すなつき
2025-05-29 12:37:56
39960文字
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犬面術師と三尾の狐 犬神編

分からセッ後の続編です。
狐との関係に悩むライカンの元に舞い込む新たな依頼により、
無理やり眷属にされてしまった狐がツンケンしたり、ライカンが得体の知れないモノに襲われたり、狐に助けられたりしながら解決を目指すお話。
※狐は色々あってテツと名乗っています


3

(――混ざってる、なぁ……。ぐちゃぐちゃだ)

 アパートの屋上、手すりの外側にて危なげなくへりに座り込む灰色の艶やかな毛並みの猫は、路地の奥を見下ろして、まるで人間のように、ふう、 とため息を吐き出した。
 吹き抜ける風が白いひげを揺らして、くちり、 と可愛らしいくしゃみのあと猫の柔らかな輪郭が揺らぐ。かと思えば瞬きの合間に猫の姿は大きな三角耳を生やした細身の青年に取って代わった。

 五分街から逃げ出した黒いモヤはうろうろとあちこちを彷徨って、捨てられた子犬のように物陰に身を潜めて体を丸めた。猫、もとい狐の青年がある程度モヤの力を削いだからか、人に手を出すほどの実体を保てなくなっているようだった。
 人が通るたびに頭の辺りをもたげて、周囲を見回してまた身を丸める。それはまるで、帰らぬ飼い主を待っているかのような健気な姿で、モヤはしばらくそうして丸一日物陰にいた。

 狐の目には、魂の形がはっきりと視える。モヤの中身はぐちゃぐちゃと形容するのがぴったりだった。ひとつの器の中に無理やり複数の魂を閉じ込めているそれは、手当たり次第に色んな絵の具をぶち撒けて適当に混ぜ合わせたようなとにかく酷い有様をしているのだ。

 そんな状態でよく意識を持ち合わせているなと、 少しばかり感心してしまった。とうに狂って無差別に人を襲っていてもおかしくないレベルだ。否、 そもそも死者が出ていないことが既に奇跡のようである。
 いくら力を削いだと言っても普通あそこまで大人しく、まるで別の存在のようになることなど有りえない。
 となれば恐らく、器にされた主の意思がいっとう強いのだろう。死者が出ていないのはそのおかげだが、時折内部の暴走を抑えきることができず人を襲っていると思われる。しかしそれも軽症程度のもの。

――とは言っても、問題は別にあるのだけれど」

 中身に詰め込まれた魂は最早、怨みの塊だ。あれほど強い怨みの念は、人に障りをもたらす。触れるだけでも害を成すほどのそれに傷を負わされれば細菌のようにそこから柔い内部へと侵入してしまうだろう。狐はそこに感情の籠もらない目を向けてゆるりと瞬きした。

 救えるものにも限度があって、全てを解放できるわけではない。狐はそこまで万能でもないし、 慈愛に溢れた生き物でもない。現し世を彷徨い、 魂をすり減らし、悲しみに嘆きながらも燃え尽きることのない怨みの炎を抱えてそこに存在するだけならば、すっぱりと断ち切ってしまったほうが人にも、妖にも善いはずだ。

 それなのに今ここで、狐がその力を存分に振るって哀れな魂を焼き払うことはできなかった。

 そもそも狐の眷属たるあのオオカミが受けた依頼だ。彼の意を問わねば、狐が手を出すこともできない。人の世に勝手に介入して大きく理を乱すことは暗黙のルールのようなもので禁じられている。下級ならばまだしも狐のような存在にもなればほんの気まぐれでさえも慎重にならざるをえない。

 主が命をくだすか、もしくは当人に被害が及ぶ状況であれば例外と黙認されるだろうが、現状、 狐はオオカミから何の指令も受けてはいない。

「もどかしいな」

 人も、自分も、オオカミも、そしてあのモヤも。
 狐は、へりに腰かけたまま空を仰いでため息を漏らした。

 ともかく、全ての確認は終わった。主に請われれば万全の応えを用意できる。
 必要なものは揃ったし、あとは差し迫る約束に間に合うようにオオカミの元を訪れるだけだ。
 狐は三度、細く長いため息を吐き出してそのまま屋上から身を躍らせた。吹き上げる風が狐の体をさらった後、灰色の鳥が大きく翼を広げて空を飛んでいった。

 うだうだと悩みながら空を飛んでいるうちにたどり着いてしまったオオカミの所属する組織の事務所の窓を、嘴で叩けばすぐに気がついてくれたリナによって室内へと招かれた。
 隠蔽の術が働くその場所は外からであっても窓の位置は分からなくなっているらしいが、狐の前ではさして意味をなさない。

