lolo
2025-11-28 10:06:52
28335文字
Public お話
 

呱泣

死出

夜明けも遠い冬の午前三時。
伊口秀一はしろい息を吐きながら、新聞配達用のバイクを走らせていた。
町はまだ寝静まっている。こんな時刻に暗闇を走っていると、滅亡した世界のたったひとりの生き残りみたいな気分になってくる。
そんな他愛もない空想は、凍える風に頬をたたかれ一瞬で吹き散らされてしまうのだが。
「あー、さみぃ」
愚痴めいた独り言がおもわず口をつく。
伊口がこの仕事をえらんだのは、基本的に単独業務で他人と関わる機会が少なく、またもともと昼夜逆転生活だったこともあり、夜が明けないうちから出勤するのも苦ではなかったからだ。
しかしいくら仕事に慣れても、冬の寒さはやはりこたえる。
あらかた配り終えたらコンビニで温かい飲み物でも買おうと思いながら、伊口は突き当たりを左へ曲がった。

闇にしずむ住宅街にひとけはない。
伊口は両側にならぶ民家へ、いつもどおりの手順で黙々と新聞を届けていく。
十軒目のポストへ投函を終えたところで、伊口ははす向かいに建つ一軒の家をちらりと見やった。
雑草の生い茂る庭、ゆがんだ門扉に割れた窓。
生活の気配が絶えて久しいここは、いわくつきの空き家らしい。
昨年のことだ。伊口が今日とおなじように配達のためこの空き家のまえを通りかかったとき、人声がしてぎょっとした。
見れば若い男が携帯端末を自身に向けてかかげ持ち、しゃべりながら空き家の庭をうろついているところだった。どうやら動画を撮っているようだ。
気になった伊口が帰宅してからネット検索してみると、あの空き家がとある界隈で「呪われた家」と呼ばれているらしいことが判明した。
「十数年前の傷害事件」に端を発し、事件の加害者である少年をふくむ一家が町を出ていったあと、空き家となったあの家ではすでに三人もの遺体が見つかっているそうだ。これは家に巣食う悪霊のしわざだということで、オカルトマニアやおもしろ半分の動画配信者たちがときどき空き家にやってきているようだった。
暇つぶしに見た何本かの動画の、あまりのお粗末さにそれ以上見るのはやめてしまったが、それでも知ってしまったからには空き家の存在が気にかかる。なにしろ伊口の配達ルート上にその家はあるのだ。
「まぁ、だから何だって話だけど」
わざと口に出して言ってみる。
空き家にまつわる諸々の話がすべて真実とはかぎらない。多分に尾ひれがついている可能性だってある。
だいたい、素人が書きたてているネット上の情報にどれほどの信ぴょう性があるものか。
苦笑いしつつ再び仕事にもどろうとした伊口は、ふと耳鳴りを感じた。
不快感に眉をひそめたそのとき、視界の端になにか引っかかるものがあった。
……うぉおお!?」
住宅街にひびきわたるほどの大声をあげた伊口は、危うくバイクごと転倒しそうになりあわてて体勢を立てなおす。
空き家のちょうど門のあたりに、子どもがひとり立っていたのだ。
小学校低学年くらいの黒髪の男の子で、この季節では考えられないほど薄着だった。
あたりはまだ真っ暗だというのに、不思議とその子だけ周囲から際立って見える。
伊口は肌が粟立つのを感じた。
「お、おまえ……
声がふるえてうまく出てこない。
すぐに立ち去らなければと思うのに金縛りにあったように動けなかった。
そんな伊口を子どもはまばたきもせず見つめる。その口がかすかにひらいた。
『きて』
……あ?」
『こっち』
門の向こうから子どもが呼ぶ。
伊口はいよいよ恐慌をきたしそうになった。
行ってはだめだ。呼びかけなど無視して、なにも見なかったふりですぐさまここを去るべきだ。
こころのなかでは臆病な自分がそう叫んでいるのに。
「なんだよ……なんで」
子どもはひどく困ったような目をして、いまにも泣きだしそうに見えた。
その表情を目にした伊口の気持ちはゆらぐ。
短い葛藤のすえバイクを降り、思いきって空き家の門を押しひらいた。
子どもは先に立ち家のなかへ入っていく。伊口もあとにつづいた。
室内は当然のように暗い。
配達のとき使っているライトを点ければ、右手にある部屋へ消えていく子どもの背が見えた。
伊口は部屋のドアを開ける。広々とした空間にソファなどが置かれた、そこはリビングのようだ。
子どものすがたを探して室内を見わたした伊口は、明滅する光に気づいた。
見ればソファの足下に転がったなにかが、何色もの光をちかちかと放っている。それはテーブルのうえに置けるくらいの、ちいさなクリスマスツリーだった。
なぜここでこんなものが光っているのか、薄気味悪さをおぼえた伊口は視線をそらし――床にひとが一人倒れているのを見て、心臓が止まりそうになった。
「うそだろ、おい……!」
いやな予感に冷や汗が噴き出る。
伊口はふるえる足を叱咤してかけ寄ると、倒れた人物にライトを向けた。
若い男だ。年齢は二十歳に届いていないだろう。
そばかすのういた頬を床につけぐったりと目を閉じてはいるが、まだ息をしている。
伊口は彼の肩に手をかけゆさぶった。
「おいあんた!大丈夫か、しっかりしろ!」
必死で呼びかけていると、ようやく細いうめき声があがる。うっすらとまぶたがひらき、緑の目がのぞいた。
「気がついたか、よかった……!」
伊口は心底ほっとする。
「なんでこんなとこで倒れて……いやいいか、いまは。あんた、どっか体の具合が――
手を貸して彼を起きあがらせながら気づく。
青年の体は燃えるように熱い。目もうるんでいるし、荒い呼吸をしていた。
「熱があるな。とりあえず病院……いまの時間開いてるとこ、あるか……?」
携帯端末片手に悩む伊口をぼんやりした目で見ながら、青年は口をひらいた。
「だいじょうぶ、です、ただの風邪だと思うので……。住んでるアパート、この近くだから、もどって寝てれば治ります」
「そ、そうか?……じゃあ、せめてそこまで送る」
また途中で倒れられては後味が悪い。
伊口はおぼつかない足どりの青年につきそって家を出た。
門のところでふりかえってみたが、あの子どものすがたはなかった。

