すなつき
2025-05-29 12:37:56
39960文字
Public
 

犬面術師と三尾の狐 犬神編

分からセッ後の続編です。
狐との関係に悩むライカンの元に舞い込む新たな依頼により、
無理やり眷属にされてしまった狐がツンケンしたり、ライカンが得体の知れないモノに襲われたり、狐に助けられたりしながら解決を目指すお話。
※狐は色々あってテツと名乗っています


閑話

 果てが濃い紫色に染まる夜明け前の空を一羽の梟がふらつきながら風を切り、とある建物の屋上へと降り立った。
 着地に失敗して硬いコンクリートの床にべしゃっと落ちた梟はそのまましばらく蹲っていたかと思えば、やにわにその輪郭を曖昧なものにした。
 蜃気楼のように滲み、霞み、梟は別のものへと変貌を遂げていく。霧が晴れるように隠されていたものが顕になるとそこに座り込んでいたのは一匹の狐であった。灰色の美しい毛並みと、朝焼けの色を反射する深い常磐の目を持つ三尾の狐はぱちくりと目を瞬いてがくりとうなだれる。
 誰の視線も、それすら猫の一匹さえ見当たらない未明の屋外で狐は恥ずかしそうに耳を伏せて小さな口をぱかりと開いた。細いマズルに小さく皺を寄せながら気を取り直し、ぷるぷると頭を振ってから瞬きの合間にまた姿を変える。
 今度は青年へと変化した狐は打ち付けて赤くなった額をさすりながらどこか頼りない足取りで屋上の入口を持ち上げて梯子を降りた。
 何とか踏み外すことなく二階部分へ降り立ち、階段近くの部屋の扉がしっかりと閉まっていることを確認したのち、狐ではあるが脱兎の勢いで奥の部屋へと駆け込んだ。
 そのままベッドへと飛び込んで枕に顔を押し当てながら、狐は叫びだしたくなるのをぐっと堪えてじたばたと子どものように暴れまわった。

(眷属に、僕……あのオオカミさんの眷属にされてしまった……!)

 気が緩んだのか変化が一部解けて、大きな三角耳と長い尻尾が一本飛び出していることにも気がつかず、枕に顔を埋めた狐はうめき声をあげた。
 尻尾が左右に大きく揺れてばふばふとベッドを叩く。脳裏に蘇るのはあの、似合わない精巧な作りのイヌの面をつけた逞しいオオカミの姿だ。
 周囲の目はあの隠蔽の術が書けられたイヌの面で見事に欺いているようだが、狐の目には透明な紙切れにも等しい。
 太く、スッと伸びたマズル、その先にちょこんと乗っかる品の良い黒い鼻。耳は狐のものより小さくて、でも尻尾は狐のものより大きい。鋭い爪の伸びる指先に肌を擽られて、後孔を暴かれ、秘奥を許してしまった。
 眷属にするための深いまぐわいがあんなに凄いものだとは狐も知らなかったのだ。項の甘い痛みと、胎内に注がれたオオカミの迸るような精気を思い出して腹の底がずくりと熱を思い出す。

「ぅ、う"〜〜〜〜ッ!」

 じわ、と涙が浮かんで心臓に突き刺すような痛みが走った。
 面の下の、精悍な顔立ちと涼やかな目元。流れる白銀の美しい毛並みがどうしようもなく狐の嗜好を刺激したのだ。手を出せば危ないという直感がしっかり働いていたにも関わらず、ちょっとだけ味見をしたいという好奇心に負けてしまった。
 結果、どうやら眷属という存在を誤解しているオオカミのせいで歪な契約が強制的に結ばれてしまった。もし、狐が男体ではなく女体であれば間違いなく一夜妊みを体現していたことだろう。
 狐は眷属の意味を正しく理解していた。あのリナという女性だって狐とオオカミを見て目を丸くしていたのに、当のオオカミ本人だけがその意味を分かっていないのだ。
 きっと手駒にしか思われていない。そう思えば思うほど悲しくなってきて、ついあんな態度をとってしまった。

「う"ーっ!!」
「ねえ、ちょっとお兄ちゃん! うるさいんだけど!」
「ぇ!?」

 ヒャッ、と狐は尻尾を膨らませて慌てて背後を振り返った。混乱していたからか閉め忘れた部屋の扉の内側に、頬を膨らませた少女の域を出ない若い女の子が一人腕を組みながら立っていた。
 尻尾が三本飛び出して、ぶわわっと大きく広がる。狐は、目を見開いてはくはくと意味もなく口を開閉させた。

「もー! 朝帰りしたかと思えばバタバタ騒いで……あれ? お兄ちゃん……? うそ、まさか……
「わ、わー! やめろ、みないでくれっ!」
「見るなって言われても無理だよ。もう見ちゃったもん。へえ……お兄ちゃん……へぇえ……

 にんまりと少女は口を歪めてベッドの近くまで跳ねるような足取りで近づき、お兄ちゃんと呼んだ狐を見下ろした。尻尾を抱えて羞恥に顔を真っ赤に染めた狐はきゃふんと鼻を鳴らしてどうにか小さくなろうと背を丸めるも、少女の視線から逃れることは到底無理であった。

「何があったか詳しく教えてくれるよね、お兄ちゃん」
「勘弁してくれ……

 驚きで引っ込んだはずの涙をまたじわりと滲ませながら、結局狐は少女に急かされるまま事の顛末を話すことになってしまった。
 まぐわいの辺りはごにょごにょと濁したものの、少女は全てわかっていますよ、と言わんばかりの顔をして頷いた。何の頷きなのか追及する気力もなくて狐はくたびれた尾を抱えたままため息を漏らした。

「ーーじゃあ結局、素直になりきれなくてツンケンした態度のままそのオオカミさん置いて帰ってきちゃったの?」
「だ、だって! ちょっと冷たくした時にしょんぼりした顔が、なんか可愛くて……! あれ以上一緒にいたら変になるかと思って……かっこ悪い姿見せて幻滅されるのも嫌で……

 恥ずかしい姿はとうに晒しているが、無様は晒したくない。良く思ってもらいたいが、へし折られたばかりのプライドが邪魔をしてつい、狐はツンとした態度をとってしまったことを後悔していた。

「それに、オオカミさんは僕のことは使い魔程度にしか思ってないはずだし……

 大きな耳をぺしょりと伏せてきゅうんと鼻を鳴らす狐は、少女の良く知る兄の、そのどれにも当てはまらない顔をしている。

「魔性とまで呼ばれたお兄ちゃんが、ねぇ」
「そっ、その話はもう忘れてくれないかい?」

 あはは、と少女は快活に笑って兄と良く似た目を眇めた。
 歪な二人の繋がりはまるで綱渡りのように絶妙なバランスで保たれている。今後、二人の関係がどのように変化していくかは少女には分からない。それはきっと、兄も同様だ。
 永きを生きる者になった二人はいつだって、置いていかれる側だった。悲しみ、嘆き、それがいつしか無意味なものに変わっていくのが怖いのに、それでも関わることをやめられなかった。

 少女はたったひとりの家族である兄の手を柔く握りしめた。
 どうか、兄が歩むこの道の先が幸いに溢れますように。願いを込めて、自らの神様に祈る。

「早くオオカミさんに、呼んでもらえるといいね」
…………うん」

 手を握り返し小さく頷いた兄の顔を眺めて、少女は弾けるように一層可愛らしい笑みを浮かべた。


 ーーしかしこの日からいくら待っても名前が呼ばれることはなく、とうとう痺れを切らした兄が尻尾を振り回しながらオオカミの元へ突撃するまで、あとひとつき。