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さもゆ
2024-12-10 03:39:04
61538文字
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吸死
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【ドラロナ】目を閉じろ、息を殺すなキスするぞ
キスしないと息ができなくなる催眠をかけられた若造と、はーやれやれな同居吸血鬼のすったもんだ話。
ド(無自覚)ロ(自覚済み)がくっつくまで。
2024.7.29 たべものpixiv投稿作品
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「若造っ?」
新たなおポンチの催眠光線にまんまと当たったロナルドを煽りに煽ったあとだった。
もちろん煽りながらもドラルクは何度も殴られ塵になっていたし、おポンチもすでにノックダウンしていたし、ロナルドも元気に暴力を奮っていたから、何ら危険のない状態だったのだ。今、この瞬間までは。
ひゅ、と風にしては奇妙な音が鳴ったかと思えば、たった今までドラルクを元気に殺していたロナルドがひどく咳き込んだ。おいおい興奮しすぎだ落ち着け唾が変なとこにでも入ったか? ゴリラの深呼吸って凄そう、そういうふうにまた煽りつつも擦ってやろうとした広い背中が、どんどん、どんどん、咳とともに丸まっていく。地面に膝をつき、ぜえ、ひゅう、おかしな音で呼吸を繰り返す若き退治人は、さすがに人体に疎いドラルクでも分かる、何だかちょっと、もしかしたらひょっとすると死にかけだった。
「ふ、ふはは
……
!」
高らかに上がった笑い声のもとを振り返る。光線を食らわし、間髪容れずに殴られ、地に伏していたはずのおポンチ吸血鬼が、いつの間にか地面に倒れたまま牙を露わに笑っている。ドラルクはマズいな、と思った。もしもロナルドにかけられた催眠がドシリアスなものだったら、今ここに、それに対応できる者がいない。「貴様一体何をしたっ?」ドラルクは焦燥に駆られ訊いた。
おポンチ吸血鬼は不敵に笑いながら「我が名は──」と名乗りを上げ始めた。ドラルクは即座に切り捨てた。「面倒なセーブポイントか貴様は。吸血鬼人工呼吸大好きだろ。分かってて殴り倒したんだからスキップさせろボケ。モブはモブらしく要約して重要なことだけ喋れ」
「そこの退治人にキスしないと息ができなくなる催眠をかけました。キス一回でおよそ一時間分の呼吸を得られます。催眠効力は一週間ほどで消えます」
うえーん、畏怖みのあるやり取りをするのが夢だったのに、しくしく泣くおポンチを尻目に、何だそんな能力か! とドラルクはよく考えもせずに思った。やっぱり今宵も今宵でこの魔都シンヨコは通常運転、真剣に身構えてみせるだけ無駄だったというわけだ。地面に膝をついて喘鳴を繰り返しているロナルドのそばに跪き、顎を掴んで顔を上げさせる。
「おい若造、聞こえてたか。人工呼吸するぞ」
たぶん聞こえていなかった。
青い瞳には涙が浮かび、能力のせいで薄い酸素が頭まで回っておらず、焦点はすでに合っていないし、額には脂汗が滲んでいる。
でもそんなこと、ドラルクには些細なことだった。だって口を合わせないとこの人間、死んでしまうのだ。いくら若造が強くても、酸素がなくては生きられない。それが一番簡単な事実だった。この男が死んでしまうのはつまらない。
だからドラルクはロナルドの唇に自分の唇をくっつけた。
ズキュゥンッ。
唇が触れあい、ぴったり合わさったときの擬音語がそれだった。口を合わせて僅か0.2秒後のことだった。実際に耳のそばで鳴ったその音に驚き、ドラルクは死んだ。もちろん唇が合わさっただけでそんな轟音鳴るはずがない。鳴ったのは、ロナルドがいつの間にか構えていた銃だ。
