さもゆ
2024-12-10 03:39:04
61538文字
Public 吸死
 

【ドラロナ】目を閉じろ、息を殺すなキスするぞ

キスしないと息ができなくなる催眠をかけられた若造と、はーやれやれな同居吸血鬼のすったもんだ話。
ド(無自覚)ロ(自覚済み)がくっつくまで。

2024.7.29 たべものpixiv投稿作品


 いま何時だ、と携帯の液晶を確認してすぐ棺桶の蓋をほんの少しだけ開けた。
「ロナルドくん。いる?」
「ドラ公?」
 声はソファベッドから聞こえた。「早くね? まだ十八時だぜ」テレビの音もする。ドラルクはひとまずロナルドが近くにいることにほっとし、「カーテンは?」と訊ねた。
「閉めてる。心配すんな、すげえ雨降っててさ。夕陽も出てない。ニュース見る?」
「後でね」
 棺桶の蓋をずらし、手だけを出す。「ロナルドくん、こっち来て。お願いがあるんだけど」
「何だよ」
 と不審がりつつも、手招かれるまましっかり棺桶のそばまで近寄り、床に膝をついたロナルドは、ドラルクを覗き込んだ。寝起きに突き抜けるような青色を見られるのはいい気分だ。ドラルクはまた蓋をずらし、自分の顔が見られるようにすると、仰向けになったまま更にロナルドを引き寄せようと手招いた。「もっとこっち」
「なに。何のこそこそ話すんの」
 何でこそこそ話前提なんだ、ドラルクは突っ込まずに、ただ「あと三時間ぐらいは寝かせてほしくて」と掠れ声で言った。聞き取りづらかったのか更に近づいてきたロナルドの後頭部に手を回し、首をもたげて唇同士を擦り合わせる。ロナルドがびくりと震えた。
 ドラルクは眠くて眠くて仕方がなかった。
 昨夜、棺桶に潜ったはいいものの、長い吸血鬼生でも類を見ないほどの感情の変化(しかもたった一日の!)にバグったのか、一向に眠気が訪れず、結局昼ごろまで小型ゲーム機で遊んでいたのである。しかもロナルドが起き出した音や気配を追ってはゲームに集中できず、まるで故人様のように何もしない時間帯もあった。それからうつらうつらと眠って、今だ。
「だからあと二回、しとかなきゃ」
「ど、」
「ん。きみ、なに食べたの」
「どら、ぁ、ゃ、」
「甘いにおいがする……
「ひぅっ、どら、どらるく、」
「なんだろう。アイス食べた?」
「は……ぅ、……んっ、んぅ……
「チョコミントかな」
「んぅー……ぁっ……はぅ……
「あー……
 鼻から抜ける甘い香りと唇に触れる熱い感触が心地よくて、しばらくくっつけたり、離したりを繰り返す。そのうち睡魔が目の奥に溜まっていって、首も手も持ち上げられなくなってきて、ドラルクはぱたりと棺桶に納まった。意識が完全に途切れる間際、何やら悲鳴のようなロナルドの声が聞こえたが、目覚めのラッパ音にはなり得なかった。ドラルクは寝た。



 Day.4



「ロナルドくん! 生きてる!?」
 ドラルクが次に棺桶の蓋を開けたときにはもう二十二時を越えていた。
 ずっと夢現のまま夕方に一度起きたのは覚えている。ロナルドに人工呼吸を施さなければと彼を呼んだはずだ。だがぼんやりとしていてそのときの記憶が定かではない。ちゃんと人工呼吸したっけ? 十八時からの四時間分、彼が安息を得られるだけの回数を? 分からない。どうしよう。自分が眠っている間に彼が永遠に ・・・目覚めない状態になってしまったら──そんなのはドラルクの知っている永遠じゃない! ──焦燥に駆られほとんど塵になりながら身を起こす。
