さもゆ
2024-12-10 03:39:04
61538文字
Public 吸死
 

【ドラロナ】目を閉じろ、息を殺すなキスするぞ

キスしないと息ができなくなる催眠をかけられた若造と、はーやれやれな同居吸血鬼のすったもんだ話。
ド(無自覚)ロ(自覚済み)がくっつくまで。

2024.7.29 たべものpixiv投稿作品


 Day.2 



 夜が来た。
 棺桶の蓋を開け、ぐう、と伸びをしながら身を起こす。棺桶内より格段に暑い空気に耐えられず、一旦死んでしまう。部屋の冷房がついていない。それどころか、電気もついていなかった。暑くて静かで重苦しい。事務所へと通じるドアの隙間から僅かに光量が漏れている。ジョンとロナルドは隣にいるらしい。
 夜目が利くため再生した体で難なく身支度を整え、水槽内を涼し気に泳いでいる吸血デメキンと挨拶を交わす。「おはよう、キンデメさん。今宵もいい夜ですかな?」「どうだろうな」ぐぶぶ、キンデメはすげなく言った。「お主たちの狂乱度合いによる」なら今夜もすこぶる楽しい夜になるだろう。ドラルクは口端を上げながらドアノブを捻った。昨夜の記憶は鮮明だ。今の時刻は十九時半。あと三十分後には、退治人の命を救わなければならない。
 事務所に入った先では、仕事机に向かって事務作業をしているロナルドがいた。ドラルクの姿を捉えた刹那、「ドラ公!」と動作大きく立ち上がる。
「何だい、ロナルドくん。元気だね。おはよう」
「治った!!」
「何が」
「昨日の催眠!」
 ドラルクは、ドラルクともあろう者が、寸の間、言葉に詰まってしまった。
 幸いそれに気づいていないロナルドが更に捲し立てる。
「あれから十六時間経っただろ、十九時の時点で。けどちょっとも苦しくなんなかったぜ、やっぱり俺は強い! もう平気だ、昨日は、」ロナルドはそこで心底嫌そうな顔をして、拳を握り込んだ。「……ありがとな。人工呼吸。おかげでよく眠れた」相変わらず素直に礼も言えないらしい。嫌そうにまた唇を噛みしめている。
 そのロナルドの前、仕事机の上にはジョンがいて、ロナルドとドラルクを交互に見やっては汗を飛ばしていた。ドラルクは「ああ」と冷静に頷いた。「そうだね。VRCからは連絡あった?」
「や、一応こっちから訊いてみたけど。ヨモツザカのヤロー、対処法があって時間経過で治るもんに時間と労力を割けるかって……
「ま、そうだろうな。あの人命軽視の所長のことだ、むしろこの能力を悪用する方法にしか興味がなさそう」
「そうなったら俺が殴る」ロナルドは握った拳を軽く振って見せる。「昼間にはジョギングも行った。飯も食ったし、パソコン作業も捗った。俺は健康。だからあんなのは、あれっきりだ。世話かけたな」
「言葉は殊勝で結構だがね、しかし礼を言うのは早いんじゃないかい」
「なんだよ」
およそ ・・・一時間だ」ドラルクは人差し指を立てて見せた。「あのおポンチは確かにそう言った。キス一回分で、およそ一時間分の呼吸を得られると。安心するのはまだ早い。およそなんていう不確かで不信な言葉、悪い吸血鬼にとっちゃ人間を不当に扱う常套句だ。不運な目に遭いたくなければ、あと三十分くらい様子を見ていろ」そうしたら、昨日騙して一回余分にした人工呼吸が、今宵はもう不要かどうかが分かる。