振り向くと、逃げようとしていたらしい、背後でおポンチががくりと倒れている。尻には麻酔弾が刺さっており、ドラルクは「さすが」と素直に称賛を口にした。「状態異常でもクリティカルを出せるなんて、さすが射撃に関しては能力値がカンストしているだけある」それから一応といったふうに訊いた。「大丈夫かい、ロナルドくん。さっきから一言も喋らずそんなに震えて。まさかあれがファーストキスでもあるまいに」だって熱烈キッスに熱烈キッスされていたし。
ロナルドは撃った銃を下ろした体勢で俯いていたが、やがてぐすっと洟を鳴らすと顔を上げた。視線がかち合う。ドラルクは何その顔、と思った。そしてこの場にジョンか、彼の兄か、もしかしたらあの有名なポールダンサーがいたかしらと一瞬疑った。いるわけがなかった。この場には、ロナルドと、ドラルクと、地面に伸びているポンチしかいない。
ロナルドは血と酸素の巡りの良い顔をしていた。
つまり、真っ赤だ。
「おい何だ若造」ドラルクはひょいと方眉を上げぞんざいに言った。「このキュートでセクシーなドラドラちゃんに救命され打ち震えるのはいいがね。言っとくがあんなもん。数のうちには入らんからな。おポンチの名乗り聞いてたか?
人工呼吸
・・・・
だ、キスじゃあない」
「う、う。ウ、
……
ウルセーー!!」
バイブのように震えていたロナルドから鉄拳の風圧と絶叫が繰り出される。当然ドラルクはまた死んだ。死にながら、ふう、とちょっとの安堵もしていた。良かった。この若造が死んでしまわなくて。
だって死んでしまったらきっとつまらないんだもの。
そうたぶん。思ったのはそれだけだ。
Day.1
さて。
ポンチをVRCの護送車に任せ、事務所に帰ってからが問題である。
回収される間も麻酔弾を食らって気を失っていたのであれ以上の仔細は分からないが、ともかく、あのおポンチ『人工呼吸大好き』によればキス一回分で一時間程度しか呼吸できないのだから、あれからそろそろ五十分が経とうとしているいま、再び若造の呼吸がいつ乱れてもおかしくはない。
今宵のパトロールの続行は不可能だと判断し、戻ってすぐ、ドラルクが煽るよりも早く風呂場に直行したロナルドは、珍しく長風呂をしていたように思う。遅い夕餉の準備をしながら使い魔のジョンに事のあらましを面白おかしく説明し終え、作り置きのおかずを温め、サラダを作り、あとは白米をお椀によそってお茶を出すだけで食卓が完成する程度には、彼は風呂場から出てこなかった。その間約三十分だ。いつもならカラスの行水なので食事を温めていても支障がなかったはずが、今はすっかり冷めてしまっている。
様子を見に行こうか、それとも文句を言いに行こうか、ドラルクが考え、まあ文句は言いに行くべきだなと方向を定めたところで、ようやくロナルドはリビングに戻ってきた。その髪が相変わらずぐっしょり濡れているのを見て、ドラルクは「またか五歳児、せめてタオルで拭いてくるくらいはしろ」とやっぱり文句は言ってあらかじめ用意しておいたタオルをその頭にかけた。食卓の椅子についた濡れゴリラは、たかが頭にタオルが乗っただけで、なぜだか、びくりと肩を震わせた。
様子がおかしい。
ドラルクと目を見合わせ、訝しんだジョンがロナルドの肩に乗り上げて「ヌャッ」と声をあげる。「ヌヌヌヌヌン、ヌヌヌイ」ロナルドくん、冷たい。ドラルクはまさかと思ってタオル越しに頭に触れた。食事の支度をしていたためこちらは素手だが、え? と思ってそのまま手を滑らし、耳にも触れる。目にもとまらぬ速さで殴られる。砂になる。ジョンがヌーと泣く。
「若造おまえ、風呂場で一体何してきたんだ」
ロナルドの足下で塵の山から腕だけ再生させ、人差し指をつきつけ言った。
「冷たすぎる。代謝がいいだけが取り柄のきみじゃ有り得んレベルの体温だ。私の手より冷えてるってそれつまり墓下の温度だぞ、まさか風邪か? 風邪なのか? 人間て風邪引いたら体温上がるんじゃないの。それとも噂の低体温症か? この真夏に? あっ待った夏だから熱中症だろ、熱中症だな? ヘイ、ケツ。人間、熱中症、夜間病院」
