井見
2025-11-11 18:22:47
43941文字
Public 真Ⅴ・真ⅤⅤ二次
 

【再録】わが身もともに

真V主人公の一番条件があるルートへの道中掌編5本詰め(既出2本改稿、新規3本)、約四万字の再録です。いきなり厩橋から行きます。八雲と物理喧嘩したり口喧嘩したり、アオガミとしんみりしたりします。お手にとっていただきありがとうございました。無印四周年おめでと〜🎉
*無印発売後、VV発表前発行のものです。
あとがき https://privatter.me/page/66dc6af209395


忍びかねつも

 枕元のカレンダーを見た。当たり前だけど、日付は一つしか変わっていない。もう何十日も経っているような気がするが、最後に登校してからまだ数日しか進んでいない。
 ダアトにいるときは、空の上によくわからないものがきらきらと瞬いて、暗くなったり明るくなったりする。二十四時間とは違う時間の流れの中で唯一わかるその周期を、最初の方は数えていたように思う。
「ダアトの満ち欠けが何周あったか、覚えている?」
 僕は起き抜けに、ベッドの側に座っているアオガミに尋ねた。君と出会ってからは何回だ、といった答えを予想していたが、彼の返答は違った。
「すまない。数えていなかった」
 だとか。僕は、そう、とだけ言って、ベッドから体を起こした。
 ベッドの側のカーテンを開け放つ。朝日が差し込む。ダアトの空高くに浮かぶものよりもずっと遠くにある太陽が、今日も当たり前のように光っている。
 朝日を浴びるアオガミなんて珍しい、多分初めて見るような姿を目にして、僕は最初に、疲れているな、と思った。よく眠れなかった日みたいに目元は重い気がしたし、ちらちらと輝く日光はむしろ彼の顔に影を落としているみたいだった。……僕の主観だろうとは思うものの、一度そう感じてしまうと、気のせいだとは捨て切れなくなってしまった。
 思えば数日前、体感ではもっと前、アオガミの手を取ってから、彼の身体で戦い続けているのだ。疲れていて当然だった。しかも僕だけが何度も休息を取っていて、彼はその度休まず、外を警戒している。アオガミも休むべきだと思った。
 だが、休んでと頼んで頷いてくれるなら苦労しない。一応聞いてみても、案の定「必要無い」と却下された。じゃあせめてメンテナンスだけでも、と引くフリをしても、アオガミは頑なに首を振る。アオガミをメンテナンスしてもらっている間、僕は無防備になる。それを心配しているのだろうと思った。合一していない時の僕は、ただの人間だ。その弱さに文句を言っても仕方ないので、僕は大人しく朝ごはんを適当にとり、シャワーを浴びて新しいシャツを着て、外に出る準備を済ませてから、
「僕も休んだんだから、アオガミも少しはそうしてくれないと嫌だ」
 やっぱり僕はもう一度駄々をこねた。アオガミが何と言おうと研究所へ行くと決めた。彼の返答を待たずに部屋を出ると、アオガミは黙って僕の後を追った。
 いつもなら寮からは登校する学生が大量に溢れるが、今朝は誰もいない。おかげで本を取り出す必要もない。品川駅の雑踏の中を避けながら、たまにアオガミを振り返っては、ちゃんと着いて来ているか確かめる。普段の通学路から少し曲がって、木々の生茂る研究所へと歩いた。
 研究所には、今日も同じように研究員たちが忙しなく働いていた。そのうちの一人を引き留めて、アオガミのメンテナンスを頼んでみる。支部の長官は不在の上に、そのベテルに従っているとも言いにくい僕らの状況では、メンテナンスなんて断られるかもしれない、と少し危惧していたが、研究員は快く引き受けてくれた。
