青果
2025-01-13 23:11:56
40868文字
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語りうる者たちよ

崩壊:スターレイルより アベンチュリンへ贈る最初のファンファーレ(CPなし)
都合上、原作にいない男女のキャラクターが登場しますが、恋愛感情は発生しません。
フィクション時空ですのでふんわりとお読みください。




 デリバリーのオードブル皿は使い捨てで、もう端にひびが入っている。コテージのエントランスホールは、花が一輪咲いている程度の明かりだけを灯して、響くように静かだ。光と熱の恒星は小山の稜線に没して、しばらくは戻らない。

 この共用コテージには一フロアに二部屋ずつ、二フロアある。合計で四部屋のうち、二階の一部屋は空き部屋だ。そして、明日からは一階の一部屋も空き部屋となる。

 ロゴスは手元にある本のページをめくり、閉じた。束ねられた紙をいじって気晴らしをしたいだけだった。

 彼が持つ本に印字された文字は彼の母語ではない。肌にしみるようには理解できないはずだったが、体内にある共感覚ビーコンが彼の理解に合わせて翻訳する。理解はできても、添えているかは、ロゴスには確信できなかった。遥か以前の物語では、確かめる術もない。

 時計を見る必要はなかった。彼がここを発つ時間は朝日が昇ってからだった。

 昨夜に飲み食いした名残は、円卓の上にそのまま残っている。昨夜時点では三人とも水で流すことすら億劫がったので、まだ油や水滴がついたままだった。それを汚いと感じる心は、まだロゴスにはなかった。

 暖炉の近くから音がして、ロゴスは顔を上げた。今のシーズンは火が落ちている暖炉の、右側のドアが開いた。部屋の中の明かりは落ちていて、中にあるものは何も見えなかった。
 部屋の中から男が一人、出てくる。ホールの少量の光を浴びて、ようやく姿形がロゴスの目に映る。

 “”の髪は光のスペクトルの中で、幅広い色を反射する。だから、花一輪ほどの光でもそれらを集めて鈍く明るい光になった。

「まだ夜だぞ」

 ロゴスが笑いを含んだ声で言うと、“彼”は「君、まだ起きてたんだ」と囁いた。

「ロゴス……何時の便って言ってた? かなり早かった覚えがあるけど」
「だいたい始発に近いな。今から寝たら寝過ごす」
「仕方ない。船の中で寝るんだね」
「元より、そのつもり。――それで、君は? 篝火。シャワールームも部屋にあるだろう?」

 “彼”は黙ったままでロゴスの傍らの椅子を少々離れた位置まで引き、腰掛けた。部屋で着替えたらしく、昨夜とは服装が違う。シャツにタイはかかっていなかったが、一番上までボタンを留めていた。人間である以上不可避である瞳の表面を張る涙の膜に、絵の具を落としたように光が一点ある。

 “彼”が目を動かすごとに、瞳に張り付いた光と影も動いた。これに、野分が気付いているかは分からなかった。

「ロゴス、君は帰ったら何をするんだ?」
「まだ俺は休暇中のつもりなんだから、思い出させないでくれ」
「はは、君、飄々としてるのに仕事は一丁前に憂鬱なのか」
「仕事。なんだその言葉は?」
「あはは」

 ロゴスがそう言うのが殊更におかしかったといった顔で、向こうが笑った。肩を揺らしながら、円卓に肘をついてロゴスに向く。
 ロゴスは、卓上に散らかった缶やガラス瓶をざっと眺めた。

「篝火、何か飲むか? どの瓶が空で、どの瓶にまだ中身があるか、俺は分からないけど」
「いいや。……君は、ずっとここにいるつもりなのか? 荷造りは済んでる?」
「荷物はない。本しか持ってこなかった。俺は、休暇先に絶対に日常の塵芥を持ち込みたくないんだ」

 ロゴスの答えを聞いた“彼”は、目を細めた。上からのライトが睫毛に遮られ、目元に影を落とした。

「なるほど。だからか、ロゴス。君、最初から分かってたね?」

 ロゴスは“彼”の目を正面から迎えた。今夜の話し相手は確信した話し方をしたし、表情もそのように物語った。

 ロゴスは細く息を吐いた。

「誰にも言ってないよ。いま、篝火は俺のことを評価してくれたんだろうが、具体的なことは分かってない。過大評価だ。君が誰なのかも知らない」
「謙遜しないでくれよ」
「本当だ。君がこのコテージに入る前に、バレるかもしれないなと不安になったことがあるとすれば、その事柄しか見抜けていないと思う」
「すると、全部になっちゃうけどね」
「謙遜するなよ」
「本当さ。いま僕が君を過大評価したと言うなら、君だって僕を過大評価してる」

