さもゆ
2024-12-10 03:39:04
61538文字
Public 吸死
 

【ドラロナ】目を閉じろ、息を殺すなキスするぞ

キスしないと息ができなくなる催眠をかけられた若造と、はーやれやれな同居吸血鬼のすったもんだ話。
ド(無自覚)ロ(自覚済み)がくっつくまで。

2024.7.29 たべものpixiv投稿作品


 Day.5



 ドラルクがロナルドを寝かしつけたころには、もうドラルクはへとへとになっていた。
 眠る前のぐずつく五歳児はとても厄介で、人工呼吸が二十回を超えたあたりであの大きく温かな手はドラルクの背中に縋るように回されていた。重くて熱くて、ドラルクが「死んじゃうよ」と言うと「やだ」と言ってドラルクがもっと体重をかけられるように足を開いた。その隙間にドラルクの足を差し入れて体重をかけると、体勢が楽になった代わりに、腰が密着してマズイと思った。別に何ともなっちゃいなかったが、シンプルに、マズかった。「続けるよ。にじゅういち……」「ん」ロナルドは大人しく瞼を閉じて、くすぐったいから嫌だと言っていたわりにはドラルクの垂れた前髪に額を擦るようにして人工呼吸を受け入れていた。三十を超えた。ロナルドは「どらるく」とむにゃむにゃ言った。「きもちい、これ」
 非常にマズかった。
 もちろん分かっている。ドラルクには。紳士で賢く理性的なドラルクには、もちろんその発言の、正しい意図を汲み取ることができていた。「眠いんだろ、ロナルドくん。このまま寝ちゃいな」酒を飲んで泣いて駄々を捏ねて変に情緒が不安定になっていたこの大男は、寝入りざまのこの触れ合いに安堵しているだけに過ぎない。分かっている。「やだ。もっと。もっとちゅーする……」子どもが夢現に絵本の続きをねだるのと一緒だ。「はい、はい」ドラルクはまるで親のように返し、眠たい子どもを刺激しないよう、殊更ゆっくりと唇を合わせていった。「さんじゅうさーん……さんじゅうしー……」「んぅ…………」そして四十を超え、五十になる手前で、ロナルドは完璧に寝落ちた。
 くうくうと寝息を零すロナルドの腕は、とても重たくて、もういっそこのままでもいいのではないかと考え、思い切って舌を噛んで自死した。塵になってロナルドの上から退きながら、あぶねえ、と思う。紳士違反を起こすところだった。
 再生し、自分の棺桶で安らかに眠っているロナルドを見下ろして、ふん、とひとつ鼻息を落とす。他愛ない。ドラルクさまの手管にかかればゴリラも赤ちゃんだ。まあ若造は元からゴリラで赤ん坊みたいなもんだが。
 そうしてドラルクは、ソファベッドからロナルドが使っているタオルケットを手に取ると、寝ているロナルドにかけて事務所に向かった。
 もうへとへとだった。

