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井見
2025-11-11 18:22:47
43941文字
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真Ⅴ・真ⅤⅤ二次
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【再録】わが身もともに
真V主人公の一番条件があるルートへの道中掌編5本詰め(既出2本改稿、新規3本)、約四万字の再録です。いきなり厩橋から行きます。八雲と物理喧嘩したり口喧嘩したり、アオガミとしんみりしたりします。お手にとっていただきありがとうございました。無印四周年おめでと〜🎉
*無印発売後、VV発表前発行のものです。
あとがき
https://privatter.me/page/66dc6af209395
1
2
3
4
5
6
みをつくし
僕たちは、僕はダアトを走った。あちらこちらに走った。手助けのために、私怨のために、もっともらしい言い分のために、悪魔を殺して、たまには殺さなかった。いつも好きな方を選ぶことができた。それが心地良かった。
別に無理強いされたりはしていない。困っている素振りをしている悪魔に近寄ってやれば、自然と向こうから話し出す。手が空いたら、と適当に答えながら、暴力としての役目を果たす。不思議と不快ではなかった。お前にできないことを、僕はしている。単純な快楽だ。
だからダアトを、僕は走った。唯一の楽しみと言ってもよかった。ただの殺戮よりも誰かの役に立っているような気がして、ただの蹂躙よりも意味のあることのような気がして、僕は僕を誤魔化すことができた。ダアト中をしらみつぶしに、気を紛らわせられることを探した。
そして一つ一つを片付けて、僕はいよいよ追い詰められた。
全てが終わった。止まった。ここでするべきことが、僕にはとうとうわからなくなった。
たった一つ以外は。
──誰も座らない玉座に向かう。そして王になる。
まとめてしまえばシンプルだ。難しいのはその先。王になった後のことだ。それがいまだにわからなかった。
創世をしなければ僕たちの〝東京〟はいずれ滅ぶ。今いるこの壊滅した東京が、真実の東京になってしまう。なら、どんな創世をする?
何も知らなかったあの時に、長い間続いてきた〝日常〟に、僕らは戻るべきなのか。
それとも悪魔の、神のそれぞれを認めて、新しい〝日常〟を歩むべきなのか。
どちらかだけでは足りない気がした。でも、どちらもを選ぶことはできない。
それにどうせ創世をしたって、結局は同じなんだろう、と囁く自分もいる。今までいくつもの神話が地上を滅ぼしている。神の気紛れで世界は無くなる。ならどんな創世したところで、明日の滅びが明後日の滅びになるだけじゃないか。
どうせいつか同じになるのなら、いっそこのまま何もせず誰かに投げ出して、〝東京〟が誰かの望む形になるのを待つべきなのだろうか。
ふうん、こうなったのか、といつもみたいに、他人事のように、眺めていればいいのだろうか。
きっとそれが一番手っ取り早いのに、僕はまだ三つのカギを手にしたままでいる。
アオガミ、と名前を呼んだ。彼は『どうした、少年』とすぐに答えたが、お互いに言葉は続かなかった。右のこめかみに指を当てたまま、でも何を言えばいいのかわからなかった。崩れかけたビルの屋上に腰かけながら、僕はナホビノの足を揺らした。
「わからない」
僕は正直に言った。これだけ考えていて、未だにわからなかった。短い言葉でもきっと伝わるだろう。眼前の、無残に破壊された東京の奥に、白い大樹が天まで伸びているのを、アオガミも見ているはずだから。
「アオガミはどう思う?」
アオガミはアオガミなりの考えを持っていて、それ以上に僕の意志を優先していた。今までずっとそうだ。だから、もし僕がいなければ、
「アオガミは、人間のための世界を望むの」
