百夜通い、ならず

pixiv再掲
kbnz馴れ初め編。
100日自分のところに通い続けることができたら、恋人になりましょう。というネさんに、キさんが頑張る話です。
日付がぽんぽん飛ぶので読みづらかったらすみません。映画「500日の○マー」みたいなのを意識して書きました。


 66日目

 あれからキバナは普段通りだった。必要以上にネズに近寄らない。前と変わらず雑談をして、変わらず笑って、変わらずにそこに居た。
 変わったのは自分だった。
「お、今日はシチュー?」
「当たりです、座って」
 夕飯をあえて遅れて作るようになった。家事をキバナのいる時間にするようになった。極力、何かしら動くようにした。
 そうすれば、隙ができないと思ったからだ。前みたいに、彼に簡単に触れられることもない。するりとかわして逃げて、でも、
(あと三十四日
 もうとっくに半分は切ってしまった二人の制限時間を、もがいて引き伸ばそうとしているのはネズの方だった。キバナはおそらく、自信がある。
「ネズ」
「何ですか」
……嫌なの、オレさまがいるの」
「どう、して」
……いや、いい」
 含むように笑って、キバナはそれきり食事に夢中になった。
 ネズはあの五十一日目から、ずっと動揺している。極端にうろたえている訳ではないし、側から見てもそんなのはわからない。わからないが、汗をかいたり、誤って物を落としたりする回数は増えた。
 カチャリ、カチャリと二人の食器とフォークの当たる音。ダイニングに広げた簡素な食事でも、キバナはうまいうまい、と平らげて満足そうにする。
 このゲームを始めたときは、昼か夜にフラリと現れて、帰っていくだけだったこの男。今や泊まる頻度が増えた。朝慌てて帰る日もあれば、一度出ていき、また戻る日もある。
(こんなの、まるで、ここに住んでるみたいじゃないか)
 いつからここはドラゴンの巣穴になったのだろう。キバナのポケモンもすっかり来ることに慣れて、ネズのポケモンと仲良くなった。じゃれ合う彼らを見ていると絆されそうになる。それもキバナの作戦なのかもしれない。
(おまえがいるのが嫌だ、なんて言える訳ないのに……卑怯者め)
 さっき言われた質問には、もう嫌だと言えない自分がいた。おまえが来ると用意が多くて困る、とは言った。だからバタバタとおれが動くんだ、とも。
 おまえに襲われないようにしているんだ、とか、おまえを意識しているから避けているんですよ、とか、キバナの喜びそうなことならいくらでも本当は言えるのに。

 ──けれど、その日を境に、キバナがしばらく夜のほんの一時しか来られなくなった。
 いつものように食事を用意してしまい、大量の飯を少しずつ消費する。一人で食べるテーブルでの時間を、目の前に座る大男を想像しながら気がつけば食べることが日課になった。
 野生のダイマックスポケモンが、ここのところ頻繁にナックルシティをうろついている。その報告はネズも受けていた。戦うであろうキバナは、トレーナーたちと日夜作戦を練り、どうにかそれを捕まえるか、出てこないように誘導するか、頭を捻っているらしい。
 使っていたスプーンを椀の中に置く。
 向かいに座る幻想のキバナは笑っていた。ネズの無駄な抵抗を楽しむように、家事をするネズを見守るように。
「もともと、いない、ものだったのに」
 ポロリと口をついて出た言葉は、溢れるように次々と湧いてくる。
「急に割り込んできて、おれの、生活に。毎日食いたい、なんて、嘘ばっかり。食えて、ないじゃねえか、あのたらしが」
 シンクに皿を置いたら、清潔なクロスでテーブルの一人分のスペースを拭く。
「信じらんねえ」
「何がだよ」
 ──ドアの向こうに、キバナが、また雨水を吸ってポタポタと床に染みを作っていた。
……ただいま」
 ニカッと笑う顔の、頬に大きな擦り傷。腕に打撲痕。彼のトレードマークのパーカーも汚れていた。
「ああ、大した怪我じゃないから」
 キバナがひらひら手を振ると、グローブも破れていた。
「どうしたんです、それ……っ」
「ここ来る途中、噂のダイマックスポケモンに会っちまって。すぐ巣穴に引っ込んだんだけど、バトル中にすごい攻撃受けてさ……
 話す内容は物騒なのに、目は輝いている。そのポケモンはよほどバトルをわくわくさせるやつなんだろう。もっとああいう攻撃をすれば良かった、こういう防御で凌げば良かったなどと、意気揚々と話し出す。
 ネズは歯噛みする。だんだん表情も暗くなる。キバナが話せば話すほど、苛立ちも、焦りも、悲しみも増す。
 それまでバトルの楽しさをこんこんと話し込んでいたキバナは、それに気づいて冷や汗をかいた。
「怒って……ます?」
……こんの……アホ!」
 どこから力が湧いたのか、キバナの胸倉を掴む。ギッと下から思い切り睨みつけられて、キバナは心底驚いた顔をしていた。
「その顔、風呂に沈めようか? 傷に塩塗ってやろうか?」
「ごめん、ごめんってネズッ」
「わかっとんなら、心配、かけんで……
 そこまで一気にまくし立てて、ネズはふと、手を離した。
 心配?
 その言葉が、深く自身の中に根を張っていく。
 おれが、妹以外の、誰かをしんぱい?
……ネズ」
「嫌いです、おまえなんて」
 はっきりした声で呟くと、ドスドスとわざと足音をたててキバナにタオルを放った。
「風呂入って、勝手に寝てください。ああそれとももう出ますか? 飯も、風呂も無しで出たっていいですもんね。バトルしたがりのキバナさまですから」
「おい、ネズ……
「おれの」
 忌々しい、と眉間にぎゅっとシワを寄せる。睨んでいるような、泣くのを堪えているような、そんな顔でキバナを振り返った。
「おれの、平穏だった毎日を、かえしてください」
 キバナは、唖然としたまま一歩も動かない。その呆けた顔を見るのも嫌で、ネズは寝室へゆっくり入っていった。
 本当なら仕上げなければならない曲も、考えたかったギターのリフもある。それらを集中して考えられるほど、もうネズには余裕が残っていなかった。
 パタンとドアを閉めて、薄灰色のシーツに潜り込む。木製の大きなベッドは少しだけ軋んだ。