「ジョーン。おはよう。へべれけルドに絡まれたんだって? 災難だったな。さあおいで」
 事務所に入ると、来客テーブルの上で何やらヘッドホンをつけて踊っている使い魔がいた。ノリノリだ。近づいて行ってソファの後ろから覗き込むと、金魚鉢にもヘッドホンをつけてもらっているキンデメと先に目が合った。ごぽ、驚いたように気泡が出ている。キンデメの視線に気づいたジョンが後ろを向き、ドラルクを認め、そして綺麗な二度見をかました。ヘッドホンを外し、「ヌ、ヌヌヌヌヌヌ」とドラルクを焦って呼ぶ。
「なんだい、ジョン。そんなやましい音楽聴いてたの?」
「ヌェッ!? ヌヌヌ、ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ、」それは、ドラルクさまの方が、「……ヌ、ヌヌヌヌヌンヌ?」ロナルドくんは?
 ドラルクは要領を得ないジョンの言葉に方眉を上げたが、質問にだけ答えることにした。「寝たよ。まーったく。おやすみのキスで寝られるなんて本当の五歳児みたい」それからジョンたちの前のソファに座った。ジョンが膝に飛び乗ってくる。「ヌ、ヌヤヌヌヌヌヌ?」「そ。おやすみのキス。じゃない。人工呼吸。あの馬鹿、どうして酒なんて飲んだのだろう。知ってるかい、ジョン」
「ヌ、」ジョンはドラルクを見上げ、キンデメにも視線をやり、スリープモードになっているらしいメビヤツも振り返り、最後にドラルクに視線を戻した。「ヌ、ヌヌヌイ」
「そっか。ジョンもちゅーして~って泣きじゃくられた? ハーほんと、」危なかった。これでもしロナルドがドラルクと同じ気持ちだったなら、隣も気にせずキスをして、触り、抱き、完全に棺桶の蓋を閉めているところだった。太陽のひとしずくでも浴びたように未だロナルドに触れていた皮膚がじりじりと熱をもっている。ドラルクはそれを振り払うように垂れさがる前髪を払いのけ、重苦しい溜め息を吐いて背もたれに体を預けた。
 主人の疲れた様子を見守っていた使い魔は、もう一度メビヤツと、キンデメと、今度はリビングの方へと視線をやってから、ドラルクを見上げて言った。「ヌ、ヌヌヌヌヌヌ」ど、ドラルクさま。「ヌヌヌ、ヌヌヌヌヌン、」あのね、ロナルドくん。「ヌヌヌヌヌヌ、イヌンヌッヌ」好きなひとが、いるんだって。

 ドラルクさま。
 あのね、ロナルドくん。好きなひとが、いるんだって。
 
 ドラルクはしっかりその言葉を理解し、死んだ。
 自分の発言で主人を死なせてしまったと気づいたマジロが、「ヌーーッ!」とやはり泣いて縋ってくる。 
 ドラルクはしばらく再生できそうになかった。そのまま死に続け、ひたすらジョンを泣かせた。眺めていたキンデメが「どうしようもないな、お主ら」と呆れて言った。本当にそうだった。
 どうしようもなかった。
 ドラルクはロナルドが好きだが、ロナルドは好きなひとがいると言う。
 そんなの本当に、どうしようもない。
……キンデメさん。助言を頂いても宜しいですかな」
「何だ」
「どうしたらあの若造、私のものになる」
 それはほとんどひとり言の温度で、自分でも嫌になるくらい低い声が出た。吸血鬼特有の執着が、ドラルクに優しさを与えてくれない。諦めたくない。渡したくない。あれは自分のもののはずだろう。私の城の扉を開けた。私を自分の家に招き入れた。棺桶を眠る場所の隣に置いた。誰にも渡したくない。血でも吸えば、と思う。血でも吸えば、彼は私のものになるのか。それとも、ジョンのように、血を一滴でも分け与えれば──。
 でもそうしたら、ドラルクの好きな、人間のロナルドじゃなくなってしまう。
 それにそんな無理やりは嫌だ。
 ドラルクはロナルドと両想いになりたいのだ。
 決して一方的に愛したいわけじゃない。
 何が残りの日数かけて諦めるだ。ロナルドがドラルクの知らない誰かに取られるかもと考えただけで、この有様だ。昨夜からもうずっと、嫉妬で狂っている。
「知らん」
 キンデメはすげなく言った。「吾輩は海の魔女じゃない。お主の願いを叶える力はない」
「どうしようもなくなったら、助言をくれるのでは」
「まだその時ではない」
「本当に?」
「本当に」
 ぐぶぶ、キンデメは気泡を吐き出し、「肺呼吸どもはこれだから」と仕方なさそうに言った。「息ができなくなるまでは、その時ではない」
 そんなトンチ、ご無体な。こちらは死んでいるというのに。
 ジョンが泣いている。ドラルクは朝が来るまで、そうして死に続けた。リビングへのドアがバンッと開く。開けたのは、顔面蒼白のロナルドだった。



 テメーこの阿保何してんだ死にてーのか夏の朝は早ぇんだよ知ってんだろジョンもキンデメもいんのにギリギリを攻めようとすんのホントやめろよ、ボケ享楽主義者、馬鹿ッ、このッバカっ、やめろよほんと、ばか、ばかざこくそずな……

