荻谷
2025-09-17 04:13:02
21453文字
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薄暗い部屋から

モブ主人公がひょんなことから大吾さんと会うことになり、好きになっちゃうけど、峯と大吾さんの愛を見せつけられるNTRのお話です☝️峯はお笑いが好きそうという個人の偏見を練りこみまくっています。



♢
 
 駅から一〇分ほど歩き、繁華街の中心にひっそりと佇む古ぼけた店へ「きりん」さんを案内する。
 安い。美味い。早い。
最強の三拍子を兼ね備えた居酒屋は俺の行きつけの店であり、とっておきだった。カウンターとテーブル席二席のこぢんまりとした規模もいい。
 彼にこの店を受け入れてもらえるかどうか不安を抱きながら、入店する。相変わらず無愛想な店主が、「らっしゃい」と短く告げるいつもの景色に、俺は小さく会釈をした。
適当に通されたカウンター席に男と並んで座る。壁際に位置取った彼は、何か言うよりも先にメニューを手に取った。
 長いまつ毛に縁取られた瞼を伏せ、手書きの文字を読む横顔を見つめる。薄暗く油っぽい室内でも彼の姿は燦然と輝いて見えた。
「なに飲む?」
 不意に話し掛けられ、大袈裟なまでに体が跳ねる。
「あ、えっと、び、ビールかな」
「じゃあ、俺もそうするかな。先に飲み物だけ頼むか」
 カウンター越しに店主に注文する男の顔はとても柔らかく、厳つい雰囲気をかき消す様な温かみも持ち合わせている。心なしか、いつもより店主の対応もいいように見えた。
 手短に注文を終え、沈黙が流れる。
 なにか気の利いたことでも言えればいいのに、ネットはそんなこと教えてくれなかった。膝の上で拳を握る。男は机に置いていたメニューを俺の前まで滑らせ、肩が触れ合うほどに体を寄せた。それから、目と鼻の先の距離で問い掛ける。
「ここ、お前のおすすめなんだろ?何が美味いの?」
「あ、えっと、か、唐揚げ……!さくさくで美味いんです!!あとは、刺身も美味くって、串も美味いし、ほかにも、えっと」
 狼狽えるのを隠すように不自然な早さで言葉を紡ぐ。彼は俺を笑うことなく、ふぅん、と鼻を鳴らし、「じゃあそれ全部」と指を立てた。
「全部頼むんですか?」
「あぁ。腹減ったって言っただろ」
 少し拗ねたように呟く姿は意外という他ない。
 タイミング良く運ばれてきたジョッキを手に取り、縁を合わせる。
「乾杯」
「か、乾杯」
 グラスの触れ合う音を合図に、俺の人生初オフ会は始まりを告げた。
 緊張でほとんど味のしないビールを無理矢理流し込み、乾いた喉を潤す。半分以下になった俺のグラスの中身を見て、「きりん」さんは薄く笑った。
「いい飲みっぷりだな」
 中身の減ったジョッキをだるそうに机に置く男の姿の方がよほど様になっている。俺は彼に体ごと向き直り、意を決して口を開いた。
「なんで、その、「きりん」さんは、俺の、ブログ読んでくれてるんですか」
 カウンターの中で作られる料理を眺めていた彼の視線が緩慢な動きで俺に向く。ぱちぱち、と瞬きをしてから、「あぁ」と短く声を上げた。机に置いていたジョッキの持ち手を手持ち無沙汰に握る。
「なんで……
 呟いた言葉を飲み干すように、金色の液体を口に含んだ。喉が小さく動き、それから口を開く。
……連れがお前のブログを見つけて、なんとなく一緒に読んでたって感じかな」
「あ、そうなんですか」
 じっと男の瞳が俺を射抜く。焦げ茶の瞳は黒く縁取られていて、よく潤っていた。このまま吸い込まれそうだ、とアルコールに浮かされた頭で思う。
