自分を、まっすぐなミッターマイヤーはゆるさぬだろうし、嫌うだろう。
 不動の姿勢で死刑宣告を待つ隻眼の男に、ミッターマイヤーがたずねた。
「何発殴られたい」
 間接照明の暖色の灯りが演出する、海鷲ゼー・アドラーの深沈とした憩いの空間に似つかわしい、しずかな声だった。
「一○」
 ロイエンタールは反射で答えを出した。それを聞きとどけると、ミッターマイヤーは卓上のボトルとグラスを端によせた。テーブル自体も、個室の隅に移動させる。その作業を手伝いながら、ロイエンタールは、黙々と体罰の準備をする自分たちを俯瞰した。奇妙な状況のなかにひそむ予感と、信じがたいほどの友の愛に、彼の心はふるえた。
「顔だと目立つな」
 やるなら服の下か、と顎に手をあててつぶやくミッターマイヤーの凛とした佇まいに、ロイエンタールは見惚れる。ままならぬ現実という汚泥に足をとられ、転び、沈みそうになりながらも、毅然と立つ男は美しかった。
 その光にむかって、ロイエンタールは鷹揚に両腕をひろげた。
「思いきりやってくれ」
 まったく無防備だったので、最初の一発でロイエンタールは床に殴りたおされた。頭だけは守ったが、それ以外は受け身もとらなかった。
 痛むみぞおちに息苦しさをおぼえつつ、仰向けになっていると、視界の端からミッターマイヤーがあらわれ、ロイエンタールの脇腹を踏みつけた。軍靴の踵が腹筋にめりこむたび、ロイエンタールが喘ぐ。
 肩を殴り、脚を蹴り、暴力をふるうミッターマイヤーのほうが、暴力をふるわれるロイエンタールよりもはるかに精神を消耗していた。ミッターマイヤーは無抵抗の、それも無二の親友を、一方的に痛めつけて、平気でいられる人間ではないのだ。殴り合いなら散々してきたが、今おこなわれているこの行為は、対等の喧嘩とはまったく別物である。ロイエンタールにむける愛欲の苦悶はさらに深まってゆき、ミッターマイヤーは己の受けた仕打ちの鬱憤をはらすどころではなかった。
 謹直な表情をかろうじて貫きとおし、ミッターマイヤーはなんとか一○発やりとげた。彼はしばらく友人に馬乗りになったまま、全身の力を使いはたしたように項垂れた。ロイエンタールの上から退いたあとは、よろめきながらソファに座りこんで、そのまま虚脱状態におちいった。
 ロイエンタールは節々の痛みに顔をしかめつつも、悠然と起きあがった。服をかるくはらい、髪を撫でつけてととのえると、ぬけがらと化した友人の隣に座って、その肩を抱いた。
「おれの家で、手当してくれないか」
 ロイエンタールのささやきに、ミッターマイヤーは小さくうなずいた。



 このとき、全宇宙を支配するローエングラム王朝のなかでは、大小さまざまな勢力がひしめいており、そのひずみは人間関係の亀裂や政治問題というかたちで、いたるところで噴出しはじめていた。そして、その負の影響をもっとも強くうけた二人が、ロイエンタールとミッターマイヤーであった。
 けれども彼らの関係は、暴力が毒薬のごとく効いたおかげで、決裂するどころかかえって懇ろになった。和解のための儀式とも言いきれない、甘美な苦しみと痛みの体験ののち、ふたりは海鷲ゼー・アドラーをあとにして、ロイエンタールの邸宅ですごした。ミッターマイヤーはまるで自分が殴られたかのように顔をゆがめて、月光に照らしだされた大輪の青痣を見つめ、手当をしてやった。「お前がオーディンを発ってしまったら、だれが湿布を取りかえるのだ」とロイエンタールが嘆くと、ミッターマイヤーは苦笑して「自分でやれよ」と言い、包帯のまかれた腕をそっと撫でた。わざわざ念押しされるまでもなく、ロイエンタールは友人ののこした痣を、自分だけの秘密にしておくつもりであった。しかしながら、その宝物は保管の努力もむなしく、彼らがフェザーンに移って再会したときには、時間という盗人によって跡形もなく消えうせていたのだが。
 一○月九日、同盟領内の帝国直轄星域に駐屯しているシュタインメッツから、レンネンカンプ自縊の報がもたらされ、即日御前会議がひらかれた。この会議の出席者は皇帝ラインハルトと「帝国軍三長官」、すなわち軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタイン、統帥本部総長オスカー・フォン・ロイエンタール、宇宙艦隊司令長官ウォルフガング・ミッターマイヤーの三元帥である。皇帝ラインハルトは、まだ見えていない。
 ローエングラム朝銀河帝国という建築物は、「帝国の双璧」のあいだではなく別の箇所で、大きく軋みを立てた。
「やめぬか、卿ら!」
 最年少のミッターマイヤーが一喝し、ふたりの元帥のいさかいを制した。
 言葉の干戈をおさめても闘争心はすぐには冷めやらず、オーベルシュタインは鋼鉄の仮面を微調整するため、席をはずした。軍務尚書の痩身が見えなくなるだけで、会議室の空気は換気をしたように軽くなり、ミッターマイヤーは長い息をついた。ロイエンタールとオーベルシュタインの舌戦には怒鳴り声はなく、感情ではなくれっきとした条理が通っていたが、観客のミッターマイヤーは両者の背後に牙をむく竜虎を見た。
 親友とふたりきりになったので、ミッターマイヤーが左隣へ気さくに声をかけると、ロイエンタールも友好的に応じた。眼帯でおおわれていない青い隻眼と、ようやく目があう。こうして自分と語らうロイエンタールに変わったところはないが、先ほどのオーベルシュタインとのやりとりの際は、沈着な彼らしくもなく語気が鋭かった。その二面性に、ミッターマイヤーはどこか不気味な歯車のずれのようなものを感じた。
 ミッターマイヤーとロイエンタールはここ三ヶ月ほど、交際が希薄である。七月と八月は「例の女」のことで一悶着あり、九月はオーディンからフェザーンへの移動のため別行動をとっていた。そのため、ふたりの心理的距離の後退と、その後の跳躍にひと役買った「障害物」、すなわちロイエンタールの子供について、ミッターマイヤーは「この話は、これで全部だ」以上のことを聞きだす機会がなかった。「堕胎しろと言ったら、逃げられた」というが、本当にそうなったかどうか、確かなことは不明である。逃亡した「あの女」が秘密警察に通報することも十分ありえる話だが、彼女はなぜそうしないのか。そして、あの出来事が、隻眼の男の心理にいかなる影響をあたえているのか。ミッターマイヤーはいずれも把握できていない。ロイエンタールはこの話題について完全に口を緘してしまい、親友にさえも感情を隠した。
 今日の論戦から、一ヶ月も前のことを連想するのは、ミッターマイヤーの思いすごしかもしれない。だが、ロイエンタールの過去と傷を知っているだけに、肝心なときにそばにいられなかったのが悔やまれた。
 ミッターマイヤーがひとこと探りをいれようとしたとき、表情筋を完全に抹殺しおえたオーベルシュタインがもどってきて、会議室は気まずく凍りついた。それからほどなくして皇帝ラインハルトの出御があり、自由惑星同盟にたいしてはひとまず傍観措置をとることが決定された。



 停滞と無気力の期間は長くはつづかなかった。不完全燃焼をおこして覇気をくすぶらせていた皇帝ラインハルトに風穴をあけ、活気をもたらしたのは、猛将ビッテンフェルトである。歴史に動かされるのを待つかと問われたラインハルトは、諸将の前で勢いよく立ちあがった。彼の答えは否であり、それは戦いをうったえるビッテンフェルトの心にかなうものであった。
 ラインハルトのこぶしには、歴史という織物タペストリーがにぎりしめられていた。地から天にむかって雷が昇ったかのごとき勇姿に、全員の視線が釘づけになる。
「大義名分の最大にして至高なるものは、宇宙の統一である」
 そう宣言したラインハルトは、自由惑星同盟の国旗掲揚塔に「黄金獅子旗ゴールデン・ルーヴェ」を掲げるべく、黒色槍騎兵艦隊シュワルツ・ランツェンレイターに進軍を命じた。新帝国歴○○一年一一月一日のことである。
