7話✧情械




1週間後、ルフレはあの役所に立っていた。
この世界の亀裂の原因となった場所。

外からは、大勢の人々の声が聞こえる。

この一週間、ルフレとバートリーは生き残った人々にとあることを伝えるため、各地を巡り呼びかけを続けてきた。
そして今日は国が今後の方針を示す約束の日。

「今まで何もできなかった国が、ついに動き出した」
そんな噂が広まると、生き延びた者たちは一斉に希望を膨らませた。

刻一刻と、約束の時間が迫ってくる。
だが、その約束の相手……バートリーは、いっこうに姿を現さない。

焦燥が、ルフレの胸を静かに、しかし確実に締めつけていく。

その時、不意に部屋の扉が激しく開かれた。

「はぁ……っ、はぁ……っ、ルフレさん! 見つけました!」

「っ……な、なんだ君は……!?」

息を切らしながら駆け込んできたバートリー。その背後に連れていたのは疲れた表情の中年の男だった。

……本当にその男に、知名度があるんですか?」

「はい! 以前はよくテレビにも出演していた政治家で、そこそこ支持も集めていました!」

困惑しきった男に、ルフレは冷ややかな視線を向け、ためらいもなく言い放つ。

「今からあなたを、“英雄”に仕立て上げる」

次の瞬間、ルフレは自らの首元に手を添え、ゆっくりと頭を外した。
あまりに常軌を逸したその光景に、男は息を呑み次いで、甲高い悲鳴をあげて尻もちをついた。

……

そんな彼に、ルフレは一言も発さないまま視線を向ける。
無表情のまま、外れた自分の頭部を元に戻しバートリーに目で合図を送った。

「!」

その意図を汲み取ったバートリーは、小さく息を吸い込み、思いっきりその頭を叩いた。

「静かにしてください!」

まだ14、15歳ほどの少年に叩かれた驚きで男は黙り込んだ。


ただ事ではない。
そう、ようやく男の心が現実に追いついた。

ルフレは一歩前に出て、淡々と語り始める。

……今、国内を覆っているこの混乱はすべて“僕の仕業”だと、国民に伝えてください」

その声はとても重く、冗談で言っているわけではないことが伝わった。

「あなたは“僕の代わり”として人々の前に立ち、安心を与える存在になる。
“もう大丈夫だ”“もう心配いらない”と、堂々と語りかけるんです」

男は戸惑ったように目を瞬かせた。
それはあまりに唐突で、突拍子もない提案だった。
けれど、その次の言葉が、彼の心の奥に刺さる。

……そうすれば、人間の力は一つにまとまるはずです。平和な、“あの日々”を、取り戻せる」

その一言で、男の表情がわずかに変わった。

「あの日々……

彼は思わず、その言葉を繰り返した。
それは、心の奥深くに仕舞い込んでいた記憶を、無理やり引き出されたような感覚だった。

確かに、かつて彼は国の未来を思っていた。
誰かの生活を良くしたくて、支持を集め、政策を訴え、結果を出そうとしていた。
だが彼が別の役所に行っていた間にここは襲撃され、人間達は混乱に陥った。手をとりあえば大丈夫だなんて綺麗事は誰にも届かなくなり、いつしか自分までも生き残ることだけを考えるようになっていた。

あれほど、皆のために、と高らかに語っていた自分が……

だけど、もしもう一度だけ、チャンスがあるのなら。
もう一度だけ、“信じてもらえる”のなら。

……ほ、本当に……あの頃みたいに……戻れるのか……?」

かすれた声で、問いが零れ落ちた。

ルフレとバートリーは、互いに顔を見合わせ、小さく頷いた。

「あなたたちが、互いを信じ合い、力を合わせれば」

その言葉には、わずかな希望と、否応なく課せられる責任が混ざっていた。

男は視線を落としたまま、唇を噛む。
自分には無理かもしれない。
偽りの英雄として、誰かを安心させるなど、そもそも自分にその器があるのか……

だが、こちらを見下ろす少年の真剣な表情が、男の心を射抜いた。
その服には、ここへ辿り着くまでにどれほど過酷な道のりがあったかが滲んでいる。

もう一人の、異様な風貌をした人物も同様だった。
どう見ても人間ではない。けれど、その目は真剣だった。
彼もまた、この世界を元に戻そうとしているのだ。
目的は分からない。けれど直感が告げていた。
彼らの目指している世界は終焉ではない明るい未来だと。

自分以外の誰かが……子どもが、人ならざる存在までもが、命を懸けてこの国を支えようとしている。
ならば、自分のような“普通の人間”が立ち上がらなくて、いったい誰が立ち上がるというのか。