 しかして、ロナルドは食卓の椅子に座っており、「なんだよ」と起き上がったドラルクにぶすっとした声を投げつけてきた。「生きてちゃわるいか」
「全然悪くない」
 ドラルクは反射的に答えていた。思いのほか食い気味な返答になっていたが、ロナルドはやはりぶすっとした顔で「あっそ」と言うだけだった。ぶすくれた顔でドラルクをじとりと見つめて、というか睨んでいる。大抵、綺麗な顔の睥睨というのは迫力があるはずなのに、今のロナルドからは威圧感といったものがない。テーブルに突っ伏し、組んだ腕に顎を乗せる姿はまるきり大きな子どもだった。しかも、顔が赤い。泣きじゃくったあとのようにも見える。ドラルクがついと視線を動かすと、ロナルドの手に缶飲料が握られているのが見えた。「きみまさか、酒飲んでる?」ドラルクは眉をひそめた。
「なんだよ。わりぃかよ」
 指摘を受けたロナルドは持っていた缶をぐいっと煽りながら言った。ドラルクは立ち上がり、テーブル上の全容を知る。酒の缶が四本あり、3パーセントの缶チューハイが既に二本空いている。さしずめ今手に持っている分は三本目だろう。それから、塩っ気のあるスナック菓子と、甘いチョコ菓子の小袋がいくつか……。どれも近くのヴァミマで買えるものだ。ドラルクの城の要であるキッチンに昨日まではなかったはずのものたちだ。ということは、ロナルドが今夜買ってきたものということになる。
「おい、へべれけルド。事務所は? 原稿以外の仕事をサボるタイプじゃないことは重々承知だ。どうした?」
「うっせ。酔ってねえ」完全に酔っぱらっている者の言い分だった。「雨、すごかったから。明け方まで降ってるって。だから、今日は、休み」
「それは利口な判断だけど」確かに、意識を外に向けると、土砂降りの雨が雨どいや地面を叩く音がこもっている。吸血鬼は水に弱い。今夜はおポンチも外には出ないだろう。「だからって飲めない酒を飲むのはお利口じゃないな。きみ別に、酒が好きってわけでもないだろ。なに、どうしたの」外は大雨だ。その中を、この飲んだくれセットを買うために出て行ったらしい。止んだタイミングで買いに行ったわけじゃないのは、ロナルドがすでに派手柄のパジャマを着ていることから察せられた。髪は自然乾燥されたのか乾いているが、靴下は履いていないし、何より汗くさくない。すん、気づかれないようまだ開いていない缶チューハイを遠ざけながら、ロナルドの頭上を嗅いでみる。シャンプーの香りがする。どう見ても嗅いでも、雨に打たれたあと、風呂に入って、酒を飲んでいる。「夕飯は? ちゃんと食べたんだろうな」
「食べた。ジョンと一緒に。あのあれ、おまえのつくったやつ、食べた」
「ならいい。ジョンは? 待て。キンデメもいない」
「となり」
「どうして」
 ロナルドはそこでぐすっと洟を啜った。「あいそつかされた……」愛想つかされた。ぐすぐす、めそめそ、たったの3パーセントしかない酒を握りしめて泣き出してしまう。ドラルクはなるほどと思った。こいつ。今日は泣き上戸か。
 ロナルドが酒を飲む場面に立ち会うこと幾度か、ドラルクには分かってきたことがある。それはロナルドがいつでも酒に弱いことは周知の事実だが、酔い方には決まりがないということだった。まあ大体は、テンションが高くなって陽気になり、兄貴自慢かむかし飼っていた亀の話かを繰り返す比較的無害な酔いを見せるが、普段より更に感情に素直になる分、一度落ち込むととことんまで落ちてしまうことも時々あった。かと思えば笑い上戸のときもあったり、すぐに眠くなって口数が減るときもある。ドラルクはそれらを状態異常だと思っている。酒に酔うことがない自分からしたら、そうとしか言いようがない。