 この同盟領への再侵攻により、帝国は一つのものを得、一つのものを失った。得たものは、自由惑星同盟そのものである。失ったものは、イゼルローン要塞である。新帝国歴○○二年一月一六日、帝国軍はマル・アデッタ星域にて、アレクサンドル・ビュコック元帥率いる同盟軍を打ちやぶった。その翌日の戦勝祝いの最中に、イゼルローン要塞失陥の報がもたらされた。
 若き皇帝は、高らかに持ちあげた祝いのクリスタル・グラスを、その数倍の速度で振りおろして床に叩きつけ、さらに破片を軍靴で踏みにじり、宿敵ヤン・ウェンリーにたいする悔しさをあらわにした。ラインハルトの激情の噴出を、ロイエンタールはその背後から、温度のない青い隻眼で見つめた。
 イゼルローン要塞は一年前、ロイエンタールがヤン・ウェンリーから奪還していた。「神々の黄昏ラグナロック」作戦当時、ラインハルトの器量をたしかめたいロイエンタールと、ラインハルトを打倒して帝国軍を撤退させたいヤンとで暗黙裡に利害が一致し、同盟から帝国へと「返還」されたのである。ゆずられた要塞は、イゼルローン方面軍の副将をつとめたルッツにあずけられ、以降彼が固守していたのだが、ヤン・ウェンリー仕込みの奇術トリックでまんまと奪いかえされてしまったようだ。
 ラインハルトもロイエンタールも、自分がイゼルローン要塞を任される立場であれば、己の能力と矜持にかけて、ヤンの「置きみやげ」を徹底的にうたがい、調べていただろう。だが彼らは、己の実力の報いはその善し悪しをとわず引きうけるべきだ、という優勝劣敗の法則を、いささか酷なまでに信奉していた。だから彼らは、あえてルッツに助言しなかったのだ。それは嫌がらせではない、無意識で課した試練だった分、よけいに性質たちが悪かったかもしれない。組織として軍事上の要所を守ることよりも、部下の才能の証明を優先させたという点で、ルッツの上司たる彼らにも、要塞失陥の責任は存在すると言えた。
 皇帝ラインハルトは軽いからかいを込めて、隻眼の元イゼルローン方面軍総司令官に、要塞奪取期間の短さを語りかけた。この遠征中、首席幕僚として皇帝に付きしたがっていたロイエンタールは、異様なほど冷静に、というより平板な調子で、遺憾の意をしめした。
 凶報により戦勝祝いが中止され、諸将が解散したあと、ミッターマイヤーは廊下を歩くロイエンタールの背中を追いかけた。
「やれやれだな」
 ねぎらいの言葉に、ロイエンタールが振りむいた。蜂蜜色をうつした青い瞳が蕩揺し、ロイエンタールは友人をひきとめて、ブリュンヒルト艦内に割りあてられた自室に招いた。
「ヤン・ウェンリーは、吾ら帝国軍の誰よりも、陛下のご期待に沿う活躍をしているらしい」
……どういう意味だ?」
 ロイエンタールの言わんとするところを汲みかねて、ミッターマイヤーがたずねた。皇帝はつい先ほど、イゼルローン要塞失陥の憤激をおさめるため、私室へ引きこもってしまったばかりではないか。
「あの御方は、強大な敵と乱とをお望みなのだ」
 自分と同じように、と言いかけて、ロイエンタールはその言葉をのみこんだ。皇帝の心理のかたむきを語るにあたって、彼には根拠が必要だった。
「ジークフリード・キルヒアイスが死んだとき、陛下はおれに、こうおっしゃった。『私を倒すだけの自信と覚悟があるなら、いつでも挑んできてかまわないぞ』と」
 ロイエンタールはそのとき、自分がラインハルトと同等の人間であるとは言わずとも、挑戦権くらいは認められているのだと思った。それは、戦いによって周囲に己を承認させてきた隻眼の男の、前傾姿勢を支える柱だった。彼は、自身の誕生を否定してきた両親から解き放たれて以来、目の前に立ちふさがる人間はすべて打倒せねばならぬという、強迫観念にもちかい考えを、体に刻みつけている。そのロイエンタールが、他人に膝をつきながらも倒れずにいられたのは、じつはラインハルトの挑発に拠るところが大きかったのだ。
 しかし、ロイエンタールは首席幕僚として、戦うラインハルトを至近で見、骨の髄まで思い知らされたのである。皇帝の意識をとらえて離さぬ強敵ライバルは、かの宿将ヤン・ウェンリーただ一人であり、自分オスカー・フォン・ロイエンタールは蒼氷色アイス・ブルーの眼中にないのだと。
 このようなことを、ロイエンタールがこうまで赤裸々にミッターマイヤーに打ちあけたのは、この親友に彼の僭上を隠しておくことは不可能だったからである。だまってうぬぼれを憐れまれるよりは、自ら暴露してしまうほうが、幾分かはましであった。
「なんとまあ長いこと、思いちがいをしていたことか。卿に宇宙を差しだす資格などないと気づくまでに、これほどの時間を空費するとは。笑止だな」
 ロイエンタールは自嘲しながら、自分よりも頭半個分だけ背の低い親友を観察した。明晰に透きとおった灰色の瞳には、とうの昔から、この自分が斧をふりかざす蟷螂として映っていたのだろうか。ロイエンタールはまるで鏡を見るように、滑稽な自画像を、敬愛する友のなかに探した。
「せめて、戦って敗北を実感したかった。さすれば敗残の身を、無益にながらえさせることもなかったろうに。卿もそう思うだろう、ミッターマイヤー。いっそのこと、笑ってはくれないか」
「笑いなどするものか」
 ミッターマイヤーの言葉の背後に、見えざる怒気の炎がゆらめいていた。彼はグレーの虹彩に、つねにない光をやどして、長身の友を睨めあげた。
 隻眼の男は、自虐的な笑みを顔に貼りつけたまま、進入禁止の鉄条網を自身の周りに張りめぐらせている。それが、ミッターマイヤーにはゆるしがたかった。かけがえのない自分の愛しい男が、そのような表情を強いられていることが、どうしても気に食わなかった。
 だからつい、本音を口走ってしまったのである。
「卿は皇帝たりうる器量の持ち主だ。あのとき、お前から宇宙を支配する伴侶にと誘われて、おれはうれしかった……
 支配者たる資格がないのは自分であって、ロイエンタールではないと、ミッターマイヤーは思っている。だが、現在の銀河において、ラインハルト・フォン・ローエングラム以上に絶対的な支持を得られる人間がいないのも、事実である。銀河の分割支配は美しい夢だったが、あくまで夢にとどめておかねばならぬものだった。
 意外そうな隻眼のまたたきに、ミッターマイヤーは我にかえった。自分の発言を省みて、息を呑む。
 ロイエンタールの見ている前で、色素のうすい顔からたちどころに血の気が引いた。帝国軍元帥という身分でありながら、大逆罪という禁忌に抵触したことに、ミッターマイヤーは思い至ったのである。
 後悔に抱擁され、雪のごとく顔面蒼白になった親友に、ロイエンタールは内心苦笑した。これが即興の慰めであれば、侮辱されたと見なして怒り狂っていただろう。だが、ミッターマイヤーのこの反応からして、彼は本気らしかった。それでロイエンタールの自己評価が変わるわけではないが、どうやら親友は、この自分を非常に高く買ってくれているらしい。その事実は、隻眼の男に欠けている何かを、わずかではあるがたしかに埋めたのだった。
「そうか」
 ロイエンタールは短くつぶやいた。これ以上を言葉にすることは、不可能だった。この心臓を生きたまま掴みだして、ミッターマイヤーに握らせでもすれば、想いも伝わるだろうか。できることなら、そうしたかった。宇宙も心臓も何もかもこの親友にささげて、その見返りに、この男が欲しい。自分にあいたあなを埋めるなら、この、もっとも近いがもっとも遠い男がいい。
 そのとき、クリーム色の髪の「あの女」の声が、ロイエンタールに囁きかけた——どんなに望んでも手に入らないものだから、お前はこの蜂蜜色の髪の男を欲しているのだ——
 エルフリーデと関係をもち、別れた時点では、その声はごく小さなものだった。だが、「子ができた」と聞いたときから、それは無視できぬほどの明瞭な発音で、たびたびロイエンタールの鼓膜をうつ——両目とも青い瞳で生まれてきたらよかったのに——彼女だけでなく、別の人間たちと交わしたやりとりが去来する——お前は生まれてくるべきではなかった——公私両面でふるってきた暴力の贖罪を、何者かが彼に説く。
……引きとめすぎたな。イゼルローンを失った今、ハイネセン征服は確実なものにする必要があるだろう。卿はそろそろ旗艦に戻ったほうがいい」
