百夜通い、ならず

pixiv再掲
kbnz馴れ初め編。
100日自分のところに通い続けることができたら、恋人になりましょう。というネさんに、キさんが頑張る話です。
日付がぽんぽん飛ぶので読みづらかったらすみません。映画「500日の○マー」みたいなのを意識して書きました。



25日目

「なあ」と雑誌を読んでいたキバナがこちらを向いた。自室のソファでうとうとしかけていたネズは、ぼんやりと眼を起こす。
「あ、寝てた?」
「いえ……寝かけて、いました。どうしました?」
「これ」
 バサリと音をたてて記事を広げるキバナは、バンダナを外して髪を下ろしている。ようやくうちでリラックスできるようになったのか、とほくそ笑むネズの心など知らず、熱心に目を向けている内容を見てやることにした。
「これ、お前載ってんじゃん」
「おや、そうでしたか」
「え、これ見たからここ置いてんじゃねえの?」
「マリィが置いてったんですよ、何かあるとは言ってたけど……これのことだったんですね」
「無関心だなあ……
 ネズは褐色の肌を持つ彼の横顔を眺めながら、彼が初めてここに足を踏み入れた時を思い出す。
 あれは、見ものだった。数多く女や果ては男とも関係を持ったかもしれない、そんな浮名を流しまくるキバナが、なぜかこの根城へ入る時の緊張感はひしひしとネズにも伝わるもので。
 取って食うわけじゃないのに、これではこっちも休まらない。そう進言すると、素直に肩の力を抜いて白いラグの上に大きな足を置いた。
 濃い茶色の革張りのソファに腰掛けて、あたりを見渡す仕草は子供っぽい。そういうギャップが男女をとりこにするのかな、とネズは思う。テーブルに用意していた茶を置いて、少しでもリラックスさせるよう努めた。
「緊張してますか」
「当たり前だ」
「こんなシチュエーションよくあるだろうに」
「ネズだから違うんだ」
 ネズは立ったまま動けなかったし、キバナも座ってはいたが茶に手をつけない。
「ネズこそ、緊張してるじゃん」
 そう言い放たれて、言葉に詰まって返さなかったのは、図星だったから。
……何、笑ってンの?」
「いえ、随分、お互いリラックスできるようになったもんだ、と」
 こうやって笑う回数が増えたのも、キバナが来てからだ。
「三日で飽きると思いましたが、頑張りますねおまえも」
「俺が何年、無冠の王者だったと思ってんだよ」
「そうだった」
「このやろうっ」
「あはは」
 くすぐられるように体を抱きこまれて、ネズは声を上げてまた笑った。
 はは、は、と息を吐けば、真剣な顔のキバナがいる。
「最近、お前、よく笑うなあ」
(そんな目で、見られたら)
 ただの温厚な、暖炉の前で寝そべっているような犬だと思っていた。でも今の彼の目には、いつネズを取り込むか取り込まないか、ほの暗い色を持っている。
 自分も彼同様ほどいていた髪を、大きな手に額から後ろに撫でられて、それがあんまり愛おしそうにするものだから、ネズは手首を掴んで止めさせた。
「そういうのは」
「恋人にやれって言うんだろ?」
 手を止められてふてくされた彼は、そっと体からどいた。重いと感じていたはずのその熱い体がなくなって、ネズは寒さで震える。
「キバナ」
 もう一度、抱きしめてほしい、と言ったら。
……そこの毛布、取ってください」
「ん? ほらよ」
 全ては、少し肌寒いこの部屋のせいだ。そう言い聞かせて、肌に薄い布を巻く。