そんなふうに思った。
アオガミはいつも人間のことを考えていて、人間が無闇に危険に晒されることを忌避している。悪魔と関わったことで被害が発生したことも、アオガミは深く悲しんでいる。アオガミは悪魔だが、人間に造られた魔人だ。ベテルによる設定以上に、アオガミ自身が、悪魔が人間に及ぼす影響を深刻に受け止めているように思えた。
アオガミと同じ色の長髪が、視界の端で生き物みたいに揺れ動いた。不思議に絡まらない青い糸にもすっかり慣れた。アオガミであり僕である、ナホビノの身体。指先で追いかけていると、アオガミがぽつりと答えた。
『人間のための世界がどのような世界なのか、私には想像し得ない』
少しずるい答え方だな。
口にはしなかったが、アオガミには伝わったような気がした。ナホビノのまま話しているとお互いの表情はわからないが、もっと近く、でも遠い、例えようのない心地がする。アオガミが何を考えているのか、なんとなくわかるように思うのに、それが本当なのかはわからない。だからお互いを確かめるには、やっぱり話すしかなかった。
口を開いて、何か言葉を探すけれど、まだ何も思いつかなかった。
代わりに悪魔の鳴き声が近づいてくるのがわかる。
悪魔除けの結界を張っていると、周りの悪魔は僕らに気づかなくなる。それは避けてくれるという意味ではない。無いものとして扱われるから、お構いなしに突撃してくることもある。今もそれが起こっていて、空を飛んでいる悪魔が、すぐ目の前を旋回して、僕がいるのに気づかずにすっ飛んできていた。立ち上がって悪魔一体分右にずれてやってから、再びビルの屋上の縁に座った。
甘い風が吹いた。寒くも暑くもない風だ。心地よいわけではない、変な温さの風。
僕は再びビルの縁に腰掛けて足を揺らしながら、眼下の光景を眺めた。街を通る長い幹線道路は崩れ、層状に重なり、それぞれ別の悪魔たちが縄張りにしている。歴史のある、いや、あった場所の地形もほとんど跡形もなくて、たまに残っている標識くらいが目印だ。それでも自然はたくましく、こんな世界になっても、まだ生い茂って池を囲んでいる。悪魔がもたらした恵みなのだろうか。
それでもここがどこだったのか、たまにわかるのが嫌だった。
僕はビルの縁から飛び降りた。魔界にもある重力がみるみる僕の身体を引いた。高いところから落下したのに、少しジャンプした後のような軽い衝撃だけが両脚に加わる。あまり慣れてしまうと、人間の体に戻ってもうっかり飛び降りてしまいそうだ。口元で笑いながら、車道に向かった。
そろそろ魔界に浮かぶ月は陰る。結界の魔法も解ける。いまだ正体のわからない浮遊物を見上げながら、一歩ずつ、その時を待った。
すると、悪魔の喚き声──悪魔除けが切れた。すぐ側を飛んでいた悪魔が、真っ直ぐこちらに向かってくる。ぴりぴりとした刺激。先ほどとは違って、間違いなく僕を標的にしている。
相手が距離を詰めてくる隙に、右手の先に意識を向けて、力を水のように伸ばす。そのまま右腕に意識を開き、大気の流れを呼び込む。
……
叢雲。
呟くと、悪魔は綺麗に貫かれた。
ずいぶん、強くなったなあと思った。仮にも名のある神々を斬っているのだから、当然と言えば当然か。空飛ぶ小さな悪魔に殺されそうになったあのときには、まさか空飛ぶ龍を貫くようになるだなんて、思いもしなかっただろう。
悪魔はマガツヒになって霧散し、赤い光がちらちらと僕の身体の中に入ってくる。
『少年』
アオガミの唐突な問いかけに、僕は刃を指に戻して、何かあったか、と指をこめかみに当てる。するとアオガミはぽつりと言った。
『君の望む世界は、君の生きる世界の先にあるだろう』
僕は少し頭にきた。
「
……
アオガミだって、この世界に生きている」
『私は殆どの時間をダアトと研究所で過ごしていた。少年と出会うまでは、東京の街に出ることもなかった。私は大戦の後、機能停止し、少年と出会った。この世界で行動した時間は、少年に比べれば実に短い。