 皇帝の挑発の話や、不敬な発言等々は、ロイエンタールが友の肩をたたいたことで「なかったこと」とされたが、ミッターマイヤーは不安と後悔とを払拭しきれぬまま、友人の部屋を辞去せざるをえなかった。
 これより二週間後の二月二日、自由惑星同盟は銀河帝国に降伏した。



 バーラトの和約を破棄し自由惑星同盟を完全に併呑するにあたって、かの国の責任者を皇帝がどう処するか、ロイエンタールは悪趣味な興味をもって観劇していた。しかし、現実はまたもや金髪の美貌の若者に味方した。トリューニヒトに代わって同盟元首をつとめたジョアン・レベロは、同盟軍統合作戦本部長ロックウェル大将の手みやげとなり、ラインハルトは卑劣な暗殺者を処断するだけで済んだのである。
 あとになって、故レンネンカンプ高等弁務官の首席補佐官フンメルが、ロックウェル大将らに元首暗殺を教唆したのだと聞いたロイエンタールは、なるほど大した部下もいたものだと感心した。ラインハルトがその節介に嫌悪感をしめし、フンメルを更迭したところまで含めて、である。このような自発的な身代わりによって、ラインハルト・フォン・ローエングラムは純潔な偶像たりえており、新銀河帝国の正当性は守られている。この金髪の覇者のカリスマとは、瞞着という罪みずから彼のためにしりぞき、道をあける類のものなのだ。
 二月二○日、「冬バラ園の勅令」が公布され、これをもって自由惑星同盟は、二五○年超にわたる歴史に幕をおろした。その翌日、すぐさまイゼルローン要塞奪取にむかうと宣言したラインハルトに、「帝国軍の双璧」は——ロイエンタールは戦いへの意欲から、ミッターマイヤーは主君の体調への配慮から——自分たちにヤン・ウェンリー討伐の命をあたえ、皇帝自身はフェザーンで休息をとるよううながした。
 結局のところ、ラインハルトの駆け足を引きとめたのは、「帝国軍の双璧」および首席秘書官ヒルダの諫言ではなく、帝都オーディンからの報告であった。
「ロイエンタール元帥が、リヒテンラーデ一族の女性とのあいだに子をもうけている。不穏の気配あり」

 噂とその証拠は、時を同じくして、遠くへだたれた惑星フェザーンとオーディンに浮上した。
 新帝国歴○○二年が明けると、まずフェザーンの内国安全保障局に対し、「ロイエンタール元帥に叛意あり」という匿名の密告がとどいた。次に、それからほどなくして、帝都オーディンに残留している憲兵総監ウルリッヒ・ケスラーのもとに、ひとりの女性が出頭してきた。彼女こそ、妊娠七ヶ月になろうとしているロイエンタールの元愛人、エルフリーデ・フォン・コールラウシュであった。
 憲兵総監から軍務省に報告が入ると、軍務尚書オーベルシュタインの横から、内国安全保障局長ラングがわりこんだ。彼は先年、並みいる帝国軍の高官の面前で、ロイエンタールから罵倒され、耐えがたい辱めをうけている。それ以来ラングは、ロイエンタールの名望を地の底まで蹴落としてやる機会を、たえず狙いつづけてきたのだ。ロイエンタール元帥に叛意ありとの密告と、それを裏付けるように現れた旧敵の女は、その最上のものであった。
 ことは私事に属しており、憲兵隊の職掌範囲には該当しない。また、ロイエンタールは成文化された法律に反してはいないので、現段階では慎重かつ内密の捜査がもとめられるとして、ラングはロイエンタール弾劾の主導権をにぎった。かねてより、職権が衝突しがちな憲兵隊と内国安全保障局とのあいだには、水面下の対立が存在していたが、このときラングは自身の格の低さを逆手にとって、上司である内務尚書オスマイヤーと憲兵総監ウルリッヒ・ケスラーの結託を出しぬくことに成功したのである。エルフリーデの事情聴取、あるいは尋問のために、ラングは自ら直々にフェザーンからオーディンへ出向いた。むろん、ロイエンタールにとって都合の悪い証言を引きだすためだ。
 秘密警察のうす汚いやり口を知悉しているケスラーは、内国安全保障局の専横を阻止したいところであった。それに、このままラングにやり込められたままというのも、癪にさわる。そこで彼は、内国安全保障局長がオーディンに到着するまでの二週間のあいだに、事情聴取だけでも済ませてしまおうと考えた。ケスラーとロイエンタールはさほど親しいわけではなかったが、相互の有能さに関しては信頼をおいており、何より二人はラングへの反感を共有している。実直なる憲兵総監には、ロイエンタールの罪を暴こうという意図はなく、どちらかといえば同僚の潔白を証明するつもりだったのだ。
 ところが罪なき者にも自白させるラングの手腕によるまでもなく、エルフリーデは積極的に、ロイエンタールを破滅させる数々の陳述をした。曰く、彼女はロイエンタールに見初められ、跡継ぎとなる子を成すよう求められた。自分がロイエンタールのフェザーン行きに伴わず、ここオーディンにいるのは、彼の指示である。ロイエンタールは跳躍ワープが胎児に悪影響をおよぼすことを懸念して、身重の自分をオーディンにかくまったのだ。今回自分が出頭したのは、彼が自分を人目から隠したまま、いつまでも妻として娶らぬことに、不満をおぼえたからである。
 かくして、軍務尚書オーベルシュタイン、内務省内国安全保障局長ラング、憲兵総監ケスラーの連名で、ロイエンタール不穏の報告書がハイネセンの帝国軍大本営にもたらされた。もしこのとき、憲兵隊から調査権限をもぎとったラングが、エルフリーデの身辺を徹底的に調べていれば、元フェザーン自治領主ランデスヘルアドリアン・ルビンスキーや、元自由惑星同盟国家元首ヨブ・トリューニヒトにつながる糸口を、わずかながら掴めたかもしれない。だがラングはエルフリーデの証言を都合よく鵜呑みにし、公正さにはこだわらなかった。秘密警察にとって証拠とは、自家薬籠中の物として恣意的にあやつるものだった。
 大本営に出頭したロイエンタールは、年少の僚友ミュラーからの質問に対し、鷹揚に回答していった。謀反気こそ並々ならぬこの隻眼の元帥は、しかし現実に主君ラインハルトの不利にはたらく行動をしたことは、ただの一度もない。己の不甲斐なさ、非才の証だとロイエンタール自身は思うのだが、ひるがえってこの訊問の場では、正々堂々としていられるのだから、皮肉なものである。ロイエンタールとしては自分自身の処遇よりも、親友ミッターマイヤーが短気をおこさないか心配であった。自分とあの女が関係をもっていることを知っていながら、それを看過した事実は、友の信用にわずかでも傷をつけるやもしれぬ。自己弁護にはなるが、なるべくミッターマイヤーが口にしそうな事情については、先回りして話しておくべきであろう。
 同日午後、ロイエンタールはミュラーのはからいで、皇帝ラインハルトの拝謁を賜り、己が意を奏上する機会を得た。低く白っぽい午後の光が、国立美術館の大広間の窓から差しこんでいる。物言わぬ油彩画や彫刻群が見守るなか、ミッターマイヤーをはじめとする帝国軍幹部も陪席し、審問がはじまった。
「ロイエンタール元帥」
「は……
「卿が故リヒテンラーデ公の一族につらなる女と内縁関係にあるという告発は事実か」
「虚偽でございます。陛下」
「では、その女が身ごもっているという子は、卿の子ではないのか」
……いえ、私の子です」
 その返答は、隻眼の男のもっとも繊細な器官からしぼりだされたものだった。だが、それを感知しえたのは、彼の友人ミッターマイヤーだけである。
 ラインハルトは柳眉をしなやかにひそめた。気分を害したからではなく、純粋な不可解ゆえである。それは無理もないことであった。なぜならロイエンタールは、本件における重大な因子について、故意に語ることを避けていたからである。
「たしかに私は、リヒテンラーデ公の一族の端につらなる者と知りながら、エルフリーデ・フォン・コールラウシュなる女と私的に関係をもちました。その軽率さはわが不明、弁解の余地はございません。しかしながらそれをもって陛下に対する叛意のあらわれとみなされるのは、不本意のいたり、誓ってそのようなことはございません」
何故なにゆえ卿は、その女の出自を知りながら関係をもったのか」
「その女が私の気に入ったからです」
