しちろ
2023-05-07 19:29:31
47467文字
Public LOM・宝石泥棒編
 

宝石泥棒編 3

聖剣LOM宝石泥棒編。マイホーム、岩壁に刻む炎の道、男主人公の裏話。47,000字。


 その晩の宿屋。
 カイたち三人は、なんとはなしに一室に集まっていた。
 今日の宿代は警察持ちである。捜査に協力してくれたせめてもの礼にと、ボイド警部がもう一泊用意してくれたのだった。心遣いはありがたかったが、素直に喜ぶ気には到底なれない。
 ルーベンスが殺された。
 あまりに重すぎる事実が、彼らに暗い影を落としていた。

「こんな日に、シュタインベルガーとはな……
  
 一日遅れで届いた新酒を、瑠璃は複雑な顔で受け取った。楽しみだったはずが弔い酒になってしまった。気を利かせた宿の主人がグラスを用意してくれたものの、とてもではないが栓を抜く気にはなれない。
 主人はついでに焼き菓子も添えてくれたが、そちらも誰も手を付けようとはせず、持ってこられた時のままだ。重苦しい空気に耐えかねたのか、シオンが一つ手を伸ばし、甘すぎと文句を言った。
 
 万能薬。

 確かにそれは、カイには絶対に手に入れることのできない代物だった。誰かのためにほかの命を奪うことはカイにはできない。
 ルーベンスもまた、恋人を救いたいと願いながら草人を手にかけることができなかった。サンドラはそれを彼の弱さだと嘲笑ったが、カイは、ルーベンスのそれは優しさだったと思いたい。
 瑠璃もまた、同じようなことを昨日から考えていた。
 自分ならどうするだろう。
 珠魅は常に狩られる側だった。核を狙う敵から逃れ、戦い、抵抗してきた。だから考えたこともなかったのだ。狩る側の気持ちなど。
 草人は珠魅よりもはるかに弱く、小さく、儚い。珠魅は……ましてや騎士は圧倒的に強者だ。ルーベンスに、あるいは瑠璃自身にそのつもりがあれば、目的を成し遂げることはたやすいだろう。しかし自分の望みや欲のために弱者を苦しめ、奪おうとすることは、たとえ大義名分があったところで、人間が珠魅に対するそれと何ら変わらない。
 だが――瑠璃は思う。もし、危機に陥っているのが真珠姫だったら。そうしなければ、彼女を救えない日が来たら。
……オレには、まだわからない)
 一つ言えることは、瑠璃は未だ迷っており、ルーベンスはそれについてすでに答えを出していた。
 そして、サンドラも。
「サンドラめ……
 瑠璃は、サンドラを取り逃がしたことがこの上なく悔しい。
 回虫ププはべらぼうな値段で売れる。珠魅の核に破格の値段がつくのと同様に。
 薬として必要だった可能性も、もちろんある。万能薬を与えたい誰かがいて、そのために草人の命を狩ることなど造作もなかった。それはそれで空恐ろしいものがあったが、あの冷酷な珠魅殺しがルーベンスと同じ理由でププを欲したとは、少なくとも瑠璃は思いたくなかった。
 いずれにせよ、あと一歩遅ければサンドラは容赦なく草人の命を奪っていただろう。ルーベンスにしたように。


