すなつき
2025-05-29 12:37:56
39960文字
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犬面術師と三尾の狐 犬神編

分からセッ後の続編です。
狐との関係に悩むライカンの元に舞い込む新たな依頼により、
無理やり眷属にされてしまった狐がツンケンしたり、ライカンが得体の知れないモノに襲われたり、狐に助けられたりしながら解決を目指すお話。
※狐は色々あってテツと名乗っています

1

 犬面の術師、ライカンの一部が三尾を有する狐の中からようよう抜けたのはおおよそ、三十分後のことであった。
 狐の中の深い所に直接注がれたライカンの精気はゆっくりと腸壁越しに染み込んでいたので、ぽっかりと空いた穴から漏れるのは準備の時に使用された香油の残滓だけだった。
 強く掴みすぎて痕が残ってしまった狐の柳のような細くしなる腰を撫で身なりを整えてやりながらライカンは溜息を吐きたくなるのをぐっと堪えた。狐に非は殆どない。依頼者のまことを見抜けなかったライカンの落ち度のせいで、眷属に据えられてしまった三尾の狐を憐れむこともできない。

 力の入らない狐の太い尾にぺしりと手を叩かれればそれ以上触れることもできずライカンは眉尻を情けなく下げながらそっと手を離すほかなかった。
 支えを失った狐はふらりと覚束ない足取りでライカンから少し距離を取ると、汚れた路地にぺしゃりと尻もちをついてひくひくと肩を震わせ始めた。
 立派な耳はぺしょんと伏せて後方へ流れたまま。尻尾のひとつを抱きかかえて狐は震えていた。あまりにも憐れである。つられるようにライカンの耳もぺしょんと伏せてしまった。
 やや乱暴に己の後頭部を掻き回して、ふう、と喉に詰まっていた息を吐く。

「ひとまず、ここを出ましょう。立てますか?」

 ぴく、と狐の耳が片方動いて僅かに立ち上がる。それに続くように顔を持ち上げた狐が、長めの前髪の隙間からライカンを見上げた。
 美しいグリーンの目は泣きすぎたせいで真っ赤になっている。濡れた睫毛が束になってそこに新たな水滴が乗りきらりと光るさまはこんな場所でこんな状況でもなければしばらく眺めていたいほどに目を惹かれるものであった。
 できることならば縁に留まる水滴を拭ってやりたいが、恐らくライカンに触れられることを狐は好まない。目前に掌を上に向けた手を差し出すも、狐は視線をライカンの顔から掌に移動させただけで動こうとはしなかった。

 眷属になった狐に命令を下し、無理やり立たせることもできるがそれはあまりにも非道なことのように思えてライカンは口を閉じたまま急かすこともなく狐の動向を見守った。
 狐は再度ちらりとライカンを見上げてから、差し出した手を握ることなく壁を支えに立ち上がった。
 汚れた衣服をはらってやりたいのを我慢してライカンは口元にやんわりと笑みを浮かべながら役に立たなかった手を引っ込めた。

「あなた様には申し訳ありませんが、一度私どもの事務所へお越し願えますでしょうか。此度の任務の件の報告がありますので。できれば同席していただきたいのです」
……それは、命令かい?」
……いえ、お願いです」

 狐はじっとりとした目でライカンを睨み掠れた声で、ふん、と鼻を鳴らした。これは拒否をされたのだろうかと思ったが、狐は素直に壁から離れてライカンの方へ寄ってきた。
 依然として距離は空いたままであったが、暴れ出すようなことはないらしい。ほう、と安堵の息を漏らしライカンはポケットに押し込んでいた鎖のついた金色の懐中時計を取り出した。
 蓋を開け、ぐるりと指先で針を回す。乱れていた時刻を正規の物にぴたり合わせ、蓋を閉じるカチンと言う小さな音をきっかけに静まり返っていた路地裏に急速に喧騒が満ちていく。
 路地の奥で猫が鳴き、明るい通りにはざわめく人々の声が溢れていた。狐は伏せていた耳を両方ともぴこりと立ち上げてゆるゆると目を見開いた。