 研究員たちの中でも情報のグラデーションがあり、今これからどうなっていくのか、を明確に理解している人は少ない。その上、話しかけた研究員は、そんなことよりも神造魔人の最新データが取れるぞ、と喜ぶようなタイプだった。度々向けられる実験生物めいた扱いは正直言って不快だが、アオガミ自身は特に何とも思っていないようで、「よろしく頼む」と研究員に頷いていた。
 準備が整うまで、部屋の中心のターミナルを眺めて待つ。
 アオガミは不安そうに僕を見下ろすと、
「少しの別れだ。その間、私は君を守れない」
 と心なしか眉尻を下げた。会ったばかりの頃、初めて研究所に来たときは、そんな顔を見せなかったように思う。
「わかっている。研究所からは出ない」
 もはや東京のどこも安全とは言い難いが、研究所の中は一番ましだろう。少なくとも、低級の悪魔なんかは迷い込めないはずだ。できればアオガミの近くでメンテナンスを見てみたかったが、それは色々な問題を挙げられて拒否されていた。アオガミを見送ってから、僕は二階に上がった。
 
   *
 
 暗く静まり返った管制室の、誰も使っていない椅子は選び放題だ。その内の一番綺麗な一つを選ぶ。座り心地はいまいちで、ずっと座っていたら体を痛めそうだ。誰も見ていないし、と椅子を行儀悪く揺らしながら、椅子が床を擦る音に耳を澄ませる。人のいない管制室が、不気味に静かだった。
 壁を埋めるモニターはどれも青く輝いていて、特に目新しくもない情報を垂れ流し続けている。手元のパソコンは当然ロックがかかっているから、パスワードの入力画面しか見られない。キーボードをピアノのように叩いてみてから、すぐにそれにも飽きてしまった。
 こうなるのなら本でも持ってくればよかったが、生憎手ぶらだ。手元のスマホからインターネットでもと思ったところで、目に入るのは東京への恐怖を煽動するような記事ばかりだ。高等部校舎で未曾有の大事故が……という見出しには閉口する。
 仕方がないので、同じ画面を映し続けるモニターを眺めたり、ここから見下ろせるターミナルを眺めたりして、時間を潰すしかない。
 それかどうせ誰もいないことだし、眠ってしまってもいいだろうか。椅子の座面は硬いのに、リクライニング機能が付いている。レバーを引いて椅子を少し傾けながら、もし眠っている間に……と叱るような声で注意をするアオガミが思い浮かんで、僕は椅子を戻した。
 アオガミには悪いが、やっぱり暇だった。ターミナルを行き来する研究員の数を数えるのにも飽きた。みんな白衣にバイザーだから、少し荒い画像で見分けるのにはコツがいる、なんてところまで極めてしまった。靴が意外といいポイントだ。今のところ、ピンクのつっかけを履いた人が、十五分おきにターミナルを確認しに来ている。今来たので四度目、つまり一時間が経ったらしい。ピンク靴は、ターミナルに繋がっているケーブルを確かめ、モニターの一つを確かめ、異常無しと言った具合で大きく頷くと、また別の階へと帰っていく。
 ちょうど誰もいなくなった。これが一番退屈だ。授業中に窓から見下ろす校庭の方がまだ面白みがあった。何度瞬きしてみても、水中みたいに青い空間の中央に、変なドラム缶じみた筒が鎮座しているだけ。待てど暮らせど、変化は訪れない。いっそここから階下へ降りて、ターミナルと背比べでもしてみようか。ナホビノのときは僕の方が高いが、今の姿では多分負けるかな。
 いっそ何かが起きればいいのに、とターミナルを見つめていると、ターミナルは視線に応えるかのように、輝き始めた。
 ……ターミナルが?
