大人になってからの松花馴れ初め

pixiv再掲
独身だけど家族皆仲良しの花巻と、既婚者だけど威厳ある家庭で育てられた松川という設定で書きました。極も最終回も出る前に書いたので抜けてる公式設定多々あります
家族への憧れの話です



「その後に、お前に電話したんだ」
 二十二時過ぎ、松川が話を終えた。外の車の音や通り行く人の話し声もまばらになってきた。もうすぐここら辺は無音の静かな住宅地になる。
……花巻?」
 花巻は、俯き加減でいる。話も長かったし、「寝ちゃった?」と顔を覗き込まれ、ほんの少しだけ聞こえた鼻をすする音が聞かれてしまった。
「だから、どうして花巻の方が辛そうなの」
 松川がリビングのテーブル上に置いてあったボックスティッシュを箱ごと近くへ引き寄せる。花巻は暗闇で手を伸ばし、鼻をそのティッシュで押さえる。
 泣いてるの? と松川に聞かれれば、うるせー誰だって泣くだろ、と震え声の素直な表現を返した。
「ねえ花巻」
 松川は、自分の娘を起こさないようにそっと布団を避けながら花巻の敷き布団へ移動する。花巻は慌てて半身を起こした。向かい合う松川の目がやさしく揺れて深い黒の中に光を宿す。
「俺は五年間、どこか自分が遠くにいるような気持ちで過ごしてた。でもお前に電話した時、すぐに高校の時に戻ったような気になったよ」
 花巻の顔が真っ赤に染まっていく。こんな風に見つめられたまま、誰かと真剣に話したことはあっただろうか。いや、バレー部の時に顔を付き合わせて、松川とファーストフード店で、帰り道で、何度も何度もしてきたことだ。何度も何度も、自分はこういうレシーブで返せたら良いと思うだとか、松川はブロックのときどうしたら良いだとか。
 お前ら仲良いよな、と周囲にからかわれながらそれを、まあね、と軽くあしらいながら、常に真剣にバレーを考えて、真剣にお互いの特技を活かす為にどう動いたら良いか試行錯誤していた。
 いつだって互いを思いやっていた。
「安心したんだ、俺にはエマとバレー部の奴らがいるって」
 松川が久しぶりに花巻を見たときのあの笑顔は、戦い抜いた五年間が報われた瞬間だったんだろう。
「特に花巻が、いるんだって思うと、俄然無敵の気分になれるよ」
 それはさながら、愛の告白だった。
 大の大人が二人、あと一時間半もすれば日付が変わるという夜に静かに向かい合っている。
 さすがに秋の入り口、昼間に蒸していた暑さはなりを潜めて、薄がけの布団一枚を花巻は背にかけている。松川も、持参したスウェットが少し厚手で良かった、と思った。
……お前さ、俺の家に来るまで、エマちゃんのご飯どうしてたの」
 花巻は気になっていた疑問を一つ一つ解消したい、と、松川から視線を逸らして尋ねていく。
 対して松川は、花巻の、薄暗い部屋でもはっきりとわかる白い頬あたりから目を逸らさずに答える。
「花巻の家に来るまでの一週間分くらいの飯をまとめて母親がもたせてくれたから、誰かさんの言うまずい俺の飯は何とか回避してきたよ」
 保育園は給食だしね、と松川が呟く。
「エマちゃん、今でも飯食わないときある?」
「うん……エマの人生で、多分エマの為だけに愛情込めて作られた飯なんて、給食抜かしたら今日の花巻のが最初なんじゃないかな。エマの母親の料理は美味かったけど、今思えば感情の無い料理というか。俺の母親の飯はずっと俺に対する罪悪感こもってただろうし」
 それに関しては死ぬほど後悔している、と松川はうな垂れた。
「だからエマは長時間寝て、色んな悪い感情から自分を守ってたんだと思うって、エマが宮城にいた時の医者が言ってた。そのおかげでひどい経験をしていてもマイペースを保てて神経質にならなかったけど、食事だけはどうにもならなかった」
「うん、それはお前、墓に入っても反省だな」
「ごもっともです」
 松川は素直に頷いた。花巻の脳内メモが新しいページに、『松川、要料理勉強』と書かれる。
「エマちゃん、そういや結構しゃべれるようになった、ってことよね? 一年間で」
「そうだよ、うちの母親が頑張ったみたい。向こうの支援センター連れてったりしてね。一年間で一生分もう話したんじゃないかってくたびれてたわ」
 松川はふふ、と小さく笑ってエマちゃんを見た。律儀にひたすら話しかけていただろう松川の母の、懸命な姿が、目のまえの男と重なって浮かぶ。
 花巻のメモはまたページを繰る。
『エマちゃんの好きな絵本とか調べる』。
 そしてそのあと、少し言いづらいそうに、花巻は次の言葉を出すのに舌を動かしてはやめていた。松川は辛抱強く待つ。
「ほかの、新しい女の人、探そう、とか思わないわけ?」
