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すなつき
2025-05-29 12:37:56
39960文字
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犬面術師と三尾の狐 犬神編
分からセッ後の続編です。
狐との関係に悩むライカンの元に舞い込む新たな依頼により、
無理やり眷属にされてしまった狐がツンケンしたり、ライカンが得体の知れないモノに襲われたり、狐に助けられたりしながら解決を目指すお話。
※狐は色々あってテツと名乗っています
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4
どこか甘やかで清廉な生花を思わせる良い香りと、ぬるま湯に浸るような微睡む午睡の如き心地よさの中、ライカンはゆっくりと瞼を押し上げた。
少し前に感じていた体の不調はとんとなりを潜め、目の奥にやや気怠さは残るものの思考はすっきりとしたものだった。ライカンは何度か瞬きを繰り返し明瞭な視界を取り戻したのち、ふう、と細く息を吐き出して見慣れた天井をぼんやりと見上げた。
体の左側がほんのり暖かい。体感したことはないがまるで猫を抱えて眠っているようだった。腕に巻きついて、かっちりホールドされて。ぴこぴこと動く耳の先が時折肌の上を掠めたかと思えば太ももの辺りをたしんと尻尾で叩かれる。
……
いや、猫?
この部屋の中には猫などいないし、入り込むこともできない。ならば、くうくうと小さな寝息をたてているこれはいったい。
「
――
!!」
ちろと視線をやってライカンはぐうと喉を鳴らしながら器用に息を詰めた。飛び起きなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。
跳ねる心臓をなだめながら、もう一度確認する。
ライカンの左側、腕を抱き枕のように抱えて可愛らしい寝息をたてていたのは猫でも何でもなくライカンの唯一の眷属である三尾を有するあどけない寝顔の狐であった。
声を出すこともできず、固まるライカンの視線の先でピピと大きな耳が動く。そういえば狐と話をする為に時間を設けたことを思い出し慌てて時間を確認すれば、約束していた時刻から既に一時間ばかりが経過していた。
はくりと開いた口からうめき声が漏れでてライカンは咄嗟に口を覆った。しかし既に押しだされたものを回収することはできず情けなく眉尻を垂らしながらそうと伺うように左腕を見てがちりと体が硬直した。
視線の先、湖面に夜明けの光が一条差し込んだような美しい翠がじいとこちらを見やっていた。のぞき込めばそのまま引き込まれてしまいそうなその目にライカンは今になって自分が犬面を外していることに気がついた。
無理矢理に視線を引き剥がし、顔を隠したまま身を起こそうとしたライカンはしかし、それよりも素早く狐に肩を押され身動ぎを封じられた隙に胴を跨がれていた。
持ち上げた手をやんわりと跳ね除けて、狐は両手で救うようにライカンの頬に触れた。親指が口吻の形を確かめるようにすうと表面を撫でてそれから被毛に埋もれた首筋を下に滑り落ちていく。鎖骨に触れて膨らむ胸部の中心、心臓の真上にまるで拍動を確かめるように掌が置かれたところでライカンは堪らず、ごくりと大仰に喉を鳴らした。
指先と共に落ちていた狐の顔が持ち上がりあの不思議な色合いの目がまたじぃとライカンを射抜いている。
「
……
ぬしさま」
平坦な、しかしどこか切実さを含んだ狐の声がひっそりと耳を打つ。とくりとくりと跳ねる心臓の音は掌越しに彼に伝わってしまっているのだろうか。
「ぬしさま、もう大丈夫みたいだね」
狐はゆっくりと瞬きをして、それからゆるゆると眦を細めた。笑んでいるようなその穏やかな顔を見上げながらライカンは何が大丈夫なのかも分からずに小さく頷いた。
狐は、うん、と幼子のように頷き返してそれからぺたりとライカンの腹の上に座り込んだ。どうやらそこに居座るつもりのようで、身動ぎしながら上体を起こしたライカンに機嫌を悪くするでもなくぽふりと大きな尻尾を揺らした。
「あの、」
つられて自分の背後でも尻尾がシーツの上を掠めて乾いた音を立てるのに少しばかり気まずさを覚え取り払うようにぽつりと言葉を零した。狐は面倒がるでもなく、またうん、と頷いて二の句を待っている。