 この言葉に、列席する提督たちは無音でどよめいた。じつは、彼らのうちの何人かはロイエンタールと枕を交わした経験があり、彼の夜の一面を知っている。(ただ、その過去について口を割る者は一人としておらず、だれが所謂「竿兄弟」なのかについては、ひそかな探りあいがおこなわれていた。)そうでなくとも、隻眼のオスカー・フォン・ロイエンタールは、当代随一の漁色家として知られており、また相手への執着のなさ、別れる際の冷淡さでも有名であった。それだけに、「その女への関心はいまや過去のもの」との但し書きが付けられたとはいえ、このような場でロイエンタールに「気に入った」とまで言わせる女とはいったいどんなものか、彼らは不謹慎ながらも興味をかきたてられたのである。
 その中でミッターマイヤーは人知れず孤独に、同僚たちとはことなる理由で動揺していた。この蜂蜜色の男こそ、ロイエンタールがエルフリーデと関係をもった原因であり、彼には今回の騒動の元凶たる自覚があった。
 ロイエンタールの言葉は嘘ではないが、真実は通常の意味からまったくかけ離れている。彼は子供が欲しいと言った自分への当てつけとして、また自分の嫉妬の焔をあおる目的で、ちょうどいい女を見繕ったのだ。だが、そのような事情を説明するわけにもいかず、ミッターマイヤーは鞭でうたれているような心地で折りたたみ椅子に座ったまま、太腿のうえで拳をにぎりしめていた。同僚たちはそうしたミッターマイヤーのようすを、親友への純粋な心配からくるものと見なした。
 ラインハルトのけぶるような黄金のまつげが、蒼氷色アイス・ブルーの瞳になかばかぶさる。恋愛にうとい彼はひとまず、ロイエンタールの回答を、無関心と信用のそれぞれ半々で受けとめた。もとよりラインハルトは、部下の私生活に立ちいるつもりは毫もない。まして痴情のもつれなどに、彼の天才的な用兵の源たる脳細胞は一ミリグラムほどの興趣もそそられず、退屈をきわめていた。正直なところこの審問も、面倒以外の何物でもない。
 全知全能の神ならともかく、いち人間には、過去を変えることなど不可能である。ラインハルトとしては、ロイエンタールが今後信用に足る人間であるかどうかさえ、確かめられればよいのだ。この隻眼の男が才覚の点で申し分ない存在であるのは、疑いようのない事実である。私生活上のさまざまな噂は、皇帝である彼の耳にもはいってくるが、それが軍組織の道徳的退廃をまねいているでもない。
 ロイエンタールはこれまで、主君である自分にたいして忠実だった。これからも、それを期待してよいのではなかろうか。
「卿はその子を、自身の跡継ぎにと望んでいるのか? この子のために高きを目指そうと祝福したという話もあるが」
「いえ、どちらも完全な嘘偽です。子ができたと告げられたとき、私はあの女に堕胎しろと命じました」
「そうなのか」
「私には人の親となる資格がないのです、陛下」
 ロイエンタールの声は暗い確信に満ちており、広い空間にしんと響きわたった。指図の不徹底はわが失態でございますと、彼が補足する。その後、場を満たしたのは、古い美術品同士がささめく声さえ聴こえてきそうなほどの静寂であった。ミッターマイヤーは友のために、そして自分のために、軍服の下で汗を流した。これ以上、ロイエンタールの秘密をあばかないでほしい。そこは、自分だけが知っている、自分だけにゆるされた場所なのだ……
 ミッターマイヤーの必死の祈りが通じたかのように、前ぶれなく話題は転じた。ラインハルトはロイエンタールに、ある過去を喚起せしめた。五年前、門閥貴族に囚われたミッターマイヤーの命を救うため、彼がラインハルトに忠誠を誓った夜のことを。そのとき、ラインハルトの家名はいまだミューゼルであり、ロイエンタールの両眼はいまだ金銀妖瞳ヘテロクロミアであり、ジークフリード・キルヒアイスは生きて金髪の若者のそばにいた。あの嵐の夜はもはや、皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムと、隻眼の統帥本部総長オスカー・フォン・ロイエンタールだけが、追憶できる過去となっている。
 ラインハルトはあの夜のことをおぼえているかと問い、ロイエンタールは一日といえども忘れたことはないと答えた。その、傍聴席には理解しえぬ受け答えで、皇帝の審問は終了した。近日中に、聖断がくだされる予定である。
 ところが皇帝の沙汰の前に、ハイネセンで大火災が発生し、帝国軍はその対処に奔走する羽目になった。これは彼らの治安維持能力が試される重大な場面であったが、出火の原因調査、被災者の救助、暴動の鎮圧などは、きわめて迅速に行われ、被害は最小限にとどめられたと言ってよい。謹慎中のロイエンタールは現場に出動こそしなかったが、今回の帝国軍のはたらきは、彼の功に帰するところ大であった。というのも、ロイエンタールはあらかじめ、緊急事態処理の教本マニュアルを作成しており、これが帝国軍の組織だった行動を維持したからである。
 此度の騒動は、軽挙の裁定をひかえるロイエンタールにとって、おそらくは有利に作用するだろう。やがて、憲兵副総監ブレンターノ大将のもとに、覆面の不審者が出没していたとの通報が複数寄せられると、帝国軍はその情報をもとにして、旧同盟内の好戦主義団体の残存勢力を弾圧し、もって事件の収集とした。
 ロイエンタールの処分が発表されたのは、三月一九日、冬バラ園の仮設大本営にてであった。
「陛下はサプライズがお上手だな」
 三週間ぶりにロイエンタールとの再会がかなったミッターマイヤーが、破顔して友人を祝福した。
 今回のロイエンタールの不祥事にたいする皇帝の判決は、以下の通りである。ロイエンタール元帥は、統帥本部総長を解任される。代わりに、新領土ノイエ・ラント総督というあらたな職務が、彼にあたえられる。新領土総督は、皇帝の代理人として惑星ハイネセンに駐在し、この出征で獲得した旧同盟領全域の政治と軍事を統轄するものである。統治に際して、元ロイエンタール艦隊にクナップシュタイン、グリルパルツァー両大将の艦隊をくわえた、新領土治安軍が編制される。
 それは現在の銀河帝国における、第二の地位といってほぼさしつかえないものであった。ラインハルトは、自身の覇業に尽くしてきた古参の部下にたいし、さらなる期待と信用でむくいたのである。
「これは、貸しということなのかな」
 眼帯を取りさってソファに寝そべるロイエンタールが、身じろぎしながらぼやいた。それは照れかくしだろうとは、ミッターマイヤーは口にしないでおいてやる。新領土総督に任命されたとき、いまは膝の上におかれている友の顔に、ほんのりと血がのぼって薔薇色にそまっているのを、彼は目撃していた。その隻眼はまっさきに親友へと向けられ、宙で視線がかちあった。彼らはこうして、公務におけるよろこびを、ふたりでわかちあってきたのだった。
 ダークブラウンの髪を梳く手をとめて、ミッターマイヤーがつぶやく。
「ヤン・ウェンリーを討ったあとは、卿とは任地が離れてしまうな」
 フェザーンからハイネセンまでの数千光年の距離を思うと、よろこばしい友の昇進であるにもかかわらず、どうしても寂しさがつのる彼であった。その切なげな声の調子に応えて、ロイエンタールの手がのばされ、ふたりの指と指がからめられる。そのまま、つないだ手を口元にもっていき、口づけようとしたところで、ミッターマイヤーの「こら」という制止がはいった。甘い叱責は想定内のものだったため、ロイエンタールは表情を変えぬまま、からめた指をゆるめたりにぎったりした。



 三月一九日に発表されたラインハルトの人事が有効になるのは、皇帝みずからイゼルローン要塞を攻略し、ヤン・ウェンリーを服従させたのちとされた。この聖旨は、ハイドリッヒ・ラングなどのごく少数をのぞく万人から、「皇帝ラインハルトばんざいジーク・カイザー・ラインハルト!」の歓呼をもってむかえられた。しかし、ヤン・ウェンリー討伐の親征自体には、ロイエンタールもミッターマイヤーも依然反対なのである。とはいえふたりとも、皇帝の寛恕に頭があがらぬ立場であったので、ヒルダの説得が失敗するとそれ以上強くは出られなかった。