「落ち着け人外クソ雑魚おじさん」ロナルドは誠に遺憾ながら散った塵を足でじゃりじゃり踏み擦りながら言った。「そんなんじゃねーよ。冷水浴びてただけ。熱かったから」
「オイこらお砂遊びするな五歳児。冷水浴びてただけ?」三十分も? 「真夏だからいいとしても、これは冷えすぎだ。汗臭いのがアイデンティティのゴリラが汗腺サラサラにしくさって、汗どころか存在ごと消失したらどうすんだ」
「テメーを殺す」
「ぐえーッ踏みにじるな!」
ジョンがヌーと泣いて床に散らばった砂を掻き集めてくれたので、それ以上悲惨なことにはならなかった。ドラルクは再生がてらロナルドのむき出しのくるぶしを掴み、太い骨まで冷たいことにびっくりしてまた死に、「いいからご飯を食べろ」とぬくいジョンを抱えて復活した。抱えたジョンをロナルドに渡し、おかずを再び温めるためキッチンに引っ込む。
エアコンの温度は低すぎると死んでしまうドラルクに合わせて若干高めに設定しており、風呂上りはいつも暑がったロナルドが数度下げて更に扇風機に当たるため、死んだドラルクの塵が部屋中を舞うという夏の風物詩が生じるはずが、それもなかった。ロナルドは大人しく席についていた。やっぱり寒いんじゃないか。体温調節もできない子どもが、バカタレめ。
それからドラルクは少し迷って、今宵のメニューにはなかった味噌汁も作ることにした。暑くなってからは、あまり作っていない。味噌あったかな。あったあった。冷蔵庫から取り出し、誰にともなく、ふんと鼻を鳴らす。いやだって。このドラルク様の制する食卓で、凍えられるなんて堪ったもんじゃないし。だから全然まったく。あの若造は少しも自惚れやしないだろうが。いや少しは私の親切心に気づいて盛大に感謝し畏怖しろニブチン。だから本当に全然まったく、勘違いしないで欲しいのだが、これはロナルドのためだけに作るものだった。
白米と、味噌汁。
夏野菜のサラダと、メインは退治に出る前から仕込んでいた鶏肉のトマト煮。足りないといけないから冷凍保存していた鰯の生姜煮と、あと買った漬物。麦茶。氷少なめ。自分には牛乳一杯。
それらを食卓に並べ終えたころには、ポンチ騒ぎから、五十分は経とうとしていた。
いっただっきまーす、元気よく両手を合わせて箸を手に取る一人と一匹を眺めながら、時計を確認してああそろそろだなと思い至る。危ない。また目の前でギャグセンスの欠片もない過呼吸を起こされては笑えない。ドラルクは牛乳を飲む前に、席を立ってテーブルに手をついた。狭いところだ。身を乗り出し、ロナルドにも首を傾けさせればテーブル越しでも難なくこなせるだろう。
「ロナルドくん」
「ん?」
ジョンと機嫌良さそうに食事していた手を止めて、ロナルドはドラルクを見つめ上げた。
角度が悪い。そう思って咀嚼している顎を掴み、そして、ドラルクは死んだ。
ドラルクを拳で死なせたロナルドが「な、なん、」ごきゅり、口の中に入っていたものを飲み下して声を荒げる。「テメーいま何しようとしやがったっ?」
「何って。あのねえ、これだからスケジュール管理できない単細胞ルドが。せめて自分の命に関わる時間制限ぐらいは把握しておけ」
「はあ?」
「そろそろ一時間経つだろ。人工呼吸の時間だ」
ヌ、塵になった主人に箸を放り投げてまで泣きついていたマジロが、なぜだか動揺してドラルクとロナルドを交互に見やった。
ロナルドはぽかんと口を開けていたが、やがて「い、いや、」とどもりながら言った。「お、おまえがする必要、ないんじゃね
……
」
「はあ?」
これにはドラルクが呆気にとられた。言われた言葉の意味が全く理解できない。ジョンを抱きかかえ再生し、ロナルドの前に仁王立つ。
「何だロナ造、ほかにきみに人工呼吸する相手が、今この場に、あと十分以内に、登場するとでも?」言ってから気づいて、ああ、と頷く。「可能だろうな。床にクッキーを設置すればヒナイチくんが、窓にきみの醜態写真でも貼っておけば半田くんが、エッチな話をすればへんなくんが、皆どこからともなくやって来る」けどそんなの、許されない。許されない? “彼にキスするなんて!”