 それはおかしい。階下には誰もいない。だからここからターミナルでダアトへ行こうとしている人はいない。さっき確認したばかりなのだから、まさか誤作動なんてことはないだろう。
 だが俄かに輝き出したターミナルは、瞬く間に回転を始める。やはり転移が起きるときの動作だ。つまり、誰かがダアトから帰ってくる──日本支部の者なら、予め連絡があるはずだ。だから今から始まるのは、支部外の者からの襲撃、あるいは──。‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬

 ターミナルが激しい光を撒き散らし、僕は一瞬目を瞑る。
 目を見開くと、僕は立ち上がっていた。
 ガラスの向こうに見えるのは、人間が一人きり。
 確かに一番可能性がありそうなのは、お前か。
 有事に対応しているかのような厳めしい雰囲気の、制帽を被った男。朝日と桜が帽章に輝くが、左肩のマントから少しはみ出た刀の柄は、どう見ても警察の持つものではない。いつもどおりの武装も、この現実世界で見るとあまりにも異常だ。
 辺りは騒然となり、研究員たちが慌ただしく様子を見に来る。しかし天使は一羽もいない。武器を携えるしかない人間たちを、ターミナルから現れた男は気にもせず、迷いなく管制室を、そこから見下ろす僕を見上げた。満月の眼が、間違いなく僕を捉えた。
 ……来る。僕は直感する。
 階下、ターミナルを照らすスポットライトを浴びながら、長いブーツが一歩進んで、マントが重たげに揺らめく。貰える時間は数秒か? 僕はその間に、先程まで座っていた長官用と思しき大きな椅子に体を戻す。それからスマホを取り出して、緊急用の連絡先へ簡潔にメッセージを打った。手出し無用。下手な刺激は逆効果。以上。用の終わったスマホを投げ出し、改めて椅子に体を沈める。

 ちょうどその時、ぱっと目の前が暗くなった。やはり一瞬で飛んできたか。
 背もたれに体重を存分に預け、長官になった気分で、僕は招かれざる来訪者を見上げた。

 沈黙。

 現れた男は、部屋を照らし続けていたモニターの光を背にして、いつもの休めの姿勢のままだ。しかし何故か口を開くことなく、僕に鋭利な視線を落とし続ける。互いに睨み合うだけの時間が、僕たちの間に流れる。
 青い光しかない管制室だと、男のただでさえ青白い顔に暗い影が落ち、少しこけた頬が余計に不健康に見えた。加えてナホビノの姿の自分と同じ金色の瞳が、夜行性の獣のように僕を見据えている。一応は人間なのだと知らなかったら、警官の亡霊か何かに見えたかもしれない。あるいは軍人だろうか。軍刀の柄に置かれた左の白手袋が不気味に浮かんでいて、嫌でも視線が引き寄せられる。
 右腰には銃もあるはずだし、魔法だって使える男だ。アオガミのいないこの状況では、客観的に見ればかなり危機的状況と言えるだろう。いや、例えこの男に武器も魔力も無くたって、丸腰のひ弱な体の自分では、こいつに敵うべくもない。
 だが男は僕の動向を探っているのか、うんともすんとも言わない。もしやわざわざ僕と話をしにきたのだろうか……それは殊勝すぎるか。だが、折角だしそういうこととして、話をしてみようか。
 何をしに来た?
 どうして今来た?
 目的は何だ?
 浮かぶ疑問を口にしかけて、飲み込んだ。
 代わりに、
……殺すか? 俺を」
 口にしてしまうと阿呆らして、思わず笑みがこぼれた。
 だがこれが一番シンプルな答えだ。ナホビノのときはこいつに勝てるとしても、今このただの人間の体では、何もできない。王座を狙うナホビノを減らすには、知恵を持つ人間を殺してしまうのが一番手っ取り早い。ベテルの天使もやっていたことだ。
 だからこそ、この男はそれをしないだろう。故に笑えた。陳腐な答えに思えた。
「殺されたいか」
 一方、男は笑わない。むしろにやにやと笑う僕に気を悪くしたらしい。真面目に鯉口を切って、僕に答える。
「望むならその腹、貫いてやろう。ラフムに誑かされた娘に、貴様がしたようにな」
 へえ、と僕は思った。
「ジョカから詳しく聞いたのか?
