治北短編2

pixiv再掲
短編集二つ目です、二人とも稲荷崎卒業後、治の開業まもなく



#3一番わるい純粋

 うっすらとまぶたを開けたらまつげがおぼろげに見えて、じゃまやなあと思う。引っこぬいたろか、と自分のまつげなのに乱暴な思考で思う。それは多分、ラフなTシャツ姿の男が己の濡れたそれらのせいでよく見えないから。
 北は、もっと近くで彼を見たくて体を起こそうとした。目の前の男が、「あ」と声を出す。
「まだ起きんでください、辛いと思うんで」
 慌てた様子で片手にタオルを持っている男は、若干顔を青ざめさせた。お前がこうしたくせにと罵ろうとも思ったが、北は開きかけた口を半端に残して枕に再び頭を沈める。背中まで起こしかけた時に、体の節々が痛んだからだ。ぐ、とか、う、とか言いながら、北は最後に長い長い息を吐いた。男がうなだれつつも北の手を掴む。
 温かい体温が指を巡った。するりと撫でるのは謝罪をしたいからとわかっている。でも北は許さなかった。
「治」
 はい、と男は返事をした。頼りなさそうに太い眉を下げて、恐る恐る北を見つめる。視線がようやくかち合った時、治と呼ばれた青年はまたしても顔を青くする。
 北は、仰向けのまま動かない。首だけを治に向け、大きな目で睨んでいる。
「言うたで、俺は」
「はい」
「今日はそこまでしたらあかんて」
……はい」
「それなのに、何や、お前。あんなん」
……う」
「何で、やったん」
口籠り、しばらく黙ってしまう治に北はただ淡々と告げた。睨みはしているが、治が自分の言うことを破ってまで行動に出た理由が知りたいのだ。
 今日の治は、ひどかった。
 してもいいがそこまで激しいのはやめてくれ、と言う北の言葉を一度は頷いたのに、最中に掠れ始めた自分の声を耳で感じ、おかしいと思った。普段なら止める限界を割り開かれ、約束が違う、と言う前に塞がれた唇が酸素を吸えずに下半身の熱をさらに歪めて止まらなくした。
 そして意識を手放し、気がつけばこの有様だ。
 ムスッとしたままの北は、このままだと顔ごとこの形に歪みそうだとそろそろ感じていた。そうしたら、
「怒らんと、聞いてくれます?」
 と、何とも気弱なことを言われる。
「いや怒る」
「そんなぁ……
「早よ言え。長引けば長引くほど、もっと怒んで」
 北は表面では膨れ面でいるが、だんだんしおれていく治のことが面白く見えてきてたまらない。内心笑ってしまう。
 こんな大の男が、背中を丸めて自分に精一杯何かを伝えようとして、ちょっとだけ可笑しい。
 いよいよ口の端がもたなくなり、笑いが含まれ始めた時、治はやっと口を開いた。
「欲張りやから、もっともっとって、強請ってしまうんです」
 ……北は、笑うはずだった口を、今度はくすぐったさと、恥ずかしさできゅっと噛みしめなくてはならなかった。
 本当は、こんな仕様もない争いはしたくない。恋人同士、ハメを外すこともある。言いつけを守らないから叱る、だなんて犬のように治を扱うつもりはさらさら無い。だから仕方ないので丸ごと許してやるつもりだった。次からは気をつけろ、それぐらいで済ませて終わりにしてやろうと。なのに。
 だんだん赤らむ北を、次第に治ははっきり捉えるようになる。きらりとしているが控えめな目の輝きは、捨て犬のように怒られるのを覚悟してしょぼくれていたとしても。
……そんながっついたら、俺が無くなってしまうわ」
「それは……困ります、けど……どうしても、なあ」
 含み笑いはついにできなくて、まごついた。かりかり頭を掻く治の素直な仕草に、とうとう北は布団を被る。
……北さん?」
 守られている外側の鎧は布団一枚。ひ弱な武装で、この男に太刀打ちできない。
 案の定、治が今度はむず痒そうに、ふと息を漏らした。
 ああまずい、形勢逆転や。こんなつもりやなかったのに。
「北さん……もしかして」
「うるさい」
 全身を覆った布団の厚みは、治の声を聞き取りづらくさせた。でも、何を言いたいかは手に取るようにわかる。「まだ怒っとる?」とか「それとも……照れとる?」とか、大方そんなところ。
 布擦れの音が聞こえて、もうすぐ治がこの鎧をはぐだろう。
 どんな面して迎えればいいのか、北はわからぬまま両手で顔を覆った。時折痛む腰や腕が、ついさっきまでのみだれた行為を思い出し、ますます手に伝わる頬の熱さ。
 その内に、いよいよ治が「顔見せて」と言ってきた。甘えるような猫撫で声に腹が立つ。北は布団の中で、まるで彼に抱かれているように身を丸くする。
 無駄な抵抗も、あと数分である。