 ◇

45日目

 パタパタと音がして、ドアが開いた。
「ノックくらいしやが……、おや、マリィ」
「アニキ、教えてほしいことあるけん」
 ここ数日、久しく顔を見ていなかった妹が軽い足取りで近づく。
「ここの予算ってさ……
 ぺらりとした薄い用紙を見て、ああこんなことを妹がやるようになったのか、と感慨深くネズは思う。
 卓上には作曲のための譜面がずらりと並び、自分の書く詞が、音が、それぞれの紙を埋める。対してマリィの持ってきたその紙は、表でまとめられた簡潔で的確な数値の羅列。
 感覚と感情だけ、ではもう動けない、大人の世界にマリィは入っていこうとしている。
「妹よ」
 あらかた説明を終えてネズは、ぽん、と黒髪の少女の頭を撫でた。
「辛いときはないですか」
 半ば押しつけるように、妹に託してしまったかもしれない、ジムリーダーという役柄。兄のわがままを受け止めて精一杯、今のチャンピオンやビートたちと切磋琢磨する彼女の姿は、昔の自分のようで。
「ないよ、大丈夫。アニキは?」
 ケロリと返ってくる答えは、この子の強さを物語る。
……おれは」
「まあアニキは大丈夫か。キバナさんが来てくれとーけん。友達になったと?」
 剣呑な目つきになってしまい、思わずマリィに当たった。
「そうやなか……あんなの、ただの馴れ合いです」
「でも、アニキ、最近」
「いいから。もう行きなさい」
 それきり、妹の方には向かないで、机の上に視線を落とした。音符の一つ一つをなぞって書き進めるペンの音は、マリィにひどく硬質な気持ちを与えてイライラさせた。
……意地っ張り」
 捨てるように単語を述べて、少女は部屋を出て行ってしまった。
 ──ネズの右手横には、一枚のぐしゃぐしゃに丸めた紙がある。マリィの機嫌を損ねた、と落ち込むが、それ以上に頭を悩ませていたのはこの用紙だった、だから彼女にもあまり良い反応はできなかった。言い訳するならすべてこの紙のせい。
 ネズはもう一度、恐る恐るそれを開く。それはたしかに自分の文字で、昨晩酒に酔った勢いで書き連ねた歌詞である。
「友達、なんやけん……
 ひっそりと呟く彼の声は、彼にしか聞こえず、暖かい室内に反響さえしなかった。