 腹に穴が空くのは結構痛かったからな。今思えば、別のやり方にするべきだった」
 腹をぽんぽんと叩くと、男は余計に渋い顔をして、刀の柄に手を預ける。驚いたりしないということは、今はあの一部始終を細かく知っているらしい。前は知らないようだったのに。
 俺たちだけの秘密だったんだけどなあと呟くと、わざとらしい大きな舌打ちが聞こえて、僕はまた笑いそうになった。それを誤魔化すべく、まともな話を選ぶ。
「何をしに来たんだ。ベテルの様子を探りに来たのか? ここはもうもぬけの殻だ。お前一人すら、まともに相手取れる奴はいない」
 男は眉をしかめて首を傾げた。
「ベテルの神々はダアトを去った。貴様だな?」
「ああ。お前のご所望通りだ」
「その貴様が何故、ここで油を売っている? するべきことは一つだけだ。……今更になって臆したか?」
 睨まれるのにも慣れた。僕は頬杖をついて、目を細めた。
……お前は、俺を探しに来たのか?」
 冗談めかして言ってみると、男は呆れたように鼻で笑った。
 でもそうだろ、と僕は続ける。
「至高天へのカギが欲しいか。確かに俺は三つとも持っている。
 そして見ての通り……アオガミはここにはいない。この俺はただの人間だ。今ならお前は、俺の首ごとカギを奪える。絶好のチャンスだな」
……王座を巡る儀から降りるか」
 見え透いた挑発に、男は今度こそ刀を抜いた。
「ならば死ね」
 いつかのように向けられた切先は、目からほんの数センチだけ離れたところで止まった。鉛色に光る刀は、こいつがその気になれば本当に僕の首を飛ばしてしまうだろう。
「八雲」
 名前を呼んでみながら、僕はその剣先に手を伸ばした。
 刀身は冷たかった。ぎゅっと握り込むと、手のひらに痛みが走った。刀は一瞬揺れ動いたが、握る僕の手を斬り落とすことはなかった。少し握っていると、手のひらの熱が伝わって、刀がじんわりと温かくなった。昨日も似たようなことをした。ひりひりとした感触が新しかった。
 刀を離して、今ついた傷を見る。真っ直ぐに引かれた赤い線から、じわりと液体が滲んだ。
「痛いな。
 合一しているときは、痛みが鈍いんだ。アオガミの身体だからだろうな。
 ──でも今も、少し鈍い気がする」‬‬‬‬‬‬‬‬‬
 傷から垂れる血を舐めた。ぱっくり裂けた皮膚は、思ったよりも悲鳴を上げない。対処しなければならない怪我だと示すだけの最低限の痛みが、僕の手のひらにあった。
「お前は人間だろう。戦う時、いつも痛いのか?
