7話✧情械




──半年後。

外はしんしんと雪が降っていた。
この姿で迎える、二度目の冬。

半年前、この世界は大きく変わった。

悪役を倒したとされる“英雄”が人々の前で希望を語り、それに応えるように、人間たちは再び互いに手を取り合い始めた。
ルフレの読み通りの展開だった。

自分の存在は死んだことになり、今ではこの館の一室でただ静かに時を過ごしている。

ルフレは窓辺の寝台に腰を下ろし、裏庭を見つめていた。



皆でよく集まっていた裏庭。
元々はただの森だったのに……
毎朝、迷惑なほどに賑やかだった。

今では静かに雪が降り積もっている。
白く染まった裏庭。その景色は、なぜか遠い記憶を手繰り寄せてきた。

(……雪の日は太陽が隠れてるって、ラートさんがずっと不機嫌だったな……逆に白浪さんは朝からはしゃいでて)

思い出すたび、胸がくすぐったくなる。あの奇妙で賑やかな日々。

(グラディエーターさんとファンリンさんは雪合戦で盛り上がって、勢い余って窓を割ったし……)

(シアノは絶対に外に出ようとしなくて……カラベラフィルムさんは寒さで凍りかけて……)

(誰かのつけた火を囲って、スープを飲んだり……)

一つ思い出すと、それに連なるように次々と記憶が溢れてくる。

(……クリスマスは料理が足りなくて、何度も買い出しに行かされたな新年祝いでファンリンさんだけ時期がずれてたり……)

(初日の出を見に行くってラートさんが張り切ってたな……)

(その後……せつぶん、って白浪さんが教えてくれた行事もあって……グラディエーターさんが本気で投げるせいで散々な思いをしたり……)

いつもいつも、彼らに振り回されてばかりだった。

だが今となっては、あの喧騒が、かけがえのない宝物のように感じられる。

(……戻れたら、どんなにいいか……)

気づけば目頭がじんわりと熱くなっていた。

──その時。

コンコン、と扉がノックされる音がした。

……はい、どうぞ」

「おはようございます。今日の調子は、どうですか?」

開いた扉の隙間から、バートリーが顔を覗かせた。

「相変わらず最悪ですよ。でも……今日は、少しだけマシかもしれません」

そう答えたルフレに、バートリーはほっとしたように微笑んだ。

ここ数週間、ルフレの体は急激に衰えていた。衰えた、と言えど見た目は変わらない。しかし手先も足も、思うように動かず、目の焦点もぼやけることが増えた。
それはまるで、バッテリーの切れかけた機械のように。

(……まぁ、無限の命なんて、あるわけないか。そんなもの、ナーデルさんにとっては都合が悪いだけだろうし……)

(……だとすれば、あの時、本当に人間を滅ぼす道を選んでいたら。僕は道半ばで力尽きて結局は1人で死ぬことになっていたんだろうな……どちらにしても、僕の願いは最初から叶わなかったってことか)

静かに、胸の奥で嘲笑する。

……それで。研究の進み具合は?」

「う、うぅん……まだまだなんです。協力者探しだけでもう手こずっていて……

バートリーは苦笑いを浮かべ、目を逸らす。

バートリーが進めている研究。それは、「過去へ戻る方法を見つけること」。
死んだ仲間たちを取り戻したいルフレと、壊れた歴史そのものをやり直したいバートリー。
目的は違っても、目指す場所は同じだった。

ルフレは持ちうる知識を惜しみなく提供し、彼を支えていた。

……それより、調子が良いのなら……どこか行きませんか? 散歩がてら、裏庭とか」

ルフレは一瞬、視線を外した。
けれど、またすぐにゆっくりと顔を上げる。

……そうですね。たまには」

重たい身体をベッドから起こし、冷たい床に足を下ろす。

数日ぶりに、足を運んだ。

昨日までは、指先すら思うように動かなかったというのに。
まるで何かに導かれるように、体はすっと動いた。

(……なるほど)