 ロナルドはしかめっ面を浮かべたが、ドラルクの言葉に渋々頷いて「いいぜ。どうせ治ってる」とデスク横を歩いて行った。ドラルクはおい、と止めた。「事務所を開けるのは三十分後にしたまえ。見られたいのか?」「何を」「介抱されてる姿。依頼人でも何でも、いま開けたらきみが無様に地に這いつくばって私に救いを乞う姿を目撃される率が上がるぞ」それもいいかもな、ドラルクは思った。何とも畏怖欲が満たされる想像だ。その想像を物理的に殴って飛ばされた。砂になる。ジョンがヌーと泣いて飛びついてくる。ドラルクを殴ったロナルドは真っ赤な顔で「誰がテメーなんかに」と言った。救いなんか求めるか、という言葉が続くのだろうと思ったが、それ以上は言わずに、泣いているジョンをひょいと抱え上げる。「……じゃああと三十分はジョンと一緒にいるからな」
「え。なんで」
「なんでって、テメーが言ったんだろが。次はジョンで試してみてもいいって」ドラルクを見下ろす視線とは打って変わって、潤んだ瞳でジョンに話しかける。「ジョンは? ほんとにいい? 俺なんかに人工呼吸できる?」
「ヌ、ヌン♡」
「ジョ~ン♡」
 マジロの柔らかな腹毛に顔を埋めて耳の横を小さな手に撫でられている様はまるきり大きな子どもだった。ドラルクがやっぱり腕だけで頬杖をついてその様を眺めていると、自分の目のない視線とジョンの小さな視線がかち合うのを感じ、頭を再生させるとヌーと鳴かれた。もの言いたげな鳴き声だったが、言葉にはなっていない。しかし、かつてドラルクの真似をしてロナルドを揶揄った際に泣かれたのが相当堪えたらしい優しきマジロが、あんまり揶揄っちゃだめというふうなことを昨晩から思っているのは、ドラルクもしかと気づいていた。
 でもジョン。揶揄っているつもりはないんだよ、と肩を竦めて見せる。本当に。
 遊んじゃだめ。ヌ、と首を振られる。
 遊んでもないさ。まあ、面白がってはいるが。だってこれ、人命救助だよ。私とてロナルドくんが窒息死するのは嫌だもの。
 ヌー……
 視線と仕草はそれ以上続かなかった。ロナルドがジョンの腹から顔を離し、「いつまで死んでんだ。ジョンが心配しちゃうだろ」と再生を促したのでドラルクは塵から人型に戻って立ち上がり、「ティータイムにしようか。お茶淹れてくるよ」と隣の部屋へと向かった。むわりと暑い空気に襲われ、再び死ぬ。ロナルドがそれを見て「冷たいやつがいい」と言ったので、色気より食い気だな、と返そうとして、また珍しくも言葉に詰まって失敗した。色気ってなんだ。いまそんな単語を発するようなシーンじゃなかったはずだ。
 結局無難な「麦茶にしてやる」というひどく間抜けで日常的な返しを悪役じみたトーンで言ってしまって、「何だよ。麦茶には何にもすんなよ」とロナルドに訝られたものの、ドラルクこそ自分の不可思議さに首を傾げるしかなかったのだった。
 