 ヒルダやミッターマイヤーは、帝国とそれを一身にになう皇帝を案じてこの遠征に異を唱えたのだが、ロイエンタールの反対理由は彼個人の私的な感情であった。マル・アデッタ星域会戦で、ラインハルトとヤンという天才の壁に頭を打ちつけて以来、隻眼の男の背骨を焦燥感がたえず撫でさすっている。そこから生じる悪寒が野心となって、新領土総督という行き止まりよりも、さらなる戦いへと彼を駆りたてていた。
 ロイエンタールは一年前、「神々の黄昏ラグナロック」作戦の前哨戦で、イゼルローン要塞のヤン・ウェンリーと相対した。当時の彼は、ラインハルトが立案した作戦通りに陽動をつとめたのち、主君の器の大きさを見極めるべく、あえてヤン一行をイゼルローンから逃がした。あのときの再戦を、ロイエンタールは熱望している。ヤン・ウェンリーを斃す機会は、誰にでも与えられているはずだ。ただ、その権利の保持者が、事後的に判明するというだけで。
 ラインハルトがヤンにこだわればこそ、ロイエンタールはそれを奪いたいのである。能力からいって、自分が先にヤンに挑めば、自分もラインハルトも、ともに満足できるだろう。ロイエンタールが負ければ、ラインハルトに戦う機会が回ってくるのだから。では、万が一自分が勝ってしまい、主君の貴重な好敵手を奪ってしまった場合は? ありえないとは思うが、そのときは——

 ラインハルト率いる銀河帝国軍本隊がイゼルローン回廊に到着するまえに、帝国軍はしたたかな反撃をこうむった。前衛として本隊の到着を待っていたビッテンフェルト、ファーレンハイト両上級大将の艦隊が回廊に誘いこまれ、敗北したのである。二人の提督はともに防御よりも攻撃を得手とする驍将タイプである。攻勢偏重の先陣の配置が、今回の敗北の遠因と、言えなくもない。しかし最大の原因は、やはり「魔術師ヤン」の詭計であった。この前哨戦によりファーレンハイトが戦死し、元帥に叙せられた。
 ブリュンヒルトの艦橋で頭を下げるビッテンフェルトに、ラインハルトは寛大であった。この覇王はヤン・ウェンリーとの戦いに全集中力をつぎこんでおり、たとえば叱責などには、一滴たりともその英気を零したくなかったのである。
「勝利か死か、ですか」
 それは隻眼の男の、皇帝にではなく、自分自身にむけた独語であっただろう。

「おい、ロイエンタール……
 対ヤン・ウェンリー作戦討議のあと、ロイエンタールとミッターマイヤーのふたりは旗艦トリスタンの司令官室で、四四六年ものの白を飲んでいた。このボトルは、艦の主が出してきたなかなかの品である。
 酔いもまわった夜更け、隻眼の男は、酒精で熱をもった体を友によりかからせ、結局いつもの膝枕の体勢になった。そして、たびたび彼の傷を癒してくれる手をとって、観察しはじめた。はじめはミッターマイヤーも力をぬいて、掌を返され、もう一度返され、親指のつけ根のふくらみを押されたり、手の甲に浮いた骨や血管をなぞられたりと、ロイエンタールのなすがままになっていた。だがこの男が、鳥の羽のような指先のタッチだけで、ひたすら人さし指にまとわりついたり、掌をくすぐったりしはじめると、つねならば玻璃ガラスのごとく透きとおっているグレーの瞳に、愛欲が煙のようにとろけおちて、膝の上の男を見つめる視線がにごった。ついにロイエンタールが軍服の袖口に指を引っかけて、手首を剥きだし、さらに奥にもぐりこもうとすると、ミッターマイヤーの待ったがかかった。
「近ごろ、いたずらがすぎるぞ」
 つい先ほどまでもてあそばれていた手で、ミッターマイヤーはロイエンタールの白い額をかるく叩いた。その仕草は気のおけない友人のそれだったが、そのまま目元をおおうように手をすべらせていく接触には、単なる友情では説明しきれないものがあった。こうした緩急、愛のめくるめく往復に、ロイエンタールは焦れったさを感じ、それが永久に満たされぬことを思い、嘆息する。
 ミッターマイヤーの手の下で、えぐられた右目の傷が疼いた。生みつけられた卵から孵化したものが、眼窩の底でわだかまっているのだ。それは、癒しによって忘れ去られぬように時おり身動ぎして、己の存在を主張する。
 両親から否定された生を、戦いによって自力で肯定してきたロイエンタールにとって、膝を折ることはその生を折ることと同義であった。そんなロイエンタールには、ふたたび立ちあがるための剣か、安らかに眠るための夢が必要であり、奇妙なことに両者はかぎりなく似かよっていた。
 それは、太陽にむかって一直線に翔けあがる鷲のごとき賭けである。燃えあがった灰のなかから勝利が出るか死が出るか、ロイエンタールは見てみたかった。



 新帝国歴○○二年五月三日、ラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリーとの、最後の戦いの幕が上がった。ロイエンタールが立案し、ミッターマイヤーが検討を加え、皇帝が是とした作戦にもとづき、帝国軍先鋒部隊はイゼルローン回廊入口に設置された機雷を除去しつつ、回廊深部へと進んでいった。当然、ヤン艦隊はこれを予測し、迎撃する。先鋒ブラウヒッチ艦隊がヤン艦隊に阻まれ、攻勢の限界に達したところで、五本の巨大な火の柱が機雷原を切り裂いた。かくして、先鋒とゼッフル粒子がそれぞれうがった複数通路から帝国軍は回廊内侵入を果たし、苦闘して橋頭堡を築いた。
 隘路に誘いこみ、自軍と敵軍の接触面を可能なかぎり小さくすることで、ヤンは圧倒的戦力差を補っている。単純な苦しまぎれの策であるが、広大な航行不能宙域のすきまに籠城されては、強大な銀河帝国軍もその巨躯を縮めざるをえず、本来の膂力を発揮しえない。こうして、あくまで戦術レベルにおいてではあるが、「不敗の魔術師」ヤン・ウェンリーが一手に引き受けうるサイズにまで、事態が縮小されるのだった。
 もともとヤン・ウェンリー討伐には反対していたミッターマイヤーであるが、ここまで来て場違いな消極性を発揮する彼ではない。総旗艦ブリュンヒルトからの艦隊指揮が失敗したと見るや、蜂蜜色の髪と若く引きしまった体つきの青年提督は、颯爽とした足取りで自身の旗艦「人狼ベイオウルフ」に乗りうつり、ヤン艦隊の猛攻をうける帝国軍をささえた。
 五月四日から七日にかけての激戦で、ラインハルトの搭乗するブリュンヒルトは三度、敵軍の砲口に身をさらしている。一度目はシュタインメッツの旗艦フォンケルがかばい、ラインハルトとロイエンタールの眼前で爆発のうねりに引き裂かれ、悶えて爆発した。二度目は皇帝がそのたとうべき天才で敵軍の要を見抜き、自ら後退させた。三度目は一年前のバーミリオン星域会戦のように、「鉄壁ミュラー」がヤン艦隊の前に立ちふさがった。それでもヤン・ウェンリーは挫けることなく、着実に帝国軍を切りきざみ、互角以上にわたりあっている。
 そして、五月八日。ついに、ロイエンタールの立っている大地を崩落させる、最悪の報せがもたらされた。
 最前線に出て指揮を執っていた彼の友ウォルフガング・ミッターマイヤーが、戦死したというのである。

 昨日もたらされた「ミッターマイヤー元帥戦死」の報は、結局誤りであったと判明したが、帝国軍中枢の心胆を寒からしめるに十分なものだった。今日、五月九日に御前会議がひらかれ、皇帝ラインハルトがヤン・ウェンリーに対し、正面からの波状攻撃という数の勝負を挑むにいたったのも、おそらくあの虚報がもたらした恐慌ゆえであろうと、ロイエンタールは推測している。
 彼は皇帝ラインハルトについて、かなり手厳しい見解を有していた。ロイエンタールも出席した御前会議で、ラインハルトはこう演説した。
「予はこれまで戦うにあたって、受け身となってよき結果を報われたことは一度もなかった。それを忘れたとき、軍神は予の怠惰を罰したもうた」
 皇帝はそれにつづけて「今回、いまだ勝利をえられぬゆえんである」と語ったのだが、ロイエンタールは別のことを思った。
 実際に罰としてくだされるまで、皇帝は部下の戦死と、それによって自分がうける傷を、想像したことがないのだろうか。

