夢のような、これから

pixivから再掲
治と北さんの馴れ初めのお話。高校時代から大人になるまで、忙しい青春を駆け抜けた二人が惹かれあい、大人になってようやく気持ちを確かめ合う話です。
北→侑と治が思い込んでいる描写や、侑に彼女がいる設定、大耳さんの元カノの話が出てきますので、苦手な方はご注意ください。
当初の設定では大耳さんに恋愛指南を受けている北さんって話にしたかったんですけど、その設定はたち消えて、カケラだけ残ってます。

1

 突然の風に吹かれて。そういう歌詞がある。俺にもそれは突然だった。
 ある晴れた澄み渡った空の下、双子の片割れが髪を金髪に染めた。すごく眩しくて、本人には絶対言わんけどかっこええ、とひそかに思った。
「じゃあ俺も」
 と銀髪に染めて、二人してオカンに怒られた。染めたもんはしゃあないし、「結構似合っとるやろ?」と言い合う俺らをオカンはどつく。
「高校デビューも大概にせえ」
 と呆れながらもしぶしぶ用意してくれた晩飯のオカンのおにぎり。やわらかすぎず、固すぎず、塩加減もちょうどいい。米粒の一粒一粒が甘かった。
「全くほんまにアンタらは……」とぶつくさ言う後ろ姿はずいぶんちいさくなっていて、たまに腰を痛そうにさすることもある。
 このオカンのおにぎりを、俺はみょうに忘れられなくて。
 それにどんなに悪態つかれても、いつだってそこに愛情がある。そんな人が将来横におったらええな、と、マザコンではないにしろ思った。

 ◇

「治も風邪か」
 俺らが二年のときの主将──北信介さんは、ものすごく厳しい人だった。俺のこの花粉症みたいなアレルギーみたいな、とにかくムズムズする鼻を見抜かれて、「侑に続いてお前もか」と言わんばかりの大きな目でにゅっとこっちを見てきた。
「ちゃ、ちゃいます、これは今だけ、一時的です」
 小さい丸っこい頭がかしげられて、
「そうか」
 と、フイといなくなる。
(ああ心臓にわる)
 ど、ど、と早鳴るのを上から押さえつけて、大耳さんらのところに戻る主将の後ろすがたを見送った。
(あの人と仲良う喋れる日、来るんやろか)
 侑なんかは風邪が原因で冷たくされたのに、ロッカー前に北さんからの差し入れが置かれていて、それ以来しっぽ振って北さん北さんって言っている。鉄壁みたいな人から少しばかり垣間見えた感情的なところに、「北さんもロボットやない」と知ったときの、心のどこかをくすぐられるような気持ちはわからなくもない。
(でも、なあ)
 侑と俺は、違う。侑はセッター、バレーが上手い。俺は侑に最高に最大に活かしてもらえてるだろうけど、もっともっと活かせる強い相手がいるはず。そしてそれとセットアップをしてさらに高みを、さらに強く、と侑が思っているのも、双子の勘みたいなものではないが、分かる。
 だから俺はもう、高校で終わりにする。
 ……きっと侑は反対する。「嫌や」って駄々こねる。そうまでして俺を引き止める侑は、本当のバレーバカ。いや、俺の実力と目指してる全日本を天秤で比べて考えずに、ただ単に俺と道が違えるのが嫌だから、か。本当のバレーバカならとっとと俺は切り捨てられる。
(ほんま、ちっさい狭い、自分の許した空間にだけは絶大な信頼を寄せるやつ。くすぐったいねん)
 かく言う北さんだって、バレーのため、もあるけれど、俺らのためなら冷静な判断も責任も、嫌われ役も背負うすごい人だ。
 もしも俺らとじゃないバレーだったら。侑のいない、バレーだったら。そんなに本気で戦うこと、あったんだろうか。
 だから、北さんの中で侑は特別で、あの人がただの片割れの俺になんてとくに話すべき内容はない、と思ってた。
 なのに。
 ある日の午後、 弁当のあとに呼び出されたのは、俺だった。