んん?
ドラルクはふと自分の思考回路に引っかかりを覚えて、こめかみのあたりを砂にした。腕の中、頭の上に降ってきた塵を案じてジョンがヌーと鳴いている。大丈夫だよジョン、ドラルクは使い魔の小さな頭を撫でながら、何だ? と思った。許されないって、何が。誰が。何を。
「
……
そりゃ皆、性根の曲がった愉快な浮かれトンチキどもだが。人命救助とあらばキスぐらいしてくれるだろうね」
自分の中に生じた不可思議な感覚を手繰り寄せようととりあえずの正論を言ったが、どうにも、砂を噛むような思いが広がるばかりだ。ひどくつまらない。こんなに面白い案件なのに、何を戸惑っている? 口の中がじゃりじゃりする。舌が崩れている。ドラルクが言いたくもないことを言ってしまったとき、本能的に、このよく回る舌は自ら動きを止めるのだった。ということはそれほど、先の発言が意思とは反発していたということだ。私いま、何言ったっけ? 正しいことを口にしただけ。
「た、頼めるかよ。ヒナイチにも半田にも、そんな恥っずいこと
……
へんなはたぶん、あれだろ、男相手には無理なんじゃねーの」
ロナルドがもごもご言った内容は、ドラルクの舌を再生させるのに充分だった。
「待ちたまえよロナルドくん、いま何の話してた? 人工呼吸の話だよな? その言い方じゃあ、まるでキスするみたいだよ」
「だっ
……
」あれだけ冷えて白かった頬に、一瞬にして赤が捌ける。「だって、いやそりゃ、そう、だけど。そうなんだけど。だって。だって
……
」
みるみるうちに青い湖面ができあがっていくのはいつ見ても面白かった。ドラルクは揶揄いに専念しようとした。やーい救命措置ですら色事換算して処理落ちルドくん、童貞もびっくりな恋愛初心者ハムカツ野郎
……
。しかしその揶揄いを一音も言えないうちに、唐突に、ロナルドの喉がかひゅ、と不快な音を発した。
湖面が揺らめき、ひとしずく零れる。ロナルドは己の体の変化に瞠目したが、二度目だ、すぐさま深い呼吸を意識しようと体勢を整え胸を開く仕草をした。ヌヌヌヌヌン! ジョンが心配してロナルドに抱きつく。こんな状況でも嬉しいのか、ぱっと顔を綻ばせ、余計に息を乱している様は、やっぱり阿保だった。
「だ、だいじょ、ぶだぜ、ジョン」ぜー、ひゅー
……
、「こんなの、トレーニングと思えば、大したこと、ねえ」
一気に酸素を奪うものではないらしい。ドラルクは多少なりとも安堵した。もし一瞬で呼吸ができなくなるのなら、それぐらい、死が近づくということだからだ。この脳筋ゴリラなら息ができなくなってもしぶとく生きていそうではあるが、それはそれとして、救急活動を施せる時間が充分に用意されているのは有難い。『人工呼吸大好き』の事細かな性癖など知りたくはないが、人工呼吸=キスとしているあたり、キスをして相手の命が救われるこの催眠能力はどこか夢見がちなハッピーエンド至上主義を感じる。クソゲーやクソ映画だけでなく真っ当な作品も好んで選ぶドラルクだからこそ分かる、これはシリアスじゃない。コメディだ。
「ほらロナルドくん、顔こっち向けて。苦しいんだろ」
だからロナルドがなぜ頑なに拒否するのか、まるで分からない。
ひゅう、ひゅー、か細い息を漏らしているくせに、胸に抱いたジョンに視線を落としたまま、ドラルクのことを見ない。それどころか、緩慢に椅子から立ち上がり、じりり、後退しようとする。ジョンが心配して鳴いても喘鳴を繰り返すだけだ。コメディと言えども、さすがにドラルクは焦れた。