 頬が赤いのは酒のせいと、そしてやはり、泣き腫らした痕でもあるようだ。ドラルクは後で酔っ払いゴリラに付き合わされたジョンとキンデメを存分に労わることにして、今はロナルドに向き合った。
「とりあえず延命措置するぞ。こっち向いて」
 隣に立ったドラルクがそう言うと、突っ伏していたロナルドは上体を起こしたわりには「やだ」とそっぽを向いて言った。「おれ生きてるもん」
「はいはい。もっと生きるためだよ」
「やだ」ぐすっ。「おまえとはもうちゅーしない」
 ドラルクは死ぬかと思った。
 九死に一生を得られたのは、その台詞を、ロナルドがドラルクのパジャマを少しつまんで言ったからだった。それが命綱になっていた。
 だってドラルクはもうロナルドにキスがしたい、したくて堪らないドラルクなのだ。その相手に、真逆のことを思われるのは、それなりに、かなり、すこぶる、傷つく。
「いや、……あのな若造。ちゅーじゃない。人工呼吸だ」ドラルクは頑なに言い張った。人工呼吸だ。あんなのキスじゃない。あんなのをキスだと思ってもらっちゃ困る。「その問題、もう解決したと思ってた。どこで行き詰ってるの」
「さいしょから」ロナルドはつまんだパジャマをいじいじ弄って言った。「さいしょっから。はじめっから。おまえがドアバンで死んだときから。おれは詰んでたんだ……
「遡り過ぎだろ。いま同じ道辿ってる? 別の道行ってない? 私たち会話繋がってるよな?」
「べつの……」ロナルドは、パジャマを握りしめ、俯いて言った。「べつのやつに、たのむ。やっぱり。やっぱり、そうする。おまえとはもうちゅーしない」
 同じ道を辿っていたようだ。会話は繋がっている。
 ただ、落とし穴があっただけだ。
「は?」
 ドラルクは穴に向かって落とすような声が出た。
 そこには落ち込んだロナルドがいて、深い海面のように閉じきっていた。思考の海だ。他人には、表面しか掬えない。つまり、深層心理は誰にも分からない。ドラルクは、その表面を掬って投げつけられたに過ぎない。何をどう思い、考え、この発言に至ったかは、ロナルドにしか分からないのだ。ドラルクはそこまで分かっていながら、傲慢なことに、そんなのは絶対に許さない、と思った。この男の唇に触れるのが自分じゃないほかの誰かなんて、絶対に駄目だ。
 ロナルドの脈拍を数え、熱を感じ、生殺与奪の権を有する者は、自分じゃないと耐えられない。
「頼むって、誰に」
「だれでもいいだろ」
「お兄さん?」
「兄ちゃんにはメイワクかけらんねえもん」
「半田くん? カメ谷くん?」
「んー……からかわれるから無し……
「ギルドの皆とか?」
「んんー……
「誰に頼むって言うんだ。教えて」
……おまえいがいの、やつ。なら、だれでもいい」
 ドラルクの頭が弾け飛んだ。
 ロナルドの言葉を勝手に想像した脳が高ストレスにさらされ、機能の全てを停止したからだった。一拍遅れて首から下すべて塵になって床に降り積もる。ロナルドが「ひえ」としゃっくりのような悲鳴をあげ、「きゅ、急に死ぬなよ」と手に握っていた塵を落とした。「……どらるく?」いつもならすぐに蠢いたり喚いたり手だけでも再生したりする砂山が、ぴくりとも動かぬことにさすがに不審に思ったのだろう、覚束ない動作で椅子から下り、ドラルクの前の床にぺたんと座り込む。「おい、どうしたんだよ……
 本当にどうしてしまったのだろう。
 私は、とドラルクは死んだまま思う。私はこんなに、余裕のない男だったっけ?