 凄い勢いで捲し立ててきたわりには相変わらず少ない語彙で罵ったロナルドは、泣くジョンと、ドラルクの塵をタオルケットに掻き集めて抱え上げ、キンデメの金魚鉢も小脇に抱えてリビングへと急ぎ戻った。まずキンデメを水槽に入れ、大股で棺桶まで進むと、ドラルクを包んだタオルケットを棺桶に投げ入れ、ジョンをそっとその上に置いた。ヌー、ヌー。泣くジョンを励ますように、傍らに膝をつき、棺桶を覗き込む。「ジョン、大丈夫だぜ。だって日は、まだ照ってなかった。ソファまで届いてなかった。ちょっとは浴びたのかもしんねえけど、ずっとじゃないから、大丈夫」ロナルドのその言葉は、まるで自分に言い聞かせるようだった。ドラルクはまだ再生できない。
「なんだよ、そんなになるなら何で」ロナルドは棺桶の蓋を持ち上げ、泣き声を漏らした。「俺を棺桶に寝かせたんだよ。なんで。俺なんか追い出せば良かっただろぉ……
 追い出すも何も、ここ、きみん家じゃないか。
 ドラルクが言う前に、ロナルドの手によって棺桶の蓋は閉じられた。一切の光を断絶した暗闇で、ようやく、ドラルクはもとに戻って息を吐き出した。ジョンがぐりぐりと頭をこすりつけてくるので、ごめんよ、心配かけたね、と心の中で言って頭を撫でる。すう、はあ、息ができる。息はできる。ドラルクは催眠にかかっていない。だからいつでも、呼吸ができる。
 なのに今はこんなにも苦しい。
 ドラルクはジョンを抱きしめ、目を瞑った。夜はまだ遠い。



 遠い夜はあっという間にやってきた。
 また眠れないかと思ったが、よほど疲れていたらしい、ドラルクが次に目が覚め時刻を確認すると19時半を過ぎていた。ちょうどいい時間帯だ。ヌヌヌヌヌヌ、とドラルクを呼び、一緒に目覚めたジョンを撫でながら、一緒に寝て起きるのは五日ぶりだな、と思う。ああそうだ、若造に人工呼吸しないと──。
 いや。
 もうしなくていいんだっけ。
 昨日の夜、五十回はした。数える前のものも合わせれば、おそらく、六十時間分の呼吸ぐらいは得ているはずだ。おポンチ吸血鬼の催眠効力は一週間ほど。ほど ・・だ。七日経つより早くに切れてもおかしくはない。なら、切れているかどうか確認するためにも、ロナルドの呼吸が再び乱れるまで、しない方がいいだろう。
 何せロナルドには好きな相手がいるのだし。
 はーあ、溜め息をひとつ。最悪な目覚めだ。ロナルドには好きなひとがいる。だから、ドラルクとの人工呼吸を嫌がっていた。このイコールは正しく繋がっている気がした。正答だ。あの若造、一体どういう気持ちで私の唇を受け入れていたのだろう。どうせ退治人業を続けるためだとか、そういう利他的なことしか頭にないに違いない。だけれども好きな相手がいるから、ああやって救命措置を受け入れながらも泣いていたんだろう。いじらしいことだ。
……起きようか、ジョン。」
 ドラルクはジョンを抱え、棺桶の蓋を開けた。開けたそばには、ロナルドがいた。驚いて死んだ。ヌーっ。
「ず、ずっとそこにいたのかロナ造」
「んなワケねーだろ」
 ソファからでも見えるだろうに、わざわざ床に座り込み、ドラルクを認めるロナルドはぶっきらぼうに言った。「そろそろ起きると思って」
……私が起きるか確認しに来たの?」
「同居人が塵になってずっと死んでんの、嫌だろ」
「それは嫌だね」だからドラルクはロナルドに人工呼吸していたのだった。ロナルドが死んでしまわないように。「生憎と、私には人工呼吸も魔法のキスも必要がないんだ。夜が来れば必ず起きる。悪かったね。不要な心配をかけて」
……なんかお前、怒ってる?」
「まさか」ただちょっと、悲しいだけだ。「先にお風呂入ってきていい? 昨日は入れなかったから」
「お、おう」
「ご飯の用意はそれからするよ」 
 ロナルドは一秒だけドラルクの言葉の続きを拳を握って待っている素振りを見せた。しかしドラルクがそれ以上何も言わずに立ち上がり、ジョンとともに風呂場に向かうのを見て、明確に眉をひそめた。いつもなら、一言二言、余計な言葉をつけ加えてロナルドに殺されているというのに。ドラルクも自分の喉が煽り足りないと唾を飲み込んだのを自覚したし、ロナルドが訝しんでいるのにも気づいていたし、ジョンにもヌーと労わられたが、どうやらいつも通りに過ごすのが予想以上に難しいと感じてしまって、自分も顔をしかめるしかなかったのである。