だから私には、君の生きる世界がどんな世界であってほしいのか、わからない。私はあまりにもこの世界を知らないからだ』
『君』か、と僕は心の中で呟いた。いつもそればかりだな、と言いたくなった。創世や王は、望む世界を創るのは自分ではないと、アオガミは決め切っていた。
「じゃあ、今からでも知ればいい。僕の、僕たちの生きている世界を」
了承も待たずに、僕はいつかにもらったピラーを手にして、最寄りの龍穴へと戻った。青い光の中へ、僕たちは一歩踏み出す。
*
戻るとちょうど日が暮れていた。傾いた夕日を浴びながら、研究所から寮までの道のりを歩いた。すっかり散ってしまっている桜の木は、中途半端に木の枝が剥き出しで寂しげだった。そしてまるでその桜を隠すように、他の木々は深い影を落としていて、暗がりから悪魔でも飛び出してきそうだ。アオガミも同じことを考えていたのか、少し警戒しながら、「悪魔の気配はない」とわざわざ報告してくれた。
品川の方へ繋がる大通りは、雑多なビルが立ち並んでいる。その一つ一つが何の店やアパートだったのか、昨日の記憶すらも曖昧なのに、地図から消えているかどうかだなんて確かめられもしなかった。スマホから地図を出して目の前の景色と見比べてみれば、何かが消えていることに気がつくのだろうか? あるいは、地図からすらも消えてしまっているのだろうか? 確かめたくはなかった。
消えてしまったものは思い出せないが、今まさに消えていくものは目に映る。駅前のタワーマンションの高い影が、夕焼け空の中に散りかけている。悪魔とは関わりなさそうな、それでも勘の良い人が、目を擦りながら振り返っていた。
「少年、どこへ行く?」
アオガミは僕を引き留めた。
「寮に帰るなら直進だろう」
僕は角を曲がろうとしていた。この先には学校があった。普段の通学路の景色が見えたから、つい足が動いていたらしい。
「少しだけ」
僕はそのまま進んだ。
学校は休校になっているから、下校する生徒なんかはいなかった。代わりに警備を担当している警官が僕を訝しげに見た。警官は僕に近寄ってくる。この先は立ち入り禁止だと言うつもりなのだろう。
入りたいわけでもないので、警官に話しかけられる前に立ち去ろうと思った。でも物々しい気配を纏った自衛隊員が僕に駆け寄り、警官を遠ざけてしまった。ベテルの関係者だということが知られているらしい
……
隣のアオガミを見れば、一目瞭然か。悪魔であるアオガミは、ただの警官には見えないだろうけど、対悪魔用のバイザーをつけた自衛隊員には見えているようだ。
せっかく道を空けてもらったから、僕はもう少し進んだ。校門が近づいてくる。閉まっているかと思ったが、案外開いていて、代わりに黄色い封鎖テープがとおせんぼしていた。時折その上を跨いで、校内へ入っていく人がいた。まだ何かの調査をしているのだろうか。
慌ただしい様子をぼんやりと見ていると、入られますか、と聞かれた。僕は驚いて、結構ですとだけ答えた。逃げるようにして踵を返した。寮への道を、普段みたいに早足で歩いた。
寮に帰り着いてからも、まだ日は沈み切っていなくて、眠る気にはなれなかった。かといってここから散歩に行く元気もない。東京がもっと見えるだろうと思って、僕は寮の屋上に上った。アオガミは黙って僕の後ろについてきていた。
夕日が眩しかった。赤い光がたくさんのビルの輪郭を溶かしていた。そのままビルは透けたり戻ったり、ここにあるのかないのか曖昧だ。ちょうど左から二つ目にある、今にも消えかかっているビルの三階には比較的大きい本屋が入っている。あそこで来月出版される新刊の予約をしているのに、消えてしまっては受け取りもできない。
……
それより先に、このままじゃ東京がめちゃくちゃか。
僕はため息をした。
元に戻りたいと思った。具体的には、先週あたりだっただろうか。トンネルが崩落してから何日が経ったのか、いまいち感覚がない。
