青果
2025-01-13 23:11:56
40868文字
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語りうる者たちよ

崩壊:スターレイルより アベンチュリンへ贈る最初のファンファーレ(CPなし)
都合上、原作にいない男女のキャラクターが登場しますが、恋愛感情は発生しません。
フィクション時空ですのでふんわりとお読みください。




 その日は、朝から晴天だった。雲一つない。このリゾートは天候が管理されていない天然もので、それが売りの一つではあった。だが、天候が前もって明らかにならないことは、現代の旅行においてはマイナスに捉えられることが多い。せっかくハイキングの予定を立てても、当日になって雨が降れば台無しになる。ガイドブックの案内にも、このセールスポイントについては小さく書いてあるばかりだ。

 コテージから外に出ると、光が衣服をあたため、衣服が肌をあたためた。野分はそれを心地よく感じたが、長く外に出ていると汗ばむ。

 空から降り注ぐ光は木々の葉を透かした。大地に緑の色を落とす。重なり合う部分は暗くなり、その階調は一瞬として同じにならない。

 大きく枝を張りだした木の根元にはベンチが設置されていた。歩き疲れた人々が座り、歓談し、足を休めてはまた歩き出していく。野分はそれを見るともなしに見つめた。このような光景は、もはや風景の一部だった。

 小さな子供を二人連れた家族がベンチに近寄った。子供は父親と母親の腕を引いている。父親と母親はそれに笑顔を返しているが、その一方で、親だけで会話を交わす。やがて、父親はベンチに座り、母親と子供だけがその場を離れた。
 休暇であっても、遊ぶことに対する子供の無尽蔵の体力にはかなわない。今日は父親が休むターンなのだ、と野分は想像した。

 父親はベンチの背もたれに腕を乗せて大きく息を吐いた。そのまま空を見上げていたかと思うと、おもむろにポケットに手を入れて小瓶を取り出し、タブレット錠を噛むように飲み込んだ。また、今度は細く息を吐き、上半身をベンチに預ける。

 野分はその光景を見つめ、視線を外した。疲労回復を補うタブレットは一般の商店でも流通している。ドリンク剤と同じように馴染みのものだ。だが、野分はあのタブレット錠の味が好きではなかった。

 彼女は立ち止まっていた足を動かし、地面の案内表示に従って歩いた。

 やがてサイネージが明るい表示となり、色彩が増えてくる。
 アミューズメントエリアは、色彩が豊かだった。さらに言えば、色彩が騒々しい。だが、喧噪が懐かしいと感じる程度には、今まで静かなところにいた。

 一番大きな建物に入る。ゲームセンターだということは知っていた。

 室内は明かりが絞られているが、周囲にあるものは判別できる。それに、至る所に置かれたスロットマシンやゲームのテーブルが明るいので、暗いとは感じなかった。

 入口側はポピュラーなゲームが並べられている。コインも飴玉のようで、ままごとに見えた。
 奥へ行けば行くほどハイレートになる。デポジットして換金できる金額も上がり、伴って格式を求められる。野分は自分が見苦しい恰好をしているとは思っていないが、一番奥のテーブルを許される恰好でもないことを分かっていた。
 第一、本気で遊びに来たわけではない。

 このゲームセンターは、リゾート地として名乗るなら必要なのではないか、という不安定な自己意識で設計されたもののように感じた。星全体の雰囲気とは不釣り合いであったし、内装も統一感がない。リゾート地のイメージが先行して、自らの有用性を忘れたかのような享楽がそこかしこに息づいた。

 野分はそれを眺めながら歩いた。田舎者を知らしめる行いだったが、野分と同じく雲の上を歩いているような足取りの観光客は大勢いた。

 ポーカーのテーブルの横を通り過ぎる。ポーカーはルールが複雑で、野分は完全な理解ができていなかった。その上、テーブルによってルールが異なる。ここのような星では参加者が少なく、ある一つのテーブルに三人が座っているだけだった。ポーカーは参加者がいなければ、ゲームが成立しない。