 カレーにハンバーグにから揚げに大盛りの白米。
 風呂から出たドラルクはそれはもう手間をかけて夕飯を作った。作り置きのおかずも冷蔵庫にあったが、それは出さずに、時間をかけて作る方に精を出した。それはストレス発散だった。もうストレスになってしまっていた。同居人の退治人に、自分ではない、好きな相手がいるという状況に、とんでもなくムカついていた。
 けれどもそれをおくびにも出さずに、ドラルクは出来上がった料理を所狭しとテーブルに並べた。作っている間中、事務所で雑務をこなしていたロナルドは、呼ばれてリビングに入って来た途端、「今日って誰かの誕生日だったっけ……ジョンと半田は終わったし……ヒナイチは違う……」と必死に頭の中のカレンダーを捲っているようだったが、ドラルクが「気にするな。作りたかっただけ」と言うとあからさまにほっとした顔をして食卓についた。「その感覚、俺には分かんねえな。お前のおかげで、ちょっとは料理も楽しいかもって思えてるけど。やっぱ食べるのが一番好き」
 ドラルクはぐ、とまた唾を飲み込んだ。ドラルクだって、食べるよりは、作る方が、もっと言えば作ったものを美味しそうに食べてくれる方が好きだ。そう言えたらどんなに楽だろう。喉から崩れてしまいそうだったので、エプロンを脱ぎ、ロナルドの向かいの椅子に座って用意していた牛乳を飲む。それを見ていたロナルドがまた眉をひそめた。何て分かりやすい眉毛だろう。“ドラ公が先に牛乳を飲むなんて”
 大体いつもは、ロナルドとジョンが頂きますと手を合わせ、料理を頬張ってから、まるでその光景をアテにするかのように牛乳をちびちび飲み始めていた。ドラルクもまた顔をしかめた。全然、いつも通りじゃない。
 しかし思い返すと百八十年前、ドラルクが吸血鬼生で最も謙虚さを示したジョンとの別離も、うんと落ち込んで自分の部屋にジョンに似た丸いものをとにかく集めては飾り立て、時々喋りかけるまでになっていなかったっけ? なっていたと思う。自分としてはいつも通り過ごしているつもりだったが、父親に心配され泣かれる程度にはいつも通りじゃなかった。
 失恋したドラルクがいつも通り振る舞えるはずがない。
 ドラルクの様子を怪しみながらも、ロナルドはジョンと顔を見合わせ、頂きますと元気よく手を合わせた。それから各々料理に手をつけていく。
「ヌイシー♡」
「美味しいなージョン♡」
「ヌン♡」
「あっハンバーグにチーズ入ってる♡」
「ヌー♡」
「かわいいー……♡」
 ドラルクが時たま健康的な栄養を無視し、カロリー高めのお子様ランチセットをたくさん用意した晩などには、大の男と小の動物がこうしてでろでろに蕩けた顔で料理を頬張る様がドラルクを満足させていた。正直、血のボトルより栄養価の高い光景だと思っている。血のボトルは買えるが、このひとりといっぴきの食事風景は買って得られるものではない。広い城でジョンのためだけに作っていた夜も楽しく幸せだったが、その幸せがもっと大きくなるとは、城に籠っていたときは思いもしなかった。
……一番誕生日近いの、きみだろ」
 ドラルクはぽつりと言っていた。
 先ほどロナルドが捲っていた頭の中のカレンダーに、ドラルクは赤ペンで印をつけてあげたい気分になっていた。今まではジョンと、ドラルクの誕生日だけを気にしていれば良かったのだ。夏の大きなイベントなんて、ジョンの誕生日だけだった。
「何か食べたいの、ないの。作ったことあるやつでも、ないやつでも、何でも」
「へ。あ、」ハンバーグを飲み込み口ごもる。「……えと、え、な、何でもいいのかよ」
「誕生日だからな」
「え、えと、お、オムライス……
「それだけ?」
「へ、あー、えと、じゃあ、餃子」
「餃子ね。待った、ニンニク入れたい?」
「い、いや、いい。けど、あの、つ、包みたい。一緒に……」ロナルドの顔がどんどん赤くなっていく。「や、やっぱいい。餃子は。仕事忙しいかもしんないし」
「餃子包むぐらいの時間はあるだろ」誕生日だからって仕事を休む選択肢がないことは承知の上だ。それに、ドラルクは、いつだったか、それこそロナルドが酒に酔ったときに話してくれた兄貴自慢を覚えていた。「確かお兄さんと妹さんと作ったんだっけ。子どものころ、きみの誕生日に」
 ロナルドはほっぺたを真っ赤にして、箸を握りしめ「そう!」と嬉しそうに声を上げた。「兄貴が焼いてくれたんだ。おれの作ったやつはほとんど肉団子みたいだったんだけど、兄貴のはめちゃくちゃ餃子のひらひらが綺麗でさ、そんでその綺麗なやつをヒマリに食べさせてるのが羨ましくって、でも兄ちゃん俺の肉団子食べて美味しいって言ってくれ……」ロナルドは、はたと動きを止めると、箸をスプーンに持ち替え、カレールーを掬って飲んだ。「ま、まあ、だから、その。お前にも俺の作った肉団子見せてやるよ」
「食べられないのが残念だよ」
「嘘こけ」
「ほんとだよ」人間の食事を思う存分楽しむことができる体質だったなら、きっと一番最初にきみの作ったものを食べたいと思うよ。これもまた、思うだけで言わないでおく。「分かった、餃子な。絶対包むぞ。ジョンもロナルドくんの誕生日は予定空けといてね」
 ジョンはから揚げを頬張りながら、もう空けてるよ、と親指に当たる部分を立てて言った。ロナルドが破願して「ジョン♡」と感激に指を組み合わせている。可愛いな、とドラルクは思った。あーいやだ。前までは、この微笑ましい光景に名前のある感想など抱かなかった。ただ穏やかな気持ちになるだけだったというのに、ロナルドが好きだと自覚してから、余計なラベルが増えていく。思ったことにそれを貼って棚に飾ると、随分と浅ましいものになるだろう。“可愛い”“キスしたい”“抱きしめたい”“すっごくキスしたい” ドラルクにその棚をぶち壊せるだけの力と精神力があれば良かったのだが、生憎と、生まれたときから貧弱だった。
 やっぱり諦めきれない。
 この男が好きだ。
 キスがしたい。
「ドラ公」
 ロナルドはそんなドラルクに赤い顔のまま、はにかんで言った。
「その、ありがとな。誕生日スッゲー楽しみ」
 それから照れを隠すようにカレーと白米を掻き込んだ。照れ隠しとしては、結局ご飯の美味しさで頬と眉がだらしないことになっているので不充分だった。ドラルクは一度口を開け、閉じ、また開けて言った。「ロナルドくんは何歳になるの? ケーキの上に立てる蝋燭、六本でいい?」照れ隠しとしては、完璧だった。砂にされた。ヌー……
 
