青果
2025-01-13 23:11:56
40868文字
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語りうる者たちよ

崩壊:スターレイルより アベンチュリンへ贈る最初のファンファーレ(CPなし)
都合上、原作にいない男女のキャラクターが登場しますが、恋愛感情は発生しません。
フィクション時空ですのでふんわりとお読みください。




 自然発生したリゾート地ではなくて、人工的に整備されたものだった。だから、まるで定規で線を引くように、植物園の区域分けをするように、エリアが分かれている。ショッピングエリアと文化エリアのほかに、アミューズメントエリア、ファミリー用観光エリア、自然公園エリアがあり、その周囲を居住エリアが埋めているのがおおまかな地理となる。だが、地理を気にして観光している旅行者はほとんどいなかった。

 旅行の基本はどこに目的地があるか、となる。
 観光地にしろホテルにしろ、目的地はおおむね決まっているか、少なくともエリアは定まっていることが多数であり、ステーションに着いてから、もしくは、宿泊所を出てから考えるべきことではない。

 野分はその定石を打ち破って、目的地がなかった。コテージで地図を眺め、順番に行くなら今日は自然公園エリアだろう、と決める。決めてしまえば、逡巡はない。コテージからの道も明確で、迷いを助長させて複数エリアで金を落とすようにけしかける仕掛けもなかった。

 エリアがはっきり分かれているので、道順の明確さは随一の星だった。
 道の舗装に指示の矢印が印字されている。野分はその矢印に従いさえすればいい。

 リゾート地として洒脱さのない土地ではあるものの、矜持はある。
 ステーションから一定距離、離れるとステーションを示唆するものが一切なくなる。発着の音も聞こえない上、建物も見えない。エンジンの光もどう計算したものか、空に映らない。帰るそのときまで、帰宅のことを脳裏によぎらせない。

 野分はまた知らない植物を眺めつつ、未知を歩いた。やがて舗装は植物を乾かして固めたブロックになり、階段は石敷きになった。道案内の印字は消えたが、デジタルサイネージが旗になって道順を示し続けている。
 足元は不安定になっても、問題はない。整然とした舗装を求めるのなら自然公園エリアには来ない。

 さらに足を進めると、並木道となる。樹高のある木で、根元からでは、見上げても先端が見えなかった。

 高エネルギーの光源となる恒星が昼と夜を区切る場合、光をエネルギー変換に使用する生命――単純化すれば植物――が生まれやすい。光のスペクトルは場所の影響を問わない。よって、どこの星であってもおおよその場合、樹木の葉は葉緑素を持ち、緑色をしている。

 知識の過多は景色がもつ情報量を左右するが、明るさも鮮やかさも、関わりはない。
 仕組みを知らなくとも樹木は葉を風に揺らし、大地を浄化する。樹木は自分たちのおこないについて、思考しない。少なくとも、そう考えられている。

 野分は空気を吸い込み、吐いた。久々の透明な空気が、顎の付け根に滞っている酸味を押し流す。喉の中央を灼くような酸が流れ落ちたが、顔色を変えずに飲み込むことに成功した。

 並木道を抜けると、池がある。ボートを貸し出していて、親子連れが窓口に並んでいた。並木道の出口で立ち、野分はその行列を目で追いかけた。

 立ち止まったのがよくなかった。

 野分の後ろから、彼女の腰の高さもないような子供が走ってきた。子供の軽い足音が聞こえてきたら、すぐだった。
 一歩横にずれていたら衝突していた、あと一歩の距離で子供は走り抜ける。片手に、おもちゃを持っていた。そのおもちゃは車輪がついた動物の形をしている。鹿と猫のあいのこのような生き物だった。
 それは、子供がまるで生きたペットのように、または共に駆けっこをする友人のように連れ回せるおもちゃだった。車輪があるおかげで、並び合って走り回ることができる。

 子供は走り抜けたが、工業的に再現された生き物の足となる車輪はあと一歩の距離を埋めて、野分と衝突した。

「ああ、申し訳ありません!」

 子供に追いつけないなりに懸命に走ってきていたらしい母親が、野分に声を掛けた。野分はぶつかったおもちゃを手で持ち上げ、自分とぶつかることのない位置へ置き直した。車輪は音を立てて半周回ったが、静止した。