 それとももう、鈍くなっているのか?」
 傷を見ながら、これは後でアオガミに怒られるなあと思った。今の状況もそうか。まあいいか。
「鈍くなっても、痛いものは痛いか」
 僕は手を開いたり握ったりする。その間も八雲は何も答えず、僕を見下ろしていた。気持ち悪いとでも思っているのか、眉根を寄せている。だが刀を振り払おうとはしなかった。
 僕はふうと息をついた。何をしているんだろうと思った。背もたれにぐったりと体を預けた。
 また垂れている赤い血を再び舐めた。ハンカチがあることを思い出して、血を拭った。赤黒い滲みは、何かを思い出すのに十分だった。
 ……少し話をしよう、と言った。
「あるとき、林檎を拾ったんだ。
 黄金の林檎だ。永遠の若さが手に入るとかいう、神話上の代物だ。
 止める人はいなかった。だから食べてもよかったし、食べなくてもよかった。
 ……お前は食べるか?」
 八雲はここから去ったりせずに、案外大人しく答えた。
「食べるわけがない。悪魔に与えられる永劫など、動くだけの屍だ」
「だろうな。
 俺は少し迷った。元々興味はなかったが……食べたらどうなるんだろう、って好奇心だ。
 結局食べなかったけど。
 林檎は案外便利だった。そのままじゃとても人間には食べさせられないけど、妖精が加工して、怪我を治す薬になった。おかげで、ダアトに連れて来られた人間たちの治療に使えた」
「悪魔の中にも良い悪魔はいる、とでも言うつもりか? 陳腐な言い草だな。気紛れの施しに縋るからこそ、悪魔共はよりつけ上がるのだ」
「そうだな。いつ断たれるかもわからない悪魔の薬に頼るより、東京から薬や包帯とかをたくさん持っていくのが正解だったのかもしれない。何度も往復して、箱一杯に詰めて。
 でもそんな発想は、あのとき出てこなかった。
 血が出てる人を見ると案外焦った。早くどうにかしなきゃと思った」
 あの林檎があったおかげで、学生たちの怪我を治療できた。僕にできたのはその林檎を集めるくらいで、癒しの魔法を覚えていてもできることはなかった。癒しの魔法は、それを使われる側が魔法の力を信じていないとまるで効かないらしい。黄金の林檎を使った妙薬という形になってようやく、人間は癒しの力を受け入れられた。
 それに、癒しが必要なほどに傷ついた学生たちは、突然現れた真っ青な魔人を怪訝な目で見るばかりで、僕が同じ学校の生徒だとは誰も気づかなかった。傷を癒す水なんて当然誰も浴びたがらなかった。
「ダアトを歩いて思ったんだ。
 俺がいくら強くなっても、それだけだった」
 できることが増えるにつれ、できないことがわかった。怪我した生徒を癒してやることもできなければ、命を分けることもできないし、目の前の人間一人助けられない。頼まれたら頼まれただけ暴れて、それっきり。神に近づけば近づくほど、自分は神ではないのだと知らされる。本物の神々は、人間には到底再現できない奇跡を、いとも簡単に起こしてしまう。
「もしまた同じことが起こったら、俺はやっぱり林檎を探しにいくんだろうな」
 八雲は鼻で笑った。
「随分と情け深いことだ」
……気色の悪い表現だな」
 僕がそう言うと、八雲はため息をつく。刀を収めると、普段の姿勢に戻った。
「貴様がどれだけ林檎を差し出そうとも、薬を与えようとも、癒しをもたらそうとも、施されんとする者はその慈悲を弾き捨てるだろう。
 弱者は時に醜悪だ。力ある貴様を妬み、嫉み、見当違いな憎しみを抱く。貴様の手を払い除けるだけならまだいい、そのまま貴様の手を喰い千切り、肉を貪ろうとでもするやもしれん。……覚えがあるだろう、貴様自身にも」
 確かにそうだ、と僕は頷く。