 昨夜から明け方まで続いた大雨の影響で、今宵のおポンチ共の動きは活発だろうと予想をつけたロナルドは、夕飯を食べたあと、すぐパトロールに出かけると言った。
 ドラルクは、そうだろうね、一晩家にいることを余儀なくされた吸血鬼たちだ、今夜はわんさか出てくるだろうね、行ってらっしゃい気をつけて、と言った。
 ロナルドは青い瞳をぱちくりとさせた。
「え」
 退治人衣装に着替え、あとは上着を着て靴を履いて事務所へと続く扉を開けるだけとなったロナルドが、上着を持ったままなぜかドラルクを窺うように見つめてきた。「お、お前は? ついてこないのかよ」
「私はまだ片付けがあるし、」流しに移動させた洗い物を指差し、次いでテレビを指差す。「それに詰みゲーもある。この数日、まともにゲームできてなかったからね」
 この言い方は、自己肯定感の低いロナルドに対してあまり良い言い方じゃなかったかもしれない、ドラルクは言ってから気づいた。案の定、ロナルドは眉を下げたものの、「で、でもあと二日くらいは、その」と、もだもだ言葉を続けた。「催眠の、あれが、あるかもだし……
「昨日、その二日分くらいの人工呼吸はしたと思うよ」
「え」
「きみ酔っぱらってたものな。あんまり覚えてない? 少なくとも六十回。昨日から数えたら、明後日七日目の午前中までは大丈夫だろう、今までの様子からして。だから、催眠が切れているか確かめる必要がある。つまり」
……もう人工呼吸しねえってこと?」
 確認に、ドラルクは一拍の間のあと、頷いた。
「まあ。明後日、きみの息が途切れなければだが」
…………
 ロナルドは黙りこくってしまった。
 その足元で、ジョンが気遣わしげにヌーと鳴いている。ロナルドはしゃがみ込んでその小さな頭をひと撫で、ふた撫でしたあと、「分かった」と言った。「パトロール、行ってくる」そしてドラルクの顔も見ずに立ち上がり、さっさとリビングを出て行った。その背中を見送ったジョンが、なぜかドラルクに向かって「ヌン」とちょっと窘めるような声を出した。ドラルクは眉を上げた。「何だい、ジョン。お兄さんしてるの。今回はやけに若造の肩を持つじゃない」
「ヌヌヌヌヌヌ」ドラルクさま。
「何だい」
「ヌンヌ、」ジョンは、「ヌヌヌヌヌヌヌ、イヌヌンヌヌヌヌヌ」ドラルクさまが、いちばん好きだけど。「ヌヌヌヌヌンヌヌヌヌ、ヌヌヌヌ」ロナルドくんのことも、好きだよ。
「そうだね」
「ヌヌヌ、」だから、「ヌシ、」もし、