 歩いていくうちに、テーブルの列が途切れた。代わりに、スタンドバーが現れる。

 ゲームテーブルが並ぶあたりを池とすればその淵になるように、細く長く、壁に沿って続いている。ゲームのテーブルよりも、このスタンドのほうがよほど混雑していた。客の多くは野分と同様に物見遊山なのだろう。

 カウンターテーブルに、見知った顔があった。野分が近寄ると彼のほうも気がついて、持っていたグラスを揺らしてみせた。彼の髪と同じ、金色の液体が入っている。

「隣、空いてる?」
「どうぞ」

 テーブル越しに野分が聞くと、軽やかな返事があった。背もたれのない椅子に腰掛けると、ウェイターに注文を聞かれた。適当なものを注文して、篝火と同じ方向を見る。
 多くのテーブルが見渡せた。予想の範疇だが、客入りは全体的に少ない。奥のハイレートの部屋に行ったとして、客は増えるのだろうか。野分には、その考えを否定する根拠しか思いつかなかった。

「君はこういうところ、来ないと思ってたな。好きなの?」
「初めて入った。観光地気分なの」
「まあ、そうだろうね。入ってきてから優柔不断な蜂みたいだったし、止まる花も見つけられずにここで飲んでるくらいだ」
「見てたの?」
「ここに座って分かるだろう。見えるんだよ」

 野分が言葉を重ねようとしたとき、注文したグラスが差し出された。それを受け取って唇を濡らしたら、言うべきことを忘れた。
 篝火はつまらなそうな顔で頬杖をつき、人の少ないテーブルを景色のように眺めている。彼の横顔に、野分は話しかけた。

「あなたは?」
「僕が何?」
「こういうところ、好きなの?」
「どう思う?」
「私みたいに浮き足立ったところがないから、慣れてはいるんだと思ってる。でも、慣れているのと好きかどうかは別の問題だから分からない」
「誠実な回答をどうもありがとう」

 言外に、つまらない、と言われたような感じがした。野分は黙ってグラスで再び、唇を湿らせた。篝火はその様子を見て、口火を切る。

「意地の悪いことを言って悪かったよ。さっき、一ゲームやったばかりなんだ……いや、半ゲームかな」
「どういう意味? 負けたの?」
「いや、流れた。カード詐欺師カード・シャープがいたんだ」
「カード・シャープ?」
「いかさま野郎ってこと」

 篝火は小さく、早口で言った。なるほど、と野分は合点する。だから、彼は気が立っているのかもしれなかった。

「それで、詫びにここのサービスチケットをもらった。あと三杯分あるから、君のそれ、これで払えばいいよ」

 仰々しい印刷のチケットが三枚綴りになったものが差し出された。野分はそれを見てどうすべきか考えたが、経緯を聞いているので受け取るのに躊躇いなく済んだ。

「何のテーブルにいたの?」
「ブラックジャック」
「勝ってた?」
「まあまあね。でもそもそも、こっち側だとチップがチョコレートくらいの価値しかない」

 彼にとっての普段はそうではないのだな、と野分は思った。彼はチョコレートのようなチップに、呆れているような口振りだった。
 チップに替える窓口でのデポジット最大金額と交換単位が、入り口側では著しく低い。子供をあやすような金額で、この金額設定ばかりが、この星の鄙びた気配と一致していた。

 このエリアは彼のホーム・グラウンドなのかもしれない、と野分は考えていた。彼は今までよりも、野分からの質問を許した。だが、それはここに物慣れない野分の緊張感を崩そうとした、意図した仕草とも思えた。どちらとも取れる両極端さが、彼にはあった。

「ブラックジャックが好きなの?」
「好き? いや、特別そんなことはないな」
「好きじゃないの? 好きだから座ったんだと思ってた」
「好き嫌いより、できるかどうかで選んだほうがいい。特に、こういうところはね」