 金髪の男の言葉に、ロゴスは相好を崩した。“彼”にはそれが喜んでいるように見えたが、それは“彼”がロゴスを評価したからではなく、“彼”の皮肉が気に入っただけのことだった。言葉を介さない限り意図をすくいとれない共感覚ビーコンのおかげで、ロゴスがはぐらかすなら本当のところは察するしかなかった。

「篝火、君は」

 ロゴスが話し始めた。
 “彼”がロゴスの意図をすくいとりきれないことを、ロゴスは知っていた。こうして答え合わせをすれば、“彼”がロゴスから読み取ったと感じた情報は正解だったと分かるかもしれない。それでも、答え合わせをするまでは不確定な可能性でしかなかった。

「君は、立場がある人間だ。立ち方に出てる。部下がいるだろ、君。でも、服装と持ち物は量産品だった。鄙びていてもここはリゾート地で、元々の立場を持ったままここに入ってきたってよかったはずなのに、君はそうしなかった。しかも、急遽、そうした」
「そう。ドキュメントケースは借り物だけど、服装はここに来てから調達したものだ。それを、ロゴス、君が見抜けたのは、君もこの星に到着してから同じショッピングエリアで最初に衣服を調達したからだろう?」

 ロゴスはこの星に本しか持ち込んでいない。ここで休暇を過ごすのに必要なものは、この星で買い集めた。

 荷物にもし事故や盗難があったとしたら困るのは衣服くらいだ、と話したときにロゴスは、俺が買えるところを教える、と言った。ロゴスはそうしたことがあるからだ。

 だから気づいた。“の服は、この星で買えるもので揃えられている
 野分もショッピングエリアに行ったが、彼女は気づかなかった。彼女が見るとしたらきっとレディース服で、メンズエリアは注視しなかったはずだ。

 ロゴスは自分で荷物を持ち込みたくないポリシーがあったが、“彼”にはこの星で衣服を揃える必要はない。
 つまり、“彼”の当初の予定はそのはずではなかった。

「篝火のように立場がある人間が、共用コテージに泊まる必要はない。俺たち宿泊客にそんな情報は通知されないが、君は元々、宿泊予定ではなかったんじゃないか? この共用コテージに用事があったのは確かだが、用事を済ませたら離れるつもりだった。でも、君はそうしなかった。宿泊したし、立場を装った。俺たちと食事をとって、会話をした。俺の出立にこんな……パーティにまで付き合った」
「そうだね。そこまで分かっているなら、推測にすぎなくとも、君には結論の予想があるはずだ」

 ロゴスは一旦目を閉じて、この場の空気を吸い込んだ。息苦しさから空気を求めたというより、この空気感を味わう動きだった。

……俺は、ここに来てからニュースを見てないし、聞いてない」
「そうだろうね」
「なあ、篝火。お手柔らかに頼むよ」
「これ以上は無理だ」
「そうだろうな」

 ロゴスが顔を上げた。天井を見る。コテージの天井には、太い梁が通されているだけだ。
 天井から壁を順番に下へ辿ったロゴスの視線は、窓で止まった。

……ほら、篝火」

 顎で、窓の外を指す。

 木々に隠された遠くから、朝日が昇る。低い位置にある光は赤の色味が強く目に映った。
 金髪の男も、窓を見た。

 星が明るくなる。

 かつて、星は夜空に光る点のことだった。しかし、いまこのとき、星は当然に大地を指す。

 光が増してくるうちに、通路や看板を照らしていた篝火が自動的に消える。暗くなったように感じるのはほんのわずかな時間だ。すぐに、ここは朝になる。

 “彼”は時計を確認した。ロゴスは時計を見なかった。今は日の出の時間だ。ここの篝火は明暗のセンサーが動作していて、明るくなったら消え、暗くなったら灯る。

「篝火」

 その言葉を口に出したのは、場の二人のうち、ロゴスではなかった。呼びかけではなく、確認だった。おそらく聞かせるつもりのない、呟かれただけの一言にロゴスが反応した。

「やっぱり、気に入らない?」
「いいや」

 “彼”は、間をあけずに答えた。

「そんな呼び名で僕が呼ばれることもあるのか、といま、思っただけだ」




 野分にとってこの光景は、予想していない未来ではなかった。いつかはこうなるだろうと分かっていた。野分が手にできる権力は何もなかったのだ。だが、この光景を見たくなかったために、野分は野分の呼び名を受け入れたはずだった。