 感謝なんてないのは普通で、助けたはずなのに襲い掛かられたこともあった。そのたびに、なんだやっぱり困ってないのか、と凍るような感情が広がって、僕は助けたはずの相手を斬っている。くじ引きみたいな気持ちで手を差し出してみて、結果を冷めた気持ちで受け止める。
「それでも望むなら救いようのない愚か者だ。好きにすればいい。いつかのように、腹を貫かれるまでな」
 唸るような声だった。嫌悪に似た音だったが、少し細かった。
 そうか、知っているのか、と改めて思った。前よりも互いを互いに知っている。
「刺されるくらいじゃ死なない程度には、もう強くなったから」
 僕は立ち上がった。自分から始めたくせに暗い話をやめたくなった。でもじゃあ終わりと言う気もなかった。
 なんとなしに歩きながら、壁沿いにずらりと並ぶモニターの一つに近づいた。どれもこれもが嫌がらせみたいにここの様子を映している。僕がいっぱいいるし、八雲もたくさんいた。大勢の八雲が動いて、僕の動きを目で追いかけている。
「嫌いなんだ。いかにも困っていますって人が目に入るのが。なんで助けてくれないんだって言われているような気がして、苛々してくる」
 モニターの中にいる、顔の歪んだ僕を撫でてみた。
 見えてしまうのが嫌だった。目を逸らす自分も嫌だった。他人なんて関係ないと思って、ずっと顔を伏せていればよかったのに、それをやりきる勇気もない。
「めでたい頭だ。それは貴様を呪っているのではない。たまたま貴様が視界に映っただけ。目に映った全てにそうなのだ」
「わかっている。だから自己満足だ」
 苛ついているのは、自分自身にだってことも。
「こんなのは情けなんかじゃない」
 この言葉が逆鱗に触れたみたいで、八雲は急に二、三歩で距離を詰めてきた。逃げる時間は無かった。モニターに背を取られたまま、僕は立ち竦んだ。八雲の威圧的な物腰は、立って向かい合っている方がぴりぴりと強く感じた。しかも普段会うナホビノのときよりも、今の自分の背は低い。その分余計に大きく見えた。
「なんだよ」
 八雲は僕の手を引っ掴んだ。まだ乾き切っていない傷から血が垂れて、八雲の白手袋に滲んだ。
「なるほど、貴様の言う通りだ」
 骨が折れるんじゃないかってくらい、手を強く掴まれた。振りほどけるわけがなかった。
 すると、ばちん、と大きい音と、光があった。すぐに解放された手を見ると、斬ったところが赤く腫れている。火傷みたいだ。
 ぴりぴりとした痺れの代わりに、血が止まっていた。
「治してくれるんじゃないんだ」
「馬鹿なのか?」
 ぎゅっと握り込んだままになってしまった手を、時間をかけてゆっくり開いた。握ったり開いたりして具合を見た。少し痺れるくらいで、他は何もない。
「こんなことして、一体何になる?」
 そう言って、僕は笑った。
……お前はやっぱり、僕を探しに来たんだな」
 それが、答えなのだと思った。ダアトからいなくなった僕にこいつがしたいことなんて、僕を殺すか、あるいは僕に。
「大丈夫。準備をしていただけだ。
 僕もすぐに行く」
 そんな言葉がするりと出た。重いはずの言葉が、不思議と軽かった。
 鋭利な視線が僕を刺す。本当か、と聞かれているように感じた。 
「ならば貴様は、何を望む?」
 懐かしい問いだ。
 望みはあるようだけど、ないようでもあった。
「まだ足りない」
 言うと、八雲は余計に顔をしかめた。わざとらしいくらいの舌打ちをして、僕に言った。
「いつまでそうしている」
 そしてひらりと消えてしまった。瞬きの間に。
 静まり返った管制室には、最初から僕だけがいたみたいだった。
 
   *
  
「少年、無事だったか」