 篝火は見える範囲のゲームテーブルに、すばやく目を走らせた。どれかのテーブルを例にして、何かの話をしたかったが、どのテーブルも例に適当ではなかったようだ。彼は目を逸らして、横に座る野分を見た。

……砂遊びをしたことは?」
「私の出身地は、土壌汚染が酷かったからあまり。でも、遊び方の知識はある」

 篝火は喉元に手を遣って、すぐに下ろした。まるで、そこに上まで締めたタイがあることを忘れていたような動きだった。

「知識、ね。遊びだっていうのに」
「言い方の揚げ足をとらないで。私にとっては、砂は思い出になれなかった。でも、そうじゃない人とおしゃべりしたっていいでしょ。境遇が違って、ちょっと言い方が違ってもおしゃべりはできる世の中になったんだから、今みたいに。……違う?」
……いや、違わない。まあ、砂山崩しってあるだろう、分かる?」
「砂を集めて山にして、先端に小枝か何かをさして、みんなで順番に砂山を崩す。棒を倒した人の負け」
「そう」

 彼は頷いてから、口元でグラスを傾けた。金色の液体が、彼の体内に流れ込んだ。大きな氷は、角がとれて丸くなっていた。

「僕は、砂山崩しのゲームには特に、勝てる。だからブラックジャックを選んだだけなんだ。暇つぶしのゲームで、負けたら癪だろう?」

 野分は、自分のグラスから一口飲んだ。角のある氷が唇にぶつかり、また底に戻って音を鳴らした。

「ブラックジャックと関係ある?」
「ブラックジャックのルールは知ってる?」
「カードの数字を合計して21を作る。Aは1点と数えてもいいし、11点と数えてもいい。絵札は全部10点。21を超えたら全部台無し。までは知ってる」
「大事なところは知ってるじゃないか、花も知らない蜂かと思ってた。これも、知識として知ってるのかな?」
「そう。今みたいなときのために」

 篝火が喉で笑った。野分も、それに合わせて笑う。

「あと君が知っておくべきだったのは、ブラックジャックは参加者同士の勝負ではない、ということだね。勝負相手はディーラー。ディーラーのカードがバスト、つまり21より大きくなったら、勝負を降りておらずバストもしていない参加者全員が勝ちだ。逆に、ディーラーのカードが21だったら、最高でも引き分け。店によってはカードのスーツで強弱をつける場合もあるけど、カジノごとのハウスルール……まあ、ローカルルールにすぎない」
「じゃあ、ブラックジャックは参加者が一人でも成立するってことか」
「するよ。逆のゲームでいうと例えば、ポーカーは参加者同士の勝負だから、一人だと成立しない」

 砂山崩しも、一人では成立しないゲームだ。共通点は一つ見つかったが、まだ遠い。

 続ける言葉を考えるように、彼は指をカウンターテーブルに軽く打ち付けた。彼は薄い手袋をはめていて、音は軟化して聞こえた。篝火自身が意図した動きかは外からは分からないが、それはブラックジャックにおいて、一枚追加ヒットの動きだった。

 篝火は話を続けた。

「ブラックジャックはバストになれば負けだ。これはプレイヤーが一番避けたい結果になる。ディーラーとプレイヤーの両方がバストした場合、負けになるのはプレイヤー。賭けたチップは全額取られる。ディーラーはバストしてもチップを得る可能性はあるが、プレイヤーにはない。ここで、カードの最大値についてだが、点数が最大になるのは11点となるA。でも1点とも数えることが可能だから、手札を脅かす最大値は10だね。つまり、手持ちカードの合計が12以上になると、次にヒットしたらバストする可能性が生まれる。そして、一方のディーラーは17点以上になるまでカードを引くルールだ。だから、プレイヤーはバストの危険がある12になっても、ディーラーがバストしない限りは、ヒットしなければ勝てない。」
「ディーラーのバストを待つという手は?」
「そうだね。それは有り得る。プレイヤーは自分の手札が12点になり、ヒットしたらバストすると思ったらその点数で勝負してもいい。ディーラーのバスト狙いでね」