「似てるかも」
 ぽつりと発せられた言葉に俺は目を見開いた。
「え?」
「連れとお前。……不器用だけど一生懸命なとことか、優しいとことか似てる」
 表情の薄い彼の顔に、恥じらい混じりの微笑みが浮かぶ。顔が熱くなっていくのはきっと、酒のせいだ。
きゅっと目だけを細め、机に肘をついた腕に、こてんと頭を乗せる。
「なあ、教えてくれよ。好きなものについてさ、開幕二軍」
 そこからは彼に引き出されるまま色々な話をした。まとまりのない話でも目を見て、相槌を打ちながら聞いてくれる。
 なにより、俺の冗談に心底楽しそうに笑ってくれる姿がたまらなく嬉しい。現実でこんなに話したのは一体いつぶりだろうか。
 男の手にする酒がいつの間にかビールからハイボールに変わり、そのグラスも何度交換されたか分からない。二人では多すぎるほど頼んでいたはずの肴も底をつこうとしていた。店を出ようと画策する気配に、肩を落とす。仕方なさそうに笑いながら、男が携帯を開いた。
「メール交換する?」
「す、する!したい!したいです!!」
 食い気味に頷くと、堪えきれないといったふうに吹き出した。
「やっぱりお笑い好きなやつって本人も面白いやつ多いんだな」
 ひとしきり笑い終えると、今度は含んだように笑う。楽しげな彼に俺はぎこちなく笑い返した。
「なあ、俺まだ飲み足りねぇんだけど」
 屈託ない笑顔に俺の人生は初めて上を向いた気がした。
「二軒目も行こう!俺、ここ出すから!」
 財布を手に、会計を頼む。
 「あ……ありがとう」
 大吾の驚いたような引き攣った顔に俺は親指を立てた。
 店を出て意気揚々と歩き始めた俺を、男の硬い声が引き止める。
「あのさ、次行く前に煙草吸いてぇんだけど、いい?」
 白地に黒の文字が刻まれたシンプルな箱とライターを手に、申し訳なさそうに問う。男が喫煙者である事実に若干悲しいような気持ちになった。だが、同時に彼には煙草が似合うと思う。
 返答を迷っている俺に、男は眉尻をさげたまま眉間を寄せる。その切なげな顔に急かされるように言葉を発した。
「煙草、俺も吸いたいと思ってたんだよね!!」
 突然飛び出した大声を受け止めた男は、目を丸めた。
 俺だって同じように驚きたい。
 煙草なんて生まれてこの方吸ったこともないのに、どうしてこんなしょうもない嘘を吐いてしまったんだろうか。男との間に流れる質の悪い沈黙を埋めるように、俺は言葉を続ける。
「煙草切らしちゃってさ、コンビニ寄ってもいい?」
 戸惑う男を強引に近くのコンビニへと連れ込む。まっすぐレジに向かい、店員の後ろに陳列された煙草に目をやった。
 ずらりと並んだ煙草はどれも同じように見える。どれがなになのか、皆目見当もつかない。しかし、彼を待たせている手前ここで躓いているわけには行かなかった。
「あ、えっとメビウスください」
 知っている銘柄の名前を、無愛想な店員に告げる。地毛と脱色している毛の境目がくっきりとしている女は、不機嫌そうに顔を歪め、伝える気のない声量で声を発した。
「番号でお願いします」
「ば、番号……?えっと……
 銘柄の横に記載された番号を慌てて探す。同じだと思っていたパッケージでも、横に並んだ数字が違った。どうやら全くの別物らしい。
「二〇五番で」
 一番に目についた数字をとりあえず告げる。煙草什器から紺のパッケージのものをひとつ取り出し、レジに通した。鈍臭い手つきでリュックから財布を取り出す俺の後ろから手が伸びる。ピッ、と軽快な音がして瞬時に会計が終わった。
「あっ……