 だって彼のそばに棺桶を置いて毎朝眠っている男なのに。
 その私を差し置いて、ほかの誰かにキスをさせると、ロナルドは言っているのだ。
 そんなのは。
 そんなのは絶対に許さない。
「私は自分から身を引ける紳士だったのに」
 そのせいで、むかし、ジョンをたくさん泣かせて怒らせたけど。
 確かにむかし、本当に大切な者の幸せのためなら、自ら離れることも厭わない謙虚さを持っていたのだ。
 けれども今の自分には、それができそうにない。
「ロナルドくん」
 再生する。座り込んでいるロナルドの肩を掴む。「人工呼吸の時間だ。催眠が切れるまでのおよそ三日分。94回もしとけば充分だろ」
「へ」
「残念だったな。ほかの誰かに頼む暇などやるものか」
 顔を近づける。青を睨みつける。
「全部私のものだ」
 くっつけた唇は、弱いアルコールと、コーラの味がした。

 ロナルドはびくりと震え瞠目したが、暴力には訴えずに、「や、やだ」と言って顔を背けた。「おまえとは、もう」その先を言わせてなるものか。聞きたくもない。ドラルクは苛つきながら目の前にきた赤い耳に齧りついた。「ふえっ」ロナルドが間抜けな声を上げ、首を竦める。
「や、どら、なに、」
 齧りついた、と言っても歯は立てていない。唇で柔く挟み、食む程度だ。ロナルドの耳たぶは熱く、シャンプーと、僅かに汗の香りがした。ちゅ、と吸いついてみると「やだっ」と声を上げたロナルドが上体を逸らして逃げようとするので、追いかけて耳たぶや頬に唇を降らせる。ちゅ、ちゅ、軽いリップ音を鳴らすたびにドラルクを見ようとはしない青空が雨を湛えていく。
……何がそんなに嫌なの」
 と低く訊ねたときには、もうドラルクは完全にロナルドに覆いかぶさっていた。ロナルドはぐすっと洟を鳴らした。
「こ、これ、じんこーこきゅうじゃ、ねえもん」
「人工呼吸だよ」
「ちゅ、ちゅーだもん」殴ることのできる拳を、ただ胸の前で震わせて言う様は、畏怖欲を昂らせた。「ちゅーだもん、これ。絶対そうだもん」
……そのだもん構文やめろ。トトロがいるって思えそう」
……ちゅーだもん」
「分かったよ。ちゅーだよ。ちゅーだとして。それで何が変わるって言うんだい」きみが私に助けられるのが嫌で、キスされるのも嫌っていうことは変わらないんだろう。ああ、死にそうだな。
 やっぱり死ぬのは嫌だったのでロナルドの拗ねて尖っている唇に自分の唇を押し当てる。口から精気を吸い取れる能力なら、いまごろドラルクは世界で一番最強に違いなかった。最強とまではいかずとも、温かな唇から、心臓へと、漲る血液の流れはあった。生きている実感がする。「私を殺せばいい。そんなに嫌なら」
……どらこ」
「なに」
「これ、ちゅー?」
「ああもう。そうだよ。そういうことにしといてあげる」
「ちゅー……」ロナルドは子ねずみのように何度もそう呟き、やがてドラルクの方に顔を向けた。「じゃ、いい。人工呼吸して、どらこー」
 甘ったれた言い方だった。
 意味が分からなかった。
 何がいいのか。何がやだだったのか。ドラルクに唇との接触をキスだと認めさせることに、どんな重要性があるのか。単純に子どもの癇癪か、駄々捏ねか、ひょっとすると意味なんてないのかもしれない。でもそんな深層心理、ロナルドの方から唇でつっつかれれば、どうでも良くなってしまった。
 ロナルドは甘ったれた目尻と、甘ったれた鼻息と、甘ったれた声で、「どらるく」とドラルクの口に自分の口をくっつけた。
「んふ」
 合わさった唇からくふくふと酔っ払いの笑い声が漏れ出ていく。「ちゅーしちゃった……
 
 はあ?