……これからのことだが」 
 長い沈黙を破ったのは瑠璃だった。「一度、帰るべきだと思う。真珠のことが心配だ」
「一度?」
 寝台に寝ころんでいたシオンが訝しげな顔をする。靴を脱ぎ忘れているが、本人を含め誰も気づいていない。
「オレは……やはり魔法都市に行きたい」
 瑠璃はやはり昨日と同じ寝台に腰かけて、両手を組んで言った。「行って、ルーベンスの最期の願いを叶えてやりたい」
 漠然とした思いではなく、それは明確な意志だった。自分はルーベンスに何もしてやることができなかった。何も信じないと言い放ったルーベンスが、最後に残した小さな願い。せめて彼の恋人に、彼のたった一言の、短い遺言を伝えてやりたい。
「アンタらは?」
 瑠璃が問う。
 しかし、いつもならまず発言するカイは、宿に入ったきり黙ってしまっており、何も言わない。
……俺は、反対」 かわりに、シオンが身を起こして言った。
「真珠姫も予告状を受け取っている。瑠璃、お前自身がこれからターゲットになる可能性もだ。ルーベンスは命を落としたがお前たちは生きている。名前もろくに分からない、どこの誰かもわからないやつに時間を割くより、自分たちの身の安全を考える方が先だろう」
 シオンの意見は現実的だ。そもそも、ガトに行くのも彼は渋っていた。
 瑠璃が語気を強める。
「遺言の相手が珠魅なら、そいつもサンドラに狙われるかもしれない。珠魅ならば、オレの核の煌めきで分かる。遺言の件だけじゃない。そいつまで殺されたらオレはルーベンスに顔向けできない」
「それって、石の眠りとやらについていても分かるものなのか? そもそも珠魅じゃないかもしれない」
「それでも何とか探してみせるさ」
「もしかしたら、もう、生きてないかも」
 万能薬が必要な相手だ。そうでなくても石の眠りで会話が通じない可能性もある。
「なんでアンタはいちいちそうつっかかってくるんだ」
 瑠璃は苛立たしげだ。シオンは普段ろくに口をきかないくせに、こういう時はよくしゃべる。
「つっかかってない。普通のことを言っている。瑠璃……自分のわがままで真珠姫をまた待たせること、お前わかっているよな?」
 ……その通りだ。瑠璃の組んだ手は、いつの間にか力が入っていた。
 シオンの言うことは、理屈ではわかる。本当に、よくわかる。
 でも、それでも。
「仲間だったんだ……
 絞り出すような声だった。
「ずっと探していた。やっと、見つけたんだ。なのに、あんな風に目の前で死なれて、放っておけるわけがないだろう!」
 瑠璃は思わず立ち上がっていた。
 初めて会った、珠魅の仲間だったのだ。
 分かり合えなかったかもしれない。一緒にいることもできなかったかもしれない。
 でも、せめてもう少しアイツと話ができていたら。時間があったなら。

『珠魅の都市……もう一度、みんなで……

 アイツは最期の瞬間、何を望んでいた?
 アイツは本当に仲間を、誰も信じていなかったのか?
 自分はルーベンスの命を救ってやることもできず、最期の頼みの一つもかなえてやれないのか。

「あたしも行きたい……魔法都市」
「アンタ……
 瑠璃とシオンがそろってカイを向いた。
 ルーベンスの一件でカイはすっかり落ち込んでしまい、窓際の椅子にしょんぼり腰かけていた。いつも明るい声も今は力がなく頼りない。彼女の横にある書き物机では、精霊のランプが温かな光を放っている。
「カイ、珠魅のことは今はいい。帰ったらしばらく休め」
「ううん、大丈夫」
 瑠璃の言葉に、ゆっくりとかぶりを振る。
「ほらあたし、何か役に立ちたいと思ってて、結局なんもできなかったし。だからさ、ルーベンスさんの遺言のことや……それ以外にも、何かできることがあるなら協力したいから」
 カイはレイリスの塔でサンドラに実質負けたことを、本気で悔やんでいた。
 再び必ず来るであろう、宝石泥棒との闘い。守るべき時に守れないのでは意味がない。だから一層訓練に励んでいたことを、瑠璃は知っている。けれどそんな努力などあざ笑うかのように命は奪われ、消えていった。
「なあ、カイ……
 瑠璃が気づかわしげな眼を向ける。
「これだけは言っておくが、アンタが責任を感じる必要はないからな。ルーベンスのこともサンドラのことも。何もできなかったのは……オレも同じだ」
「うん……でも」
 瑠璃の慰めに頷きながらも、カイは肩を落としたままだった。
 ルーベンスと寺院で会話した時は、二度と会えなくなるなど思ってもいなかった。炎を受け取った時のやり取りが胸に焼き付いている。
 誠実な人だった。優しい人だった。
 不器用でとても分かりにくいけれど、すべてを諦めきってみえた顔の裏に、人を想う心を隠している人だった。
……あたし、目の前にいたのに」
 ルーベンスにもらったランプの火は、昨日と変わらず燃え続けていた。
 生きていてほしかった。
 ランプの火が消えたなら、もう一度彼に灯してほしかった。
 愛する人に謝るべきことがあるのなら、自分で告げてほしかった。
 伝えるべき言葉があるのなら、あんな悲しい言葉ではなく、もっと優しい言葉を選んでほしかった。
 もしも、彼が、命を落とさなければ。

 ……もしも、自分が、彼を助けることができていたなら。

 視界が、じんわりにじんだ。

「もっと早く着いていれば助けられた、よね?」
 目頭が熱かった。

 ぱぁん!