「こっちを、見ろ。若造。私の城に窒息死したゴリラを転がすつもりか」言っていてゾッとする。「警戒するな。私の目を見るだけでいい。ほら、こっちを見て」
じりじりと後退りしていった背中が、壁にくっついた。それでようやく観念したのか、それとも呼吸困難に耐えられなくなったのか、ロナルドはドラルクにそろりと視線をやった。視線には引力があった。引き寄せられるように、ドラルクは自分の唇を半開きの唇に合わせていた。
口を離す。
そんなつもりはなかったのに、息を止めていたらしい。ドラルクがそっと息を吐き、吸うと、肺に味噌汁の香りが広がった。紛れもない。それはロナルドの途切れ途切れの呼気だった。ハ、と面白くなって笑ってしまう。無理して食べるよりも、強烈に味が分かる。「美味しかった? 味噌汁。真っ先に口をつけていたものね。やっぱり寒かったんじゃないか」そうして頬に手を添え、見た目通りの血潮の熱さを感じて満足する。私の作ったものが、この男の体中を巡っている。この上なくいい気分だ。
ロナルドは真っ赤な顔をして口をぱくぱくさせていたが、やっと酸素を充分に吸えることに気づいたらしい、すぐにドラルクを殴って殺した。ヌー! ジョンが泣いてロナルドの腕から抜け出し、砂山となったドラルクの上に着地する。蹴散らすつもりだったのか、振り上げた足が行き場を失くして地団駄を踏んだ。
「おまえ
……
! この! バーカ!! バカ! 雑魚砂おじさん!!」
「何だ何だレパートリー少ない暴言で暴れるな、いっそ憐れがましいぞ五歳児!」
「ウルセー!!」
そのままドスドスと床を鳴らしてどこぞへ行こうとした足首を、ドラルクは再生した手で掴んだ。「おい待てロナ造、どこへ行く」
「飯!」ロナルドはキレ散らかしながら叫んだ。「途中だったから!! 食って寝る!!」
癇癪の仕方が健康的な子どものそれだ。しかしそんな子どもの声量にすら死んでしまうドラルクは、また手指の先まで砂にして、けれども気合で全身再生させるとロナルドの前に立ちはだかった。殴られないようにジョンを手渡し抱かせる。「馬鹿言えばか、おポンチの説明聞いてなかったのか? キス一回で一時間だぞ」
「な、なんだよ」
「また一時間後、この問答をせにゃならんのか? 寝るって何だ。まさか永眠のことじゃないだろうな?」
「な
……
なんで、なに、なんの話」
「何でって。だから。きみが安眠するための睡眠時間8時間と、私が目覚めるまでの8時間、合計16時間を保障してやるって話だ」
夏の日照時間は長い。今は深夜2時過ぎ。ドラルクが目覚めるのは翌晩の19時を過ぎるだろう、それまでのロナルドの呼吸を、確保しておかなければならない。ドラルクが眠っている間に陽の光が射す場所でロナルドが窒息死していたら、寝覚めが悪すぎる。何度も言うが。ドラルクにとって、ロナルドが死んでしまうのは非常につまらないことであったので。
ロナルドは絶望的な表情を浮かべた。
目の前で変化したその顔に、畏怖欲をくすぐられ、まあいい気分になりはしたが、なぜかちょっと面白くはなかった。誰でもない、このドラルク様が助けてやろうと言うのに、さっきからこの若造にはこれっぽっちも感謝も畏敬の念も見受けられない。泣いて喜ぶべきだろう。ひれ伏し首を垂れろ。
「寝ている間に過呼吸にはなりたくないだろ。朝だと私が死んじゃうし。今のうちに16時間分、人工呼吸した方がいい」