 共用コテージの四部屋のうち、もう二部屋しか客がいなかった。宿泊客のいる一部屋は暖炉の右側で、もう一部屋は二階だった。

 いまはもうここを離れたロゴスが、女性は二階で、とスムーズに案内してくれた部屋だった。内側からも外側からも鍵を掛けることができるはずで、野分が今朝、この部屋を出るとき、外から鍵を掛けた覚えは確かにあった。

 ドアは開け放たれている。

 野分は、空気の流れに揺れるドアに近寄って、中を見た。

 痩身の男が一人、部屋の中央に立っていた。

 皓々と光る室内灯が照らす髪は、金の残滓を四方八方に散らした。
 彼の上半身の前後に肩から垂れる布地は絹光のような輝きを放ったが、それ自体が絹帛であるか判断するには距離が遠い。丹念な刺繍と縁取りは、垂れ布が無闇にはためいたり乱れたりすることを防いでいる。それと知られぬように染め抜かれた陰影は、軽妙さを企図したものだった。

 豊かな緑が青味を得たとき、一斉に芽吹く瞬間がある。
 琴を爪弾きした一の音が鳴ってやむまで、短い時間の青味を、彼はまとっていた。

 スラックスは白く、折り目に縒はない。革靴は、深山の山道を歩んだとしても、泥濘が恭謙して艶を保つ。

 色の入った遮光グラスは、初日に見たものと同じだった。

 彼は自らが抱える端末が数値を吐き出すのを眺めていた。横顔、薄い頬と深い顎の稜線は首に流れ落ちる。ずっとタイを上まで止めていたのは、それを、兆候まで隠すためだと知った。

 野分がドアの入口に立ったとき、警戒心を携帯することを諦めていた。

「ああ、もう少し待っててくれる? あと5%なんだ」

 彼は端末を見たまま、そう言った。野分は答えなかった。彼が何をしているか、聞くまでもなかった。

「それにしても、よく二週間以上もネットワークに繋がずにいられたものだね。ネットワークに繋いでくれてたら、こんなに手間かからなかったのに。ソフトウェアアップデートが始まっちゃって、時間を浪費した。君が帰ってくるまでに終わらせておくつもりだったんだ。本当さ」

 野分が黙ったままでいると、彼は顔を上げて野分を見、また端末に目を落とした。

「何も言わないから、いなくなったかと思った」
「もう逃げる意味なんてないから」
「ここでの僕の仕事にデータ回収があったのは確かだが、君の確保も含まれてるんだ。そこにいてくれよ、作家先生」
「今からはもう、コテージから出られないようにしてるんじゃないの?」
「だから言ってる」

 まもなく、彼は「よし、終わり」と言って、抱えていた端末から視線を外した。
 彼女はデータを奪取していたが、中身には触れていない。彼は改竄を疑う義務があって、正誤確認を済ませたことは明白だった。電子署名が含まれた契約書で複製が禁じられたデータである以上、当然の対応だった。

「身分証、見せてくれる?」
「必要?」
「僕は君が本人だと確信しているけど、僕が確信してても、何も動かせない。最低限は確認した証跡を残さないと。万が一にも、違う人間をしょっぴいたとなったら今回の滞在費用は経費で落ちなくなるし、僕が怠慢で無断欠勤したことになるだろうな」

 彼女は常に携帯している身分証を差し出した。所属にスターピースカンパニーの名前があった。
 彼は身分証を端末でスキャンすると、彼女に戻した。

「さて、突っ立ってないで。座ろうか」

 彼は各部屋に設えてある一人掛けのソファに腰掛けた。ローテーブルを挟んでもう一脚あるソファを、彼は目線で指示した。ローテーブルの上に、デジタルペーパー用の端末を置く。何かの表示がされていたが、立ったままの野分の目には、書いてあることが読めなかった。

 立ち尽くしている野分を彼は見上げてから、遮光グラスを外した。黒ではない瞳が、野分を見た。明るい室内灯の下、瞳孔が小さくなった。
 彼の瞳は、黒ではなかった

「君は、契約のテーブルに着くのも許されなかったことが不満だったんじゃないのか? 僕は今、君にテーブルに着いてくれと言っているつもりだけど」

 野分は、ソファに座った。
 今まで、割り当てられた一室にあったソファの片方は荷物置きにしてしまっていた。ここにあったはずの脱ぎ捨てたカーディガンはハンガーに掛けられて、クローゼットのドアノブへ移動されていた。