「おい若造ふざけるなこんなものは」キスのうちには入らん、いや入ってもいいが私がきみとしたいキスはもっと、ドラルクが言い募ろうとすると、ちゅ、ちゅー、と拙い動きで唇がぶつかってくる。「おい、ま、イテッ、おいそれ以上の力でぶつかるなよ私の牙が折れる」
 ロナルドは不服そうな顔をすると「じゃあどらこーからしろ」と唇をむっと突き出した。何それ、ドラルクは思った。何それ、それじゃあほんとに、キスみたいだよ。
 そしてより強烈に、キスがしたいと思った。ドラルクはロナルドが好きなのだ。好きな相手が自らを差し出しているのに、受け取らない理由は、最早なかった。
 くちとくちを合わせる。熱い。溶けてしまいそうだ。もっとキスがしたい。その一心で唇を合わせては離す。ドラルクのしぶとくも理性的な紳士部分が“これはまだキスじゃない”と頭を振っている。そう。うん。分かっている。だからこんなにもキスがしたくて堪らない。
「は、ロナルドくん」
「ん、ンン……
「これいま何回目か数えてる?」
「にかい」
「それだけは違う。あークソ、しまったな、私も数えてない」
「にかい、だから。あと92回……」 
「もっとしてただろ」
「ゃ、もっと……
「もっと?」
「もっと」
「何回?」
「ひゃ、ひゃく」
「そんなんでいいの」
 ドラルクのもっとは、もっとだ。際限はない。
 ちゅ、ちゅ、と湿った音を鳴らしながら唇を落としていく。そのたびにロナルドの瞳は雨に濡れ、目尻とこめかみを滲ませていった。パジャマ越しの体温はひどく熱く、ドラルクの体温がぬるくなるほどだった。床の方が冷たい。あーあ。好きな子を床に押し倒しといて、何が紳士だ、何がキスしたいだ……
「ロナルドくん」
「ん」
「移動しよう。立てる?」
「ん……
 ぼうっとした様子でこくりと頷き、身を起こしたロナルドの手を握って引く。立ち上がらせ、自分より少しばかり高い位置にある唇を唇でつつきながら、腰を抱き、数歩進ませる。重心を移動させ、また横たわるように促した場所がドラルクの棺桶だと気づいたロナルドは、「ど、どらるく」とこの上なく顔を真っ赤にさせた。立ち上がって歩いたせいでアルコールが回り過ぎたのかもしれない。「大丈夫だよ。横になって」ドラルクが優しく促すと、ロナルドはもじもじと手指を擦り合わせたあと、「ん」と小さく頷いて棺桶に足を踏み入れた。
 棺桶に寝そべるロナルドのことを何度か目にしたことがある。
 けれど今日のは、過去見た光景と全く違って見えた。
 こんなに。こんなに美味しそうに見えたことは、今まで一度たりともない。
 そこでドラルクは、もう以前のようには戻れないことを悟った。当たり前だ。たったの数日前までは、この青二才に、これほどの色気も食い気も感じていなかった。
 違う。前まではそれが全てだと勘違いしていただけだ。ロナルドの寝所に棺桶を置き、食事をつくり、同じ家に帰る。本当にそれだけで満たされていたはずなのに、それより“もっと”があることを知らされた。
 食べたい。吸いたい。キスしたい。抱きたい。
 ふざけるな。
 そういうのは招かれてするものだ。
 こんなキスも知らないような子どもを騙して絆して食い荒らすような真似だけは、したくない。
 つまり何が言いたいかというと、ドラルクは、ロナルドと両想いになりたかった。
 そうじゃないと、決して手は出せない。たとえ好きな相手が自分の棺桶に寝転がっていたとしても!