 篝火はまた、手遊びで一枚追加ヒットした。

「プレイヤーのとれるアクションは、まだいくつかある。例えば、最初に配られたカードが同じ点数のカードだった場合、分割スプリットできる。自分の手札を二つに分けて、それぞれで賭ける。だから賭け金は実質二倍になる。……まあ、これは選択肢の一つにすぎない。あまり起きないしね」

 篝火は、テーブルの上に人差し指と中指を乗せて、左右に開く動きをした。これがスプリットのハンドサインなのだ、と野分は理解した。

「さて、ここで具体的な例を考えてみようかな。ゲーム開始だ。廃棄カードディスカードはない、最初のスタートから始めよう。カードはシャッフルされて、もう配られた後。プレイヤーに配られるカードは二枚でディーラーにも二枚確保されるけど、ゲーム開始の時点でディーラーのカードで上向きアップになっているのは一枚だけ、もう一枚は伏せられているものだ。そして、ディーラーのアップカードは……そうだな、7にしよう。そして僕が15点、君も15点だとする。」

 野分は、テーブルをイメージした。自分の前に合計15点になるカードが二枚あり、篝火の前にも同じように15点ある。ディーラーの一枚が7ということは、伏せられているもう一枚が最大値のA、11点だとしても合計して18。21にはならない。

「野分。君はどうする? ヒットするかい? そのままステイ?」

 それから篝火はわざと皮肉っぽく笑い、野分の知らないハンドサインをした。テーブルの上に人差し指を乗せて、左から右へ動かす。

「それともゲームを降りるサレンダー?」
「待って。考えさせて。……ディーラーは、17点以上になるまでは引かないといけない、合ってる?」
「そうだね。そして、ディーラーは17点を超えたら、カードを追加できないんだ。つまり、伏せられているカードがもし9以下だったら持ち点は16点以下になって、ディーラーは必然的にもう一枚追加ヒットする。だけど伏せカードが10点かAだったら17点、または18点でプレイヤーと勝負だね。プレイヤーにはそういうしがらみはないけど、持ち点が17点を下回るなら、ディーラーがバストしない限り勝ちはない。整理できた?」
「つまり、今の私たちは15点だから、ヒットせずに勝つならディーラーがバストするしかなくて、ヒットするなら6点以下を引かなきゃ私たちがバストする。それで……ええと」
「そう複雑に考えなくていいよ。今は別に何を賭けてるわけでもない」
「篝火は? あなたはどうするの?」
「僕はヒットだ」

 彼はカウンターテーブルを人差し指で叩いた。

「僕は、5点を引く」
「あなたは20点になるってこと?」
「そう。そして、ディーラーの伏せ札は9点以下だろうね。確率で考えたとき、トランプの一つのデッキに対して9点以下と10点以上のカードそれぞれの割合、とすると、9点以下のカードのほうが多いから。ここでは、そうだな――ディーラーの伏せ札は9点だったことにしようか。つまりディーラーの合計は16。ディーラーが勝負できる最低点数の17点には足りないから、強制的にもう一枚引くことになる。6点以上のカードを引いたら、ディーラーはバストだ。そして、トランプのカードの割合を考えれば、6点以上のカードと5点以下のカードでは、6点以上が多い。ディーラーはバストする可能性が高いし、実際、バストするだろう」