再三提出を迫られていた英語の課題は結局やらずじまいだが、今なら提出してやってもいいと思った。くだらない授業のためだけに、寮と学校を往復する日々が、明日から何事もなかったみたいに始まってくれてもいい。こうして暦が進んでいくのだけを眺めて、来月の本くらいを楽しみに生きる。面白みのない月日の記憶の方が、もはや現実味が無かった。
でも現実の学校は、当分の間休校だ。寮にいたって授業は無いのだから、多くの生徒は実家へ帰ってしまった。でももし勤勉な学生が自習をしたくなっても、学校の中には入れない。入りたいとも思わないだろう。
黄色い封鎖テープの向こう側、昇降口の窓は破られたままで、ガラスの破片が散っていた。そのすぐ側に、人型に引かれた白線は、今日も消されていなかった。白線の内側にあったはずの赤い水たまりだけが、すっかり乾いていた。
僕はもう一度ため息をした。
「少年、何か困り事だろうか」
アオガミは目敏く僕を指摘する。どうでもいいことだ、と言っても、彼は譲らなかった。
「本屋が何個かあった気がするのに、思い出せないんだ」
僕は嘘じゃないことを言った。
目の前のビル以外にも、ちょっとした本屋はたくさんあった。でも具体的な記憶が出てこない。きっと消えてしまったのだろう。本屋に行きたかったわけではないが、無いとわかると少しショックだ。無いことになってしまったというべきか。
「本屋。書籍を売買する店舗か。
探しているのなら、調べよう」
「いい。店は無いし、探す必要も無い。
神の奇跡とやらが途絶えて、この東京から無くなったんだな、と思っただけ」
「
……
本屋は君の好きなものなのか」
アオガミは至極真面目に話を続けた。深刻な表情が話題に似つかわしくなかった。
僕は思わず少し笑ってしまった。
「本屋が、というよりは、そこで売っている本がな」
「本か。文字や絵の印刷された紙を束ねたもの。私も知っている」
「読んだことないのか?」
「活動に必要な情報があればデータで挿入される。あえて紙という非効率なものに触れる機会は無かった」
「
……
人生の喪失だ」
「私は神造魔人だ。本を読む悪魔は、少ないだろう」
「それはそうだろうけど。非効率を楽しんだっていいだろ」
「
……
君はしばしばそう言うな。非効率である余分を楽しむ。私には与えられていない機能だ」
アマノザコの同行を許したときのことを指しているのだろうか。確かにあのときも、似たようなことを言っていた。
「そうかな。こういう意味のない会話も、本来は非効率な余分だろう。
アオガミは今を要らないと思うのか」
僕はアオガミの仏頂面を見つめた。彼の表情筋はあまり動かないが、何も感じていないわけではないと知っていた。
「なるほど。私は君との会話を望んでいる。これが余分を楽しむということか。理解した」
アオガミは深く頷くと、「少年」と改めて僕を呼んだ。
「君と関わることで、私は変わってきたように思える」
「良い変化か?」
「良い
……
わからない。だが、好ましい変化だ。君はたくさんのことを私に気づかせてくれる。
だが少年、君も少し変化していると感じる」
僕はそうだろうかと首を傾げた。
「君はあまり『面倒だ』と言わなくなった。例えば、少し前の君は悪魔からの依頼を殆ど断っていたはずだ。しかし最近の君は、むしろ率先して依頼を受けていた」
「ああ
……
それは、別だよ。もっと面倒なことを、後回しにしたいからだ」
アオガミは僕をたまに過大評価するが、それは単なる欲目だ。依頼を受けていたのは、善意からの行動ではないし、報酬を目的とした打算からの行動ですらない。なんとなくそこにあるイベントをこなして、できるだけ時間を稼ぎたいだけ。試験前に部屋の掃除をしたくなるのと一緒だ。
「だが、君が手を貸す義理はない。悪魔たちの助けとなれば確かに報酬は得られる。しかしそれが、君の苦労に見合っていたとは限らない。時間が欲しいのであれば、ダアトではなく、この東京で過ごしていてもよかったはずだ」
「
……
何だか、僕みたいなことを言う」
少し茶化してみても、アオガミの深刻そうな表情は変わらなかった。彼は一層低い声で、どこか心配そうに言った。
