赤い糸が切れないように
朝日が差し込むポアロの客足はまばら。店内には真上の毛利探偵事務所の蘭とその彼氏の新一、新規客の男性二人組、そして店員の梓の五人だった。オーダーも取り終え、ふう、と梓は息をつく。
「あれ、梓さん。そのエプロンってもしかして」
アイスカフェオレを飲んでた蘭の目が梓の胸元で止まる。梓のエプロンにしては少しサイズが大きく、その色は別の人が着ていたはず。そう言いたげな目をしていた。
「
……ああ、これ?」
「安室さんの
……ですよね」
「気づいちゃった?」
困ったように笑うと、蘭が頷いた。聞かれたくなかったわけじゃない。ただ、改めて聞かれると困ってしまう。
「見つかったんですか?」
「
……ううん。見つからなかったの。残されたのはこのエプロンだけ」
「エプロンだけ?」
「知り合いと一緒に探してたって話はしたよね」
どこまで話すか悩みながら、コトコトと沸騰したやかんを火から下ろす。代わりにミルクパンを火にかけた。
「それで、警察署だったり安室さんの家だったり、色々と探しに行ったの」
湯気のたつ方に手をかざす。コーヒーを淹れるにはまだ熱かった。
三月の中頃、ちょうどお彼岸の頃に、降谷さんと一緒に安室さんを探した。警察署では捜索願を出さないでほしいと届け出がされていて、家では大家さんからヒントを貰って。今思うと、全部安室さんの手のひらの上で転がされていた。
「最後に行った先で見つかったのがこのエプロン。安室さんがカフェの店員さんに託していたみたい」
青地のエプロンを撫でながら言った。安室さんがそのカフェに残したのはこのエプロンと、暗号を書いたリボンだけ。あのリボンも、あのカフェも。きっと、一人では何もわからなかった。
さよならもなくいなくなった人は、謎だけを残して何も教えてくれない。
「
……安室さん、本当に戻らないんですね」
「そうみたい」
「寂しくはないんですか」
「うーん、寂しくないって言ったらウソだけど」
最初は染み込ませるようにゆっくりと。少し蒸らしてからは、ぐるぐると一定の速度で。コーヒーを淹れる時は慌てないこと、そうマスターに教わった。
普段なら落ち着くはずの工程が、なんだか落ち着かない。
「でも、安室さんだから仕方ないかなって」
「わかるけど
……わかるけど」
蘭のジトッとした視線が新一に向く。突然矛先を向けられた新一が背筋を伸ばした。そんな二人を見て、梓の口元が緩む。
「悪かったって」
少し新一くんの態度が丸くなって、蘭ちゃんがもっと感情豊かになった。それだけ時間が経った。未だに安室さんを探し求める私を置いて行ったまま。
言い合う二人をそのまま、淹れ終わったカップ二つをトレイに載せて梓はキッチンを出た。
「お待たせしました。ブレンド一つとカフェラテ一つ。
……ご注文はお揃いですか?」
「ああ。ありがとう」
失礼します、と頭を下げて離れる。明るいポアロはどこにいたって気持ちがいい。のびのびと歩いてキッチンに戻ると、蘭がため息をついているところだった。
「梓さん、寂しそう」
「だろーな」
「梓さんに挨拶もなしに辞めるなんて」
「案外、近くにいるんじゃねえの」
優しい蘭の言葉に居た堪れなさを覚えたのも一瞬。まるで証拠でも揃っているかのように、あっさりと新一は言った。
「え?」
思わず蘭に釣られて新一の顔を見た。探した結果、探さないでとメッセージを残してきた人が近くにいる。いるとしたらどこに、いつから。尋ねたいのに、口を開いたら心臓が飛び出してしまいそうで何も言えなかった。
「だってそのカフェには安室さんの残したヒントで行ったんだろ? 梓さんが本当に行くかわからないなら、回収できる距離にいたはず」
「そうかも
……?」
「だから梓さんの近くにまだいるんじゃねーのってこと。梓さん、心当たりとかありますか?」