 篝火は目の前でその光景が見えているかのように、饒舌だった。

「分かったかな?」
……あなたが5点を引くって断言した理由以外は」
「ブラックジャックは砂山崩しなんだ。カードの山は一つしかなく、それをディーラーとプレイヤーで崩していく。今、話した例だけど、もし僕がヒットしなかったら、どう?」
「篝火がヒットしなかったら?」
「そう。僕が15点でディーラーがバストすることに賭けるか、ゲームを降りるか。どちらでもいいけど、とにかく、僕がヒットしなかったら」
……さっき、ディーラーの手持ちカードは7で、伏せカードは9ということにしたよね。で、さっきは篝火がヒットで引いた5点を、あなたが引かなかったら、そのカードはディーラーが引くことになって……21」

 篝火が頷いた。

「そう。ディーラーが21。プレイヤーは最高でも引き分けだし、僕は負けだ。――野分。君はヒットするか、ステイするか? サレンダーする?」
……ヒットする」
「何点を引くと思う?」
「え?」
「じゃあ、僕がヒットした場合に引くことになっていた5点をあげよう。君は20点になった。僕は君がヒットしたとしても、変わらずヒットを選ぶ。さて、覚えてるかな、さっき僕一人がヒットしたと考えたとき、ディーラーの持ち点は16だから強制的にヒットしてバストするだろう、ということにしたよね。6点以上のカードと5点以下のカードでは、6点以上のほうが多いから。ディーラーは6を引いただけで22になってバストだ。今、野分と僕の両方がヒットして、野分の後に僕がカードを引く場合を考えてるけど……これは僕一人だけがヒットした場合のシミュレーションではディーラーが引いていたカードだ。つまり、6点以上を僕は引くことになる。そしてこの場では、僕は6のカードを引く。僕の持ち点は21。負けはない。そういうゲームが続く。もちろん僕が負ける回もあるだろうが」

 もし、篝火だけがヒットしたなら、彼は5点を引いて合計20点、ディーラーは持ち点16点から、ヒットした6点で合計22となりバスト、篝火が勝つ。

 もし、篝火がヒットしなかったなら、ディーラーは持ち点16点からヒットした5点で合計21点。プレイヤー側は最大でも引き分けだし、篝火は負ける。

 もし、野分と篝火がヒットしたなら、野分が5点を引いて20点、篝火は6点を引いて21点。ディーラーは21点にならなければ勝利はないが、持ち点16点から21点を得るには細い穴を通り抜けなければならないし、ディーラーが運よく21点を引き当てたとしても、篝火は引き分けだ。負けていない。

 つまり、この条件においては、篝火はヒットする限り負けない。
 篝火がヒットしなければ得られたディーラーの21は、篝火がヒットするなら得られない。

 そして、篝火の選択は「ヒット」だ。

 ちょっと待って、と野分が言った。

……流されるところだった。この想定って、全部篝火が言った数字を本当に篝火が引いたら、って話でしょう」
「そうだよ。でも、僕はヒットすれば5点、君もヒットするなら僕は6点を引く。言っただろう、砂山崩しなんだ。僕が触れば次に崩れる砂粒なら、僕の手は触る。誰が触っても崩れる砂粒なら、僕の手は触らない」
「それはどうして?」
「僕は運がいい。僕は棒を倒さない」

 野分は、おお、と声が出た。自分の今までの戦績について確信がある人間を見ると、山頂に到達してフラッグを振る人間を見るかのような気持ちになると知った。

「感心しないでくれ。カジノの自慢話なんか、話半分に聞くものだ」
「いい話を聞いた。そういう気持ちでテーブルに座る人もいるってこと」
「君はチョコレート以上の額を賭けないほうがいいな」
「まだ話してもいい? ルーレットはどうなるの?」

 どこも人が少ないゲームテーブルの中でも、ルーレットのテーブルは特にがらんとしていた。ゲームに競争相手となる参加者が必要ない上、一瞬で勝負が決まってしまうからか、観光地扱いのこのゲームセンターでは不人気であるらしかった。賭け方が初心者には複雑であることも、不人気の理由の一つかもしれない。