「どらるく」
 ロナルドが見上げてくる。「息できないのか」
 言われて気づく。ドラルクは覆いかぶさり、歯を食いしばって、その隙間から、ふー、ふー、と荒い息を吐いていた。吸血衝動よりもっと酷い欲を押しこめるので必死だった。“抱きつぶしたい”
「どらこ、ほら、じんこーこきゅー」
 見兼ねたロナルドが食いしばった唇に口を押しつけてくる。ちゅ、ちゅ……何度押しつけてもドラルクの硬いままの口に次第に眉を下げ、「やっぱり、やなんだろ」とドラルクの使っている枕に顔を押しつけ、めそめそと泣く。「さ、さっきは、いっぱいしてくれたくせに」
……、」すー、はー、正しい呼吸を意識する。「さっき?」
「おまえが、いっかい起きてきたとき、い、いっぱい、した。いっぱい。う、嬉しそうに、ちゅーしてくれたのに」
「なに? いつ?」
「やっぱり寝ぼけてたんだ。も、いい。もう知らない。てめーなんか、……
「ねえ待ってよ。そうか。私ちゃんと人工呼吸してたんだね。良かった」本当に良かった。さすが私。知らない間に彼を失わずに済んだ。「じゃあきみ、明日の晩までもつぐらいの息は得られてるかもな」
「きゅ、きゅーじゅーよんかいしてくれるって言った!」
 ロナルドがワッと泣きながら叫んだ。
「うそつき! うそつき吸血鬼! すけこまし! デリカシー無しの足腰弱虫じじい!」
「韻を踏みたいがために私をじじい呼ばわりするな五歳児」
 ウエーン! とうとう声を上げて泣き始めたロナルドにドラルクは呆れて、いつの間にか食いしばっていた唇を解いていた。もう以前のようにロナルドを見れないと半ば絶望のようなものを感じていたが、ロナルドは、いつでもロナルドだった。ドラルクの城の扉を開け、ドラルクを初手で殺し、城を爆破し、ぬけぬけと事務所に居座られている、とんでもなく強くて馬鹿でお人好しそのままだった。
 何も問題はない。ドラルクが間違わなければ今まで通り、楽しく暮らしていける。
「大丈夫だよ、ほら。いーっかい」
 泣きじゃくるロナルドの上に寝そべり、あやすように唇をあてる。「にーかい」ぺちょ、涙と鼻水で濡れた音を発しながら、離した唇をまたつける。大丈夫だ。相手は子どもだ。まだ私は、数を数えられる。ドラルクはまた、自分はなんて理性的な大人なんだろうと思いながら「さーんかい」と唇を離してはくっつけた。
「ひっ、ひぐっ、ぅ、どらこ」
「よーんかい」
「んっ、うぶ、ぅーっ」
「ごかい」
「んんっ、ん……
「ろーく」
「ン」
「ほら。落ち着いてきたね? なーな」
「ン……
「はち」
「ん。どらこぉ」
「なに」
 胸の前で握りしめていた両手をもぞもぞと動かし、ドラルクの垂れた前髪を掻き上げ、額と額をくっつける。銀色の睫毛が下り、泣きぐずる声が言った。「もっと……
 そのもっとが、私のもっとと同じならいいのに。
 ドラルクは心からそう思ったが、仕方がないなと肩を竦めて、「きゅーう……」とロナルド曰くのちゅー、ドラルクにとっての人工呼吸を続けた。
 お互いパジャマ姿で、一方は酔っていて、相手が好きで、外は雨が凄くて、家の中は静かだった。
 ドラルクは紳士的で理性があって人間社会に適した吸血鬼だった。
 そして少し、極たまに、それこそ百八十年に一度くらいの頻度で、阿保ほど遠慮しいな部分があった。ドラルクはロナルドに人工呼吸を施し続けた。それが一番だと思って。
 だから決して、手を出すなんてことはしなかったのだ。そうやって人工呼吸はロナルドがむずがって、眠るまで続いた。94回までは、いかなかった。