 ◇

 昼休み、北さんが二年の教室まで来た。俺が呼ばれて、慌てて行って、そしたら北さんが事務的な話をして、そんでおしまい。
 帰るのを見送ろうと目で追いかけたら、俺の目は北さんの背中を見ているはずだったのに、北さんの顔面を直視している。
(あれ? 帰らへんの?)
「治、今日放課後に予定あるか?」
……はあ、ない、ですけど」
 部活が休みの本日は、俺は一人悲しくテストが近づいている教科の勉強をしようと思っていた。侑は角名たちと遊びに行くらしい。自由なやつ。まあ俺も、そんなに難しいテストじゃないから、さっさと終わらせて帰るつもりだった。
 俺が思考をすばやく巡らせて、改めて北さんを見るとこの人は真顔で言った。
「ちょっと、話あんねん」
 話。
 俺はぴきっと背筋を伸ばして身構えた。何やろう、話って。怖い。
「そんな構えんくても。他愛ない話や」
……北さん、他愛ない話なんて、これまでにしたことあります?」
「失礼な」
「すんません……俺終わったら三年の教室、行きますか?」
 ホームルーム、たぶん早いし。そう付け加えると、笑って北さんはこくりと頷いた。
「侑のことで、ちょっとな」
 ……侑のこと、それはどんな話、だろうか。
 北さんが、侑を気にしてる。当たり前のことのようで、二人の絆はたしかに目の前で少しずつ芽生えてる。浮かれて舞いあがっている侑が頭にぼんやり見えてきて、首を振った。
(踏み込んだらあかん)
 そう思って俺は、今度こそ帰るだろうと踏んで別れの一礼した。自分が無理やりに下げた顔は、見られてないと思っていた。
「治」
 身をかがめてまでした俺の一礼よりも下に、北さんの顔がある。
(え、まだ何かあるん? しかもそんな頭身低くして、北さん、今アンタ、どんな姿勢で、)
……っわあ!」
 驚くのが数秒遅れた。北さんが体をねじってまで俺のことを覗き込んでる事実に、心底びっくりする。
「な、な、何……⁈」
 ガバ、と頭を上げれば、思わず北さんのデコにぶつかってしまう。「あいた」と静かに痛がった主将に俺はもう、ひたすら申し訳なくて、めちゃくちゃに謝った。
「すんません、すんません……!」
「いや、ええよ、……治、」
 はい、と返事をしたら、やっぱりまた大きな目がこっちを見てる。
 いつも思う、北さんの目は直視できない。この人の、狩りのような視線にじっと見つめられて怯えないのは、同学年の先輩らだけなんじゃないだろうか。
「鼻、治ったんか?」
 あれ、何で鼻の心配? 今、ぶつけたのは俺の頭と北さんのデコのはず。鼻は関係ない。
 そこまで考えて、俺はそういえば、先日から鼻がムズムズしていたのを思い出す。アレルギーみたいな、そんな感じの。
「あ、ええと、もう少しで治ります。ただの鼻炎みたいなもんやし」
「そうか」
 がさり。
 手に持っていたビニール袋を差し出された。受け取ると、北さんはさっきぶつけたデコをさりさりとさすりながら、真顔でこう言う。
「食ったら、花粉症とかアレルギー、免疫つくらしいで」
 甘い匂いに誘われて、俺の腹はさっき飯を食ったばっかりだっていうのに鳴っていた。袋の中身は市販のチョコレート。その選択が北さんらしいなと思うのは、全部カカオ成分が高いのとか、一日何枚か食べましょうとか、そんな謳い文句のばっかりだから。
 思わず、笑ってしまった。デコの赤いままの北さんに俺は「ありがとうございます」と言うと、一つ包みを掴んだ。これは柔らかいチョコレート。かさりと広げて、一粒放った。口の中で蕩けてビターな味が広がった。ゆっくり味わえる甘さなのは助かる。俺は甘いもんはほどほどに好きだけど、大量に摂取するよりはちょっとずつ長時間楽しみたい派だから。
 ……そう考えると、北さんのこの優しさもじんわり染みて心地いい。
「うまい」
 なんのセンスもない感想を口に出したら、北さんがデコをさすってた手を止めた。そして原っぱに咲いている小さい花みたいに笑う。
「治のうまい、は、ありがとう、やな。感謝が見えんねん」
 じゃあ後でな。そう言って北さんはひらひら手を振って三年の教室に戻っていった。俺は気づくのが遅れて、慌てて礼をする。もうあの人ははるか遠くを歩いていて、廊下に俺一人が体を曲げたまま取り残された。でもそれを恥ずかしい、と思うひまもなく。
(そうかあ、俺そんな意味で言葉使っとったか。そう言われれば、たしかに)
 俺の頭の中で、北さんの言葉が蘇る。
 うまい、と、ありがとう。
 折しも二つの言葉を使って、俺が存在している意味合いを作ってくれた北さんと、俺はこの日を境にちょっとずつ喋れるんやないかな、と淡く、本当にうっすらと期待するようになった。
 その感覚はまるで、昼寝のときに見る浮ついた夢みたいだった。