 母親の大きな声に、子供は野分の前数歩のところで立ちすくんでいる。
 子供自身はぶつからないように避けたつもりだったのだ、と野分は理解した。

 彼女はしゃがんで、子供と目を合わせた。

「大丈夫だった?」

 野分はそう尋ねたが、子供は動かなかった。両手を握りしめ、小さな身体の両脇に垂らしている。その片方の手に、今まで駆けっこをしていた友達とを繋ぐ紐が握られていた。

 一瞬前までの子供の踊るような心に、大きな空洞を空けてしまった感じだった。

 その穴へくぐらせるように、おもちゃの背中を子供に向けて押した。車輪はゆっくりと動き、不安定な道に上下した。そうして、子供の手元にたどり着いた。子供は目線をじっと野分に向けたままで、自分に追いついてきた相棒を抱き上げた。小さな手が相棒の耳と首にまわされて、力を込めて抱いていた。

 それを見たとき、おもちゃを押した指先が痙攣した。野分は、自分の手を握りこんだ。

「お怪我ありませんでしたか?」

 母親の気遣わしげな声が、野分の背中にかけられた。彼女は立ち上がって、母親と目を合わせる。
 母親は胸で浅く息をしていた。

「いいえ。ぜんぜん。私が道の真ん中で立ち止まったほうがいけなかったんです」
「本当に申し訳ありません。……ほら、お姉さんにごめんなさい、しなさい」

 子供はじっと立ったまま、口を強く引き結んでいる。この小さな強情張りは、自分なりに、気をつけていたつもりだったのだ。
 野分は再び、膝を折った。

「ぶつかって、ごめんね。その子は? 大丈夫そう?」

 子供ははっとして、腕に抱いているおもちゃをぐるぐる回して検分した。そして、野分に向けて頷く。それから、

「ごめんなさい」

 と、野分に向けて子供が言った。野分は「楽しんでね」を返した。

 これで、この家族との交流は終わりだった。野分は並木道の端に逸れて、手を振って見送る。彼らがボートの行列に並んだころ、また歩き出そうとした。

「あ、偶然」

 今度は聞き覚えのある声が、後ろから投げかけられた。野分が振り返ると、篝火が石段でステップを踏むように下りてきているところだった。
 道の真ん中にいたとしても、端にいたとしても、今日は誰かとかち合うタイミングのようだった。野分は篝火が下りてくるのを待った。

 彼は最後の二段を一足で跨いで、野分の前に立った。

「ショッピングエリアに行くんだと思ってた」

 野分がそう言うと、彼は首を振ってから笑った。

「荷物は全て揃ってたからね。必要なくなった。――もう機械もエンジンも画面も絢爛なバーチャルの再現も見飽きたよ、眺めるならこういう景色が一番いい。君もそういう目的?」
「私は、順番に回ってるだけ。でも、来てみるとなかなかよかった」
「そうだね。風も吹いているし、緑も青いし……ボートの窓口に並ぼうとしていた?」
「私にボートで行って帰ってこられるだけの漕ぐ能力があるとは思えない」
「たかがボートで? どうせ、あれは底にモーターがついてると思うけど」

 篝火が可笑しさを噛み殺したような口調でそう言った。野分は苦い顔でボートを見る。底にモーターがあるのだという前提で観察すると、実際に、動作しているボートの速さはおよそ均一だった。おそらく、ボート内部にモーターを動かすスイッチと停止するスイッチがある。何より、池に漕ぎ出しているボートを見ても、櫂がない。

 野分は視線を篝火に戻した。彼はもう涼しい顔をしていた。野分は自分の恥を自分の内側だけで処理しなければならなかった。

 篝火は野分の横を抜けて、一歩二歩、前に出る。
 ここで別れるものと思った。野分は彼の背中を見送るつもりで、意識してゆっくりと並木道から離れた。追い越したくなかった。

 しかし彼の側は、そうではなかった。追いついてこない野分を振り返り、彼女を黒い瞳で見返すと、

「乗らないのかい、ボート」

 と言った。




 ボートにはモーター操作のペダルと、進行方向を操作するハンドルがついている。スイッチ式ではなかった。
 野分は篝火と向かい合わせに座る。座る部分が一段高く、足を下ろす部分にペダルがある。ペダルがあるのは一方だけだ。乗る間際に、彼はペダルがある側に乗るかと野分に聞いたが、彼女は首を振った。とにかく、一人でこの乗り物を操作したくなかった。

