しちろ
2023-05-07 19:29:31
47467文字
Public LOM・宝石泥棒編
 

宝石泥棒編 3

聖剣LOM宝石泥棒編。マイホーム、岩壁に刻む炎の道、男主人公の裏話。47,000字。


 ――やはり、自分にはできない。
 
 長い旅の果て、ついにその機会を得ても、出した結論は変わらなかった。
 群青から紅に移り変わっていく東雲の空を、ルーベンスは空虚な目で仰ぐ。
 あるいは彼女なら、『為す』ことを選ぶかもしれない。
 否、守るためにそれが必要であるなら――個人的な感情はさておいて――彼女は躊躇うことをしないだろう。何を選び、何を捨てるか。誰を生かし、誰を殺すか。彼女は常に選択に迫られていた。それを知っていながら、できない自分はきっと弱い。……これは、彼女への裏切りになるのだろうか。

「生きていくということは、この険しい岩壁に道を作るようなもの……
 
 音もなく、背後に女が立っていた。
 ルーベンスがぎくりとして振り返る。何の気配も感じなかった。
「心に希望の炎を絶やしたら、とても頂上まで登りきることはできないわ」
 そうは思いませんか?
 女は、見かけは修道女。
 全身を覆う白装束に身を包んでいても、彼女が美しいことがわかる。修道女は覆面に顔半分を覆われた涼しい目元で、ルーベンスににっこりとほほ笑みかけた。
「何者だ」
 ルーベンスが硬く問う。修道女にしては、隙がなさすぎる。 
「貴男のその様子……」女の笑みが、少し冷えたものになる。「予想はついていた、という顔かしら?」
 修道女姿の女は、テラスから町のほうを指さした。助けを求める幼い声が風に乗り、わあわあ聞こえている。
「先ほどから騒いでいる草人――ルーベンスさんもご覧になりましたでしょう? お腹にププを飼っているの。……貴男は、逃がしてしまったようだけれど」
「俺には……無用だ」
「あら、てっきりルーベンスさんも探しているものだと思っておりました。協力してくださるなら、お分けいたしますのに」
 女がくつくつと喉を鳴らす。

 回虫ププ。奇跡の万能薬の材料だ。
 草人の体内に極々まれに寄生し、癒えぬ病に苦しむ人々に光をもたらす。また、その薬効と貴重性ゆえに非常に価値があり、市場に出れば目玉の飛び出るような高値がつく。
 にも関わらず、ププを本気で探し求める者は限られる。
 なぜならば、ププを得る代わりに宿主は死ぬ。草人の葉を生きたままはぎ、腹を裂いて取り出す必要があるからだ。だから、心から万能薬を欲する者は何年でも何十年でも根気よく寄生された草人を探し出してその命を奪うか、その価値と労力に見合う――否、それ以上の莫大な金を積み、闇取引で手に入れることになる。人々に希望をもたらす奇跡の薬は、他者の命と引き換えに命を得る、死と業の霊薬でもある。

「石の眠りについた恋人を救うためだったのでは? 大切な誰かは、人を傷つけてでも守らなければならない……そうは思いませんか? ましてや、縁もゆかりもない草人など大した犠牲ではないでしょう?」
 甘い毒を含んだ、女の言葉。
 しかしルーベンスはかぶりを振る。
……俺は、誰も傷つけたくない」
 過去の自分は、これ以上ないほどに人を傷つけてきた。
 全てを失った今になり、その上さらにまた、誰かを救うために誰かに犠牲を強いる生き方を、ルーベンスは望みはしなかった。それはすべてを諦めたが故だとなじられるなら、それはその通りなのだろう。運命に立ち向かい、闘うことを彼は放棄した。遠く離れた地から、彼女への想いだけを残して。
 女の目が、すうっと細められた。
「冷たいのね。魔法都市の恋人がどうなってもいいなんて」
「なぜ、彼女の居場所を……
「あら、顔色が変わりましたかしら?」
 ルーベンスが一歩後ずさる。
 明らかに狼狽した彼を、女は嗤った。ルーベンスがいつものように平静であれば、女の覆面に隠れた唇が薄く笑みを形作っているのがわかったはずだ。獣が瀕死の獲物を弄ぶかのように、彼女は面白がっている。
「貴男が要らないのなら、ププは私がもらうけれど、いいのかしら?」
「好きに、すればいいだろ」
 それが何を意味するか、ルーベンスが知らないわけがない。
 女は重ねて問いかける。
「草人が死のうが、恋人が眠ったままだろうが、関係がないと?」
 女の笑みは、いつしか消えていた。冷え切った眼差しがルーベンスを射抜く。
……俺は」 ルーベンスは喘いだ。
「俺は誰にも関わりたくはないし、他人が俺に関わってくるのもごめんなんだ! もう放っておいてくれ」
 ――そうはいかない。
 女が浮かべたのは、冷たい殺意。彼女の手のひらで、銀色の輝きが閃いた。
「輝きを無くした、汚れた石に制裁を!」