青年の名は緑谷といい、近くに建つアパートでひとり暮らしをしながら大学に通っているという。
高熱でふらふらしながらも歩いているうちにすこし正気づいてきたのか、緑谷は伊口が新聞配達員だと知って申し訳なさそうな顔をした。
「すみません、お仕事中なのに」
「いいよ、あともうちょっとで済む量だし」
「でも……どうしてあの家に僕が倒れてたのがわかったんですか?」
「それは」
伊口は言いよどむ。不思議な子どもに呼ばれたとストレートに説明したものか迷ったのだ。
結局、なんとなくだと適当な言葉でごまかす。
「そっちこそなんであんな場所にいたんだよ?あんたも動画配信者かなんかか?」
伊口の言葉に緑谷はきょとんとした。
それからゆるく首をふる。
「ともだちに会いにいってたんです」
「ともだち?会いに……って、空き家でか?」
「はい」
緑谷は頷く。
からかわれているのかと伊口は思ったが、その目にうそはないように見えた。
「はぁ……
いろいろとつっこみどころはあるが面倒にもなってきて、気の抜けた声をかえした伊口の脳裏に、一瞬あの黒髪の子どものすがたがよぎる。
まさかな、と思いながら伊口は軽く頭をふった。

「送っていただいてありがとうございました」
アパートの部屋のまえで緑谷は頭を下げる。
不安は残るが通りすがりの自分がこれ以上世話を焼くのもなと伊口は思い、労りの言葉だけかけることにした。
「その、お大事に」
「はい。ありがとうございます」
アパートをあとにして、残りの新聞を配るため再びバイクを走らせる。
なんだかふだんの三倍疲れた気分だ。
ぬくい寝床とゲームにかこまれた自身の部屋が急激に恋しく思えてくる。
一刻もはやく帰路につくため、いつも以上のハイペースで仕事をこなしながらふと考えた。
空き家にいたあの子どもは、なんのために自分を呼びよせたのか。
子どもがすがたを消したリビングには緑谷が倒れていた。本人はただの風邪だといっていたが、この冷え込みがきついなか長時間あんな場所で倒れていたら、深刻な事態になっていたであろうことは想像に難くない。
(あの子どもは、あいつを……緑谷をたすけてほしくて俺を呼んだのか)
想像にすぎないが、真実はそう遠くないところにある気がした。