胸の奥で、何かがすとんと腑に落ちた感覚があった。
ルフレは一度、深く息を吸い込んだ。

……大広間に行きましょうか」

不意に口をついた言葉に、バートリーがきょとんと目を丸くする。
しかしルフレは彼の反応には目もくれず、ただ廊下へと歩を進めた。

「えっ、あれ? ルフレさん、歩けるまで回復したんですか……?」

後ろからバートリーの呑気な声が聞こえる。
だがルフレはそれを聞き流しながら、静かに廊下を進んでいった。

──みんなの部屋へとつながる廊下。

よく、誰かとばったり出くわしては立ち話をした。
そのまま一緒に買い出しに出かけたり、風呂場まで笑いながら歩いたりした日もあった。

人間離れした大きな体の仲間たち。
けれどこの広い館は、不思議と窮屈ではなかった。むしろ、今はこの静けさが堪える。

扉を開き、大広間へと向かう。途中、ふと左を向いた。
グラディエーターに蹴破られて雑に補強されたままの扉。
あの時転がっていた遺体は、今は皆墓地の土の中だ。

さらに進んだ先のガラス張りの中庭。
白浪が「冬の花」として選んだ白い菊が咲いていた。「僕の国の国花なんです!」そう、説明してくれた姿が浮かんでくる。

一歩、一歩。思い出を拾うように、足を運ぶ。

そして──

目的地にたどり着いたルフレは足を止めた。大きな大広間へとつながる扉。
ゆっくりとその重たい扉を開く。

大広間は冷たい空気に包まれ、淡い光が差し込んでいた。
大きな窓から射す冬の光が柔らかく、九脚の椅子を照らしている。

ここは、全員と初めてきちんと顔を合わせた場所。
そして今は彼らの形見が静かに並ぶ、記憶の間となっていた。

グラディエーターの席には石片。
ファンリンの席には砕けた刃の破片。
ラートの席には割れた木の一片。
シアノの席には小さなガラス片。

白浪とカラベラフィルムの遺品は集めることが出来なかった。その代わりに、木刀と色褪せたブランケットがそっと置かれている。

誰の椅子も、元のまま。
誰の席も、変わらずそこにある。

ただ、座る主だけがいない。

(……やっぱり、ここかな)

ルフレは足を止め、そっと振り返った。
目が合ったのは、後ろで心配そうに見守っていたバートリー。

ルフレはゆっくりとしゃがみ、目線の高さを合わせる。
そして、何も言わずに額をそっと重ねた。

……!」

驚いたバートリーが息をのむ。

「ど、どうして……?」

小さく漏れた問いに、ルフレは答えなかった。

けれどその沈黙が、すべてを物語っていた。
もう、長くはない

その事実を、バートリーも悟る。

そして、ルフレは静かに言った。

「あなたを認めたわけでも……人間を好きになったわけでもありません。
ただ、あの人達の記憶は……遺しておかないといけない。それだけです」

声は掠れていたが、芯はぶれなかった。

バートリーはしばらく黙っていた。
それでもやがて、深く頷いた。小さく、確かに。

自分の記憶が、バートリーへと流れ込んでいく。

─グラディエーターの、燃え上がるような誇り高き精神。

──樊凌の、眩しいほどの明るさと、決して揺るがなかった決意。

──カラベラフィルムの、人間へのやさしさと、どこまでもまっすぐな憧れ。

──シアノの、死を望む者を静かに包み込む、深い受容の心。

彼らのすべてを──その生き様も、選んだ言葉も、選べなかった結末も。

バートリーの胸に、彼らの「想い」がひとつ、またひとつと流れ込んでいく。

あたたかくて、楽しくて、そして苦しくて。
それは確かに彼らが、生きていたという証だった。

そしてルフレは、静かに目を閉じた。
何も言わずとも、すべてを託し終えたその表情には、不思議な安堵が浮かんでいた。

これで、バートリーは白浪を除くすべての仲間たちの記憶を継ぐことになる。

薄れゆく意識の中で、ふと、思い当たる。

(……そうか。あの本は、こうやって書き残されたのか)

記憶の重み。時間の重み。
それが人の手を通じて、語り継がれるものになるのだと。

全てを託し終え、ルフレはそっと額を離した。
バートリーは涙を流しながら、呆然と立ち尽くしている。

そんな彼に背を向け、ルフレは静かに立ち上がった。

(……これで、きっと、大丈夫)

扉に手をかけ、最後に振り返ることもなく言った。

「僕たちの存在を……苦しかった日々を、絶対に忘れないでくださいね」

ゆっくりと扉を閉じる。

その向こうから、バートリーの必死な声が届いた。

「ルフレさん!」

パキ……パキッ……と、身体が軋む音が静かな大広間に響く。

もはや足先は形を失い、崩れかけている。
それでもルフレは堂々と、自らの椅子へと向かった。

いつも通りの姿勢で、深く腰を下ろす。

(……間に合った)