「輝きを無くした、汚れた石に制裁を!」
 カイたちがテラスに到着した、まさにその時。
 修道女が手にしたナイフが、ルーベンスを深々と貫いた。ナイフが引かれると同時に、力を失ったルーベンスが仰向けに倒れる。刺された傷口から見る間に鮮血がほとばしった。凶行を為した女が誰の変装かなど、考えるまでもない。
「サンドラ!」
 即座に駆け寄ろうとしたカイたちを、修道女――サンドラが制止する。
「動かないで。殺しちゃうわよ」
 赤く濡れたサンドラのナイフは、ルーベンスの胸元にまっすぐ向けられている。そのまま振り下ろせば、核を一突きにできる位置だ。
 カイ達ともども、動きを封じられた瑠璃が苦々しげに吠えた。
「チクショウ、汚いぞ!」
「核は傷つけていないわ。私の言うことを聞けば、核には手出ししない……
 言いながら、サンドラは感情のこもらない目でルーベンスを見下ろした。
「なにが、目的、だ……
 息も絶え絶えのルーベンスが呻く。傷から溢れる血はとめどない。人間であれば明らかに致命傷だった。いくら核が無事だからとて、このままでは命が危ない。
 早く何とかしなければと青ざめるカイなど眼中にはなく、サンドラはただ冷酷にルーベンスへ告げた。
「簡単なことよ。『泣いて』命乞いなさい。そうすれば助けてあげるわ」
 冗談のような要求だった。
 本気で言っているのかと疑うカイの傍らで、瑠璃があからさまに凍りついた。
「どう? 涙は流せる?」
 サンドラがルーベンスを睥睨する。
 無言のまま唇をかんだルーベンスを見て、サンドラは悟ったようだった。
「そう……無理なのね。さようなら、ルビーの騎士」
 初めから何も期待などしていない。そんな冷ややかな声音だった。
 サンドラはルーベンスの上着を切り裂き、ためらうことなく手を伸ばした。そこにあったのは、燃えるように赤いルビーの核。
 宝石泥棒は真紅の核をつかむと、無造作にえぐり取った。
「まだ生きてる。さすが輝石の座の珠魅……大した珠力ね」
 時を止めたように呆然とするカイたちの前で、サンドラは手に入れたルビーを掲げてみせる。昇りはじめた朝日を受けて、ルビーが強く煌めいた。
「『希望の炎』……たしかにいただいたわ」
「キサマ!」
「あら、怖いこと。石ころひとつで大げさね」
 いち早く我に返った瑠璃をあざ笑い、サンドラは姿を消した。
「オレたちは石ころじゃない、ふざけるな!」 そんな瑠璃の叫びは、サンドラに届いたかはわからない。
 下を向いて舌打ちし、瑠璃はルーベンスに駆け寄った。
「ルーベンス!」
 瑠璃がルーベンスの傍らにひざまずいた頃、ようやくカイが。
 ルーベンスの核があった個所は無残にえぐられ、ぽっかりと空洞になっている。その瞳から、身体から急速に失われていく生命の灯。助からないのは明白だった。
 瑠璃が何度かルーベンスの名を呼ぶと、ルーベンスは力なく瑠璃に応えた。
「なんだ……君は、まだガトにいたのか……。昨日、あれほど言ったのに……
「うるさい、アンタの言うことなんか聞く道理はない! ルーベンス、アンタ、予告状のこと分かってたな!?」
「さて、なんのことだか……
 固く握られた瑠璃の拳が細かく震えている。怒鳴りたいのをこらえて血がにじむほど噛みしめているのも、昨日ルーベンスと初めて会った時と、それは同じ。