 床に脚をつくのと同時に見慣れた青年へと姿を変えた狐は、室内を見渡すと同時にぴくりと小さく眉尻を跳ね上げた。

……ぬしさまは、」

 呼び出しておきながら不在なのかい、と続くはずだった狐の言葉は途中でぶつりと途切れた。閉め切られた奥の扉をじっと眺めているうちに眉間に皺が刻まれていく。

「彼は……その、少し……体調がよろしくないようで、」

 うろと視線を彷徨わせたリナは頬に手を当てると心底申し訳なさそうな声で狐の主の様子を告げた。
 狐を迎える準備をしていたというオオカミが目眩のような症状を訴えたのがおよそ二時間前。少しばかり休めば大丈夫だと言う男の言葉を信じてリナは彼を見送ったが、奥へと消えたオオカミには回復の兆しは見えずそれどころか一層酷くなっているのだそうだ。

「まったく……手のかかるぬしさまだね。僕が見てくるから貴方は心配しなくても大丈夫だ」

「まあ……それならば安心ですわね」

 ほうと安堵の息を吐き出したリナに見送られて狐は扉をひとつ潜った。長い廊下には赤いカーペットが敷かれ、左右にいくつかの扉が付けられている。 
 その奥。廊下の突き当たりの部屋に向かってふつふつと腹の底で沸き上がる怒りを抱えながらも狐は澄ました顔で淀みなく脚を進めた。

(また呼ばなかったじゃないか!)

 リナがいなければ、狐は尻尾の毛を膨らませて唸り声をあげながら牙を剥いていたかもしれない。

 不満を踏み出す足に滲ませるも、分厚いカーペットはわざと立てる足音さえも気を利かせて飲み込んでしまった。狐は、ハァ、と眉間に皺を刻みながらため息を吐き出した。
 自分たちの間に足らないものは双方への信頼というやつだ。これに関しては対話を怠った狐もさることながら主としての自覚のないオオカミも悪い。

 狐は再度ため息を吐き出して、ぴたりと足を止めた。
 柔らかな光を落とすダウンライトの下、不自然な程に静まりかえる廊下は、実際の建物よりもうんと長く。ともすれば延々と続くのではないかという不安を覚えさせるようなものだった。只人が迷い込めばそれこそ彷徨い続け、出ることも叶わないかもしれない。
 狐は幸いにして只人ではないので、虫を追い払うような乱雑さで手を動かせば切り開かれたようにして唐突に廊下の終わりが現れた。

 突き当たりに嵌められた木目の美しい焦げ茶色の扉には何故だか不似合いなべ口を出した犬のシールが貼られている。まるで子どものイタズラのようだ。
 赤いまんまるの目、茶目っ気に溢れたベロ出し。 白い犬の可愛らしい顔に狐はぴくりと片眉を持ち上げた。

(―――なんだか)

……ぬしさまに似ている」

 狐はそうと指先を持ち上げて、顎の下もふりとした毛並みが描かれた部分を操るように爪の先で撫でた。

――――かわいい。

 漏れかけた言葉に狐は、はっと息を飲み込んで真一文字に口を引き結んだ。いや、これはシールに対してであのオオカミに対してではないと居もしない誰かに向かって弁解をしている様は傍から見ればやや滑稽だ。
 じわと目尻を朱に染めながら手を下ろした矢先、 かちりと小さな音が響き目の前の扉が勝手に口を開けた。
 迎え入れるように開いた扉の先、その中から微弱なれど主の気配が漂っている。狐は腕を組みながらゆるりと室内へ足を踏み入れた。

 扉を境にしてそこに透明な膜でもあるかのように廊下と部屋の中の空気は丸きり変わった。
 どんよりと沈み込むような重い空気が足元に蟠っているようで、踏み込むたびに不快なものが湧き上がる。狐は鬱陶しそうに手を振りながら部屋を見回した。

 掃除の行き届いた清潔な室内には、背の高い観葉植物と最低限の家具しかない。大きな窓にはカーテンがかかったまま僅かなすき間から波状の光が揺らいでいた。
 小さなテーブルの上にはシェードのついたサイドランプが淡い光を放ち、作業用らしい大きなテーブルの上には長方形の紙が綺麗に積まれている。
 狐はそれらを横目に見ながら部屋の奥へと向かいもう一枚の扉をゆっくりと押し開けた。

……ああ」

 体躯に見合ったベッドの上で、横になり目を閉じている眠っているオオカミを見て狐は得心がいった。

 ゆるゆると息を吐き出して、ベッドに腰掛けるとぴくりともしないオオカミの顔を見下ろす。

「そうか、あなたは……呪いにかかるのか」



(R18版はコチラ→https://privatter.me/page/6813650cdd187?p=1)


 ――呪い、とは人の思いの塊である。
 妬み、怨み、怒りや悲しみ。そんないわゆる負の感情の煮凝りみたいなものだ。あるいは悪意の上澄み、もしくは集大成。
 ただ、ただ、不幸たれと切なる願いの純粋なる悪意を、寝食すら犠牲にして成就させる強い思い、それが呪いであると狐は認識している。

 呪いを生み出すのが人ならば、呪いを受けるのも人である。
 狐はベッドの上で横たわる男を見下ろして淡く光る両眼を眇めた。どうしてか狐の主はこの呪いを上手く内側に封じ込めているらしい。狐にさえギリギリまで気がつかせぬ隠蔽のスキルは思わず感心してしまうほどだ。