「私は、思うのだ。
君が度々不利益を被ってまで誰かからの依頼に応えるようになったのは、私のせいではないかと。私に設定されたベテルからの制限が、我々の合一によって、少年、君の意志決定に何らかの影響を与えているのではないか」
アオガミは何かを飲みこむようにして続けた。
「ラフムからの攻撃への対応。私はあの行動について、未だに理解しきれていない。
あの行動は、本当に君だけの行動だったのだろうか。私に刻まれた、人間を守れという指令に従い、私の意志が君の肉体を動かしてしまったのではないか。君の命を、私が脅かしたのではないだろうか。
合一時、我々の身体の意識は君の手に委ねられているはず。
……
だが、私は神造魔人、すなわち悪魔だ。どれだけベテルからの制限があろうと、私は悪魔として君を飲み込み、私ではない私に至ろうとしているのではないか。君の魂で合一を目論んだ牛神のように、私もまた、知らず知らずのうちに、知恵である君の意識、魂をも奪おうとしているのではないか。
そう思うと、私は
……
そう、私は恐ろしいのだ」
「どうして恐ろしい?」
「私の目的は、君の意志を実現させることだ。
もし合一を繰り返して、いつか君がいなくなってしまうのであれば、まるで意味が無い」
彼は時々こちらが面食らうほどはっきりと物を言うが、今もそうだった。アオガミは不思議なくらい僕という存在を優先した。それは神造魔人としての使命感がそうさせるのか、自らの知恵であるという意識からなのか、もしかしたらこうして毎日同じ誰かと関わるという経験に乏しかったからなのか、それはわからなかった。
一つ確かなのは、彼は少し責任感がありすぎるということだ。こんなことを考えるようになったのは、自分のせいで僕を死なせたのではないかと懸念したのがきっかけだろう。むしろアオガミは、僕のせいで自分が死ぬ目に遭ったのに、と怒ってもいい立場だろうに。
「
……
あのとき、気づいたら地面を蹴っていた。それだけが事実だ。
僕の意志がそうしたのか、アオガミの意志がそうさせたのか。そんなの考えてもわからない」
正論で押し切ろうとして、僕はふと思い至った。
「いや、あるいは、〝僕たち〟がそうしたのか
……
」
前に飛び出したあの時、身体が何かに動かされたという感覚は無かった。あくまでもいつもどおり、僕が身体を動かしていたと思う。しかしもしアオガミも、身体は自分が動かしたという風に感じるのなら、あのときは全く同一に〝僕たち〟が走り出したのかもしれない。
「知恵と生命が元々一つだったのなら、考えることも段々似てくるのかもしれないな」
「
……
その可能性は否定できない。現に今、王座を目指す者たちは、知恵と生命が共に同じ志を抱いているはずだ」
「じゃあ、僕たちも?」
アオガミは「もちろんだ」と言う。
「私は、君の望みを叶えよう」
「僕もアオガミの望みを叶えたい、って言ったら、どうなる」
「私の望みは、君の望みだ」
「答えになっていない
……
」
アオガミの眉が目に見えて寄った。僕は少し慌てて言った。
「わかったよ。わかった。そんな顔をするな」
アオガミを困らせたいわけじゃないのに、どうしてもそうなってしまう。
どんな世界にしたいと言われても、別にどうでもいいんだ。どんな世界になったところで、僕は文句を言うだろう。そんなことを言ったら、アオガミは悲しむだろうか。それは嫌だな、と思って、僕は口を噤んだ。
鋭い風が通り抜けた。右側に垂らしている髪の一束が揺れた。風に合わせて遠くのビルが大きく瞬いた気がするが、もはや間違い探しでしかなかった。太陽はビル群の中に沈んで、赤色だった空の半分は、気づけば紺色に染まっていた。今に夜が来る。今日の月は何だったか、と空を探したが、見つからなかった。
「少年」
強い風が吹き抜けると、アオガミはぽつりと僕を呼んだ。僕は彼を制した。
「アオガミが何を考えているか、当てようか。
寒くなってきたから、寮の中に戻った方がいい