 ルーレットは、ブラックジャックと同じでディーラーと参加者間の賭けだ。ブラックジャックと違うのは、カードの山がない、つまり、砂山崩しではないという点にある。

 複数人が同じ賭け方をすることが可能だし、賭け方が多様なこともあって、参加者全員が勝つ、というパターンが有り得る。
 そして、賭ける時間が長くとられており、他者が何に賭けているのかが見える。

 上から見ると、ルーレットの赤と黒、回転盤ウィールが反射するライトの輝き、ボールがウィールにぶつかる音が華々しい。ルーレットのテーブルに座る数少ない参加者も、賭けを楽しんでいるというよりも弾かれるボールを眺めて遊んでいるような背中だった。

 野分がルーレットのテーブルを見ていると、篝火の目も同じテーブルを追った。

「ルーレットは試行回数だから」
「篝火がルーレットのテーブルに座ったら、どうなる?」

 篝火は長く話した喉を休めるようにグラスを傾けていたが、すぐに話した。

「ここのルーレットは、できるだけやりたくない。やれって言われたら、テーブルを選ぶことになるな」
「なぜ?」
「人が少なすぎる」
「ルーレットに参加者が必要? 一人でもできると思ってた」
「一人でも、もちろんゲームは可能だ。……こっちからしてみれば、ルーレットを回す人間――スピナーの投げ入れるボールもウィールも変数のように見えるかもしれないけどね、雇われてるスピナーからみたら定数なんだよ。そして、僕らが賭ける先を決めたとしても、それもまた定数だ。経験を積んだスピナーであればあるほど、テーブルを掌握している。熟練のスピナーにとって、テーブル上に変数はない」

 彼は片手でグラスを揺らし、もう片方の手でルーレットを回す素振りをした。

「参加者が一人のときなんて、スピナーにとっては定数ですらない。真偽値でしかない。参加者に勝たせるか、勝たせないかだ。アウトサイドベット……つまり、赤か黒かとか、偶数か奇数かのような当選確率が高い賭け方をされればスピナー側もある程度の緊張感を見るかもしれないが、配当倍率は低いからね。たいした障害じゃない」

 彼が手遊びで回した透明なルーレットは、回転を緩めはじめた。

「スピナーにとっての変数でいるには、ボールが投入されてから賭けすることになる。考える時間は短い。それに、ルーレットの台の癖もスピナーの癖も、回数を見ないと分からない。試行回数だよ。ルーレットのテーブルの横、看板が立っているだろう。最新の何回か、出た目を公開しているんだ。もし台が目視では分からない程度だとしても、傾いていれば数字が偏る。ウィールが深ければボールは跳ねる。……そして、参加者が様子を見ている間に、スピナーはこっちの賭け方を類推してくる。見る目のあるスピナーにあたれば、どこかの地点で参加者はスピナーの定数になる。」

 スピナーにとっても参加者にとっても試行回数なんだ、と篝火が結んだ。

「つまり、それは、参加者のほうが先にルーレットを掴めば勝てる確率が上がるってことでいい?」
「そういうことになるな。スピナーが賭け方を掴むか、参加者がスピナーを掴むかだ。タイムラグがあればあるほど、どちらかの勝ちが増える。あと、参加人数が多ければスピナー側の戦略に幅が出るから、予想するのもまあまあ楽しい。どんな熟練のスピナーでも、参加者の数人を定数として見られるようになったところで、要素が増えれば複雑になるものだろう?」
 
 篝火のグラスは空になった。彼は何も言わずに、野分を見た。どうする、と口の端が言っている。

「篝火は、もうここを出る?」
「どうしようかな。せっかくのチップが残ってるから……チョコレートパフェくらいだけど」
「ルーレットは好き? 見ていたい」
「君、最初からそのつもりでルーレットの話を振ったな」
「好きじゃないなら、残りのチップでチョコレートパフェでも食べて」
「分かった。じゃあ、君の滞在期間中の全ての食事にパフェをつけられるようにしてこようか?」