「な、
……
」ロナルドは呆然と言った。「なんで、おまえ、そんな、
……
」
「人命救助だ」ドラルクは毅然と言った。「私は退治人も助ける慈悲と畏怖に満ちた吸血鬼、ドラルク様だ。一介の退治人である自分がそんな素晴らしい吸血鬼と暮らせていることに心から感謝し、誇りたまえよ、暴力でしか物事を解決できない悲しきモンスターゴリル」ド、と蹴りを食らって塵になった。いつでも味方のはずのジョンはヌーと泣いてはくれたものの、なぜかロナルドの腕をヌシヌシと撫でていた。なんでだ。
それきり黙り込んでしまったロナルドを注意深く見つめながら、塵を集めて再生する。
再び彼の前に立ち上がると、温かな雪のような睫毛がふるりと震え、水気を湛えた。
「何をそんなに」ドラルクは心底不思議になって顔をしかめた。「躊躇っている? きみとて、不意に息ができなくなったら困るだろう。仕事にも支障をきたす」
「わ、分かってる。けどよ、その、あれだ、VRCからの報告を待つとか
……
」
「待っている間にまた窒息するかもしれんだろ。なら、やっぱり最低でも16時間分確保しておくべきだ」
「ほ、ほかの、じょ、ジョンとかキンデメさんに頼む。そうだ、だってべつに、相手は人型じゃなくてもいいかもしれねーだろ」
ヌェっ、ロナルドの腕の中で大人しく成り行きを見守っていたジョンが素っ頓狂な声をあげた。ドラルクがジョンを見ると、ジョンは慌ててずっと水槽で静かにしている吸血デメキンを見た。キンデメは言った。「ぐぶぶ。人間の体温も外の酸素も吾輩こそが死に至る」だから吾輩をこの件には金輪際巻き込むな、ハッキリ言われたロナルドはエーンと泣いてやはり縋る眼差しを腕のジョンに向けた。ジョンはまたヌエッと鳴き、狼狽えていたが、ロナルドが「そうだよな、俺なんかに率先して人工呼吸したくないよな
……
」などと本気で落ち込んで宣うとヌー!? と大声で鳴き、小さな頭を全力で左右に振った。ヌヌヌ! ちがう! 大事な使い魔が慌てふためいているのを(普段なら面白がることも少なくはないが)見兼ねたドラルクが口を挟んだ。「
……
合理的に考えたまえよ、ロナルドくん。たとえジョンの救命活動が有効だとしても、結果が分かるのは二時間後だ。きみはもう寝る時間だろ。それなら、やはり今回は私がまとめてこなして、明日の晩、ジョンで試してみたらいい」
享楽主義の吸血鬼が合理性を説くなんて全く馬鹿々々しかったが、それは本当に全くもって理に適っていた。そのことをさすがに理解しているらしいロナルドが、反論もできずにぐうと唸っている。
そしていつでもご主人の味方である使い魔ジョンが、その唸り声を落とされ、まるで大きな弟を相手するかの如く逞しい腕を叩いて言った。「ヌンヌヌヌヌヌヌ」ヌンもそう思う。ヌヌヌヌヌンヌ
……
、ロナルドくんが酸欠で死んじゃうのは嫌だよ、可愛がってやまない愛しのアルマジロにそうやって言われたロナルドが、とうとう、うぐっと呻いて唇を噛みしめた。ギリギリと歯軋りさえしている。唸り、天を仰いで、地団駄を踏み、やがて覚悟を決めた顔で「人工呼吸しろ、ドラ公」と言った。見事に青筋が立っている。
面白いな、と怒り顔の涙目を真正面から向けられたドラルクは思った。
基本的にロナルドが泣いたり怒ったり嫌がったりする様は見ていて楽しい。