「遅れたけど、僕は“アベンチュリン”。カンパニーの戦略投資部所属、君とは遠い同僚ってわけだ」
「あなたが?」
「あれ、僕じゃ期待外れだったかな?」
「いいえ。あなたほどの立場の方が、寄越されるとは思っていなかっただけ。トパーズ総監にはお会いしたことがあるから、どれほどの職能等級か知っています」
「トパーズ? ああ、そうか。君ら、境遇としては似たもの同士だったね。故郷への投資に対するリワード、方や幹部社員、方や売れっ子作家でIP部門収入の巨頭の一人か」

 野分は目頭に力をこめた。彼の口吻は揶揄こそあったが、それは彼女の意思をテーブルの上に引きずり出すためだと察することが容易だった。

「最初に。これからの会話は、僕からカンパニーへの報告という形で共有される可能性がある。これに了承してほしい」
「分かりました」
「よし。では本題だ。まず、現状を確認しよう。僕は、君があるプロジェクトのコラボレーション企画に反対だったということまで聞き及んでる。それは、君の認識と合うかな?」

 彼女はすぐに答えなかった。答えたくないのではなく、緊張しているのでもなく、彼を警戒していた。
 アベンチュリンは彼女の言葉を促したり、テーブルを叩いて圧迫感を持たせることもしない。結局、彼女は口を開いた。顔を上げ、アベンチュリンを真っ向から見た。膝の上に両手を重ねた。

「一致します。私は、疲労回復を目的とした新しいタブレット錠剤のイメージキャラクターに、私の作品を使ってほしくありませんでした」
「今の言葉に、僕から言えることは二つある。まず単純な指摘からだが、君が執筆した作品は権利関係上は君の作品ではなく、カンパニーの作品だ。第一作目の契約時、そういう取り交わしをしたはずだね。異論があれば、これを確認して」

 アベンチュリンは、ローテーブルのデジタルペーパーを指先でスライドさせて、一件の書類を表示させた。彼女は首を振り、「覚えています。あの作品、という言い方に訂正させてください」と言った。

「いいだろう。もう一点だが、イメージキャラクターの起用は決定済みだ。その際、君には起用理由が過不足なく伝えられていると聞いている。僕も書面で目を通しているけど、これらの契約には一切関わっていないから温度感は把握しきっていない。君には覚えはある?」
「あります。ですが、私から申し上げた懸念点は、解消されていません」
「ちなみに、何?」
「私が書いている作品は主に子供向けのものです。担当部署からは、かつてこの作品に親しんで成長した大人たちに向けたメッセージだと説明がありました。確かに、シリーズとして最新作は二十八作目、長く続いてきましたし、いま現在の現役世代にも温かく見守っていただけていることは把握しています。ですが依然として、子供向けであることに変わりありません。本来の文脈を離れた作品の利用は、私にとって好ましくありません」

 アベンチュリンは、指先でテーブルの天板に触れながら、思考をなぞった。やや、間があいた。

「ここからいくつかの会話は、報告には含めない。だから、もし君が公的な文書に残ることを危惧して具体的な表現をしていないのであれば、一旦警戒を解いてほしい」
「あなたは、カンパニーの公的な立場としてここにいらっしゃるのでは?」

 彼女の指摘は尤もではあったが、アベンチュリンは目尻を緩めた。それは見る人間によっては油断だと評したかもしれないが、彼女は武器を携帯していなかったし、彼のほうが場を支配していて揺るぎなかった。

「四角四面の対応でいいのだったら、僕は来ないよ。君を捕縛して、持ち去られた契約書を回収してくればいい」
「それは、私にまた次回作を書かせなければいけないから?」
「君の疑念は尤もだけど、もう少し緩めてくれ。今は事実確認の段階だが、この場は交渉のテーブルのつもりなんだ」