 焦るように現れたアオガミを、僕はゆっくり迎えた。
 あの男が消えてからすぐ、入れ違いにスマホにメッセージが来た。アオガミを向かわせるという内容で、問題の男は帰ってしまったので手遅れだった。しかし本来のメンテナンスはもう少しかかるはずだから、きっと急いで終わらせてくれたのだろう。
 慌てているアオガミを宥めつつ、無茶を叱られつつ、僕は上の空で手のひらの傷を撫でていた。
「これは一体どうした」
 ぐっと手を取られた。アオガミは心配性だった。
「何でもない。最初からあった」
 僕は見え見えの嘘をついた。アオガミはぎゅっと僕を睨んだが、僕はどうする気もなかった。
「嘘をついているだろう、少年」
「うん。嘘をつかせて」
 僕は甘えた。
 せめて手を冷やすようお願いされたので、それには従った。アオガミは気を抜くと僕を最優先してしまうから、こうしてお互いの言い分を一つずつ通すのが一番落ち着いた。
 ベテルの研究員たちに手の様子を見られながら、先の襲撃のようなものをかいつまんで説明する。特に何も奪われていないし、何も失っていない。ただ呼ばれていない来訪者が来ただけだったが、研究員たちはそれで納得できないようで、ターミナルの再点検が行われることになった。
 しばしの間ターミナルが使えなくなる。すぐに行くとは言ったが、言葉通りにしてやる義理もないので、僕はターミナルが復帰するまで待つことにした。
「外を歩かない」
 せっかくだからアオガミを誘って、最後の散歩に出た。
 外は昨日と同じように、すっかり日が傾いていた。この頃の日の入りはこんなに早かったっけ、と僕は不思議に思った。研究所の周りをぐるりと歩きながら、青々とした木々の木漏れ日を見つめた。ここは妖精たちの縄張りに少し似ている。たくさんの植物と、まばらな人間たち。
 視線を感じて振り返ると、僕の後ろを歩いていたアオガミは、沈痛な面持ちで僕を見ていた。
「君はこの後、ダアトへ行くのか」
 アオガミは不安そうに聞いた。
「アオガミと一緒に」
 それはもちろんだが、とアオガミは続ける。
「私は君と、君の意志を守ろう。それがどんなものであっても。
 だが私は……恥ずかしいことだが、まだ君が王座に何を望むのか、わかっていない」
 やはりその話か、と思う。
「さっきも同じようなことを聞かれた」
 僕は足元の小石を蹴った。
「どうしようかな。やっぱり全部やめて、遠くに行こうか」
 電車に乗ったりして、だらだら遠のいていく。ここからなら新幹線も出ている。ずいぶん遠くまで行ける。
 でもそんなつもりは毛頭なかった。アオガミもわかっているから、何も言わない。
 僕は、と口を開いた。
 二人は止まった。
 
「──少年」‬‬‬‬‬‬‬‬
「ああ」
 僕らはすぐに互いの手を取った。そのまま僕らは一つになる。
 赤い気配が響いていた。
 乗り物が大きく揺れるような、不快な心地──悪魔が来る。‬‬‬‬‬‬‬‬
 一つになった身体の感覚は鋭敏だ。もっと細かくわかってしまう。気配の発生方向は太陽と逆、東、学校の方から。
 僕は走った。ダアトはだだっ広いから距離の感覚が鈍くなるが、最高速は随分速い。普通の人々の邪魔にならないように、ビルの屋上を飛び越え蹴って、学校の屋上へ。
 ここじゃない。気配は、ここからもう少しずれた場所だ──移動したのか。‬‬‬‬‬‬‬‬
 僕はさらに高いビルへと上って、地表を舐めるように見た。人間を襲う気なら、道路の方に出るだろうか、
 いや。
『少年、上だ』
 同時に違和感に気づく。ダアトみたいに赤い空の、ある一点が絵画のようにぐにゃりと歪むと、ガラス細工のように割れる……
 来る!