 野分は笑顔を浮かべて、グラスのわずかな残りを飲み干した。彼も笑顔を浮かべていたし、彼女は篝火の台詞を冗談だと思った。
 彼はテーブルに置かれたサービスチケットを人差し指でさしてから、

「チェックはあっち」

 と顎で示した。

 野分がチェックから戻ったとき、その鴉でもまだ水浴びを続けている程度の時間で、篝火は誰かと言葉を交わしていた。彼はカウンター席から腰を上げているが、片足に重心を掛け、相手を冷ややかに見ている。会話相手の男は酒に酔っていて、首まで赤かった。

 野分は幼い頃に耳を悪くしていて、いまの聴覚はカンパニーの技術で補われている。全ての音を見境なく脳に叩き込むのではなく、音を選び取ることができるように、耳と脳が人工的に繋がっている。
 彼女は火葬にされるとこの機械が焼け残ることになるので、身分証明書にその旨の記載があった。

 歩み寄りながら、彼らの会話に注力する。意識を向けると、指向性のある人工的な聴力が音を収集しはじめる。

 野分は眉を寄せた。彼女に取り付けられた優秀な聴覚は、正確に動作した。下品なことを一方的にまくしたてられている。野分と同じように騒動に気付いた店員が足早に彼らの元へ近寄った。

「これ以上続けるなら、カードの模様スーツを揃えるより先に、カジノからの訴訟スーツが揃うことになるよ。ほら、店員の彼に優しくしてやるといい」

 篝火がそう言うのが、意識せずともはっきりと届くようになっても、まだ酔っ払いの男はそこに留まっていた。店員があれこれ言っているが、聞く耳を持たない。

「篝火」

 声を掛けると、彼だけが振り向いた。なんともない顔をしていた。
 足早に進み、彼と男の間を広げるように、無理矢理そこに立つ。肩で、篝火を押しのけるようにして距離をあけた。その姿勢で、彼のほうだけを振り仰いだ。

「一人にしてごめんなさい。行きましょう」

 篝火は、面白そうな顔をした。
 彼が立ち去ることを察した店員も振り返り、篝火に向けて謝罪しようと口を開いた。

「ああ、いいよ、気にしないで。君は仕事をよくやってる」

 店員が声を出すより先に、篝火が遮った。酔っ払いの男を無視したやり取りに、その男はさらに大きな声をあげたが、共感覚ビーコンをもってしても意味がとれない言葉であったし、聞き取れなかった。

 カウンターバーの淵から、二人でゲームテーブルの海へ降りていく。篝火が底にたどり着いたとき、後に続く野分を振り返って、何かを差し出した。

「これ、あげるよ。ショッピングエリアのバーでも使えるらしいから」

 思わず受け取った。バーのサービスチケット、残りの二枚だった。顔を上げたときには、もう篝火はルーレットのテーブルに向けて歩いている。
 野分はそれに追いつき、「ありがとう」と言った。

 彼はルーレットのテーブルで最後、一つの数字だけストレートアップにチョコレートパフェをすべて賭けた。赤の27。ストレートアップの配当は35倍だから、パフェは二人が全ての食事に注文できる回数よりも多くなった。
 同じテーブルにいた数人は彼の〝ツキ〟をすばしこく見て取って、ひとかけらのチョコレートを何枚かのチョコレート板にした。

 ルーレットは他者の賭けが見え、かつ賭け時間は一瞬ではない。スピナーが「ノー・モア・ベット」の声を掛けるまで、賭けが可能だ。
 ルーレットのテーブルでは、誰かが〝ツイていた〟とき、周囲が同じ馬に乗れる。
 参加者は、誰かのツキに相乗りできる
 どれだけの人数が乗っていても、ルーレットの馬はその力強い走りを止めることはない。