 彼女は、アベンチュリンの目を見て、視線をローテーブルの上に移した。開かれたままの書類のタイトルを読み取る。それから、彼と再び目を合わせた。

「私の故郷が凋落した原因は主に土壌汚染でしたが、最終的な原因は著しい人口減少でした。あの頃は死体の埋葬先がなくなって、水中に沈めなければまかなえませんでした。けれども復興のためには仕事があり、特に重要度が高く危険な仕事は、ただでさえ少ない人々から労働力を集めなければなりません。そこで、求人広告はあたかも、危険性が少ないよう見せかけられました。動物のイラストが用いられましたし、笑顔の人が家族を抱いていました。……もちろん、これが極論であることは分かっていますが、あの作品がいずれそのように使用される最初の一歩になりうる起用は容認できません。そして、担当者の口振りは、この可能性を否定するものではありませんでした」
「タブレット錠がクリーンなものであっても?」
……カンパニーがそう主張することは、承知しています」

 彼女は含みのある言い方をしたが、それを責められることはなかった。
 アベンチュリンは端末を取り上げ、操作しながら言葉を続けた。

「分かっていると思うけど、君は労働契約を反故にしている。おまけに、契約書の窃取と職務放棄。これは考えうる限り、最重度の規律違反だ。相応に重いペナルティは覚悟する必要があるのは理解しているよね」
……すべて理解しています」
「じゃあ、そこはいい。僕はペナルティの内容を告示する権利がないし、内容も知らない。……そこで、だ。ここで、僕から提示できる案がある」

 彼女は訝しげに眉を寄せた。アベンチュリンは片手を挙げて、それを緩めてくれと頼むようなジェスチャーをした。

「契約された内容は覆らない。それをひっくり返す権限は、僕にも君にもない。特に、君にはない。これが僕の案一つ目だ。作品の権利を買うこと」
「買う?」
「そうすれば、さっき言ったようにあの作品は君の作品になる」
「二つ目は?」
「二つ目は、君がよそに移ることだ。作品の権利はカンパニーに残る。そこから見込まれる収入で、まあ君一人に降りかかっている弁済分はペイできるだろう。君は別の会社で、君に諸権利があるままの契約を結び、新しい作品を育てればいい。今の作品を手放すことにはなるが、新しい人気作品を生み出すことは、君ならできないわけじゃない」
……一つ目のほうが、私には嬉しく聞こえます。ですが、現実的な計算ではありませんね」

 彼女は、声に失望が含まれてしまわないよう細心の注意を払った。
 質問ではなく、単純な確認としての言い方になった。

 アベンチュリンは鷹揚に頷き、端末を差し出した。概要らしいパラグラフの下に、表とグラフが表示されている。

「金額、見るかい? 内密に試算してもらっている」
「私の結論が左右されるような額になりますか?」
「あるいはね」

 彼が片手で差し出す端末を、彼女は両手で受け取った。ごく軽量のペーパー端末であるはずだが、両手に沈み込んだ。

 手元に引き寄せ、表示されている内容を見た。
 彼女は、顔を上げた。アベンチュリンは、彼女の顔に頷いてみせた。

「君がどれだけ説明されているか、僕は知らない。でも、そこに書かれていることは真実で、可能なことだ。君にはいくつかの選択肢から選ぶことができる」

 端末には確かに、権利買い取りの金額が表示されていた。財産権や著作権、それに伴う諸権利、今までに締結された契約の解除か譲渡、それらを全て含めて買い取るとすると、一定水準の文明がある星でも買えそうだった。
 だがその下に、各契約、各権利を分散し選択した場合の金額が細分化されていた

 単独譲渡が可能なもの、不可能なもの、どれについて譲渡をうければ何が可能になるか。

「君にできるアクションを教えよう。まずはそのままステイ。何もせず帰り、ペナルティを受け、今までのように暮らす」

 アベンチュリンは、片手の手のひらを下に向け、水平に振った。

「次は覚悟するサレンダー。この作品の現時点までの権利を手放し、別の会社へ移る。君は今回のペナルティだけを受け、次の会社で新しい作品を作ることは許される」

 彼は、人差し指を左から右へスライドさせた。

「最後に、分割するスプリット。諸権利を分散して、君が必要とするものを買い取る。それぞれの権利で、勝負する。今の君が気掛かりのタブレット錠の企画契約を白紙にすることはできないが、買い取る権利の選び方によっては今後の企画ではテーブルに着ける」

 人差し指と中指を、水平に左右へ広げた。

「ヒットに該当するアクションはない。どれにする?」

 彼女は、胸で浅く呼吸した。目の前の男を見た。

 彼女に見せるためのこの試算が、無から湧くわけがないことは分かっていた。彼だけでは作成できないことも、一昼夜ではできないことも分かった。

 彼女は指先をテーブルに乗せた。人差し指と中指を、そして、その二本の指を、左右に広げた。

 アベンチュリンは、目を細めた。