「ボートに乗ったことは?」

 彼が短く声を掛けた。野分は首を振って答える。

「そっちは?」
「ボートは初めてかな。舟ということならある。大きな舟だから乗り物としてのジャンルがまるで違うけどね。あっちは運搬用だし、こっちは娯楽用だ」

 彼がペダルを踏んだ。底のモーターが回転を始める。やがて背後に白い泡の尾を引きながら、ボートを水面を滑るように動いた。ボートが動きはじめると、野分は息を詰めた。肩を内側に丸める。

 ボートの上には、遮蔽物がない。
 池の表面を撫でる手のような風が、野分にも篝火にもまとわりついた。特に髪が酷かった。野分の髪は前後左右ばらばらにはためいて顔中にへばりつく。爪を立てて髪を集め、後ろで結んだ。前から見てひどく波立った髪型に違いないが、顔中に張り付かれるよりよかった。
 野分が髪の毛をまとめ終えた頃には風が弱まっていた。それは、篝火がペダルの踏み込みを緩めたからだということは分かっていたが、指摘するには遅すぎた。

「以前、ちょっとした仕事でこういう小さい舟に乗って農業をする人を見たよ。浅瀬の水辺で、植物を育てているんだってね。植物は水の下でそよいでいるんだけど、知ってるかい? 世話をするのに、一人二人乗れるかどうか程度の大きさの舟に乗ってた。水面下の植物がある影響でモーターは使えないから手漕ぎの櫂でさ。乗ってみるかって誘われたけど、僕は乗らなかった。このボートよりも遥かに、少しのことでひっくり返りそうな大きさだったし、さっきの君と同じで手漕ぎの能力があると過信できなかったし……
「仕事で、色んなところに行くの?」
「ああ」

 やっぱりツアーコンダクターの営業だろうか、と野分は思った。そうでなければ、と別解を想像しようとしたところで、思考を打ち切った。他人のことにあれこれ想像をするのは、行儀が悪い。

 モーターの音も振動も、ボートの上まで響くことがなかった。風は耳元で渦を巻いた。池の上は広く、あれだけ並んでいた人々がボートで散ってしまうと、周囲の会話は聞こえない。
 風が吹くと、まとめきれなかった髪が野分の頬を打ちたたいた。篝火は髪の毛には頓着していなかった。

 池の上は、案外に孤独の地だった。

 野分はボートの上で身を堅くしていた。ボートという乗り物がこれほど家族層に受け入れられるなら安全性が確認された娯楽に違いないことは理解しても、手足は追いついていなかった。自分がいま水上にいるということが、騙されているかのようにすら思えた。

「もしかして、乗りたくなかった?」

 篝火がボールを投げるように言った。彼は小さなボートの上だというのに、ソファに座っているような姿勢だった。悠然と片手を座面について、もう片方の手でハンドルを操作した。風は彼の金の髪をたなびかせ、しきりに耳元でうねった。

「乗ってはみたかった。動いたら転覆しそうで怖いだけ」
「君がちょっと動いたくらいじゃ転覆なんてしないよ。僕のほうが重石になってる。泳ぎは苦手?」
「泳いだことない。たぶん、できないと思う」
「怖いのに、ボートに興味があるんだ」

 彼の口調は、揶揄いが混じっていた。野分は応じて笑う。

「そんなに興味がある顔、してた?」
「してたよ。悪いと思うけど、一部始終見てたからね。ボートに気を取られて立ち止まって、子供とぶつかった」
「あの子は避けてくれた。ぶつかったのは、おもちゃだけだよ」
「そう。あれ、なんていうんだっけ? 最近、映画をやっていたよね。子供向けのシリーズだったかな……

 野分は風の強さに目を細めた。薄く開く瞼の隙間から、目の前の男を見る。

「まあとにかく」

 篝火がペダルを踏み込んだ。モーターが回り、ボートが風になった。モーターの音は響かないように工夫されたとしても、水の泡は生まれると消えるを繰り返す。泡のはじける音が、この一艘のボートの轍となった。

「熱心に見えたよ、客観的にはね。だから乗りたいものだと思っていた。間違いだったかな?」
「さっきも言ったけど、間違いではない。思いのほか、ボートっていうのが不安定だったの」
「揺れないほうだと思うけどね。僕だって君だって、たいして動いていないから安定したもんだろ?」
……ボートに、」

