夢のような、これから

pixivから再掲
治と北さんの馴れ初めのお話。高校時代から大人になるまで、忙しい青春を駆け抜けた二人が惹かれあい、大人になってようやく気持ちを確かめ合う話です。
北→侑と治が思い込んでいる描写や、侑に彼女がいる設定、大耳さんの元カノの話が出てきますので、苦手な方はご注意ください。
当初の設定では大耳さんに恋愛指南を受けている北さんって話にしたかったんですけど、その設定はたち消えて、カケラだけ残ってます。




 OB会当日の朝、初めて「おはよう」を返さなかった。自分の手の中で光るスマホの画面が、今ではもうアラーム代わりとなって通知音を立てている。
『渡すもん決まったから、今日会えんの楽しみにしとる』
 だっておはよう、の代わりにこんな文章だったから。
 俺はなんて言ったらいいのかわからなくて、ぐるぐると頭を揺らしていた。
(渡すもん、ってなんやろ)
 もらえるもんはなんでももらう、そう言ったのは自分だ。受け取るものはなんであろうと、約束したからには受け取りたい。なんでもいい、北さんからもらえるなにか。
 俺はのろのろと立ち上がって、着崩したスウェットを上半身だけ脱ぐと、カーテンを開ける。ここ数日窓を開けないでいたから、換気をしたい。空気を入れ替えれば、気持ちも上がるかも。
 腕に力を入れて窓ガラスを開けると、ほこりっぽい部屋の空気がいっせいに外へ飛び出した。
(走りにいこかな)
 近頃は開店準備に追われていて、ろくに体を鍛える時間がなかった。今日はOB会までの間も、珍しく用事は少なめ。靴箱に置いてあるランニングシューズのことを思い出すと、使ってやらねば、という気持ちになる。かれこれ数ヶ月は放置したままだから。
 昨日のうちにセットしたおいた炊飯器が、ピーッと音をあげる。そのまま保温モードになってくれるはずだ。五合炊きの炊飯器からたちのぼる湯気を見つめながら、ふっくらと香る米の匂いに我慢して、ランニング用のウェアに着替える。
 扉を開けた瞬間、風が舞って外の空気が鼻孔をくすぐる。走るにはちょうどいい気温と冬の曇り空。そういえば昔、こんな天気の日にうっすらと雪が積もったことがあって、珍しさに侑とはしゃいでオカンにこってり叱られた。
 今日の気温はどうだろう、とポケットに入れたスマホを見ると、雲のマークが続いていた。OB会をやる夜には星のマークがついていたから、空に雲がなくなる代わりに、少し冷えるのだろう。
 シューズの紐をもう一度確認して、俺は走り出した。周回するルートは特に決めていない。ただ今日は気合が入って、いつもより多く走り込んでしまいそうだな、という予感だけはした。

 ◇

 でかでかと、花。
 俺はびっくりして上を見る。座敷の入り口に、壁に、飾りつけ用の花がびっしり並んでいる。みんなの集まりやすい地元の居酒屋で、「いちばん奥の座敷を貸し切っとるから」と大耳さんが教えてくれたから、入ってみれば。
「治、開店おめでとお!」
 勢いをつけた銀が、高校のころと変わらない爽やかな笑顔で肩を組んできた。
「おお、ありがとう。すごいな、これ」
「やろ? 飾りつけ頑張った!」
「銀が?」
「おん、あと赤木さんと、アランくんと」
 得意そうに胸を張る二人を見つけて、ぺこりと会釈した。その横に、北さんを見つける。俺は続けて北さんにも会釈すると、少しだけニコリと笑って手を振ってくれた。
 OB会なんていうから、てっきりもっと上の学年の人らもいるのかと思ってみれば、いるのは結局いつものメンバーで拍子抜けする。きっと前々から、俺へのお祝いだと計画されていたんだろう。服装に気を使ってきたけど、いっそジャージでも良かったんじゃ、というくらい気楽なメンバーの中に座った。でもいち早く、北さんは俺の格好に気づいて目を丸くしている。
 目の前に移動して、いそいそと俺は言った。
「あんときの、服、見つけたんで」
 買ってみました。と末尾まで言うが気恥ずかしくなって、ごまかすように後ろ頭をかいた。
 あの日、あのじっとりとした初夏。二人で出かけた本屋で見つけた雑誌を、俺は今も持っている。ときどき本棚の隅から引っ張り出して、この服を買った店の名前まで覚えた。「ここ何年も定番の形で人気なんですよ」と店員に言われたときは、「知ってます」と思わず言いそうになった。
 北さんはおかしそうに笑って、
「似合うで」
 ときれいに笑った。
 それだけで俺は、今でもこの人のこと好きやなあ、と思った。