自然と口角が上がる。空気に触れた牙が乾いてしまわないうちに「殺すなよ。きみは要救助者だ。大人しく、私に助けられていろ」と言った。それからロナルドが何かを言う前に厚い肩に両手を置き顔を近づける。ひゅ、とロナルドが息を呑む音がした。
噛みしめられた唇にそっと唇を押しつけ、離す。一回。
かち合ったままの視線をぶち切る風圧すら感じる力で、雪解けの睫毛がぎゅっと閉じられる、その様を観察しながら、口を押し当てる。二回。
ロナルドがまた踵を後ろに下げたので、背中に片手を回し、三回。
今度は顔を背けたため、もう片手で顎を掴んで、四回目。
固定したおかげでしやすくなったので、続けて五回、六回、七回
……
。
硬く結ばれていた唇が、ひ、と震えて引き攣れた声を出したため、一旦やめる。
「おい、」
ドラルクは愉快な気持ちで言った。
「息を止めるな、バカ造。人工呼吸だぞ」
ぷは、味噌汁のにおいのする唇が「だ、だってぇ」と泣き声を漏らし、酸素を求めて開いたり閉じたりした。「こ、こんな
……
ゆ、ゆっくりすんなよぉっ、もっと迅速にできねーのかっ」
「私にキツツキになれって?」
そんなムードのないこと。
ムード? ドラルクは眉をひそめる。人工呼吸に?
「
……
きみの口と衝突事故起こしたら、確実に死ぬ。お互い死なないようにしないとだろ、人命救助なんだから」
おまえ死ぬけど死なねーじゃん、尚も言い募ろうとする口を黙らせるために、八回。「ほら、半分まできたよ。頑張って」そう。ドラルクはすぐ死ぬけど、すぐ生き返る。だけれどもロナルドは、こんなに強いのに、死んでしまったらそれきりらしい。
そんなことになるくらいなら、この身の永遠を、分け与えられたらいいのに、九回目。
「ロナルドくん。息をして。普段どこで息してるんだ? 鼻のこと忘れたのかね?」
「んぅっ」
物理的な反撃を食らう前に、強めに唇を押しつける。九回。
九回。
九回。
「
……
っ、?」
ロナルドが訝しんで精神安定のためにジョンの腹毛をしきりに撫でさすっている。ジョンがドラルクをじっと見つめ上げている視線を感じる。唇を離さなければならない。
ドラルクはそんな簡単なことを、意識的にしなければならなかった。
一回分というのは、まあ確実に、口を合わせて離す、というのを1カウントとしているだろうからだ。時間にして僅か四秒ほどかけて、カウントは十になった。
離れた唇に安心し、ほ、と息を吐いたのが何だか気に食わなくて、十一回目を押しつけ離す。噛みしめていた唇が解かれたせいか、ちゅ、とかすかに湿った音が鳴った。びくっ、ロナルドの体が跳ねた。衣服越しでも背中が熱く、揶揄いの意味もこめて指先で背骨をなぞりながら十二回目をしかける。
「ぅひっ、ぅ」
くすぐったがりの五歳児が身を捩ったので、押しつけた口がすぐ離れてしまう。十三回目、十四回目。
……
十五回目。
「っ、ふ、ど、ドラ公っ、まて、」
「なに」
「い、いま、何回目。もう終わりだろ」
「そうか、今度足し算を教えてあげよう」ドラルクは言った。「十四回だよ。あと二回」
気づいたジョンが気遣わしげに小さくヌーと鳴いた。
彼は大体にして悪戯好きの主人を仕方がないと思っているし、楽しいことに加担もしてくれる賢く優秀な使い魔だったが、今回はあまり乗り気じゃないようだった。ロナルドのことを大きな弟のように思っており、ドラルクのことは世界でいちばんのご主人様だと思っている。そしてこの高等吸血鬼が数を間違えるはずがないことも知っている。