 ――チクショウ……

 オレは、守ることができなかった。自分の目の前で命が失われていく。
 ……無力だ。無力だ、あまりにも。

 
 悲嘆にくれる若い珠魅を前に、ルーベンスは薄れ行く意識の中で、ある人を思い描いていた。
 ダイアモンドの輝きを持つ、気高き珠魅。
 ルーベンスが魔法都市で最愛の恋人を見つけたとき、彼女はすでに物言わぬ石と化していた。
 強く、美しい人だった。
 都市の指導者たる彼女を悪く言う者たちがいる。そんな話をどこかから聞きつけたとき、彼女は笑った。一笑に付したのではない。それは仕方のないことだと、ルーベンスに向かってただ困ったように微笑んだ。
「しかし、俺は納得できません。あなたは、本当は」
「よいのです、ルーベンス。わたくしたちは勝たねばならない。一族の旗印であれば玉石姫と騎士がいます……そちらにお任せすればよい」
 もちろん、あなたにもですよ、ルーベンス。
 微笑する彼女は、指導者としての彼女しか知らない者が見ればさぞ驚くだろう。
「騎士を統べる長として、皆の支えとなってください。あなたのもうひとつの名に恥じぬように、ね」
 美しく、気高い人だった。そして誰よりも厳しく、孤独だった。
 守るために。勝つために。
 一族の勝利のために彼女はありとあらゆる手を使い、必要とあればそのための犠牲を惜しまなかった。己自身ですら、彼女にとっては駒のひとつに過ぎなかったのだろう。ゆえに、自身を巡るあらゆる批判も、彼女は甘んじて受け入れた。
「皆に無理を強いていることは、分かっています。しかし、これからの時代を珠魅が生きるために……生き残るために……。そのためならば……
 勝利のために――一人でも多くの仲間を生き残らせるために。
 氷とすら評された冷徹な指導者の、裏の貌。
 それを知る自分は――自分だけは、彼女のそばを離れてはならなかったのに。

 ルーベンスが最も信じられなかったもの。
 本当は、珠魅でも、他の種族でもなかった。それは――

「瑠璃……。魔法都市の……ディ……に、すま、ないと……
 力を失っていくルーベンスの身体から、少しずつ紅の煌めきがこぼれている。煌めきがひとつ空に舞うごとに、ルーベンスの身体は溶けるように薄くなっていく。これが珠魅の死だと、瑠璃は初めて知ることになった。
「ルーベンス! ルーベンスもう一度言え! 死ぬな! 死ぬな、おい!」
 瑠璃には、ルーベンスの伝える名前が聞こえない。
 悲しんでいるのだか怒っているのだか、あまり珠魅らしくない気性の激しい若者を見ているうち、ルーベンスはこの期に及んでなぜだか少しおかしくなった。
「瑠璃、君は……君の思うように、したらいい……
 彼女が創り上げ、歴史を築いた珠魅の都市。
 かつての都市は、こんな輝く瞳をした仲間たちがたくさんいた。いろいろな想いが溢れていた。
 懐かしいあの場所に、互いに信じ想い合っていたあの頃に、自分たちはいつかまた帰ることができるだろうか。
「珠魅の都市……もう一度、みんなで……
 燃えるような朝焼けの中。
 ルーベンスは最期に真紅の煌きを残し、光となって消え失せた。