 鍋の中身は食べ尽くし、残ったつまみを口に入れながら、角で寝ている連中に目をやる。
「みんな相当飲んでましたね」
「そうやな、久しぶりやったから」
 練習があって不参加だった侑を抜いて、他のメンバーは机に突っ伏してくだを巻くか、座敷の角で重なって眠っている。座卓のいちばん端に酒の入ったグラスを移動して、北さんと俺は向かい合って飲んでいた。無くなった氷を店員に催促して、俺は冷たい水割りを作る。
……なんの話、やったっけ」
「ヘルパーの話ですよ。休み取るとき大変やったって」
 ああそうか、と北さんは、赤い顔でうなずいた。そしてまた、静かに話し出す。
 耳に心地よい声で、北さんがこれまで経験したことを話してくれている。農作業中のちょっとしたハプニング、ご両親との意見の食い違い、相変わらずなおばあちゃんのこと、実った稲穂の景色。俺は一つひとつに相槌を打って、ときどき意見を交わす。
「治はしばらくは一人で店やるん?」
「そうですね……軌道に乗ればアルバイト二人ぐらい雇いたいですけど、一年様子見てからでも遅くないかなと」
「あの立地なら忙しい時間帯決まってそうやし、人が欲しい時間が明確で、すぐ募集できそうやな」
 北さんは、裏口から米を納品する。軽トラで、勝手口開けて自由に出入りしていいんで、と伝えた。軽トラを停める場所もすでに調べ済みで、格式ばった文面でお伺いをたてたのに、当の本人からの返事は「ええよ」だけだった。本当は直接会って頼んだり、お礼を言ったりしたかったけど、契約書さえきちんと交わせば、「あとは治のやりたいようにやったらええ」で終わってしまった。
 北さんらしい、といつも思う。
 だから結局今日まで、俺と北さんは会うことがなかった。通話をしたとしても、業務的な内容がほとんどだった。でもそれで良かった。俺は店を開けたらきっとプライベートのことには集中できないだろうし、北さんも本格的に米農家として駆け出し始めた今、邪魔をするのはいけないと感じたからだ。
 寂しい、とは思わない。業務をこなせばこなすほど、どうしてか北さんを身近に感じた。働いて、考えて、悩んで、もがけばもがくほど、「あの人もきっとこうして悩んでいる」と不思議と感じられる。
「そうや、お祝い」
 がさごそと自分の荷物の中に手を入れた北さんが、しばらく無言でなにかを探している。渡すもん決まった、と言っていたが、この人の選択はいつも間違いがないから、ついわくわくして待ってしまう。
 鞄から取り出したのは、包装紙に丁寧につつまれたカードケースだった。
「これからきっと、いろんな人と関わるやろ。名刺入れやったり、相手からもらったもんやったりで意外とすぐ溢れる」
 普通なら表側に着飾るようにあるブランド名がない。中綿を取り出してみたら、内側にひっそりと書かれていて、あまり見覚えのない名前だった。まえに教えてくれた、雑誌の中でそれとなく見たことがあるような気がする。だからきっと、これもこの人が吟味して選んでくれたものなんだろう。
「今はアプリで管理できたりもするらしいんやけど……データが飛んだら一発でアウトやから、紙でくれたもんも保管しといた方がええやろ」
 ということは。たぶん目の前のこの人は、あまりデジタルで管理はしていないんだろう。頭のいい北さんだから、一度名刺をもらったら顔と名前をしっかり覚えるのかもしれない。
「ありがとうございます」
「おん」
 口端だけでかすかに笑って、手元の酒をかたむける。俺もそれに ならった。