 離れ離れになるようなことがあるのなら。
 あのときみたいに。ジョンを置いていったときみたいに。
 二人が、そうなることがあるのなら。
 ジョンは。

 その先の言葉は訳すに訳せない言葉だった。ジョンの故郷のスラングをふんだんに使った訛りに訛った言葉で、お上品に訳すと「二人とも幸せにならないとジョンも幸せじゃない」という旨の内容だったが、一種の脅しでもあった。“幸せにならなかったら、二人とも背中をぶつ。硬い甲羅で”乱暴な意訳はそんな感じだ。
 アルマジロのジョンはいつだってドラルクの幸せを願い、その幸せのために海を越え山を越えドラルクを探して見つけ出した。見つけてもらった。ドラルクは、諦めていたのに、ジョンは決して諦めず、ドラルクと共にあることを選んでくれた。
 ロナルドは違う。
 ロナルドも。ロナルドもドラルクを見つけてくれた。あんな田舎にある城の扉を開け、ドラルクを退治しに来た。それなのに実の母親に誘拐まがいのことをされたときには、迎えに来てくれたし、一緒の家に帰った。
 ジョンはドラルクと城の中に閉じこもってくれる。ロナルドはドラルクを城の外に連れ出してくれる。
 ロナルドは城の外側の人間だ。ドラルクのものになったジョンとは、決定的に違うのだ。それなのにジョンは、ドラルクにロナルドを諦めるなと言う。いつものようにドラルクの幸せを一番に考えてくれている。
 そりゃあ、ロナルドと両想いになれたら、ドラルクはとても幸せになれるだろうけど。

「でも、あの若造、好きなひとがいるんだろう」
 
 私とて諦めたくはないが、あの眩しく暑苦しい男を、早々に夜に閉じ込めたいわけではないんだよ。私は幸せになれるだろうが、それが彼の幸せかどうかは分からない。
 ドラルクがそう言うと、ジョンは、小さな眉間に皺を寄せたあと、ぽそっと言った。
「ニヌヌン」にぶちん。