「あんなにジュースいつの間に買いこんでたの」
「昼間。ジョギング中に寄ったスーパーで見つけた」
「トマト味の炭酸も?」
「そ、そんなんあったっけ」
「あったよ」何本かの飲料に隠されるようにして置いてあったよ、心の中だけで付け加える。「ただのトマト味の炭酸って美味しいのかな」
「え」とロナルドは分かりやすく眉を下げた。「の、飲めねーの。おまえ。けど、トマトジュース好きだし、炭酸で死ぬほどじゃなかっただろ。ビールだって、しゅわしゅわワインだって飲んでたし……
「スパークリングワインな」ドラルクは口の端がつり上がるのを隠せなかった。「トマトは好きだ、酒も、まあ酔えないが好きだし。トマトチューハイも飲んだことある。ただアルコールの入っていないトマト炭酸は飲んだことないってだけ。何か違うのかな」
「あ、そ」ロナルドは興味なさそうな返事をしたが、緩む頬は誤魔化せていなかった。「じゃ、飲んでみれば。別にたまたま。何かと間違って買っちゃったもんだし、俺はいらねえ」
 そうして事務所のテーブルにドラルクが用意したジュースを手に取った。
 麦茶はやめ、昼間買ってきたというジュース類のうち一本を適当に選んでコップに氷と一緒に注いだだけだったが、ロナルドはごくごくと美味しそうに飲んでいた。甘ったるい、子ども向けの、乳酸菌飲料だ。今度バナナと牛乳でバナナジュースでも作ってやろう、ドラルクは思いつつ氷がひとつだけ入った水を飲んだ。寝起きすぐのため、あまり胃をびっくりさせたくなかったのでそうしたが、トマト炭酸持ってきても良かったかもなと思う。
 テーブルの上にはみっぴき分の飲み物と、あと、ドラルクがほぼほぼ常に作ってはすぐになくなるクッキーも乗っている。ここ最近の床下のクッキーモンスターは夏のイベント事の見張りや巡回、市民への注意喚起で忙しく働きまわっている様子だった。夏になると人間も吸血鬼もほかの生物も大体活性化する。吸血鬼対策課は警察組織でもあるため、おポンチを相手にする数が退治人よりひょっとすると多いのかもしれなかった。
 ジョンがさくさくとクッキーを齧っている。床下の彼女に取られる可能性がないことに、安心して食べている。今だけの安寧をしっかり味わってくれ、ジョン。涼しくなったら、またおやつの取り合いだぞ……
「昼間ってさ」
 ドラルクはふと気になってロナルドを見た。
「暑いんでしょ。すごく。夜だって暑いのに、ニュースで連日言ってるだろ。“昼間の外出はなるべくお控えください”」
「そーだな」
「で、きみはジョギングしたの?」
「そーだよ」
「暑くなかった?」
「暑いに決まってんだろ」
「今までは陽が落ちてから走り込みに行ってたじゃない」
 ロナルドはクッキーを食べた。さくっ、もぐ、もぐり。
 ごくん。
……夜になったら」そしてロナルドはぼそぼそ言った。「またテメーとあれするかもって、思って。そーなったら、だって、ジョギングどころじゃなくなるし……」ば、と顔を上げ「け、けど!」と上擦った声で言う。「もう治ったからな! 杞憂だったわけだぜ、クソ暑い中走って損した! 殴っていい?」
「いいわけあるかボケ。八つ当たり暴力すな」