 高い音が部屋に響く。鋭い痛みが頬に走った。
「思い上がるのもいい加減にしろ」
「なっ……
 カイが呆然と目を見開く。頬がジンとしびれた。
 シオンが、目の前に立っていた。軽く上げられた手のひら。彼の手がカイの頬を張り飛ばしたのだった。
「自分なら助けてやれたなんて、本気で思っているのか?」
 あまりのことに、声も出せぬままカイが目線を上げた。少年の冷ややかな顔がそこにあった。
「シオン! オマエどういうつもりだ!」
 気色ばんだ瑠璃が、カイを打った腕を強くつかむ。
 ほとんど捩じ上げるような動作だったが、シオンは意に介する風もなく、平然と言い放った。
「お前にしろカイにしろ、さっきから聞いていれば、どいつもこいつも人がいい。ルーベンスなんか一度会っただけの通りすがりじゃないか。誰がどうこうしたところで、あそこで狩られて死ぬのがあいつの運命だったんだろうよ。いちいち気にかけてやる価値もない」
 死んだ者にかける言葉ではない。
 少年の心ない言葉を、カイは信じられない思いで聞いていた。
 うそだ。だって。だってシオンは。
「魔法都市まで行く? 遺言伝えたいから? 何の義理があるんだ、馬鹿馬鹿しい」
 シオンは、珠魅探しに協力してくれたのだ。知っていることを教えてくれもした。
 珠魅に義理などないというなら、それは彼だって同じはずだった。本当は嫌々だったかもしれないけれど、旅にも付き合ってくれた。瑠璃のことや真珠姫のことだって、気にかけてくれていた。
 そのはずだったのに……なぜ彼は、こんなことを言う。

「珠魅なんか……狩られるだけのクズ石じゃないか」

 吐き捨てるように言ったシオンを、瑠璃が思いきり殴り飛ばした。
 手加減などなかった。硬い鉱石の拳で殴打され、少年は壁際まで吹き飛んだ。

 ――ふざけたことばかり言いやがって。

 怒りのあまり息を荒くした瑠璃は、ふと、視界の端に映ったものに愕然とした。

 目から零れ落ちる、透明なしずく。
 ……涙が。
 カイの大きな瞳から、涙がボロボロ流れ落ちていた。

「シオン、な、なんで、そんなひどいこと言うの……! あたし、キミも珠魅のこと、気にかけてるって思ってたのに……!」
 瑠璃は一瞬、怒りを忘れて頭が真っ白になった。泣いている。
 止めようにも、どうすればよいかわからない。それほどまでに、流れる涙は堰を切ったように溢れてとめどない。
「どうしましたか!」
 騒音に驚いたらしい。
 慌てて部屋に駆け付けた宿の主人が、壁際でうずくまったまま動けなくなっているシオンを見つけて、見る間に蒼い顔になった。
「なんでもありません……大丈夫です」
「で、でもお客さん、血が」
 動揺を隠せない主人にかまわず、シオンがよろりと立ち上がる。その際一度ふらついて壁に手をついた。
……珠魅が生きようが死のうが知ったことか。一人で泣いてろ」
 そんな言葉を最後に残して、シオンは部屋から出ていった。
 静まり返る部屋に少女の泣き声としゃくり声だけが響く。
 少年を引き留める者はいなかった。



