lolo
2025-11-28 10:06:52
28335文字
Public お話
 

呱泣

死出

はじめて会ったとき、転弧はひとりぼっちだった。
公園をかけまわって遊ぶ子どもたちの輪から外れ、隅のほうでボールを転がすちいさな背中。
そばに近づくと、転弧はひと目で俺が「ヒトでない」ことに気づいたようだった。
けれどすぐ興味をなくしたようにうつむき、公衆トイレの壁に向かって軽くボールを蹴る。はね返ってくるボールを足で止め、それからまた蹴った。
なにがおもしろいのかわからないその遊びを、転弧は延々くりかえした。
日が傾き、遊んでいた子どもたちがみんな帰ってしまってからやっと、転弧はボールを蹴るのをやめた。
最後に壁に当たったボールがあさっての方向へ飛んでいく。
追いかけようとふりむいた転弧の足下に、俺はちょっと風を起こしてボールを運んでやった。
まんまるくなった目が俺を見る。
……ありがとう」
か細い声だったが、その言葉はひどくやわらかくひびいた。
ボールをかかえた転弧はそのまま公園を出ようとしたが、なにを思ったか足を止め、こちらへ駆けよってきた。
「あのね。帰るおうちがないなら……いっしょに僕んちへ来る?」
俺はおどろき、目のまえの子どもを凝視した。
「視える」やつからそんなことを言われたのははじめてだったからだ。笑顔を向けられたのも、手を差しだされたのも。
俺は転弧と行くことにした。
転弧は自分に、人ならざるものを視ることができる力があると自覚していた。
「ずっとうちにいても大丈夫だよ。どうせお父さんやお母さんにはみえないもん。だから、叱られっこない」
声をひそめてそう話す転弧は楽しげだった。
そうして転弧の住む家が、俺の家になった。

「名前はなんていうの?」
――弔。
「とむら?」
――名前かどうか知らない。それだけしかおぼえてないんだ。俺は、俺がいつからこんなふうなのかもわからない。
「ふぅん、そっか」
――転弧。おまえは俺を怖がらないんだな。
「うん。僕、もっとずぅっとちいさいころから、いろいろみえたし……。それに弔はボール取ってくれたり、優しいもん」

転弧は七歳で、家族は父と母、それに姉がひとりいた。
家では犬を飼っていて、名前はモンちゃんといった。
「モンちゃんはねぇ、僕のともだちなんだよ」
やわらかな茶色の毛並みに頬をよせ、転弧はうれしそうに言う。
ともだち、とつぶやくと転弧の目がじいっと俺を見あげる。
「弔はともだち、いた?」
――さあ。なにもおぼえてないって言ったろ。
「僕と弔もともだちになれるかなぁ」
――俺みたいなのとともだちになりたいのか?変わってるな、おまえ。
……変だって、よくいわれる」
急に元気がなくなった転弧を気づかうように、モンちゃんが鼻先をよせる。
転弧はどうやら小学校のクラスになじめずにいるようだった。
常人には視えないものを視てしまう転弧は、力を自覚しているがゆえに極力目立たないよう、おとなしく過ごしている。
けれど転弧の力は年々強くなっており、その力に引きよせられ数多の霊があつまるようになった。
そのなかにはちょっと見ただけでは生者と区別のつかないモノもいて、これが厄介だった。
「ときどき踏切に飛びこもうとしたり車にひかれそうになるひとがいて、おもわず叫んじゃうんだ、あぶないって。だけどいっしょにいる子たちはみんなきょとんとしてる。そこでやっと気づくんだ。ああ、いまのもそうだったのかって」
おなじような出来事が重なってクラスメイトたちはしだいに転弧を気味悪がるようになり、転弧は孤立してしまった。
「僕、そんなにおかしいのかな」
転弧は言う。両目からぽろぽろと涙があふれて落ちる。
俺はなんとなくその頬をなでた。モンちゃんも反対側の頬に流れる涙を一生懸命に舐めとっている。
グズグズ泣いていた転弧は、しばらくしてようやくふやけた泣き笑いになった。
……やっぱり弔は優しいね」

日が暮れて夜がきて朝になって、毎日転弧は学校へ行く。
時にはテストでいい点を取ったと喜び、またある日は給食のデザートがおいしかったとにこにこしながら帰ってくる。
そうかと思えば体育の授業で転んでしまったと意気消沈したり、かさを忘れてびしょぬれになったとどんよりしている日もあった。
「モンちゃんとお散歩行くんだ。弔もいっしょに行こ」
すっかり転弧の「ともだち」の枠におさまったらしい俺は、もう何度もたどった散歩コースを歩く。
モンちゃんのリードを引きながら転弧はしきりと俺に話しかけ、屈託なく笑った。
転弧のいる、ぬるま湯のような毎日は、いつしか俺の日常になっていた。