 あらかじめジョンガードでテーブル向かいからの攻撃を防いでおく。クッキーをさくさく食べていたジョンがドラルクの手の中でクッキーを落としながらも小さな両手を広げて見せたのでロナルドは「ジョンを盾にすんな、もークッキー零しちゃってんじゃん……」とテーブルに落ちたクッキーを拾おうと身を乗り出した。
 ぎく、ロナルドの手が震えた。
 ドラルクはそれを見逃さなかったし、ジョンも気づいた。
 吸血鬼の主従が何かを言う前に、ロナルドが落ちたクッキーを行儀悪くもひょいぱくと食べ、「喉乾いた。水飲んでくる」と幾分か早口で言ってソファを立った。
……まだジュース残ってるぞ」
「水がいい」
「私のをあげよう」
「お前の飲みかけだろ」
「きみ、ひとの飲みさし気にしないたちだろ」
「今気にするようになったの」
 そのまま逃げるように、水を飲むと言ったわりには外へと通じるドアへ向かおうとするちぐはぐルドに、ドラルクは「ジョンの気遣いを無駄にするつもりか」と声をかけた。どうせ無理に追いかけようとすれば、力で負ける。「きみが心配で、目覚めてからずっときみのそばにいて、呼吸が乱れやしないか、苦しそうにしていないか見守っていたジョンを、かわいそうに、きみは無碍にするのかい」ヌェっと鳴いてそりゃ心配だけど見守っていたのはドラルクさまが、と言いたかったであろうジョンを、撫でて制する。「見ろ、このつぶらな瞳を。ジョンを泣かせるつもりかね」
「ヌ、……ヌヌヌヌヌン」
 ジョンはうるうると瞳を潤ませて見せた。さすが私のジョンだ、ドラルクはもうこの180年間で数えきれないほど思ったことを、また思った。賢く、優秀で、勇気があって、愛を知る最高の親友。ソウルメイト。決して私を裏切らない。
 ロナルドはうぐっと喉奥で唸った。唸った拍子に、誤魔化しきれなくなったらしい、咳を何度か落として呼吸を乱している。
 何とか整えようと頑張ったようだが、ひゅー、というおぞましい息が漏れ出て止まらない。ほらなやっぱり、ドラルクは言いはしなかったが煽りたくなった。何が治っただ、そんなに苦しそうにして、計算もできないぬか喜び五歳児が……。その計算を間違わせたのはドラルクだったが、それをおくびにも出さずに「ほらやっぱり、およそなんて当てにならない。昨日より多めにしとくべきかもな」といけしゃあしゃあと言ってやった。ロナルドはドラルクを睨んだが、涙目で、威嚇にも何にもなっていなかった。
 野生動物を相手するみたいに慎重に近づき、「まずはジョンだ」と自分の使い魔をロナルドの首元に引っ付かせる。直に喘鳴を感じ取ったジョンが、純粋に案じて泣き始めたので、ロナルドは「じょ、ジョン」と引っ付くアルマジロを支えて更に何かを言おうとした(きっと謝罪か礼に決まっている)ものの、痙攣した喉じゃ何も言えないらしかった。いよいよ慌てふためいたジョンが、すぐさま、ロナルドの口に鼻先を押しつける。離す。様子を窺う。
「じょ、……じょん」ほんの少し、僅かだけ、言葉を連続して発するだけの薄い呼吸は得たようだった。「もっと……ちゅ、ちゅーして、ジョン。おねが」
 い、を言う前にドラルクがジョンを引き剥がしていた。
 ロナルドにとったら、苦しさを取り除くために発した単なるSOSの言葉に過ぎなかっただろうが、傍から聞いていてそれは何というか、そう、食い気じゃなかった。食い気じゃなかったのだ。
 ドラルクは耳を砂にしながら、衝動的に、ロナルドの口に自分の口をくっつけていた。