 ルーベンス、バカ野郎。魔法都市の誰だっていうんだ。
 散々余計なこと言って、肝心の名前はまともに聞こえなかったじゃないか。

「よくも、仲間を……
 瑠璃は歯噛みし、何もいなくなった地面を叩きつけた。
……チクショウ!」
 


 ■■■



「では、サンドラは修道女に化けていたのだね?」
 一同がボイド警部にうなずく。表情はそれぞれ違ったが、一様に暗い。
 癒しの寺院の礼拝堂。
 事件を受けて入り口が封鎖されたため、外部の人間は入ってこない。
 警察がカイたちに遅れて現場に到着したのは、ルーベンスが消えたのとほぼ同時だった。
 サンドラは変装の名人だ。
 彼らが全く疑われなかったわけではないのだが、目撃者が三人もいて、それも全員青い瞳事件の関係者だったので、ボイド警部はわりとすんなり信じてくれた。なにより、カイがもともと、ある程度警察に信用されているのが大きい。
 予告状にあった『希望の炎』を、寺院の者たちは当然『癒しの炎』だと考えた。警察に連絡があったとき、「癒しの炎が狙われている」という通報に変わったのも仕方がない。しかし、ガトに到着し、実際に予告状を見たボイド警部の反応は次の通りだった。そんな馬鹿な、ガトに珠魅はいないのか?
「わしが、ルーベンスさんが珠魅だと気づいておれば……くっそ~」
 これは後から分かったことだが、ボイド警部はルーベンスに「妙な事件が起きているから気を付けるように」と再三忠告していたらしい。ルーベンスはまともに取り合わなかったようだが、警部は長年珠魅に関わってきただけに何か勘が働いたのかもしれない。
「警部、どうします?」
 若い刑事が手帳に何やら書き付けて指示を仰ぐ。
 瑠璃がぐるりと首を回した。ポルポタでは見かけなかった刑事が数名いた。
「捜査員が少し増えたな」
 うち一人は、寺院は禁煙ですと修道女に怒られている。
「数名ですけどね。警察の爪弾き者……じゃなくて、変わり者の集まりです」
「どちらでもあんまり変わらんが、長く一人でやってきたわしにはありがたいわい」
「この寺院の坊主と言い、変な人間はいるもんだ」
 瑠璃は呆れ半分感心半分だ。
 行く当てのないルーベンスを誘ったのは僧兵長だったか。サンドラのような珠魅狩りがいれば、こうして純粋な善意や正義感から珠魅に関わろうとする人間もいる。なお、変人の代表格は言うまでもなく旅の同行者二名ではあるが。
「ワシは、サンドラはまだこの周辺にいると見ている。どうも引っかかるんじゃ……
「まだなにか、目的があるってこと?」
「うむ……
 ボイド警部はパイプを噛み思案げだ。事件からまださほど時間は経ってはいない。
「オレにも協力させてくれ」 瑠璃がすかさず申し出た。
「すまん、助かるわい。しかし瑠璃くん、チミも珠魅じゃ。くれぐれも気をつけてくれ。少しでも身の危険を感じたら捜査など構わん、すぐ逃げるように」
「逃げる? バカを言うな。騎士だぞ、オレは」
「チミの気持ちはわからんでもないが、姫だけではなく多くの騎士もサンドラの犠牲になっておる。チミはルーベンスさんに言付けを頼まれたと言ったじゃろう。死んだらそれも果たせなくなる。何事も命あっての物種じゃ」
「だがな、サンドラは!」
「瑠璃」
 警部に噛みついた瑠璃だが、カイとシオンの双方からたしなめられて、不承不承引き下がった。
……わかった。無理はしない」
 殺されたルーベンスも騎士だった。
 悔しいが、サンドラが相当な手練れなのは間違いない。
 瑠璃自身いとも容易く剣をかわされているし、カイも手傷を負わされている。瑠璃の見る限り、もともとそれなりのレベルにあった彼女の槍の腕前は、離れていたわずかひと月で別人かと見紛うほど上達していた。にも関わらずだ。
「民間人にばかり頼るのは情けない限りじゃが……。正直、捜査の手も足りないし、ここの修道女たちは当てにならんのじゃ」
 ボイド警部が感じる通り、火守が殺されたというのに修道女たちはどこか他人事だ。どころか面倒を持ち込んで、と厄介そうな反応をする者が少なからずいる。
「真面目と評判の僧兵長がいれば、また違ったのかもしれないですけどね」
 若い刑事が、手帳を見ながら頭をぼりぼりとかいた。ルーベンスと多少親交があったらしい僧兵長は、今日に限って不在のようだった。
「警部、皆さん失礼します」
 外から礼拝堂に捜査員が一名帰ってきた。町で聞き込みをしていた刑事だ。
「何か情報はあったかね」
「修道女が一人、修験の道へ向かったようです。関係あるかはわかりませんが、草人が滝のほうへ向かったとも」
「草人? って、もしかしてさっきの?」
 お腹が痛いと騒いでいた草人か。
「そう言えば朝方、草人を追いかけてったのはルーベンスさんと修道女だったって掃除の人が言ってたね。その修道女がサンドラだとすると……
 瑠璃はそんなカイの言葉で気づいたようだ。
「もしかして、狙いは万能薬か!」
 ププは珠魅の核でも宝石でもないが、場合によっては宝石以上に価値がある。
「ばんのうやく? なんだねそれは」
「話はあと! 滝だね、追いかけよう!」
 