ドラルクは目配せで嫉妬かい、ジョン、と語りかけた。大丈夫だよ。あとでちゃんときみを、めいっぱい甘やかすよ。ロナルドくんにも甘えておあげ、彼泣いて喜ぶだろ
……
。ドラルクの視線を受けたジョンは、しかし、浮かない顔してヌーと鳴くだけだった。ロナルドの指に撫でられながら、その指を逆に撫でてやっている。おや、ドラルクは方眉をあげた。今回は本当に、どっちの味方なんだいジョン。
「ど、ドラルク?」
何のアクションも起こらなくなったのを不安がったロナルドが、硬く目を瞑ったまま、「し、しねーの? あと二回
……
」と言ったので「するよ」と言ってドラルクは唇を合わせた。十六回目。あと一回残されている。もう二回分くらいサバ読んどけば良かったな、ドラルクは思った。だってその方が、
……
面白いし。
「これで最後だよ」
そうしてドラルクは、十七回目。ロナルドに自分の口を合わせて、離した。顎を緩く掴んでいた手を滑らし、首筋をとんと指先で叩く。「酸素は美味いか? ロナルドくん。存分に味わいたまえよ」彼からそれを奪うのはあってはならないことだった。この男には息をして、その力強い肉体に血を巡らせてもらわなければドラルクは大層困ってしまう。ドラルクが得意の可愛い子ぶった目線でロナルドを見上げてやると、ロナルドは、開けた瞳に、めいっぱいの涙を溜めこんで口を開いた。
「恩着せがましいからころす」
殺された。
ジョンはやっぱり砂山には飛びついてこなかった。「飯食って寝よ! なージョン!」と暴れるゴリラに連れ去られたからにしては、ヌン♡ とやたら甘やかすような返事をしていたから、もしかしたら今回はやはり、ロナルドの味方なのかもしれない。なんでだ。私何にも悪いことしてないのに。腑に落ちない思いで食卓に戻ったロナルドを見ると、ご飯をかき込む表情はぶすくれていたが、その耳が真っ赤になっているのに気がつき、瞬く間に溜飲が下がった。だって、ほら。やっぱりあれ。ドラルクは腕だけ再生させて頬杖を──頭はまだ再生できてないが──ついて思った。私の作った食事で血の巡りを良くしているのは、何度見たって気分がいい。
そういうことだ。
そういうこと以外の確かに感じた引っ掛かりに関しては、まだちょっと、面白さを見出せないので放置することにした。何せドラルクは享楽主義の高等吸血鬼、目先に転がる面白いことだけを追い求めたい怠惰な探求者だ。今はロナルドに人工呼吸を施さなければ死んでしまうという一等大事な点にしか、目がいっていないのである。
時間が過ぎる。
一時間が経っても呼吸の乱れない同居退治人をきちんと観察して、そしてお互い、寝床に潜った。ジョンには棺桶ではなくジョン専用の寝床で寝てもらい、ドラルクより早く目覚めた場合にロナルドの様子を見るよう頼んだ。あとおよそ十五時間経たないと、ドラルクは目覚められない。あーあ、夏って嫌だな、棺桶の蓋裏を眺めながら溜め息を吐こうとして、けど夏だから、と溜め息を吐きそこなった。夏だから、夜明けが早くて日暮れの遅い夏だから、十六回もロナルドくんの口に触れることが許される。それならまあ、いいか。いいって、なにが
……
。
また引っ掛かりを覚える前に、ドラルクは目を閉じ眠った。十五時間の睡眠はわやわやした何かを吹き飛ばすには充分すぎるくらいだった。あっという間に夜が明ける。
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