「行きましょう。歩けますか?」
……

 ちら、とだけライカンを見た狐はツンと顔を背けて瞬きの合間にその姿を人の物へと変えた。
 波打つ灰色の髪と、えりぐりの開いた服。たわわな胸を強調するように腕を組み大きめのジャケットを羽織った美しくもどこか隙のある女が現れる。
 先程まで本来の姿を見ていたライカンとてその高度な変化の術には舌を巻いた。まるで見分けがつきそうもない。

「なに」
「申し訳ありません、あまりに素晴らしい変化でしたので見惚れておりました」

 じろじろと不躾な視線に気がついた狐は、心底嫌そうな顔でライカンを見た。そのまま無言で半歩距離を取る。
 すっかり嫌われてしまったライカンは眉尻を垂らしたままゆったりとした足取りで路地を進んだ。小さな足音がしっかりと後をついていることを確認しながら、光の街、ルミナスクエアの大きな通りへと向かう。
 真夜中であるのに街中にはまだ多くの人がいる。頼りない足取りであった狐が人並みに飲まれてしまわないかと肩越しに振り返ろうとしたライカンは腕に軽い衝撃を感じて足を止めた。

「パパ! ご、ごめんなさい、つぎは、あたし、うまくやるから、ごめんなさい、おいて、いかないで」
「!?」

 咄嗟のことにライカンは動くことも否定の言葉を発することもできなかった。
 腕にしがみついているのは女の姿に化けた狐だ。それが、ぽろぽろと涙を零しながら縋るようにライカンの見上げている。人通りの多い、ルミナスクエアの真ん中で、だ。
 あろうことか、大きな声でライカンをパパと呼び、わざと肩からジャケットを落として薄いインナーに包まれた華奢な体を見せつけている。

「パパ……? おこってるの……? あたしが、ちゃんとしごと、できなかったから……?」
……パ、パパ……?」
「やだ! パパ、やだ、すてないでぇ……! やだぁ……! しらない、ひとに、さわられても、がまん、するからぁ……!」
「ま、まちなさい!!」

 ざわ、と周囲のざわめきが大きくなって人の視線が針どころか、槍のように突き刺さる。
 冷や汗がどっと吹き出して、背筋を冷たくする感覚を味わったライカンは咄嗟に周囲に視線を巡らせた。人垣の奥で異常を察知した治安官のボンプが目をつり上げてこちらに向かっている。
 交差点のすぐ向こうには治安局のルミナ分署が建っている。応援を呼ばれれば治安官が即座に駆けつけてくるだろう。
 悪態をつきたくなるのをぐっと堪えてライカンは狐の体を抱え上げて走り出した。背後から「ンナー!!」と響くボンプの声を聞きながら地面を蹴りつけとかくその場所から少しでも早く離れることに尽力した。
 ルミナスクエアの街の灯りを背後に、停めていた社用車に狐を押し込んでライカンはつんのめるような勢いで車を発進させた。二人を乗せた車は法定速度を僅かに上回るスピードで深夜の道路を進んでいく。
 追手の姿が見えないことをバックミラーで確認したライカンは、ようよう肩の力を抜いて溜息を零しながらハンドルを握り直した。

……ふ、くくっ……あっははは!」
「冗談が、すぎますよ……!」

 助手席に大人しく収まっていたはずの狐はしばらくすると、肩を震わせて弾けるように笑い始めた。
勢いで変化の一部が解けたのか三角の大きな耳と、尻尾が一本飛び出している。
 ばたばたと尻尾でシートを叩きながら、狐は腹を抱えて笑った。どうやら噂に違わぬイタズラっぷりも持ち合わせているらしい。とはいえ、先ほどのそれはイタズラにしては度を越している。ライカンの足が遅ければ治安官に捕まっていてもおかしくはないところだった。

