lolo
2025-11-28 10:06:52
28335文字
Public お話
 

呱泣

死出

夜風に清しさの混じりはじめた晩夏のころ、迫圧絋の父親は外出先で倒れ、帰らぬひととなった。
原因は心臓発作だったそうだ。
葬儀を執り行い諸々の手続きを済ませ、やっとひと息ついたところで浮上したのは家の問題である。
迫の母は数年前に他界しており、実家には父親がひとりで住んでいた。
順当にいけばひとり息子である迫が家を継ぐべきなのだろうが、現在の生活拠点や仕事のことを考慮すると、近々に実家へ移り住むのはむずかしい。
かといって空き家のままにしていては問題もあるし、売るにせよ人に貸すにせよ、やはり手間も時間もかかる。
となると取り壊しという選択肢を選ぶのが最善のように思われた。
親戚たちに意見をつのったが、一同からは特に反対も出なかった。
遺品整理も一任されたため、迫は休日を利用しながら実家を片づけていくことにした。



竹垣にかこまれた家の玄関をくぐるとき、迫は無意識の安堵とともに複雑な思いを抱く。
実家には年に一度帰ればいいほうで、多忙にかまけて昨年は結局、盆にも年末年始にも帰らなかった。
最後に父親の顔を見たのはいつだったろう。
生活の跡がまだ色濃く残る室内。
父の使っていた食器や衣類を手にとるたび、苦いような思いがこみ上げる。
「なんにもしてやれなかったなあ」
片づけの手を止め迫がぽつりとこぼしたとき、玄関の呼び鈴が鳴った。
ガラス戸をあけると、深緑色の髪をした青年が立っている。
彼は迫の顔を見てかすかに戸惑いの表情をうかべた。それでも礼儀ただしく頭を下げる。
「とつぜんお邪魔して、すみません」
青年は「緑谷」と名乗り、迫の父親の名を口にした。
なんでも父に借りていた本を返しにきたのだという。
緑谷は近くにある大学に通っており、この近所でひとり暮らしをしているそうだ。入学後にアルバイトをはじめた喫茶店へ、客として来ていたのが迫の父親だった。
「週に一度はかならず店にいらしてたんです。だけど最近はお見かけしなくって、もしかしたらなにかあったのかもって……。まえにご自宅に伺ったことがあったので、お家にいらっしゃるならお会いできるかなと思って来てみたんですが」
緑谷の口調は心もとなく、不安げな目をしていた。
店に顔を出さなくなった父のことを気にかけていたのだろう。
胸は痛んだが、迫は父が亡くなったことを緑谷に伝えた。
訃報を聞いた緑谷はしばらく言葉もないようだった。呆然として沈黙し、それから思いだしたようにゆっくりとまばたく。
そうだったんですね、と辛うじてしぼりだされた声は沈んでいた。
悄然とする緑谷に迫はそっと言葉をかける。
「わざわざ来てもらって手間かけさせたね。本を借りてたっていったけど、緑谷くんはうちの親父と親しかったのかい」
緑谷はこくりと頷いた。
「気さくな方だったから、僕にもよく声をかけてくださったんです。店では本を読まれていることも多くて……僕、大ファンの作家がいるんですけど、迫さんのお父さんもその先生のファンだそうで、意気投合して。それで時々本を貸し借りしたりしてました」
まだ表情に陰はあるものの緑谷の瞳が和らいだのを見てとって、迫も頬をゆるめる。
「そうだったのか。良くしてくれて本当にありがとう。……なんだか息子の俺より、緑谷くんのほうが孝行者だな」
迫は苦笑する。緑谷はゆるく首を振った。
「良くしてもらったのは僕のほうです。それにお父さん、よく息子さんの……あなたのお話をされてました」
「俺の?」
「はい。息子は腕利きのマジシャンなんだって」
緑谷はまっすぐに迫を見て言葉をつづける。
「小学生のころから人前でマジックを披露してたこととか、コンテストで優勝されたお話とか。以前にあなたのショーを観に行ったときのことも話してくれました。会場中みんな笑顔で、すごく良いステージだったって」
息子よりずいぶん年下の子相手に、どんだけ話しまくってんだよ。
内心ではそうつっこむものの、口から言葉はひとつも出てこない。
さまざまな感情が綯い交ぜになり渦を巻き、迫はかすれた声で相づちを打つのが精いっぱいだった。
以前一度だけ、実家のある市内でショーの開催が決まり、父親を招待したことがあった。
その後電話で話したとき、楽しかった、お前は大したもんだと子どものように喜んでいた父の声はいまも迫の耳に残っている。
「マジシャンとしてみんなを笑顔にする迫さんのこと、お父さんは誇らしく思ってらっしゃったんじゃないでしょうか」
真摯に紡がれる言葉がじわりと胸の奥にしみる。
悔恨も寂しさもすぐに消えはしないだろう。けれどいまは緑谷の言葉に、そうだといいなと素直に頷ける。
――ありがとう」
深く頭を下げると恐縮してあわてだす緑谷が可笑しくて、迫は久々に声をあげて笑った。

迫の父から借りていた本を返した緑谷は、来たとき同様ていねいに一礼し、帰っていった。
片づけの合間、迫がその本のページをめくってみると本の中ほどになにかが挟まっているのに気づく。
それは一枚のおりがみで、おそらく犬をかたどったものだった。
「緑谷くんが折ったのかな」
おりがみの犬は顔だけでなく、胴体や耳やしっぽもちゃんとついている。工程が多そうだがなかなかよくできていた。
ほほえましい気持ちでそれを取りあげた迫は、ふと背後に薄ら寒いものを感じふりかえる。
しかし、当然そこにはだれもいない。
迫は軽く肩をすくめると、再び作業にもどった。
時を止めた家にやわらかな午後の陽が満ちる。
夕暮れどき、今日の作業を切り上げた迫は、緑谷が持ってきた父の本を手に実家を出た。
そこから自身の家に帰りつき、食事をして風呂を終えるころにはもう日付が変わる時刻になっている。
持ち帰った父の本を読んでみようかと思っていたのだが、移動と長時間の作業による疲れで、数ページめくったところで迫は早くもまどろんでしまった。
そうして夢を見た。
そこは見おぼえのない部屋で、床に座りこんだ緑谷がおりがみを折っている。
そばには一人の子どもが座って、うれしそうに緑谷の手元を見つめていた。
おりがみの犬はきっとあの子のために折っていたんだなと迫は納得したが、目のまえの光景にどこか違和感をおぼえた。
うまく説明できないが、それは実家にいたときにふと感じた薄ら寒さと似ている気がした。
違和感の正体を探ろうと彼らのほうへ一歩近づいたとき、緑谷のかたわらにいた子どもが顔をあげ、迫を見た。
燃えたつ紅い目に正面から射られた瞬間全身が総毛立ち、迫ははっと目をさます。
かさりと乾いた音がして右手を見れば、なぜかあのおりがみの犬を握っていた。
「なんだ、いまの……
身じろぎもできぬほど強い視線の生々しさが、ただの夢だと一笑に付すことをゆるさなかった。