 ……気づけば、少し眠ってしまっていた。ネズはぼんやり瞼を開ける。シャワーのコックを閉める音がした。あいつはまだいるのだろう。浴室のドアが開く音がした。またドライヤーもしないで動き回っているに違いない。
 キバナは、その大きな体のわりに猫のように静かに動く。それは育ちの違いだろう。バタバタと騒がしい連中とは違う、明らかに公式の場を多く踏んだ者の立ち振る舞いだ。
 だから、ガチャッとこの寝室のドアが開いた音には驚いた。
「なっ……
「悪ぃ、どうしても、その……謝りたくて」
 濡れた髪で、服もネズが用意していなかったから比較的無事であったズボンとパンツだけは履いたんだろう。上半身が裸のままの男は、バツが悪そうに立ちすくむ。
……どうして、おれにそんなに取り入りたい?)
 振り回しておいて、おれがいなくなれば縋ってきて。
 はあとため息をついたネズは、ベッドから降りた。
……座っててください。服、持ってきますから」
「いい、明日、朝すぐ帰るし」
 やることを失ったネズがベッドの端に腰掛けるのを待っていたかのように、キバナは目の前に跪く。
「ネズ、こっち見て」
 壊れ物を扱うように、顎に触れられた。キバナの大きくて男らしい手は、自分の顔を全て掴んでしまえそう。それなのに、両手で大事に頬を包まれて、ネズは彼を見ずにはいられなかった。
 やわらかい眼差しが、ネズを射抜く。
「ごめん。心配……かけて。あと、飯も食いに来れなくて」
……そんな風に謝られたら、拗ねたおれが大人気ないじゃねえですか」
「そんなことねえよ、オレさまが考え無しだった」
 鼻をこすり合わせて、キバナが伺いを立てる。額同士を合わせれば、温かい鼓動が聞こえてきた。
……キバナの、目は」
「うん?」
「きれいですね、何も、疑うことを知らない」
……お子様だって、言いてえの?」
 ツンと尖らせた唇が見えて、ネズはそこに親指を置く。
「素直に謝れてよろしい」
「褒められてる? バカにされてる?」
「どっちでも。好きなように捉えやがれ」
 キバナの唇をしばらく触れてもてあそんでいたけれど、そっと離してくるりと背を向けた。
「もう寝ます、キバナはソファで……
「やだ、一緒に寝る」
……いよいよお子様じゃねえですか」
 そうからかったけど、ネズは自分の体がやや引きつって硬くなった。
 ベッド、寝室、二人きりで、向こうは自分を何の因果か気になっていると言っていて。そしてネズも、キバナのせいで一喜一憂するここ一ヶ月以上を、存外に無視できなくなっていて。
「何も、しねえから」
 そんな言葉ほど、危ういバランスのものはない。
 ──しかしキバナは、正しくそれを守った。抱きしめられはしたけれど、それだけ。背面からネズの髪に顔を埋めて、手で肩を抱く。
 静かな寝息、安堵した目元。もぞりと体を動かしてみても、安心しきって彼は指一つ動かさない。
(疲れたんでしょうね……
 毎日毎日、降っても晴れてもここに足繁く通って、ここ数日でかなり疲労は溜まるはずだ。それなのにネズは、己のわがままを甘えをぶつけてしまう。
 ひとえに、この男がどこまでも懐が深いから。
(本当に、そうなのだとしたら)
 ……ネズは、残りの数日を、どう過ごすかを決めた。
 それは八十日目の、真夜中のことだった。