lolo
2025-11-28 10:06:52
28335文字
Public お話
 

呱泣

死出

宵の口、盛りをむかえた金木犀が酩酊するほど濃く匂う。
夕日の残光をあつめて淡くひかるような花の色が遠目にもあざやかだ。
行く手にたたずむ人影に気づき、轟燈矢はかすかに眉をひそめた。
知り合いでない人間になどろくに関心も向けない燈矢だが、彼のことはあまり何度も見かけるので自然と見おぼえてしまった。
深緑の髪に緑の目。頬にはそばかすのういた、まだ学生らしき青年。
ここ数カ月のあいだ、燈矢はよくこの道で彼を見かけていた。
青年は日暮れたあとの暗い道にぼんやりとたたずんでいる。燈矢はその視線の先を追い、やはりと浅く息を吐いた。
青年が見ているのは一軒の家だ。
彼がその家に通いつめていることを燈矢は知っていた。
「なあ、アンタ」
ゆったりとした歩調で燈矢は青年に近づく。
青年の肩がぴくりとゆれた。
燈矢の声に気づいたのか、緩慢な動作で顔を向ける。
――こっちを見た。
しずかな高揚が胸にわき起こる。
燈矢はもう一歩歩みよりながら言葉をつづけた。
「その家に用事か」
「え……
「何ヶ月か前からよくここへ来てるだろ」
燈矢の言葉に青年は目をみはり、それからあからさまに焦った表情になる。
「か、勝手に空き家に入るのが良くないことだとはわかってるんだ。でもあの、このお家になにか悪さしようとか、そういうんじゃなくって……み、見のがして、もらえないかな……
「別に、咎めるつもりで声かけたんじゃねぇよ」
燈矢が言うと青年はほっと胸をなでおろした。
それから再び家のほうへ顔を向け、すうっと息を吸いこむ。
その家の庭先には大きな金木犀の木があった。
こんぺいとうのようなオレンジの花を無数につけたその木が放つ香りは、夜のなかでますます強く感じられる。
燈矢はもの憂いようすでその木を見あげた。
一陣の風が枝葉をゆらし、芳香をかき散らす。
「去年の秋、この家で死体が見つかった」
平坦な声に青年がふりかえる。
緑の瞳が夜のなかでちかりと光った。
「一度だけじゃない、それより以前にも。空き家になったあと、ここでは何人もの遺体が発見されてる」
燈矢は淡々とつづけた。
燈矢と青年が立つ、その目のまえには一軒の家がある。
狂おしいばかりの花の香で満ちた、雑草におおわれ荒れた庭。玄関までの通路は草むらに埋もれ、門扉は無理にこじ開けられたようにゆがんでいた。
風雨にさらされ傷んだ、いまはだれも住んでいない廃家は、陰鬱な闇を内にかかえ沈黙している。

燈矢がこの家の存在を知ったのは、地元新聞の片隅に載っていた記事がきっかけだった。
記事の内容はごく短く、「空き家で一人の遺体が見つかった」というようなものだったが、その空き家の場所がとなり町であったことに燈矢は妙な既視感をおぼえた。
後日図書館へおもむき調べてみると、おどろくべきことに三年前の新聞にも、まったくおなじような記事が載っていた。
興味をひかれた燈矢は新聞とインターネットを駆使し、さらにこれまで積極的にかかわってこなかった中学の同級生たち、とくにとなり町から通学している生徒たちに情報収集を試みた。
結果わかったことは、となり町には「呪われた家」と噂され、なかば心霊スポット的なあつかいをされている空き家が存在すること。
もともとその家に住んでいた家族は十年以上前、ある事件をきっかけに引っ越していき、それきりもどってきていないこと。
放置され空き家になったその場所で、不審死が相次いでいること、などであった。
燈矢が調べたかぎりでは、その家からこれまでに四人の遺体が発見されている。彼らの年代や性別に共通点はなく、発見時期もばらばらだ。
ただひとつ言えるのは、ちいさな町の、それも一軒の空き家からこれだけの数の遺体が見つかるというのは、どう考えても異常だということだ。
そんな家がなぜ解体されないまま今日まで存在を許されているのか。それすらも異常性に拍車をかける。
近隣住民もあまり関与したくないのか、空き家についてたずねるとみな一様に口が重くなる。
あの家は人を喰うのだと、声をひそめて言った者もあった。
非現実的な話だが、そう思わざるをえないほどの禍々しさがたしかにこの家にはある。