 ロイエンタールは御前会議のあと、話したいことがあるといって、無理に親友を引きとめた。自室に移る時間も惜しく、手近な談話室に友を引きずりこむと、ロイエンタールは体内に残留している恐慌のなごりを吐露した。
「ミッターマイヤー、お前は『彼は失うべからざる存在であった』と、お前が死んではじめて嘆くような皇帝に、仕えつづけることができるのか」
「ロイエンタール!」
 ミッターマイヤーがするどく叫ぶ。彼は考えるよりも速く、とっさに談話室の入口へと目をやった。電子ロックはされている。扉の前を、人が通りかかった気配もない。ひとまず安堵の胸をなでおろしはしたが、この部屋は防音ではなかったはずだ。それ以前に、第一、ここは総旗艦ブリュンヒルトの中である。話題も場所も、その組みあわせも、最悪の極致であった。
 御前会議の最中、ロイエンタールの青い隻眼がどこか無機質で、皇帝の熱っぽい語り口と対照的であったのを、ミッターマイヤーは不思議に感じていたのだ。つねであれば皇帝の覇気は友の闘志をかきたて、その瞳を青い炎のごとくゆらめかせるというのに、今日のロイエンタールには熱がなく、氷のごとき不動の沈着ぶりがたもたれていた。けれどもそれは、隻眼の男の野心の鎮火を意味していたわけではなかった。逆である。
 もともと彼は、ミッターマイヤーを道具のごとく使い捨てられることを恐れ、ラインハルトに敵愾心をいだいていた。「神々の黄昏ラグナロック」作戦以降、身をひそめていたその危惧は、ミッターマイヤー戦死の誤報でにわかに覚醒したのである。
 内心舌打ちするミッターマイヤーを、ロイエンタールは解放する気がない。いまだヤン・ウェンリー破ることあたわず、戦いはつづいている。ミッターマイヤーは一刻もはやく、旗艦「人狼ベイオウルフ」に戻らねばなければならない。ロイエンタールもこのような言い争いをしている場合ではないとわかってはいるのだが、今この場で何かしらの答えを得ないことには、どうしても気がすまなかった。
 やや小柄な友人の視線をさえぎるように、ロイエンタールがドアの前に立ちはだかった。返答の圧力に、ミッターマイヤーは反論をしぼりだした。
「たとえ失うべからざる人間であろうと、軍人を黄金の檻でかこって守ってやるわけにもいくまい。それに、大切な人間を失う想像など、誰が好きこのんでやる? むやみに恐怖を駆りたて、怖気づいては、戦いにならんだろう」
 他聞をはばかってミッターマイヤーは声を低めたが、ロイエンタールは通常の声量で言い放った。
「おれは戦いに際してかならず、これがお前と顔をあわせる最後かもしれぬと、覚悟している。その覚悟を欠かしたことは、これまで一度もない」
 「ヒンターフェザーン」で知りあったミッターマイヤーを「わが友マイン・フロイント」としてみとめ、己の人生に組みこんでから、ロイエンタールはかけがえのない男を自分の命よりも優先する一方で、しばしばそれを失うときのことを考えた。たんなるペシミズムゆえでなく、そのような危機がおとずれた際に回避するためというのが、第一である。万が一失ってしまったあとの想像は闇の中にあって、ロイエンタール自身、奥まで踏みこんだことがなかった。必要を感じていなかったからだ。
 一呼吸ののち、ロイエンタールはミッターマイヤーを真摯にまなざした。
「お前が死ぬようなことがあれば、おれはこの世のすべてを見捨てるだろう。お前が死んだと聞いたとき、おれはそのとおり絶望したのだ。お前がいなければ、生きる意味がない」
 ミッターマイヤーの心臓から全身を、えもいわれぬ戦慄がかけめぐった。その一刹那、彼は自分と目の前の男以外、自分たちをとりまいているすべてを忘れた。これほど直截に、自分自身の恋情を乱暴に鷲づかみ、同時に表現する言葉を、ミッターマイヤーは知らなかった。ロイエンタールの言葉が、彼の言葉だった。彼らが互いに向ける想いは、そのとおりのかたちをしていた。
 彼の心は、七年前、惑星カプチェランカの雪洞で死にかけ、ロイエンタールに手を握られたときから変わっていない。戦いの中に身を置く彼らは、生死をともにするという魂の契約で、結びついていた。
 けれどもミッターマイヤーは脳の回路を強引に切りかえて、ロイエンタールの告白に込められた想いに見ないふりをした。恋愛にうつつを抜かしている場合ではない。彼はロイエンタールを説得し、早まった行動に出ぬよう、正論で抑えつけねばならないのである。
「おれは生きている。皇帝陛下に、命を救ってくださるようお願いしたからだ。帝国軍人として、皇帝陛下の御為に全身全霊をつくすのは、当然ではないか。それにおれは、己のためだけに、陛下にお仕えしているのではない」
「この戦争がいったい誰のどんな利益になっているというのだ? 膝をついてまで救ったお前が、このような無益な戦いで、イゼルローン回廊を舗装する屍のひとつになりさがるなど、おれには耐えられん。そしてどうだ、あれほど望んだ戦いの、あげくのはてが消耗戦だ。戦力的優越をもってヤン・ウェンリーを屈服せしめて、それで皇帝は満足すると思うか? 皇帝の欲求不満はいずれ——
「それ以上言うな!」
 しだいに声高になるロイエンタールを、ミッターマイヤーが制する。ミッターマイヤーの幕僚であれば即座に背筋をのばさずにはいられない大音声にも、ロイエンタールは平然として、隻眼を冷たく光らせていた。
 ミッターマイヤーがヤン・ウェンリー討伐に反対していたのは、先ほどロイエンタールがまくしたてたような事態を懸念してのことである。これは不要な戦いなのだ。ヤン・ウェンリーなどにかまわずイゼルローン回廊を封鎖してしまえば、エル・ファシル独立政府は銀河規模で孤立し、いずれやせ衰えて自滅する。だがそうしなかったために、ヤン・ウェンリーに敗れて天上ヴァルハラの住民となった帝国の名将が、ふたりも増えた。くわえて、戦死した兵士の流血と、その数倍の遺族の涙とをあわせれば、いくらの損失になるか。
 ロイエンタールの毒舌には相当の悪意がふくまれていたかもしれないが、単なる誹謗でもなかった。いまやミッターマイヤーは、本来持っていた自分の意見を変え、もとより敵わぬとみとめている親友にむかって、ヤンを討つ意義を説く事態に追いこまれている。
「陛下に異を奏上する時期はすぎた。いま疑心暗鬼を生じさせることこそ、無益ではないか。とにかく、眼前の敵を討つことだ。それで流血は止む。全銀河に平和がもたらされ、すべてが終わる」
 その場しのぎの弁であることは、ミッターマイヤー自身がもっとも承知している。目についた材料で反論を組み立ててみたものの、ロイエンタールが皇帝にいだく不信そのものを払拭することはできない。その上、血に渇いたところのあるロイエンタールに、忠誠心を喚起させようと「平和」をもちいるなど、愚の骨頂もいいところだった。
 案の定と言うべきか、ロイエンタールは左の隻眼をほそめると、痛いところをついてきた。
「平和か。ミッターマイヤー、卿は平和のために戦っているのか」
「そうだ」
 断定するミッターマイヤーの声は明瞭だったが、彼の意志力による作為のゆらぎがあった。ミッターマイヤーは軍人として、最初からそうした大層な目標をかかげていたわけではない。だが、ラインハルトのもとで高みを追求しつづけた結果、自然と立場や責任や大義がついてきた。戦いをなくすために戦うとは、ひとつの矛盾である。しかしその矛盾を軸として、ミッターマイヤーはラインハルトの覇業をささえ、戦いに専念してきた。
 ミッターマイヤーの主張は間違っていないはずである。だが、ロイエンタールの眼光に射抜かれると、彼の舌の動きはぎこちなくなった。ミッターマイヤーがあえて思考をすすめなかった迷妄が、首をもたげてしまう。頭が重くなり、手に汗がにじむ。
 ロイエンタールはため息をついた。この男は、平穏も充溢も安息もろくに経験したことがないくせに、平和の無為に倦みきった表情をしていた。
「平和の時代がくる。その後どうなる? 卿は軍人でありたいと望んできた。では、もはや戦いそのものがなくなった後も、単なる軍人でいられると思うのか。すべてが終わった後、卿は戦いに飢えないとでもいうのか」