……
だろ」
日中は暖かいが、まだ夜は冷える季節だ。制服を着込んでいても、頬を掠める風は冷たい。
「
……
やはり君と私の思考は、類似してきているのだろうか」
彼は、ふむ、と顎に手を当てる。
「これくらいわかる。アオガミはわかりやすい」
「そうか
……
」
考え込むアオガミを横目に、僕は屋上の柵に手を乗せた。少し剥げた塗装がざらざらとしていたが、冷え切った感触は気持ちがよかった。冬の鉄棒の触り心地に似ていた。
「アオガミは寒い?」
「私は寒暖に快・不快を感じない。だが先程から気温が二℃下降しているのは知覚している」
手を伸ばして、アオガミの銀色の腕に触れた。表面はつるつるとすべやかで、ナホビノになったときの自分の腕と同じ触り心地だった。しかしナホビノの身体は人間と同じように温かいのに、アオガミは鉄棒と同じように冷たかった。
すっかり冷え切った指先から、それでも僅かにある熱がアオガミに移動した。
「やはり冷え切っている。室内へ戻るべきだ」
アオガミは心配そうに僕の手を取り、彼の腕から遠ざけた。
体温を調整したのだろうか。アオガミの腕は金属みたいに冷たかったはずなのに、僕の手を取るアオガミの手は、むしろ熱いくらいだ。
「手は温かいんだ」
「君に触れるために、そうした」
僕はアオガミの手を強く握った。不思議な触り心地だ。人間と同じくらい柔らかくて、中には多分骨もある。でも表面は人間の皮膚よりも滑らかで、薄い手袋をしているみたいだ。
そしてその手は、まるで今にも眠ってしまいそうな子供みたいな熱を放っている。僕のためだ。
「ナホビノになるのは心地良いけど、こうして触れなくなるのは嫌だな。温かいのに」
「私の身体がベースとなるナホビノに戻れば、寒さが君を脅かす心配も無くなる」
「こんなところで戻っていいの?」
「
……
推奨しない。昨今の被害の拡大で、悪魔を知覚できる者が増えている可能性がある。見つかれば大事だ」
「もし普通の人にもナホビノの姿が見えてしまうなら、アオガミも見られているんじゃないか」
「
……
なら一層、館内に戻らないといけないな。急いで隠れねば」
アオガミは生真面目な顔で、声だけは少し冗談っぽく言った。
僕は頷いた。
階段へ続く扉へと戻る途中に、一度振り返った。ビル街は相変わらず歪んでいて、今もちりちりと瞬いている。その中で一番大きなビルが、一体何のビルだったかは、もう思い出せなかった。
*
自室の前までやってくると、アオガミははたと動きを止めた。扉の横でくるりと振り返り、守衛のように仁王立ちになって、周囲を警戒する。それがアオガミなりの一線らしかった。そうするようにベテルから書き込まれているのだろうか? 単に彼が生真面目なだけなのだろうか。昨日だったか一昨日だったか、前に一緒に寮に来た時もそうしていた。その時は、彼がそうしたいのなら、とそのままにしていたが、今日はやめた。
「部屋の外にいたら、寮生の誰かに見られるかもしれない」
僕はそんなことを言いながら、部屋に入ろうとしないアオガミを、半ば無理やり引きずり込んだ。
部屋は静かだった。トンネルが崩れた日に本来片付ける予定だった洗濯物の山がまだ積まれていた。部屋で過ごす時間も短いから、屑籠の中身もまだまとめていない。先週くらいの時間がまだ流れているような部屋は、それでも異様に静かだった。
普段なら、近くの部屋で蛇口が捻られれば壁からぽこぽこと水の流れる音がするはずだ。じっと耳をすませば廊下から足音だって聞こえるはずだ。だが今日はとうとう全ての音が止まった。聞こえるのは、自分とアオガミがここにいる音だけだった。
人がいないんだ、と僕は改めて感じた。
普段は騒がしいくらいの寮の空気が、今は沈みきっていた。
事実、寮からは人がみるみる減っていた。学校が使えなくなり、オンライン授業になったと思えばすぐに休校になってしまったから、実家に帰れる者は軒並み帰ってしまったし、ラフムの襲撃に巻き込まれた生徒の幾らかは、まだ怪我の具合が良くなく妖精の里から動けない。そして身体に問題が無くとも、現実世界に不安を感じ、里に残ることを選んだ人もいた。