「このままここへ通いつづけたら、次に死体として見つかるのはアンタだろうな」
燈矢は無遠慮に言葉を投げた。
青年は口を閉ざしたまま立ちつくしている。
燈矢の言葉を咀嚼して、やがてゆっくりと頷いた。
――教えてくれてありがとう。忠告も」
燈矢に向けられた瞳はかすかに痛ましい色を含んでいた。けれどおびえてはいない。
むしろその目には、どこか決然としたものが宿っていた。
「できることをしたいんだ。たとえどんなにちっぽけでも」
青年の言葉に燈矢は先ほど感じた高揚が薄れ、腹の底でかすかな苛立ちがうごめくのを感じる。
……視えるから、聞こえるから特別なんて、そんなわけない。生者が死者にしてやれることなんかないって、わかってンだろ」
苛立ちにまかせて燈矢は言った。
風が金木犀の花を散らす。
門扉がきしみ、耳障りな鳴き声をあげる。
青年はゆるぎない瞳で言った。
「だけど、ひとりはきっとさびしいから」
突然大きな物音がした。
空き家のなかからだ。直後、引きしぼるような細い音が切れ切れに聞こえはじめる。
青年は迷いなくその家の門をくぐった。
青年の足が境界線を踏みこえた瞬間、彼をとりまく空気が変化したのが燈矢にはわかった。
ふと気配を感じ目を転じれば、ひび割れた窓ガラスの向こう、家のなかに立つ影がある。
影は窓にべたりと手のひらを押しつけ、燈矢をじっと見ていた。
ざくろを潰したような真紅の眼。幼い子どものような無邪気なしぐさで、影がひどくゆっくりと首をかたむける。
燈矢は舌打ちをして踵をかえした。
青年に脅すようなことを言ったのは、なにも彼を救おうとしたからではない。
燈矢はただ、羨ましくて妬ましかった。
あの家にひそむモノの呼び声に応え、危険を省みず境界を越えていった青年。
その背に燈矢は父親を重ねた。
強く厳しく、そして不器用な優しさを持った父。
遊んでもらったり、いっしょに出かけた記憶はあまりない。父は仕事に明け暮れ、不在がちだったから。
家族をないがしろにしていると非難されても仕方のないふるまいだったかもしれない。
それでも燈矢は父のことが大好きだった。

不慮の事故で燈矢が死んだのは中学二年生の冬だった。
それから父は毎朝毎晩、燈矢の遺影に手を合わせるようになった。
事故の前日、燈矢は父とある約束をしていた。
交わした約束を守れなかった父は、いまでも後悔と罪悪感にさいなまれている。
伝えそびれた言葉がたくさんある。
約束だってまだ果たされていない。
心残りは数多くあれど、燈矢の望みはただひとつだけだ。
「お父さん」
幼い子どものように甘ったれた声で呼びかける。
お父さん。おとうさん。
何度も何度も必死で呼んだ。
けれど仏壇に向かう父の大きな背中はふりむかない。
どれだけ近くにいても、燈矢の声は決して届くことはないのだ。
たった一度でいい。一度だけ。
ふりむいて「燈矢」と呼んでくれたなら。
叶わない願いに苦しみながら燈矢はさまよう。
そしてあの緑の目の青年に出会った。
彼はどうやら人ならざるものを視ることも、その声を聞くこともできるようだった。
――もしもお父さんに、その力があったら。
意味のないことだと思いつつ、そう考えずにはいられなかった。
……死んじまえ」
燈矢は足下へ吐き捨てた。
死ね、死んじまえと目に映るすべてに呪詛を吐きながら、這うような速度で夜道をすすむ。
羨ましくて妬ましい。
金木犀の香りが背後から追ってくる。
甘い腐臭が目の奥に突きささり、にじむ涙がわずらわしかった。