 ■■■



 シオンは帰ってこなかった。
 瑠璃は、武器から荷物からすべて客室に置き去りにした彼を心配する気はこれっぽっちも起きなかったが、あのヤロウ果たしてこれをオレにどうしろという気だと、それはそれで無性に腹が立った。腹立ちまぎれに彼の薄い鞄を床に叩きつけると、読まれた形跡のない本が何冊か出てきた。
 ルーベンスの死。宝石泥棒。昨夜の一件。
 一人になった二人部屋で、瑠璃は初日以上に眠れぬ夜を過ごした。
 一睡もできないまま朝を迎え、宿備え付けの酒場でじっと腕組みして、もう一人の同行者を待っている。卓には、宿の主人が用意してくれた飲み物と茶請けの菓子が置いてある。昨晩の騒ぎで宿に歓迎されていない雰囲気は瑠璃なりに感じており――警察の紹介だから追い出せなかったのだろう――、目立たぬよう隅の席を選んでいた。甘すぎる菓子はともかく、ガトの水と葡萄を使った果汁飲料は悪くはなかった。
「あれ、瑠璃? 今日はずいぶん早いね」
「アンタがいつもより遅いんだよ」
 階上から意外そうに声をかけられ、返事をする。
 見れば、おなじみの棒飾りもまだつけず、ぼさぼさ頭のカイが立っていた。今朝のように瑠璃を待たせるのは、早起きの彼女にしては珍しい。
 酒場へだらだらと降りてきたカイは、不自然に白くふくれた顔をしていた。
「一生分の馬鹿と最低を使いきっちゃったよ」
 そう言う彼女の大きな目は真っ赤に充血し、顔と瞼が厚ぼったく腫れている。瑠璃が珠魅でなかったら、泣き腫らしたのだとすぐに分かっただろう。
「アンタ、ずいぶんな顔してるが、少しは眠れたのか?」
「やだなあ。それ聞く?」
 カイが苦笑いを浮かべる。その反応を見て、どうも妙なことを聞いてしまったようだと瑠璃は何となく気がついた。
「そう言う瑠璃こそ、朝から吞んでんの?」
「残念ながら、お子様の飲み物だ」 
 瑠璃が果汁の入ったグラスを持ち上げて揺らした。まあ、これはこれで美味いが。
「なんだ、シュタインベルガーじゃないんだ」
「ああ、結局飲まずじまいだったな。そういえばオレは、酒目当てでガトに来たんだったか……
 すっかり忘れていた。
 ロアの酒場で聞いたというカイの観光話は、実を言えば瑠璃は少し楽しかったのだ。ガトでは珠魅探しは本題ではなかった。それが、探そうと思うときに仲間は見つからず、その気がない時にこんなことが起きるとは。マイホームでのほんの数日前の会話が、ずいぶん遠い出来事のように思える。
「お酒さ、帰ったら真珠ちゃんと飲んだらどう?」
「そうしてもいいんだが、アイツは酒飲めないからな。……まあそのうち、いずれ開けるさ。そうだな……ルーベンスに、良い報告ができたときにでも」
 ガトの銘酒なら、ルーベンスも口にしたことがあったかもしれない。
 もしも、生きているアイツと酒を酌み交わしたら楽しかっただろうか。珠魅の都市のことや、仲間の思い出話など聞けただろうか。……いいや、やっぱり、初めて会った時のように皮肉を言われて腹が立つだけのような気もする。
 瑠璃が再びこの街に来ようと思うとき。
 それは、ルーベンスの遺言を果たせたとき。ルーベンスの恋人を救えた時。
 あるいは……
 最後のひとつを、瑠璃は誰にも口にすることなく決めている。それは、アイツの仇をとったとき、だ。
……うん、そうだね」
 そんな瑠璃の心のうちまでは知らないカイは、ルーベンスの名が出て寂しげに頷いた。
「瑠璃、一つ聞いてもいいかな」
「なんだ」
「宝石泥棒が言ったよね。泣いて命乞いをしろって。あれ、どういう意味だろう」
……」瑠璃は、とっさには答えられなかった。「……それは、オレも気になっている」
 普通に考えれば、相手を屈服させ屈辱を与えるためだろう。
 サンドラは冷酷だ。もちろんその意味も含んでいると、瑠璃は思ったが。
「宝石泥棒は珠魅狩りの時、言うだろう。『制裁を』と。珠魅に何かうらみでもあるのかと思ったが……。一つ言えることは、珠魅は涙を流さない」
「泣けない?」