 篝火があちらこちらの話をしすぎる。野分は、この会話の舵まで彼に任せていることに気がついた。

 片耳で泡を聞き、片耳でさざ波を聞いた。池に浮かぶ多くのボートのおかげで、四方八方からさざ波が立っていた。波の作る強弱の拍子が、野分から言葉を押し出した。

「ボートにいい思い出がないの。でも、ここの池のボートは子供たちが楽しみにしているみたいだったから、私もこの機会に乗ってみようかな、と思って見てた。あなたが誘ってくれなかったら、並べなかった。ありがとう」
「そう言われると、何も聞けなくなるな」
「何か気になることがあった?」
「ボートにいい思い出がないって、落ちたことでもあるのかい、と聞こうとしたけど、素直に御礼を言ってくれる相手への質問にしては、意地が悪すぎるだろう?」

 篝火は肩を上下させてそう言った。
 野分はニッと笑って返した。自分を明るく見せることが、これからの話に対しては肝要なのだと知っていた。口角を上げた状態で保ち、話を続けた。

「子供の頃に住んでいた町にも大きな池があったけど、子供たちは近づいちゃいけなかった。ボートに乗れるのは大人だけで、いつも大きな荷物をボートに担ぎ込んでて、私は見たくなかったけど、いつも気になってた。そうして揺れながら池の中央へ漕ぎ出しては、空になったボートで帰ってきてたの。底なし沼だって言われていたけど、そんなわけない。底はあった。底がどれだけ深かったのか分かったときには、もう、町の人はほとんどいなくなってた。底を浚わなきゃいけなかったのは、池が――

 言葉を切った。この話をするときというのはいつも、最後までの一連の物語を求められた末のことであることが多かった。野分にとっては事実であり、記憶だったが、この話を聞き出す側にとっては物語だった。物語には、人を吸い寄せる側面がある。

 だが、今は、求められているわけではない。

 決してちょうどいい話の結びとは言えなかったが、野分は「まあ、そんなとこ」と結んだ。

 自分が身を堅くしている理由の断片を語ったせいか、ほとんど揺れないボートに慣れたせいか、ようやく力が抜けた。野分は両腕を地面に投げ出し、篝火を窺った。

 彼は野分の話に口を挟まなかった。彼と視線がぶつかった。
 野分は、さっき彼がやったように、肩を上下してみせた。

 篝火はただ野分の動きを見て、野分が口をつぐんだ以降の経緯を聞かされないままの状態ではあったが、動きの意図を正確に読み取った。

 彼は「そりゃ、随分だね」とだけ言って、ハンドルを操作した。
 ボートは岸に近づいてきていた。彼がハンドルを操作すると、ボートは方向を変えて、舳先が池の中央を向いた。

「どうする? 戻りたい?」

 篝火が尋ねた。野分は首を振った。落ち着いて力を抜けば、不安なことはなかった。

「もう少し乗っていたい。いい?」
「僕はもちろん。用事もない」

 野分は雛鳥が巣から出ようとするときの動きよりは控えめに、ボートから水面を覗き込むようにした。

 この池はどこからも川が繋がっていない。底から人工的に水を供給して水かさを管理しているのだろう。池の底には通常、魚や虫などの生き物の死骸、もしくは落ち葉、または不届き者が捨てていく塵芥が積もるだけだ。丹念に管理された人工公園の水は清さが却って胸を突き上げた。

 故郷の池を思い出した。

 カンパニーの搬入した重機が池の水を枯らし、底から汚泥を汲み上げ始めた日は曇天だった。雲は厚く、影が空気を沈殿させた。
 汚泥の中からは続々と岩や重量タンクが転げ落ちたが、それに潰されながらもまだ形が残った脚や胴体があった。けれどもその大半は、体液が泥と混じって暗雲の色に染まっていた。どの脚がどこまで当人の脚か判別するには、手間と金が必要だった。

 野分の国はその支払いが可能ではなかったし、手間と金をかけたところで返してやれる家がある保証はどこにもなく、浪費の域を出ないと断定された。

 人工でもそうでなくても、美しい水辺には近寄ってしまう。水辺は不動で、野分を誘惑する。動かないものは、野分を追い立てることもできない。

 野分は好奇心で、人差し指を水に浸した。冷たい。
 あたたかいわけがないと分かっていたが、冷たさを面白いと感じた。

 水辺は常に、ただ存在する。その存在が形を問わず、変化するときというのは、外側から役目を与えられてしまったときのことだった。

 知れぬ誰かの献身が、いまも野分の前で穏やかな波の音を立てる。

 篝火は、風が髪を散らした後に耳に触れていた。耳に、と野分は自分の耳に触れる。
 きっと、彼は普段、耳に飾りをつけている。