シノハラ
2025-03-11 20:24:14
20206文字
Public ヌヴィフリ
 

ヌヴィフリまとめ(6本)



フが国外に旅行に行って帰って来た時の手の届く範囲にいてほしい無自覚ヌヴィフリ
2023年12月2日

 背中に腕を回されて、挨拶をする前に抱きすくめられた。水の名を冠するせいか自分よりもいくらか低い体温と、清廉さを思わせるヌヴィレットの香りにフリーナは目を白黒させる。
 あ、と声が上がってしまったのはそのまま抱き上げられて尻を支えられてしまったからだ。ぷらりと足が浮いてしまって爪先立ちすら出来そうになった
 こんな有様ではどうやっても逃げられない。彼の前ではよく逃げ回っていたな、なんて現実逃避めいた感想が過る。
「いったいどうしたんだい?」
「分からない」
 がんばれフリーナ、今こそ五百年の長きに渡る演技の力を集結する時だ。そう自身を鼓舞しながら彼の肩に手を突いて平静を装って問いかけると、自分でも動機が分からないのだと告げられる。彼の声も普段と変わらないように感じられるが、どこかおぼつかないような心細そうな響きが僅かながらに感じられた。
「なら、何か気になるようなことでも?」
「いいや、何もなかった。ここ最近のフォンテーヌは頗る平和だ。きっと君が胸を痛めるようなニュースも私が知る限りではない」
 緩く目を伏せて、ヌヴィレットは微かに頭を振った。それは何より。ではあるのだが、ならばどうして彼が自分を出会い頭に抱き締める必要があるのだろう。いやまあ、フォンテーヌの情勢が不安定だからと言ってこんなことをする理由にはならないのだけれど。
「ただ、君がいなかった」
……もしかしてキミ、僕が旅行で他所の国に行ったのが寂しかったのかい?」
 疑念塗れで恐る恐るの問いかけに、信じられないことに彼からの否定は一切なかった。
 つい先日まで、フリーナは旅人に誘われてスメールを訪ねていたのだ。気を抜くとくらくらしてしまう程暑い癖に夜は信じられないくらいに冷え込む砂漠を越え、湿度の高い雨林を抜けた先の街で一ヶ月と少し程旅人と過ごした。
 文化風習の違いはフリーナを全く飽きさせず、特に旅人と懇意にしているらしい踊り子とは互いに良い刺激を受けられたと思う。彼女以外にも住所を交換した相手もそれなりにいて、もう少し落ち着いたら筆を執ろうと思っている。
 移動時間を含めて大体二ヶ月。実に実りが多く、フリーナにとって忘れられない旅になった。まさか、その間に彼がこんな鬱々とした気持ちを抱えていたなんて。
「そんな、たった二ヶ月会わないなんて珍しくも何ともないじゃないか!」
 フリーナがパレ・メルモニアで暮らしていた頃はそれこそ毎日のように顔を合わせていたが、アパートで暮らし始めてからはたまに顔を合わせて近況を報告し合う程度になっていた。会えばそれなりに長く時間を過ごしたが、ヌヴィレットに無理やり時間を作らせるわけにもいかないためである。
 彼が手配させたアパートをしばらく空けることになるので手紙を送りはしたが、今回だって旅行のせいで周期が伸びたなんてこともない。むしろ、手紙を読んだヌヴィレットが出発前夜にフリーナを訪ねてくれたおかげで、空白期間は短くなっているはずだった。その時の彼は長持ちする焼き菓子を土産にしてくれて、旅人と食べるようにと穏やかにフリーナを送り出してくれたのだけれど。
「ああ、そうだ。私もそう思っている」
 背に回っていた片方の腕がフリーナの頭に添えられる。そっと重みを与えられて、距離を詰めてほしいと願われているのが分かった。
「それに旅人が同行しているのだから、もしもの事など起きないだろう。何も案ずるような事はない。それなのに、君がこの国にいないと思うと」
 彼の望みに応じて背を丸めて頭を垂れる最中、ヌヴィレットはフリーナのまなこをずっと見つめていた。選択を誤ったようにも感じたが、ここにきてやっぱりなしでなんて言えるはずもない。
「君がこの国にいなければ、私は何もしてやれない」
 そう、掠れた声でヌヴィレットが告げて、そっとフリーナに頬ずりをした。一枚の布地も挟まない触れ合いに、ど、と心臓が音を立てる。
 今更――本当に今更なのだけれど、近い。近すぎる。告白めいた言葉を何とか受け止めながら、彼を人の尺度で考えてはならないとフリーナは自身に言い聞かせた。
 彼はただ、フリーナに負い目を感じているだけなのだ。長らく損なわれ続けたこの国の哀れな人間にフォンテーヌとして贖わなければならないと考え、彼は誠実に実行してくれていた。その対象が国を離れてしまえば彼から介入の術が失われてしまい、フリーナへの後ろめたさを抱え続けることになる。つまりはそういうことなのかもしれない。
 それはヌヴィレットの独りよがりでしかないとフリーナは非難することもできただろう。それこそがフリーナを過去に縛り付ける鎖だと、断ずることだってきっとできる。
 けれど。
「ヌヴィレット、今日はキミにお土産を持ってきたんだよ。レンジャーの子に森に綺麗な湧き水があるって教えてもらって旅人と汲んで来たんだ。気に入ってくれるといいな」
……ああ、ありがとう」
 彼の目尻を撫でながら告げると、ヌヴィレットはぱちりと瞬きをした。それから礼を述べてくれる彼にフリーナは笑いかける。
「旅人とキミの話をたくさんしたんだ。立場を考えれば難しいけど、いつか一緒に色んな場所に行けるといいねって」
 フリーナだって、多分お互い様なのだ。ヌヴィレットがフリーナを自分の目の届く範囲に置きたがるように、フリーナも彼をこの国から連れ出せればと思ってしまった。自分が触れる新しい物、知らない音楽、見た事のない物語。自身が感じた物事を彼にも伝えたいとそう思った。
 小さく彼が息を吐いて布地が擦れる音がしたかと思うと、フリーナの視線の高さが途端に下がる。ゆっくりと足の裏が床に着いて、骨の弱い鳥を解放するような慎重さでヌヴィレットの腕が解かれた。
「おかえり、フリーナ」
「うん、ただいま。ヌヴィレット」
 いつものように見上げれば、密やかな声でヌヴィレットがフリーナを歓迎する。その声に応じながら、フリーナはひとまず旅人と交わしたモンド行きの約束を脇にうっちゃって置くことにした。