シノハラ
2025-03-11 20:24:14
20206文字
Public ヌヴィフリ
 

ヌヴィフリまとめ(6本)



まだ人間として生きるのも苦しい頃のフとひょんなところで長年の疑問に決着を付けられたヌのヌヴィフリ
2023年12月4日

 人の姿で生を受けたことが、ずっと不思議でならなかった。
 自身がアビサルヴィシャップの龍であり、彼らは不順な進化を遂げたと言われている。故に、ヌヴィレットは彼らの仲間としてではなく、人間として生まれ落ちる事となった。そのような伝承が残っているのはヌヴィレットも承知している。
 不順な進化が罪であるのか、それが罪であるというならば人の姿で生きることが罰に値するのか。ヌヴィレットにはずっと分からなかった。
 思索であればいくらでもしてきたのだ。たとえば、フォカロルスの思惑が多分に含まれている可能性。ヌヴィレットが彼女と顔を合わせたのはあれが最初で最後と記憶しているが、もしかしたら彼女にとっては違っていたのかもしれない。そうでなかったとしても、ヌヴィレットの誕生に彼女が関わっていた可能性は排除しきれなかった。
 好き勝手に真相を明かし、一人で満足して結末すら見ずにこの世を去った彼女はヌヴィレットの生まれについて何も言及してくれなかった。きっとヌヴィレットの長い生をかけても、この姿が必然によるものなのかただの時間の積み重ねの結果でしかないのかの結論は出ないのだろう。
 どちらにせよ、フォカロルスの望む道筋を描くにはこの姿は頗る都合が良かったに違いない。ヌヴィレットは人と同様の言葉を繰るための声帯を持ち、街中の住居に身を置き、人々の傍らで過ごすにはこれ以上ない姿形である。
 心の在り方はともかくとして、この身がなければヌヴィレットは人の世には溶け込めなかった。そうして、人を知ることもなかっただろう。フォカロルスが望んだ結末に到底辿り着けず、予言を覆しフリーナが求めた未来を切り拓くことも叶わなかったに違いない。
 ヌヴィレットにこの身を与えたのが天理の采配であったとするならば、随分と迂闊だったとしか言いようがない。フォカロルスが噛んでいたとすれば、自身の生まれすらも天理を欺いた結果なのかもしれないが。
 どちらにせよ彼女が役割を完璧にこなし舞台を下りた今、物語の空白を語り得る者はどこにもいなかった。劇の全ては考察と解釈に委ねられ、答えを与えられることはない。答えに辿り着く必要もないことだとも思いながらも、それでも諦めに似た思索を止めることはできなかった。
 けれど、答えはここにあったのだ。この小さな体の、確かな温もりの中に。
 縋りつくフリーナの体を零さぬように抱き締めながら、ヌヴィレットはそう確信する。人に似合う背丈と二本の腕、そして彼女の体を抱き留めるのに適した胴の形に、分かち合う事のできるだけの体温。この人の苦悩の側にいるために、必要なものの全てがこの体には存在した。ヴィシャップの長としての姿を保っていては、今にも崩れ落ちてしまいそうな彼女の背を支えてやることすら叶わなかっただろう。
 それでもなお、ヌヴィレットは彼女を慰める役として不完全だった。彼女にとって長きにわたる苦痛の象徴であるくせに、その苦しみを最も理解し得る相手でもある。そのどちらかが欠けていれば、きっと彼女はヌヴィレットの胸で泣くことはなかったのだろう。
 五百年、彼女を苛むことしかできなかった後悔に混じるひとかけらの高揚。そんな不誠実な思いに込められる後ろめたさ。
 人を知らなければこんな思いをすることもなかった。そうすれば、きっとフリーナもヌヴィレットに縋ろうともしなかったはずだった。
 人を超越した生の苦痛を語ったその口で、人としての生もまた恐ろしいのだと掠れた声でヌヴィレットに伝えることもきっとなかった。この矛盾しているようにも思える苦悩の理解者に龍を選ぼうなどと、思いもしなかったに違いない。
 フリーナ、と囁く声が彼女を恐れさせるような響きでないことを、呼び声に応えるように引き絞られた指先を傷つけるような背でないことを幸いに思う。
……ヌヴィレット」
 夜の帳が落ちて多くの者が寝静まった世界の片隅で、どれだけそうしていたかは分からない。いつしか啜り泣きも落ち着いていたフリーナが掠れた声で人の姿をした龍を呼んだ。
「この国で、僕といたのがキミでよかった」
「本当にそう思っているのか」
 ず、と鼻を啜ってから少し上擦った声でフリーナが言うものだから、ヌヴィレットは眉根を寄せてしまう。けれど、ヌヴィレットの反応など承知の上だったのか、フリーナがたじろぐ様子はない。
「ふふ、キミも疑うのが上手になったね」
「もっと上手くできるものなど他にいくらでもいただろう」
 ヌヴィレットはフォカロルスが与えた舞台で必要最低限の役をこなしたに過ぎない。卓越した役者であるならば、アドリブでもって彼女の痛みを軽減させてやれたはずなのだ。たとえば密かに彼女の正体を看破したり、そうでなくとも彼女の人性に寄り添ったり。やり方はいくらでもあったはずだった。
 そのいずれもヌヴィレットは選ばなかった。ヌヴィレットは彼女にとって文字通り気の遠くなるような時の中で、何一つ彼女にしてやれた事がない。そんなヌヴィレットに彼女がかける言葉とはどうしても思えなかったのだ。
 予想以上に萎れて響いた返事を聞いたフリーナは馬鹿だな、と鈴を転がすように笑う。端的な罵倒にはヌヴィレットを侮蔑する意図など微塵も感じられなかった。
「よかったんだよ、キミで。キミ以外なんて考えられない。きっとね。信じてくれ。キミにはたくさん――僕にだってもう分からないくらいに嘘を吐いたけど、これはきっと本当だから」
 そう言ってはっきりと顔を上げてヌヴィレットに視線を合わせたフリーナは施していた化粧も崩れて目も腫れぼったく赤らんで、自宅の周りですら出歩きたくないと駄々を捏ねだしそうな有様だった。それなのに、その面持ちはきっと世界で一番美しいかたちをしている。
 もっと近くでそのかんばせを見ようと彼女の顎を指先で掬うと、ぱちりとフリーナが大きく瞬きをした。彼女の睫毛の先に溜まっていたらしい涙の雫がぱちんと弾けて、ヌヴィレットの手の甲に落ちる。
「野暮だなあ」
 思わずその雫に宿る感情を追いかけようとする前に、フリーナが手の甲に指を滑らせて自身の涙を拭ってしまう。彼女が機嫌を損ねた様子はなかったが、それでも彼女をこの方法で知ろうとするのは彼女の言う通り野暮というものなのだろう。
 ヌヴィレットの手を離れたフリーナの指先がヌヴィレットのシャツの襟元を緩く引く。水に頼らずとも、彼女が意図した事は不思議とうまく読み取れた。彼女が望むままに背を丸めながら、ヌヴィレットはフリーナの背を今一度支えてやる。
 願った通りの働きをしたヌヴィレットに、フリーナは柔らかく笑いかける。そして、お互いの感情の根源も分からぬまま、一呼吸分にも満たぬ触れ合うだけの口づけをそっと交わしたのだった。