「申し訳ありません、あなたに何か手間を取らせてしまったようで
……
その、はっきりと覚えてはいないのですが
……
私は
……
」
「気がつかなかったのかい
……
?」
「? ええと
……
」
「そうだな
……
端的に言えばぬしさまは、呪われていた、かな」
狐は細いおとがいに指先を添えてこてりと首を傾げた。
呪いと言われて真っ先に思い当たるのは以前左腕に負った小さな切り傷であった。黒いモヤを纏う首無し犬と対峙した際に生じたものだ。ジクジクと苛むような痛みを思い出しライカンは思わず左腕を撫でさすった。
「ああ、これだね。これのせいで僕も気がつけなかった」
狐は、ため息をひとつ零してライカンの左腕を持ち上げる。前腕の中ほど、複雑な紋様の描き込まれた白い札が巻き付いている。それは以前狐を封じ込めた捕縛の札に良く似ていた。これ、と指さした札を狐は嫌そうに眉を顰めながら爪の先で器用に剥がしてライカンの目前に突きつける。
「この札、というか術式かな。あなたの血を媒介にしているだろう? 効力は強いが如何せん、諸刃に過ぎる。誰から教わったのか知らないけれどこれは使わない方があなたの為だよ」
「し、しかし
……
私は、私にはこれしかないのです」
「うん? ああ、違う違う。血を使わないでってことだよ。代わりのものは僕が用意する。僕の霊力を込めたものだから当然僕には効かなくなるが、血の術式と効果は変わらないし、あなたへのリスクも圧倒的に少ない」
狐がつまみ上げた札は、ライカンの目の前で端から青い炎を上げてじわじわと燃えて灰へと変わってしまった。落ちたそれもベッドに触れる寸前で幻のように掻き消えてしまう。残るのは腕のうっすらとした傷跡のみだ。
ライカンは困惑に眉尻を垂らして狐を見やった。
ライカンは狐を無理矢理、眷属という契約に縛りつけた張本人だ。その身を暴き、望まぬ関係を押しつけてこちらの都合で放置したそんな男だ。それなのに。
「なぜ、あなたは
……
そこまで私にしてくれるのですか」
嫌われて当然だと思っていた。こちらから契約を解消することもできず自由を奪っておいて、それでいて更に自分の役にたて、だなんて。成ったものは仕方ないとライカンには割り切れなかった。割り切る側の方でもない。であるならば狐の意思を尊重したかった。
「なぜ? えーと、なぜ僕があなたに力に貸すのかってことかい? そんなの
……
明確な理由が必要なのかい? そうしたいと思ったから、それだけではダメなのだろうか」
狐の目はどこまでも澄んでいた。真摯にライカンを見据えて、少しの揺らぎもなくただただ不思議そうに尾を揺らす。
「そもそも。あなたの力では僕と契約することすら難しい、というより命懸けになる。命を懸けたところで成否は大きく変わらない。もちろん否の方に大きく傾いたままだ。それがどうしてだか、従魔ではなく眷属に成った。より、高度な契約の方にね。確率で言えばどう頑張っても只人の身ではゼロだ。まあ、原因はあなたの裡にあるのだけれど、あなたは神がかり的な確率で契りを成した。ならば理由はそれだけで充分だろう?」
とん、と狐の指先がライカンの心臓が嵌る辺りを突く。
例えば、強大な霊力を妊む、人の身でありながら神に近しき人間だとか。
例えば、大妖と呼ばれるような妖怪と人の間に生まれた半妖と呼ばれる子どもだとか。
世の中には多様な人がいて、多様な妖と神があって。その中で分類されるならばライカンは力を持つ側の人間であった。とは言え強大でも万能でもないそれは只人よりそういった事象に強いだけの少しばかり特別な人間でしかなかった。加えて今は見鬼の力さえ失っている。
裡と言われて、ライカンの困惑は更に深まった。ライカンは生まれたときより他者より優れたものなどなかった。自分より優れた群れの中で自分だけが満足に持たざるもので、言ってしまえば落ちこぼれであった。
「わたし、は」
命を懸けなければならないほどの強大な存在と、如何にして交わりを契りを得たのか。
もし、目の前の狐が、ライカンの知る妖狐の類ではないとしたら。
冷や汗が滲んで口内がいやに乾く。知らなかったとほ言え自分は随分と無謀なことをしていたらしい。否。そもそもその無謀な賭けが成功してしまったのは
……
。
ライカンは無意識に縋るように狐の手を掴んでいた。
「
……
あなたは、今のところちゃんと人間だよ。ただの人間で、僕もただの狐だ。なにも心配いらない。あなたが人でありたいと願う限り、あなたは人間でいられる」