安堵と共に、全身の力が抜ける。
もう立ち上がることはできないと分かっていた。

「ルフレさん!」

廊下の奥から、慌ただしい足音と共に、バートリーの声が響く。

……あの人、まだ僕の名前呼んでたんですか……。最後くらい静かにしてほしいですね、まったく……

ルフレは小さくため息をつき、呆れたように眉をひそめて肩をすくめた。
皮肉混じりのその言葉に、どこか懐かしむような響きがある。

「っルフレさん! 最後に、これだけは……!」

扉越しに叫ぶバートリーの声が、かすかに震えていた。

「あなたは……人を傷つけ、殺していたことを後悔しているかもしれません……でも!」

「でも、あなたが“即死”させなかったから、僕は最期に母さんと話すことができました。皆さんとも出会えた……!」

瞬間、ルフレの瞳がかすかに揺れる。
無表情の奥にある感情が、波紋のように心の底から広がっていく。

……だから。すべてが悪だったわけじゃない。あなたの選択も、誰かを救っていたと思うんです」

ルフレは、思わず目を見開いた。

「善も悪もない……僕はそう思います。あなたの行いも、多くの人を苦しめたけど、逆にきっと誰かのためになっていたことだってあると思います……

……実際に、僕は、この道を選んだことを後悔していません」

その言葉が届いた瞬間、ルフレの中で、長く固く縛られていた何かが、そっとほどけていった。

……善も悪もない、か)

誰かも、かつて同じことを言っていた気がする。
もう思い出せない声。もう届かない言葉。
けれど今、確かに心がそれに触れた。

……だったら、僕が今まで処刑してきた罪人たちも、誰かの希望になっていたのだろうか)

考えるつもりもなかった。
悔いる資格もないと思っていた。

それでも──

まるで、冷たい雪が春の光に溶けていくように胸のどこかが、ふっと軽くなった気がした。

……全く、最期まで騒がしいままじゃないですか」

ルフレは、わずかに唇を緩めてつぶやいた。
その声は、ため息のように小さく、誰にも届くことのない独り言。

目を伏せると、薄く残った視界の奥に、遠い記憶がふわりと浮かんだ。
──窓の外から聞こえる掛け声とセミの鳴き声。
──風に吹かれ葉が擦れる音。
──誰かが冗談を言い、別の誰かが噴き出し、それを隣で咎めながら、皆が笑っていた。

あの時、彼らと過ごした時間は──
確かに在った。
確かに、在ったのだ。

……ほんと……僕がいないとダメな人ばかりなんですから」

肩をわずかに震わせて笑う。そこにはもう、皮肉も苛立ちもなかった。
ただ、どこかくすぐったいような、あたたかな寂しさだけがあった。

部屋の中の空気が、ゆっくりと変わっていく。
それはまるで、季節の境目にふと吹く柔らかな風のように。
何かが終わり、何かが始まろうとする前触れ。

ルフレの体に、静かにひびが入る。
肌ではなく、骨でもなく、存在そのものがほどけていく感覚。

彼の足元から、さびた金属片のようなものがこぼれ落ちる。
それは重力に逆らうようにふわりと舞い上がり、空中で光を受けてきらめいた。

ひとつ、またひとつ。
彼の指先が、腕が、肩が、輪郭を失いながら崩れていく。
けれどそれは、決して痛みを伴わない。

ルフレは目を閉じた。
音が遠のいて、世界が穏やかな光に包まれていく。



それでも、心の奥には最後まで、誰かの声が残っていた。
笑って、泣いて、怒って、騒がしい声たちが。
そして、それに耳を澄ませるようにして──ルフレは、そっと、微笑んだ。

……案外僕は、賑やかなのが好きだったのかな)

次の瞬間、彼の体は音もなく、砕け散った。

まるで雪のように、まるで夜空の星屑のように。
純白の塵がふわりと宙を舞い、冬の日差しに照らされる。
そして、淡くきらきらと輝いた。

彼が腰かけていた椅子の上には、たったひとつだけ──
先の丸くなった刃の破片が、そっと残されていた。

かつて命を奪うための道具だったとは思えないほど暖かで、穏やかな存在感を放っている。

それは、冷酷だった彼が、最期に見せた優しさの形。

仲間を信じることが出来た証。

こうして、一つの命が役目を終えた。

しかし、確かにその思いは受け継がれていた。

彼らの声が、記憶が、歴史が、温もりが、願いが。
物語とも言える彼らの核心が。

こうして、「械」の物語は……

静かに、美しく、幕を下ろした。



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*7話 「情懐」✧ 終*