 そして一瞬で全身塵となる。
 拳ではない。放たれたビームでだ。
  
「め、メビ!」
 寸の間呆然としていたロナルドだったが、完全に呼吸を取り戻したままに声を上げた。「ストップ! 待って、俺がやる!」それから泣くジョンを抱え上げ塵山に拳を叩き込んだ。ジョンがヌー! と泣く。殺した側のロナルドもなぜかウエーン! と泣きながらそのままドラルクの塵をドンドン殴った。「なんだよおまえ! せっかく! せっかくジョンのちゅーで解決できそうだったのに! 何がしたいんだよテメーは!」
「黙れこの浅慮ルドが! なァにがジョンのちゅーで解決できるだ! 一回で十秒と息がもってなかっただろーが! 私のジョンに一体どんだけちゅーさせる気だジョンの口が腫れ上がるわ!!」
「そ……! そ、だけど。そ~……だけど~! ウエーン! メビ~!!」
「あっこらメビヤツに縋るな!! ギョワーッ!!」
「ヌーー!」
 光線が横切る。塵が舞う。マジロが転がり回る。
 場は一時騒乱を極めた。



 荒ぶるメビヤツをぎゅっと抱きしめるだけで宥めたロナルドは、そのぎゅっと抱きしめたメビヤツをそばにおいてソファに座り直した。
 一頻り騒ぎ回り、荒れた部屋を片付けたあとのため、少しは全員落ち着いていたが、メビヤツのあの大きな一つ目だけは、寸分違わぬ要警戒の目でドラルクを睨んでいた。はー全く。ドラルクはその視線に肩を竦めながら自分の使い魔を赤い大きな帽子の上に乗せてやる。ジョンは慌てながらも、ヌーシヌシヌシと帽子をかぶった頭を撫でさすっていた。さすがのメビヤツもロナルドが可愛がるジョンをぞんざいにはできず、ビ、ビ、と不満げな電子音を鳴らしている。
「で」
 とようやく一息つけたドラルクは口火を切った。
「あと三十分もすればきみはまた呼吸困難になるわけだが。どうしたいって?」
「ど、……
 ロナルドは悔しそうに顔を歪める。「ど、どうって、ジョンに……」そこから続きを言わないのはやはり自分でもそれが無謀なことだと分かっているからだろう、ロナルドはもごもごと顔を下向ける。「だ、だって、だって……あんなん……
「何がそんなに嫌なんだ」
 ドラルクが泰然と言うとロナルドはバッと顔を上げ思い切り眉をひそめた。
「テメーはなんでそんな乗り気なんだよ」
「きみが死ぬのが嫌だから」
「っぐ、ぐぬ、ぐう……ッ」
「今ぐうの音出すような会話してたか? きみが死んだら私が困る。城の中が暗くなるし、ジョンも遊び相手がいなくなって悲しむ。もちろんここは私の城だが、ロナルド吸血鬼退治事務所にロナルドくんがいないのはつまらない」大して考えることなく言った台詞だったが、真理だった。「きみだってどんだけ喧嘩しようと結局ここに帰ってくるだろ、今回もそれと似たようなもんだ。面白いことのためなら、私は何だってする」
……おれとくちくっつけるのも?」
「人工呼吸だろ」
 ロナルドはしばらく釈然としない顔つきをしていたが、やがて、また少し呻いて迷ったあと、息を吐き出し諦めたように言った。「……だな。俺も死んじゃうのはまだ困るし。人工呼吸だもんな……」それからドラルクを真っ直ぐ見つめた。「しろよ、ドラ公。もう暴れない」
 殊勝だな、ドラルクは思った。てっきり、また泣くか喚くかするかと思っていた。
 しかしよく考えるまでもなくこのロナルドという男は泣き虫だが根っからの退治人だ、私生活より仕事を優先するワーホリ人間だ、どれだけ嫌がろうと最終的には何を優先するかなど決まり切っていることだった。今は何より、事務所を早く開けなければならない。
……してくださいだろ、時限爆弾ルドめ」
 ドラルクは座ったばかりのソファから立ち上がり、ロナルドの隣へと移動した。彼の方を向きながら座ると、有言実行しようと震える拳を握りしめてやたら身を緊張させているロナルドに「ん」と顎をしゃくられた。ぎゅっと目も閉じている。写真に撮りたいと思ったが、それよりしなければならないことがあった。
 ジョンに目配せする。察したジョンはロナルドの帽子をずらし、メビヤツの目を隠した。ビ!? と鳴いたメビヤツに、ロナルドが慌てて目を開け、メビヤツの現状を認めてその丸いフォルムを指で少し撫でやった。「み、見ちゃだめ、メビ。大丈夫だから」ロナルドがそっと言うと、メビヤツは渋々ながらも帽子を目深にかぶって沈黙した。
 青い瞳と目が合う。
 すぐさま、またぎゅっと閉じられる。
 見ちゃだめ、って。
 ドラルクは震える握りこぶしに自分の手を置き、身を寄せながら思った。何だい、まるでキスするみたいにさ……