「今後、あのような冗談はおやめください!」
「ん、ふふ……く、ふっ……
「聞いておりますか!?」
「ふーっ……それは、命令かい?」
…………いいえ、お願いです」

 狐は、猫のようににんまりと目を細めて笑った。

「あはっ、ざまぁみろ」



 ライカンの操る社用車が夜の闇に紛れて滑り込んだのは、一見すると何の変哲もないオフィスビルの地下駐車場であった。
 笑いを引っ込めた狐は促されるまま車を降りて、先導するライカンの後を追った。耳も尻尾もすっかり収めて完璧な人間の女に化けた狐はエレベーターに乗せられても口を真一文字に閉じたままだった。
 嘲るようにライカンを嗤ったかと思えば次は人形のようにだんまりになった狐にライカンはまた情けなく眉尻を下げた。
 気まずい箱内はすぐに目的階に到着して分厚い扉を開き、内部の二人を排出したかと思えば、役目は終わったとばかりにぴしゃんと口を閉めてしまった。
 分厚いカーペットが引かれているのだろうビル内の廊下は、重いライカンの足音さえ響かない。視線をあちこちに巡らせる狐を引き連れたライカンは白い壁の前に立ち、何かをなぞるように指先を滑らせた。
 それはまるで薄布が引き裂かれるように、ライカンの指が通った後から本来の重厚な扉が姿を現す。ビル内の雰囲気にはそぐわない、豪奢な飾り枠のついた見上げるほど大きな両開きの扉だ。
 深紅の扉にはまる、金色の取っ手をライカンが握れば弾けるような音と共にその扉がゆっくりと開いていく。

「隠蔽の術か……なるほど」

 狐は、ふうん、と興味深そうに顎先に指を当ててまじまじと扉を見つめた。狐の目には術式の痕でも見えるのだろうか上に下に移動してそれからライカンがなぞった解呪の紋を赤い爪の先で正確に辿って見せた。
 ライカンが黙したまま見守っていた狐は、満足したのかくふん、と鼻を鳴らした。尾が出ていればゆらゆらと揺れていたかもしれない。
 ライカンは、どうぞと内部へ入るように大きく開いた扉の先を片手で示して見せる。狐はまた、すん、と音がしそうな勢いで真顔になると室内へと歩みを進めた。後に続いたライカンが扉を閉め取っ手から手を離せば再び弾けるような音が響く。
 背後の扉には何の変化も見られないが狐の目には浮かび上がる術式の痕がはっきりと見て取れたようだった。

「ここと、ここ。綻びかけてる。早めに直した方が良いよ、ぬしさま」
「え?」
「なに、ご主人サマとか呼ばれたいタイプなのかい?」
「い、いえ、そうではなく」

 フン、と狐は目を見開くライカンの視線から逃れるようにそっぽを向く。トゲのある『ぬしさま』であったが狐から声をかけられたことにライカンは僅かに口の端が緩んだ。
 手違いと勘違いで眷属にしてしまった珍しい三尾の狐であったが、事務所であれば契約の破棄もできるだろうとライカンはここへ連れてきたのだ。
 できるならば今後は友好な関係を築いて行きたいと思うが、さてそれは難しいかもしれないなと漏れた笑みは苦笑いへとすり替わる。

「それで、報告とやらはいつ終わるんだい? 僕はいつまでここにいれば良いのかな、ぬしさま」
「ああ、申し訳ありません。すぐに終わらせますので」

 手近な椅子を引き寄せ狐に座るように促した矢先、奥の扉がタイミング良く開き目当ての人物が飛び込んできた。
 いつ、いかなる時であっても冷静でたおやかな彼女らしくない、慌てた顔にライカンはおや、と目を瞠った。

「ライカン! あなた、事務所になにを……、」

 ぱちり、と女性は目をまん丸に開いてそれから狐を見やり口許を隠すように指先を添えた。

「あら……あら、まあ……ライカン……あなた、本当に……

 女性は狐とライカンを交互に見やって、それから常の冷静さをようやく取り戻したのかこほんと小さな咳払いをした後、やんわりと笑みを浮かべた。

「失礼致しました、まさか私どもの事務所にあなた様のような方がいらっしゃるなど、夢にも思わず……申し遅れました、私、アレク、」
「待って」

 頭を垂れるどころか、膝を折りそうな勢いの女性の言葉は狐の発した鋭い静止の声にぴたりと止まる。
 窺い見るような赤い目を見おろして狐は困ったような苦笑いを浮かべて、すまないと短く謝罪を述べた。ライカンに対する態度とは天と地ほどの差がある。思わず耳がしなびたように伏せるのをライカンは止めることができなかったが、当然狐の視線はこちらを向くことはなかった。