 
 ■■■



 さて、つかまえた。
 めちゃくちゃに走り回った挙句、崖の先端まで追い詰められた草人は、あっさりサンドラに捕らえられた。首根っこを摑まえると、草人はじたじたと短い足で必死にもがく。当然、逃がす気などはない。小さな身体を吊り上げるようにして持ち上げると、草人はさらに必死になって暴れた。

『誰も傷つけたくない』

 あれが、あのルーベンスの言葉とは。
 輝石の座の騎士のくせに、最期の最期までろくに抵抗らしい抵抗もしなかった。動揺のせいか、あまりにも不意を突かれたのか、そもそも争う気がなかったのか。さてどれだろうか。
……今となっては、どうでもよいことか」
 手に入れたばかりの希望の炎は、革袋の中で真新しい血にどっぷり濡れ、ぬらぬらと鈍く輝いている。
 
 ――皆、甘い。あまりにも。

 弱くては生きてはいけない。
 強くなくては救うことなどできはしない。
 大事なものを守るために犠牲を恐れていては、何もできないのだ。
 誰かを傷つけてでも、たとえ、命を奪ってでも。戦わなければ、抗わなければ、容赦なく踏みにじられて消えていくだけ。それが世の中の摂理。自然の掟だ。
「すまないな。君に恨みがあるわけではないけれど」
 捕らえた手を離すと、草人がむぎょ! と潰れたカエルのような声を上げた。
 今度こそ逃げられないよう、サンドラは草人の胸元を強く踏みつける。これからされることを理解しているのだろうか。草人の丸い瞳が恐怖におののいた。
 サンドラの、声色だけは優しい。だが情けをかける気など一切なかった。この草人は腹に万能薬の素を飼っている。効果のほどは定かではないが、わずかなりとも可能性のあるものは手に入れておきたかった。
 草人の葉に手をかけ、はぎ取ろうとした瞬間。
 サンドラは動きを止めた。
……あの娘は本当に、邪魔ばかりする」
 小さく息を吐き、首を横に振る。やれやれだ。
「サンドラ、草人離して!」
 修験の道を抜けて駆け付けたのは、レイリスの塔で会った槍使いの少女だった。
 もはや修道女姿でいる必要もなく、サンドラは瞬時に変装を解いた。
「万能薬、ルーベンス殿はいらないのですって。石の眠りについた恋人なんて、彼はどうでも良かったのかしらね……
 草人を踏む足に力を籠めると、足下からくぐもったうめき声がした。
 自らの手を汚すことを嫌い、なにもしない。そんなのは愚かでしかない。その気になれば、こんなに容易いことなのに。
「サンドラ、大人しくお縄につけ!」
「あら、警部。ごきげんよう。相変わらずお元気そうで」
「ふざけるな!」
 ネズミの警部は小さな体で跳びはね、頭から湯気を立ち昇らせている。
 彼に遅れて、さらに続々と警察が追いついてきた。口惜しいがププは諦めるしかなさそうだった。今ここで草人の命を奪ったところで、腹をまさぐり虫を取り出す時間まではない。
 もっとも当初の目的は手に入れた。
 今一度革袋の核を確認すると、サンドラは空へ向かって鉤付きフックを投げた。
「私は誰にも捕まらないわ! さようなら、また会いましょう」
 狙い過たずフックはカンクン鳥の足に絡みつき、サンドラの身体は宙へと舞った。
 地を這う追跡者たちの姿が、みるみる小虫のように小さくなる。
 騒ぎたてる人間の集団の中に、ラピスラズリの珠魅が見えた。青天のような核を持ちながら紅玉より激しく燃え立つ、若く血気盛んで未熟な騎士。自分が守っているのが誰かも知らない、愚かな子。
 サンドラは唇の端を歪める。
 目的を果たすにはまだまだ足りないけれど、今はルビーのみで良しとしよう。
 彼らとは、きっとまた近いうちに会うことになるだろうから。