 後ろを振り向くと、ニヤリと口角を歪めた男と目が合う。
「さっきのお礼」
 そう言ってさっさと店を出る男の背を、俺は追いかけた。夢見る少女とはほど遠いが、今の俺は世界で一番お姫様かもしれない。そんな馬鹿げたことを真剣に思えてしまうほど、俺はこの短時間で彼に夢中になっていた。
 
 男に連れられるがままにやってきた駅前の喫煙所は人でごった返していた。
 窶れた顔をしたくたびれた人や、頬を赤らめ機嫌良さそうに煙を楽しむ人などその種類は様々である。この中に混ざる俺は一体どんなふうに見えているのだろう。
 男は、灰皿の横を陣取ると尖らせた薄い唇にフィルターを咥え、瞼を伏せた。カチ、カチ、と数度石を擦る音がして、ライターの先を手で覆う。細い炎の明かりを反射して長いまつ毛の先がきらきらと光った。やがて白い筒の先に橙の明かりが灯り、細い煙が上がる。
 まるで映画のワンシーンのような光景に、俺は口を開けて見蕩れていた。口に煙草を咥えたまま、男がぶっきらぼうにライターを差し出す。
「あぁ、ありがとう」
 へらへらと礼を告げ、俺は手ずからライターを受け取った。見様見真似で着火レバーを親指で押し込む。音はするものの、噴射されたガスが陽炎のように揺らめくだけで火がつく気配はない。両手でレバーを押し込みながら、悪戦苦闘していると見かねた男が俺の手からライターを取った。
「ん」
 片手で容易く火を付け、そのまま煙草を挟んだ俺の口元にライターを寄せる。煙草の先を火に触れさせるが、紙が焦げるだけで中の葉は燃えない。煙草を咥えたまま情けない格好で色々な角度から炙ってみる。夢中になるあまり止まっていた呼吸を再開させると、あっさりと火がついた。口腔内に流れ込んできた煙が喉に染みる
「うえっ!!げほっ!ごほっ!!」
 慌てて煙草を口から離し、盛大に咳き込む。乾咳が畳み掛けるように咽頭を襲い、生理的な涙で視界が滲んだ。
「ふふ」
 押し殺したような笑い声が聞こえ、恥ずかしさに消えてしまいたくなる。
「付き合ってくれてありがとうな」
 丸まった俺の背を擦りながら、優しく声を掛けてくれる男の表情は見ずとも想像に容易い。締りのない表情を浮かべながら、体を起こし、ぺこぺこと情けなく頭を下げる。男はそんな俺に呆れたように肩を竦めた。
 何事も無かったように並んで煙草を吸う。息を吸う度に口内にざらざらと広がるヤニは不快感だけを残し、キツい煙は喉を焼いた。煙草の美味さは当分分かりそうにない。
 並ぶ男は、長く骨張った指に煙草を挟み、美味そうに煙草を吸っていた。血色のいい唇から白い煙が吐き出され、ぷかぷかと浮かんでは夜闇に溶けていく。薄い灰色越しに見る彼の表情はどこか遠くを見つめていた。
「あ、あの、名前、聞いてもいいですか」
 男は小さく唇を開いたまま視線だけを俺に向ける。その動きは酷く緩慢で、すぐ隣の俺をじっくりと時間をかけて捕らえた。
「ハンドルネームじゃなくて、本当の、名前」
 慣れない煙草と緊張で閉まる喉から声を絞り出す。
……大吾」
 夜闇に溶けてしまいそうな声で彼は自身の名を呟いた。鼓膜を震わした三文字を復唱する。
「大吾さん……
 すんなりと口から出た言葉は、体に沈み込むような心地がした。
「呼び捨てでいい。……お前は?」
 大吾の涼やかな瞳が無感情に問い返す。蛇ににらまれたように体が固まり、口だけが勝手に動いた。
「俺の名前は……
 息を吸い込むと同時に、反動で灰が指先に落ちた。突如襲いかかった熱さに声も出さず、飛び上がる。
「あはは!大丈夫かよ」
 大吾の涙を流して笑う姿に、俺の時は今動き出したのだと確信した。