男は、ゆっくりと顔を上げた。
まだその目には不安の色が残っている。
だがその奥に、確かに小さな光が宿っていた。

……わかった。やってみよう」

それは、誰かのためにもう一度立ち上がるという、静かで強い決意だった。

ルフレは無言で頷く。
バートリーの表情には、安堵と、それでもなお消えぬ覚悟の色が浮かんでいた。

そして
運命の舞台が、静かに幕を上げようとしていた。

「皆さん……! 我々はついに悪の元凶を打ち倒しました!」

男は震える声を必死に抑えながら、両手でルフレの首を高々と掲げた。
それは、勝利の象徴であり、確かな終止符を打ったという“証明”でもあった。

「この男こそが、我々の未来を脅かし続けてきた張本人です!
彼が撒き散らした暗黒と恐怖はもう訪れません!!」

広場に沈黙が落ちる。
人々は信じられないものを見るように、その首を見つめていた。
だが次第に、その沈黙が感情のうねりへと変わっていく。

「そうだ……あいつに家族を殺されたんだ!」 「私の子供も……!」

一人、また一人と声が上がり始める。
魔女、という1つの恐怖の対象が消えた世界。
名も知らぬ“敵”を求めていた人々の心に、明確な象徴が与えられた。
怒号と歓声が入り混じった熱狂が広がっていく。

男は罪悪感をこらえながら胸を張り、掲げたルフレの首を更に高く掲げた。

「ですが、この勝利はゴールではない。むしろ、ここからが再生の始まりです!」

集まった人々の顔に希望の色が少しずつ戻り始める。
胸の奥でくすぶっていた恐怖と悲しみが、少しずつ薄れていくのを感じていた。

「この土地は長い間、人間が住んでいたせいで痩せてしまいました。だからこそ、肥沃な土地を求めて新しい場所へと歩みを進めましょう!そうすれば、農作物の収穫は飛躍的に増え、食料の安定供給が可能になります!」

男は声を張り、熱を帯びた言葉を続けた。

「さらに、酪農や畜産の強化に力を入れましょう!私達の移住句区の外……かつてはあの荒れ果てた場所にも、今や自然が静かに芽吹いています!!!!」

その言葉に、聴衆の中でざわめきが広がった。

「畑を広げられるのか?」 「今までの痩せた土地で食料供給を支えられていたのなら……きっともっと豊かになるはずだ」 「外の土地にも行けるならもっと広々と暮らせるようになる……!」「資源も取れるかもしれない!」

人々の声は次第に希望を帯び、ひとつ、またひとつと、心に明かりが灯っていく。
誰かが小さく拍手を始める。
それが連鎖となり、いつしか大きな波となって広場を包み込んだ。

荒廃と恐怖の中で失われかけていた“未来を思い描く力”
そのかけらが、今この瞬間、確かに人々の胸に戻ってきていた。

笑みを浮かべる者。
涙ぐむ者。
拳を握りしめて天を仰ぐ者。
かつての国民たちは、同じ景色を見つめ、同じ願いを抱き始めていた。

群衆の思いが、一つにまとまる。
絶望の底にいた者たちが、“共に歩む明日”を信じる、その第一歩だった。

その歓声の波に包まれながら、ルフレの思考は、遠い過去――自らが生まれた時代へと飛んでいた。

フランス革命。
圧政に抗い、市民たちが声を上げ、団結し、血と希望の中から未来をつかみ取ろうとした時代。
あの混沌は、たしかに“暗黒の終焉”だった。
そして、時代の扉が開いた瞬間でもあった。

だが同時に、あの革命が完全な平和をもたらしたわけではないことも、ルフレは知っている。
希望の炎のすぐ隣には、常に新たな暴力と疑念の影があった。
前を向いた群衆の背後には、次なる困難の足音が、いつだって静かに忍び寄っていた。

どんな時でも罪を犯す人間は消えない。
だから、もう諦めていた。

それでも今の彼は、あの頃とは違う。。

(……もう一度だけ、信じてみよう)

かつて誰も信用できなかった自分。
だが今、こうして“信じてみよう”と思える自分がいる。

(……皆さん、どうやら一緒に傷心してくれるみたいですし)

そう心の中でつぶやいた瞬間、どこか懐かしい声がふと耳の奥に響いた。
笑い声。優しさ。皮肉交じりの遠慮ない掛け合い。
姿は見えない。けれどたしかに、あの“仲間たち”が、すぐ傍にいる気がした。

ルフレはふっと、優しく微笑んだ。

……まるで、その笑い声を、心の奥にしまい込むように。