 狐は小さくため息をひとつついて、男の横たわるベッドに乗り上げた。胴を跨いで、よく鍛えられた腹部の上に躊躇うことなくとすりと尻を落とすも狐の体重程度では呼吸のひとつも乱れないらしい。男はよく眠っていた。微かな呼吸と僅かな胸の上下する様だけが生きていることを物語るその証左であった。

 男の心臓の上に人差し指をひたりと当て、ゆっくりと狐の中で練り上げた気を探るように体内へと流し込めば外からは分からなかった呪いの片鱗がそこかしに散らばって、男の内側を蝕んでいた。
 それは白い紙に墨を垂らしたように、じわじわと広がって男を苛んでいく。彼の人たらんとする部分を少しずつ、しかし急速に広がって滲んで、染み込んでいく。
 どうやら狐の主とこの呪いは相性が良いらしい。身無論、悪い意味で、だ。

 押し当てられた指先はひとつから、四つへ。やがて掌全体で男の胸に押し当てられる。じわ、と狐の額に汗が滲んで僅かに呼吸が跳ねた。

「ぐ、ッ……ぬしさま、素直に……受け取って、くれないかい……!」

 狐が送り込む気はほんの僅かしか男の裡へと流れていかない。小さな穴を狙って針のように尖らせて送り込むも大半が弾かれてしまう。ゆえに、男の中で渦巻く呪いの破片を絡め取り引き上げることができない。
 ぽた、と汗が滴った。狐は乱暴に張り付く前髪をかきあげて再度気を流そうとするもはたとその動きを止める。

 ――もっと効率的な方法がある。
 そのことに気がついて、鼻にシワが寄った。グル、と小さく喉がなって奥歯を噛みしめる。屈辱的であったあの路地の記憶が蘇って狐は思わずぎゅうと目を閉じた。
 ……確かに屈辱であった。が、それと同時に他者から与えられた熱に溺れてしまったのも事実で。
 あの日、胎内に直接注がれた精気に狐は少なからず酩酊に似たものを感じた。頭の奥がジンと痺れてゆっくりとした波のように四肢の先に暖かな何かが拡がっていく感覚。と同時に腹の奥底に蟠る熱が奪い取られるようなものがあった。
 注がれた精気の分だけ男は代わりに狐の精気を吸い上げたはずだ。それが二人の胎内で混ざり合って結果、絡み合って契約を生み、眷属としての関係が生じた。

 使役魔としてではない、もっと深くてもっと強固で、もっと厄介なそんな関係に狐はゆるゆると細く息を吐き出した。
 薄い下腹を押さえて、それからちらと上目に男を見やる。もしここで男が呪いに負けたとして狐にはなんの損失もない。死すれば勝手に契約は立ち消える。主たる男からの破棄と見なされ狐に咎は与えられない。
 再び自由になる格好の機会だ。
 それなのに。体が動こうとしない。意思に反して狐の手は縋るように男の衣服を握りしめている。

「は、ッ……まったく、」

 ――情が、湧いてしまった。

 ここで見捨てるには惜しい男だと、短い人の命を憐れんでのものだと、そう言い聞かせる。
 自身にそうやって言い訳のように理由をつける時点ですでに手遅れであることに気がついて思わず呼気と共に漏れた笑い声を飲み込みながら狐は上着を脱ぎ捨てた。
 変化を解いた狐の背中でくゆるように三本の尾が揺れる。

 ベッドサイドのテーブルの上、金色の鎖が溢れる懐中時計を引き寄せて表面の細やかな装飾を指で辿りながら蓋を開く。
 数字のない針だけの時計、これは男の術具だ。今はどうやら注がれた力が空っぽになっておりただの置物でしかないが、満たしてやれば万全にその能力を発揮してくれるはずだ。
 長針をぐるりと二度回して、蓋を閉める。カチリと金属の鳴る小さな音がしたかと思えば、まるで天蓋から帷が下りるように室内が透明な膜に包みこまれた。
 音が遠ざかった静かな部屋に二人分の呼吸が混ざっていく。

 簡易的ではあるが、術者の領域を作り出す術具だ。注がれた力によって領域の質は変わるものの、随分と便利なものである。
 丁寧な仕草で時計をテーブルに戻した狐は、男の顔を覆ったままの面妖な犬面をはぎ取った。
 そうと指先を鼻先から沿わせて顎下へ向かって滑らせる。擽る柔らかな毛並みを何度か確かめて、狐は黒くやや乾いた鼻先へと唇を押し当てた。
 薄く開いた口唇の間から小さな舌先を出して湿らせるようにそこを舐める。ぴくりとも動かない眼下の男に眉根を寄せて、狐はやや乱暴に男の口端に親指を差し込んだ。そのまま閉じた口蓋をこじ開けて形の違う唇を押し当てる。

……ぬしさま………

 男の口内に押し込んだ狐の舌先が粘膜に触れるたびにピリと小さな電流のような刺激が走って体が震えた。

 はふ、と呼吸を乱した狐は祈るように目を閉じる。