「人の側が時代にあわせて、変わらざるをえない。変わるべきだ。そうだろう?」
 苦いものを飲んだように、ミッターマイヤーは濃い眉をひそめ、同意をもとめた。肩書きばかりの軍人になるのは、まだ若く気力と活力にとんだミッターマイヤーにとって、諸手を挙げて歓迎する未来とは言いがたい。だが、己の智力を駆使して敵を屠ることに快楽をおぼえる、救われがたい人間が、これまでその楽しみを味わいつくしてきたのが異常だったのだ。宇宙は流血によって洗いながされる必要があったが、ひとたび詰まりがなくなったのなら、つぎに必要なのは休息である。それでも、治安維持を目的とした軍隊は残るだろう。そこでのあらたな仕事が、彼らを待っているはずだった。
 親友を一方的にやりこめていたロイエンタールに、このとき、これまでと異なる翳りが差した。非のない親友を詰問していたことを省みた彼は、謝罪の代わりに自嘲した。
「いつにもまして埒もないことを言ってしまった。だが、わかってくれ。おれの発言が毒気と冷酷さに満ちているとすれば、それは半分以上、自分にむけてのものだ。無益な戦いをしたいのは、おれなのだ。卿はおれを皇帝たる器だと言ってくれたが、おれは陛下には敵わぬだろうし、あの御方のような独創性もない。それでも……
 ロイエンタールは遠く、存在しないどこかを見た。そのときあらわれた透明な壁はミッターマイヤーをはじきだし、壁を隔てた双方に孤独が生じた。孤独はミッターマイヤーの心に、耐えがたく沁みとおった。
 ミッターマイヤーは、ロイエンタールには間違いなく、皇帝たる資格があると信じている。ただ、彼の頭の中にのみ存在する皇帝としてのロイエンタールの姿は、乱世の梟雄を自認する男の想像とは、趣がことなる。ロイエンタールには、いつかきっと、彼の才能が必要とされる時が巡ってくるはずであった。キルヒアイスが亡くなった直後の混乱の中で、彼が傷心のラインハルトに代わって指揮をとったときのように。視野の広い彼は、いつか起こる緊急事態にそなえて周到に配慮し、対処することのできる、守成向きの人間なのではないか。なお、のちにヤン・ウェンリーの後継者ユリアン・ミンツが、オスカー・フォン・ロイエンタールの人物像とその能力適性についての考察を、自身の回顧録に記す。ミッターマイヤーがその記述を読むことはなかったが、もし読んでいれば、その識見に感謝していただろう。
 だがいま、適性や時期といった何をさしおいても、ロイエンタールは戦いを欲していた。なぜなら隻眼のロイエンタールは、実力によって自分の生を他人に認めさせてきた男であり、敗北をすなわち死とみなしていたからである。彼はマルアデッタ星域会戦で、ラインハルトの無意識の態度から、生の否定にも等しい宣告をうけた。ラインハルトからの無関心から汲みとった敗北を、ロイエンタールは現実の戦いの中でたしかめ、己の生命と連動させなければならなかった。
 三○年以上の年月をかけて形成されたロイエンタールの剣の生き方にたいして、ミッターマイヤーにはなすすべがない。その生き様は軽々に否定すべきではなかったし、できないとも思う。もし、ロイエンタールがこれまで送ってきた人生以上の時間をかけて、辛抱づよく手を入れれば、矯正——変化するのだろうか。いや、たとえ可塑性があろうと、ロイエンタールは己を撓めることを望まないだろう。
「戦いだけが、人生ではあるまい」
 ミッターマイヤーの言葉には力がなく、あっという間に宙に溶けさった。別の選択肢を提示したものの、ミッターマイヤーの胸の中では、不安が決壊していた。ロイエンタールが、自分の手をすりぬけていく実感があった。自分の戦死の誤報は、あくまできっかけにすぎない。不敬罪になりかねない話を臆することなく口にするのは、もはやこの男のほころびが、現実になろうとしているからではないか。
 ミッターマイヤーはいささか傲慢な後悔にとらわれた。自分だけが、戦い以外の人生があることを、この男に教えてやれたはずだった。だが、もしかすると自分は、つまらないプライドの代償でその機会を逃し、結果として目の前の男を永久に失おうとしているのではなかろうか。

 「卿とちがって、おれは戦場のみを人生の舞台としているのでな」という皮肉をひらめいたロイエンタールであるが、これ以上親友に迷惑をかけるのも筋違いだとわかっていた。彼はしばらく瞼を閉じて、ささくれた気分を振りはらおうと努力した。
 視界に暗闇がおりた数秒後、ロイエンタールの鼻先を何かがかすめた。くすぐったさに思わず目を開けると、体と体が触れあう寸前の距離に、ミッターマイヤーがいた。鼻をそっとなぜていったのは、おさまりの悪い蜂蜜色の髪の毛だった。
 現況を理解したとたん、ロイエンタールの呼吸が止まり、音もなく全身が硬直した。これまで濫用してきた、眼帯をとってくれだの、右目が痛いだのといった下手な建前が、それなりに心の準備に役立っていたことを、彼は身をもって知った。手を出すのはいつでもロイエンタールのほうであり、ミッターマイヤー自らこれほど無防備に、無意味に、至近に寄ってくるなど、前代未聞である。
 体はぶつかっていないが、軍服の表面は擦れていた。近すぎて、表情が見えない。
「ミッターマイヤー……?」
 名前を呼ぶ声に、微量な波がかかる。ミッターマイヤーはさらに一歩踏みだして、ロイエンタールにぶつかった。
 その衝撃は、物理的にはごく小さなものだった。だがロイエンタールにとっては、魂をじかにノックされたにも等しかった。めまいがした。心臓を、頭を、体を、完全に支配されていた。これほど自分を狼狽させる人間は、ミッターマイヤー以外に存在しない。
 なぜ今、このタイミングなのか、ロイエンタールにはまったく理解不能である。だが、あさく呼吸をすれば、あまったるい色の髪から友人のにおいがして、これはだめだと参ってしまった。
 何かの間違いなら逃げてくれ、という意味をこめたのろさで、ロイエンタールは腕を伸ばした。やさしさゆえではなく、ミッターマイヤーに意志を問うているのだった。
 おかしくなるほどじれったい動きだった。長くともせいぜい一○数秒だったが、ふたりにとっては気の遠くなるような時間だった。ついに、ロイエンタールの両手が、ミッターマイヤーの背後で出会った。その輪のなかに、ミッターマイヤーはとどまった。
 隻眼の男は暴走しそうな歓喜をなだめつつ、最愛の男を自分の腕のなかに閉じこめた。みっともないことに、心臓の早鐘が指の末端にいたるまで響いていたが、ミッターマイヤーも同様だったので、互いにこわばっていた体がほぐれた。重なった胸の鼓動が和して、ひとつの肉体を共有するかのごとき、心地よい錯覚にとらわれる。
 ロイエンタールはミッターマイヤーの全身を撫でまわし、親友の存在を堪能した。自己満足のそれは、やがて相手を高ぶらせるための愛撫へとうつろう。ふたつの触り方について、その差異をことばで説明することはできないが、それを受けるミッターマイヤーには変化がわかった。ロイエンタールのわき腹あたりに添えられていた彼の手は、いつしか背中にまわり、しまいにはきつく巻きついていた。息があがる。ふたりの太ももが、ひかえめに擦りあわされる。
 だが、ミッターマイヤーに口づけようとしたとき、隻眼の男はひかえめな拒絶にあった。わずかに顔がそむけられたのだった。
「ミッターマイヤー」
 そえていた手を頬におしつけると、掌が頬骨のかたちにそった。白い肌の下にながれる熱い血潮が、興奮でざわめいている。
 困り眉のミッターマイヤーが、ちいさくつぶやいた。
「だめだ……
「ねだっているようにしか、聞こえんな……
 見抜かれている。そう思ったとき、ミッターマイヤーは腰が砕けそうになった。その腰が、すでに密着しているにもかかわらず、さらに引きよせられ、ロイエンタールの指が荒々しく食いこんだ。
 禁止の言葉も、ミッターマイヤーの本心だった。だが、えてして禁制は、強烈な欲望と結びついている。この場においてそれは建前であると同時に、跳躍のための後退であった。