蘭と二人で見ていたはずが、いつの間にか梓が見つめられている。突然向けられた矛先は避けられそうにない。
心当たり、そんなものが他にあったらあの時に尋ねていた。もう何一つないから、どうしようもないこの感情を持て余している。
「急に言われても
……」
「知り合い
……例えば、探偵の知り合いとか」
「安室さん以外の探偵って、毛利さんと新一くんぐらいしか」
「じゃあ、探偵以外で。最近来た客とか」
「ポアロに?」
新一が頷く。的確に刺され、つい梓の口角が引きつる。探偵の知り合いを聞いてきたのはカマ掛けで、本当に知りたいのはきっとこっちだ。まるで言葉ではなく、思考の先を読まれたような感覚だった。
バレないように、少しだけキッチンへ顔を逸らした。
「あの安室さんがポアロを辞めた後に梓さんの様子を伺うとしたら、探偵を名乗って来るとは考えにくい」
「でも、新一。ポアロにはたくさんお客さんが来てるんだよ。そんな心当たりって言われたって」
「人は、よく知らない方がわかりやすい。逆に、安室さんみたいに近すぎる人ほど見えない」
「え?」
視線の先で人差し指が揺れる。事件を解き明かそうとする時のコナンくんの様で、少し懐かしい気がした。
「例えば、さっきブレンドとカフェモカを頼んだ客。何の仕事をしていると思う? 蘭」
道路に面した窓ガラスにちらりと蘭が視線を向ける。窓ガラスにはスーツを着た男二人が反射していた。
「スーツを着ているから、会社員?」
「普通の会社員って言うには、朝一なのになんだか妙だろ」
「えー?
……あ、朝なのにシャツが少しよれてる」
やれやれと言わんばかりの新一に、蘭は少し呆れ気味だ。それでもそこが良いのだと言っていたことを梓は知っている。推理バカとかなんとか言いながら、結局蘭ちゃんは新一くんのことが好き。それだけはずっと前から変わらない。
さっきまで向けられていた視線も忘れて、コーヒー器具の片づけに手を出す。このままランチ時ものんびり過ぎるとは限らない。事前準備はしっかりと、そう初日の安室さんに言ったのをまだ覚えている。
「ああ。注文した時はどうだった?」
「そこまで見てないって。どこかのホームズオタクじゃないんだから」
「お二人でブレンドを頼もうとして、お一人がカフェモカに変えてた
……ような」
蘭の助けを求めるような視線に、つい梓は返事をしてしまった。店内での過ごし方も、もちろんオーダーの仕方も自由だ。だから何も言わないようにしていたのに、どうやら蘭ちゃんに甘い人はこの場に二人いるらしい。
「ええ。メニューが被って片方が変えた。それから、二人は椅子に座った後、座ったまま足だけで椅子を動かそうとした。車の運転席や飛行機のコックピットに座る人が良くやる動きです。注文内容が被った時にわざわざ一人がメニューを変えたことから、パイロットでしょう。彼らはコックピット内で同じメニューを食べないよう習慣づいているから」
「なるほど」
「彼らが隠していたかはさておき
……どう隠したところで、必ず何かが滲む。梓さんだって、本当は心当たりがあるんじゃないですか?」
えっと驚く声とともに蘭の視線が梓に刺さる。追い詰められた犯人の気持ちってこうなのかな。思わず頭が現実逃避した。きっとこの人相手に隠したところで無駄。
諦めて降参することにした。
「
……バレてたかぁ」
得意げに頷く新一の前で、梓は口を開く。手元の器具の片づけなどすっかり忘れていた。
「いることにはいるんだけど、ね。こう
……新一くんみたいに、間違いない! って推理できるわけじゃないから」
「簡単ですよ」
静まった空気の中。訝しむ目線が二人分、新一に向かう。
「安室さんじゃないって根拠を一つずつ崩していけばいい。最後にたった一つでも否定できない事実が残るなら──それが真実だ」
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