ある日転弧がぼろぼろのすがたで帰ってきた。
おどろいた母親が理由を聞くと「転んだ」と言葉少なに答える。
しかし明らかにようすがおかしく、俺は自室へひっこんだ転弧を問いただした。
するとしゃくりあげながら、クラスメイトたちとけんかしたのだと白状した。
「弔とモンちゃんとお散歩に行った日……クラスの子が、たまたま僕たちのこと見かけたんだって。弔に話しかけてた僕を見て、“幽霊と話してた”ってその子がクラス中に言いふらしたんだ」
嘲笑と忌避と嫌悪と。
自身に向けられたそれらを、転弧は下を向きけんめいにやり過ごした。
ところがいつもなら教室内でおさまっているはずが、その日は数人のクラスメイトがしつこくつきまとい、転弧の下校時にもついてきたという。
――なあ、幽霊となに話してたんだよ、教えろよ。
――バカ、幽霊なんかまじでいるわけねぇじゃん。コイツがいる「ふり」してるだけだって。みんなだまされてんだよ転弧に。
――なにそれ、最悪。うそつきじゃん。
――ほんとにいるんなら、つれてきて見せてほしいよな。どうせ無理だろうけど。
「弔のこと……僕が弔とともだちだってことも、うそっていわれたみたいで、くやしくて」
転弧はこぶしを振り上げそいつらに向かっていった。
しかし数人相手にかなうはずもなく、突き飛ばされて蹴飛ばされ、傷心のまま帰るしかなかった。
すべてを吐きだし終えた転弧は、布団にくるまりずっと泣いていた。
次の日は腹が痛いと学校を休み、その次の日もベッドから出てこなかった。
両親も姉も心配して部屋に来たが、転弧は彼らになにも話さなかった。
モンちゃんとも遊ばずあまり飯も食わず、笑わない転弧。そんなすがたを見ているのは俺にとっても耐えがたかった。
だから俺は転弧にある提案をしたのだ。
――なぁ転弧。明日は学校に行こうぜ。
「え……でも」
渋る転弧に俺は言う。
――行きたくないんだろ、わかってるさ。だから代わりに俺が行く。おまえはただ、俺に体を貸せばいいんだ。
「弔に体を貸す……?」
不思議そうにしていた転弧だったが、俺が何度か説得するとわかったと頷いた。
正直自分でもそんなことができるかわからなかったが、その夜眠る転弧の体へ侵入を試みるとあっけないほどうまくいった。
翌日、俺は転弧の体で小学校へと向かった。
ホームルーム前のざわついた教室にはいると四方八方から視線が飛んでくる。固まって話をしていた数人のクラスメイトが、にやにやしながらこちらへやってきた。
――急に学校休むから心配しちゃったじゃん。転弧のやつ、ついに“幽霊”に呪い殺されたんじゃってみんなで噂してたんだよ。
一人のやつがそう言って、周りがいっせいに笑う。
そうか、こいつらが。俺は静かにポケットへ手を入れた。
まだ笑いやまない目のまえのガキが再度口をひらく。
しかしその口がなにか発するよりはやく、俺は右手に持った刃物でそいつを切りつけていた。

教室のあちこちで悲鳴があがる。生ぬるい血しぶきがあたりに飛び散った。パニックになった生徒たちは泣き叫びながら、いすや机を倒して逃げまどう。
足がもつれて転んだらしい生徒が一人、近くでうずくまっていた。泣きじゃくりながら逃げようとしているが、恐怖で立ち上がれもしないらしい。
俺はそちらへ足を向けた。
うずくまってた生徒がふりかえる。おびえきった目に俺の――転弧のすがたが映っている。
右手を振り上げた瞬間、転弧の絶叫が脳内にひびきわたった。
「だめ!!弔、やめて!!」
その声に手を止める。
目をさました転弧は教室の惨状を内から見ていたらしかった。聞いたこともないほどの激しい感情を宿した声で、転弧は俺に向かって叫んだ。
「こんなの、僕は望んでない!もうやめて、僕の体から出てってよ!こんな……っ、こんなことする弔なんて、ともだちじゃない!!」
右手に握りしめた刃物が、床に落ちて音を立てた。
心臓がするどく痛んだけれど、それが転弧の痛みか俺が感じたものなのかわからなかった。

この出来事はメディアで大きく報じられ、家には昼夜を問わずマスコミが殺到した。
死人こそ出なかったものの、俺はクラスの半数ほどの生徒たちを切りつけ、そのうち何人かは重傷だったらしい。
しばらく経ってマスコミがあまりうろつかなくなっても、となり近所から向けられる目は厳しかった。
事件をきっかけに転弧だけでなく転弧の姉も、学校へは通えなくなった。
父親は事件が原因で会社を辞めることになり、母親は買い物へ行くことすらままならないほど、外へ出るのを恐れるようになった。
もはやこの町は、転弧たち一家が安心して暮らせる場所ではなくなってしまった。
そして次の春が訪れる前に一家はひっそりと町を出ていった。
転弧はあの事件以来、俺と話すことはなかった。
弱虫の転弧が教室で暴れたら、ちょっかいかけてくるやつなんていなくなると思ったんだ。
それに転弧は痛い思いをしたのに、転弧を傷つけたやつらはへらへら笑ってるなんて不平等じゃないか。
転弧には俺とモンちゃんがいる。だからほかのともだちなんて必要ない、そうだろう。
だけど俺はまちがえたみたいだ。
どれだけ待っても転弧はもどってこなかった。