一方で寮に残っている数少ない人たちも、外出は控えて部屋で大人しくしているだろう。東京は危険だという事実が、SNS上に誇張気味に出回っている。いつ誰が、品川駅のブルーシートの向こう側に行くのかわからないのが現状だ。
この階には何人の生徒が残っているのだろうと思った。少なくとも、両隣は不在だ。右隣の生徒が不在の理由はわかっていた。そいつは妖精の里で保護され、妖精を恐れ、里から離れた場所へ逃げていった奴だからだ。里のすぐ側は、別の悪魔の縄張りだ。聞かなくても、どうなったかは予想がついた。
「アオガミ
……
何か話せよ」
僕はアオガミを椅子に座らせて、自分はベッドに転がりながら、アオガミに無理を言った。
「何かとは、具体的にどのようなことだろうか」
「
……
じゃあ、これでも読んでいて」
ベッド脇に置いてある文庫本をアオガミに渡した。
「これが本か」
ふむ、と興味深そうにページをめくるアオガミを眺めていると、色々とどうでもよくなってきた。身体をベッドに横たえて、アオガミが読み進めていく音を聞きながら、ぼんやりと天井を見つめた。
寝転がってしまうと、途端に身体が重いことに気づいてしまう。ナホビノの身体はふわふわと軽いのに、人間の身体は何か錘が絡まっているみたいに重い。それが疲れているということだ
……
だなんて、アオガミなら言うだろうか。アオガミは魔人の身体を持て余すことなく、器用に柔らかいページをめくっている。
「ちゃんと読んでる?」
「ああ。必要であれば再生しよう」
「
……
記憶しているの?」
「視界上の情報は私のメモリに蓄積される。必要に応じて引き出すことが可能だ」
「
……
貸して」
僕はアオガミから本を取り上げて、最初の歌を読み上げた。
「いえきかな、なのらさね
……
わかる?」
「私は神造魔人アオガミだ。住居
……
ベテル研究所だろうか」
「そうだけど。そうじゃなくて
……
言葉の響きとかも、何か思ったりしないか?」
「
……
私には難しい。だが、文字を目で見るより君が読み上げてくれた今の方が、響きというものを実感した」
僕は横になったまま、次の歌を読み上げる。アオガミはふむ、と頷く。面白いのでそのまま続ける。
部屋に誰かがいるなんて、全然いつものことではないはずなのに、まるでずっと前からこうだったような気がした。毎日アオガミと寝る前に本を読んで、満足したら眠って。目覚ましに起こされたらこの本を鞄に入れて、そのまま学校に行く。きっと明日も明後日も、こんな日々が続く気がする。そんなはずはないのに。
僕は腕の力を抜いて、開いたままの本を目元に乗せた。視界が真っ暗になっても、アオガミが僕を見つめているのがわかった。
「眠るのか。そうだな、休んだ方がいい。付き合わせてしまい、すまない」
アオガミが立ち上がる音がする。ぱちりという音の後、本と顔の間から入ってきていた電灯の光がなくなる。部屋の電気を消してくれたらしい。
「アオガミは、どうしてそうなんだ?」
「
……
そう、とはどういうことだろうか」
瞼も思考も重い。
「
……
僕は
……
」
言うべきでない言葉が、つい口から出そうになる。代わりに顔を覆う本を枕元に片付けて、ベッドの中に入った。
「なんでもない。ちょっと寝るから、少ししたら起こしてくれ」
「承知した」
僕はわずかに目を開いて、アオガミの様子をちらりと見る。ナホビノのときと同じ金色の瞳と、青い髪。ナホビノにはない、赤い炎のような輝き。アオガミがここにいることこそが、非日常がここにある何よりの証明だ。この数日の全てが確かな現実である標だ。
「アオガミは、眠らない?」
「ああ。私は人間のような睡眠は行わない」
「じゃあ、少し待っていて」
僕は眠った。きっと朝になるまで眠る。
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