「昔はそうじゃなかったようだが、詳しいことはオレも知らん。オレが生まれるよりずっと昔に、珠魅は泣けなくなったらしい。古い時代の珠魅は、騎士は姫を守り、姫は涙で騎士を癒していたと本で読んだことがある」
「涙で? どういうこと?」
「聞かれても、オレだってどういう物かもわからないし、そもそも本当の話かもわからん。オレも真珠も泣いたことはないからな」
 見たことも経験したこともないものは、瑠璃にはわからない。もしかしたら、ルーベンスなら知っていたかもしれない。
 瑠璃の話を聞いて、ふいにカイが思い出した。
「ああ、だからこの間も」
 瑠璃と真珠姫がマイホームに来てからのことだ。
 ある日、コロナとバドがケンカをして二人とも泣き出した。姉弟げんかなど日常茶飯事だが、泣いた双子を見てそれはそれは瑠璃たちは驚いたのである。真珠姫はおろおろし、瑠璃などは表で槍の修練をしていたカイを、真っ青になって呼びに行った。決して泣くことのない彼らは、涙をほとんど見たことはなかったのだ。
「人間ってのは、オレが信じられんほど簡単に泣くもんだよな。ケンカしただとかタンスに足の小指をぶつけただとか、あとなんだっけ? あの変な茶色い野菜。なぜかあれを切るとき、コロナがいつも泣いているだろう。最近は、代わりにオレか真珠が切っている」
「ハニーオニオン? あれは半端じゃないからねえ……猛烈に目に染みるんだよ」
「そうなのか? オレにはよくわからん」
……すごいなあ、珠魅」
 はちみつたっぷりの玉ねぎは、煮込めば甘いが切った時の攻撃力はすさまじい。さあ泣けと言わんばかりに鼻と目の粘膜をこれでもかと刺激してくるが、それすら珠魅には効かないようだ。
「とにかく、珠魅は泣けと言われて泣けるものじゃない。だから、昨日の夜も……
 言いかけて瑠璃が口ごもった。
……」 
「なにさ、瑠璃」
 カイを見る瑠璃は、何やらもの言いたげにも見える。
「いや、なんでもない」
 はっきりしない瑠璃の態度に、カイがなんだよと頬杖をついた。
「そういやさっき、表でネズミ警部と会ったぜ。あの草人助かったらしい。腹からうまいことムシが出たとか」
 相変わらずボイド警部の名前は覚えない瑠璃だ。敬称がついただけましだが。
 警部が言うには、彼が草人とぶつかった拍子に、どこからとは言わないが勢いよくムシが飛び出したとのことだった。よほど当たり所が悪かった――いや、よかったのだろう。
「それはよかった……けど、ププは?」
「それが、飛び出た弾みでどこかに行っちまったそうだ」
「ええ~! それはもったいない……って言っていいのかな。いや、よくはないか」
 腹痛が治った草人は、それは無邪気に喜んだそうだ。幾人もの人があれほど欲しがっていたものが、そんな形で出てきて失われるとか、なんといえばいいのやら。
「ネズミはえらく怒っていたがな。珠魅が殺されたのにはしゃぐな、と」
「草人くんは草人くんで、大変だったと思うけどね」
 騒ぎ方が子どもっぽいからわかりにくいが、草人はあれはあれでピンチではあったはずだ。しかもサンドラに殺されかけた。彼(?)もまた被害者であることには違いない。
 草人にまで同情的なカイを見て、瑠璃が心配そうな顔をした。
……アンタ、本当に魔法都市へ行くつもりか?」
「え、なんで?」
「なんでって、そりゃ……いろいろ、あったし」だんだん尻すぼみになりながら、瑠璃が言葉を濁す。「……なんだったら、オレが一人で行ってもいいんだが」
 ガトでは本当に、いろいろなことがありすぎた。そのいずれもが感受性の強いカイには辛すぎた。昨日も同じことを勧めたはずだが、昨夜の件もあって、冗談抜きで少し休んだ方がいいんじゃないか? 瑠璃は、危険は承知で、魔法都市へは自分一人で行ってもいいとさえ思っている。
 しかし、カイは考えを曲げなかった。
 彼女は決然として言い切った。
「もちろん。ルーベンスさんの恋人に遺言を伝えたいから」
 

 『岩壁に刻む炎の道』 おわり