痛くて苦しくてどうにもならない夜があった。
痛みを感じる体もこころもとうに失われてるはずなのに、それでも辛くてたまらない。
俺はのたうち回り、絶叫して暴れた。
この痛みを消すすべを必死で探り、そして転弧のことを思いだす。やわらかな頬を流れる涙を。
庭で転んだとき、父親から叱られたとき、姉と動物ものの映画を見ていたとき、クラスメイトにうそつきよばわりされたときも。
痛いと言い、きらいと言い、悲しいと言い、くやしいと言って泣いていた。
なら俺も、泣いたら楽になるんじゃないか。
名案だと思いさっそく泣こうと試みた。が、どうがんばってもちっとも泣けやしない。
泣きかたなんて知らないから当然だった。
そこで俺は鏡のまえに立ち、転弧の体を借りたときのことを思いだしながら、頭からつま先まで転弧のすがたをそっくり真似てみた。
のぞきこんだ鏡のなかには無表情な転弧が現れる。
俺は記憶をたどりつつ眉を八の字にし唇をかみ、ぎゅうっと顔をしかめた。
試行錯誤したすえに、ようやく透明な雫がひと粒こぼれ落ちる。いままでの苦労がうそのように、涙はあとからあとからあふれ出た。
俺は床に座りこみ、転弧の声で泣いた。
涙を流すとすこし痛みが和らぐ気がした。それに気分もいくぶんかましになる。
それからというもの俺は夜ごと転弧のすがたを借り、泣いては痛みをまぎらわしていた。

ある日家に訪問者がやってきた。
携帯端末をライト代わりにかざした、若い女だった。
「泣き声が聞こえたから心配で見に来たの。……ここ、いまは空き家になってるって聞いてたから。君、ひとり?どうして泣いてるの。お父さんやお母さんは?」
どうやら女には転弧のすがたを借りた俺が視え、声も聞こえるようだった。
黙って首を横にふると女は眉をよせつぶやく。
「どうしよう……警察とか呼んだほうがいいかな」
立ちつくしたまま考えこんでいる女に、俺は転弧の声で「ここにいて」とねだった。
からっぽの家はひどく寒々しく、いやに広く感じられる。
この家には命がないからだ。
内に温もりがなくなれば、家は家でなくなるのだ。
そう悟った俺はここにだれかを呼びたいと思うようになっていた。
ふつうの人間ではだめだ。俺の存在を認識して、声が聞こえる人間でなければ。
だれかがこの家にいてくれるならまた、転弧と過ごしていたときのような日常がもどってくるかもしれない。
「僕、どこにも行きたくない。ここでいっしょにいて」
女は迷っていたようだったが、頑として動かない俺を見て最後には頷いた。
けれどひと晩そばにいた女は、翌朝になると俺を家から連れ出そうとした。
「いっしょにおまわりさんのところへ行こう。きっとお父さんやお母さんを探してくれるから」
警察へ行ったって頭のおかしい女だと思われるだけだというのに。
転弧のすがたでいたために女は俺を生きてる人間だと思いこんでいた。
「どこにも行かない。僕の家はここだもん」
女の申し出を拒むと「そんな」と声をとがらせる。
「ここにはもうだれも住んでないでしょう?ねぇ、私も仕事に行かなきゃいけないの。はやく……
「ここにいてくれないの?」
女は苛立ったようにため息を吐いた。
「こんなとこにずっといられるわけないでしょ。そんなにここを離れたくないなら、やっぱり警察に連絡して来てもらうわ」
女はそう言うとこちらへ背を向けた。
バッグから端末を取りだし操作をはじめる。
じくじくとまた痛みがぶりかえす。
「いっしょにいて」と言ったら頷いたくせに。
この女も俺を置いていくのだ。
そう思ったらなにもわからなくなって、気づいたら目のまえに変わり果てたすがたの女が倒れていた。

何度も何度もくりかえす。
子どもの泣き声に呼ばれ、だれかが家にやってくる。
俺はそいつらにここにいてくれるよう望んで、だけどだれもずっといっしょにいてはくれない。
俺がみんな壊してしまうから、家はいつまで経っても暗いままだ。
ほんのつかの間忘れられてもまたすぐに痛いから、俺は転弧の声で泣く。

そうしてどれだけ経っただろう。
ある日出久が俺のまえに現れた。