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シノハラ
2025-03-11 20:24:14
20206文字
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ヌヴィフリ
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ヌヴィフリまとめ(6本)
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親愛なる誰かへ(連作1つ目)
2023年11月19日
ジョシュア、ダニエル、テリー、ハワード、もしくはヌヴィレット? へ
――
そう、ヌヴィレットの私室に届いた手紙は始まっていた。
ヌヴィレットの執務室に届く手紙や書類の類は膨大だが、私室に届く手紙はほとんどない。そもそも、その住所の書き方を知る者が極わずかであるからだ。だから、封筒を裏返して宛名を確認するまでもなく、筆跡から送り主が特定できてしまう。
覚えのある名前の並びの後は時候の挨拶も煩わしいとばかりに本題が始まっていた。キミが公演を見に来てくれて嬉しい。その上、わざわざ手紙までくれたのはもっと嬉しい。本当だよ? いい加減キミも僕の演技力を疑うところはないだろうが、いくら僕の演技が上手だからって今更キミを惑わそうとしているなんて勘ぐらないでくれ。
これから僕は本当の事しか書かない。いやちょっと、少しばかり分かりやすいように誇張するかもしれないけれど(こういう部分も僕が正直に書こうとしているから書くんだって判断してくれると助かるのだけれど)。
なんだか最近、ご自愛くださいって言葉が身に染みるようになってきたよ。キミもいつも書いてくれるけど、ただの人間の体って本当に些細なことで体調を崩すんだから。季節の変わり目なんて結構大変で、鼻をずびずびさせてお医者様のお世話になってしまった。
ああ、無暗に気にしすぎないでほしいな。これは人間がよく言うただの風邪って奴で、さほど大事でも何でもないんだ。指導している時ならともかく、声の通りの悪い女優なんて最悪だろう? だから早々に医者にかかっただけで、今はすっきり治って元気だから。
そう、人間の少女はかつてと同じ筆跡で、生き生きと今の生活を綴る。どうやら彼女は風邪を引くことがあったらしい。ヌヴィレットと共にいた頃は身体の不調を訴えることはなかったから、風邪を引くのだって一人で暮らし始めてから初めて得た経験だったはずだ。いや、ひょっとしたらヌヴィレットに伝えていなかっただけで、ベッドで息を殺して回復に努めていただけだったのかもしれないが。
そんな日がなかった事を祈りながら、ヌヴィレットは彼女の文字を指先でなぞる。いつか、好きだけど公文書には使えないから使う機会が全然ないと不貞腐れていた、金のグリッターが入ったインク。煌めきが紙に伸びたのを見て、ヌヴィレットが自身の指先を見ると、金の粒子が指先に移っていた。
ほんの少し輝きを落としただろう文字に視線を落とせば、深くなりきらない彼女の青を思わせる色が主張を強くしている。きっと、彼女がこの色とインクを好んでいたのは本当だったのだろう。
吟味したのだろうインクの青が似合う便箋には日記染みた近況報告が続く。最近アパートの近所に猫の親子がいるのだとか、今度の劇は脚本と演出が揉めていて座長が苦労しているだとか。どちらかの案を取り入れるともう一方がほとんど台無しになってしまう部分があって、折衷案を選べばどちらの魅力も失われる。けれど、どちらも簡単に捨てられるような質でもないときた! 個々の能力が高いのも考えものだね。
座長はほとほと困り果てて考えあぐねていたみたいで、こういう意見対立の時ってどうしてました? なんて訊かれたけど、そういうのって大体キミが対応していたから特に話せることもなかったのが困り所だったな。僕ってそんなに頼りなかった? いやこの話は止めよう。分かってるよ。僕は頼りなかった。認めざるを得ない。