 花巻が顔を目一杯背けて、膝を胸につけてそこに顔を埋めて尋ねる。
「それは……無理だろうね、俺は今回ので女性が心底怖くなったよ」
 エマと自分の母親は別だよ、と松川は、丸く収まってしまった花巻に体一つ分近くに寄る。
 花巻の脳内メモにまたペンが走る。『松川、女性恐怖症、発症中』。
 花巻は、これから毎日嗅ぎ慣れていくであろうお互いのボディソープの香りが鼻腔をくすぐるのを恥ずかしがらずにはいられなかった。そして、
……っ」
 節くれだった指の長い大きな手で、松川が花巻の柔らかい猫っ毛の、赤みがかった茶髪を撫でる。
……明日から、弁当作ればいいの?」
「うーん、花巻の負担は増やしたくないから、昼はどっかで買うよ」
 さらさら撫でられる手が心地良い。
『無理じゃなかったら、二人分弁当作る』
 花巻のメモはピタリとそこで止んで、もう続きを書けなくなってしまった。松川の手の下で、もう誤魔化せないほど耳まで真っ赤になった花巻はもっと膝を自分に寄せて小さく丸まって、しばらく押し黙る。松川がさらに体を寄せてきた。花巻の顔面を覆う膝が、松川の胸元に当たる。
 互いの心臓の音は、花巻の膝で聞こえないはずなのに、振動で伝わってくる。
……から?」
「うん?」
「いつから、俺で安心してた?」
 松川が思案している。そして花巻と目がぱっちりと合ったことに驚いていた。薄めの色素の瞳が揺れて、とろりと蕩けるようなまろみのある花巻特有の垂れ目は、くっきりと切れ長で、目つきの悪い真っ黒い目の松川とは本当に対照的である。
 多分これは、花巻の一番聞きたいことで、軽々しく答えてはならない、と目で訴えてみる。
 けれどこの答えは、花巻の心臓を握り潰すくらいの力を秘めていた。
高校の、一年の春から。その日から、今の人生の半分以上は花巻で安心してるよ」
 花巻は、もはや茹で上がってのぼせるんじゃないか、というくらい体温が上昇していた。赤面し続ける顔は、小さく開いた口と床へ彷徨ってしまった目がついて、松川は思わず笑いそうになるのを堪えた。
「なあ」
「ん?」
「なんで、高校の時言わなかったんだよ」
「花巻の友達ってポジション堪能したかったんだよ」
「そんなのすぐ恋人になりたいって思うのが思春期の男子だろ」
「長い付き合いに絶対したいから、時間かけようって思ってさ」
「でも結局先に結婚してんじゃん」
「五年かけてようやくバカな俺はやっぱり花巻だと気づきました」
「なんで? 飯作れるから? 面倒見良いから? そんな都合良い野郎に見えた?」
「俺がそんな理由で人生の半分差し出してたと思う?」
……思わない、松川だし。興味ないの、バッサリ切るし。フラグクラッシャー松川」
「ちょ、誰がつけたのその名前。あとは?」
「及川、フラグを美味しく回収したのも及川。俺がもし結婚してたらどうしてたのよ?」
「及川週末呼ぼう、岩泉も。……それでも、一緒に酒飲んで子供同士遊ばせて、年取ってお互い老人ホームでバカ話してられたら良いな、って思ってたよ」
……っ、お前、バカだろ」
 花巻は、自分の頭から移動して頬に沿う松川の手が耳をくすぐり、こっちを見て、といっているように聞こえた。
「うん」
「バカだ、バカだ、俺なんかでつまずいて。お前かっこいいのに、もっと良い人いっぱいいるのに」
「うん、確かに俺はかっこいい」
「なんだと」
「うそうそ、俺はバカだよ」
「じゃあ……
「でも、こんなバカを認めてくれる花巻がいい」
「なんで……
「家族になるなら、花巻がいい」
 いつだって真剣に話を聞いてくれて、ダメな時は叱ってくれて。
 お前は俺の憧れなのよ、花巻。
 ──花巻は完敗した。
 降参です。そう言って両手をちょっと上げて松川をちらっと見ると、あの目尻が砕けた笑顔でこっちを見つめていた。
「そうだよ、図々しいけど泊まるとか言ってきて、怪しいと思ったんだよ。一人暮らしの家に小さいとはいえ子連れで転がり込むなんて。最初から居座る気満々で、それもかわいいエマちゃん使ってわがまま通してきやがって。俺が洗面所いるの知っててわざとドア開けやがって。俺が子供好きなの知ってて川の字で寝るの絶対断らないってわかってていそいそ布団並べるの協力しやがって」
「バレてたの」
「当たりまえだろ、その場の空気読む天才のオールラウンダー様だぞ」
「でも小細工したりいそいそしたりする一静君、可愛かったでしょ?」
「ぐうかわだよバカヤロー!」
 二人は手を繋いで連れ立って布団を抜け出し、歩きながら少女を起こさないようにひそひそとそんな会話して、寝室のドアを開けて、そして静かに音も立てずに閉めた。