 顔を傾け、硬く引き結ばれた唇に自分の口をくっつける。時刻は20時半。仕方がないから二回目というカウントにしてやる。翌晩まで、あと約23時間。回数は21回……
 離して、くっつける。続けて3回。あと18回。
……そんなにさ、」
 すり、手を置いた握りこぶしを指先でこする。「身構えなくていいんじゃない? 息をしなよ」ふう、引き結ばれた口に息を吹きかけると、「ひっ」とちょっと面白い声が目の前の唇から飛び出た。暴れはしなかったが、身を引いて逃げ腰になった背中に腕を回して追い縋る。引き寄せるのは無理だった。何せ己の力が無い。
「取って食いやしないんだからさ」見ようによっては怯えられているのは畏怖欲が満たされて気分いいけども、思ったドラルクは、あれ、とまた引っ掛かりを覚えた。取って食いやしないって、まるで取って食うことを意識しているみたいな言い方だ。
 まあそりゃだって、吸血鬼にとったら人間は食料も同然と考える野蛮な輩も──ひと昔前は普通に──いるわけだし、ロナルドもそれを知っている、だから自分が食われるかもしれないと身構えているのは何もおかしなことじゃない。
 牙が渇く感覚がして、ドラルクは口を閉じた。
 いま自分は、まさか、食い気を感じたんだろうか? そんなはずはない。じゃあ何だ。色気か?
 は?
「ど、どら、るく」動きを止めたドラルクに、ロナルドが薄目を開けて言った。「っやく、しろ。あそぶな。……まじめに、やれ。ばか」
 それはジョンに対して言ったあの何だかどうしようもない甘ったれた言い方じゃあ決してなかったけれど、確かに、ドラルクを突き動かすには充分すぎるほどだった。早くしろ、と言われた通りに、もちろんキツツキにはならない程度に、唇を押しつけては離していく。
 再び目をぎゅっと瞑ったロナルドが、必死になって息をしようとしている。
 やはり鼻の存在を忘れてしまうのか、「ん、んぅっ」と九回目のときに閉じた唇に隙間ができた。
 十一回目をその湿って柔らかな口に押し当てながら、彼がはふはふと口から吐き出す息に、ジュースの味がする、と薄っすら思う。甘ったるい。もっと味が知りたくなって、押し当てた唇を、少しだけこすりつけた。
「ひっ……ぅ」
 ロナルドが性懲りもなく逃げようとする。
 追いかける。
 唇の表面を擦りつけるだけじゃよくわからなくて、また少しだけ、下唇を食んでみた。
「ゃ、」
 ドラルクの顎に手を押し当てられたので、口を離す。
 逃げるのを追ううちに随分体勢が変化してしまっている。ロナルドを半ば押し倒す形になっていたドラルクはちょっとびっくりして、「なに」と短く訊いていた。
 瞼を開け、ドラルクを見上げるロナルドの顔は真っ赤だった。
 胸は大きく波打ち、目尻には涙が滲んでいる。
「こ、これ、……」ロナルドが小さく言った。「ほ、ほんとに、人工呼吸なのかよ、こんな、」
「人工呼吸だよ」
 ドラルクが即答し、唇を押し当てた。ロナルドがまた硬く目を瞑る。だって、そうだろ。だってそうじゃなきゃ。
 こんなこと、許されるはずがない。

 ドラルクはロナルドの口に自分の口をくっつけては離し、昨日よりも明確になってきた引っ掛かりに当惑しながらも、やっぱり数を数え間違えるなんてことはしなかった。
 21回目が終わっても、ロナルドが目を閉じたままだったので、もう一度唇を押し当てようとして、やめた。そしたら明日の晩、また催眠が解けたと勘違いしたロナルドと同じ問答を繰り返さなければならなくなる。それならやっぱり明日の十九時半、ドラルクが起きる時間までに調整しといた方がいい。
「ロナルドくん」
 ドラルクは唇の上で囁いた。「終わったよ。息してる?」
……っは、ぅー……」銀の睫毛と青い瞳がきらきらと濡れている。色づいた唇が「メビ」と彼に忠実な門番を呼んだ。「三割ころして」 
「は? 馬鹿ヤメっギョエーー!!」
「ヌーーーー!」
 ドラルクは三割殺された。
 事務所を開けたのはそれから一時間後だった。ロナルドがなぜかまた冷水を長ったらしい時間をかけて浴びに行ったからなのと、ドラルクがゆっくり、時間をかけて、メビヤツに三割殺されていたからだった。もう事務所ではしないでおこう、ドラルクは固く胸に誓った。所詮頭の固い ・・・・門番には、人工呼吸とキスの違いなど分かるまい。あの大きな一つ目には、ドラルクがロナルドに無体を働いているふうに映っている。冗談じゃない。あんなのキスじゃない。再三言うが人工呼吸、立派とした人命救助だ。
 キスならもっと。
 もっと、だって、甘やかして触れるだろ、どいつもこいつも。
 だからあれは、キスじゃない。あんなのをキスだと思われるのも腹が立つ。私があんなふうに、ムードもへったくれもないようなキスをするような男だと思っているのか、あの若造……。しかしあの緊張の仕方、確実にそう思っているわけだ。これだから恋愛観が小二止まりの五歳児は。思い知らせてやろうか青二才。
 はあ?
……メビヤツ」
 三割殺されたあと、ドラルクは、人差し指を立てて言った。「あと一割殺してくれ」
 ビッ。微弱な電流が走る。塵山ができあがる。ジョンがヌーと泣いた。