そんなことを書きながら、彼女が沈み込んでいくところが目に浮かぶ。ヌヴィレットがどうにもできない場所で勝手に項垂れるのは止めてほしい。それも含めて、彼女の本当ではあるのだろうけれど。
さて、とフリーナが行を改める。そんな先行き不安な公演だけれど、チケットを同封してみたんだ。公演の評判を聞いてから来てもらえるよう、中日くらいにしてみたよ。ほら、それなら過度な期待もせずに見てもらえるだろうし。
僕が余計に多忙にしてしまったから気が引けるところはあるのだけれど、もし元々来る予定があるならこのチケットを使ってほしい。広い客席からキミを探している余裕なんて、舞台の上ではないんだから。
机に置いていた封筒を手に取ると、次回の公演のチケットが入っていた。筆頭の演者リストにはフリーナ・ドゥ・フォンテーヌ、すなわち彼女の名が記されている。前後編の劇の後編を示すタイトルの下には、日付と開演時間と座席番号が記されている。肝心の日程は予定こそすでに何件か入ってはいるものの、動かそうと思えば動かせる内容ばかりだったはずだ。公演期間の中日と彼女は記していたけれど、ヌヴィレットの比較的仕事量が減る時期を見計らっていたようである。
ただ、仕事はすでに入っている。先約を口実にして、彼女がくれたチケットを無駄にする選択肢もヌヴィレットには与えられていた。
チケットと便箋を封筒に戻して、ヌヴィレットは一旦状況を取りまとめる事にする。今一度椅子に深く座り直して、組んだ腕の肘を肘置きに押し付ける。
まず、ヌヴィレットがフリーナの出る劇の公演に足を運んでいたのは事実だった。同じ公演中に何度もなんて頻度は望めなかったが、必ず一度休みを作って観客として劇場にいたのだ。ちなみに、どちらかというと彼女は実際に劇に出るよりも演技や演出の指導に当たる機会の方が多いのだが、そちらも可能な限り観劇している。
再び女優として名が売れるようになった彼女に送られるだろうファンレターに紛れ込ませるように、ヌヴィレットは都度手紙を出していた。一通の手紙がもはや彼女に大きな意味を与えないだろうと知っていて、むしろそれを好都合に感じていたのだ。ただ、ほんの一瞬、彼女が自身の言葉に触れくれれば僥倖で、ヌヴィレットの自己満足でしかない欲求は長らく満たされていた。
ただ、その手紙の差出人がヌヴィレットその人だと、彼女に気取らせるつもりなど毛頭なかった。だからこそ手紙は常にチケットの手配をしている者に代筆を頼んでいて、差出人の名前も変えて送っていたのだ。文面からそう簡単にはヌヴィレットのものとは分からないはずだった。
加えて、劇場で座る座席にも注意を払っていたはずである。貴賓席とまでは行かないが、お忍びで来る者向けに用意されており、役者でも簡単には見られない場所。そういう席が劇場にはある。一般客とは別のルートで劇場に入り、その時に限っては同席者も作らない。座長周りの者であれば誰が来ているかくらいは把握しているだろうが、それを外部に漏らさないのも彼らの仕事である。その相手がたとえ、劇の質を大幅に高める貢献者であったとしても。
事務周りの問題で彼女に情報が漏れた可能性は著しく低いだろう。なぜなら、フリーナは代筆者が毎度用意した偽名を把握していたからだ。であれば、手紙に露見する要素があったと考えるのが自然だろう。まさか、彼女がファンレターの類の一つ一つまで注意を払う余裕があったとは。
前述の通り今では彼女はただびとでありながら押しも押されもせぬ人気女優であり、彼女のみを目当てに劇場に通う者も少なくはない。相当数の手紙が彼女の元に届いているはずで、毒にも薬にもならないような手紙であれば記憶にも残らないと思っていたのだ。