 ◇

そうして50日目

 ひどい嵐の中でキバナはネズの家に着き、泥や雨水を吸ったその服を剥ぎ取られ、怒られながら風呂へ放り込まれた。
「まったく! おまえは!」
 イライラしながらもバスタオルや替えの服(と言ってもネズの服は入らないからエール団の誰かに借りた)を置いてくれて、浴室のドアを閉める後ろ姿を見送ったキバナは、肩をすくめた。タクシーを使わずポケモンに飛び乗って来てしまって、びしょ濡れのフライゴンには悪いことをした。そのポケモンも、今はネズによって暖かい寝床で休ませてもらっている。
 キバナはもともと次男、上に甘えるのはある程度心得ている。ネズについ甘えてしまうのは、世話焼きの兄貴肌だからか、それとも自分の恋心故か。
 置かれたボディソープで体を洗っているうちに、香りが彼を思い出させる。
 疼く下半身が、嫌が応にも自覚する。これは恋心故である、と。
「だめだ、だめだ、だめだ……
 ぶつぶつ言いながら、脳内をなるべく平常に保つ。シャワーでさっさとその香りを洗い流して、出てしまえばいい。
 勢いよく浴室を開ければ、湯気の立つ自分の前にはネズがいた。洗い終えた洗濯物を引っ張り出して、ランドリースペースに干している。大きめのトレーナー、細身のレギンス、細くて長い髪がやわらかそうだ。
 テキパキとキバナの洋服を干していく動作を見ながら、思いついたままを発言する。
「奥さんみてぇ」
「タチフサグマを出されてもいいなら、何遍でも言いやがれ」
 ドライヤーで乾かし、適当に髪をくくって、役目を終えた洗濯機を通り過ぎてリビングへ戻る。雨の中の飛行はそれなりに体力を消耗していたらしい、キバナはソファへ体が沈んでいくような感覚に襲われた。
「結局夜になっちまった」
「おまえがのろのろ出てくるから。フライゴン、羽は乾きましたか」
 一声鳴いたポケモンは、羽を持ち上げてネズに見せる。
「ずるい、ポケモンばっかり。オレさまも」
「ワンパチぶるな。ああまだ髪、乾かし切れてねえ」
 いつもの丁寧な口調が荒くなる。ここ数日、荒んだネズを見て「生理?」と聞いたらぶっ叩かれたほろ苦い経験のあるキバナは、大人しくタオルでがしがしと頭を拭かれている。
「なあ、ネズ、調子良くねえの?」
……別に」
……いつもなら、優しいのに」
「優しいだけの人間が好きなのなら、他をどうぞ」
 ネズの顔が、タオルに隠れてよく見えない。どんな表情でそんな言葉を言ったのか。キバナは、彼の右手首を荒く掴んだ。
 折れてしまいそうだ。そんな細さであっても、抵抗する力は強い。
……意地悪ぃぞ」
「何とでも。あくポケモンの統括ですからね」
 拗ねる彼に、腹の中で笑いが止まらない。こうやって下手に出る自分を翻弄して、ネズは調子に乗っている。
「じゃあ、オレさまが優しくなかったら?」
 百日という約束を止めて、もう今ここで襲ってしまおうか。その頬も、首も、胸も舐め切って溶かし尽くして、自分無しじゃ生きられないように。
 もっともっと奥深くを暴いて、グズグズにして、何ならこの部屋から出られないようにしてもいい。
 暗い昏い感情がのし上がる自分に吐き気がした。こんなのはオレさまじゃない、そう心に呟いているキバナと、嘲笑うようにそれを見るキバナがいる。
 だが。
……おまえが、優しゅうしてくれんのは、困る」
……は?」
「おれが甘えていられんくなる」
 キバナは、くらくらと目眩がした。伏し目がちに吐き出すネズの声はひどく弱々しくて、髪の束が顔の横に流れていった時に見えた耳の先はほんのり色づいていて。
……何だよ、甘えてんのか? この、イライラしてんのが?)
 いつの間にか、ネズがこっちを見ている。それもそうだ、キバナの口の端はむず痒さと甘酸っぱさで歪んでいる。
……ネズ、キスしていい?」
……ッ!」
「ね、たまには甘やかしてくれよ、オレのことも」
 こんなに余裕なく、切羽詰まってキスをねだったことなんて、今までの人生であっただろうか。乞うように縋って、許しを得るように怯えて。
 でもネズは、やはり与えてはくれなかった。
……もう夜も遅い、ソファ広げてやる。ここで寝ろ」
 ポケモン用の広い寝床で、フライゴンが丸くなって眠っていた。体力は減らずとも、疲労は溜まっていたらしい。寝息が無防備で、穏やかだ。
「冷蔵庫に……水もあるから、適当にしやがってください」
 赤い耳のまま、ネズはふらりと立ち上がって、一切キバナとは目を合わせなかった。二人で黙ったままソファの金具を外してベッドの形に広げ、「おやすみなさい」と告げて寝室へ引っ込んでしまう。
(動揺、させちまった)
 キバナは額に手を当てて、ううん、と唸った。
 あの細くて白くて、しなやかな体が腕を逃れたとき、抱きたいと本気で思った。抱き込んで、自分だけの物にしたいと。
 その剥き出しの牙を隠し持っていることがバレて、これから進もうとしている道はそういうことなのだ、と互いに意識せずにはいられない。
(それにしても……あいつ、何であんな機嫌悪いんだ?)
 言われた通り、冷蔵庫から水を頂戴しようと戸を開く。ボトルに口をつけて飲んでいたら、ネズの作業机の横に、捨て損ねたのであろう丸まった紙が、ゴミ箱の横に落ちていた。大股で、だが静かに歩いて、机に近寄る。
 びっしりと譜面が並ぶその机の上に、次の新曲と歌詞も無造作に置いてある。細かい記号のような無数の表記に感嘆しながら、歌詞は半分も埋まっていない事実が妙にちぐはぐな気がした。
(歌詞浮かばなくて、イライラしてんのか?)
 ゴミ箱には他にも破かれた紙が多々ある。どれもネズの筆跡で、歌詞のようなフレーズが書かれていた。
 ただ、丸められたのは一枚だけ。キバナはそれを拾って、音を立てないように広げる。
……これ」
 ハッとして慌てて口を閉じた。危うく漏れそうになった声を塞ぐ。寝室からは幸い気づかれなかったか、音はしない。
(これか、不機嫌なの……
 キバナはまた、口元が歪むのを止められない。
 ニヤニヤしながら紙を持つ主を、フライゴンは首をもたげて一度だけ不思議そうに見つめる。けれどまた、興味を失ったように寝床に収まった。

 ◇

51日目

 起きれば、キバナはもういなかった。フライゴンのいた寝床も、やや冷たくなっている。乱暴な筆跡で、書き置きがあった。
 その紙は、ぐしゃぐしゃにして捨てたはずの。
……あいつっ……!」
 カッと顔を赤らめて、ネズはキバナの言伝を見る。
『ナックルシティの近くで騒ぎがあったらしいから、もう出る。あと、歌詞はこれにしてくれたらオレさまは嬉しい。新曲、楽しみにしてる』
「嫌ですよ、こんな歌詞……
 昨晩の、近づいたキバナの顔を思い出す。
 これから毎日、あんな獰猛を隠した奴が来るのか。おれの身は持つのか。ネズの体は震えた。
 それがおそらく、少しばかりの喜びだということを、このときのネズは知らない。