 この刹那、ミッターマイヤーはほかの何よりも、ロイエンタールのキスだけを求めていた。滅茶苦茶に口を吸われ、不安で形が保てなくなった体をどうにかしてほしかった。この男のせいでこうなってしまったのだから、彼にどうにかしてもらわなければ、立ち直れないのは当然であった。
 ふいに、ミッターマイヤーの目が熱くなる。自分をよばう声、前髪をはらっていく指先、一途で雄弁な青い瞳。このオスカー・フォン・ロイエンタールという存在が、彼をすこしずつ狂わせる。
「ミッターマイヤー」
 名を呼ばれた男は、おおきく身震いをした。秘めてきた情念がにじんで、グレーの虹彩が渾沌とした。
 卑怯なことをしている自覚があった。ミッターマイヤーは結婚の契約に縛られ、親友の情にこたえることができない。だから彼は、ロイエンタールが迫ってくるのを待って、されるがままになろうとしている。そんなことが言い訳になるはずもなかったが、そうすることでしか、ミッターマイヤーは己のまっすぐな心に折りあいをつけることができない。
 はやく自分を奪ってくれと、ミッターマイヤーは願った。妻からではない。それは、たとえロイエンタールであろうとできない。彼女との結婚が、とうとう親友への想いを始末しえなかったように。
 彼はただ、善悪や道徳の此岸から、すべてを超越した場所へ、連れさられたかった。ミッターマイヤーはその国がどこにあるのか知らないが、ロイエンタールは知っているだろう。どこかの岸辺を漕ぎだすのか、どこかの門をくぐって階段をおりていくのか、どんな道がそこに通じているかは知らないけれども、その険しいに違いない道のりを、ミッターマイヤーはロイエンタールとふたりで歩みたいと思ったのだ。
 ロイエンタールはすべてわかっている。罪と不義理、この二つをかぶる程度のことがなんだというのか、この男に口づけることをゆるされるならば。地上の道徳や社会通念なるものは所詮、ロイエンタールの行動基準としては、ミッターマイヤーよりもはるか下に位置するのだ。彼の恋はいまや節度ある愛を逸脱して、手に入らないもの、失ったものを渇望し、光さえも逃さぬ奈落と化している。
 彼はもう、後悔などごめんだった。この男を離してなるものか。そして今度こそ、自分たちふたりの本懐をとげる。
 そのときだった。
「ミッターマイヤー元帥、どちらにいらっしゃいますか!」
 シャトルが出発できず困った部下が、上官を探して声を張りあげながら、すぐそこの廊下にやってきたのだった。
 その声で、一気に現実へと引き戻された。酔いがさめたふたりの体が硬直する。それでもロイエンタールは、腕のなかの親友を逃すまいとしたが、ミッターマイヤーは腕力で拘束を脱した。二、三歩あとずさると、数秒間、両手で顔をおおった。
 手が退けられると、戦場の艦隊指揮官の顔があらわれた。
「おれは行かねばならん。最後の戦いがあるからな」
……
……またな、ロイエンタール」
 返事をすることはおろか、うなずくこともできぬまま、隻眼の男は立ちさる背中を見送った。



 ヤン・ウェンリーが死んだ。ラインハルトに負けたのではない。暗殺されたのだ。
 帝国軍の攻勢をくじいたのは、ヤンではなく、ラインハルトであった。圧倒的物量差による波状攻撃は、有限の艦隊、有限の集中力、有限の体力しかもたぬヤンと彼の軍勢を、いつかは削り尽くすはずだった。しかし五月一六日、即位以来、間歇的にラインハルトを苛んできた発熱が、戦場で彼を病臥せしめた。統帥本部総長ロイエンタール、宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤー、幕僚総監ヒルデガルドの三名の協議の末、ひとまず帝国軍は回廊から撤退し、その後目覚めたラインハルトはヤン・ウェンリーに会見を申しこんだ。ラインハルトの夢に、亡くなったジークフリード・キルヒアイスが諫めにきたことを、ヒルダだけが知っている。
 会見と再戦双方の準備をすすめるあいだ、ロイエンタールは無言だった。ミッターマイヤーは、戦死したファーレンハイト、シュタインメッツ両提督麾下の復讐心の抑制も兼ねて、艦隊を再編した。オーベルシュタインはフェザーンからヤン暗殺案を提示して、顰蹙を買った。もちろん軍務尚書の案は採用されなかった。にもかかわらず、ヤン・ウェンリーは暗殺されたのである。完成形としての銀河帝国を、横からかすめとらんとする陰謀家たちの手によって。

 口づけを逃したあの日からちょうど一ヶ月後の六月八日、ロイエンタールは久々に、ミッターマイヤーのもとを訪ねた。
 旗艦「人狼ベイオウルフ」の司令官室に招かれた男は、扉が閉ざされるなり、彼の最愛を抱きすくめた。その体のこわばりにあらわれた拒絶ごと。
「ミッターマイヤー、もういいだろう。おれをゆるしてくれ。何に代えても、お前が欲しいのだ……
 ロイエンタールは蜂蜜色のおさまりの悪い髪の毛のなかに顔を埋め、切なげに鼻先と頬をりよせた。抱きしめる腕にまた一段と力がこもったのは、拒絶の言葉を恐れていたからか。
 こうなることを予測していなければ、ミッターマイヤーはきっと、この男にあらがえなかっただろう。彼はロイエンタールと別れたあと、冷静さをとりもどした頭で、己のとる行動をあらかじめ決断していた。
「おれには、エヴァンゼリンがいる。妻のもとに、帰らなければならない」
 遠回しなその返答に、ロイエンタールは脳が煮えたつほどの瞬間的な憤怒を感じた。彼はミッターマイヤーを腕のなかに拘束したまま、友がまとう軍服の黒い布地を、掻きむしるように握りしめた。あの女! あのクリーム色の髪の女が、また邪魔をする!
 ロイエンタールはその憎悪を一切洩らさなかった。悪手だったからである。
「おれは既婚者には手を出さぬ主義なのだがな、すまんが、お前だけは別だ。悪人になりはてようが、間男になりはてようが、かまうものか。おれを恨めよ、ミッターマイヤー」
「そうしておれは、お前に手篭めにされた被害者になりさがるというわけか」
 冷たい指摘は、ロイエンタールの急所を完全に刺しつらぬいた。隻眼の男はいつかと同じように青ざめて、体を離した。
 ほどけていく腕と、みひらかれ自分を凝視する隻眼と、悲愴そのものの顔に、呼吸が苦しくなるほどミッターマイヤーの胸は痛んだ。ロイエンタールの気遣いを、仇で報いるような真似をした罪悪感で、首が絞まりそうだった。押さえつけた恋情も、胸郭のなかで暴れている。悪かった、おれのほうこそゆるしてくれと謝って、なりふりかまわず、いますぐこの愛しい男を抱きしめてやりたい——そんな衝動に駆られるが、彼は苦心して、その場に踏みとどまった。
 ふたりの心に、雨が降っていた。全身全霊で恋をする彼らは、みじめに濡れそぼっていた。
 その後、彼らが飲んだ黒ビールは、苦い結末を象徴するかのごとく、ふたりの胃の腑に重く居座った。ヤン・ウェンリーを喪ったことで、エル・ファシル独立革命政府はおのずと解散した。今後の帝国軍の方針について、ふたりともイゼルローン要塞再侵攻の立場をとっている。ヤンがいなくなったことで、イゼルローン要塞攻略は格段に容易となり、十分採算が取れる戦略へと転じたからだ。けれどもミッターマイヤーは、皇帝は喪中のイゼルローン軍から手を引くだろう、と言い、事実そのとおりとなった。ラインハルトはヤンなきイゼルローンにたいし、興味を喪失してしまったのである。こうして、ヤン・ウェンリー討伐遠征は敵味方の誰にとっても不満足な結末をむかえ、ロイエンタールは新領土ノイエ・ラント総督として旧同盟首都ハイネセンへ、ミッターマイヤーは宇宙艦隊司令長官として帝都フェザーンへ、それぞれの任地に赴くこととなった。
 はじまりの気まずさを払拭しえず、ふたりは立ちあがって、ぎこちなく別れの握手をした。これからは自分たちを五〇〇〇光年の距離が隔て、いままでのような頻度では逢えなくなるとわかっていた。が、如何ともし難かった。
 傷口から行き場のない愛が流れでて、その場にあふれていた。ロイエンタールもミッターマイヤーも、まだ目の前にいるはずの互いの存在が、すでにはるか遠くへと去ってしまったように感じられた。
 それが、彼らの今生の別れであった。