そこまで考えて、発覚のルートなど些細な問題だと気がついて息を吐く。現実逃避でしかない行為に眉を顰め、ヌヴィレットは現状を今度は端的に表現しようとする。
理由ははっきりしていないが、数か月に一度暇を作って彼女の姿を見て、手紙を送るというヌヴィレットの至極自己満足な行為をフリーナに看破されている。酷くシンプルにまとまったそれは、致命的な響きを帯びていた。そもそも、自分達の生は二度と交わるべきではないというのに。
再び封筒から便箋を取り出し、ヌヴィレットは彼女が綴った軌跡を追いかける。自分の感情もはっきりと理解しきれていない自分では、文字から言葉以上のことは読み取れなかった。それどころか、嬉しいと書かれた言葉が本当なのかもヌヴィレットには分からなったし、どうにも信じられずにいる。
ヌヴィレットは五百年に渡る彼女の苦難の大半で隣にいた者だった。寄り添ったわけでも、分かち合ったわけでもない。長大な寿命を持ち、人とは一歩引いた立場にいるヌヴィレットをフリーナは苦難を分かち合う者としては選ばず、かろがろとした少女の体と心で一人立ち続けた。
それはひとえにヌヴィレットが人性を宿す存在ではなかったからだ。彼女の前に現れた直後の生まれたての古龍では彼女の苦しみが理解できなかったはずで、それを察したフリーナの落胆がいかばかりだったかヌヴィレットには推し量ることもできない。つまるところ、多少人々の感情を理解できるようになった今も、ヌヴィレットは未だに彼女の苦痛を知ることも叶わないのだ。
それでも、自身が彼女の恐怖と摩耗の日々を象徴するものの一つであることくらい、把握しているつもりだった。そんな者がどうして、これからの彼女の日々に足跡を残せようか。彼女の人間として成長し、成熟し、年老い、そう遠くもない未来に土に還るフリーナの生にヌヴィレットは必要ない。彼女の短い
――
人並みの生の中で、ヌヴィレットに煩わされる暇などどこにもあるまい。そう、早々に結論付けたはずだったのに。
彼女の劇になど、行かなければ良かったのだ。行ったとしても、身勝手な手紙など出さなければ。これが罪を犯した者の後悔に近いものなのだろうと、湧き上がる感情をヌヴィレットは分析する。であれば、彼女の舞台は再び裁判の場に早変わりするということなのだろうか。そんなことを、彼女が求めているはずはないのに。
封筒の中にあるチケットはさながら断頭台への片道切符である、なんて気軽に表現できる立場にヌヴィレットはない。けれど、これを手に取れば決定的な終わりを迎えるのだとヌヴィレットは確信する。どのような結末に至るかをヌヴィレットは絞り込めずにいるが、それでも今まで通りに行かないのだけは間違いなかった。
フリーナ、とヌヴィレットは小さな声で彼女を呼ぶ。この音が喉を震わせたのはいつぶりだっただろうか。自分にとってそう長い時間ではないはずなのに、長い断絶があったように思う。
手紙の言葉を見るに、フリーナは舞台からヌヴィレットの姿を見上げるつもりであるようだった。果たして、ヌヴィレットには再び彼女のまなざしを受ける資格はあるのだろうか。その瞳に浮かぶ色がどんなものであったとしても、その行為が彼女にとって価値のあるものとはどうしても思えないでいる。
それなのに。微かに息を漏らしながら背もたれに背を押しつけながら瞼を落とすと、隣にいた頃の彼女の笑顔を思い起こしてしまう。たとえば、外交の場に何とかヌヴィレットを引きずり出そうとして、うまく行った時の安堵の隠せない笑み。たとえば、お気に入りのケーキを机に並べて、紅茶がカップに注がれるまでの期待に溢れて少々緩んだあの表情。
認めざるを得ない。怖気づいて躊躇う自分を前に、呆れたように彼女が笑ってくれればいい。そう、ヌヴィレットは願ってしまっている。こんな鮮やかな手紙をくれるから、甘い期待が過ってしまうのだとお門違いの恨めしさを抱えながら。
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