「ぁ
……
」
「人を人たらしめるのは、心の有り様だ。あなたの心が人であり続ける限り、それ以外にはなり得ない」
ライカンの手に力がこもり、狐の手を強く握りしめた。狐はその手を振り払うこともなく眦を細めて笑みを浮かべた。
「ひとまず、僕はあなたを認めたよ。あなたが、あなたらしくある限り僕はあなたの味方だ。あなたならば、道を違えず正しきことに存分に使ってくれるだろう? ねえ、ぬしさま」
狐はからりと笑ってライカンの頬を撫でた。
「この件が終わればまた話をしよう、ぬしさま。僕とあなたのこれから先とこれまでの話を、ね」
◆
「その、本当に宜しかったのですか?」
何度目かのその質問に狐はとうとう眦を釣り上げて半歩後ろを歩くオオカミを睨みあげた。
「しつこい! 宜しくなかったら今ここにはいないって、何度言えば分かるんだ」
耳も尻尾もすっかり隠されて若い青年の姿をとっている狐は頬でも膨らませそうな勢いだった。かと言うのもライカンがその質問をするのは先程で通算五度目。もちろんだよ、かまわないよ、気にしなくていいってば、と柔和な対応をしていた狐にもとうとう我慢の限界が来たらしい。
狐への所業に後ろめたさを覚えているライカンにしてみれば念には念を入れておきたいのも分かるが、それにしたってしつこい。ここまで来ると狐に対する信頼など微塵もないのではと、怒りの感情の中に心痛を覚えふいと視線を反らした。
背後のオオカミの気配がやや慌てたものに変わったのを少しばかり愉快に思いながら、狐はふんす、と鼻を鳴らして怒ったフリのまま歩みを進めた。
悔しいかなライカンのストロークの長さには敵わず、どれだけ大股で歩いてもぴたりと後ろに張り付かれたまま狐はとある喫茶店へと足を向けた。以前ライカンも利用した五分街のその場所は今日も閑散としている。
通りに面した路地の奥に治安官が見回りをしている姿を見ながら二人は奥まった席へと向かう。
衝立で区切られて大きな観葉植物の陰になったその場所には先客がおり、すっかり空になったグラスをズズとストローで行儀悪く吸い上げていた。
「やあ、待たせてしまったかな」
からりと大粒の氷をかき混ぜて、先客、桃色の髪をハーフツインにした少女は片手を上げた狐を見据えると器用に片眉を釣り上げてみせた。
「遅いわよ! いつまで持たせるのかと思ったじゃない。おかげで二杯目のコーヒーを注文するところだったわ」
「それは良かった。では二杯目のコーヒーの代金は借金の返済にあててくれ」
む、と少女は目を細めてそれから膨らんだ風船が萎むように、はぁと肩を落とした。
あんたが待ち合わせに遅れてやってくるのはいつものことだったわ、と少女は腕を組み唇をへの字に曲げる。
「それで、頼んでいたものはどうにかなったかい?」
「まったく、私を誰だと思っているのよ。とーぜん! あんたのお眼鏡に叶うものを用意したわ。これ見つけるのにとっても苦労したんだから! 報酬はたんまり弾んでもらうわよ」
はいはい、と笑みを浮かべる狐とこの少女は随分と気安い仲のようだ。向かいの椅子に腰を下ろした狐の少し離れた背後に立ちながらライカンは静かにやりとりを見守った。
依頼の品だと少女が差し出してきたのは両手で抱えきれないほどの大きな箱であった。ご丁寧にオレンジのリボンがかけられていて特大のプレゼントに見える。
狐はしばし箱をじっと見つめてそれから、頬を緩ませて、うん、と満足げに頷いた。
「ありがとう、ニコ。助かるよ」
「ふふん、もっと感謝してくれてもいいのよ?」
「はは、じゃあ前回のツケをひとつチャラにしてあげよう。どうだい? とびきりの報酬だろう?」
ニコと呼ばれた少女は、目をまん丸にして箱を脇に避けた狐の顔をじっと見つめた。できれば現金支給が有り難いみたいだが、前回のツケとやらはかなりの金額のようで。ぐるぐるとしばし悩んだ後、結局ツケの帳消しで手を打ったらしい。
そこまで箱の中には希少なものが収められているのだろうか。思わずライカンも箱を見据えたが透視の能力がないオオカミには当然ながら箱の外側しか見えなかった。
「さて、じゃあ行こうかぬしさま」
ニコとの話が終わったらしい狐は、ぽんとライカンに大きな箱を渡すと新たに注文したアイスコーヒーを固まった彼女に渡して喫茶店を後にした。
扉が閉まりきる寸前、ライカンの良く聴こえる耳はニコの驚愕を全面に出した「ぬしさま!?」の声をしっかりと拾ってしまった。当然ライカンの数歩先を歩く狐にも聞こえていたようで、少しばかり分別の悪い顔をしている。