「そろそろ時間か、ここも片付けな」
 北さんがうすい色素の目を時計に向けた。短針が十一を指しているのがガラスのような瞳に映る。その声に別のテーブルで飲んでいた大耳さんと角名がこっちを向いた。二人とも飲んでいる顔つきだけど、足つきはしっかりしていた。潰れているアランくんと銀、赤木さんをゆさぶりながら起こしている。
(もう終わりなんか)
 俺はぼんやりと一人で座りながら、鞄やら上着やらを持って、それぞれ立ち上がる知り合いたちを眺める。
(財布、出さな。支払いいくらやろ。ツムに、今日の写真送れ、って言われてたな)
 酒で酔った頭が、いろいろな思考を巡らせる。社会人として、一般常識のある人間として動かなければ、と体に建前上の命令を下そうとするが、どうにも腰が重い。飲みすぎたな、と自嘲した。
 でも北さんが近くに来て、
「立てるか? 治」
 とそっと手を差し出されたとき、バレーをしていたころよりも骨張ってがっしりした厚みを持っていたことに、驚いた。
 その厚みに、今まで会ってなかった期間が詰まっていると思うと。
……治?」
 差し出された手を強く握って、数年で違いを見せた北さんの手をたしかめる。二人で出かけて飯を食った日に握った手とは、形は変われど温度は変わらなかった。
「俺ん家、きません?」
 手を離したくないとどうしても力がこもる。北さんは相変わらず、冷静な表情で俺を見下ろしていた。次の言葉を待っている。
「まだ、話してたくて。その、店の話とか、北さんのこれからとか」
 言い訳はいくつも浮かんだが、それらをうまく並べてペラペラと口先で生きられるほど、俺は器用じゃない。それをわかっている北さんはほほえんで、口を開く。
「ほな、コンビニ寄ろうか。酒買っていくやろ?」
「行きます。あ、俺払います」
 まだコンビニにすらついていないのに、もう気持ちは先走ってしゃべっていた。北さんがそれを見てまた笑って、俺はさっきまであんなに重かった腰をうそのように簡単に持ち上げた。

 ◇

(北さんとたしか、コンビニ寄って、俺ん家の玄関入って、飲み直して、しゃべっとったはずや)
 転がった空き瓶から酒の匂いが漏れているが、あまり気にならない。ワンルームの見慣れた俺の部屋で、無造作にかけられた北さんのコートと俺のジャケットが、暖房の風で揺れている。
 うすい暗闇で、吐息のもれる音がする。は、は、と息をかけあって、どっちがどっちの呼吸かわからないほど近かった。布団の上で真っ白い肩が震えていて、尻にかけてなだらかな背骨のラインがくっきり見える。暗いはずなのに。
 俺が何回も背中にキスをすると、舌を垂らした北さんがくすぐったそうに身をよじる。俺は気を良くして目を細めると、くるりとこっちを向いた北さんが、仰向けになった。
「おさむ」
 と言いながら首に手を回される。
 慣れない姿勢に痛みとつらさを感じながら、赤らんだ顔にそれを隠して懸命に息を吐く北さんは、夢か現実かわからないほど朧に見えた。けれど、両手にはっきり感じている皮膚の触感が、夢じゃないと俺に教えている。
「北、さん」
 奥歯を噛み締めた。明日になったらたぶんこの人は横にいない。仕事だってあるし、俺もまだまだやるべきことがたくさんある。
 相手の体に俺の汗が落ちる。それを拭い取ってやれるほどの余裕はなかった。
 北さんのコートのポケットで、スマホの明かりが見えている。だれからやろう、と俺は理不尽すぎる嫉妬で震えた。別にただの家族からの連絡かもしれないのに、こんな真夜中に連絡を取るような人が北さんにもういるんだ、と思うと歯痒くて、
「好きです」
 といつかと同じカラカラの喉でつぶやいた。
 明日の朝にはいなくなってしまうだろう体をかき抱いて、もう一度、
「好きなんです」
 と一言だけ。
(最低や)
 心では、己を罵り続けている。酒の勢いで、互いの体を知ったあとの告白。情けなくてみっともない。
(この人には、ずっと好きなやつがおんのに)
 現実から逃れたい俺の頬に、北さんはそっと手を添えた。苦しそうな顔をしている。
(ああ今から俺、拒絶されるんやろうな)
 コートの中にあるスマホのライトがピカピカ光って、さも「その通り!」と言っているような気がした。拒絶を耳を塞ぎたくても、両手はこの人の腰を支えることに手一杯だった。仕方なく、目を閉じる。北さんはいまだに、俺の頬と目尻をやさしく撫であげる。
 その温度と手触りが気持ち良くて、俺はまた最低なことに、告白をしたまま答えを聞かず、とうとう北さんの上に倒れ込んだ。