「普通にしててくれて構わない。なんたって、僕は今、そこの、犬面つけてる男の、眷属、だからね」
「眷属、でございますか……? そ、それにしては……その……いえ、詮索は野暮でございますわね」
「あはは、ぬしさまは当事者であるのに、お気づきでないみたいだけどね」

 やたらと『眷属』を強調した物言いにライカンは小さく溜息を零し、何とも言えない色を宿した女性の視線から逃れるように目を泳がせながら口を開いた。

「そのことについて、貴女に相談がありまして」

 リナ、と愛称で名乗った女性は今回の任務の内容を聞いて溜息をひとつ零した。
 まさか依頼主の本来の目的が路地裏に潜む狐そのものだとは思わなかったのだ。術師の中には妖などと契約を結び主従の縛りを与えるものもいる。
 術師ではないものが、契約を行うことはほぼ不可能だ。妖を上回るほどの強大な力があるならば、話は別だが当の依頼主が持ち合わせているものは地位と富だけだ。
 依頼主が何を思ってライカンに狐の捕縛を持ちかけたのかは分からないが、真意を見抜けず素直に渡していれば今頃只人でしかない彼の人は不審な死をとげていたかもしれない。死体があるならば僥倖。存在自体が消え去っても可笑しくはないところだった。

 それからもう一つ、ライカンと狐が結んだという眷属についてとやらもリナの頭を悩ませた。
 何の術式を用いたのかは不明だが、椅子に座りライカンの入れたお茶をちまちまと飲んでいるこの狐は、到底ライカンに使役できるレベルの妖ではないのだ。
 様々な条件がうまく噛み合って奇跡のような確率で契約がなされている。ゆえにこの繋がりは酷く強固で、そして酷く不安定なものだ。

――ですので、ライカン……この契約は残念ながら外から簡単に破棄できるものではありませんわ」
……そう、ですか」
「ええ、私程度ではとても……。お力になれず、申し訳ありません」

 リナは悲痛な面持ちで狐に向かって頭を下げた。当の狐はそんなことはすでに分かりきっていたようで、ライカンが契約破棄の相談をリナに持ちかけたあたりで呆れたような顔をして、山と積まれたクッキーを頬張っていた。

「リナのせいではないだろう? すまないね、ぬしさまが迷惑をかけたみたいで」
「いえ、とんでもございませわ」

 迷惑を、かけたのだろうか?
 ライカンは首を傾げたが到底割って入れる空気ではなかったため黙していることしかできなかった。

「それじゃあ、話は終わったみたいだから僕はそろそろ帰らせてもらうよ、ぬしさま」

 結局、ライカンと狐の間に交わされた契約はそのまま、眷属の縛りを解消することは叶わず。狐にとっては無駄足にも等しい時間であった。
 クッキーの山を半分ほどに減らした狐はリナにだけにこりと可愛らしい笑みを向けて立ち上がる。

「お送りいたします」
「不要だよ。送り狼でもあるまいし、たかが一眷属に過ぎない狐に対して何をそんなに用心することがあるんだい?」
「しかし、」
「しつこいな、不要だと、言っている。めでたく、ぬしさまの眷属となったからね。もう路地裏で暇つぶしのイタズラもしないから安心してくれ」

 狐は鼻に皺を寄せて睨みつけるようにライカンを見据えるとそのまま事務所の奥、窓がはまる壁の一面へと向かった。
 窓を開け放った狐はそのまま躊躇いもなく窓枠に足をかける。冷えた夜風が室内に流れ込み重苦しい空気を僅かにだが払拭していった。

……ああ、忘れていた。僕の名前は、テツ、だ。使いたければ呼んでくれ。行くかどうかは、分からないけどね。どうぞ、よろしく。ぬしさま」

 狐のうねる長い灰色の髪が風に攫われて、振り返る目が淡く青色の光を放ちながらライカンを射抜いた。口端を歪めてそのまま狐の細い体は窓枠を乗り越えて外側へと落ちていく。
 ハ、と息を飲み狐の背を追いかけたライカンの視線の先で一羽の大きな梟が灰色の翼を広げて夜の中を飛んでいった。