 胸元で印を作り念じる。夕焼け空はみるみる暗い雲に包まれる。
「よ──」‬‬‬‬‬‬
 現れた歪みに向けて、雷をぶつける。ぎゃっと潰れたような叫び声と煙。だが歪みは消えない。
 ガラスはとうとう割れ、どす黒い塊が吹き出す。鳥よりも野蛮で無軌道な動き、下卑た笑い声。
 現れたのは悪魔──ダイモーンの大群。‬‬‬‬‬‬‬‬
 初めて襲われたときよりもずっと多いその群れが、高らかに東京へ飛び出してきた。先頭のダイモーンが焼け落ちたというのに動じない、むしろ楽しそうだ。たまたま目的が同じだからそこにいるだけ、まるで統率の取れていない集団の幾らかがこちらに気づいて、最初の獲物を見つけたとばかりに飛んでくる。
「数が多いな」
 ダイモーンなど百匹いてもどうとでもなろうが、いちいち処理する間に人々に被害が出てはたまらない。この間にもこちらに興味のないダイモーンは地表を物色している。
「アマノザコ、頼む」
 ダイモーンは雷に弱い。そして多勢へ攻撃するには魔法での制圧が向いているが、生憎今はそんな技を持ち合わせてはいない。
「はーい! ってうわー、たくさん!」
 ゆえの召喚。現れたアマノザコは小さな羽根をばたつかせながら、当たり前のように空に浮かぶ。
「いっくよお!」
 アマノザコがぐっと力むと、再び暗雲が立ち込み、空から唸り声が轟く。
「せーのっ」
 掛け声と共に、雷光がダイモーンたちを貫いた。だが足りない。数匹程度ならまだしも、これだけの数がいると、必然撃ち漏らしも生じる。
「あっとごめん! 残っちゃった!」
「わかってる」
 僕もすぐさま印を作って、アマノザコの雷雲を己のものとする。手の届かない奥にいるダイモーンを雷で焼き、手前の残り数匹は右腕で斬り裂いた。
『戦闘終了だ』
 アオガミの言葉に頷く。
 悪魔は狩り尽くした。さっと見たところ被害は無いが、呼んだ雷雲がそのままぽつぽつと雨を降らし始めた。道をゆく人々が天気の急変に驚きながら、小走りに駆けていく。
「あー、びっくりした!
 ねえ、ここってもしかして、トウキョウってやつだよね、ね!」
 アマノザコが雨の中をぱたぱたと飛ぶ。手を目の上に当て、めずらしそうに東京の街並みを見下ろしている。
「いっぱい物があるな〜。
 あ! あのでっかいのってジドウシャでしょ! ダアトにも同じものがあったよね、ね?」
「そうだな。だいたい同じだ」
「ふ〜ん。
 こっちだとちゃんと動いてるんだね〜」
 アマノザコは濡れるのも気にせず飛んだ。少し離れたところまで一気に行くと、円を描くようにぐるりと近づいてくる。
「ここが、アンタのいたところなんだ」
 陶器のような体に雫がゆっくりと垂れていく。
「人間がいっぱい」
 小刻みに動く羽根からは雨粒が跳ねる。
「驚いたか?」
 尋ねると、アマノザコは表情をぱっと切り替えた。いつものちょっと図々しいくらいの笑顔で言う。
「こんなに人間って見たことなかったけど、やっぱり弱そうで心配!
 さっきの悪魔の群れになんて襲われたら、何もできないんじゃない?」
 事実だ。僕は目を逸らした。
 未だほとんどの人々にとって悪魔は未知の存在だ。秘密裏に悪魔への対抗をどれだけ配備していても、全ては後手に回る。このままでは遅かれ早かれ学校の中のような光景が街中に広がるだろう。
「こわいかお」
 アマノザコは僕の鼻をつついた。
「アンタもほんとは弱っちいのかな? かな?」
……弱いよ。ダイモーンも倒せない」
 僕は正直に言ってみるが、アマノザコはすんなり受け入れてしまった。そうだよね、なんて言う。
「じゃあ、やっぱりアタシがいてよかったね!
 アンタのこと守っちゃうんだから! から!」
 えへへ、と照れくさそうに笑った後、アマノザコは弾けるように姿を消した。賑やかな彼女が帰ってしまうと、途端に雨音だけが耳に残った。
 悪魔の気配は無い。もうここにいる用はないかと合一を解こうとしたが、アオガミに止められた。
『雨が凌げる場所に行くまでは、このままでいるべきだ。無闇に濡れれば風邪を引いてしまう』
 それもそうだな、と頷いて、僕らは研究所に走った。
 傘も差さずに、雨の中を突っ込む。
 冷たい解放感が、僕の頭を冷やしていく。

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