夢のような、これから

pixivから再掲
治と北さんの馴れ初めのお話。高校時代から大人になるまで、忙しい青春を駆け抜けた二人が惹かれあい、大人になってようやく気持ちを確かめ合う話です。
北→侑と治が思い込んでいる描写や、侑に彼女がいる設定、大耳さんの元カノの話が出てきますので、苦手な方はご注意ください。
当初の設定では大耳さんに恋愛指南を受けている北さんって話にしたかったんですけど、その設定はたち消えて、カケラだけ残ってます。


2

 北さんに呼び出された俺は、まえよりは少し気が楽になりながら歩いていた。以前だったらもっと「なんで呼び出しなんやろ……」とか「侑またなんかやらかしたんやろか……」って考えながら歩いていたけど。
 でもこうやっていくらか気分が上々で行けるのも、昼間のチョコレート効果のおかげか。
(鼻炎の免疫向上もあったけど、北さん免疫もついたんちゃうか)
 そんなふざけたことを思っていたら、三年の教室が見えてくる。途中で大耳さんたちがいたから、部活生特有の通りすがりの挨拶。
「どったん」
「北さんに呼ばれて」
「何か悪いことしよったな?」
「ちゃいますぅ」
 冗談を言いながら通り過ぎていく先輩らは、制服のままホームルーム終わりのごちゃついた廊下をするする通り抜ける。俺は周りの人が少なくなってから動こうと、ゆっくり前へ進んだ。

(おった、北さんや)
 丸い頭の銀髪が見える。俺はいくらか駆け足になった。
 北さん。声をかけようと踏み出した左足が大きく見える。靴紐は古くなっていて、ちょっとくたびれた自分の上履き。北さんの教室へ一歩寄ろうとしたその足は、人影を二つ確かめて思いとどまる。
 おさむ、と俺のすがたを視線だけで確認した北さんは、申し訳なさそうに手を胸元くらいまで上げて、俺を制した。
 誰もいない教室に二人、北さんと女の子。あえて人がいないように仕向けてあるだろうこの教室の中に、俺は言うなればただの不法侵入者だった。女の子の友達っぽい子が何人か、俺のことをじろじろ見て「邪魔や」と言いたげだった。
(鬱陶しいわ。俺の方が、先に予定あったんやぞ)
 むくれる気持ちを堪えて、先方が終わるまで待つ。
 北さんは目の前の女の子に先を促した。たどたどしく喋るその子は背が低くて華奢な印象で、手も震えて頬も赤い。一生懸命ってこういうんやろうなあ、過去に自分に告白してきた女の子らのことを思い返す。
(あのときは俺、なんて言うたんやろ。なんて言って、断っとったか)
 そんなことすら忘れてしまっていて、今さら自分の、恋愛への興味のうすさに呆れる。
「ごめん」
 北さんもやっぱり断っていた。それもそうだ、これからいよいよバレーが本腰になってくる今時期、彼女にかける時間なんかないだろう。北さんはそこらへん、割り切った人だから。少しの息抜きのために誰かにかける時間を作るなんて真似はしない。
 と思っていたら。
「好きな人、おるから」
 ……その声は、凛としていた。凛として澄み渡り、はっきりと俺の耳にも、女の子の耳にもしっかり届いた。決してデカい声じゃないのに、北さんのその……「響き」っていうのか? あれはどうも不思議だ。心の中までストンと落ちる。そして一生忘れらない。
 女の子は泣きながらパタパタ行ってしまった。待ち構えてた友達らに慰められながら、教室から離れていく。そして俺が入れ違いにいそいそと、肩をすくめながら入っていった。
(ううん、何やこの空気。イケナイこと聞いてしまった気分)
 俺は俺で、北さんの好きな人、俺の双子の片割れんことやろな。ってイケナイ心当たりも、ある。
「気まずいとこ、見られてもたな」
「いえ……
 好きな人、北さんの、好きな人。
 そのじっとこっちを見る表情からは一切わからない。北さんの中の「好き」という感情。いっつもまっすぐ見つめてくるから、誰をどう、どんな風に思っているかなんて、想像がつかない。
(侑のことですか? って、聞いたら教えてくれるんやろうか。それとも、そんなのバレーに支障きたすから気にすんな、って言うんかな)
「来てもらって、悪いな」
 さっきまでのことがなんでもないように謝る北さんが、だれか知らないクラスメイトの席を促した。俺はそこにストンと座る。向かいに座る銀髪の主将は、ブレザーの裾の乱れを直してる。
 北さんはメモを取り出して、ボールペンを出す。どこにでも売ってそうなペン。グリップが真っ白で新しい。最近買ったんかな、購買とかで。どうでもいい情報ばっかり俺の中に溶けてくる。
「治は、高校終わったらバレー、どうするん」
 相変わらずの清涼な声で、語尾までちゃんと染み込む。てっきり侑のことを聞かれるのかと思ったのに、俺の話になって動揺した。俺はやや、体をかたむけて居心地が悪くなる。
……言っても、怒らんですか?」
「怒らんよ、何で」
「ツムとは、ちゃう道やから」
 ピクと北さんが体を動かす。侑にもまだ言えていないこの話は、主将の目にどう映るだろう。俺はそれでも、嘘はつきたくなくてきちんと話した。
「将来、店、開きたいんです」
 ぱちくりと丸い目がまばたきをした。
(そらそうや。急すぎるもんな)
 北さんなら馬鹿にせずに聞いてくれる。そう信じて、話を進めた。
 飯屋をやりたいこと。握り飯、っていう形かもしれないし、また違うかも。でも自分の店で、わくわくすることがしたい。人の細胞から筋肉から色んなものの糧になりたい。それはバレーを通じて思っていたことで。
 拙い言葉で何回か同じ言葉つっかえながらも言い切って、ふう、と一つ息を吐いた。
(──言った、言えた)
 そんな「幼児がようやく喋り切った」みたいな感想持って、それまで気まずさで目を合わせられなかった北さんの顔を見た。
 ……凪いだ空気の中に、ぽつんと座っている。
(やばい、話に夢中で北さんのこと置いてったか? ちゃんとわかりやすいように言うたつもりやねんけど……
 そんな余計なお節介考えている内に、北さんはまじまじ俺を見て、
「そうか」
 と顎に手を当てる。なにかを思案するこの顔は、部活以外で初めて見た。
「実はな、」
 北さんは自分の鞄から、ファイルを取り出した。学校からもらうプリントを丁寧に保管してあるそのクリアファイルには校名が書かれている。俺らなんてぐちゃぐちゃの折れ曲がったまんまオカンに渡すこともあるから、やっぱり北さんのちゃんと、には敵わない。
 進路希望調査票だった。今時期配られるのは知っている。アラン君が「もう提出した」と部活で威張っていたから。
「第一志望、見てみい」
 俺は恐る恐る覗き込み──渡されたプリントを見て愕然とした。
 大学進学後、農家。
 思わず北さんと紙を交互に見た。
「ふは、そんなんしても何も出えへんよ」
 とおかしく俺の行動を笑うけど、そんな場合じゃない。
「俺ん家、もともと米農家やから」
 後継ぐねん。さっぱりと言う北さんは、それでも少し気恥ずかしいのか頬がやや染まっていた。将来の話を後輩と、こんな形で話すのなんてたしかに恥ずかしいだろうな。しかも二人とも、意外なコース。
……こんなん、そういや、治に話したんが初めてやなあ」
 思い出したようにぽろりと告げた北さんの声はまろやかで、うっとりしていた。小さな葉が身をあずけて、流されている小川を見ているみたいに。
「お、俺、」
 慌てて椅子から立ち上がって身を乗り出して、流されまいと足で踏ん張った。北さんへずいと体を寄せたけど、相手は一向に動かないから顔と顔の距離が思わず近い。
 唾がかかるかというくらいの近さで、俺は目の前の人にはっきり告げる。
「北さんの米、使いたい」
  ……狐につままれたような顔、っていうのはこのことかな。
 さっきよりさらに大きく目を開けて、だんだんむず痒そうに口元を歪ませて、それが笑う形になると、噴き出すように息が出て、ついに北さんは声を出して笑ってくれた。
「まだ働いてもおらんし、俺の育てたんが世に出るとも限らんのに」
 くつくつと目尻を拭いながら笑うその人のすがた、目に焼き付いて今も離れない。
  もしもその夢が、現実になったら。背中が震えた。北さんも同じ気持ちかな。 このときは死ぬほどわくわくしていた。
「治は多分、侑とは違う道なんやろうなあ、って、思ったから聞いてん」
 今度は俺が、侑の名前を聞いてびくりと背筋を震わす番だった。
「侑にはまだ話してへんの?」
 うなずく。北さんは「お見通しや」って顔で俺を覗き込んだ。
「侑に話すまえの、いい予行練習になったな」
「そんな、北さんとの話が予行練習やなんて」
「ええって。……侑の話でもあるし、お前の話でもあったなあ、今日呼び出したの」
 ……たぶん、俺の進路が違うのを薄々勘づいていた北さんは、あえて侑の話だと言って呼び出したんだろう。「治の話や」って言ったら俺が「責められる」って怯えて素直についてこないと思って。
「ツムは……怒るやろうなあ、とはわかっとります」
「そうやなあ……喧嘩、いっぱいするやろな」
 しばらく逡巡した相手は、またあのうつくしく凛とした声で言う。
「そんだけ、信頼されとるっちゅうことや。きっとあいつは、バカにはせえへんよ。治と一緒にバレーがしたいだけや、そんだけ」
 北さんはそう言って、この話はおしまい、って用紙を鞄にしまった。