「先ほどの方は
……
」
「彼女は、ニコ。報酬さえ支払えば割と何でもやってくれる、邪兎屋の社長だよ。あなたも必要であれば利用してみると良い。ニコはお金にがめついところはあるけれど、信用できる人間だ」
ぽろりと漏れたライカンの疑問の声に、狐は気分を害した様子もなくそう言った。
随分と彼女たちのことを高く評価しているらしい、信用という言葉にライカンは犬面の下でゆっくりと瞬きをした。
「なるほど、その時がくればあなたに取り次ぎをお願いさせていただきます」
「はは、その時は良いようにしてあげるよぬしさま」
前を向いた狐の顔は見えない。ライカンは存外小さな、自分の眷属となってしまった狐の背を見ながらぼんやりと無意識に漏らした疑問の一端に続く言葉を口内で転がしながら飲み込んだ。
――
先ほどの方は、名前で呼ばれるのですね。
ニコ、と親しげに名前を呼ぶその姿に少しばかり胸中がざわついた。ぬしさま、と頑なに自分の名を呼ばない狐に、いやそれは自分もかとライカンは小さく自嘲の笑みを浮かべた。
◆
箱を抱えたライカンと、狐がたどり着いた先には四分街の看板が立てられたメインストリートが街の中心に向かって伸びている。
初めて来たその場所で狐は迷うことなく真っ直ぐとどこかへ向かっていく。
五分街と同じ様に、否、五分街よりも鬱蒼とした空気の流れる四分街にライカンは眉を潜めた。見えずともピリピリと肌に感じる気持ちの悪さが漂っている場所だ。
狐が進む先はどうやらの気持ちの悪さの中心とも呼べる場所のようで、歩みを進める度に呼吸さえ阻害されているように感じた。
「
……
大丈夫かい、ぬしさま」
「っ、はい
……
ぁ、いえ
……
少し待っていただけますか」
いつの間にか歩みが止まっていたライカンは、戻ってきた狐が目の前に立っていることに声をかけられるまで気がつかなかった。どれほど立ち尽くしていたのだろうか。鈍い頭痛に眉を顰めながら箱を持ち直してライカンはゆるりと頭を振った。
「少しばかり気が敏感になっているようだね。屈んでくれぬしさま」
屈めと言われて、僅かに腰を曲げるだけで良かったはずなのにライカンはそのまま崩れるように地面に膝をついていた。僅かに肩が跳ねるほどに呼吸が苦しい。喉を押さえて擦るも漂う空気が淀んでいては一向に良くはならない。
落とした箱の角が潰れてしまっているのを視界の端に留めながら、ライカンは狐を見上げた。
眩く光るように見える灰色の髪を揺らして、狐は両手をライカンの頬を包むように当てた。面越しに、狐の暖かな温もりが伝わって、あ、と思う間に額の辺りに何かが押し当てられた。
ちゅ、と小さな音の後、狐のやや心配の色を乗せた顔がゆっくりと離れていく。何が、と思う間にまるで薄い布を頭からかけられたかのように清浄な光が体表を覆う感触を覚えた。
光はすぐさま収まって見えなくなるのと同時にふっと不思議なほどに体が軽くなった。
それどころか周囲に漂うモヤのようなものまでうっすらとだが視認できるようになっている。
「こ、れは
……
」
「力の譲渡? いや、加護
……
? まあなんでもいいか。一時的だけどぬしさまを守るものだよ。気がつかなくて悪かった。この場所は人の身には少しばかりキツイね」
立てるかいと促されてライカンはひとつ頷いて嘘のように軽くなった体を真っ直ぐに伸ばした。
「
……
この先には一体何が、いるのですか」
彼らの向かう先は、色を濃くしたモヤが一層立ち込めている場所だ。その中に入ることを本能が強く拒否してしまうほどの何かがいる場所。
背筋がひやりと冷たくなってライカンは堪らず尾を膨らませた。
「五分街であなたは見ただろう? 首のない哀れな存在を」
狐の静かな声は淡々と人気のない四分街の一角に小さく響いた。ライカンの前に突如として現れて、既のところで狐により守られたあの黒い犬のようなもの。
それは哀れで、悲しく、そして愚かな存在。呪いをばら撒き、人を襲うに至ったその根源たるものがあそこにあるのだと、狐は指差した。
工事中の看板が傾いたその先、壊れかけた遊具がモヤの中に見えてライカンは息を飲んだ。
「あれの名は、犬神
……
いや、神にすらなりきれなかったまがい物だ」
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