 俺よりも侑のこと、よくわかっている。あいつが言いそうな言葉を「せえへん」と断言できる強い確信。
……やっぱり北さんは、あいつのことが、好きなんや)

 ◇

 そう気づかされて北さんと別れた帰り道、俺は信じられないもんを見た。
(ツムや)
 女の子と、歩いている。俺は思わず隠れて様子を見た。
 侑が、笑っている。女の子もスカートはためかせて、ニコニコしている。二人とも、嬉しいんだろう。
(お前、角名たちと遊びに行く言うとったやん。嘘なん)
 俺は、侑の隣にいる女の子を、ふと北さんに変換してしまった。
 ──想像の中の北さんもツムも、楽しそうにしとる。制服のボタンをぴしっと上まで止めて、スーパー隙無しの北さんが、ほぐれたみたいに笑って、オレンジに燃える空に向かって歩いてとる。ツムもそこに寄り添って、白くてやわらかい手を掴んだ。
 ああ、あれ、手ぇ繋ぎたいときの癖や。小さい頃から変わらん。オカンと手を繋ぎたくてゴネるのはツムで、ああやって掴むんや。俺は掴めんくておどおどしとって、オカンにぐいって掴まれたな。
 マザコンとかでなく、あれは本当に昔からのただの癖──
 は、と詰めていた息を吐いて現実に帰る。去っていく二人を見送って、俺は隠れてた建物からこそこそ出た。夕日はとうに沈みかけて、周りの建物を染め上げる。窓ガラスの反射がまぶしくて、俺はうつむいた。
……北さん、悲しむ、やろか)
 帰り道、そのことばっかり消えては浮かぶ。
 ぽかんと口を開けた真白い三日月が、もうすでに低い空を昇り始めていた。